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長崎くんち |
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諏訪神社 |
長崎県長崎市 |
平成16年(2004)10月7日(木)-9日(土) |
撮影・原作:大庭靖雄 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)10月7日(木)から9日(土)まで長崎市に鎮座する諏訪神社の例大祭「長崎くんち」祭が開催された。異国情緒豊かで豪華絢爛なお諏訪さんのお祭りは、長崎市民の祭りにとどまらず、我が国の三大祭りの一つといわれ、全国から多くの観光客を引きつける有名な祭りである。 |
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10月7日に高台にある諏訪神社にまつられた諏訪大神、森崎大神、住吉大神が、海際の元船町(もとふなまち)の大波止(おおはと)に設けられた仮宮(かりみや)(御旅所おたびしょ)に御神幸(おくだり)され、9日に再び諏訪神社へ御遷幸(おのぼり)される。 |
この7日(前日まえび)、8日(中日なかび)、9日(後日あとび)の三日間に、奉納踊りが行われるが、これが長崎くんちの行事である。そして、三神は、このお下りによって新たな叡力を得られるのだという。 |
諏訪神社は、長崎の港が開かれるより前からお祀りされていたといわれる。1634年に遊女高尾、音羽の両人が神前で舞いを奉納したのが長崎くんちの始まりとされる。 「くんち」の語源は「九日」。「くにち」が「くんち」になったという。 |
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投網の技 |
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▲ 9日の後日(あとび)は、御旅所の踊り場での踊りの奉納が午前7時から始まって11時頃まで続き、踊り終えた踊り町が順次諏訪神社で奉納する。諏訪神社での踊りは8時半から12時半頃まで行われた。 |
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午前7時から御旅所で東古川町の奉納が行われた。この町のテーマは川。傘鉾の飾(だし)は、投網、水棹、魚籠、葦などである。重い傘鉾を回して怪我がないように、始めに棟梁が清めをする。この傘鉾は一人で担いで回すのだが、取り囲んでいる者たちが随時交代する。朝日を浴びながら川船が曳かれて登場し、入れ墨・褌姿の子供が、地面に置かれた鯉を相手に投網の技を披露した。 |
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▲▼ 五番目が樺島町(かばしままち)。傘鉾の重さは130〜150kgある。随時交代をするが、相当に重いようだ。そしていよいよ樺島町の出し物太鼓山「こっこでしょ」が踊り場に入場してきた。 |
こっこでしょは40人の若者が1ton余りの太鼓山を担ぎ、前へ進み、後ろへ下がり、右に回り、左に回る。前向きになっていたものたちが太鼓山の位置はそのままに、機敏に後ろ向きに向き直るというような動きを見せる。 |
そして、歌い続けて気合いが乗ってくると、4列の若者が機敏に2列ずつ向き合う。それから一斉に沈み込むと一気に太鼓山を上に突き上げる。太鼓山は手を離れて宙に浮く。太鼓山に乗っている4人のお囃子は太鼓を叩き続けている。そして宙に浮いているうちに担ぎ手たちは拍手をし、そして太鼓山を右片手で受け止める。 |
重い太鼓山が高く高く中空へ押し上げられる。何ヶ月も練習をした成果が遺憾なく発揮され、見物衆はいやが上にも盛り上がる。 |
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まわせまわせ |
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▼ 諏訪神社に赴くと、最後の出島町の奉納が終わるところだった。諏訪神社の石段は、下から本殿のある所まで合わせて193段ある。上から73段下ったところにある踊り場での奉納が終わると、出し物を下に引き下ろす。相当な勾配なので船に乗ったお囃子たちは怖そうな様子を見せた。 |
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神輿一体走り |
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勝岡八幡神社 |
愛媛県松山市勝岡町 |
平成16年(2004)10月7日(水) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)10月7日(水)、愛媛県松山市勝岡町に鎮座する勝岡八幡神社で「一体走り(いったいばしり)」が開催された。 |
一体走りは、勝岡八幡神社が朝廷から宮号と菊花の紋章を下賜(かし)された際、当時、勝岡の特産品であった塩を朝廷に献上した。以来、勝岡の塩は珍重され、和気浜(わけはま)の裸の若者たちが塩を担いで御用船(ごようせん)まで運んだことから、神事として伝承されてきたものであるという。 |
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さやけしや はだかのけんじ しっそうす |
The refreshing air, the naked young men dashing. |
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▲▼ 一体走りは、お旅所から東に向かって一直線の参道を駆け抜ける。距離は120mほどあり、現在はアスファルトの舗装道路で、ゴールは神社と反対方向の石灯籠のある勝岡橋付近である。 |
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午前7時45分過ぎから一体走りが始まった。最初に黄色の布(御絹)で覆われた神輿を担いだ安城寺の裸の青年たちが裸足で走ってきた。御絹と同じ黄色の後ろ鉢巻に、黄色の帯を白い越中褌の上に兵児帯のように締めている。越中褌の代わりに六尺褌を締めたグループもある。褌であれば種類や色は問わないようだ。 |
神輿は、左右の揺れも見せず、上下の動揺もなく、一直線に滑るように走ることが賞賛される。どのチームも観衆の盛大な拍手を受けながら、きれいなフォームで鈴を鳴らさないように、あっという間に駆け抜けて行った。 |
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ゴール後神輿を練り上げる若者たち |
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安城寺川狩り |
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久万川・川狩り場 |
愛媛県松山市安城寺 |
平成16年(2004)10月7日(水) |
撮影:ちばあきお 監修:和田義男 |
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松山市安城寺で行われる川狩りは、勝岡八幡神社秋季例祭当日の宮入り前に、神輿青年頭取や一体走りの青年たちが褌姿になり、神輿を久万川に担ぎ入れて、流水で祓い清める行事で、勝岡八幡神社の旧神主(かんぬし)柳原家の伝承に由来するものだという。 |
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昔、安城寺にあった柳原神主家の屋敷一隅の小社に金無垢の御神体が祀られていた。ある年この御神体を勝岡八幡神社に合祀することになり、神遷(しんせん)*しようとしたところ、神社石段下までは事無く進んだが、それより上へは一歩も進み得ず、幾度か試みた挙げ句、神輿を洗い清めて出直すことを思い立ち、川狩りして出直したところ、今度は不思議にも御神体がやすやすと石段を上がることができたという。 |
以来、昭和42年(1967)までは久万川でこの行事が行われていたが、川の汚染のため中断されていた。平成12年(2000)10月、地元の粘り強い要望が実を結び、「愛媛県のふるさとの川づくり事業」による施設が竣工し、伝統行事である「川狩り」が33年ぶりに復活した。現在は、一体走りが終わった日の夕方に行われている。 |
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神遷(しんせん):御神体を神輿で遷すこと。 |
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かわがりや ふんどししゅうの ほおかむり |
Kawagari festival, the naked guys
of fundoshi loincloth
cover their heads and cheeks
with a hand towel. |
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播州秋祭/浜の宮天満宮 |
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浜の宮天満宮 |
兵庫県姫路市 |
平成13年(2001)10月8日(月) |
撮影・制作:和田義男 |
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裸祭りの嚆矢 |
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平成13年(2001)10月8日(月)の休日、家内と二人で兵庫県姫路市飾磨区須加に鎮座する浜の宮天満宮で開かれた秋季例大祭の宵宮に行った。平成13年(2001)10月20日に発表したこの作品は、裸祭りにカメラを向けた嚆矢(こうし)であり、そのロマンと感動に触発されて、以後、取材を重ね、日本一の裸祭りシリーズへと発展した。その記念として、10月15日(月)に取材した「灘のけんか祭り」と共に、筆者の顔写真を埋め込んでいる。 |
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兵庫県南西部、播磨灘に臨む肥沃な平野は、播州平野と呼ばれる。その中心部に位置する姫路市の海岸一帯では、10月の祭り月になると、祭り一色で盛り上がる。1年をこの日のために暮らしていると思われるほど、人々は血湧き肉踊る秋祭りに熱中する。「祭一色播州の秋」というポスターが沿線の駅構内に張られている。姫路市内だけでも約30の神社で秋祭りが執り行われ、10月は祭りで明け暮れる。 |
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