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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2013年9月26日改訂

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♪HOME, SWEET HOME by Henry Bishop

旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

 

初春の鶴は千年羽ばたけり   北舟

 
 

Early spring, the flapping crane lives for 1000 years.

2001年7月16日制作

ソデグロヅル / 千葉県印旛郡栄町 2012.01.18 08:39

拡大写真(2000x1400)520KB

ソデグロヅル / 千葉県印旛郡栄町

俳句「海の風景」第36集


 





























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2013年8月27日(火)晴

 平成25年(2013)8月16日(金)、岩手県盛岡市内を流れる北上川で、盆の送り火の行事として知られる舟っこ流し(ふねっこながし)(盛岡舟っこ流し協賛会主催)が開催され、例年、長松寺(ちょうしょうじ)(斗ヶ澤祥悦住職)を基地とし、参加団体のうち唯一赤褌(あかふん)一丁の裸形で精霊舟(しょうろうぶね)を流す仙北(せんぼく)二丁目自治会(コ田石男会長)が運営する仙伸会(藤原信行会長)の活動を密着取材した。
【報道文】 盛岡市の送り盆の伝統行事、盛岡舟っこ流し(同協賛会主催)は8月16日(金)、同市の明治橋上流付近の北上川で行われた。川沿いを埋めた住民らが見守る中、精霊舟が炎に包まれながらゆっくりと流れを下り、先祖や震災犠牲者を送った。
 竜をかたどり、五色の短冊や千羽鶴で飾られた13隻が参加。供養される人の戒名などを載せた舟に火が放たれると、花火とともに爆竹が鳴り響き、川面は燃え上がる炎で明るく照らされた。

竜神の精霊舟や阿弥陀仏

Amida Buddha,
Dragon King Boat for the spirits of dead.

りゅうじんの しょうりょうぶねや あみだぶつ

 盛岡のお盆行事の最後をかざる「舟っこ流し」は、享保年間(1716〜1736)、南部家三十代行信公の息女・幕子姫(まくこひめ)が大慈寺(だいじじ)の万叡和尚(まんえい・おしょう)に帰依(きえ)し、川施餓鬼(かわせがき)を発願したことに始まるという。
  その後、文化年間(1804〜1818)のころ、津志田の遊女、大時(おおとき)・小時(ことき)が盛岡の城下に遊びに来た帰り、現在の明治橋の直ぐ下流の北上川に架かる舟橋を渡ろうとしたが、折からの台風で難渋し、門限に遅れまいと小舟に乗り、ようよう中ほどまで来たが、水勢におされて転覆し、力尽きて溺死してしまった。それを人々は哀れみ、「舟っこ流し」が盛んになったという。。。。。。。。

仙北の精霊舟や赤褌

Red fundoshi loincloth,

Senboku boat for the spirits of dead.

せんぼくの しょうろうぶねや あかふどし

  明治以降は戦没者の慰霊と先祖供養、世界の平和、五穀豊穣を祈り、盛岡舟っこ流し協賛会が結成され、寺院や各町内会の精霊舟(しょうろうぶね)が暮色せまる明治橋上流から流され、火が放たれた舟から爆竹の音とともに花火が打ち上げられて幽玄の世界をかもしだし、短い夏の別れを告げる風物詩として盛岡っ子に親しまれている。

処暑近し車道の舟っこ赤褌

Nearing the limit of heat,

the Funakko boat going on the car road
by guys of red fundoshi loincloth.

しょしょちかし しゃどうのふなっこ あかふどし

  精霊流し(しょうりょうながし)又は灯籠流し(とうろうながし)は、8月16日の送り盆の日に死者の魂を弔って灯籠(とうろう)や精霊舟(しょうりょうぶね)、お盆の供え物などを川や海に流す仏教の送り火の行事である。盛岡の「舟っこ」と呼ばれる流舟(ながしぶね)も精霊舟の一種で、北上川の「舟っこ流し」は、精霊流しの行事である。
 午後4時50分頃から曹洞宗青龍山祇陀寺(ぎだじ)・吉田大信師による法要が始まり、先祖供養のほか、先の東日本大震災や水難事故の犠牲者・戦没者らの精霊に祈りをささげる読経が行われ、最後に参加団体代表者による焼香が行われた

仙北の川原の法要送舟

The sending boats
for the spirits of dead,
a Buddhist memorial service

on a shore of river at Senboku.

せんぼくの かわらのほうよう おくりぶね

  5番舟の着火を右岸から確認した午後5時52分ころ、仙北二丁目自治会の6番船が赤褌たちに担ぎ上げられ、入川地点めざして発進した。こうして見ると、6番舟は、龍頭は緑だが、旗印や龍の腹部、そして担ぎ手たちの褌・鉢巻が全て赤で統一されていることが分かる。
 6番舟は、本部前を発進後、坂や木道、ぬかるみを注意深く進み、午後5時55分ころ、入川地点に到達した。

竜頭舟赤褌どもが夏川原

A summer boat with a dragon-head,
Guys of red loincloth at the river shore.

りゅうずぶね あかふんどもが なつがわら

 6番舟は、入川後、舟首を下流(東)に向けたあと、横移動するかたちで北上川中央部の深みに向かって進んで行った。葛巻進点火役は、水際で点火棒に火を着けた後、舟っこを追いかけた。
  担ぎ手たちの赤褌が水中に隠れたころ、6番舟がゆっくりと水面に浮かべられた。二年前には、重心が高くて傾斜し、転覆しそうになった舟もあったが、6番舟は極めて安定しており、危なげない進水風景だった。

仙北の赤褌一丁花火舟

Senboku guys of red fundoshi loincloth,
fireworks from the boat.

せんぼくの あかふんいっちょう はなびぶね

  6番船が入川して2分後、葛巻点火役が点火棒を延ばして龍頭の花火に点火すると、勢いよく燃え上がった花火が閃光を発し、激しくはじけて白煙が上がった。
  舟っこに点火して数秒後には舟全体に火がまわり、紅蓮(ぐれん)の炎が立ち上がり、白煙が舞い上がった。赤く染まった川面が赤褌グループの赤を暗示しているようで、素晴らしい演出だった。そして、間髪を入れず、 舟っこに仕掛けてあった花火が轟音を発して打ち上げられ、曇空に星を散りばめたような美しい光景が広がった。

燃え尽きて成仏願ふ送舟

The sending boats for the spirits of dead,
hoping Rest in peace after burning out.

もえつきて じょうぶつねがう おくりぶね

  北上川の上流で入川して僅かに8分後、火勢が衰えた舟っこは、明治橋上流の揚収地点に到達し、川原に引き揚げられた。裸たちも同じ場所から上陸した。
「舟っこ流し」が終った後、灯籠流しと投げ松明(なげたいまつ)が行われ、午後7時から3000発の花火が打ち上げられる。「舟っこ流し」が終わると、盛岡は秋の気配が漂い始めるという。

「盛岡舟っこ流し」 
 
2013.8.16 撮影・制作 : 和田義男

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舟っこに点火! 17:56:40 花火の噴水! 17:57:15
故人の霊を阿弥陀仏に託して極楽浄土に運ぶ「舟っこ」

故人の霊を阿弥陀仏に託して極楽浄土に運ぶ「舟っこ」

拡大写真(2400X1900)1.03MB
舟っこ流し点火役・葛巻進さんの焼香 15:06

舟っこ流し点火役・葛巻進さんの焼香 15:06

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明治橋南交差点に到着 15:36

明治橋南交差点に到着 15:36

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青龍山

祇陀寺ぎだじ

・吉田大信師による法要 2/2

青龍山祇陀寺・吉田大信師による法要 2/2

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赤褌舟団のいざ出陣! 17:51:50

赤褌舟団のいざ出陣! 17:51:50

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花火の噴水! 17:57:15

花火の噴水! 17:57:15

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舟っこを陸揚げする 18:02:10

舟っこを陸揚げする 18:02:10

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2013年8月4日(月)晴

  平成25年(2012)7月28日(第4日曜日)、埼玉県秩父市荒川白久(あらかわ・しろく)に鎮座する猪鼻熊野神社(いのはな・くまの・じんじゃ)で、「猪鼻の甘酒こぼし」(埼玉県無形民俗文化財)が開かれたので、昨年、一昨年に引き続き、甘酒こぼし保存会の後援を受けて密着取材した。
 「甘酒こぼし」は、毎年七月第四日曜日の午後1時、無病安全豊作などの祈願をし、土地の人が造った甘酒を熊野神社にお供えし、参詣の人々や氏子たちが飲んでから、子供から老人までが、ふんどしひとつで賑やかに甘酒を頭からかけ合う裸祭である。
▼ 上の沢放水路は、氏子たちのご奉仕によって綺麗に清掃され、清流を荒川に導いている。神仏混淆の文化を今に伝える地蔵尊が祀られている木漏れ日の参道が美しい。

万緑の沢の参道地蔵尊

Myriad green leaves over the stream,
stone statues of Jozo standing
beside the approach to the shrine.

ばんりょくの さわのさんどう じぞうそん

 天平8年(736)以来今日まで約1300年にわたって「甘酒こぼし」を継承してきた奥秩父の猪鼻地区では、過疎化高齢化が進み、かつて70戸あった村落が39戸にまで減少し、もはや地元の氏子だけでは祭の催行が難しくなっている。 現在、荒川西小学校の児童は53人だが、この地区から通う子供はいない。
 一昨年に引き続き、久喜邦康・秩父市長が来場し、本番が始まる前に挨拶があった。数少ない埼玉県無形民俗文化財のひとつである「甘酒こぼし」は、秩父市の誇りであり、これからもこの伝統文化を継承して行きたいとのスピーチは、地元民の大いなる励みとなった。
▼ 本番開始10分前になると、壊れても惜しくない祭礼用の樽に甘酒を移し替える作業がはじまり、「甘酒こぼし」が動き出した。

緑なす山懐や一夜酒

The heart of the green mountain,
Hitoyo-zake the wine made just one night.

みどりなす やまふところや ひとよざけ

▼ 年に一度、大のおとなが褌一丁の素裸になり、不老長寿を願って甘酒を掛け合う素朴な夏祭。 緑に囲まれた神庭(かむにわ)で神々のご加護を信じ、神と一体となって楽しむこの神事は、かつて娯楽の少なかった山村の数少ない楽しみだったことだろう。

神庭の甘酒こぼし白ふどし

The white fundoshi loincloth,
 scattering sweet sake wine
at the garden of deities of Shinto.

かむにわの あまざけこぼし しろふどし

▲▼ 日本人にとっては、郷愁をそそる原風景ともいえるもので、なぜか心に響くものがある。
 毎年、常連となった愛好者たちがここに集まるのは、身分や境遇を越えて裸一貫の平等な雰囲気が醸し出す裸祭にしばし熱中したいというDNAに刻まれた本能的な欲求にかられてのことなのかも知れない。
 単純素朴な「甘酒こぼし」には、不思議な魅力がある。私も撮影がなければ、六尺褌をキリリと締めて無我夢中で祭に興じたい衝動に駆られるが、この作品をご覧になった読者にも同じ衝動がわいてくる方がいるに違いない。
▼ お互いに甘酒を掛け合うこと約11分。拍子木が打ち鳴らされると酒樽がひっくり返され、樽転がしが始まった。

酒樽を回してみせる夏祭

The summer festival,
turning around the sake barrel.

さかだるを まわしてみせる なつまつり

祭が終わると、参加者たちは三々五々猪鼻公会堂で着替えた後、来年の再会を約して下山していった。このあと和田グループは、三峰口駅15:25発池袋行き直行電車の出発まで、駅前の福島屋で直会を行い、お互いの元気を祝福し合い、祭談義や褌談義を楽しんだ。皆さん、お疲れ様でした!

「猪鼻の甘酒こぼし'13」 
 
2013.7.28 撮影・制作 : 和田義男

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木漏れ日の参道 /上の沢放水路 09:45

木漏れ日の参道 /上の沢放水路 09:45

拡大写真(2400X2100)1.58MB

甘酒を祭礼用の樽に移し替える 12:51

甘酒を祭礼用の樽に移し替える 12:51

拡大写真(2000X1500)464KB

甘酒こぼし/八 〜盛り上がる甘酒掛けくらべ〜

甘酒こぼし/八 〜盛り上がる甘酒掛けくらべ〜

拡大写真(2400X2100)1.36MB

樽転がし/参 〜ぬかるみの中で〜 13:20

樽転がし/参 〜ぬかるみの中で〜 13:20

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2013年7月22日(月)曇

  平成25年(2013)6月16日(日)から26日(水)までの11日間、家内と二人でアメリカ合衆国ハワイ州の避暑地として知られるハワイ島とオアフ島を旅した。今回はグループ・ツアーには参加せず、HIS利用による個人旅行で、希望に合致した航空便とホテルを手配してもらい、後は全て現地のオプショナル・ツアーに参加した。以下、前編「感動のハワイ島」と後編「魅惑のオアフ島」に分けて、そのハイライトを紹介したい。
▼ ハワイ島には、東岸のヒロ国際空港 Hilo International Airport と西岸のコナ国際空港 Kona International Airport at Keahole の二つの空港がある。 今回利用したリゾートホテル「シェラトン・コナ」は、コナ空港から車で30分ほど南下したケアウホウ・リゾートエリアに位置する。

ハワイコナ篝火揺るる夏夕べ

Hawaii Kona,
bonfires trembling in the summer evening.

はわいこな かがりびゆるる なつゆうべ 

 ハワイ島二日目の天気は曇りがちとなったが、朝、ゆっくりと起き、レストランでブッフェ・スタイル(バイキング形式)の朝食をとったあと、 車で15分ほど北上したコナのダウンタウン(下町)カイルア・コナに出掛け 、夜はホテルで開かれたルアウ・ショーを楽しんだ。
▼ カイルア桟橋の東側の付け根に猫の額ほどの砂浜があり、地元の子供たちが犬と遊ぶ姿があった。かつて筆者は高知県須崎市の漁師町で幼少時代を過ごしたが、自分の姿を見る思いだった。もっとも筆者の場合は、パンツではなく、フリチンか黒猫褌(イドクイ)だったのだが・・・。

常夏の浜で戯る黒ん坊

Deeply tanned boy,
playing at the beach of perpetual summer.

とこなつの はまでたわむる くろんぼう

▼ 赤いアロハシャツを着た3人の男性によるウクレレやギターの演奏をバックに赤いドレスの女性が踊るフラは、19世紀以降、欧米の音楽を取り入れて創り出された新しい形式のフラ・アウアナである。英語を交えた歌と和音を出すことが出来る楽器を使用している点が古典形式のフラ・カヒコとの最大の差異である。
 ムームーは、ハワイで女性の正装とされているゆったりとしたドレス。日本においてもフラダンスの衣装として着られるほか、中高年女性の夏の部屋着や、健康ランドの女性用館内着として用いられることもある。

常夏の赤いムームー貝のレイ

Shell leis
and red muumuus of perpetual summer.

とこなつの あかいむーむー かいのれい

▼ ファイヤーナイフ・ダンスは、ハワイの南西約4,000kmに位置するサモア諸島の伝統的な踊りである。古代サモア人は、先端にサメの歯や雄ブタの牙などを付けたニフォ・オティ nifo oti (通称:死の牙)と呼ばれる木製の棒を日常生活ではナイフとして活用し、敵と戦う際には武器として利用したという。
 そのニフォ・オティの両端に、燃料を染み込ませた布を巻き、火を点けたものがファイヤーナイフと呼ばれるもの。本来は素早い動きで敵を困惑させるために生まれたファイヤーナイフ・ダンスは、燃え盛るナイフをぐるぐると体のまわりで回したり、ダンサー同士でファイヤーナイフを投げ合い、見事にキャッチするなど、種々のアクロバティックな技が開発され、迫力満点の踊りに進化してきた。

ハワイ島ファイヤーナイフ闇を切る

Hawaii Island,
fire knives cutting the darkness.

はわいしま ふぁいやーないふ やみをきる

 ハワイ島三日目は、晴天に恵まれ、Jack's Tours の観光バスによる日本人向けハワイ島周遊ツアーに参加した。
▼ マウナ・ケア山は、ハワイ島を形成する5つの火山のうちの最高峰(4,205m)。ハワイ語でマウナ・ケアとは「白い山」の意で、冬になると山頂が雪に覆われることから名づけられた。マウナ・ケアの標高は4,205mに達し、マウナ・ロアよりも35m高く、ハワイ諸島で最も高い火山である。

夏の空天文台の山頂に

Summer sky, astronomical
observatories on the mountain top.

なつのそら てんもんだいの さんちょうに

▼ 昼食後、ツアー最大のハイライト・キラウエア Kīlauea (1,247m)を観光した。
 キラウエア・カルデラ(4km x 3km) Kīlauea Caldera の中で盛んに噴煙を上げているのが、直径900m、深さ85mのハレマウマウ火口である。この場所には、火の神 ペレ Pele が住むといわれ、ハワイの人たちにとって、とても神聖な場所となっている。

夏の山ハレマウマウの女神見ゆ

Summer mountain,
looking the goddess of Halema'uma'u.

なつのやま はれまうまうの めがみみゆ

▼ キラウエアの観光の後、ハワイ火山国立公園とナアレフ Naalehu という小さな町との間に広がる漆黒のビーチ「プナルウ黒砂海岸」に行った。
  この海岸は、ハワイで最も有名な黒砂海岸のひとつで、キラウエアの溶岩が海に流れ込んで固まり、風浪に浸食されて細かな黒い砂となり、黒いビーチを形成したもの。大自然の育んだ神秘的な海岸である。ココヤシの木が縁取るビーチでは、大きなホヌ Honu と呼ばれる ハワイアオウミガメ が甲羅干しをしていた。

黒砂や海亀眠る夏の浜

Black sands,
sea turtles sleeping on the summer beach.

くろすなや うみがめねむる なつのはま

▼ ハワイ島四日目は、ケアウホウ・リゾート・トロリーに乗ってカイルア・コナに行った。
沖の船は、アメリカ船籍のプライド・オブ・アメリカ Pride Of America で、NCLが運航するクルーズ客船。総トン数 80,439ton、全長 280.6m、幅 32.2m、吃水 8.0m、船客定員 2,144名(最大 2,440名)乗組員 1,000名という巨大な船だ。

常夏の白き教会白き船

Perpetual summer,
a white church and a white ship.

とこなつの しろききょうかい しろきふね

▼ フリヘエ宮殿は、アリドライブを挟んでモクアイカウア教会の西側に建っている。1838年にハワイ初代知事のクアキニによって熔岩を原材料にして建設された建物で、その後、ハワイ王家の別荘として利用され、1885年に第7代国王カラカウア Kalākaua によって欧米様式への建て替えが行われた。現在はハワイ王国時代の調度品や工芸品を常設展示する博物館となっている。

フリヘエの夏の離宮や椰子木陰

The shade of coconut palms,
Hulihe'e the imperial villa of summer.

ふりへえの なつのりきゅうや やしこかげ

  フリヘエ宮殿の二階バルコニーから海が見えた。王族たちは、カメハメハ大王が建立したヘイアウ(神殿)を眺めながら、楽しい日々を送っていたことだろう。この日は、巨大観光船が停泊しており、アメリカ合衆国に併合された現実は、如何ともしがたい。

ハワイの旅前編「感動のハワイ島」 
 
2013.6.16-26 撮影・制作 : 和田義男

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シェラトン・コナのシーサイド・プール/19:16(ハワイ島) 赤いムームーのフラ・アウアナ
シェラトン・コナのシーサイド・プール 19:16

シェラトン・コナのシーサイド・プール 19:16

パノラマ写真(2600X1400)486KB

犬と戯れる

犬と戯れる

拡大写真(2600X1800)862KB

赤いムームーのフラ・アウアナ

赤いムームーのフラ・アウアナ

拡大写真(2400X1800)1.13MB

ファイヤー・ナイフ・ダンス 【B】 / サモア 19:31

ファイヤー・ナイフ・ダンス 【B】 / サモア 19:31

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マウナ・ケア山頂(4,205m)の 天文台群(北面) 09:42

マウナ・ケア山頂(4,205m)の 天文台群(北面) 09:42

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噴煙を上げるハレマウマウ火口 / キラウエア・カルデラ

噴煙を上げるハレマウマウ火口 / キラウエア・カルデラ

パノラマ写真(4000X2200)1.23MB

砂浜に上陸したウミガメ

砂浜に上陸したウミガメ

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ハワイ最古のモクアイカウア教会と最新の巨大観光旅客船
ハワイ最古のモクアイカウア教会と最新の巨大観光旅客船 09:55

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フリヘエ宮殿 11:50

フリヘエ宮殿 11:50

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2013年6月12日(水)雨

  平成25年(2013)6月1日(土)、一泊二日の日程で、富山県富山市に鎮座する日枝神社(ひえじんじゃ)の春季例大祭である山王祭(さんのうまつり)に併せて開催された第11回とやま山王市(さんのういち)の男御輿(おとこみこし)を密着取材した。
 富山は、北陸街道と飛騨街道が交わる越中中央の要衝であり、富山城は、16世紀中ごろ越中東部への進出を図る神保長職(じんぼう・ながもと)により築かれたといわれている。
 戦国時代には佐々成政の居城であり、江戸時代には富山前田家の居城として、富山藩政の中心であった富山城、この城跡が「富山城址公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。

浮城の緑の水濠夏木立

Summer trees,
the green mort of the floating castle.

うきしろの みどりのすいごう なつこだち

 富山城を観光後、城址大通り(マップの越中東街道)を南下し、平和通り歩行者天国の西端から祭会場に到着。
  平和通り歩行者天国を主会場とする「とやま山王市」は、毎年5月31日から6月1日までの間、日枝神社の山王祭(さんのうまつり)に併せて開催される。とりわけ「市(いち)」や「御輿」は好評で、11年前の来場者数は18万人だったが、昨年は49万人と着実に増加している。二年後には北陸新幹線が開通することもあり、富山の活力源として御輿はその一端を担っている。
▼ 受付を済ますと、みどり通りを通って一筋北側の総曲輪(そうがわ)通り商店街を左折した右側に位置する地場もん屋(じばもんや)(総曲輪ウィズビル)に行き、奥のエレベーターを利用して3階会議室で祭衣装を身につける。

夏祭力者褌黒法被

Summer festival, mikoshi carriers
wearing fundoshi loincloth and black coat.

なつまつり りきしゃふんどし くろはっぴ

 とやま山王市のビッグイベントである御輿巡行は、午後2時からスタート。グランドプラザ前の歩行者天国に集まった力者たちは、男性26人、女性18人の合計44人。
 最初に御輿巡行の安全を祈願するため、山王町(さんのうまち)に鎮座する日枝神社への徒歩参拝が行われた。
富山市山王町に鎮座する日枝神社は別称を「富山山王さん」といい、大山咋神(おおやまくいのかみ)と大己貴命(おおなむちのみこと )(大国主命)を主祭神とし、相殿(あいどの)に天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る。

神前の黒褌力者夏祭

Summer ritual, mikoshi carriers wearing
black fundoshi in front of the gods.

しんぜんの くろふんりきしゃ なつまつり

  午後2時43分、女御輿を先頭に御輿巡行がはじまった。巡行ルートは、平和通り歩行者天国(西側)〜大手モール〜総曲輪(そうがわ)通り商店街〜中央通り商店街(往復)〜桜町電車通り〜平和通り歩行者天国(東側)の約2kmのコースで、休憩を何度もとりながら2時間半かけて渡御した。

総曲輪を渡る御輿や夏運ぶ

The mikoshi
carrying summer parading Sohgawa.

そうがわを わたるみこしや なつはこぶ

  御輿の掛け声は、伝統の「わっしょい!わっしょい!」である。東京の神輿祭では、「わっしょい」が殆ど聞かれず、「せいや」などと勝手な掛け声に席巻されているが、富山山王の黒褌御輿は、徹頭徹尾「わっしょい」で通しているのは素晴らしく、賞賛に値する。
 総曲輪(そうがわ)は、富山市の中心部にある町で、その名の由来は富山城の外堀が曲輪(くるわ)と呼ばれ、「そうぐるわ」が「そうがわ」に転訛したしたものというこの界隈は現在富山市最大の繁華街となっている。

夏祭黒褌御輿丸天井

Summer festival, the black fundoshi
mikoshi under the vault.

なつまつり くろっふんみこし まるてんじょう

 総曲輪(そうがわ)通り商店街は、大手モールから桜橋電車通りを東西に結ぶ商店街で、昭和28年(1953)に全国で5番目にアーケードが取り付けられた。また、桜町電車通りを挟んで中央通り商店街(さんぽ〜ろ)が隣接しており、こちらは昭和31年(1956)にアーケードが設置された。その結果、アーケードの全長は約900mという長大な商店街となっている。
 「さんぽーろ」の愛称で親しまれている中央通り商店街は、総曲輪通り商店街の東端、桜町電車通りから東に約500mほど続くアーケード街。internetで検索したが、フリー百科事典はじめ、解説記事が見あたらない。三角や八角の天井など、斬新なデザインが洒落ているが、シャッターが下りている店が目立つ。

黒褌の力者の担ぐ夏祭

Summer festival, Rikisyas
of black fundoshi carrying a mikoshi.

くろふんの りきしゃのかつぐ なつまつり

  御輿列は、午後5時前、アーケード街の巡行を終えて桜町電車通りに出た。ここを左折して電車通りを1ブロック南下した後、右折して電車軌道を横切り、平和通り歩行者天国の東口からグランドプラザ前に帰還した。
  午後5時15分ころ、男女の御輿は、着物姿の司会者と常願太鼓の演奏に迎えられて、無事にグランドプラザ前に帰還した。ここがフィナーレの檜舞台とあって、力者たちのテンションは最高潮に達し、さっそく、女御輿が御輿差しを披露した。
 午後2時43分に出発した御輿は、最高気温24℃のなか、約2kmにわたって氏子町内を渡御し、午後5時17分に出発地点に帰還し、2時間23分に及ぶ巡行を終えると、観衆から拍手がわき起こり、力者たちの奮闘を讃えた。

山王の祭団扇や御輿差

Festival fan,
holding up the Sannho mikoshi.

さんのうの まつりうちわや みこしさし

  閉会式では、瀬戸徹会長の挨拶があり、力者たちの労をねぎらったあと、終始御輿渡御に随伴して現場指揮を務めた石井隆信実行委員長が挨拶に立ち、円陣をつくって同氏発声による手〆が行われた。

「黒褌御輿」 
 
2013.6.1 撮影・制作 : 和田義男

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男女御輿の競演! 17:15 御輿差しを終える

富山城天守閣(南西面) 

富山城天守閣(南西面)

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格好いい祭衣装に着替えて記念撮影 13:17

格好いい祭衣装に着替えて記念撮影 13:17

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玉串奉奠たまぐしほうてん  14:20

玉串奉奠 14:20

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城址大通りを横断 15:21

城址大通りを横断 15:21

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美しいアーケードを巡行する富山山王御輿/中央通り商店街 16:29

美しいアーケードを巡行する富山山王御輿/中央通り商店街 16:29

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男女御輿の競演! 17:15

男女御輿の競演! 17:15

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祭団扇と御輿差し 17:16

祭団扇と御輿差し 17:16

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2013年5月23日(木)晴

  平成25年(2013)5月1日(神霊奉遷祭)から5日(神霊還御祭)までの5日間、東京の夏祭りのトップを飾る鐵砲洲稲荷神社御鎮座千百七十三年例大祭が開催されたので、弥生会の手配により、5月3日(日)から神社近くのホテルに2泊し、密着取材した。
 鐵砲洲稲荷神社の本祭(ほんまつり)は3年ごとに開催されるため、今年は陰祭(かげまつり)の年に当たるが、4月2日に新歌舞伎座が開場したこともあり、御本社神輿のみの町内渡御が3日・4日の2日間行われ、五代目歌舞伎座開場と弥生会創立15周年を祝って17ヵ町の氏子と関東圏の神輿愛好者たちが宮神輿をリレーする晴れやかな夏祭となった。

晴れやかに稲荷神輿の宮を出る

Looking bright and cheerful,
Inari mikoshi going out of the shrine.

さつきばれ いなりみこしの みやをでる

 鐵砲洲稲荷神社は江戸湊(えど・みなと)における土地生成の産土神(うぶすなのかみ)である生成太神(いなりのおおかみ)を祀る神社で、平安初期の承和(じょうわ)8年(841)以来1172年の歴史がある。
 当時は日比谷入り江(東京湾)の奥深い地にあったが、その後の埋め立てに伴い、現在の京橋、新京橋と移転し、寛永元年(1623)南八町堀と地続きになった鐵砲洲に従来から祀られていた八幡神社を摂社として現在に至っている。そのため、御神紋は稲荷紋と巴紋の二つがある。
 現在は、湊一〜三丁目、明石町、入船一〜三丁目、新富、新川二越一、銀座一〜八丁目の氏子17ヵ町の氏神様であり、開運の守神(まもりがみ)となっている。

大江戸やビルの谷間の神輿舁

Ohedo the Tokyo, carrying mikoshi
along the valley between tall buildings.

おおえどや びるのたにまの みこしかき

 今年15周年を迎えた弥生会は、東京都中央区に御鎮座する鐵砲洲稲荷神社の奉賛団体の一つで崇敬会の青年部的な役割と氏子の連合睦会的な役割を担っている。
 平成25年3月3日に社務所で開催された第15回定時総会で、銀座4丁目東町会の松戸純一さんが二代目二期目の会長となることが了承された。会員名簿によると、入金会員は307名、名誉会員は、橘右之吉、金原亭馬生(敬称略、以下同じ)の2名、会友は久芳勝也、和田義男(筆者)の2名。名誉顧問は矢田美英・中央区長ら3名、顧問は高野辰明・崇敬会理事長ら16名となっている。

歌舞伎座の開場祝ふ神輿渡御

Mikoshi parade, celebrating
the opening of Kabukiza theater.

かぶきざの かいじょういわう みこしとぎょ

 東京都中央区銀座四丁目に位置する歌舞伎座は、平成22年(2010)10月から建て替え工事が行われていたが、平成25年(2013)4月2日にリニューアルオープンした。新歌舞伎座は、明治22年(1889)開場の初代から数えて5代目。外観と内装は3代目からのものを受け継いでいるが、屋上に日本庭園を設けて、後ろには29階建てのオフィスビル「歌舞伎座タワー」を併設している。
 鐵砲洲稲荷神社の祭りといえば、歌舞伎座前神輿が最大の魅力である。今年は混雑に伴う事故防止の観点から新歌舞伎座の玄関に神輿を乗り入れるのは見送られ、西側の道路を北上し、Uターンして南下したあと、晴海通りを西進して文明堂と歌舞伎座の間を右折するというコースとなった。そのため今年のみどころは、歌舞伎座南西の交差点をUターンする神輿で、歌舞伎座を背景に渡御する御本社神輿を激写することができた。

宮神輿ビルの間の酒屋かな

Shrine-owned mikoshi going in front of
the old sake shop between tall buildings.

みやみこし びるのあいだの さかやかな

  二日目の5月4日(土)は、神輿渡御にあわせて、稚児行列が行われ、中央区立女性センター「ブーケ21」で衣装を着けた子供たちは、午後1時半ころ入船一丁目の青柳菓子店前を出発し、湊一丁目の鐵砲洲稲荷神社まで車道を歩いて稚児行列を披露した。

五月晴稚児行列の車道行く

Fine weather in May,
the Chigo parade on a motorway.

さつきばれ ちごぎょうれつの しゃどうゆく

  二日間にわたって町内を渡御した御本社神輿は、弥生会の白半纏を着た氏子たちに担がれて、午後7時55分 神楽殿で鐵砲洲囃子が演奏されるなか、提灯が明々と点る鐵砲洲稲荷神社に宮入りした。

提灯の点る稲荷や神輿入る

Mikoshi entering
the Inari shrine of burning lanterns.

ちょうちんの ともるいなりや みこしいる

  三日目5月5日(日)は、午後1時半から鐵砲洲稲荷神社神楽殿で「新富座こども歌舞伎」が奉納された。演目は、「口上」に続き、「寿式三番叟」、「白浪五人男〜稲瀬側勢揃の場〜」、幕間(まくあい)の富くじ大会を挟んで「義経千本桜〜吉野山〜」の三本である。
 東京都中央区には、松竹の「歌舞伎座」「新橋演舞場」や市川左團次が創設した「明治座」があり、歌舞伎などの演劇の舞台として人気を博している。明治時代には中央区新富に東京一といわれた「新富座」があったことから、地元有志が一丸となり、日本の誇る伝統芸能を現代の子供たちにも伝えてゆきたいとの一心で、平成19年(2007)に「新富座こども歌舞伎」の会を立ち上げた。

夏祭こども歌舞伎は新富座

A summer festival,
the Shintomiza of children's kabuki.

なつまつり こどもかぶきは しんとみざ

 出演する小学生は中央区在住の男女で、公募で選ばれ、約半年の稽古を経て平成20年(2008)2月3日(日)に鐵砲洲稲荷神社の節分祭で初めて奉納。鐵砲洲例大祭では、同年5月4日(日)に初めての公演が行われた。

「鐵砲洲祭'13」 
 
2013.5.3-5 撮影・制作 : 和田義男

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神前に到着した御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社(湊一丁目) 20:02 神前で記念撮影【壱】/鐵砲洲稲荷神社(湊一丁目) 14:01
宮出し神輿

宮出し神輿 【参】

拡大写真(3000X2200)1.52MB

昭和通り西側繁華街を南下する神輿/銀座一丁目 07:41

昭和通り西側繁華街を南下する神輿/銀座一丁目 07:41

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新歌舞伎座前を通過する御本社神輿】/三原橋交差点

新歌舞伎座前を通過する御本社神輿【弐】/三原橋交差点 14:01:26

拡大写真(3000X2250)1.40MB

酒造秩父錦前を北上する神輿/銀座二丁目 16:31

酒造秩父錦前を北上する神輿/銀座二丁目 16:31

拡大写真(2400X1800)0.99MB

稚児行列/湊一丁目

稚児行列【弐】/湊一丁目 13:35

拡大写真(2600X1950)1.25MB

弥生会会員による神輿の宮入/鐵砲洲稲荷神社 19:55

弥生会会員による神輿の宮入/鐵砲洲稲荷神社(湊一丁目) 19:55

拡大写真(3000X2000)1.08MB

義経千本桜 〜藤太を懲らしめる忠信〜 14:55

義経千本桜【四】 〜藤太を懲らしめる忠信〜 14:55

パノラマ写真(3000X1670)830KB

 

 






















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2013年3月16日(金)晴

  平成25年(2013)1月27日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の第4回大寒禊(だいかんみそぎ)(通算7回目の浜垢離)が九十九里浜(くじゅうくりはま)一宮(いちのみや)海岸で行われ、厳寒の中、神職2人、女性2人を含む26人が禊を行った。
 今回も開催に先立ち、Wa☆Daフォトギャラリーに 第4回玉前神社大寒禊のご案内 を掲示して和田グループ第七期を募集したところ、今回から受付時刻が午前8時半から9時までと、従来より1時間半も早まったため、間に合わない人が続出し、今回は、申込者8名、参加者7名(うち新人2名)と激減した。(次回から受付開始時刻を午前10時に戻してもらうようにお願いしている。)

大寒に締める褌浜禊

Naked water purification at beach,
wearing fundoshi loincloth
in the coldest season.

だいかんに しめるふんどし はまみそぎ

 和田グループ第7期7名は、斎館で参加費500円と直会会費2000円を納入した後、ミーティングを実施し、全員に名簿と共に第6回までの写真458枚を収納したスライドショーCDを進呈した。
▲ 開講式、錬成講習、救命講習が終わった後、男性参加者たちはその場で越中褌や鉢巻を締め、禊の身支度を整えた。
▼ 禊集団は、シャトルバスで一宮海岸に移動し、準備運動の鳥船を行った。そして、海に入った後、鉢巻に挟んでいた大祓詞(おおはらえことば)を広げ、沖に向かって大声で斉唱した。
 この日は波が穏やかで、後ろの行者たちは殆ど褌も濡れないという状態で、やや物足りない大寒禊となった。

大寒や沖に向かひて大祓

The coldest season,
water purification facing the sea.

だいかんや おきにむかいて おおはらえ

▼ 行者たちは、整理運動の鳥船が終わると、海の神々に向かって遙拝し、手〆を行ってお開きとなった。時刻は丁度午前11時30分。テント小屋を出発して33分後だった。

大寒の行者褌浜禊

Naked water purification at beach,
the ascetics wearing fundoshi loincloth
in the coldest season.

だいかんの ぎょうじゃふんどし はまみそぎ

▼ シャトルバスでホテル・シーサイド・オーツカに移動し、天然温泉に浸かった後、閉講式が行われた。
 
 その後、隣室の会会場で参加者一同が適宜の場所に陣取ると、氏子役員の音頭で御神酒による乾杯が行われ、直会が始まった。
 
 直会の出席は、希望者のみで、朝の受付時に申し込む。温泉に入り、海の幸に舌鼓を打ち、御神酒のお土産までついて2000円の会費ではホテルのご奉仕という色彩が強い感謝あるのみ。

大寒や禊のあとの舌鼓

The coldest season, smacking lips
after water purification asceticism.

だいかんに しめるふんどし はまみそぎ

 直会は、大いに盛り上がり、御神酒も尽きた午後2時半頃、次回6月の夏越禊で元気に再会することを約してお開きとなった。

「玉前神社大寒禊'13」 
 
2013.1.27 撮影・制作 : 和田義男

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越中褌を締める熟年者たち

越中褌を締める熟年者たち

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大祓詞を斉唱

大祓詞を斉唱

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太平洋を背に記念撮影 11:31

太平洋を背に記念撮影 11:31

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氏子役員の音頭で乾杯! 13:21

氏子役員の音頭で乾杯! 13:21

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2013年2月10日(日)晴

 穏やかな晴天の水浴日となった平成25年(2013)1月13日(日)、東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で、第58回寒中水浴大会が開かれ、筆者(和田義男)は、和田グループ第四期の代表として六度目の寒禊を行った。
 例年どおり、Wa☆Daフォトギャラリーに 第58回鐵砲洲寒中水浴のご案内 を掲示して全国連和田グループ第四期を募集したところ、石川、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、長野、静岡、愛知の各都県から19人(新人2人)が参加した。今年の全参加者は、約100人と更に前年を上回ったが、約二割の勢力である。

初春やおろしたてなる褌の白

The beginning of spring,
white of the loincloths brand-new.

はつはるや おろしたてなる こんのしろ

 和田グループ参加者の受付は、社務所二階の階段に一番近い部屋で名簿チェックにより実施した。参加者には、名簿と鐵砲洲寒中水浴のプリントできるスライドショーCDが入った福袋をプレゼントした。
 鳥船、祓戸大神(はらえどのおおかみ)、振魂(ふりたま)、雄健(おたけび)、雄詰(おころび)、氣吹(いぶき)などの難しい専門用語は、寒中水浴の栞 に解説しているので、興味のある方は参照願いたい。

初春を胸一杯に氣吹かな

Deep breathing,
the chests filled with early spring.

はつはるを むねいっぱいに いぶきかな

  年を追う毎に参加者が増え、一度に水浴できなくなっているので、第一陣・第二陣の2グループに分け、それぞれ三度づつ、氷柱の立つ水温6℃の冷水に胸まで浸かって寒禊を行った。氷柱のまわりの人が一番辛いと思う。
 
  禊を終わった参加者たちは、体温を上昇させるため、5メートル水槽のまわりで鳥船を行うよう篠道彦の指示があった。去年はしゃがんで待機し、観客が水浴を見ることができるように配慮したが、これでは何も見えない。カメラマンたちは、水槽前部の空いているところに入り込んで撮影していた。

白褌の寒の水行鐵砲洲

Teppozu, the cold water asceticism
wearing white loincloth.

びゃっこんの かんのすいぎょう てっぽうず

 千葉県浦安市の三木芳樹さんに誘われて鐵砲洲の取材を始めて足かけ9年、作品は9編を数える。平成20年(2008)1月13日(日)の第53回寒中水浴大会で、還暦記念の赤褌水浴を行って以来、今回で6度目の寒中禊となり、和田グループ代表として取材陣のカメラに最も写りやすい最前列で禊をさせてもらっているが、臆することなく、余裕を持って被写体におさまっている。篠宮司の指導どおり、目を開き、辛い顔を見せることなく平然とやれるようになってきた。

初春や湯船鳥船極楽湯

Early spring, the bathtub is the Torifune
boat going to the paradise of hot spring.

はつはるや ゆぶねとりふね ごくらくゆ

全国連和田グループ四期生の皆様へ

栄えある和田グループ四期生の皆さん、真新しい越中褌をキリリと締め、大声を出しながら力一杯鳥船を漕ぎ、氷柱の立つ寒の水に三度入るという過酷な寒中水浴ではありましたが、他の模範となる寒禊を見事に完遂していただき、ご苦労様でした。事故もなく、成功裏に終わったことは大変喜ばしく、皆様方のご協力に感謝申し上げます。

「鐵砲洲寒中水浴'13」 
 
2013.1.13 撮影:星宏幸・小林豊一・伊藤秀行 監修:和田義男

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中川文隆宮司の挨拶 10:54

中川文隆宮司の挨拶 10:54

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深呼吸の

氣吹いぶき

 11:17

深呼吸の氣吹 11:17

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寒中水浴【六】 〜第一陣第二回目の禊〜 11:22

寒中水浴【六】 〜第一陣第二回目の禊〜 11:22

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裸の交流 12:00

裸の交流 12:00

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2013年1月20日(日)晴

  平成24年(2012)11月23日(金)と25日(日)の両日、大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)に鎮座する若宮八幡神社(吉成保雄宮司)で秋季大祭の川渡し神事(かわわたししんじ)が行われた。
 豊後高田市裸祭り保存会が主催する若宮八幡神社裸祭は、正式には、「若宮八幡神社秋季大祭/裸祭り」といい、「御神幸の川渡し」とも呼ばれる。永保4年(1084)に荒行のひとつとして始められたといわれ、今年で929回目となる。
この神幸祭は、狩衣(かりぎぬ)に褌をキリリと締め込んだ輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手たちが宮神輿を担いで桂川を渡り、本宮(もとみや)から下宮(しもみや)へ渡御(お下り)して二泊した後、下宮から本宮へ還御(お上り)する夜の川渡し神事である。毎年旧歴10月14、15、16日の最も近い金・土・日に行われる。

町渡る狩衣褌秋の夕

Autumn evening,
going through the town wearing
kariginu coat and fundoshi loincloth.

まちわたる かりぎぬふんどし あきのゆう

▲▼ 11月23日(金)は、周防灘に注ぐ桂川の右(東)岸に鎮座する若宮八幡神社・本宮(もとみや)から左(西)岸下宮(しもみや)への神輿渡御(みこしとぎょ)が行われた。地元ではお下り(おくだり)と呼ぶ神事である。

松明の川面に揺るる秋祭

Autumn festival, the light of torch
flickering on the river surface.

たいまつの かわもにゆるる あきまつり

 毎年感じることだが、私が「若宮褌」と名付けた、狩衣の上に腹巻と長い前垂れの六尺褌を締め込んだ輿丁たちの出で立ちは、凛々しく、とても男らしい。下半身が丸出しなのは、博多山笠と似ている。そして、純白の狩衣褌が川を渡ると、鼠色に変色し、その苦闘の跡を残した姿で大衆の面前に現れる。その落差がまた良い。
 
 お下り、お上りの二回、大松明が夜空を焦がす中で桂川を渡御する裸神輿は、他に類を見ないもので、美しくも勇壮であり、古来の裸褌文化を忠実に受け継いだ日本一の川渡神輿である。
 
 昨年、念願叶って若宮八幡裸祭が豊後高田市無形民俗文化財に指定されたのは大変喜ばしいことであるが、これは第一歩であり、更に県や国の指定へとレベルアップして頂きたい。

秋夜川渡りし輿丁ら濡褌

Wet loincloths of mikoshi carriers,
crossed the autumn river at night.

あきよかわ わたりしよちょう ぬれふどし

 若宮八幡神社は、仁寿(にんじゅ)2年(852)12月の創建と伝えられ、来縄郷(くなわごう)(六郷満山の一つの郷)における宇佐神宮の別宮で産土神(うぶすながみ)とされている。毎年旧暦10月14、15、16日に神幸祭である川渡し神事が行われる。
▼ 11月25日(日)は、周防灘に注ぐ桂川の左(西)岸に鎮座する若宮八幡神社・下宮(しもみや)から右(東)岸の本宮(もとみや)への神輿還御(みこしかんぎょ)が行われた。地元ではお上り(おのぼり)と呼ぶ神事である。

秋川に濡るる輿丁ら白褌

Autumn river, white loincloths
of mikoshi carriers dripping wet.

あきかわに ぬるるよちょうら しろふどし

▼ 豊後みさき太鼓は、平成元年(1989)、豊後高田市香々地(かかぢ)地区の活性化を目指して結成されたもので、国の「ふるさと創生事業」の一つである。かつて岬村と呼ばれていたころ、 龍神祭の安全祈願に太鼓と笛を鳴らしていたものを復活したという。
  発足以来活動を中断することなく自主運営を続け、香々地地区に留まらず、県内外で年間30〜40回の演奏に出掛け、海外公演も経験。豊後高田市を代表する演奏団体に成長した。とりわけ、人の背丈ほどもある巨大な太鼓や櫓太鼓の演奏は、他の追随を許さない。今では、大松明と豊後みさき太鼓は、若宮八幡の裸祭になくてはならないイベントとなっている。

秋の川松明太鼓の鳴り止まず

Autumn river, never ending sounds
of the big torch drums.

あきのかわ たいまつだいこの なりやまず

「若宮八幡裸祭'12」
 
 
2012.11.23・25 撮影・原作: 清原 浩  監修:和田義男

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精悍な姿の輿丁たち 18:11
夕暮れの町内を渡御する 17:13

夕暮れの町内を渡御する 17:13

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撮影:後藤美香

大松明と川中神輿 17:38

桂川を渡る神輿【拾壱】 〜大松明と川中神輿〜 17:38

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撮影:清原 浩

神輿を押し上げる白組輿丁たち 17:57

桂川を渡る神輿【弐拾八】 〜神輿を押し上げる白組輿丁たち〜 17:57

拡大写真(2200X1700)667KB

撮影:清原 浩

飛沫を上げて盛り上がる輿丁たち 17:51

桂川を渡る神輿【参拾九】 〜飛沫を上げて盛り上がる輿丁たち〜 17:51

拡大写真(2200X1400)601KB

撮影:清原 浩

大松明と大太鼓 18:19

大松明と大太鼓 18:19

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撮影:辻 竜二

 
 

 
























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2013年1月12日(土)

 平成25年(2013)1月1日(火)の早朝、石川県金沢市本多町(ほんだまち)に鎮座する石浦(いしうら)神社( 長谷吉憲宮司 38歳)で氷点下6℃の降雪の中、恒例の元旦禊が行われた。
 毎年元旦の早朝2時から石浦神社で行われる寒禊は金沢を代表する元旦の行事である。戦後から続けられているこの寒禊は、大雪が降っても中止されることはなかったといい、金沢っ子の心意気が伝わる勇壮な行事である。
  平成25年(2013)は、総勢62名(内女性3名)が参加し、長谷吉憲宮司(38歳)自らが褌一丁の裸形(らぎょう)となって寒垢離(かんごり)の指導者である道彦役を務め、雪の降り積もる境内で、手水舎(ちょうずや)の冷水をかぶる初禊が行われた。 (外気温が-6℃なので、水の方が暖かい。)

白褌の元旦禊雪筵

Snow straw mats,
water purification of white fundoshi
in the beginning of the year.

びゃっこんの がんたんみそぎ ゆきむしろ

元旦禊の募集広告

罪穢れを祓い 世界平和や家内安全を願う 禊(みそぎ)行事公開
元旦午前1時半(石浦神社社務所斎館)集合
参加者 フンドシ持参(氏子青年部より無料フンドシあり)
初穂料 1,000円〜2,000円(お気持ち)フンドシのクリニング代金込み
 
詳細 拝殿前にて氷点下6度の気温にてお祓いを受けまして、境内の禊場へ進みます。鳥船行事などエッサエッサと声をあげまして気を高めます。20分ほど・・。凍ってます手水舎の水をかぶります!人数が多いので、消防車にて地下水を上げ・・数分後・・男衆より湯気があがります!!!その内・・水をかぶっていないと寒くていられません。。次に鳥船行事にて・・10分ほど。。。。。拝殿前にて万歳!。
斎館に進めまして着替えます。次に拝殿にて御祈願を致します。最後に斎館にて直会(なおらい) 暖かい豚汁やお寿司など・・勿論・・日本酒で乾杯です。ご参加お待ちしております。 石浦神社

あら玉の手水をかぶる褌衆

Men of fundoshi,
pouring hand cleaning water over head

at the beginning of the year.

あらたまの ちょうずをかぶる ふどししゅう

「石浦神社元旦禊」
 
 
2013.01.01 撮影・原作: カウカヒゆたか 監修:和田義男

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気合いの禊!/2012年元旦
雪の降る中の

鳥船とりふね

   02:09

雪の降る中の鳥船  02:09

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何杯も水をかぶる 02:15

何杯も水をかぶる 02:15

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第35集 第36集 第37集 俳句「海の風景」目次 北舟の英訳写真俳句「白褌」 褌の俳句 海の俳句100選

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2012年7月7(土)曇 写真俳句のさきがけ 写真に俳句をつけて発表したのは、私が最初。現在、写真俳句として流行っている。作家の森村誠一が自分がはじめたのだと放言しているが、有名になると恥知らずになってしまうものなのだろうか。

 この句集をご覧頂ければ、私が何年も早くはじめていることが分かる。北舟は和田義男の俳号。北海道の稚内で単身赴任しているときに俳句をはじめ、日本最北端の舟・北舟と名乗ることにした。

東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句

東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。

東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。

おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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