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■■■ スイス・氷河特急脱線転覆事故でアクセス急増! ■■■
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▼ 昨日7月24日(土)、Wa☆Daフォトギャラリー・トップページのアクセスカウンターがうなぎ登りに増え、いつもは1日1万件程度だったのが、何と3.5倍の35,000件丁度のアクセスを記録した。原因は、スイスで発生した氷河特急脱線転覆事故のためだと判明した。 |
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1日のアクセス件数35,000件!/トップページ 2010.7.24 |
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7月23日(金)正午(日本時間午後7時ころ)スイス南部ツェルマットから東部サンモリッツに向かっていた6両編成の観光列車「氷河特急」がフィーシュで後部3両が脱線・転覆し、日本人乗客1人が死亡し、日本人28人を含む40人が負傷、うち日本人2人が重体という大惨事が発生し、讀賣新聞は7月24日(土)夕刊でトップニュースとして伝えた。 |
▼ 筆者が平成18年(2006)7月9日(日)に乗った氷河特急は、サンモリッツからツェルマット行きで、この方が人気があり、客車14輌の前後に電気機関車が付く編成なので、もしこちらが脱線していたら、更に大惨事になっていたと想像される。氷河特急は、時速30km程度の低速で走る世界一のろい特急として知られており、高速走行ならともかく、低速で脱線するとは信じられず、原因究明が待たれるが、単線ではあるが、スイス鉄道の動脈なので、運行は間もなく開始されるという。 |
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Google「氷河特急」検索で上位に表示された「スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急)」 |
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▲ 7月24日(土)朝のテレビなどで速報を見た視聴者らがGoogleなどで「氷河特急」を検索し、上位に表示された「スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急) http://wadaphoto.jp/kikou/suis12.htm 」をクリックした結果、アクセスが殺到したものと考えられる。 |
▼ 普段は1日アクセス90件ほどで、約4年間のアクセスが44,557件だった「スイス夏の旅〈前編〉」は、たった1日で17,867件のアクセス数を記録。〈後編〉も2,382件のアクセスがあるなど、普段の1万件に2万5千件が加わり、この日のWa☆Daフォトギャラリーのトータルアクセスは3万5千件にのぼった。本日7月25日(日)も余震が続いており、「スイス夏の旅〈前編〉」は、正午過ぎで既に1,470件のアクセスがあった。 |
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1日のアクセス件数17,867件!/スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急) 2010.7.24 |
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平成20年(2008)1月8日(火)の夕方、「岩手県奥州市作成の黒石寺(こくせきじ)蘇民祭(そみんさい)のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨のテレビ報道から始まった「蘇民祭セクハラポスター事件」は、新聞や週刊誌などが次々に話題に取り上げて全国報道したことから、黒石寺蘇民祭は、一躍全国に知られることになったが、この騒ぎで、「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm と「黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm が「2ちゃんねる」にリンクされたためにアクセスが集中し、3日間ほどWa☆
Daフォトギャラリーが麻痺するという被害を受けた。 |
「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」は、1月8日の一日だけで16,693件のアクセスがあった。普段は50〜200件/日くらいなので、1日に100日分のアクセスが集中したことになる。また、「黒石寺蘇民祭」 の方もその日に2,322件のアクセスがあり、いつもの約10倍を記録した。この間の事情は「Wa☆Daフォトギャラリー」アクセス殺到でパンク状態!に詳しい。 |
その結果、他のサイトへの接続ができないという事態に陥り、サーバー管理者の判断でWa☆Daフォトギャラリーにアクセス制限がかけられ、3日間麻痺するという被害を受けた。前回は1万9千件の付加だったが、今回は2万5千件の付加となり、事態は更に深刻化した筈だが、接続は正常で、麻痺することはなかった。 |
その理由は、先日、当サイトが利用しているWADAXのレンタル・サーバーが高性能のものにリプレースされ、これだけ付加が増えても渋滞することなく、アクセスできたからだと考えられる。料金も変わらず、年間40ギガの容量が160ギガまでOKとなり、快適な環境となったが、その性能がこれほどまでに進歩しているとは嬉しい驚きだった。 |
また、24日(土)夕刻には、讀賣新聞から「氷河特急の特集を翌日25日(日)朝刊に載せる予定にしており、Wa☆Daフォトギャラリーの写真を使わせて欲しい」との要請があり、無償で協力することにしてメールをやりとりし、沖本陽子さんの「目指せ!ヘルンリ・ヒュッテ」の氷河特急の新型車両(事故のあった車輌と同型)の写真が掲載される予定となったが、最終的にこの企画は採用されず、残念ながら、今日の朝刊に氷河特急の特集は掲載されなかった。 |
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■■■ Wa☆Daフォトギャラリー満10歳の誕生日! ■■■
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▼ 本日、Wa☆Daフォトギャラリーは、満10歳の誕生日を迎えた。黒石寺蘇民祭のセクハラポスター事件などで、アクセスが集中し、ダウンロードできなくなるトラブルなどがあったが、サイトを一度たりとも閉鎖することなく、良くこゝまでやってこれたものだと、感無量である。ご支援、ご鞭撻を賜った多くの方々に衷心より御礼申し上げたい。 |
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満10歳の誕生日を迎えたトップページ 2010.7.16. 9:7:42 |
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Wa☆Daフォトギャラリーは、10年前の平成12年(2000)7月16日(日)、無料のレンタルサーバーにフランス編12枚をアップロードして産声をあげた。そのときの抱負が4日後の7月20日(木)の海の日に書かれた
巻頭言に残されている。 |
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初々しい抱負が書かれた巻頭言 |
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原寸大の写真(980X1164)340KB |
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10年前、私は広島で単身赴任中であり、2年の構想期間を経て、誰もやっていない 《利用可能な大画面の海外写真と詳細な解説》 というコンセプトにたどり着き、このサイトを立ち上げた。その15年前、熊本在任中、中一の長男がパソコンをやりたいと言い出し、当時高校が導入していたNECの 9800-VM 21(キューハチ)機を購入したが、ディスプレーとプリンターを加えると100万円以上もする高価なものだった。私を含め、普通のサラリーマンではこんな高価なおもちゃを買うことはできなかったのだが、当時売り出されたNTT株の抽選に当たり、定額貯金を担保に郵便局から融資を受けて1株約120万円で購入し、直ぐに300万円で売り抜けるという幸運に恵まれた。今日あるのはNTTのお陰である。(^^; |
ということで、筆者は10年前に既に15年のパソコン歴があり、現在、パソコン歴25年という超ヘビーユーザーである。新機種が出るたびに、次々に買い換えてきたので、これまでの投資額はうん百万円になる。長男に触発された親父がパソコン道?にはまり、常に最先端を走ってきたお陰で、早い段階でホームページをスタートさせることができた。本当はこの2年前にホームページを開設できたのだが、誰もやっていないものにしたいと思い悩み、「これだ!」と思い立つまでに2年かかったのである。 |
当時は、通信回線がダイヤルアップ接続という劣悪な環境で、ファイルサイズが大きいとダウンロードに時間と費用がかかるので、他のサイトは(現在も似たようなものだが)小さな画像しかアップしていなかった。私のような大きな写真をアップしているサイトは皆無と言っても良く、如何に私の構想が大胆で無謀なものであったかが分かる。 |
現在は、ADSL接続を経て光回線になり、ハイビジョン動画さえ快適にダウンロードできるので、私の高精細画像などはゴミみたいに軽々とやりとりできる環境となった。巻頭言には「2日間で160件のアクセスがあり、予想外の反響に驚いている」とあるが、IT時代の幕開けとともに、10年後に累計1400万アクセスを超え、1日1万アクセスを誇る質・量ともに日本一のフォトギャラリーになるとは思ってもみなかったことである。ましてやGoogleで「フォトギャラリー」を検索すると、キャノンやニコンという著明なカメラメーカーのプロが運営するフォトギャラリーを押さえて1個人の道楽のサイトであるWa☆Daフォトギャラリーがトップに表示される人気サイトになるとは、誰も予想しなかったことである。 |
最初の構想から夢はどんどんと広がり、「ロマンと感動!世界の旅の写真館」のキャッチコピーを得て大きく発展し、感動写真集の仲間たちのお力添えを得て、47ヵ国の旅の写真紀行集、427作品・1,626頁・高精細画像15,126枚を発表することができた。残念ながら、英語版は、大変な労力がかかることが分かり、早い段階で断念したが、かろうじて北舟の写真俳句集「海の風景」1,314句に英訳を付けることで、こだわりを残している。 |
また、世界の旅を続けて行くうちに日本人の素晴らしいアイデンティティ(日本人らしさ)に目覚め、日本古来の祭り、とりわけ高温多湿の気候風土に育まれた裸褌文化が息づく裸祭りの魅力に取り付かれた。プロを含めて誰もやっていない分野だけにやり甲斐があり、親譲りの祭り好きのDNAのお陰で、撮影するだけでなく参加する喜びにも目覚めた。密着取材という手法を取り入れ、舞台裏までカバーする作品は他に例がなく、現在、この分野でも日本一、いや世界一のサイトになったと自負している。昨日アップした「日本祭百景」は、まだ三分の一の【上巻】だが、10年間、日本全国を旅して夢中でシャッターを切ってきた筆者と感動写真集同人たちによる138作品の総括であり、これだけの業績を残した情熱と行動力に我ながら驚きさえ覚える。遊び人として好きだからこそできることで、仕事で頼まれてやるのであれば、ここまで熱中して出来なかったことだろう。 |
今日は花金でもあり、感動写真集同人の丹下誠司さんのお誘いを受け、身近な方々と誕生日を祝うことにしている。思うこと書きたいことはまだまだあるが、気力・体力・財力の続く限り、日本の心と伝統文化を愛し、ロマンと感動を求める国際人として、また、デジタル写真家として、これからも世界を撮す遊び人に徹し、世界中を旅して新しい出会いと素晴らしいシャッターチャンスを楽しみながら道楽の道を極めてゆきたい。 2010.7.16 和田義男 |
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▼ 「長身六尺(180cm)の江戸っ子で90歳まで生きた有名な浮世絵師は?」と問われれば、誰でも葛飾北斎(宝暦10年-嘉永2年/1760-1849)と答えるだろう。頑固一徹な奇人・変人として知られ、改名癖があって春朗、宗理、北斎、画狂人、為一など30ものペンネームを次々に取り換え、生涯に93回も転居した放浪癖は異常ともいえ、老境には各地を旅して廻ったという健脚の持ち主であった。 |
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冨嶽三十六景 凱風快晴(通称:赤富士)/為一(北斎)筆 |
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葛飾北斎 天保10年(1839年)
79歳(数え年80歳)の頃の自画像 |
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▲▼ 為一と称した晩年の代表作「冨嶽三十六景(ふがく・さんじゅうろっけい)」の「 凱風快晴」(通称:赤富士)や「神奈川沖浪裏」は、誰もが目にした名作で、筆者の大好きな作品である。「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いたもので、文政6年(1823)頃より作成が始まり、天保2〜4年(1831-1833)頃に刊行されたといわれている。発表当時の北斎は72歳で晩年期に入っており、西洋画法を取り入れて遠近法が活用されていることや、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色としてあげられている。 |
当時、浮世絵の風景画は「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したといわれる。 |
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▲▼ 浮世絵(錦絵)の構図や色彩感覚は、写真撮影のアングルや色調を決める際にとても役立つため、時間があれば鑑賞しているが、特に北斎が描いた絵には、頻繁に裸褌姿が登場する。そこには高温多湿の気候風土に育まれた江戸時代の庶民の暮らしや社会風俗が赤裸々に描かれており、当時の裸褌文化を知る上でとても貴重と思われるので、紙芝居風ふんどし談義として以下に紹介したい。 |
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▲ 北斎は壮年期より摺物(すりもの)の名手として知られていたが、最も多く佳作を出したのが上のような横長判摺物だったという。画狂人北斎のサインのある「富本丸船中」には、屋形船の上で棹を操る船頭や船方が描かれており、両名とも前垂れ式六尺褌を締めている。定番の赤褌(あかふん)で、「板子(いたご)一枚下は地獄」という過酷な環境で働く船乗りたちにとって赤は魔除けの色として大事にされた。 |
現在の外航航路に就航する大型商船に当たる千石船は、江戸時代の物流を担う花形産業だが、船頭(船長)や水主(かこ)たちは緋縮緬*(ひちりめん)の褌を締めていた。箱館の町を拓いた高田屋嘉兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の「菜の花の沖」には、嘉兵衛はじめ、非縮緬の褌を粋に締めた海の男たちの活躍が詳しく描かれている。水泳の際に着用する水褌(すいこん)も赤褌が多いのはそのためである。 *【緋縮緬】絹を平織りにして緋(赤)色に染めた高級織物 |
「冨嶽三十六景」御厩川岸 両國橋夕陽見/為一(北斎)筆
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▲ 「冨嶽三十六景」御厩(おうまや)川岸 両國橋夕陽見は、隅田川の渡しのうち、現在の厩橋(うまやばし)付近にあった渡し舟を描いている。渡し舟には按摩や物売り、武士、長い竿を持った鳥刺しなど、様々な人々が乗り合っている。両國橋の彼方には既にシルエットになった夕暮れどきの富士山が見える。 |
川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に厩(うまや)があったのでこの名がついた。元禄3年(1690)に渡しとして定められ、渡し船8艘、船頭14人、番人4人がいたという記録が残る。渡賃は1人2文で武士は無料。明治7年(1874年)の厩橋架橋に伴い廃止された。両国橋の上流・南本所石原町から浅草三好町に向かって一丁櫓(いっちょうろ)を漕ぐ船頭は着物を着ているが、尻端折り(しりはしょり)しているので青色の六尺褌が見えている。船方(ふなかた)・馬方(うまかた)・土方(どかた)(天下の三方(さんかた))と呼ばれた屋外労働のひとつである船方は、必ずしも赤褌とは限らなかったようだ。舟を支える水の深い藍色はとても美しく、北斎自慢の色使いである。 |
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▲ 上の絵は、「千絵の海」シリーズの「絹川はちふせ」である。波立つ水面には働く男たちが描かれているが、岸には一人の男がノンビリと珍しい漁撈(ぎょろう)の様子を眺めており、彼方には馬子(まご)の姿も見えて、長閑(のどか)な雰囲気が良く描かれている。「はちふせ」とは鉢伏のことらしく、竹籠をかぶせて魚を捕獲する原始的な漁法のようである。全員諸肌脱ぎになった漁師たちは、着物が濡れないよう尻端折りをしているため、六尺褌が見えている。白ものだけでなく青ものなどもあり北斎は丁寧に色づけしている。 |
北斎漫画 四編 浮腹巻(左) |
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北斎漫画 四編 浮腹巻(右) |
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▲ 北斎の絵で特に参考になるのが、江戸の百科事典ともいえる絵手本(デッサン集)の「北斎漫画」である。初編の序文によると、文化9年(1812)の秋、名古屋の後援者で門人の牧墨僊(まきぼくせん)(1775〜1824)宅に半年ほど逗留して300余りの下絵を描いた。これをまとめ文化11年(1814)、北斎55歳のとき、名古屋の版元永楽屋東四郎(永楽堂)から初編が発行され、好評を博した。その後明治11年(1878)までに全十五編が発行された。人物、風俗、動植物、妖怪変化までありとあらゆるもの約4,000図が描かれている。国内でベストセラーになっただけでなく、輸出陶器の梱包材に使われたことがきっかけでフランスの銅版画家に見出され、ヨーロッパのジャポニズムの火付役になったというエピソードも残されている。 |
四編の見開きの頁に描かれている水泳の図は、まさに裸褌姿そのもので、「浮腹巻(うきはらまき)」と説明書きがあり、当時既に浮き輪や浮き袋があった様子が描かれている。子供たちはフリチンで泳いでいる。大人たちは、前袋式六尺褌いわゆる水褌を締めている人が多いが、中には越中褌か畚(もっこ)褌の人もいる。左頁には、瓶の中から海中の様子を眺めている姿が描かれており、北斎の空想が入っている。その下に、裃に水褌の男性が描かれているが、身分の高い人は裃をしたまま泳ぐのだろうか。多分、北斎独特のユーモアだと思われる。 |
北斎漫画 三編 相撲(左) |
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北斎漫画 三編 相撲(右) |
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▲ 北斎漫画・三編には、大相撲の絵が描かれており、躍動する力士たちの取組の様子がリアルに活写されている。相撲の衣装は、下着の褌が進化した相撲褌(すもうふんどし)(まわし)で、これも水泳同様、裸褌文化の最たるものである。力士たちが相撲褌に下がりをつけているのは、現在の大相撲と変わらないが、下がりは褌の前垂れで、相撲の邪魔にならないように短くなっている。 |
北斎が春朗時代(安永8年-寛政6年/1779-1794)に描いた相撲絵 |
出羽海金蔵 鬼面山谷五郎 |
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高嵜市十郎 渦ヶ渕勘太夫 |
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千田川吉五郎 高根山与一右ェ門 |
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▲ ちなみに、北斎は20〜34歳(安永8年-寛政6年/1779-1794)まで春朗(はるろう)というペンネームで錦絵を描いていたが、この頃の相撲絵が上図である。まだ若い修業時代の作品だが、力士の表情や姿形(すがたかたち)をリアルに描いており、下がりが相撲褌(まわし)の前垂れであることが分かる。まわしは現在のように厚手のものではなく、後ろ立褌(たてみつ)(Tバック)が臀部に食い込んでいて見えない状態である。 |
北斎漫画 三編 豊年踊り(左) |
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北斎漫画 三編 豊年踊り(右) |
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▲▼ 北斎漫画・三編に登場する豊年踊りの絵は、相撲褌と同じような下がりをつけた褌の男が自由奔放に踊る姿を多角的に描いており、名作に数えられている。着物の欠点は、動き回る際に裾が邪魔になることで、男たちは裾端折り(すそはしょり)や尻端折り(尻からげ)をしてその欠点を正した。そのため、着物の下に隠れていた褌があらわになるが、これが男の粋として女性たちの関心を買い、必要ないときでも尻をからげて歩く人がいたという。 |
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▼ 下の図は、北斎漫画・九編に収録されている肥満男性の裸褌姿で、士卒ノ英氣養圖(しそつノえいきをやしなふづ)というタイトルが付されている。士卒は兵士(武士)のことなので、たまには下男や下女のやる仕事をして英気を養っている武士ということなのだろうか。生活が豊かで食糧事情が良ければ、大相撲の力士でなくとも食べ過ぎて肥満になる男性がいたのだろう。高温多湿の夏場を過ごす江戸庶民の日常の様子がリアルに描かれている。 |
北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(左) |
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北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(右) |
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▼ 下図は、六編に描かれている棒術の絵である。尻端折りをしているのはこれまでと変わらないが、後ろ立褌(たてみつ)(Tバック)と前垂れの両方が描かれている。着物の柄は丹念に描き分けられているが、男たちの前垂れ式六尺褌は、いずれも白の一色である。これまでの絵に比べて、変化が少なく、同じようなポーズがあり、北斎にしては凡庸な絵に見える。 |
北斎漫画 六編 棒術(左) |
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北斎漫画 六編 棒術(右) |
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▼ 下図は、北斎漫画・八編に描かれた無禮講(ぶれいこう)で、広辞苑によれば、貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴をいう。越中褌や畚(もっこ)褌に烏帽子(えぼし)というへんてこなスタイルの裸男たちが色々なポーズを取っているが、彼らは曲芸師たちで、余興として演じているものなのだろう。 |
越中褌は、武士や江戸っ子たちにはあまり見られないが、筆者の調査では、僧侶、神職、按摩、曲芸師など、特殊な集団に愛用者が多い。勿論、武士や町人にも越中褌を愛用している人はいたが、多くはない。越中褌は三尺褌とも呼ばれ、布が六尺褌の半分で済むことから、貧乏人や倹約のために推奨されたという。横褌(よこみつ)が細紐なので緩みやすく活動的でないため、帰宅してくつろぐときに着用し、漁撈や土木作業などの労働の場では六尺褌に締め替えていた。 |
北斎漫画 八編 無禮講(左) |
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北斎漫画 八編 無禮講(右) |
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▼ 三編には農作業の図が掲載されている。労働の場の男性は、殆どが尻端折りをしている。そうでなければ丈の短い野良着を着ているので、下半身が露出していて涼しい。女性たちは、暑い屋外の作業でも、姉さんかぶりをする位で、着物を着て、裾を垂らしている。女性たちの身体は、汗疹(あせも)だらけだったのではないだろうか。 |
当時、男性は、公道でも褌一丁で闊歩できる有り難い裸文化を享受していた。「夕涼みよくぞ男に生まれけり」は、宝井其角の詠んだ川柳である。褌一丁の裸の男たちが縁台で涼んでいる姿を詠んだもので、高温多湿の日本の夏は、こうするしか凌げなかったのだろう。エアコンの効いた快適な空間でこの原稿を書いていて思うことは、現代の日本ではエアコンや冷蔵庫、テレビといった文明の利器が普及し、江戸時代の殿様も味わえない素晴らしい環境の下で快適に暮らすことができ、世界一の長寿を誇る国となった。本当に有り難いご時世になったものだと思う。 |
北斎漫画 三編 農作業(左) |
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北斎漫画 三編 農作業(右) |
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▼ 白黒ばかりだったので、最後はカラー刷りで〆よう。この絵は、「下手の鞠(へたのまり)」と称する鳥羽絵(とばえ)である。鳥羽絵は浮世絵(錦絵)の一種であるが、江戸時代に描かれた略画体で漫画チックな戯画(ぎが/ざれが)である。北斎は、早くから戯画にも興味を持っていたようで、面白い作品を残している。通常、鳥羽絵は、細身で長身の人物が描かれ、今日の漫画文化の先駆けともいわれているが、江戸でブームとなった頃、北斎もそれを真似た絵を描いて楽しんでいたのだろう。 |
蹴鞠(けまり)は、皮靴で革製の鞠を蹴上げて地面に落とさないようにする公家(くげ)の遊びだったが、武家や町人へと普及した。「アリアリハ いゝが追つかけ おん廻ハし 尻ひつからげ 立向ふ 下手の鞠」 と説明書きがあるが、この二句は、柳樽(やなぎだる)にある川柳(せんりゅう)狂句で、「アリヤアリヤ」は鞠を蹴るときの掛け声。この絵は、熊さん八つあんが蹴鞠の真似をして遊んでいるところで、鞠が八つあんの頭に当たってしまったところを滑稽に描いている。両名とも尻ひつからげて(尻を端折って)立ち向かっているので、赤褌が見えている。 |
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筆者は、北斎漫画全十五編を全て調査してみたところ、当時の男性は、士農工商の階層を問わず、六尺褌、越中褌、畚(もっこ)褌のいずれかを着用しており、ハンダコ(半股引/パンツ)姿は見られなかった。また、浮世絵(錦絵)も数多くチェックしたが、ハンダコ姿は見当たらなかった。 |
ハンダコは、大正時代に発明された下着であり、江戸・明治期の日本男性の下着は褌だけだったことは、北斎漫画や浮世絵を見ればよく分かる。昨今のテレビ局の低俗な時代劇には、しばしばハンダコ姿の武士や町人たちが登場する。賭場開帳のシーンでも渡世人たちはハンダコ姿で、褌をしているのを見たことがない。あり得ないシーンを平気で放映するディレクターのレベルの低さを嘆いているところであるが、NHKの大河ドラマやしっかりした映画監督による時代劇では、時代考証がきちっとなされていて、男性は必ず褌姿で登場する。当たり前のことを喜ぶのは、腹立たしいことだが、低俗粗悪な時代劇があふれて、日本伝統の裸褌文化をないがしろにしているテレビ局に断固抗議すると共に、一刻も早く低俗時代劇が淘汰されていくことを期待したい。〈 完 〉 2010.7.9 和田義男 |
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■■■ レンタルサーバーの容量が40GBから160GBにアップ! ■■■
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▼ 本日、Wa☆Daフォトギャラリーが利用しているレンタルサーバーを提供するWADAXから次のメールを受け取った。 |
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2010年07月07日
和田 義男 様
WADAX
info@wadax.ne.jp
共用サーバーの容量を最大160GBに大幅増量致します!
皆々様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
平素は格別のお引立てにあずかり誠にありがたく厚く御礼申し上げます。
WADAXのレンタルサーバー @Next Style では、大規模DoS攻撃に対応したIPS「セコム不正侵入検知/予防サービス」の「DoS防御オプション」導入や 高性能国産アンチスパム「Active!hunter」の無償提供など、お客様の利便性を考えた機能の追加などを行ってまいりました。
またこれまで、20GBの容量を月額1,995円で提供して参りましたが、昨今の大容量ファイルの扱いを希望頂くなどお客様から増量して欲しいといった声を多く頂いておりました。WADAXではこれにお応えするため、@Next Style 共用サーバーの全サービスの容量を、最低でも50GB、最大で160GBと、「大幅アップ」させて頂く事になりましたのでご案内致します。
※追加費用等は一切かかりません。
容量アップに伴うサーバー停止等もございません。
★各サービスの容量アップ詳細 ━━━━━━━━━━━━━━━━
@Next Style スタンダード
ブロンズ 月額1,995円〜 容量50GB
シルバー 月額2,833円〜 容量80GB
ゴールド 月額3,833円〜 容量120GB
プラチナ 月額4,637円〜 容量160GB (以下略) |
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優良レンタル・サーバーを安価で提供するWADAXのトップページ 2007.5. |
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Wa☆Daフォトギャラリーは、10年前、無料のレンタルサーバーを利用してスタートしたが、品質が悪く、夜のゴールデン時間帯になると、混雑のため殆どアクセスできなくなることが分かり、アメリカにある優良レンタルサーバーに引っ越して以来、何度かサーバーを取り換えてきた。その間、ダウンロード無制限といいながら、アクセス量が増えると、使用料が追加される零細・悪質業者の被害に会いながら終の棲家を求めて点々と引っ越しを繰り返してきたが、3年前の平成19年(2007)5月、遂にWADAX(ワダックス)という日本の中堅・優良業者に出会い、共用サーバーのスタンダードコース「プラチナ」に契約した。レンタル料は当時から月額4,637円のままで、既に3年が経過し、高品質の素晴らしいサービスに満足している。 |
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「2007年のお知らせ」に掲載した 徒然日記/Wa☆Daフォト、新サーバー「WADAX」に引っ越す を読むと、WADAXとの偶然のめぐり逢いに感激している様子がしたためられている。当初、サーバーの容量は、10GB(ギガバイト)だったが、同年11月には無料で容量が4倍の40GBに増量された。そして本日、またしても容量が4倍の160GBに増量されるという嬉しい知らせが届いた。(^^ |
来たる7月16日にWa☆Daフォトギャラリーは10歳の誕生日を迎えるが、現在の使用量は僅かに8.5GBしかない。3年前の容量でもまだ1年は余裕があり、160GBは明らかにオーバースペックとなるので、来年5月の契約更改の際には、月額1,995円、容量50GBの「ブロンズ」に変更することにした。これでも10GBアップとなる。サポートデスクに確認したところ、プラチナもブロンズも品質の差はなく、連絡すれば先方がハードディスクの容量を変更するだけで、当方がDNSサーバーを書き換えたり、再転送などやっかいな作業は一切行わずにコース変更できるとのことだったので有り難い。 |
ハードディスクの集積技術が急速に進歩し、同じ材料を使って何倍もの容量を記録することができるようになったお陰で、レンタルサーバー業者はコストをかけずに容量アップというサービスを提供して商品のさらなる競争力に磨きをかけている。そのお陰で、我々ユーザーは、使用料の値下げというボーナスをもらえることになった。科学技術の進展は、人類に幸福をもたらす。私の幸福はささやかなものであるが、来年からは、これまでの年間利用料55,650円の半額以下の23,940円を納入するだけで、丸1年間、ホームページを運営することができる。\(^o^)/ |
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▼ 本日、見付天神裸祭保存会事務局(静岡県磐田市)から今年の裸祭のガイドブックに掲載する筆者と新尺俊勝さんの寄稿文が送られてきた。筆者は、昨年9月下旬に開催された見付天神裸祭(静岡県磐田市)に初めて参加し、泊まりがけで密着取材を敢行し、見付天神裸祭 を発表した。取材の後、保存会の福代陽一(ふくよ・よういち)事務局長から来年のガイドブックに寄稿文を執筆してほしいとの依頼を受け、今年5月に原稿をお送りしていたところ、本日校了となり、ガイドブック24・25頁のPDFをお送り頂いた。 |
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▲ 昨年、見付天神裸祭の作品を発表すると大きな反響があったので、そのことを話題にして「感動の見付天神裸祭!」というタイトルで執筆した。新尺さんの寄稿文「見付天神裸祭に参加して」は、先ほど初めて読ませていただいたが、長年全国の裸祭に参加されてこられた方しか書けない名文で、新尺さんの哲学が披露されていてとても素晴らしく、心を打たれた。 |
一番觸の浜垢離/遠州灘福田浜(静岡県磐田市) 2009.9.23. 11:06
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▲▼ 見付天神裸祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されているだけあり、ロマンと感動あふれる素晴らしい裸祭で、平成22年(2010)の予定は、9月8日(水)が浜垢離、9月11日(土)・12日(日)が御大祭となっている。旧暦を基本にしているため、毎年日程がずれるので、留意する必要がある。これにあわせて「霊犬悉平太郎(れいけん・しっぺいたろう)700年祭」が行われるので、今年は節目を迎えた盛大な裸祭となる。 |
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資料:見付天神裸祭保存会 |
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▲▼ 今年も全国から和田グループの参加者を募集して新尺さんと共に参加することにしており、現在、保存会事務局の方で和田グループの受け入れ人員や参加要領などのガイドラインを検討していただいており、詳細が決定次第、Wa☆Daフォトギャラリーに掲示して募集したい。 |
保存会事務局によると、現時点では、全国から無制限に希望者を受け入れるのは難しいとのことで、今年も和田グループだけが部外から参加できるという。そのため、申込みは早い者順とし、定員オーバーになったときは補欠(キャンセル待ち)も設けたい。今年は二連泊して密着取材し、Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念の感動大作として発表する予定にしているので、ご期待頂きたい! |
天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神拝殿(静岡県磐田市) 2009.9.26. 23:00
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