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 旅紀行日本の祭り

2018年10月20日改訂

今 日

昨 日

♪山伏〜篠笛/邦楽囃子

篝火を縫ひて神輿の川渡る  北舟

拡大写真(2200x1650)503KB

The portable shrine crosses the river
threading the way through the bonfires.

2010年7月31日制作

桂川を渡る神輿

若宮八幡裸祭り

桂川を渡る神輿/若宮八幡神社(大分県豊後高田市

- 日本の伝統文化が息づく祭 -

 

日本祭百景【下巻】

霜月

太田神社黒虎相撲
太田神社
千葉県旭市
平成22年(2010)11月3日(水)
撮影・制作:和田義男

  平成22年(2010)11月3日(水)文化の日、千葉県旭市二(ちばけん・あさひし・に)の袋(ふくろ)地区に鎮座する太田神社(おおた・じんじゃ)で秋の例大祭が開催され、黒虎相撲(くろこずもう)が奉納された。

 黒虎相撲(くろこずもう)は、安永(あんえい)9年(1780)に太田神社の4人の氏子たちが江戸商人として成功した御礼に大鳥居を奉納した際、落成祝いに江戸から玄人(くろうと)力士を招聘(しょうへい)し、旧暦霜月(しもづき)(11月)朔日(さくじつ)(1日)に相撲を奉納したことがきっかけで始まった。
 戦前までは盛況だったものの戦後は廃れかけていたことから平成4年(1992)に飯島儀兵衛という篤志家が土俵をはじめ古式にのっとった奉納相撲を催行するに必要な資器材一式を寄贈し、復活した。
 黒虎相撲(くろこずもう)という名称は、黒(くろ)は玄人(くろうと)、虎(こ)は白虎(びゃっこ)(白人=素人)を意味することに由来する。小学生の取組の関係から、現在は、毎年11月3日の文化の日に開催されている。
 

太陽を背に綱の土俵入  北舟

 

拡大写真(1800X1400)698KB

Sumo leg stomps of Yokozuna,
receiving the sunlight on his back.

2010年11月10日制作

東の横綱・飯島俊一青年団長の土俵入り/太田神社(千葉県旭市)
東の横綱・飯島俊一青年団長の土俵入り/太田神社(千葉県旭市)
若宮八幡裸祭り
若宮八幡神社
大分県豊後高田市
平成18年(2006)11月3日(金)
撮影制作:和田義男

 平成18年(2006)11月3日(金)朝5時起きして羽田空港から空路大分空港に行き出迎えて頂いた川組後援会の清原浩さんと合流し、豊後高田市の伝統行事として知られる若宮八幡神社の裸祭りを取材した。
 若宮八幡神社裸祭りは、正式には「若宮八幡神社秋季大祭」といい、地元では岡山・西大寺会陽の裸祭りと山口・防府天満宮の裸祭りと並ぶ日本三大裸祭りのひとつとしている。「その意気やよし!」と感じた筆者は、ホームページにお便りを頂いて知り合った清原浩さんや川組後援会会長の三谷一俊さんらの全面支援を受け、川組後援会の専属カメラマンの立場で、1700枚、2400MBもの感動写真を切り取ってきた。

★☆★彡

 豊後高田市裸祭り保存会が主催する若宮八幡神社裸祭りは、正式には「若宮八幡神社秋季大祭/裸祭り」といい、「御神幸の川渡し」とも呼ばれる。永保4年(1084)に荒行のひとつとして始められたといわれ、今年で923回目となる。
 褌(ふんどし)をキリリと締め込んだ輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手たちが宮神輿を担いで桂川を渡り、本宮(もとみや)から下宮(しもみや)へ渡御(お下り)して二泊した後、下宮から本宮へ還御(お上り)する夜の川渡し神事である。毎年旧歴10月14、15、16日の最も近い金・土・日に行われる。

▲ 午後4時過ぎ、宮神輿の行列が若宮八幡神社(本宮)を出発した。殿(しんがり)をつとめる陸組の輿丁たちが約1トンの宮神輿を担ぎ、桂川の会場に隣接する豊後高田市役所前まで練り歩いた。
 午後4時20分、陸組の神輿は川組の輿丁たちが待ちかまえている豊後高田市の庁舎前の中継点に到着。午後4時半、褌姿の輿丁たちに引き継がれた神輿は、入川(いりかわ)するまでの間、桂川東岸の町内を練り歩いた。
 ※2013年1月20日、2012年11月23・25日に開催された929回目の裸祭の画像を追加した。
  燃あがる祭太鼓の重低音  北舟 

もえあがる まつりだいこの じゅうていおん

A heavy low tone of the festival drum burning.

大松明と大太鼓の演奏

大松明と大太鼓の演奏

パノラマ写真(2200x1150)455KB

  ▲ 桂川の裸祭り会場では、潮時(しおどき)を待つ大勢の観客が土手のアルプス席を埋め、写真上左の御玉橋(おだまばし)から放たれた火矢により世界一といわれる大松明(おおたいまつ)に火が入った。
▼ 神輿が入川した場所は、アルプス席からかなり遠いので、豆粒にしか見えない。神輿は、篝火(かがりび)で示された川中道を通って、この観客席の正面にやってくる。

川渡神輿とアルプス席の観衆

川渡神輿とアルプス席の観衆

パノラマ写真(2600x900)365KB

  ▼ 筆者が大勢の観客の間を縫って神輿が近くに見える位置に到着した頃には、既に神輿は川中まで進んでおり午後5時27分、望遠レンズで初めて川に入った神輿を大きく捉えることができた。

篝火の道を進む神輿

篝火の道を進む神輿

拡大写真(1800x1300)304KB

  ▲▼ 桂川は、潮の満ち引きにより水面が上下する。輿丁たちの褌が半分ほど浸かる潮時(しおどき)に入川するのが最良で、今回はピッタリのタイミングであった。早すぎると水溜まりを歩くようで迫力がない。また、あと30分遅れると水位は胸まであがる。そうなると見栄えがしないので、進行役のきわどい判断に喝采を送りたい。
  篝火を縫ひて神輿の川渡る  北舟 

かがりびを ぬいてみこしの かわわたる

The portable shrine crosses the river threading the way through the bonfires.

桂川を渡る神輿

桂川を渡る神輿

拡大写真(2200x1650)503KB

   これも若草色の川組後援会のジャンパーを羽織っていたからこそ「ちょっとすみません・・・」といって撮影場所を確保できたわけで、一般観客の立場では、とても割り込めるものではない。
  川に座す水掛神輿濡褌  北舟 

かわにざす みずかけみこし ぬれふどし

The portable shrine showered on the riverbed, their loincloths drenched.

光と影と水しぶき

光と影と水しぶき

拡大写真(1600x1200)308KB

  輿丁らの揃ひの白褌川神輿  北舟 

よちょうらの そろいのびゃっこん かわみこし

The portable shrine at the river, white fundoshi loincloth the uniform of the carriers.

川の中から挨拶する桑原猛・川組会長

川の中から挨拶する桑原猛・川組会長

パノラマ写真(2000x1050)302KB

  ▼ 気がつくと、川組会長の挨拶が終わり、濡れ鼠になった川組の輿丁たちがずぶ濡れの神輿を担ぎ上げ、川向こうのスロープに向かって移動しはじめた。対岸のスポットライトの左上に、ひときわ大きく輝く宵の明星「金星」がこの祭りを祝福しているように思えた。(写真下)
  秋祭一番星の川渡る  北舟 

あきまつり いちばんぼしの かわわたる

Autumn festival, crossing the river of the first evening star.

対岸に向け出発する神輿

対岸に向け出発する神輿

拡大写真(2200x1480)358KB

  ▼ 再び、観客の間を縫って、対岸の上陸地点に急いだ。息を切らせながら御玉橋を渡っていると、感動的なパノラマビューが私の目に飛び込んできた。カメラの画面には入りきれない景観を得意のパノラマ写真で切り取った。
  松明の夜空を焦す川渡祭  北舟 

たいまつの よぞらをこがす かわとさい

River crossing festival, the torch burning the night sky.

対岸にたどり着いた神輿

対岸にたどり着いた神輿

拡大写真(1600x1200)215KB

  秋川に濡るる輿丁ら白褌  北舟 

あきかわに ぬるるよちょうら しろふどし

Autumn river, white loincloths of mikoshi carriers dripping wet.

【編集子が選ぶ名作】

名作アニメーション

桂川を渡る神輿【拾壱】 〜大松明と川中神輿〜 17:38

拡大写真:大松明と川中神輿(2400X1800)730KB

若宮八幡裸祭'09
若宮八幡神社
大分県豊後高田市
平成21年(2009)10月30日(金)・11月1日(日)
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男

 平成21年(2009)10月30日(金)と11月1日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社の秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で926年目となる。
 この作品は「平成19年(2007)の 若宮八幡裸祭'07 」「平成20年(2008)の 若宮八幡裸祭'08 」に続くものでこの祭礼の説明は、平成18年(2006)の「若宮八幡裸祭り」に詳しい。

 10月30日(金)は周防灘に注ぐ桂川の東岸(右岸)に鎮座する本宮(もとみや)から西岸(左岸)の下宮(しもみや)への神輿渡御(みこしとぎょ)が行われた。地元ではお下り(くだり)と呼ぶ神事である。
▲ 若宮神輿の渡御は、桂川の川床(かわどこ)を渡るところがユニークで、いくつもの見せ場がある。最初は、狩衣・褌・白足袋の與丁(よちょう)たちが白布を巻いて保護した宮神輿を担ぎ、桂川東(右)岸のスロープを下って川に入るところで、純白の装束がスポットライトに浮かび上がり、神々しくも美しい姿を見せてくれる。
足場の悪い川中を懸命に渡御する與丁たち

足場の悪い川中を懸命に渡御する與丁たち

拡大写真(1800X1350)475KB

   豊後高田市は周防灘(すおうなだ)に注ぐ桂川の川口近くに位置するため、潮の干満の影響を受け、干潮時は川床が露出するが、満潮時になると海水が逆流し、このあたりは満々と海水を湛える大河の様相を呈する。
 干潮時に渡御すれば楽に渡れるが、それでは無味乾燥なことから水面が腰の位置になる潮時を待って入水する。そのため、毎年、渡御と還御の時刻が変わる。
壮大な川のページェント

壮大な川のページェント

拡大写真(2300X1450)384KB

  ▼ 二つ目の見所は川中の篝火(かがりび)を目印に渡御コースを進みながら要所で神輿を川床に置いて円陣を組み、前後の担ぎ棒に乗った與丁たちに水を浴びせるなどして神と戯れ、柏手(かしわで)で〆るところである。
  秋の水輿に浴びせる褌衆  北舟 

あきのみず こしにあびせる ふどししゅう

Guys of loincloth showering autumnal water on the portable shrine.

大松明の下の水掛神輿

大松明の下の水掛神輿

拡大写真(1700X1450)466KB

  ▲▼ 3つ目の見所は、大松明が赤々と燃え盛るステージのそばで、観衆に挨拶し、海水をかけ合って盛り上がるところである。ちなみに、若宮神輿は、陸組・川組ともに神輿差しを行わない。  
大松明の下で盛り上がる川組與丁たち

大松明の下で盛り上がる川組與丁たち

拡大写真(2000X1500)556KB

  ▼ 4つ目、最後の見所は、対岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。全身、濡れ鼠状態になった與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。その様は男らしく勇壮で美しい。他の神輿渡御では絶対に見ることができない素晴らしいシーンである。
水から上がる神輿

水から上がる神輿

拡大写真(1800X1350)393KB

  秋川の泥に染まりし白ふどし  北舟 

あきかわの どろにそまりし しろふどし

White loincloths stained with muddy water of the autumnal river.

斜路を上がる濡れ神輿

斜路を上がる濡れ神輿

拡大写真(1800X1500)375KB

  ▼ 宮神輿が御旅所で2泊した11月1日(日)、桂川の西岸(左岸)に鎮座する下宮(しもみや)から東岸(右岸)の本宮(もとみや)へ神輿の還御(かんぎょ)が行われた。  
 最後の見所は、一昨日のお下りと同じで、右(東)岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。昔の海水は綺麗だったと思われるが、近年の海水汚濁により、全身汚水にまみれた状態になった與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。
神輿を押し上げる赤組與丁たち

神輿を押し上げる赤組與丁たち

拡大写真(1500X1700)366KB

無事に上陸した若宮神輿

無事に上陸した若宮神輿

拡大写真(1400X1450)274KB

  濁水に染まりし白褌秋の渡御  北舟 

だくすいに そまりしびゃっこん あきのとぎょ

Autumnal trip of gods, white loincloths stained with muddy water.

最後の力を振り絞って!

最後の力を振り絞って!

拡大写真(1700X1275)304KB

 
唐津くんち
唐津神社
佐賀県唐津市
平成16年(2004)11月2日(火)-4日(木)
撮影・原作:深見重利 監修:和田義男

 曳山囃子(やまばやし)の優雅な調べのなか「エンヤ、エンヤ」「オイサ、オイサ」と掛け声が響く。唐津くんちは、唐津っ子の産土神(うぶすながみ)である唐津神社の秋祭りで、400年の歴史がある。

 神輿の御旅所(おたびしょ)への御神幸(ごしんこう 渡御)は、江戸時代の寛文年間に始まったといわれ、「漆の一閑張り(うるしのいっかんばり)*という技法で製作された曳山(ひきやま)は、1番曳山(いちばんやま)の赤獅子(あかじし)が文政2年に奉納されて以後、明治9年までに15台が制作・奉納された。このうち紺屋町(こんやまち)の黒獅子が明治中期に消失したため、現存は14台となっている。
 昭和43年(1968)からは、本殿祭を10月29日とし、宵曳山(よいやま)・御神幸・町廻り(まちまわり)は11月2日から4日までとなった。祭り期間中の人出は50万人を越えるといわれ、長崎市諏訪神社の長崎くんち、福岡市櫛田神社の博多おくんちとともに「日本三大くんち」の一つに数えられる。昭和55年(1980)国の重要無形民俗文化財に指定された。
* 漆の一閑張:本体を木組みにし、粘土の原型や木型の上に和紙を数百枚貼り重ね、麻布等を張って漆を塗り重ね、金銀を施して仕上げたもので、各町が莫大な費用をつぎ込み、2〜3年がかりで作られたという。
九番曳山・武田信玄の兜
九番曳山・武田信玄の兜

拡大写真(1200x776)255KB

   
▲▼ 11月2日(火)の宵曳山(宵ヤマ)は、唐津おくんちの前夜祭で、14台の曳山(ヤマ)に提灯を飾り、町内を曳き歩くもので、秋の夜に独特の雰囲気を醸し出す。
 午後7時30分、火矢を合図に、たくさんの提灯で飾られた1番曳山「赤獅子」が市中心部の大手口を威勢よく出発。各町内が意匠を凝らして制作した赤や青、黒の漆を塗り重ね、金ぱくを張った兜(かぶと)や獅子、鯛(たい)などの曳山が旧城下町の巡行に加わって行く。
 笛・鉦(かね)・太鼓で奏でる曳山囃子(やまばやし)にあわせて、肉襦袢(にくじゅばん)と呼ばれる法被を羽織った男衆が「エンヤ、エンヤー」の掛け声を夜の町に響かせて進む。沿道では拍手がわき、カメラのフラッシュが光る。秋の夜長を飾る華やかな伝統文化のページェントは、多くの観衆を魅了した。
五番曳山・鯛
五番曳山・鯛

拡大写真(1200x783)169KB

   
▼ 翌11月3日(水)は御旅所神幸(おたびしょ・しんこう)で、祭りのクライマックスの曳き込み・曳き出しが行われる。午前9時半、お旅所へ向かう神輿の後に曳山が続き、市内を巡行。午後0時に御旅所と呼ばれる砂地に一番曳山「赤獅子」を先頭に所定の位置に次々と曳山が曳き込まれる。

お旅所へ渡御する宮神輿

お旅所へ渡御する宮神輿

拡大写真(1200x798)301KB

   
▼ 魚屋町(うおやまち)の鯛が再登場。 砂地に車輪がめり込んだ曳山をものともせず、各町の若者が囃子にあわせて懸命に綱を曳く勇壮な姿に、観衆も一体となって声援を送り、曳山が所定の位置につく度に大きな拍手が湧き上がる。

五番曳山・鯛

五番曳山・鯛

拡大写真(1200x768)301KB

   
▼ 翌11月4日(木)は、有終の美を飾る町廻りである。前日の御旅所神幸を終えて各町内に持ち帰られた曳山が再び唐津神社前に集合し、午前10時30分、花火を合図に1番曳山から順番に出発。2日の宵山と同じ市内東廻りのコースをゆっくりと進み、午後零時頃にJR唐津駅前に並べられる。
 午後2時半に駅前通りを出発して市内西廻りのコースを巡行しフィナーレの曳山展示場に曳山が納められ唐津くんちの幕が閉じる。この最後のフィナーレでは、感極まって涙ぐむ若者の姿も見受けられる。

唐津神社前に集合した曳山

唐津神社前に集合した曳山

拡大写真(1200x779)294KB

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