|
|
|
|
|
|
|
|
江戸の伝統芸能 |
|
|
木場公園 |
東京都江東区 |
平成18年(2006)10月15日(日) |
撮影・原作:志村清貴 監修:和田義男 |
|
|
|
|
平成18年(2006)10月15日(日)東京都江東区木場公園で「第24回江東区民まつり」が開かれ、木場(きば)の角乗(かくのり)や木遣(きやり)、深川の力持(ちからもち)など江戸時代から伝わる江戸っ子の民俗芸能が披露された。 |
「江東区民まつり」は、「世代をつなぐ心のふれあい」をテーマに、第1回以来、まつりを通して「人情溢れる快適なまちづくり」と「ふるさと江東づくり」を目指して毎年開催されている。 |
角乗の会場は、都立木場公園の角乗池(かくのりいけ)と呼ばれる専用のプール。角乗は、速いテンポの葛西囃子をバックに、口上師(こうじょうし)の語りとともに行われる。筏師・囃子方・口上師の呼吸がピタッと合うことが大事。 |
|
角乗は、江戸時代から続く伝統芸能のひとつで、川並(かわなみ)と呼ばれる深川、木場の筏師(材木業者)たちが鳶口(とびぐち)一つで丸太を自由に操り、運搬したり筏(いかだ)を組む仕事をするなかで余技として生まれた。 |
やがて、数々の技術を加えて水上の曲技として発達した。角材を使用するため、丸太より高度な技能を要し、多年の修練を必要とする。わずか30cm四方の角材を回転させるまでには、3年はかかるといわれる。日本全国数いる筏師(いかだし)の中で角乗ができるのは木場の川並だけだという。 |
昭和27年(1952)に木場角乗保存会が結成され、同年、都の無形民俗文化財の指定を受けた。例年10月には「江東区民まつり」で妙技が披露され、官民一体となって技能の保存・伝承がなされている。 |
|
|
|
|
|
|
子供を乗せた花駕籠(戻り駕籠)乗り |
|
拡大写真(1600x1200)498KB |
|
|
|
|
|
|
▲ 角乗の技には大きく分けて十二種類前後あり、難易度の低いものから順に披露されたが、「花駕籠乗り」は、難易度が高い技である。花で飾った駕籠に子供を乗せ、かごを担ぎながら角材を回す。二人の間は駕籠でつながっており、相乗りとは違った息が必要。本来ならころあいをみて駕籠に乗っている子供がわざと水中に落ち、お面をかぶって出てくる。 |
|
|
空(から)の駕籠は、先方と後方が反対になり、「戻り駕籠」としゃれこむ。江東区教育委員会生涯学習課では、この演目全体を「戻り駕籠」として説明している。 |
|
▼ 江戸時代、大名の藩米を扱っていた浅草蔵前の札差(ふださし)の穀倉が佐賀町の川沿いに立ち並んでいたが、その仲仕(なかし)(荷役(にやく)人夫)たちが、力ひとつで生きてきた仕事の余技に楽しんだ力自慢の曲技が深川の力持(ちからもち)の起源。 |
種々の力自慢が加わり、芸能として発達した。19世紀初めの文化・文政の頃には、興行として行われるほど盛んになり、長唄「近江のお兼」にも唄われている。 演技には、米俵、臼、小舟、脚立、長柄、小桶、桝などが用いられ、口上師が口上を述べ、砂村囃子が囃す。出し物は1俵(4斗/40升)約60kg の米俵が中心で、どれだけ軽々とあしらうかが腕の見せ所。 |
演目は、俵の差し分け、用具のあしらい、酒樽の差し分け、餅つき、七福神宝の入船、文字書き、江戸の花五人持、虚無僧の8 種類である。餅つきは仰臥(ぎょうが)した人の上に4俵240kgの米俵を積み上げ、その上に臼(うす)を乗せて餅をつくという荒技である。 |
|
|
|
|
|
|
腹の上の餅つき |
|
拡大写真(1400X1200)388KB |
|
|
|
|
|
|
|
船橋大神宮子ども相撲 |
|
|
船橋大神宮 |
千葉県船橋市 |
平成16年(2004)10月17日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成16年(2004)10月17日(日)、千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮で子ども相撲が奉納された。奉納相撲の主催者は、船橋大神宮奉納相撲執行委員会であるが、実質は氏子青年部。毎年10月20日の秋期例大祭に相撲が奉納されるが、平日は学校があるので、当日は大人のみとし、日曜日に子供の部が行われている。 |
|
船橋大神宮の奉納相撲は、約400年前に徳川家康が鷹狩りで船橋に滞在した際、地元漁師の子供たちが相撲を取って見せたところ、大変喜んだ家康がこれを神社に奉納したことに始まるという。 |
家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられた大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事となった。江戸時代には行司の差し違いがあるたびに力士の応援者同士で喧嘩が起きたところから「船橋のけんか相撲」の異名がつき、関東でも屈指の草相撲として名を馳せたという。 |
船橋大神宮の奉納相撲は、戦後の混乱を脱した昭和25年(1950)に再開され、一時中断があったあと昭和54年(1979)に復活。その後四半世紀を迎え、今年は土俵を新調したとのことで、伝統の奉納相撲を幾久しく伝えていこうという意気込みが感じられた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1024x768)94KB |
|
拡大写真(1024x768)167KB |
|
|
|
|
|
|
▲ 相撲をとる子供たちは、テントでできたまわし小屋で、氏子青年会のおじさんたちにまわしを締めてもらった。まわしには「船橋大神宮氏子青年会」の表示がある。相撲クラブの子供たちは、自前のまわしを持参していた。 |
|
今年の参加者は小学3年生から6年生までの139人で、その中に女子が11人いるという。女子はこのテントの左の部屋で、短パンの上からまわしを締めてもらっていた。数が多いので、ボランティアのおじさんも汗だくだった。 |
|
|
|
|
はっけよい! |
|
拡大写真(1200X740)246KB
|
|
|
|
たいようを みいっぱいに みやずもう |
Dedicatory
sumo mach, exposing whole bodies
to the sun. |
|
|
土俵際の上手投 / 三位決定戦 |
|
拡大写真(1200X900)231KB
|
|
|
|
|
|
|
▲▼ 午前中は、個人戦が行われた。3・4年の部と5・6年の部があり、女子と男子に分かれて対戦。熱戦や名勝負が繰り広げられ、次第に観客の目も真剣味を帯びてきた。 |
|
昼休みになると、お母さん方による豚汁の炊き出しがあった。生徒に行き渡った後、一般にもふるまわれ、ご相伴にあずかった。空腹だったこともあり、とても美味かった。おかわりする子が沢山いた。その後、船橋大神宮奉納相撲の相撲甚句が紹介された。 |
|
船橋大神宮奉納相撲 |
|
ケンカ相撲の呼び名も高いヨ
ここは船橋大神宮
十月二十日の大祭に
江戸のころより伝わりし
奉納相撲の賑わいは
近郷近在の腕に覚えの若者の
力と技のせめぎ合い
心整え礼尽くし
土俵踏み締め胸あわせ
浜っ子たちの心意気 |
|
|
まわし一本男気の
内がけ外がけよりたおし
下手差してのすくいなげ
八十二手なる決め技に
わきにわいたる境内は
実りの秋の風涼し
今年も豊年大漁の海山幸の有難さ
民の幸せ守りたる大神宮の大社
千代に八千代に栄えあれヨ
|
|
|
|
|
|
|
見事な投げ技 |
|
拡大写真(1200X900)239KB
|
|
|
|
|
|
|
▲▼ 午後1時から団体戦が行われた。参加チームは11で、くじ引きにより組合せが決まった。チームは先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の5人。このうち先鋒と次鋒だけは、3・4年生から出さなければならない。3〜4人しか出せないチームは、欠員は不戦敗となる。3勝した段階で勝負が決まるが、全員対戦する。 |
|
午後2時から表彰式が開かれた。個人戦5・6年の部の勝者には紫の優勝旗が、団体戦の勝者には紅の優勝旗が手渡された。優勝者には優勝カップが授与されたほか、入賞者には賞状、トロフィー、メダル、副賞など、豪華な賞品が授与された。 |
|
|
|
|
団体戦二連覇の海神小学校 |
|
拡大写真(1200x900)314KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
船橋大神宮奉納相撲 |
|
|
船橋大神宮 |
千葉県船橋市 |
平成17年(2005)10月20日(木) |
撮影・制作:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成17年(2005)10月20日(木)千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮で奉納相撲が行われた。午前11時、幼児によるこども相撲のあと、まわし(相撲褌)一本の選手たちが東西に勢揃いして個人戦の競技が始まった。今年の参加者は50名で、その内40名が地元自衛隊関係者。10名が部外からの参加者という。出場者名簿を見せてもらうと、木更津市から連続15回参加した人がいるほか、東京大学相撲部の名もあった。 |
|
|
|
|
|
|
50人の力士が東西に分かれて対戦 |
|
パノラマ写真(2060x800)361KB |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 最初は個人戦が行われた。一番勝負、同じ者同士が続けて取り組み、二勝した方が勝つ二番勝負、三番勝ち抜き勝負と続き、勝者には賞品が授与された。 |
|
三役揃踏のあと、東方と西方から代表(シード)選手が土俵に上がり、個人戦最後の大一番が行われ、強烈なはたき込みにより東方の力士が勝ち、トロフィやカップを手にした東の三役が事務局のカメラにおさまった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
投げの打ちあい |
|
|
|
拡大写真(1200x900)249KB |
|
拡大写真(1200x900)236KB |
|
|
|
|
|
|
▼ 午後1時半、今年から実施されることになった団体戦が始まった。習志野自衛隊、木更津航空補給処A、同B、海上自衛隊下総基地A、一般、駒場相撲クラブの7チーム35名が参加。一般は個別参加者が5名集まったチーム。駒場相撲クラブは東京から初めて参加した東京大学相撲部。熱戦の末、習志野自衛隊チームが団体戦を制した。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
こもれびの みやずもうはや よんひゃくねん |
The ritual sumo match
already passed
four hundred years
under the sun
streaming through
the leaves of trees. |
|
|
下手投げ炸裂! |
|
拡大写真(1200x1170)322KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
たこ舞神事 |
|
|
福岡神社 |
鳥取県日野郡溝口町 |
平成16年(2004)10月17日(日) |
撮影:ちばあきお 監修:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成16年(2004)10月17日(日)、鳥取県日野郡溝口町(みぞくちちょう)に鎮座する福岡神社の例祭で蛸舞式(たこまいしき)神事が行われた。町中を日野川が流れる溝口町は日本最古の鬼伝説があり、鬼の町として知られる。 |
|
蛸舞式神事は、福岡神社の祭神・速玉男命(はやたまおのみこと)が熊野灘で嵐にあって遭難した際、蛸(たこ)に助けられ、無事に吉備国(きびのくに)に上陸したという故事にちなんで行われるようになった奇祭である。 |
奇祭といわれるわけは、境内にある舞堂(まいどう)で、褌一丁の裸形(らぎょう)となった氏子たちが、藁(わら)で作った蛸を掲げ持つ男を神楽囃子(かぐらばやし)にあわせて何度も担ぎ上げ、藁の蛸の舞いを演じた後、丸梁(まるはり)に抱きついた願主(ねがいぬし)の氏子を下から大勢で回転させるという神事が行われるからである。 |
蛸舞式神事は、昭和61年(1986)に鳥取県無形民俗文化財の指定を受けた。溝口町では、この神事を日本三大奇祭の一つであるとしている。 |
|
|
|
|
|