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盛岡舟っこ流し |
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北上川 |
岩手県盛岡市 |
平成22年(2010)8月27日(金)28日(土) |
撮影・原作:曽根由香 監修:和田義男 |
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平成22年(2010)8月22日(日)、岩手県盛岡市で盆の送り火の行事として知られる北上川の「舟っこ流し」が開催されたので、毎年伝統の赤褌(あかふん)姿で参加している仙北二丁目自治会を取材した。 |
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精霊流し(しょうりょうながし)又は灯籠流し(とうろうながし)は、8月16日の送り盆の日に死者の魂を弔って灯籠(灯篭)や精霊舟(しょうりょうぶね)、お盆の供え物などを川や海に流す仏教の送り火の行事である。盛岡の「舟っこ」と呼ばれる流し舟(流舟)も精霊舟の一種で、北上川の「舟っこ流し」は、精霊流しの行事である。 |
ちなみに、長崎県の精霊流し(しょうろうながし)は、他の地域と異なる派手な行事で、さだまさしによる音楽・小説・映画・TVドラマなどで有名である。精霊舟の数は例年3000隻以上で、その半数を長崎市が占める。人出は長崎市だけで10万人を越えるという。 |
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資料 |
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りゅうずぶね あかふんどもが なつがわら |
A summer boat with a dragon-head, Guys of red loincloth at the river shore. |
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北上川 |
に入水する |
流舟 |
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2010.8.22 16:42 |
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見事な |
竜頭 |
が付けられた |
流舟 |
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紅蓮 |
の炎を上げて燃える |
送舟 |
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16:48 / 北上川 |
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ぐれんのひ あかふんどもが おくりぶね |
The burning flames
like a red lotus, the ancestor-sending boat by naked guys of red loincloth. |
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↓今年は長谷川昇司さんも参加 |
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せんぼくの あかふんいっちょう はなびぶね |
Senboku
guys of red fundoshi loincloth,
fireworks from the boat. |
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編集子の選ぶ傑作 |
「盛岡舟っこ流し」名作集 2013.8.16
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「仕掛けていた花火が上がる!」(2400X2100)1.36MB |
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宮島玉取祭 |
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厳島神社 |
広島県廿日市市宮島町 |
平成16年(2004)8月21日(土) |
撮影:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)8月21日(土)、瀬戸内海の広島湾に浮かぶ宮島で玉取祭(たまとりさい)が行われた。JR山陽本線・広島駅から約30分ほどで宮島口駅に着く。駅前の宮島口桟橋から10分から15分間隔でフェリーが出ており、10分ほどで宮島桟橋に至る。 |
玉取祭は、毎年大潮のときに広島県廿日市市(はつかいちし)宮島町(みやじまちょう)に鎮座する厳島神社(いつくしまじんじゃ)で行われる神事で、裸の男たちが大鳥居の前の海中に据えられた櫓(やぐら)に吊された宝珠(ほうじゅ)を奪い合う豪壮な海の祭りである。 |
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櫓と火焼前 |
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▲▼
玉取祭の宝珠争奪戦の舞台は、厳島神社の社殿と大鳥居の間に据えられた櫓(やぐら)とその周辺の海上である。長さ約10mの4本の丸太を組んだ櫓は、その頂部四方に白地に神紋の垂れ幕が張られ、地盤と呼ばれる一辺約1mの正方形の台を吊り下げている。宝珠は、この台に載せられる。 |
この台を吊り下げている綱(つな)は、櫓頂上の滑車を介して、30mほど離れた社殿の火焼前(ひたさき)(桟橋)に導かれ、世話係がこの綱を引いたり延ばしたりすることで、宝珠の高さを変えることができるようにしている。 |
宝珠争奪戦の予定時刻には、ほど良い潮時(しおどき)となり、ちょうど胸元までの深さとなった。褌一丁の裸たちは、火焼前(ひたさき)から海に入り、全員砂洲を歩いて櫓を目指した。 |
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櫓に向かう参加者たち |
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▼ 赤褌(あかふん)の裸衆は、櫓の下に集合し、いよいよ玉取祭が始まった。櫓に吊り下げられた宝珠は、とても手が届く位置にはなく、かねてからの申し合わせとみえて、人間ピラミッドを組んで台にとりつく作戦が始まった。 |
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人間ピラミッドを作る若者たち |
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海中ジャンプ! |
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▼ 宝珠の台に手がかかるようになったが、それでも落下すること数度。しかし、間もなく幸運な若者が台に飛びつくことに成功し、よじ登ってガッツポーズをとった。若者は、固定されていた宝珠を取り外し、海中で待機している仲間に向かって宝珠を投げ、落し主となった。 |
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宝珠の台 |
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宝珠の台に上る! |
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▼ 海中の宝珠争奪戦が始まった。宝珠を手にした男が次々にパスし、注進所に向けてリレーする。途中で宝珠を落としても、水に浮くので心配はない。
宝珠は大きな独楽(こま)のような形をしており、神紋が入っている。争奪戦は20分ほどで終了。ゴールの網に宝珠を投げ入れた男が取り主となった。 |
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海中の宝珠争奪戦 |
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▼ 濡れ鼠になった裸衆は爽やかな笑顔で火焼前(ひたさき)に引き揚げてきた。男たちの身体から海水が滴り落ち、乾いた火焼前を濡らした。この後表彰式が行われ、福男たちに賞品が手渡された。玉取祭が終わると、暑くて長い安芸の国の夏も終る。 |
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戦い終わって |
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立川諏訪神社奉納相撲 |
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立川諏訪神社 |
東京都立川市 |
平成19年(2010)8月21日(土) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成22年(2010)8月21日(土)東京都 立川市柴崎町(たちかわし・しばざきちょう)に鎮座する諏訪(すわ)神社(高橋重雄宮司)の例大祭にあわせて、境内の土俵で奉納相撲が開かれた。 |
立川諏訪神社は、武勇の神としての伝統を継承し、境内に常設の相撲場を持ち、300年ほど前から奉納相撲が行われてきた。拝殿右奥には、立派な立川市錬成館がある。 |
立川市錬成館の奥に相撲道場がある。ここは、昭和27年(1952)に設立された立川市相撲連盟(浜田和郎会長)の道場で、昭和54年(1979)に現在の鉄筋構造の道場に建て替えられ、土俵2面、風呂・シャワーが完備された恵まれた環境の中で、小中学生が稽古に励んでいる。 |
現在の全国少年相撲選手権大会の前身となった「全国少年相撲立川大会」を昭和59年(1984)から平成13年(2001)まで、平成12年(2000)を除いて17回開催し、最盛期の参加人数は800名を超えるなど、全国の少年相撲関係者には、「少年相撲の立川」として、広く知られている。 |
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うっちゃりの こひょうたのもし くさずもう |
The rural sumo match, the small boy looks hopeful performing utchari technique. |
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吉田の火祭り |
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北口本宮冨士浅間神社 |
山梨県富士吉田市 |
平成21年(2009)8月26日(水)27日(木) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成21年(2009)8月26日(水)、富士信仰の町、富士登山北口(吉田口)として知られる山梨県富士吉田市で「吉田の火祭り」が開催された。吉田の火祭りは、富士山の山じまいを告げるイベントでもあり、今年、山梨(富士北口)からの登山者は、7月1日から8月25日までに約22万人を数え、過去最多だった昨年に次ぐ賑わいだった。 |
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400年余の歴史を有するこの秋祭は、8月26日(水)・27日(木)の両日に催行される北口本宮冨士浅間神社(きたぐちほんぐう・ふじせんげん・じんじゃ)(上文司厚(じょうもんじ・あつし)宮司)と摂社(せっしゃ)諏訪神社(すわ・じんじゃ)の祭礼で、正規には「鎮火大祭」であるが、「吉田の火祭り」と呼ばれている。愛知県國府宮(こうのみや)のはだか祭と静岡県島田の帯祭(おびまつり)と共に日本三奇祭の一つとされ、毎年、20万人の観客で賑わう。 |
富士吉田市歴史民俗資料館には、江戸後期に刷られた「諏訪大明神 富士浅間宮 火防御祭禮之圖」と明治初期にカラー刷りされた「富士山北口鎮火大祭圖」のオリジナルと原版が展示されている。これらの版画を見ると、筍形(たけのこがた)の結大松明(ゆいたいまつ)(大松明)や富士山を模した御影(みかげ)と呼ばれる御山神輿(おやまみこし)は江戸時代から存在し、明治初期には馬上の宮司が神輿渡御を先導していたことが分かる。 |
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きぬがきの あさまおおかみ ひのまつり |
The fire ritual, Asama great god in the silk curtain. |
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浅間の大神が |
絹垣 |
に囲まれて諏訪神社に遷御 15:45 |
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▲ 午後3時45分ころ、神輿に浅間神社と諏訪神社の分霊を移す御霊(みたま)移しの儀式が始まった。社殿や境内の明かりが全て消され、拝殿奥から神職による「オーッ」という警蹕(けいひつ)の声が響き出すと、浅間大神(あさまのおおかみ)は長さ10m高さ2mの絹垣(きぬがき)に囲まれて境内に現れ、諏訪神社の方へ運ばれていった。 |
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絹垣の中には、宮司と露払い役の行障(こうしょう)の二人がおり、宮司は袖の中に御神体を抱きながら進む。行障は手に提灯を持っているので、絹垣の外からは、その提灯の灯がぼんやりと見える。 |
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しゅうかいの たかまがはらに こしむかう |
The portable shrine going to Takamagahara of autumnal atmosphere. |
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高天原に向かう明神神輿 |
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▲ 勢子たちの「ヨイヨイ!」「ワッショイ!」と威勢の良い掛け声が境内に響き渡るなか、明神神輿と御山(おやま)神輿は、諏訪神社を出御(しゅつぎょ)し、浅間神社と諏訪神社の間にある広さ100m2の高天原(たかまがはら)まで渡御し、神事が行われた後、市内の御旅所に向かった。 |
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せこしゅうの みかげおとしや ちんかさい |
The fire extinguishing ritual, Carriers drop the Mikage portable shrine. |
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あかふじの みこしちをうつ ひのまつり |
The fire ritual, the red Fuji portable shrine bumping to the earth. |
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▲ 氏子中の渡御の途中、「富士みち」南端の上宿(かみしゅく)交差点で御影(みかげ)を三度地面に打ち下ろす所作が休憩を挟んで二度行われた。これは神威の発揚を願うものだが、このイベントには呼び名がついていなかったので、ここでは「御影落し(みかげおとし)」と命名させて頂く。2日間にわたる渡御の途中で何度も行われるために担ぎ棒が痛むことから、毎年、その表面を削って新しくしているという。御影は、縄で担ぎ棒に固定されている。 |
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しゅうきみつ ゆいたいまつの ひいれかな |
Full of autumn atmosphere, lighting a big torch. |
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▲ 金鳥居(かなどりい)交差点と金鳥居(かなどりい)の間に立ち、富士の霊峰を背景に南方に延びる「富士みち」に並ぶ大松明(おおたいまつ)を見るのが最良のビューポイントで、この光景が地元のパンフレットに掲載されている。この日は曇天のため富士山を仰ぎ見ることができなかったが、人気スポットでの火入れを上手く撮影することができた。 |
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▼ 大松明は77基あり、1基の奉納料は11万円。奉納主名を墨書した木札が立っているので、広告塔を兼ねる。奉納主の代表者が点火したあと、松明を背にして記念写真を撮る光景が見られた。大松明の間には、井桁松明(いげたたいまつ)が置かれ、全ての松明に点火されると、「富士みち」は火の川と化した。 |
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ひばなちる よしだひまつり やまじまい |
The closing of the mountaineering season, the fire sparking in the Yoshida fire ritual. |
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▲▼ 世話人たちは、大松明の根元に水を掛け、崩落を防いでいたが、松明の全体に火が回って巻き締めていた荒縄が燃えると、束縛から解放された松明は一瞬にして崩落し、写真下のように火が周辺に飛び散る。そばにいると巻きこまれる恐れがあるので、注意が必要である。 |
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松明の崩落により火の海と化した場所は、輻射熱でとても熱く、手で顔を覆いながら足早に通りすぎる光景が見られた。富士みちの両側には、沢山の露店が並び、夜店巡りを楽しむ子供たちの喜々とした姿が印象的だった。 |
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たいまつの にわかにくずる ひのまつり |
The fire ritual, the torch collapsed in a flash. |
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▼ 金鳥居(かなどりい)のそばの松明は、点火時期が最も遅かったので、午後8時半になっても、まだ、立て札が燃えずに残っている状況だった。金鳥居南方の富士山に向かって並べられた松明が殆ど崩落してしまった様子を見通すことができた。 |
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やましまう ふじのきたざと ひのまつり |
The fire ritual, the northern village of Mt. Fuji closing the mountaineering season. |
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とねり少年角力大会 |
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舎人諏訪神社 |
東京都足立区舎人 |
平成19年(2007)8月26日(日) |
撮影・原作:H. I. 監修:和田義男 |
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平成19年(2007)8月26日(日)、東京都足立区舎人(とねり)に鎮座する諏訪神社で、同じ足立区に所在する境川部屋の協力を得て、地元の子供たちによる奉納相撲大会が開催された。 |
境内の入口に角力大会のお知らせが貼られており、低学年でも読めるように、やさしい字で「参加するおともだちは、ふんどしをもって あさ10時に諏訪神社にあつまってください」と書かれており、相撲まわしを伝統の呼称である「ふんどし」と呼び、「相撲」と書かずに「角力」と表現している。相撲大会を主催する舎人町会青年部のこまやかな愛情と、伝統へのこだわりが感じられる。 |
角力大会は、幼児の部と小学生の部とに分かれ、それぞれ年齢に応じた取り組みが行われる。小学生の部には勝ち抜き戦もある。昼食にはおにぎりが配られ、最後はあとかたづけをして終わる。 |
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ふんどしを もてきてすもう わらべかな |
Children
wearing homemade loincloth
competing sumo wresting. |
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子供たちの熱戦! |
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▲ 相撲を知らない幼稚園児の取り組みは、押しくら饅頭状態となる。片方が泣きっぱなしで、つられて相手側も泣き出してしまい、引き分けになった取り組みもあって、微笑ましい。 |
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▼ 幼稚園児の後、小学生の取組みが行われた。相撲まわしを締めている子は少数で、江戸時代の素人相撲のように、殆どが前袋式六尺褌で、家から持参したものだという。小学生になると少しは相撲らしくなるが、まわしを取ることを知らないのか、レスリング・スタイルになってしまうことが多い。 |
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うわてなげ すなにまみれし みやずもう |
Ritual sumo match,
The body covered with sand
by uwatenage. |
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上手投げ! |
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▼ 昼休みにおむすびで腹ごしらえをしたあと、後半戦は、園児たちと境川部屋の力士の取り組みから始まった。プロの力士の指導を受けた相撲大会。小さいときから日本伝統の裸褌文化に触れることが出来る舎人の子供たちは、素晴らしい環境にあり、とても羨ましい。 |
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せきとりと すもうおさなご しろふどし |
Infants
of white fundoshi loincloth,
matching with
a sumo wrestler. |
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岩木山関と幼稚園児の取組み |
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