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2010年7月31日改訂

今 日

昨 日

♪「我は海の子」「海」メドレー'

褌のドドンと波の夏禊  北舟
 

Summer purification of oincloth, the shock of the wave.

2000年7月16日開設

二段波の襲来!

拡大写真(2300X1400)511KB

二段波の襲来!/九十九里浜釣ヶ崎海岸(千葉県長生郡一宮町)
2010年の日記   7月
  6月 7月 8月

目次


 
2010年7月31日(土)曇
 
 
■■■     日本祭百景【下巻】 完成! ■■■
 
   本日、今年第20作(通算第429作)目の作品をアップした。

                      日本の祭り第141集 日本祭百景【下巻】

                                                      制作 : 和田義男
 
 

長き夜や褌腰蓑鬼踊   北舟

 

A long autumnal night, Ogre Dance wearing a loincloth with a straw apron.

2010年7月31日制作

天下の奇祭「鬼踊り」

拡大写真(2000X1500)562KB

 

日本祭百景【下巻】

  天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神(静岡県磐田市)
 
 

和田義男

編集後記

 【中巻】の完成から10日後の7月31日(土)、【下巻】が完成し、遂に「日本祭百景」三部作が完成したが、22日もかかってしまった。
 下巻編集中の7月24日(土)、Wa☆Daフォトギャラリー・トップページのアクセスカウンターがうなぎ登りに増え、いつもは1日1万件程度だったのが、何と3.5倍の35,000件丁度のアクセスを記録した。原因は、スイスで発生した氷河特急脱線転覆事故のため、「スイス夏の旅〈前編〉」が、たった1日で17,867件のアクセス数を記録したためだということが分かった。
 今日の朝刊によると原因はスピードの出し過ぎだったようで安全運転をすれば事故は防げるので、また、氷河特急の観光は増えていくことだろう。この事件で、新聞、テレビから写真使用の要請やテレビ出演の打診があり、半日ほど忙殺されたので編集が滞ったが、【下巻】は無事9頁の大作で完結した。

 
 その結果、「日本祭百景」三部作に収録した祭は111件(うち裸祭69件)となり、22頁ベスト・ショット902(大780+小122)枚、和田北舟の英訳写真俳句206句の感動巨編となった。百景と銘打って始めた企画だったが、10年間の取材のお陰で、100を越える祭を収録できたので、満足行く内容になったのが嬉しい。
 
 この作品を完成させるため、これまでに取材した全ての祭を振り返ることができた。初期の作品に稚拙なものもみられるが、それなりに全力投球をしていることがよく分かる。そのときの最善の写真を掲載し、現地で使われている祭り用語を駆使して簡明直裁に説明しており、作品に対する態度は、10年後の今と変わらない。最初から密着取材のコンセプトが内在していることに意を強くした。これからも初心を大切にし、日本全国の伝統の祭りを発掘し、記録保存する旅を続けてゆきたい。誰もやっていないことをやるのは、本当に痛快で、好きなことを好きなだけやる道楽の道を極めたい。 〈 完 〉 2010.7.31 和田義男

★☆★彡

Wa☆Daフォトギャラリー10周年 記念作品  第4弾!

感動巨編!日本の祭り第141集 日本祭百景【下巻】

撮影・制作 : 和田義男

   平成22年(2010)7月31日 作品:第20作  画像:(大295+小71) 頁数:9  祭数(9-12月):33うち裸祭22 俳句:63
       日本祭百景【上・中・下巻】 画像:(大779+小122) 頁数:22  祭数(1-12月):111うち裸祭69 俳句:205

  平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:429 頁数:1,642 ファイル数:58,679 ファイル容量:8,541MB

 

 
2010年7月25日(日)晴
 
 

■■■ スイス・氷河特急脱線転覆事故でアクセス急増! ■■■
 
  ▼ 昨日7月24日(土)、Wa☆Daフォトギャラリー・トップページのアクセスカウンターがうなぎ登りに増え、いつもは1日1万件程度だったのが、何と3.5倍の35,000件丁度のアクセスを記録した。原因は、スイスで発生した氷河特急脱線転覆事故のためだと判明した。  

1日のアクセス件数35,000件!/トップページ 2010.7.24

1日のアクセス件数35,000件!/トップページ 2010.7.24

 
 7月23日(金)正午(日本時間午後7時ころ)スイス南部ツェルマットから東部サンモリッツに向かっていた6両編成の観光列車「氷河特急」がフィーシュで後部3両が脱線・転覆し、日本人乗客1人が死亡し、日本人28人を含む40人が負傷、うち日本人2人が重体という大惨事が発生し、讀賣新聞は7月24日(土)夕刊でトップニュースとして伝えた。
▼ 筆者が平成18年(2006)7月9日(日)に乗った氷河特急は、サンモリッツからツェルマット行きで、この方が人気があり、客車14輌の前後に電気機関車が付く編成なので、もしこちらが脱線していたら、更に大惨事になっていたと想像される。氷河特急は時速30km程度の低速で走る世界一のろい特急として知られており、高速走行ならともかく低速で脱線するとは信じられず、原因究明が待たれるが、単線ではあるが、スイス鉄道の動脈なので、運行は間もなく開始されるという。

Google「氷河特急」検索で上位に表示された「スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急)」

Google「氷河特急」検索で上位に表示された「スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急)」

 
▲ 7月24日(土)朝のテレビなどで速報を見た視聴者らがGoogleなどで「氷河特急」を検索し、上位に表示された「スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急) http://wadaphoto.jp/kikou/suis12.htm 」をクリックした結果、アクセスが殺到したものと考えられる。
▼ 普段は1日アクセス90件ほどで、約4年間のアクセスが44,557件だった「スイス夏の旅〈前編〉」は、たった1日で17,867件のアクセス数を記録。〈後編〉も2,382件のアクセスがあるなど、普段の1万件に2万5千件が加わり、この日のWa☆Daフォトギャラリーのトータルアクセスは3万5千件にのぼった。本日7月25日(日)も余震が続いており、「スイス夏の旅〈前編〉」は、正午過ぎで既に1,470件のアクセスがあった。

1日のアクセス件数17,867件!/スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急) 2010.7.24

1日のアクセス件数17,867件!/スイス夏の旅〈前編〉(氷河特急) 2010.7.24

 
 平成20年(2008)1月8日(火)の夕方、「岩手県奥州市作成の黒石寺(こくせきじ)蘇民祭(そみんさい)のポスターが女性に対するセクハラに当たるとの理由でJR東日本が駅構内に掲示することを拒否した」旨のテレビ報道から始まった「蘇民祭セクハラポスター事件」は、新聞や週刊誌などが次々に話題に取り上げて全国報道したことから、黒石寺蘇民祭は、一躍全国に知られることになったが、この騒ぎで、「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」 http://wadaphoto.jp/maturi/kisai_2.htm と「黒石寺蘇民祭」  http://wadaphoto.jp/maturi/somin1.htm  が「2ちゃんねる」にリンクされたためにアクセスが集中し、3日間ほどWa☆
Daフォトギャラリーが麻痺するという被害を受けた。
 「日本三大奇祭・黒石寺蘇民祭」は、1月8日の一日だけで16,693件のアクセスがあった。普段は50〜200件/日くらいなので、1日に100日分のアクセスが集中したことになる。また、「黒石寺蘇民祭」 の方もその日に2,322件のアクセスがあり、いつもの約10倍を記録した。この間の事情は「Wa☆Daフォトギャラリー」アクセス殺到でパンク状態!に詳しい。
 その結果、他のサイトへの接続ができないという事態に陥り、サーバー管理者の判断でWa☆Daフォトギャラリーにアクセス制限がかけられ、3日間麻痺するという被害を受けた。前回は1万9千件の付加だったが、今回は2万5千件の付加となり、事態は更に深刻化した筈だが、接続は正常で、麻痺することはなかった。
 その理由は、先日、当サイトが利用しているWADAXのレンタル・サーバーが高性能のものにリプレースされ、これだけ付加が増えても渋滞することなく、アクセスできたからだと考えられる。料金も変わらず、年間40ギガの容量が160ギガまでOKとなり、快適な環境となったが、その性能がこれほどまでに進歩しているとは嬉しい驚きだった。
 また、24日(土)夕刻には、讀賣新聞から「氷河特急の特集を翌日25日(日)朝刊に載せる予定にしており、Wa☆Daフォトギャラリーの写真を使わせて欲しい」との要請があり無償で協力することにしてメールをやりとりし、沖本陽子さんの「目指せ!ヘルンリ・ヒュッテ」の氷河特急の新型車両(事故のあった車輌と同型)の写真が掲載される予定となったが最終的にこの企画は採用されず、残念ながら、今日の朝刊に氷河特急の特集は掲載されなかった。

 
2010年7月21日(水)晴
 
 
■■■     日本祭百景【中巻】 完成! ■■■
 
   本日、今年第19作(通算第428作)目の作品をアップした。

                      日本の祭り第140集 日本祭百景【中巻】

                                                      制作 : 和田義男
 
 

夏川を紅蓮に染むる流舟   北舟

 

The drifting boat dying the summer river crimson red.

2008年11月27日制作

火焔をはく竜頭舟

拡大写真(2000x1350)397KB

火焔をはく竜頭舟/北上川(岩手県盛岡市)
 
 

和田義男

編集後記

 【上巻】の完成から6日後の7月21日(水)、日本祭百景【中巻】が完成した。東京は、長い梅雨空からやっと解放され、7月17日(土)に梅雨明け宣言があったが、喜んだのも束の間で、それ以来、連日猛暑が続き、早くも汗だくの通勤が始まった。
 今年は長雨に悩まされたが、逆に考えれば、天からの雨水の贈り物のお陰で清らかで美しい日本の緑の光景が保たれた。中東やアフリカの人々が苦しむ干ばつや砂漠化の恐れのない日本では、農作物が順調に育っている。何と有り難いことか。
 編集作業は、ルーティン・ワーク化し、順調に進んでいるが、かなりの労力で、目が霞むことがあり、休憩を取りながら進めている。

 
 【中巻】を終えて【上巻】【中巻】を通しで再点検してみると、【上巻】は祭ひとつ当たりの写真掲載数が少ないことに気が付いた。第9頁・文月(7月)上の「博多祗園山笠」から枚数が俄然多くなっている。葉月(8月)は夏祭が多く、12の祭に3頁を費やしており、特に、第12頁・葉月中はたった2つの祭しか掲載していない。12の夏祭を2頁に集約しようかとも考えたが、捨てがたい写真が数多くあり、枚数制限のないWa☆Daフォトギャラリーであることに甘えて、そのままにした。そういうわけで、総集編といいながら夏祭はかなり詳しく、夏場に入った今の季節にピッタリの内容なので、ごゆるりとお楽しみ頂きたい。
 
 10年も経過すると、早い段階の作品は、見劣りがする。小さな写真が多く、手直しをしたり、英訳のない写真俳句を翻訳したりと、かなり手がかかった。長谷川町子さんの「サザエさん」でもそうだが、初期の絵は下手だが、そのまま出版され続けている。私もそれに習って、手入れは最小限にした。10年の進歩の跡をそのまま残すのも面白いのではなかろうか。
 
 初めがあれば終わりがある。いよいよ【下巻】の編集に入ることになるがここで一休みして英気を養ってから作業に入りたい。愛読者の皆様には誠に申し訳ないが、今しばらくお待ち願いたい。  和田義男 2010.7.21

★☆★彡

Wa☆Daフォトギャラリー10周年 記念作品  第4弾!

感動巨編!日本の祭り第140集 日本祭百景【中巻】

撮影・制作 : 和田義男

    平成22年(2010)7月15日 作品:第19作  画像:(大261+小38) 頁数:7  祭数(5-8月):30うち裸祭15俳句:72
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:428 頁数:1,633 ファイル数:58,515 ファイル容量:8,530MB

 

 
2010年7月17日(土)晴
 
 
■■■ 江戸時代の褌 ■■■
 
   
▼ 喜田川守貞(きたがわ・もりさだ)が著した守貞謾稿(もりさだまんこう)江戸時代の風俗や事物を説明した百科事典で天保8年(1837)に起稿され、30年間に全35巻(「前集」30巻、「後集」5巻)が刊行された。1600点にも及ぶ付図と詳細な解説によって、近世風俗史の基本文献として名高い。
 
 守貞謾稿を紐解くと、江戸時代に使われていた六尺褌、越中褌、畚(もっこ)褌の図解が載っている。六尺褌は、長大約六尺(約180cm)と表示され、両端を縫ってほぐれないようにしている。この長さだと、前袋式に締めるのには短く、殆どの江戸っ子が前垂れ式で締めていたことがわかる。背面の図も掲載されており締め方と止め方は現在の相撲まわしと同じだが、端を折り返して止めており、褌を外すときに先端を引っ張ればさらりと解けるように工夫されている。
 六尺褌と越中褌の前垂れを三角に処理する図があり、「褌の余りを三角に折って挟む」と解説されている。前垂れが長すぎると、作業するのに邪魔になるためこのように処理することで前垂れが股に絡まずすっきりとする。浮世絵(錦絵)の文献に登場する写真左側の頬被りをした男性の絵は、旅人たちと共に描かれていたので、駕篭舁(かごかき)か馬子と思われるが、赤褌の前垂れを三角に処理している。
  三角折りの褌

褌の解説/守貞謾稿

 
▼ 写真下は、安藤広重の有名な作品で、虎の門外京極家の藩邸内にあった金比羅大権現に寒参りして帰途に着く二人づれを描いたもの。寒の入りから節分までの30日間の寒行は、他季の平易な修行より功徳に優るという仏教の教えからブームとなった。江戸時代には、年季奉公の職人の弟子たちが技能向上を願って夜間、褌一丁で長提灯を持ち、鈴を鳴らしながら不動尊や金比羅大権現に参拝する光景がみられた。この二人の職人たちは、守貞謾稿に解説された三角折りの褌をしている。このように処理することで、粋に見えたのかも知れない。
しかし、北斎漫画に描かれた褌は、前垂れ式六尺褌が殆どで、三角に処理した褌はまったく描かれていない。
▲ 畚(もっこ)褌は、土などを運ぶ畚に似ていることからその名があり、前垂れのない越中褌ということで、更に布を倹約できる。守貞謾稿には、越中褌の下に解説図だけが書き込まれているが、畚褌に間違いない。江戸っ子が愛用したのは六尺褌が圧倒的に多く、次いで越中褌、畚褌となる。越中褌は、激しい運動をすると緩んでくるので労働には不向きで、老人や僧侶、神職、按摩、曲芸師などに使われていた。畚褌は更に少なく、歌舞伎役者などに使用例が見られる。
「名所江戸百景」虎の門外あふひ坂/廣重画

「名所江戸百景」虎の門外あふひ坂/廣重画 

拡大写真(1080x1600)464KB
▼ 北斎漫画十一編には、素人相撲が描かれているが、前垂れ式六尺褌と前袋式六尺褌の二人が相撲を取っている。前袋式六尺褌は、六尺よりも長いので、自分の身体に合わせて反物から切り出す必要がある。守貞謾稿の六尺褌は、代表例であり、六尺褌にもバリエーションがある。

素人相撲/北斎漫画十一編(部分)

素人相撲/北斎漫画十一編(部分)

 
 守貞謾稿に描かれた越中褌は、図が悪く長さが足りない。実際は六尺褌の半分の三尺(90-100cm)ほどで、三尺褌とも呼ばれている。現在のように紐を固定せず、布の一端を袋縫いにして、紐を通す方式である。これだと、使っているうちにどちらかに偏ったり、束ねられてしまったりして使い勝手が悪いように思われるが、この方式が一般的だったようである。
当時、ベストセラーとなった北斎漫画の十二編には、この方式の越中褌を着用した老人の絵が掲載されている。越中褌に紐が通された状態が正確に描かれており、北斎の観察眼に感心する。
 今から400年ほど前の慶長時代(1596〜1615)に出現したといわれる越中褌が広く普及するようになったのはズボンをはくようになった明治以降だといわれている。越中褌は、倹約のために越中守(えっちゅうのかみ)が発明したという説があるが、守貞謾稿には、大坂の越中という芸妓が客に贈り物としたのが始まりと記されている。

葛飾北斎が描いた越中褌/北斎漫画十二編(部分)

葛飾北斎が描いた越中褌/北斎漫画十二編(部分)

 
▼ 写真下は、北斎漫画十二編に描かれている海浜風景で、釣り針が頭に引っかかった子供のそばで、鰻を捕っている男性が描かれているが、臀部にあるべき褌がない。北斎が描き忘れたとも思えない。月代(さかやき)を剃っているので、成人男性であることは間違いなく、貧しくて褌を買えなかったものと推測される。
 江戸時代の布は高価で、庶民にとって褌は貴重品だった。延宝元年(1673)に越後屋が江戸で開業し、布を切り売りするまでは呉服屋は晒(さらし)を一反単位でしか売らなかった。六尺褌なら一反から6本作れるため裏長屋の住人たちは6人で金を出し合って買っていたという。
褌をしていない男性/北斎漫画十二編(部分)

褌をしていない男性/北斎漫画十二編(部分)

 
▼ 下の戯画は、國芳が丁稚奉公の小僧を描いたもの。十歳前後で店に入り、元服するまでの数年間が丁稚小僧時代で、店では子供衆(こどもし)や小僧と呼ばれ、店内の雑用に使われた。商家は明六つ(あけむつ)(午前6時ころ)に店を開けたので、眠い目をこすりながら早起きの小僧が起きて身支度をしているが、子供なので褌はしていない。
「教訓善悪小僧揃」ねぞうのいゝ小僧 早起きする小僧/國芳戯画(部分)

「教訓善悪小僧揃」ねぞうのいゝ小僧 早起きする小僧/國芳戯画(部分)

拡大写真(1600x1050)484KB
▼ 江戸後期に活躍した鍬形寫ヨ(くわがた・けいさい)(1764-1824)は、浮世絵師北尾重政の門人で、津山藩松平家のお抱え絵師となった異色の経歴を持つ。彼が当時の銭湯を描いたのが下の絵である。江戸中期以前は、銭湯は蒸し風呂で、男性は湯褌(ゆふんどし)をして入浴していたが、後期になると、浴槽に浸かるようになり、現在と同じように全裸で入浴するようになった。貧乏で褌を買えない人は別として、銭湯は、男性が唯一褌を解く場所となった。ちなみに、当時、銭湯は、江戸では湯屋(ゆうや)、関西では風呂屋と呼ばれていた。
 番台の周辺が脱衣場で、洗い場との仕切りはない。奥の人がくぐって出入りしているところが石榴口(ざくろぐち)で、湯気が逃げないように低くなっており、その奥に湯舟があって身体を温めた。右奥は、湯汲場で湯汲(ゆくみ)が客に上がり湯を与えている。客は手前の水槽の水で湯をうめ、適温にして身体を洗った。今のように腰掛けがなく、床に坐って洗っているが、洗い桶(留桶)の上に座っている人もいる。洗い場の床は板間なので滑りやすく、転んで尻餅をついている姿が描かれている絵もある。
近世職人尽絵詞/寫ヨ(部分)
番台 石榴口 湯汲  

近世職人尽絵詞/寫ヨ(部分)

拡大写真(1600x800)285KB

 褌は貴重品で買えない人もいるくらいなので、銭湯の脱衣場に置いていた褌を盗まれることも度々で用心深い人は監視のできない石榴口の奥に入るときには、手拭いで褌を頭の上に縛りつけて湯舟につかった。旅の最中に行き倒れると、褌から先に略奪されたという。

 古くなった褌でも古着屋に売ることができ、染め直して再利用されたり、仕立物に利用された。褌のレンタル店もあった。また、新品の褌は肌触りが悪いので、無料で高僧に使ってもらい、ほどよい具合になったときに、回収して洗い張りし、販売されることもあったという。江戸時代は古着全盛の時代なので、人の肌着でも洗い張りすれば、受け入れられた。
 和歌山県和歌山市で発見された6世紀初めの井辺八幡山古墳(いんべはちまんやまこふん)から出土した埴輪(はにわ)の中に褌をした人物埴輪があり、日本人の褌の歴史は古墳時代に遡る。褌を着用した埴輪は日本国内で7例あり、いずれも裸体に褌をしたものだという。高温多湿の日本ならではの褌埴輪である。
 褌の素材は、古くは麻布だったが、江戸期になると木綿が用いられるようになった。上層階級や通人は、縮緬(ちりめん)や緞子(どんす)、綸子(りんす)、繻子(しゅす)などを用いた。殆ど六尺褌で、江戸・明治期を通じてハンダコは存在しない。これだけ長い歴史を有する褌を捨て去るのはとても惜しいことである。筆者が褌に日本人のアイデンティティ(日本人らしさ)を感じるのは、先祖から受け継いだDNAのせいではないだろうか。 2010.7.17 (7.22 改訂) 和田義男

 
2010年7月16日(金)晴
 
 

■■■ Wa☆Daフォトギャラリー満10歳の誕生日! ■■■
 
  ▼ 本日、Wa☆Daフォトギャラリーは、満10歳の誕生日を迎えた。黒石寺蘇民祭のセクハラポスター事件などで、アクセスが集中し、ダウンロードできなくなるトラブルなどがあったが、サイトを一度たりとも閉鎖することなく、良くこゝまでやってこれたものだと、感無量である。ご支援、ご鞭撻を賜った多くの方々に衷心より御礼申し上げたい。  

満10歳の誕生日を迎えたトップページ 2010.7.16. 9:7:42

満10歳の誕生日を迎えたトップページ 2010.7.16. 9:7:42

 
 Wa☆Daフォトギャラリーは、10年前の平成12年(2000)7月16日(日)、無料のレンタルサーバーにフランス編12枚をアップロードして産声をあげた。そのときの抱負が4日後の7月20日(木)の海の日に書かれた 巻頭言に残されている。

初々しい抱負が書かれた巻頭言

初々しい抱負が書かれた巻頭言

原寸大の写真(980X1164)340KB


 10年前私は広島で単身赴任中であり2年の構想期間を経て誰もやっていない 《利用可能な大画面の海外写真と詳細な解説》 というコンセプトにたどり着きこのサイトを立ち上げた。その15年前熊本在任中、中一の長男がパソコンをやりたいと言い出し、当時高校が導入していたNECの 9800-VM 21(キューハチ)機を購入したが、ディスプレーとプリンターを加えると100万円以上もする高価なものだった。私を含め普通のサラリーマンではこんな高価なおもちゃを買うことはできなかったのだが、当時売り出されたNTT株の抽選に当たり定額貯金を担保に郵便局から融資を受けて1株約120万円で購入し、直ぐに300万円で売り抜けるという幸運に恵まれた。今日あるのはNTTのお陰である。(^^;
 ということで、筆者は10年前に既に15年のパソコン歴があり、現在、パソコン歴25年という超ヘビーユーザーである。新機種が出るたびに、次々に買い換えてきたので、これまでの投資額はうん百万円になる。長男に触発された親父がパソコン道?にはまり、常に最先端を走ってきたお陰で、早い段階でホームページをスタートさせることができた。本当はこの2年前にホームページを開設できたのだが、誰もやっていないものにしたいと思い悩み、「これだ!」と思い立つまでに2年かかったのである。
 当時は、通信回線がダイヤルアップ接続という劣悪な環境でファイルサイズが大きいとダウンロードに時間と費用がかかるので、他のサイトは(現在も似たようなものだが)小さな画像しかアップしていなかった。私のような大きな写真をアップしているサイトは皆無と言っても良く、如何に私の構想が大胆で無謀なものであったかが分かる。
 現在は、ADSL接続を経て光回線になり、ハイビジョン動画さえ快適にダウンロードできるので、私の高精細画像などはゴミみたいに軽々とやりとりできる環境となった。巻頭言には「2日間で160件のアクセスがあり予想外の反響に驚いている」とあるが、IT時代の幕開けとともに、10年後に累計1400万アクセスを超え、1日1万アクセスを誇る質・量ともに日本一のフォトギャラリーになるとは思ってもみなかったことである。ましてやGoogleで「フォトギャラリー」を検索すると、キャノンやニコンという著明なカメラメーカーのプロが運営するフォトギャラリーを押さえて1個人の道楽のサイトであるWa☆Daフォトギャラリーがトップに表示される人気サイトになるとは、誰も予想しなかったことである。
 最初の構想から夢はどんどんと広がり、「ロマンと感動!世界の旅の写真館」のキャッチコピーを得て大きく発展し、感動写真集の仲間たちのお力添えを得て、47ヵ国の旅の写真紀行集、427作品・1,626頁・高精細画像15,126枚を発表することができた。残念ながら、英語版は、大変な労力がかかることが分かり、早い段階で断念したが、かろうじて北舟の写真俳句集「海の風景」1,314句に英訳を付けることで、こだわりを残している。
 また、世界の旅を続けて行くうちに日本人の素晴らしいアイデンティティ(日本人らしさ)に目覚め、日本古来の祭り、とりわけ高温多湿の気候風土に育まれた裸褌文化が息づく裸祭りの魅力に取り付かれた。プロを含めて誰もやっていない分野だけにやり甲斐があり、親譲りの祭り好きのDNAのお陰で、撮影するだけでなく参加する喜びにも目覚めた。密着取材という手法を取り入れ、舞台裏までカバーする作品は他に例がなく、現在、この分野でも日本一、いや世界一のサイトになったと自負している。昨日アップした「日本祭百景」は、まだ三分の一の【上巻】だが、10年間、日本全国を旅して夢中でシャッターを切ってきた筆者と感動写真集同人たちによる138作品の総括であり、これだけの業績を残した情熱と行動力に我ながら驚きさえ覚える。遊び人として好きだからこそできることで、仕事で頼まれてやるのであれば、ここまで熱中して出来なかったことだろう。
 今日は花金でもあり、感動写真集同人の丹下誠司さんのお誘いを受け身近な方々と誕生日を祝うことにしている。思うこと書きたいことはまだまだあるが気力・体力・財力の続く限り、日本の心と伝統文化を愛し、ロマンと感動を求める国際人として、また、デジタル写真家として、これからも世界を撮す遊び人に徹し、世界中を旅して新しい出会いと素晴らしいシャッターチャンスを楽しみながら道楽の道を極めてゆきたい。 2010.7.16 和田義男

 
2010年7月15日(木)曇
 
 
■■■     日本祭百景【上巻】 完成! ■■■
 
   本日、今年第18作(通算第427作)目の作品をアップした。

                      日本の祭り第139集 日本祭百景【上巻】

                                                      制作 : 和田義男
 
 

 

加賀鳶のはだか纏の出初かな   北舟

 
 

New Year ceremony of fire brigades
with naked matoi holders of Kagatobi firemen.

2010年7月15日制作

ずらり並んだ褌一丁の纏持

拡大写真(1600x1250)446KB

  日本裸祭百景【上巻】

ずらり並んだ褌一丁の纏持/金沢市消防出初式(金沢城公園 )

 
 

和田義男

編集後記

 Wa☆Daフォトギャラリー満10歳の誕生日を明日に控えた7月15日(木)、日本祭百景【上巻】が完成した。私の当初の予定では、本日までに日本祭百景を完成する予定だったので、その計画が如何に無謀なものであったかは、編集を始めて間もなく思い知った。
 まだ、三分の一しか完成していないが、既に48件の祭りがあり、236枚もの写真を収録した。膨大な作業量で、これをご覧になる方も大変である。(^^;
百景といいながら既にその半分近くになり、百を超えるのは間違いないが、「百=多い」ということで、このタイトルのままとした。
 最初にこのスタイルにたどり着くまでに試行錯誤し、手間取ったが、ひな形が完成すれば、後は写真を選び、解説を要約するだけなので、順調に推移し、本日、一段落した。

 
 【上巻】をご覧頂ければ、冬は裸祭りのシーズンであることが良く分かる。寒いときに裸になって祭礼を執り行う風習は、日本以外には見当たらない。高温多湿の日本で催行される神道や仏教の祭祀では、神仏の前に出る前に精進潔斎するという風習が培われ、何事にも清廉潔白で身綺麗にしておく価値観が育まれたものであろう。江戸時代から続くこの裸褌文化は、今日でも日本全国で継承されている素晴らしい文化であり、これからも変質させることなく、次代に伝えてゆかなければならない。微力ながらその一助になれば幸甚である。
 
 まだ夏祭りを主体にした【中巻】と秋から冬にかけての【下巻】が残されているが、進路が決まれば作業は楽で、忘れかけていた傑作と感動の出会いをしながら続ける作業は、10年の節目としてやり遂げる意義は十分にあり、更に集中して編集に打ち込みたい。 和田義男 2010.7.15

★☆★彡

Wa☆Daフォトギャラリー10周年 記念作品  第4弾!

感動巨編!日本の祭り第139集 日本祭百景【上巻】

撮影・制作 : 和田義男

    平成22年(2010)7月15日 作品:第18作  画像:(大223+小13) 頁数:6  祭数:48件うち裸祭32件(1〜4月)
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:427 頁数:1,626 ファイル数:58,317 ファイル容量:8,518MB

 

 
2010年7月9日(金)曇
 
 

■■■ 北斎が描いた江戸の裸褌文化 ■■■
 
   
▼ 「長身六尺(180cm)の江戸っ子で90歳まで生きた有名な浮世絵師は?」と問われれば、誰でも葛飾北斎(宝暦10年-嘉永2年/1760-1849)と答えるだろう。頑固一徹な奇人・変人として知られ、改名癖があって春朗、宗理、北斎、画狂人、為一など30ものペンネームを次々に取り換え、生涯に93回も転居した放浪癖は異常ともいえ、老境には各地を旅して廻ったという健脚の持ち主であった。
 

冨嶽三十六景 凱風快晴(通称:赤富士)/為一(北斎)筆

 

葛飾北斎 天保10年(1839年)
79歳(数え年80歳)の頃の自画像

冨嶽三十六景 凱風快晴(通称:赤富士)/為一(北斎)筆 葛飾北斎 天保10年(1839年)79歳(数え年80歳)の頃の自画像

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▲▼ 為一と称した晩年の代表作「冨嶽三十六景(ふがく・さんじゅうろっけい)」の「 凱風快晴」(通称:赤富士)や「神奈川沖浪裏」は、誰もが目にした名作で、筆者の大好きな作品である。「冨嶽」は富士山を指し、各地から望む富士山の景観を描いたもので、文政6年(1823)頃より作成が始まり、天保2〜4年(1831-1833)頃に刊行されたといわれている。発表当時の北斎は72歳で晩年期に入っており、西洋画法を取り入れて遠近法が活用されていることや、当時流行していた「ベロ藍」ことプルシャンブルーを用いて摺ったことも特色としてあげられている。
 当時、浮世絵の風景画は「名所絵」と呼ばれており、このシリーズの商業的成功により、名所絵が役者絵や美人画と並ぶジャンルとして確立したといわれる。
「冨嶽三十六景」神奈川沖浪裏/為一(北斎)筆 

「冨嶽三十六景」神奈川沖浪裏/為一(北斎)筆 

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▲▼ 浮世絵(錦絵)の構図や色彩感覚は、写真撮影のアングルや色調を決める際にとても役立つため、時間があれば鑑賞しているが、特に北斎が描いた絵には、頻繁に裸褌姿が登場する。そこには高温多湿の気候風土に育まれた江戸時代の庶民の暮らしや社会風俗が赤裸々に描かれており、当時の裸褌文化を知る上でとても貴重と思われるので、紙芝居風ふんどし談義として以下に紹介したい。
富本丸船中/画狂人北斎画
富本丸船中/画狂人北斎画

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▲ 北斎は壮年期より摺物(すりもの)の名手として知られていたが、最も多く佳作を出したのが上のような横長判摺物だったという。画狂人北斎のサインのある「富本丸船中」には、屋形船の上で棹を操る船頭や船方が描かれており、両名とも前垂れ式六尺褌を締めている。定番の赤褌(あかふん)で、「板子(いたご)一枚下は地獄」という過酷な環境で働く船乗りたちにとって赤は魔除けの色として大事にされた。
 現在の外航航路に就航する大型商船に当たる千石船は、江戸時代の物流を担う花形産業だが、船頭(船長)や水主(かこ)たちは緋縮緬*(ひちりめん)の褌を締めていた。箱館の町を拓いた高田屋嘉兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の「菜の花の沖」には、嘉兵衛はじめ、非縮緬の褌を粋に締めた海の男たちの活躍が詳しく描かれている。水泳の際に着用する水褌(すいこん)も赤褌が多いのはそのためである。   *【緋縮緬】絹を平織りにして緋(赤)色に染めた高級織物
「冨嶽三十六景」御厩川岸 両國橋夕陽見/為一(北斎)筆 

「冨嶽三十六景」御厩川岸 両國橋夕陽見/為一(北斎)筆 

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▲ 「冨嶽三十六景」御厩(おうまや)川岸 両國橋夕陽見は、隅田川の渡しのうち、現在の厩橋(うまやばし)付近にあった渡し舟を描いている。渡し舟には按摩や物売り、武士、長い竿を持った鳥刺しなど、様々な人々が乗り合っている。両國橋の彼方には既にシルエットになった夕暮れどきの富士山が見える。

 川岸に江戸幕府の「浅草御米蔵」があり、その北側に厩(うまや)があったのでこの名がついた。元禄3年(1690)に渡しとして定められ、渡し船8艘、船頭14人、番人4人がいたという記録が残る。渡賃は1人2文で武士は無料。明治7年(1874年)の厩橋架橋に伴い廃止された。両国橋の上流・南本所石原町から浅草三好町に向かって一丁櫓(いっちょうろ)を漕ぐ船頭は着物を着ているが、尻端折り(しりはしょり)しているので青色の六尺褌が見えている。船方(ふなかた)・馬方(うまかた)・土方(どかた)(天下の三方(さんかた))と呼ばれた屋外労働のひとつである船方は必ずしも赤褌とは限らなかったようだ。舟を支える水の深い藍色はとても美しく、北斎自慢の色使いである。

「千絵の海」 絹川はちふせ/為一(北斎)筆 

「千絵の海」 絹川はちふせ/為一(北斎)筆 

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▲ 上の絵は、「千絵の海」シリーズの「絹川はちふせ」である。波立つ水面には働く男たちが描かれているが、岸には一人の男がノンビリと珍しい漁撈(ぎょろう)の様子を眺めており、彼方には馬子(まご)の姿も見えて、長閑(のどか)な雰囲気が良く描かれている。「はちふせ」とは鉢伏のことらしく、竹籠をかぶせて魚を捕獲する原始的な漁法のようである。全員諸肌脱ぎになった漁師たちは、着物が濡れないよう尻端折りをしているため、六尺褌が見えている。白ものだけでなく青ものなどもあり北斎は丁寧に色づけしている。

北斎漫画 四編 浮腹巻(左)

 

北斎漫画 四編 浮腹巻(右)

北斎漫画 四編 浮腹巻(左) 北斎漫画 四編 浮腹巻(右)

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▲ 北斎の絵で特に参考になるのが、江戸の百科事典ともいえる絵手本(デッサン集)の「北斎漫画」である。初編の序文によると、文化9年(1812)の秋、名古屋の後援者で門人の牧墨僊(まきぼくせん)(1775〜1824)宅に半年ほど逗留して300余りの下絵を描いた。これをまとめ文化11年(1814)、北斎55歳のとき、名古屋の版元永楽屋東四郎(永楽堂)から初編が発行され、好評を博した。その後明治11年(1878)までに全十五編が発行された。人物、風俗、動植物、妖怪変化までありとあらゆるもの約4,000図が描かれている。国内でベストセラーになっただけでなく、輸出陶器の梱包材に使われたことがきっかけでフランスの銅版画家に見出され、ヨーロッパのジャポニズムの火付役になったというエピソードも残されている。
 四編の見開きの頁に描かれている水泳の図は、まさに裸褌姿そのもので、「浮腹巻(うきはらまき)」と説明書きがあり、当時既に浮き輪や浮き袋があった様子が描かれている。子供たちはフリチンで泳いでいる。大人たちは、前袋式六尺褌いわゆる水褌を締めている人が多いが、中には越中褌か畚(もっこ)褌の人もいる。左頁には、瓶の中から海中の様子を眺めている姿が描かれており、北斎の空想が入っている。その下に、裃に水褌の男性が描かれているが、身分の高い人は裃をしたまま泳ぐのだろうか。多分、北斎独特のユーモアだと思われる。

北斎漫画 三編 相撲(左)

 

北斎漫画 三編 相撲(右)

北斎漫画 三編 相撲(左) 北斎漫画 三編 相撲(右)

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▲ 北斎漫画・三編には大相撲の絵が描かれており、躍動する力士たちの取組の様子がリアルに活写されている。相撲の衣装は、下着の褌が進化した相撲褌(すもうふんどし)(まわし)で、これも水泳同様、裸褌文化の最たるものである。力士たちが相撲褌に下がりをつけているのは現在の大相撲と変わらないが下がりは褌の前垂れで相撲の邪魔にならないように短くなっている。

北斎が春朗時代(安永8年-寛政6年/1779-1794)に描いた相撲絵

出羽海金蔵 鬼面山谷五郎

高嵜市十郎 渦ヶ渕勘太夫

千田川吉五郎 高根山与一右ェ門

出羽海金蔵 鬼面山谷五郎 高嵜市十郎 渦ヶ渕勘太夫 千田川吉五郎 高根山与一右ェ門

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▲ ちなみに、北斎は20〜34歳(安永8年-寛政6年/1779-1794)まで春朗(はるろう)というペンネームで錦絵を描いていたが、この頃の相撲絵が上図である。まだ若い修業時代の作品だが、力士の表情や姿形(すがたかたち)をリアルに描いており、下がりが相撲褌(まわし)の前垂れであることが分かる。まわしは現在のように厚手のものではなく、後ろ立褌(たてみつ)(Tバック)が臀部に食い込んでいて見えない状態である。

北斎漫画 三編 豊年踊り(左)

 

北斎漫画 三編 豊年踊り(右)

北斎漫画 三編 豊年踊り(左) 北斎漫画 三編 豊年踊り(右)

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▲▼ 北斎漫画・三編に登場する豊年踊りの絵は相撲褌と同じような下がりをつけた褌の男が自由奔放に踊る姿を多角的に描いており、名作に数えられている。着物の欠点は、動き回る際に裾が邪魔になることで、男たちは裾端折り(すそはしょり)や尻端折り(尻からげ)をしてその欠点を正した。そのため着物の下に隠れていた褌があらわになるがこれが男の粋として女性たちの関心を買い、必要ないときでも尻をからげて歩く人がいたという。

北斎漫画 三編 豊年踊り/拡大図

北斎漫画 三編 豊年踊り/拡大図

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▼ 下の図は、北斎漫画・九編に収録されている肥満男性の裸褌姿で、士卒ノ英氣養圖(しそつノえいきをやしなふづ)というタイトルが付されている。士卒は兵士(武士)のことなので、たまには下男や下女のやる仕事をして英気を養っている武士ということなのだろうか。生活が豊かで食糧事情が良ければ、大相撲の力士でなくとも食べ過ぎて肥満になる男性がいたのだろう。高温多湿の夏場を過ごす江戸庶民の日常の様子がリアルに描かれている。

北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(左)

 

北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(右)

北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(左) 北斎漫画 九編 士卒ノ英氣養圖(右)

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▼ 下図は、六編に描かれている棒術の絵である。尻端折りをしているのはこれまでと変わらないが、後ろ立褌(たてみつ)(Tバック)と前垂れの両方が描かれている。着物の柄は丹念に描き分けられているが、男たちの前垂れ式六尺褌は、いずれも白の一色である。これまでの絵に比べて、変化が少なく、同じようなポーズがあり、北斎にしては凡庸な絵に見える。

北斎漫画 六編 棒術(左)

 

北斎漫画 六編 棒術(右)

北斎漫画 六編 棒術(左) 北斎漫画 六編 棒術(右)

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▼ 下図は、北斎漫画・八編に描かれた無禮講(ぶれいこう)で、広辞苑によれば、貴賤・上下の差別なく礼儀を捨てて催す酒宴をいう。越中褌や畚(もっこ)褌に烏帽子(えぼし)というへんてこなスタイルの裸男たちが色々なポーズを取っているが、彼らは曲芸師たちで、余興として演じているものなのだろう。
 越中褌は、武士や江戸っ子たちにはあまり見られないが、筆者の調査では僧侶、神職、按摩、曲芸師など、特殊な集団に愛用者が多い。勿論、武士や町人にも越中褌を愛用している人はいたが、多くはない。越中褌は三尺褌とも呼ばれ、布が六尺褌の半分で済むことから、貧乏人や倹約のために推奨されたという。横褌(よこみつ)が細紐なので緩みやすく活動的でないため、帰宅してくつろぐときに着用し、漁撈や土木作業などの労働の場では六尺褌に締め替えていた。

北斎漫画 八編 無禮講(左)

 

北斎漫画 八編 無禮講(右)

北斎漫画 八編 無禮講(左) 北斎漫画 八編 無禮講(右)

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▼ 三編には農作業の図が掲載されている。労働の場の男性は、殆どが尻端折りをしている。そうでなければ丈の短い野良着を着ているので、下半身が露出していて涼しい。女性たちは、暑い屋外の作業でも、姉さんかぶりをする位で、着物を着て、裾を垂らしている。女性たちの身体は、汗疹(あせも)だらけだったのではないだろうか。
 当時、男性は、公道でも褌一丁で闊歩できる有り難い裸文化を享受していた。「夕涼みよくぞ男に生まれけり」は、宝井其角の詠んだ川柳である。褌一丁の裸の男たちが縁台で涼んでいる姿を詠んだもので、高温多湿の日本の夏は、こうするしか凌げなかったのだろう。エアコンの効いた快適な空間でこの原稿を書いていて思うことは、現代の日本ではエアコンや冷蔵庫、テレビといった文明の利器が普及し、江戸時代の殿様も味わえない素晴らしい環境の下で快適に暮らすことができ、世界一の長寿を誇る国となった。本当に有り難いご時世になったものだと思う。

北斎漫画 三編 農作業(左)

 

北斎漫画 三編 農作業(右)

北斎漫画 三編 農作業(左) 北斎漫画 三編 農作業(右)

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▼ 白黒ばかりだったので、最後はカラー刷りで〆よう。この絵は、「下手の鞠(へたのまり)と称する鳥羽絵(とばえ)である。鳥羽絵は浮世絵(錦絵)の一種であるが、江戸時代に描かれた略画体で漫画チックな戯画(ぎが/ざれが)である。北斎は、早くから戯画にも興味を持っていたようで面白い作品を残している。通常、鳥羽絵は、細身で長身の人物が描かれ、今日の漫画文化の先駆けともいわれているが、江戸でブームとなった頃、北斎もそれを真似た絵を描いて楽しんでいたのだろう。
 蹴鞠(けまり)皮靴で革製の鞠を蹴上げて地面に落とさないようにする公家(くげ)の遊びだったが、武家や町人へと普及した。「アリアリハ いゝが追つかけ おん廻ハし 尻ひつからげ 立向ふ 下手の鞠」 と説明書きがあるが、この二句は、柳樽(やなぎだる)にある川柳(せんりゅう)狂句で、「アリヤアリヤ」は鞠を蹴るときの掛け声。この絵は、熊さん八つあんが蹴鞠の真似をして遊んでいるところで、鞠が八つあんの頭に当たってしまったところを滑稽に描いている。両名とも尻ひつからげて尻を端折って)立ち向かっているので、赤褌が見えている。
下手の鞠(鳥羽絵)/北斎筆 

下手の鞠(鳥羽絵)/北斎筆 

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 筆者は、北斎漫画全十五編を全て調査してみたところ、当時の男性は、士農工商の階層を問わず、六尺褌、越中褌、畚(もっこ)褌のいずれかを着用しており、ハンダコ(半股引/パンツ)姿は見られなかった。また、浮世絵(錦絵)も数多くチェックしたが、ハンダコ姿は見当たらなかった。
 ハンダコは、大正時代に発明された下着であり、江戸・明治期の日本男性の下着は褌だけだったことは、北斎漫画や浮世絵を見ればよく分かる。昨今のテレビ局の低俗な時代劇には、しばしばハンダコ姿の武士や町人たちが登場する。賭場開帳のシーンでも渡世人たちはハンダコ姿で、褌をしているのを見たことがない。あり得ないシーンを平気で放映するディレクターのレベルの低さを嘆いているところであるが、NHKの大河ドラマやしっかりした映画監督による時代劇では、時代考証がきちっとなされていて、男性は必ず褌姿で登場する。当たり前のことを喜ぶのは、腹立たしいことだが、低俗粗悪な時代劇があふれて、日本伝統の裸褌文化をないがしろにしているテレビ局に断固抗議すると共に、一刻も早く低俗時代劇が淘汰されていくことを期待したい。〈 完 〉 2010.7.9 和田義男

 
2010年7月8日(木)雨
 
 

■■■ トップページに全研本社の広告スペース設置! ■■■
 
  ▼ 6月下旬から7月上旬にかけて、東京都西新宿にある全研本社(株)の北川さんとメールをやりとりし、新しいビジネス・モデルである広告スペースの貸し出し契約を交わし、先日、トップページの末尾に次の広告を設置した。  
ここは全研本社メディアネットワーク部が管理している広告枠であり、クリックすると新たな窓が現れます。
クリーニング 格安しわ たるみ加圧 町田エイジングケアダイヤモンドシライシ 評判
宅配クリーニング 東京リフトアップ エステ美顔器 超音波乾燥肌 美容液加圧 川崎
電子ブレーカービューティー加圧乾燥肌 コスメ整体 学校結婚指輪 銀座加圧 横浜
加圧 神奈川フェイシャル 麻布制服 クリーニング乾燥肌 スキンケアエステ 広尾
エステサロン フェイシャルマキフジタ保湿 対策宅配クリーニング 神奈川門司 ホテル

 ※リンク先の内容に関する責任は全て広告主に帰属します。

 
 一件の広告につき定額の広告費が入るので、これまでのアフィリエート広告のようにクリック件数や成約件数によって報酬額が決まるものとは違い、クリックしてもしなくても一件につき一月に決まった額の広告代金が入る。担当の北川さんから顧客名とURLが送られてくれば、枠の中にリンクを設定するだけで、面倒な作業は要らない。設定に当たっては、事前にリンク先をチェックし、いかがわしいサイトや品位の低いサイトは、私の方でリンクせずに断ることができる。「旅と写真」というコンセプトとはかけ離れた広告が多く、その効果に疑問を感じるが、相手は、有名サイトにリンクして貰うことで、ポータル(入口)サイトとして利用できるメリットがある。
 報酬額は、グーグルのサイトランキングに応じて決まっており、Wa☆Daフォトギャラリーは「ランク4」に格付けされていることからオファーしてもらったことが分かった。ランク1〜3のサイトにも広告スペースの依頼をすることがあるが、報酬はゴミのような額で、グーグル・ランク4以上でないとビジネスとして成り立たない。たったこれだけのスペースをお貸しするだけで、年間のレンタルサーバー代金を賄えるので、とても有り難いビジネスである。これも有名サイトになった反射的利益である。
 ちなみに、注意書きにあるように、Wa☆Daフォトギャラリーから宣伝先に入って、トラブルや被害を受けたとしても、その責任はあくまで広告主にあり、代理店の全研本社や広告スペースを提供しただけのWa☆Daフォトギャラリーには全く責任を負う義務はないという契約なので、安心している。今のところ、品位の落ちる広告はないので、当分続けてゆきたい。

 
2010年7月7日(水)曇
 
 

■■■ レンタルサーバーの容量が40GBから160GBにアップ! ■■■
 
  ▼ 本日、Wa☆Daフォトギャラリーが利用しているレンタルサーバーを提供するWADAXから次のメールを受け取った。  
2010年07月07日
  
  和田 義男 様
                                            WADAX
                                           info@wadax.ne.jp

        共用サーバーの容量を最大160GBに大幅増量致します!

         皆々様には益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。
   平素は格別のお引立てにあずかり誠にありがたく厚く御礼申し上げます。

 WADAXのレンタルサーバー @Next Style では、大規模DoS攻撃に対応したIPS「セコム不正侵入検知/予防サービス」の「DoS防御オプション」導入や 高性能国産アンチスパム「Active!hunter」の無償提供など、お客様の利便性を考えた機能の追加などを行ってまいりました。

 またこれまで、20GBの容量を月額1,995円で提供して参りましたが、昨今の大容量ファイルの扱いを希望頂くなどお客様から増量して欲しいといった声を多く頂いておりました。WADAXではこれにお応えするため、@Next Style 共用サーバーの全サービスの容量を、最低でも50GB、最大で160GBと、「大幅アップ」させて頂く事になりましたのでご案内致します。

             ※追加費用等は一切かかりません。
         容量アップに伴うサーバー停止等もございません。

  ★各サービスの容量アップ詳細 ━━━━━━━━━━━━━━━━

  @Next Style スタンダード

      ブロンズ  月額1,995円〜 容量50GB
      シルバー  月額2,833円〜 容量80GB
      ゴールド  月額3,833円〜 容量120GB
      プラチナ  月額4,637円〜 容量160GB (以下略)

優良レンタル・サーバーを安価で提供するWADAXのトップページ  2007.5.

優良レンタル・サーバーを安価で提供するWADAXのトップページ

 
 Wa☆Daフォトギャラリーは、10年前、無料のレンタルサーバーを利用してスタートしたが、品質が悪く、夜のゴールデン時間帯になると、混雑のため殆どアクセスできなくなることが分かり、アメリカにある優良レンタルサーバーに引っ越して以来、何度かサーバーを取り換えてきた。その間、ダウンロード無制限といいながら、アクセス量が増えると、使用料が追加される零細・悪質業者の被害に会いながら終の棲家を求めて点々と引っ越しを繰り返してきたが、3年前の平成19年(2007)5月、遂にWADAX(ワダックス)という日本の中堅・優良業者に出会い、共用サーバーのスタンダードコース「プラチナ」に契約した。レンタル料は当時から月額4,637円のままで、既に3年が経過し、高品質の素晴らしいサービスに満足している。
 「2007年のお知らせ」に掲載した 徒然日記/Wa☆Daフォト、新サーバー「WADAX」に引っ越す を読むと、WADAXとの偶然のめぐり逢いに感激している様子がしたためられている。当初、サーバーの容量は、10GB(ギガバイト)だったが、同年11月には無料で容量が4倍の40GBに増量された。そして本日、またしても容量が4倍の160GBに増量されるという嬉しい知らせが届いた。(^^
 来たる7月16日にWa☆Daフォトギャラリーは10歳の誕生日を迎えるが、現在の使用量は僅かに8.5GBしかない。3年前の容量でもまだ1年は余裕があり、160GBは明らかにオーバースペックとなるので、来年5月の契約更改の際には、月額1,995円、容量50GBの「ブロンズ」に変更することにした。これでも10GBアップとなる。サポートデスクに確認したところ、プラチナもブロンズも品質の差はなく、連絡すれば先方がハードディスクの容量を変更するだけで、当方がDNSサーバーを書き換えたり、再転送などやっかいな作業は一切行わずにコース変更できるとのことだったので有り難い。
 ハードディスクの集積技術が急速に進歩し、同じ材料を使って何倍もの容量を記録することができるようになったお陰で、レンタルサーバー業者はコストをかけずに容量アップというサービスを提供して商品のさらなる競争力に磨きをかけている。そのお陰で、我々ユーザーは、使用料の値下げというボーナスをもらえることになった。科学技術の進展は、人類に幸福をもたらす。私の幸福はささやかなものであるが、来年からは、これまでの年間利用料55,650円の半額以下の23,940円を納入するだけで、丸1年間、ホームページを運営することができる。\(^o^)/

 
2010年7月6日(火)曇
 
 
■■■     「夏越の釣ヶ崎海岸禊」完成! ■■■
 
   本日、今年第17作(通算第426作)目の作品をアップした。

                      日本の裸祭り第108集「夏越の釣ヶ崎海岸禊」

                                                       撮影・制作 : 和田義男
 
 

和田義男

   
 
撮 影


2010年6月27日



OLYMPUS E-30 
 
 
12-60mm


1230万画素 1,500枚 2.6GB
 
 

 日本列島は、梅雨前線に覆われ、近年まれに見る長雨が続いている。6月28日から編集をはじめ、丸10日かかって、七夕の前日の7月6日(火)に晴れて完成したが、外は未だに梅雨が続いている。
 6月の梅雨の真っ最中に行われた海中禊だったが、幸いにも雨も降らず、雲間からこぼれてくる柔らかい光の中でのダイナミックな禊は素晴らしく、美しいシーンを多数切り取ることができた。
 曇り空とはいえ、夏の太陽の紫外線は強烈で、翌日、日焼けで肌がヒリヒリした人が多かったのではないだろうか。
 栗原宮司の陣頭指揮とアイデアには感服した。禊神事に救命講習会を取り入れるとは並みの宮司では考えが及ばないだろう。お陰で「褌講習」という特異な頁が生まれた。(^^; 地元氏子さんたちの貢献も有り難い。冬と夏の禊を通じて、参加者の禊会場へのアクセスに難があるため、栗原宮司は、来春から参加者は玉前神社に集合し参拝を済ませたあとシャトルバスに乗って神社と禊会場を往復する案を検討されている。シャトルバスが有料となったとしても、タクシーで往復することを考えれば有り難い。来春の大寒禊の取材が楽しみである。
 今回、Wa☆Daフォトギャラリーの呼びかけを知って参加した人は、直接確認しただけでも20人以上になる。確認していない人を入れれば、もっと増えることだろう。禊の案内は玉前神社のサイトで公示されているが、見る人は少なく、アクセスが多い当サイトでの広告が有効だと思われる。来春も早めに呼びかけ、更に多くの方々に太平洋の怒濤に身を晒す勇壮な禊を体験して頂きたいと思っている。

謝  辞

 正月の大寒禊に引き続き行われた九十九里浜での勇壮な禊神事にあたりましては、前回同様、栗原宮司はじめ玉前神社の皆様と道彦の宮嵜様には快く密着取材をお受けいただき、衷心より御礼申し上げます。
 お陰様で海国日本の美しい裸褌文化を存分に記録保存することが出来ました。これからもこの素晴らしい禊神事を取材してゆきたいと考えておりますので、どうか宜しくお願いします。貴社の今後益々のご発展と氏子の皆様方の弥栄(いやさか)を心より祈念しております。有り難うございました。〈 拝 〉 2010.7.6 和田義男

日本の裸祭り第108集 「夏越の釣ヶ崎海岸禊」

撮影・制作 : 和田義男

    平成22年(2010)7月5日 作品:第17作  画像:(大73+小5) 頁数:4  ファイル数:175 ファイル容量:47MB
   平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:426 頁数:1,620 ファイル数:58,158 ファイル容量:8,503MB
 
 
  褌のドドンと波の夏禊 北舟 

ふんどしの どどんとなみの なつみそぎ

Summer purification of loincloth, the shock of the wave.

編集子の選ぶ傑作

二段波の襲来!

二段波の襲来! 2/3

拡大写真(2300X1400)550KB

 

 
2010年7月2日(金)晴
 
 

■■■ Wa☆Daフォトギャラリー累計アクセス1,400万件突破! ■■■

 
   本日、17時54分48秒にWa☆Daフォトギャラリーの累計アクセスカウンターが14000064を記録した。2010年3月8日(月)に1,300万アクセスを達成してから116日目だった。この間の一日平均は、8,620件/日。1000万〜1100万は112日、1100万〜1200万は115日、1200万〜1300万は105日だった。  
 
累計アクセス1,400万件を突破したトップページ 2010.7.2

累計アクセス1,400万件を突破したトップページ 2010.7.2

 
   Wa☆Daフォトギャラリーは、今年の7月16日に開設10周年の節目を迎える。現在、その記念作品として、「500周年!西大寺会陽」、「トルコ感動の旅/上中下」、「鐵砲洲奉祝大祭」を発表した。これからも更に感動巨編を発表したい。  

 
2010年7月2日(金)晴
 
 

■■■ 見付天神裸祭「寄稿文」完成! ■■■
 
  ▼ 本日、見付天神裸祭保存会事務局(静岡県磐田市)から今年の裸祭のガイドブックに掲載する筆者と新尺俊勝さんの寄稿文が送られてきた。筆者は、昨年9月下旬に開催された見付天神裸祭(静岡県磐田市)に初めて参加し、泊まりがけで密着取材を敢行し、見付天神裸祭 を発表した。取材の後、保存会の福代陽一(ふくよ・よういち)事務局長から来年のガイドブックに寄稿文を執筆してほしいとの依頼を受け、今年5月に原稿をお送りしていたところ、本日校了となり、ガイドブック24・25頁のPDFをお送り頂いた。  

見付天神裸祭みつけてんじんはだかまつり

の寄稿文

見付天神裸祭の寄稿文

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▲ 昨年、見付天神裸祭の作品を発表すると大きな反響があったので、そのことを話題にして「感動の見付天神裸祭!」というタイトルで執筆した。新尺さんの寄稿文「見付天神裸祭に参加して」は、先ほど初めて読ませていただいたが、長年全国の裸祭に参加されてこられた方しか書けない名文で、新尺さんの哲学が披露されていてとても素晴らしく、心を打たれた。
一番觸の浜垢離/遠州灘福田浜(静岡県磐田市) 2009.9.23. 11:06

一番觸の浜垢離/遠州灘福田浜(静岡県磐田市) 2009.9.23. 11:06

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▲▼ 見付天神裸祭は、国の重要無形民俗文化財に指定されているだけあり、ロマンと感動あふれる素晴らしい裸祭で、平成22年(2010)の予定は、9月8日(水)が浜垢離、9月11日(土)・12日(日)が御大祭となっている。旧暦を基本にしているため、毎年日程がずれるので、留意する必要がある。これにあわせて「霊犬悉平太郎(れいけん・しっぺいたろう)700年祭」が行われるので、今年は節目を迎えた盛大な裸祭となる。
昨年の見付天神裸祭日程表
昨年の見付天神裸祭日程表

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資料:見付天神裸祭保存会

▲▼ 今年も全国から和田グループの参加者を募集して新尺さんと共に参加することにしており、現在、保存会事務局の方で和田グループの受け入れ人員や参加要領などのガイドラインを検討していただいており、詳細が決定次第、Wa☆Daフォトギャラリーに掲示して募集したい。
 保存会事務局によると現時点では、全国から無制限に希望者を受け入れるのは難しいとのことで、今年も和田グループだけが部外から参加できるという。そのため、申込みは早い者順とし、定員オーバーになったときは補欠(キャンセル待ち)も設けたい。今年は二連泊して密着取材し、Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念の感動大作として発表する予定にしているので、ご期待頂きたい!
天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神拝殿(静岡県磐田市) 2009.9.26. 23:00

天下の奇祭「鬼踊り」/見付天神拝殿(静岡県磐田市) 2009.9.26. 23:00

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