|
|
|
|
|
|
|
夫婦岩注連縄張り |
|
|
響灘二見夫婦岩 |
山口県下関市豊北町 |
平成17年(2005)1月2日(日) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
|
|
|
|
平成17年(2005)1月2日(日)、長門(ながと)の国、山口県下関市豊北町で、響灘(ひびきなだ)二見(ふたみ)で夫婦岩(めおといわ)注連縄張り(しめなわはり)が行われた。この行事は、160年前から毎年正月二日、豊漁と海上安全を祈り、地元二見の男たちが褌一丁の裸形になり、厳寒の日本海で身を清め、大注連縄(おおしめなわ 長さ約30m、重さ約120kg)を張り上げるもので、海に生きる男たちの勇ましさを感じさせる新春の風物詩である。 |
|
|
|
|
|
|
|
しろふどし しめはりわたる めおといわ |
White T-back loincloths, A sacred straw rope hanging across Meoto-iwa the conjugal rocks. |
|
|
|
|
拡大写真(1600x1064)302KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
ホーランエンヤ |
|
|
桂川 |
大分県豊後高田市 |
平成22年(2010)1月3日(日) |
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成22年(2010)1月3日(日)、大漁旗や日の丸、五色の紙をつけた笹竹、吹き流しなどで飾られた満船飾の宝来船(ほうらいせん)が桂川(かつらがわ)を巡行する新年恒例の裸祭り「ホーランエンヤ」が大分県豊後高田市で開かれた。 |
宝来船は、関係者を乗せ、午前11時半ころ発航し、12丁櫓(櫂)の人力で桂川の河口に向かった。直ぐに恵比須橋にさしかかったので、マストを倒し、機走に切り替えて橋の下を通過した。船からは、橋の上に向かって紅白の祝い餅が投げ上げられた。 |
祭りに使用される宝来船は、浅いところでも通れるように特別に設計した全長20m、幅5mの平底の木造和船である。市や県の補助を受けて平成13年ころに代替建造されたもので、ホーランエンヤ保存会が管理している。 |
岸辺でご祝儀を持つ人たちがいると、宝来船はその近くに寄り、裸の漕ぎ手たちが川に飛び込んで取りに行く。祝儀をもらった男たちは、迎えに来たボートで宝来船に帰還する。午後零時45分ころ、宝来船は、御玉橋(おだまばし)下流の豊後高田市役所前のメイン会場に到着。大観衆とともにフィナーレを迎えた。この会場は、若宮八幡裸祭りのメイン会場と同じ場所である。 |
|
|
|
|
|
|
|
はつはるや ほうらいせんの だいりょうき |
The New Year, Big catch flags of the Treasure Boat. |
|
|
|
|
拡大写真(1800X1350)529KB |
|
|
|
たからぶね しろふんどしの はつおよぎ |
Treasure Boat, First swimming for the year wearing white fundoshi sash. |
|
|
|
|
拡大写真(2200X1400)717KB |
|
|
|
|
|
|
|
筥崎宮玉せせり |
|
|
筥崎八幡宮 |
福岡市東区箱崎 |
平成17年(2005)1月3日(月) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
|
|
|
|
|
2005年1月3日(月)、福岡市東区箱崎(はこざき)に鎮座する筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)で玉取祭(玉せせり)が開かれた。 豊漁豊作・商売繁盛の恵比須信仰にもとづく年始の占いという側面を持つ筥崎宮の玉取祭(たまとりさい)は、500年ほど前の室町時代に始まったもので、神功皇后の三韓遠征の際に竜神が干珠(かんじゅ)と満珠(まんじゅ)を献上したという伝説によるものといわれる。 |
楼門はベニヤ板で囲われ、四角な穴が開けられた入口には神官の顔が見える。競り子たちは、最後の力を振り絞って玉を奪い合った結果、今年は陸組(おかぐみ)が神官に宝珠を手渡し、陰陽二つの宝珠がめでたくそろったところで祭りが終わった。陸組が勝ったので、今年は五穀豊穣が約束されることになった。 |
|
|
|
|
|
|
|
あらたまの みずちりはしる たませせり |
Scramble for the ball, Splash of the water in the New Year. |
|
|
|
|
拡大写真(1200x1100)377KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
鷹栖観音鬼会 |
|
|
鷹栖観音寺 |
大分県宇佐市 |
平成20年(2008)1月4日(金) |
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成20年(2008)1月4日(金)夜、大分県宇佐市の鷹栖観音寺(たかすかんのんじ)で褌(ふんどし)草鞋(わらじ)姿の男衆が駅館川(やっかんがわ)を渡り、対岸の鷹栖観音堂一帯で「どんど」を焼き、松明(たいまつ)の火の粉をまき散らす火祭り「鷹栖観音鬼会(たかすかんのん・おにえ)」が開催された。 |
楼門はベニヤ板で囲われ、四角な穴が開けられた入口には神官の顔が見える。競り子たちは、最後の力を振り絞って玉を奪い合った結果、今年は陸組(おかぐみ)が神官に宝珠を手渡し、陰陽二つの宝珠がめでたくそろったところで祭りが終わった。陸組が勝ったので、今年は五穀豊穣が約束されることになった。 |
|
|
|
|
|
|
|
はつはるや よかわにはゆる こんのしろ |
The New Year, White loincloths noticeable to the night river. |
|
|
|
|
拡大写真(1200X1600)340KB |
|
|
ひばしらに そまるびゃっこん どんどもゆ |
Dondo bonfire burning, White fundoshi loincloths being dyed by the pillar of frames. |
|
|
|
|
拡大写真(1400X1125)291KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
七日堂裸詣り |
|
|
圓蔵寺福満虚空蔵尊本堂(菊光堂/七日堂) |
福島県河沼郡柳津町 |
平成20年(2008)1月7日(月) |
撮影・制作:和田義男 |
|
|
|
|
平成20年(2008)1月7日(月)午後八時半から福島県河沼郡柳津町(かぬまぐん・やないづまち)圓蔵寺(えんぞうじ)福満虚空蔵尊(ふくまん・こくぞうそん)の本堂・菊光堂(きくこうどう)に於いて、奇祭「七日堂裸詣り(なのかどう・はだかまいり)」が行われた。 |
午後8時半丁度に一番鐘が打ち鳴らされると、下の道路で待機していた裸男たちが除雪されて滑り止めの籾殻(もみがら)が撒(ま)かれた113段の石段を裸足(はだし)で駆け上がってきた。七日堂にあがる前に手水舎(ちょうずしゃ)で冷水を浴び、身を浄める。手水鉢の柄杓(ひしゃく)などは取り外されている。寒禊をした男たちの身体からは、白い湯気がたちのぼった。
|
|
七日堂に入った裸たちは真新しい麻綱(あさづな)を奪い合い、互いに押しあいながら威勢良く鰐口登りを始めた。鰐口は、仏堂正面の軒下につるされている扁円・中空の音響具で、参詣者は、打ち綱(うちづな)を振り動かして打ち鳴らし、堂内を浄めるためのもの。 |
よじ登って行くときや滑り降りるときに、内股、すね、腹などが麻綱で擦れて、細かい擦り傷ができる。それでも元気な裸男たちは、鰐口の下の塞銭箱を踏台に果敢に綱に飛びつき、梁を目指してよじ登っていく。上まで上がるには、かなりの気力体力が要求される。あっという間に、堂内の熱気は最高潮に達した。 |
|
|
|
|
|
|
|
わにぐちに のぼるはだかの なのかかな |
Seventh day of the New Year, Naked men climbing to the wooden drum. |
|
|
次々と登る裸衆 |
|
拡大写真(1350X1800)380KB |
|
|
はつはるや しろふんどしの つなのぼり |
Early spring, Rope climbing wearing white fundoshi sash. |
|
|
綱にしがみつく子 |
|
褌の効用 |
|
|
|
拡大写真(800x1200)140KB
撮影:大阪府 T.Y. 拡大写真(930x1400)197KB
|
|
|
|
|
|
撮影:東京都 Og |
|
|
|
|
|
|
|
|
七日堂裸詣りは、正式には午王
祭(ごおうさい)といゝ、如意宝珠(にょいほうじゅ)信仰に由来している。今から千年ほど昔、この地方に疫病や不作が長く続いて人々が苦しんでいたとき、虚空蔵尊のお告げにより、美しく利口な弥生姫が只見川の底の龍宮に住む龍神から如意宝珠を借り受け、疫病等を退散させることができた。 |
数年後、1年で最も静かな1月7日の夜、龍神が宝珠を取り返しに虚空蔵堂(菊光堂)に来ると聞いた信者たちは堂内に集まり、宝珠を囲んで龍神に宝珠を渡してなるものかともみ合い、騒ぎ立てたところ、さすがの龍神も驚いて姿を消したといわれている。 |
このようにして人々は団結の力を知り、信仰の強さを悟って、お互いの心と力を合わせれば苦難や災厄を乗り切ることができるという自信を持ち、毎年、裸詣りが行われるようになったという。 |
|
|
|
|
大鰐口登り |
|
パノラマ写真(1500X1800)444KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
加賀鳶はだか放水 |
|
|
金沢城公園 |
石川県金沢市 |
平成19年(2007)1月7日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸(しんまる)広場で「平成19年金沢市消防出初式」が行われた。外気温は3℃だが、強風で体感温度は零下となっている。公式行事とあって酒は飲んでいないとのことで、寒さを我慢するのは大変なことと思うが、誰一人寒そうな表情を見せていないのはさすがだと感心する。 |
寒いときに褌一丁の裸形(らぎょう)になるのが、日本古来の男の美学である。決してやせ我慢ではなく、日頃の鍛錬の賜であり、大和撫子(やまとなでしこ)たちは、それを見て感動するのではなかったか。 |
平成13年(2001)に再建された金沢城の真新しい菱櫓(ひしやぐら)の前に一文字に並べられた筒先は、全部で49本。纏持と同じ褌一丁の加賀鳶たちが支持棒と筒先に付き、ホースをさばく人を加えると一つの放水口に3人が配置されている。 |
午前10時42分、一斉放水が開始され、消防ホースの先端から水圧5kg/cm2の真水が垂直に噴き出した。大量放水のため菱櫓は姿を消し、冷たい水が裸の男たちを容赦なく襲った。下を向いて堪え忍ぶ姿も見える。私も大量の水を浴びながら、夢中でシャッターを切り続けた。 |
|
|
|
|
|
|
|
かがとびの はだかまといの でぞめかな |
New Year ceremony of fire brigades with naked matoi holders of Kagatobi firemen. |
|
|
ずらり並んだ褌一丁の纏持 |
|
拡大写真(1600x1250)446KB |
|
|
|
びゃっこんの ほうすいてんに でぞめしき |
New Year ceremony of fire brigades, wearing white loincloth, splaying water to the sky. |
|
|
|
|
拡大写真(1600x1280)345KB |
|
|
|
|
|
|
* * * * * * |
|
江戸時代の消防組織・ |
火消 |
|
* * * * * * |
|
|
加賀鳶はだか纏 |
|
拡大(760x1200)60KB |
|
明暦3年(1657)の江戸の大火事「明暦の大火」は、死者10万人を超えるといわれ、江戸城本丸まで焼失しましたが、江戸時代を通じて幾度となく大火事が発生しており、消防は幕府にとって大きな課題でした。 |
一旦、火事が発生してしまうと、木造家屋が中心の江戸の町は延焼が早く、現代のような消防設備のない時代であったため、破壊消防という手法をとり、延焼を食い止めるために防火線上にある家屋を取り壊して鎮火を待つという消極的なものでした。この破壊工作に鳶口(とびぐち)を持った火消(ひけし)が活躍しました。 |
|
江戸の消防組織は大きく分けて「大名火消」「定火消(じょうびけし)」「町火消(まちびけし)」の3グループがありました。このうち「大名火消」は、江戸詰の大名が自藩邸の消火のために専属に抱えた火消(ひけし)のことで、守備範囲は藩の屋敷と江戸城付近でした。 |
「大名火消」で最も有名なのが、加賀百万石の「加賀鳶」で、今の東京大学のある本郷に本拠を構え、華麗で鯔背(いなせ)な装束で知られ、歌舞伎の「盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)(加賀鳶と町火消の喧嘩)」にも登場します。 |
ちなみに「定火消」は、旗本お抱えの火消のことで、火消役の下に与力(よりき)6人、同心30人、臥煙(がえん)(火消人足)100人を1組として組織されていました。全部で10組あって火消役が10人いたことから「十人火消」ともいわれます。 |
「町火消」は、町奉行大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)の命令で享保年間(1720頃)に設置された町民たちの消防組織で、全部で48組ありました。「い組」「ろ組」などいろは44組(いろは47文字のうち「へ」「ひ」「ら」以外の組)に「本組」「百組」「千組」「万組」の4組を加えて48組としました。 |
この48組をさらに1番から10番までの10グループの大組に分けて江戸町内の分担を決めていました。「町火消」で最も有名なのが「め組」。「め組」は大組では2番組に所属し、芝増上寺、神明町、芝浜松町付近が担当で、歌舞伎では「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)(め組と角力取(すもうとり)の喧嘩)」で「め組」が登場します。 |
|
|
|
|
出初式の会場では、式典が始まるまでの間、「加賀鳶木遣りくずし」が会場に流れていました。 |
1)ハアーアーエーエー
加賀の鳶だよ百万石の
纏(まとい)振るにも火柱越えて
男伊達(おとこだて)なら命をかけて
※エンヤラヤ サノヨイサヨイナ
エンヤラヤレコノセー
アレワエンヤーヤラヤー
2)ハアーエー
衿(えり)にぁ加賀の鳶出初(でぞ)あと 出初の時は
勇み裸に梯子を立てて
夢の枕にゃあら吹流し
※(繰り返し) |
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│
│ |
3)ハアーエー
加賀の華だよ 知らせの半鐘
ジャン、ジャン、ジャンと鳴りゃ纏を持ちて
梯子鳶口気合を入れて
※(繰り返し)
4)ハアーエー
木遣り音頭に三団揃え
祝い祭や百万石の
心合わせて火事場の守り
※(繰り返し) |
|
|
加賀藩では、五代藩主綱紀(つなのり)のときに江戸の防火組織が強化され、藩士の火消役のほかに92人の鳶職を雇って消防隊を編成しました。加賀藩が有名になったのは、享保3年(1718)12月3日江戸本郷弓町の大火の際幕府の定火消役の仙台兵庫の鳶と、火口(ひぐち)の先陣争いで大喧嘩になり、江戸町奉行大岡越前守らの裁きで加賀鳶が勝った事件です。 |
江戸の火事場を守っていた加賀藩では、江戸屋敷に詰めていた鳶たちが江戸末期から明治初期に流行した「江戸木遣り」を覚え、故郷の金沢に持ち帰って唄ったのが、この唄のはじまりであるといいます。 |
|
|
|
|
纏舞で景気付けるはだか放水 |
|
拡大写真(1800x1440)387KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
鬼 夜 |
|
|
玉垂宮 |
福岡県久留米市大善寺 |
平成14年(2002)1月7日(月) |
制作:和田義男 |
|
|
|
|
|
国の重要無形民族文化財で、日本三大火祭りの一つである鬼夜(おによ)が行われる玉垂宮(たまたれぐう)は、福岡県久留米市大善寺(だいぜんじ)に位置し、玉垂命(たまたれのみこと)、八幡大神(はちまんおおかみ)、住吉大神(すみよしおおかみ)の三柱(みはしら)を祀る。 |
鬼夜は、1600年もの昔から行われている火祭であり、天下泰平、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する鬼会(おにえ)神事の満願の行事である。仁徳天皇の時代(368)に藤大臣(とうのおとど 玉垂命)が勅命で賊徒の肥前国水上の桜桃沈輪(ゆずらちんりん)を闇夜に松明(たいまつ)を照らして探し出して首を取り焼却したことに由来する。 |
新年の邪気を払う追儺(ついな)の夜祭りとして知られる鬼夜は、大晦日の夜から1月7日までの鬼会神事の最終日の夜に行われる。冬の夜空を赤く染めながら繰り広げられる鬼夜は、約400名の氏子たちが褌一丁になり、巨大な松明に火を灯し、境内を引き回す勇壮な夜祭りである。 鬼夜の火にあたれば病にかからず難を逃れるといわれ、また魔祓い(まばらい)神事に用いられる鉾に付けられた鉾紙(ほこがみ)は安産、幸運のお札として珍重される。 |
|
|
|
|
|
|
|