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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

'Erotokritos'-'Matia Ble'-'Tzivaeri'-'Arnisi'

パノラマ写真(2200X1200)636KB

春の海島頂白きフィラの街   北舟

2001年7月16日制作

The spring sea, 

Fira the white town on a top of the island.

フィラの街/サントリーニ島

「ギリシャ・エーゲ海紀行」速報!

フィラの街/サントリーニ島(ギリシャ・エーゲ海)

 

   
 
  
 




 


 
 
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2009年6月3日(水)

 八ヶ岳は、長野県の諏訪(すわ)・佐久(さく)地域と山梨県の境にある南北30km余りの大火山群の総称で、日本百名山の一つ。赤岳(2,899m)を最高峰として、硫黄岳(2,760m)・横岳(2,829m)・権現岳(2,715m)など8峰が連なるが、八ヶ岳と名付けられた単体の山は存在しない。

野辺山は愛しき岳のはだれ雪

Nobeyama, the remaining snow
of the admiring piek.

のべやまは いとしきたけの はだれゆき

 その山容は、夏沢鉱泉と本沢温泉を結ぶ夏沢峠を境界として、北八ヶ岳と南八ヶ岳に大きく分けられる。北八ヶ岳は、樹林帯が山稜近くまで続き、また比較的なだらかな峰が多く、湖沼も点在する。一方、南八ヶ岳は、主峰の赤岳をはじめ、横岳・硫黄岳・阿弥陀岳の鋭い峰々などがあり、急峻な地形となっている。このように、南北の山容は対照的で、狭義では南八ヶ岳のみを八ヶ岳ということがあり、日本百名山にいう八ヶ岳は、「南八ヶ岳」を指している。

蒲公英や村一番の八ヶ岳

Dandelions, Mt. Yatsugatake
the number one of the village.

たんぽぽや むらいちばんの やつがたけ

 野辺山高原は、八ヶ岳東麓の裾野西にある高原で、長野県南佐久郡南牧村(みなみまきむら)に属し、主に野辺山駅周辺の地域をいう。スキー場や観光牧場など各種レジャー施設がある。約3,400人が暮らす南牧村は長野県南佐久郡の村の一つで、その集落は佐久海ノ口駅周辺の海ノ口地区と、野辺山高原の野辺山地区がある。
 野辺山高原の遅い春は、3月下旬に凍てついた大地が一雨ごとにゆるむところから始まる。4月20日ころのコブシの開花、5月連休明けには落葉松(からまつ)・白樺(しらかば)がいっせいに芽吹き、5月20日頃にはヤマナシの花が咲き誇る。残雪の八ヶ岳と新緑のコントラストが美しい季節である。
 

野辺山は雄々しき岳の夏の池

 

Nobeyama, the summer pond
of the magnificent mountains.

のべやまは おおしきたけの なつのいけ

 標高1,350mのこの高原の夏は快適で、どんなに暑い日でも木陰に入ると爽やかな涼風が通り抜け、暑さから開放される。高原の心地好さに浸れる最高のひとときである。しかし、この高原の夏は短く、お盆を過ぎると木々が黄色く色づき始め、間もなく、秋の風を感じるようになる。
 天高く馬肥ゆる秋。澄み切った青空に秋の特有の雲がみられる。9月の下旬には初霜が降るので、レタスの収穫もはやばやと最終を迎える。秋も深まると落葉松(からまつ)の黄金色と青空に映える八ヶ岳とのコントラストが見事である。紅葉の深みのある色彩が心を和ませてくれる。
 

野辺山は色づく岳の仕舞畑

 

Nobeyama, the closing farm
of the colored mountains.

のべやまは いろづくたけの しまいばた

 気温差の激しい野辺山高原では、落葉樹は鮮やかな色に変わり、草紅葉と相まって、美しい秋景色が生まれる。
 落葉松(からまつ)が色付くころ、レタスやキャベツなどの高原野菜を育てた畑は、綺麗に手入れされ、畑じまいとなって、長い冬眠に入る。
 

野辺山は煌めく岳の樹氷林

 

Nobeyama, the rime ice forest
of the brilliant mountains.

のべやまは きらめくたけの じゅひょうりん

 冬の野辺山高原は凍てつく大地そのものになる。空気は澄み、八ヶ岳の山々が一番美しく見える季節である。
 樹氷は、濃霧が強風によって樹木に衝突したり、夜来の雨が天候の急激な回復で晴天となり、特に冷え込んだ早春にみられる。樹氷の花が咲く朝は、神秘的な荘厳さを感じる。
 

落日の山端光る木々の華

 

The falling sun shining on the edge of
the mountain, the brilliant of the trees.

らくじつの やまのはひかる きぎのはな

★☆★彡

 雄大な八ヶ岳の自然を写真に残したいと思い、撮影した写真を和田様に送付しましたところ、和田フォト感動写真集に掲載していただくことになり、ビックリ仰天でした。まだまだその域ではありませんので、今後精進を重ねたいと思っています。これを機会に、私のホームページ 八ヶ岳・野辺山高原讃歌 を作成してみました。これからも野辺山高原の美しい四季を発信してゆきたいと思っています。実物は、写真以上に素晴らしく、一見は百聞に如かずですので、是非一度足をお運び下さい。  原田とおる

「八ヶ岳野辺山高原の四季」 2009.6.2 撮影:原田とおる

八ヶ岳主峰「赤岳(2,899m)」の

斑雪嶺はだれみね

/海ノ口自然郷
八ヶ岳主峰「赤岳(2,899m)」の斑雪嶺/海ノ口自然郷

拡大写真(2000x1350)412KB

初夏残雪の八ヶ岳 / 野辺山高原・板橋

初夏残雪の八ヶ岳 / 野辺山高原・板橋

拡大写真(1280x850)305KB

野辺山高原・美鈴池(1,633m)

野辺山高原・美鈴池(1,633m)

拡大写真(1280x853)453KB

畑じまい

畑じまい

拡大写真(1450x1800)470KB

八ヶ岳と樹氷林

八ヶ岳と樹氷林

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冬入り日

冬入り日

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2009年5月28日(木)

 平成21年(2009)4月21日(火)から30日(木)までの10日間、家内と共にクラブツーリズムが主催する「憧れのギリシャ エーゲ海紀行10日間」の旅に参加した。今回も天候に恵まれ、27人の旅友は、ヨーロッパ最古のギリシャ文明の足跡と美しいエーゲ海の島々を巡る旅を満喫した。この作品は、その前編にあたる「本土編」である。

飛び翔る馬上の男の子春の夢

A spring dream, A boy flying on a horse.

とびかける ばじょうのおのこ はるのゆめ

 アテネでは最初に国立考古学博物館に行った。第21室には、有名な「馬に乗る少年」のブロンズ像がある。疾走する馬の躍動感と馬上の少年の姿は見事である。この像は、第15室のポセイドンのブロンズ像が発見されたのと同じアルテミシオンの沖で発見されたもので、紀元前2世紀ころの作品といわれる。

春風やアテネの丘のエンタシス

Spring wind,
the entasis at the hill of Athens.

かるかぜや あてねのおかの えんたしす

  ギリシャ古代遺跡といえば、世界的に有名なアテネのアクロポリスである。1987年に世界文化遺産に登録されたアクロポリスは、高い丘の上の都市という意味で、古代にアテネの守護神・「アテナ女神」を祀ったパルテノン神殿が建てられた聖域であり、ポリスと呼ばれる都市国家を護る要塞としての役割を演じてきた。
 ドリア式列柱に囲まれたパルテノン神殿は、横31m、縦70m、柱高10mの堂々たる建物で、15年の歳月を費やして、紀元前432年に完成した。2500年の風雪に耐えてきた神殿は、アテネの守護神アテナ女神を祀ったもので、市内の至る所から見え、アテネ最大のシンボルとなっており、1987年にUNESCOの世界文化遺産に登録された。
 

春の空アクロポリスの幾星霜

 

The spring sky, how old the acropolis.

はるのそら あくろぽりすの いくせいそう

 シンタグマ広場にある無名戦士の墓は、1823年以来400年にわたるトルコの支配に終止符を打った独立戦争での戦死者や、それ以降の何度かの戦争で犠牲となった兵士たちの霊を弔うために造られた。碑には、死の床に横たわる裸の戦士の姿が彫られ、その両脇には、古代ギリシャの歴史家トゥキディデスの言葉がギリシャ語で刻まれている。後ろの建物は国会議事堂。
 

春深空戦士の墓を衛る兵

The spring deep sky,

 

soldiers guarding the tomb of warriors.

はるみそら せんしのはかを まもるへい

 ここが観光スポットとなっているのは、1時間ごとに行われる衛兵交代式が見ものであるのと、衛兵との記念撮影が人気を博しているためである。衛兵はエヴゾナス(エヴゾニ)と呼ばれる民俗衣装を身につけて微動だにしないが、余り近寄ると、銃剣の台座を地面に打ち付けて警告する。添乗員からは、触るのはタブーで、接近は50cmくらいまでと聞かされていたが、写真下の女性は、大胆にも接触寸前にあるが、何ともなかった。美女には甘い?
 

春の夜仄かに光るエンタシス 

 

The spring night,
seeing the dim light of entasys.

はるのよる ほのかにひかる えんたしす

 華やかな幕内土俵入と横綱土俵入が終わったあと、午後2時過ぎから幕内力士17組の熱戦が披露された。
 幕内力士の取組が終わったあと、午後2時55分ころからこれより三役となり、東方の三役・魁皇(かいおう)・朝青龍(あさしょうりゅう)・琴奥州(ことおうしゅう)が土俵に上がり、扇の形をかたどった三角形に並んで四股を踏み、続いて西方の三役・白鵬(はくほう)・千代大海(ちよたいかい)・日馬富士(はるまふじ)が土俵に上がり、逆扇の形をかたどった逆三角形に並んで四股を踏んだ。
 

春の旅地球の臍の町ありき

 

A spring tour,
the town was on the navel of the earth.

はるのたび ちきゅうのへその まちありき

 3日目、4月23日(木)は、朝からデルフィ博物館とデルフィ遺跡を観光した。アテネの北西約180kmに位置するデルフィ(デルフォイ)は、標高2,457mのパルナッソス山南西部にあるファイドリアスと呼ばれる切り立った崖の麓の斜面に紀元前20世紀頃に建設された都市国家である。
 デルフィ博物館で最も有名な大地のヘソ「オンファロス」は、大理石でできた巨大な砲弾の形をしている。アポロン神殿の前室の地下に置かれ、そこで神託が行われていたという。
 ギリシャ神話によると、ゼウスが天上の両端から同時に二羽の鷲を飛ばしたところ、ちょうどデルフィで出会ったので、そこが地球の中心である「ヘソ」ということになった。オンファロスは、アポロン神のお告げである神託の祭事に欠かせない聖石で、その実物が復元されて展示されている。
 

アポロンの巫女の神託春の峪

 

The spring valley,
an oracle by the Pythia of Apollon.

あぽろんの みこのしんたく はるのたに

 聖域の中心をなすアポロンの神殿は、アテネ人の宝庫の奥(北側)にある。長さ60m、幅23m、ドリア式列柱に囲まれた巨大な神殿である。初期の神殿は、月桂樹の木で造られていたが、紀元前7世紀に最初の石造神殿が建てられた。この後、神託の評判が急速に高まり、紀元前6世紀にドリス様式の神殿に建て替えられた。現在の神殿は、地震で倒壊した神殿を紀元前330年に再建したもの。今は6本の円柱と礎石が残るだけで、当時の面影はない。神殿の手前(南側)にはスフィンクスが載せられたナクソスの柱の台座がある。
 

菜の花の先はキューポラ カランバカ

 

Kalambaka,
a cupola beyond the rape blossoms.

なのはなの さきはきゅーぽら からんばか

 ツアー3日目はデルフィ遺跡を巡った後、専用バスでカランバカに入って一泊し、翌4月24日(金)は朝からギリシャの世界自然文化複合遺産として名高いメテオラの修道院を観光した。
 カランバカは、ギリシャ本土のほぼ中央部に位置するテッサリア地方の都市で、宿泊施設のないメテオラに代わってメテオラ観光の拠点となっている。メテオラまでは約3kmしかなく、奇岩を背景に、白壁と赤屋根の街並みがとても美しい。
 

天空に浮かぶ寺院や春の果 

 

The end of spring,
a temple floating in the sky.

てんくうに うかぶじいんや はるのはて

 ギリシャ本土のほぼ中央にある2,000m級の山々が連なるピンドス山脈から端を発するピニオス川がテッサリア平原に達するところに、突如としてメテオラの奇岩群が現れる。大小様々な岩山の上に、ギリシャ正教の修道院が建っている。
 メテオラでは、敬虔な修道士や修道女たちが隔絶された岩山の頂上で、厳しい戒律を守りながら、昔と変わらぬ共同生活を営んでいる。20世紀初頭までは岩山には階段や梯子もなく、下界から人間や生活物資を運ぶ手段は、滑車に吊した網袋だけで、メテオラとは「空中に吊り上げられた」「中空の」という意味のメテオロスに由来しているという。
 メテオラ最大のメガロ・メテオロン修道院を見学した。入口の対岸から見ると、人や荷物を網袋に入れて巻き上げる昇降塔が中央に見える。現在は修道院と対岸を結ぶロープウェイがあり、修道士たちはロープウェイを利用して往来している。
 

春の空巌に結ぶ修道院

 

The spring sky,
a monastery standing on a huge rock.

はるのそら いわおにむすぶ しゅうどういん

 メガロ・メテオロン修道院は、ルサノス修道院と同様、「救世主の変容」を記念した修道院で、「救世主の変容」を意味するメタモルフォシスの名前でも呼ばれており、1387年に建てられた同名の主聖堂がある。壁画は1483年から1552年間に作成されたものが今も残る。かつての食堂の建物が現在は博物館として公開されている。
 修道院の内部に入ると、キリストが棺桶から信者たちを復活させるさまを描いたイコンが掛けられている納骨堂があった。
 

行く春や諸行無常の髑髏

 

The end of spring, the skeletons
showing everything is transient.

ゆくはるや しょぎょうむじょうの されこうべ

 扉には馬蹄形の覗き窓があり、中には頭蓋骨が並べられていた。見学者は誰でも目にすることが出来るので、少し異様な気分になる。日々、死と対面しながら修行する修道士たちにとっては、当たり前のことなのかも知れない。

「ギリシャ・エーゲ海紀行」 2009.5.27 撮影・制作:和田義男

名高い「馬に乗る少年」ブロンズ像(アルテミシオン)

名高い「馬に乗る少年」ブロンズ像  15177(アルテミシオン)

拡大写真(2000x1500)178KB

世界遺産のパルテノン神殿(西面/後部)の前に立つ

世界遺産のパルテノン神殿(西面/後部)の前に立つ

拡大写真(2000x1500)773KB

展望台から見たパルテノン神殿(東面/正面)

アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿(東面/正面)

パノラマ写真(2700X1000)471KB

衛兵交代式/アテネ無名戦士の墓

衛兵交代式/アテネ無名戦士の墓

拡大写真(2000X1650)487KB

ライトアップされたパルテノン神殿(南面)/ホテル屋上より

ライトアップされたパルテノン神殿(南面)/宿泊ホテル Divani Palace Acropolis 屋上より

拡大写真(1800X1300)242KB

有名な大地のヘソ・オンファロス

有名な大地のヘソ・オンファロス

拡大写真(1600x1500)327KB

アポロンの神殿(紀元前330年)全景

アポロンの神殿(紀元前330年)全景

拡大写真(2000x1350)677KB

美しい春のカランバカの朝

美しい春のカランバカの朝

拡大写真(1600x1100)410KB

天空に聳える修道院
天空に聳える修道院

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メテオラ最大のメガロ・メテオロン修道院

メテオラ最大のメガロ・メテオロン修道院

拡大写真(2000x1500)542KB

納骨堂に祀られた修道士たちの遺骨

納骨堂に祀られた修道士たちの遺骨

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2009年5月10日(日)

 平成21年(2009)4月10日(金)、東京都千代田区九段に鎮座する靖國神社で日本相撲協会による奉納大相撲が開催された。靖國神社創立140年を記念して横綱手数入(でずいり)(土俵入)が奉納されるとあって、朝5時起きして相撲場の入口に並び、夏日のような暑い快晴のなか、日焼けしながら土俵正面6列目付近から4時間に及ぶ大相撲の取組みを激写した。

靖國の御霊に捧ぐ春相撲

Spring sumo wrestling,
dedicating to the soul of Yasukuni shrine.

やすくにの みたまにささぐ はるずもう

 明治2年(1869)、靖國神社の鎮座祭に際して大相撲が奉納されて以来、春の例大祭には、横綱をはじめ200名余の力士による奉納相撲(無料)が執り行われる。約8,000人を収容する相撲場は、大勢の見物客で賑わう。

手拍子や相撲甚句の長閑なり

Clapping hands,
peaceful the sumo-jinku song.

てびょうしや すもうじんくの のどかなり

 初切(しょっきり)のあと、幕下力士10組の取組があり、12時半ころから相撲甚句が披露された。歌詞が七・七・七・五の甚句形式と呼ばれる邦楽の一種で、力士6〜7人が輪になって1人ずつ唄う力士独特の唄である。
 相撲教習所の教養科目に取り入れられており、江戸時代の享保ころには唄われていたという。大至(だいし)の美声と呼出し永男(ながお)の作詞が有名。現役力士では十両の春日錦が名手。芸能人では桂文福やCDまで出したデーモン小暮閣下が愛好者として知られる。
 

春光を背に綱の土俵入

 

The sumo wrestler's
ring performance with a rope,
bathing the spring light behind.

しゅんこうを そびらにつなの どひょういり

 幕内土俵入のあと、平成21年(2009)の初場所(東京)で優勝した第68代横綱・朝青龍明徳(あさしょうりゅう・あきのり)が東の花道から入場し、雲竜型(うんりゅうがた)の土俵入を披露。続いて春場所(大阪)で優勝した第69代横綱・白鵬翔(はくほう・しょう)力士が西の花道から入場し、不知火型(しらぬいがた)の土俵入を披露した。
 横綱土俵入には、雲竜型(うんりゅうがた)と不知火型(しらぬいがた)の2種類がある。それぞれ第10代横綱・雲龍久吉(うんりゅう・ひさきち/きゅうきち)と第11代横綱・不知火光右衛門(しらぬい・みつえもん/こうえもん)の型が伝えられたもの。横綱土俵入に太刀持ちと露払いを従えるようになったのは、天保年間(1830〜1844年)からという。
 

春日和真白き綱の土俵入

 

Fine day in spring,
the sumo wrestler's ring performance
with a pure white rope
on the ring.

はるびより ましろきつなの どひょういり

 化粧廻しは、大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用の廻しである。長さ8m、幅68cmの長い博多織の布の先端に豪華な刺繍と馬簾(ばれん)(裾に付いている房糸)の付いたエプロンのような大きな前垂れを持つ高価な廻し(相撲褌)で、一体ものである。
 力士たちは、化粧廻しを汚さないため、六尺褌か紐を一重結びしてTバック状にした越中褌を締めた上に化粧廻しを締めている。(取組のときの廻しは、直接肌に締める。)
 

春風や相撲褌に託す相撲道

 

Spring wind, the code of the sumo
wrestling on the loincloth.

はるかぜや まわしにたくす すもうどう

 華やかな幕内土俵入と横綱土俵入が終わったあと、午後2時過ぎから幕内力士17組の熱戦が披露された。
 幕内力士の取組が終わったあと、午後2時55分ころからこれより三役となり、東方の三役・魁皇(かいおう)・朝青龍(あさしょうりゅう)・琴奥州(ことおうしゅう)が土俵に上がり、扇の形をかたどった三角形に並んで四股を踏み、続いて西方の三役・白鵬(はくほう)・千代大海(ちよたいかい)・日馬富士(はるまふじ)が土俵に上がり、逆扇の形をかたどった逆三角形に並んで四股を踏んだ。
 

春日照る土俵を沸かす大一番

 

Spring sun shinning on the ring,
the final match exciting sumo spectators.

はるひてる どひょうをわかす おおいちばん

 奉納相撲は、千秋楽(せんしゅうらく)(最終日)の取組で行われ、午後3時頃から番付最上位の三役6人の力士が結びの三番を披露し、熱戦の末、魁皇(かいおう)、日馬富士(はるまふじ)、朝青龍(あさしょうりゅう)が勝ち、フィナーレを飾った。

「靖國奉納大相撲」 2009.5.8 撮影・制作:和田義男

ぶつかり稽古の開始

ぶつかり稽古の開始

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化粧まわしをつけて相撲甚句を披露

化粧まわしをつけて相撲甚句を披露

拡大写真(1600x1150)404KB

第68代横綱・

朝青龍明徳あさしょうりゅうあきのり

雲竜型うんりゅうがた

土俵入 

第68代横綱・朝青龍明徳の雲竜型土俵入

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第69代横綱・

白鵬翔はくほうしょう

不知火型しらぬいがた

土俵入 

第69代横綱・白鵬 翔の不知火型土俵入

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中入後最初の土佐ノ海・豊桜戦

中入後最初の土佐ノ海・豊桜戦

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朝青龍の強烈な吊り出し

朝青龍の強烈な吊り出し

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2009年4月20日(月)

 平成19年(2007)8月31日(金)から9月14日(金)までの15日間、夫婦二人で切符を手配し、現地の日本人ガイド白野さんにホテルを手配してもらい、いつもご一緒するご夫妻と二組でモンブラン登頂の旅に出かけた。

アイゼンの足取り軽き夏氷河

The summer glacier, walking
with a light step of a climbing spike.

あいぜんの あしどりかろき なつひょうが

 ツアー2日目の9月1日(土)からモンブラン登頂のための体力作りと高度順応のトレーニングが始まった。この日は、シャモニ鉄道駅の裏手から出発するモンタンベール鉄道でモンタンベールまで行き、メール・ドゥ・グラス氷河を歩いた。危険なクレバスが至る所に口を開けており、そのそばを慎重にトレックした。

シャモニーの夏雪原や空の藍

Snow field of Chamonix,
the sky of indigo in summer.

しゃもにーの なつせつげんや そらのあい

 快晴に恵まれた3日目・9月2日(日)は、バレーブランシュ氷河まで行った。ロープウェイでエギューユ・デュ・ミディ Aiguille du Midi (ミディ針峰)展望台へ登り、そこから降下して、スノートレックを開始。バレーブランシュ氷河は、イタリア側のエルブロンネまで歩き、エルブロンネから空中テレキャビンでミディへ戻り、ロープウェイでシャモニーに帰る強行軍だったが、素晴らしいツアーとなった。
  シャモニには、世界的な観光名所として標高3,842mのエギーユ・デュ・ミディ Aiguille du Midi(Aig. du Midi )(ミディ針峰)展望台がある。
 ツアー4日目の9月3日(月)は、グランモンテ展望台に行き、モンブラン山系の眺望を楽しんだあと、グランモンテ氷河からアルジェンチェール氷河まで下った。天候に恵まれたお陰で、連日、厳しいトレッキングが続く。
 

夏山や雪稜登る二人連

 

Summer Mountain,
a couple of climbers on the snow ridge.

なつやまや せつりょうのぼる ふたりづれ

 フランス語でモン (Mont は山、ブラン (Blanc は白を意味し、モンブランとは白い山という意味である。イタリアでは、モンテ・ビアンコ Monte Bianco (白い山) と呼ばれる。
 1786年8月8日、それまではただの山間の小さな町シャモニが突然ヨーロッパ中から注目を集めることになった。シャモニの水晶取りの猟師ジャック・パルマと医師のミッシェル・パーカルの二人がモンブランの初登頂に成功したのである。それ以来、静かだった村はアルピニストやスキーヤーで1年中賑わう町となった。
 

夏氷河ザイルに託す命かな

 

A summer glacier,
lives entrusted to a climbing rope.

なつひょうが ざいるにたくす いのちかな

 ツアー5日目の9月4日(火)も天候に恵まれ、シャモニー近郊のガイアンの岩場でロック・クライミング訓練を実施。ガイアン岩場から間近に臨むモンブランは、夏空の青が影にも青みを加え、幻想的で、素晴らしかった。
 

モンブラン青き陰引く雪の山

 

Mont Blanc,
a snow mountain drawing blue shadows.

もんぶらん あおきかげひく ゆきのやま

 ツアー6日目の9月5日(水)も晴天となり、シャモニからル・トゥールまでガイドさんの車で行き、ここからテレキャビンとリフトでバルムまで上がり、バルム峠(2,191m)からバロシンへのハイキングを楽しんだ。バルムのコルから見るモンブラン山系と全景はとても素晴らしかった。
 フランスとイタリアの国境にまたがるモンブランは、ジャックやミッシェルの時代には「魔の山」として恐れられていたが、今では誰もがロープウェイに乗ってすぐそばまで行くことができ、ある程度の技術と経験があれば安全に登頂することができるようになった。その入口がシャモニである。
 

夏空やコルより見上ぐモンブラン

 

The summer sky,
looking up at the Mont Blanc from a col.

なつぞらや こるよりみあぐ もんぶらん

 ツアー8日目の9月7日(金)は、ガイドの白野さんと沖本、フランス人ガイドと川村さんご夫妻の5名でモンブランに登頂する日となった。
 午前7時半レズーシュ les Houches まで行き、フランス人ガイドと合流。ロープウェイで山頂駅ベルビューへ登り、モンブラン鉄道に乗換えてニ・デーグル Nid d'aigle (,2,380m)へ行き、そこから歩いてグーテ針峰 Aig. du Gouter (3,817m)の頂上に位置するグーテ小屋まで標高差1,437mを登り、この日はグーテ小屋で一泊した。
モンブラン登山は登山者1名につきガイド1名を付けることになっている。9月8日(土)のアタックは、ガイドの白野さんと沖本の組は、グーテ小屋を午前3時に出発し、−15℃の中で標高差990mを登り、遂に午前8時5分、アルプス最高峰のモンブラン山頂(4,810m)に辿り着くことができた。写真は、登頂に成功した感動の一瞬!
 

アルプスの至高を極む夏の天

 

The summer sky, succeeded in reaching
the highest summit of the Alps.

あるぷすの しこうをきわむ なつのてん

 後方は雲海で、この雲のために下界からは山頂が見えない状況だった。山頂には約5分の滞在で、すぐに下山を開始し、午前11時7分、早朝スタートしたグーテ小屋に到着した。この間、リュックの中の水筒が凍ったため「飲まず食わず」の状態で、そのままニ・デーグルの駅まで下った。
 

暮れなずむ夏日に燃ゆるミディ針峰

 

The lingering glow in the evening sky,
the Aiguille du Midi burning
by the summer sun.

くれなずむ なつびにもゆる みでぃしんぽう

 写真は、シャモニに13連泊したホテルのバルコニーから見えた夕焼け。今回の旅は、満足度100%で、これまで経験した旅の中で最高の思い出となった。

「モンブラン登頂の旅」 2009.4.19 撮影・原作:沖本陽子

リーダーの後を一列縦隊でトレック

リーダーの後を一列縦隊でトレック

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振り返るとミディ針峰の全容が!

振り返るとミディ針峰の全容が!

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雪稜登坂の二人連れ

雪稜登坂の二人連れ

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ハイピッチで下って行った3人組/アルジェンチェール氷河

ハイピッチで下って行った3人組/アルジェンチェール氷河

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ガイアン岩場からみたモンブラン山塊

ガイアン岩場からみたモンブラン山塊

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バルムのコルから見た姿が最も美しいモンブラン

バルムのコルから見た姿が最も美しいモンブラン

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モンブラン山頂でリーダーの白野さんと

モンブラン山頂でリーダーの白野さんと

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ミディ針峰のアルペングロー(山頂光)/ホテルバルコニー

ミディ針峰のアルペングロー(山頂光)/ホテルバルコニー

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2009年4月5日(日)

 毎年12月3日に行われる秩父夜祭は、約300年前の江戸時代に、年の瀬の秩父で一大商業イベントが行われるようになったのが始まりで、以前は「六日まち」と呼ばれたように、12月6日頃まで出店や銘仙の商いが行われていた。神事と共に民衆の「付け祭り」として発展し、現代に至っている。

秩父祭登竜門の屋台かな

Chichibu Ritual, the wagon with carp
swimming up the rapids.

ちちぶさい とうりゅうもんの やたいかな

 京都・高山と並び日本三大曳山祭と称される秩父夜祭は、秩父神社の妙見宮(みようけんぐう)の女神と武甲山(ぶこうさん)(蔵王権現)の男神(龍神)が年に1度逢引するというロマンスがあり、信仰と人々と笠鉾・屋台と花火が織り成す壮大な夜のページェントである。

秩父祭歌舞伎屋台の宮参り

Chichibu Ritual, first visit to the shrine
by the Kabuki wagon.

ちちぶさい かぶきやたいの みやまいり

 12月2日の前夜祭「宵まち」に秩父神社へ宮参りするため、神門へと屋台を曳きつけ、所作事(踊り)を奉納する。夜祭の屋台は歌舞伎屋台といわれ、屋台が張り出し舞台へと変身する。
 12月3日(水)は、青い空が広がった。団子坂を無事に登ることを胸に秘め、囃子手の長く、そして待ちに待った一日が始まった。
 囃子を競う上町屋台「囃子手(はやして)」と中町屋台「梶取(かじとり)」のすれ違い場面。上町と中町は隣同士の町会であり、夏祭りには上町・中町・本町の三町曳き別れ式が執り行われる。
 しばし動く陽明門と形容される秩父夜祭屋台。明かりを灯した屋台同士がすれ違う瞬間は、何度見ても豪華絢爛である。
 

秩父祭陽明門の勢揃ひ

 

Chichibu Ritual,
Yohmei gates gathered together.

ちちぶさい ようめいもんの せいぞろい

 
 上町屋台上で囃す平成20年度囃子手4人。扇子片手に「ホーリャイ!ホーリャイ!」と連呼して屋台を囃し立てる。中国の思想で不老不死の仙人の住む海に浮かぶ蓬莱山(ほうらいさん)を目指すための「ホーライ」が変化したものと伝えられる。
 

ホーリャイ!と叫ぶ囃子手秩父祭

 

Chichibu Ritual,
cheerers shouting Hooh-ryaii!

ほーりゃいと さけぶはやして ちちぶさい

 冬の澄んだ夜空を焦がす花火を背景に、絢爛豪華な2基の笠鉾と4基の屋台がお旅所を目指す。囃子手たちにとって一世一代の晴れ舞台となる団子坂(だんござか)は、熱気に溢れ、気合もろとも次々と引き上げられた6基の笠鉾・屋台が御旅所に勢揃いする様はまさに壮観である。
 

団子坂越えて御旅所秩父祭

 

Chichibu Ritual, reaching the resting
place over the Dango-zaka Slope.

だんござか こえておたびしょ ちちぶさい

 登坂のため、曳き綱以外に真綱・増綱を張り、万全の態勢を整えた上町屋台。この後、出発の合図である笛と拍子木が打ち鳴らされる。囃子手にとって祭の集大成の瞬間で、短くも長くも感じる、生涯忘れ得ぬ思い出となる。
 

御旅所の夜空を飾る冬花火

 

Winter fireworks decorating
the night sky of the resting place.

おたびしょの よぞらをかざる ふゆはなび

 冬の冷たく澄んだ夜空を飾る大きな華「大スターマイン」花火大会。羊山(ひつじやま)公園から打ち上げられ、屋台と花火の艶(あで)やかな共演が秩父夜祭のフィナーレとなり、観客の歓声はひときわ大きくなる。

★☆★彡

 平成20年度の上町囃子手たちとは、前年の資料を渡したり、私の自宅で平成19年度のDVDを鑑賞したりと、大祭当日まで親しく接して居りました。夏の「秩父川瀬祭」に続き、被写体に思い入れがありますので、自分自身にとってもとても良い経験になりました。
 今回の解説にあたり、平成19年度に囃子手を務めさせて頂いた経験から囃子手としての目線も加味して書かせて頂いて居ります。また、「日本三大曳山祭」と称される秩父の屋台文化の素晴らしさをお知らせするために、彫刻・唐破風などの屋台の細部にも焦点を当てました。  夜のカメラマン

「秩父夜祭'08」 2009.4.3 撮影・原作:夜のカメラマン

豪華な金糸を使った「鯉の滝登り」の後幕

豪華な金糸を使った「鯉の滝登り」の後幕

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上町屋台の宮参り

上町屋台の宮参り

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動く陽明門といわれる秩父夜祭屋台

動く陽明門といわれる秩父夜祭屋台

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笠鉾・屋台の囃し合戦

笠鉾・屋台の囃し合戦

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団子坂を登る上町屋台の勇姿!

団子坂を登る上町屋台の勇姿!

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フィナーレ「御旅所の笠鉾・屋台と花火」

フィナーレ「御旅所の笠鉾・屋台と花火」

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註:花火は画像合成です。

 

   
 
  
 

 


 









 


 
 
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2009年3月29日(日)

 平成20年(2008)11月下旬から12月上旬にかけてJTBが主宰する「旅物語/12日間の南米旅行」に参加した。今回、ボサノバとサンバのメロディを聞きながらブラジルの魅力一杯のリオデジャネイロとイグアスの滝をご案内したい。

 人口700万人を超えるリオ・デ・ジャネイロ市は、1200万人が住むサン・パウロ市に次ぐブラジル第二の都市で、ブラジル南東部に位置するリオデジャネイロ州の州都である。また、大西洋に面するブラジル最大の港湾都市でもあり、アメリカのサンフランシスコとオーストラリアのシドニーと共に世界三大美港の一つに数えられる。

裸衆サンバ屋台の謝肉祭

Naked, wagon samba's carnival.

はだかしゅう さんばやたいの しゃにくさい

 カトリックでは、キリストの復活祭・イースターの直前40日間は禁欲期間とされているため、その前の数日間を開放的に楽しもうというのが謝肉祭・カーニバルの由来である。カトリックでは今も陰暦(月暦)を使用しているため、毎年期日が変化し、大体2月中旬から下旬の土曜日から火曜日までの4日間、ブラジル全土で開催される。

褐色の肌も弾ける謝肉祭

The carnival, brown skins bursting.

かっしょくの はだもはじける しゃにくさい 

 リオのカーニバルとして知られているのは、マルケス・ジ・サプカイ通りにあるサンボドロモ(サンバ会場)で行われるコンテスト形式のパレードである。ここで行進するサンバチームは、エスコーラ・ジ・サンバ Escola de samba(サンバの学校)、略称・エスコーラ(日本の連や睦)と呼ばれ、地域(日本でいう町会)を代表するグループで編成される。
 パレードはコンテスト形式になっており、審査が行われて、優勝チームには名誉と賞金が与えられる。有名なサンバ団体を挙げると、ポルテーラ、マンゲイラ、インペリオ・セハーノ、サウゲイロ、ヴィラ・イザベウ、ウニードス・ダ・チジュッカ、ウニアォン・ダ・イーリャなどで、どれも歴史的なサンバの名手・サンビスタ Sambista や名曲を生んだエスコーラである。
 日本ではマツケンサンバが一時ブレークしたが、サンバ Samba はブラジル音楽の一つである。アルゼンチンにもサンバ Zamba と呼ばれる音楽があるが、まったくの別物である。
 サンバは、4分の2拍子のダンス音楽で、19世紀の終わりころ、ブラジル北東部の港町・バイーア(現在のサルバドール)で発祥したとする説が有力。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が上陸した場所である。
 その後、バイーアからリオデジャネイロに移住したアフリカ系黒人の奴隷労働者たちが持ち込んだバトゥカーダ Batucada (打楽器のみによるサンバ)などの音楽をもとに、ショーロやルンドゥーなどの要素がとりこまれ、ブラジルを代表する音楽ジャンルとなった。
 

涼しきは海風わたるリオの夕

 

Cool is the evening of sea breezes at Rio.

すずしきは うみかぜわたる りおのゆう

 イグアスの滝は、南アメリカ南東部にある世界有数の大瀑布で、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3国が国境を接するパラナ川とイグアス川の合流点からイグアス川を上流へ約23kmのぼったところにある。
 

水煙を吐き出す滝の巨塊かな 

 

Huge mass of waterfalls,
raising clouds of spray.

すいえんを はきだすたきの きょかいかな

 世界自然遺産のイグアスの滝は、1億2千万年前に既に存在していたと考えられており、古くから先住民族の間で聖地として崇められていた。「イグアス」とは、原住民のグアラーニ語で「大いなる水」という意味で、ブラジルとアルゼンチン両国にまたがる広大なイグアス国立公園の中にあり、ブラジル側が17万ヘクタール、アルゼンチン側は22.5万ヘクタールの広さがある。
 世界三大瀑布の一つに数えられるイグアスの滝は、亜熱帯性密林を流れるイグアス川が大きく屈曲したU字カーブの西側にある。世界最大の長さ約4km、落差80mの間に大小約300の滝が段をなして連なり、数km先からでもわかるほど膨大な水しぶきを立ち昇らせ、轟音とともに神秘的で美しい世界最大級の大瀑布を形成している。
 

イグアスの大地を穿つ巨大滝 

 

Huge waterfalls,
digging the earth of Iguazu.

いぐあすの だいちをうがつ きょだいたき

 イグアスの滝の最大の見所は、イグアスの滝で最大規模の「悪魔の喉笛(のどぶえ)」といわれるアルゼンチン側の大滝である。ブラジル側とアルゼンチン側双方から見ることができるが、アルゼンチン側からは直近の展望橋から見下ろすことができ、その迫力は天下一を誇る。
 

イグアスの神の依代滝飛沫

 

The sprays of waterfalls,
prime marks for the gods of Iguazu.

いぐあすの かみのよりしろ たきしぶき

 イグアスの滝観光のハイライトともいうべき「悪魔の喉笛」は、滝を流れ落ちる水音のすさまじさから付けられた名前で、80mの高さから毎秒約1,500m3の水が落下する様子は圧巻で、筆舌に尽くしがたい。

「イグアスの滝」 2009.3.28 撮影・原作:嶋村 明

豪華な山車で行進するサンバチーム/リオのカーニバル

豪華な山車で行進するサンバチーム/リオのカーニバル

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ほぼネイキッド(裸)の女性

ほぼネイキッド(裸)の女性

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リオデジャネイロの夜景 / ポン・ジ・アスーカル

リオデジャネイロの夜景

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巨大な水塊の轟音と水煙/展望橋

巨大な水塊の轟音と水煙/展望橋

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パノラマの「悪魔の喉笛」

パノラマの「悪魔の喉笛」

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2009年3月24日(火)

 平成21年(2009)3月8日(日)9日(月)の両日、家内と二人でクラブツーリズムのバスツアーに参加し、早春の会津路を旅した。初日は東北自動車道から那須塩原に入り、塔の岪(へつり)と大内宿を見学し、会津高原・高杖(たかつえ)温泉で一泊。二日目は会津若松市の武家屋敷や鶴ヶ城を観光し、最後に猪苗代湖から帰途についた。

残雪の水面の緑岩の塔

The green surface of remaining snow,
the towers of rocks.

ざんせつの みずものみどり いわのとう

 塔の岪(へつり)は、かつて会津下郷(あいづしもごう)と呼ばれた福島県南会津郡下郷町(しもごうまち)にある景勝地で何百万年もの長い歳月をかけて浸食と風化を繰り返して作り上げられたもの。大川(おおかわ)が形成する渓谷、大川ラインにあり、昭和18年(1943)、河食地形の奇形を呈する好例として、国の天然記念物に指定された。大川はやがて阿賀川と名前が変わり、新潟県に入ると阿賀野川と呼ばれるようになる。

早春の吊橋見ゆる岪餅

Hetsuri rice cakes,
looking a suspension bridge in early spring.

そうしゅんの つりばしみゆる へつりもち

 大内宿(おおうちじゅく)は、福島県南会津郡下郷町(しもごうまち)にある宿場町で、日光今市から会津若松に通じる旧会津西街道(別名・下野(しもつけ)街道、南山(なんざん)通り)に沿った山間の平地にある。
 大内宿は、全長約450mの往還(おうかん)に沿って、道の両側に妻(つま)を向けた寄棟造、茅葺の民家群が40〜50軒ほどほぼ等間隔に建ち並んでおり、1981年(昭和56年)、伝統的建造物群とその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているものとして、重要伝統的建造物群保存地区に選定された。宿場町としては長野県の妻籠宿と奈良井宿に次いで、全国で3番目。
 

茅葺の屋根の残雪消ゆるころ

 

It's time the remaining snow
vanishes on the thatched roofs.

かやぶきの やねのざんせつ きゆるころ

 大内宿は茅葺き屋根の家並みが道の両脇に重なるように連なり、澄んだ水が流れる二本の水路が広い道路の両脇に走っているのが特徴で、この水路は「大内宿の自然用水」として日本の音風景100選に選ばれている。
 

斑雪屋根に屋根する煙抜

 

The remaining snow,
a chimney with a roof on the roof.

まだらゆき やねにやねする けむりぬき

 会津武家屋敷は戊辰(ぼしん)戦争で消失した武家屋敷のうち、家老・西郷頼母(さいごうたのも)邸を復元した観光スポット。復元された西郷頼母邸は、敷地面積2,400坪、建坪280坪に38室を有する大邸宅で、往時を偲ぶことができる。
 西郷家は会津藩松平家譜代の家臣で、代々家老職をつとめ、1,700石取りの家柄だった。幕末の当主は、頼母近悳(たのも・ちかのり)で、戊辰戦争の際、恭順論や藩主の京都守護職辞退を進言したものの容れられず、その後、数奇な運命をたどった。西郷一族21人の自刃の悲話は、今に語り継がれている。
 

武家屋敷巡る会津の春浅し

 

Early spring in Aizu,
going around a samurai residence.

ぶけやしき めぐるあいづの はるあさし

 鶴ヶ城は、旧市街地の南端にあり、郭内(武家屋敷)と町屋敷が外濠で隔てられ、郭内に内濠を持つ平山城である。城跡は都市公園鶴ヶ城公園となっており、そのほとんどが国の史跡に指定されている。
   約600年の歴史を有する鶴ヶ城は、至徳元年(1384)葦名直盛(あしな・なおもり)が東黒川館を建てたことにはじまり伊達、上杉、保科、松平など8家が城主となって幕末を迎えたが、戊辰戦争の際、約1ヶ月の籠城戦で天守閣が小破し、明治7年(1874)陸軍省の命令で取り壊された。昭和9年(1934)国の史跡に指定された後、昭和40年(1965)現在の天守閣が昔の姿そのままに復元された。 
 

春や春赤き瓦の城ありき

 

The spring of springs,
there was a castle of red roof tiles.

はるやはる あかきかわらの しろありき

 磐梯山と猪苗代湖に挟まれた猪苗代町に野口英世記念館がある。野口英世が西アフリカで殉職した昭和3年(1928)東京の追悼会で、遺業の顕彰と生家の保存を目的として「野口英世博士記念会」が生まれ、昭和13年(1938)に財団法人としてスタートし、翌年、「野口英世記念館」が開館した。
 

猪苗代母の田畑に残る雪

 

Inawashiro,
the remaining snow of mother's fields.

いなわしろ ははのたはたに のこるゆき

 明治9年(1876)11月9日に生まれて上京するまでの19年間を過ごした生家は、建てられて200年近く経った今も当時の姿が保たれている。野口英世が火傷した囲炉裏(いろり)や上京するときに決意を刻んだ柱が今も残されている。
 野口秀世を主人公とした子供向けの偉人伝が多数刊行されて「偉人の代表」ともいうべき存在となったため、医学研究者としては非常に知名度が高い人物である。2004年より発行されている日本銀行券のE号千円札の肖像になっている。

「早春の会津路」 2009.3.23 撮影・制作:和田義男

藤見橋ふじみばし

を渡る

藤見橋を渡る

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へつり

だんご」と「あゆの塩焼」を売るお婆さん

「岪だんご」と「あゆの塩焼」を売るお婆さん

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雪屋根・縁側の店

雪屋根・縁側の店

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大内宿全景

大内宿全景

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会津藩の家老屋敷/西郷家

会津藩の家老屋敷/西郷家

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ベストビューの

鶴ヶ城つるがじょう

ベストビューの鶴ヶ城

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野口英世の生家と磐梯山

野口英世の生家と磐梯山

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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