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はじめに |
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「日本裸祭百景」は、正月から師走(12月)までの12ヵ月間に開催された裸祭69件、20頁、ベスト・ショット545(大476+小69)枚、和田北舟の英訳写真俳句143句を上・中・下の3巻に分けて収録している。 |
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下 巻 |
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このうち、【下巻】は、長月(ながつき)(9月)、神無月(かんなづき)(10月)、霜月(しもつき)(11月)、師走(しわす)(12月)の4ヵ月間に開催された裸祭22件のベスト・ショット240(大206+小34)枚を9頁にわたって収録し、和田北舟の英訳写真俳句56句と共に概要を解説した。日本の伝統が息づく美しくも勇壮な祭のロマンと感動を十分に味わって頂くと共に、祭暦(まつりごよみ)として活用して頂ければ幸いである。 |
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【註】 平成26年(2014)1月27日現在、裸祭6件のベスト・ショット27枚、北舟の英訳写真俳句
9句を追加した。 |
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【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈 画像の左クリック 〉:別窓に拡大写真を表示
タイトル「例:武州御嶽山滝行」をクリック:別窓に作品「例:武州御嶽山滝行」を表示 |
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たいようを せおいしきょうの どひょういり |
Today's sumo ring performance, carrying the sun on their backs. |
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和田乃神社奉納相撲 |
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和田乃神社 |
東京都青梅市 |
平成22年(2010)9月5日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成22年(2010)9月5日(日)、東京都青梅市日向和田(おうめし・ひなたわだ)二丁目に鎮座する和田乃神社(わだの・じんじゃ)(藤野満治ふじの・まさはる宮司 90歳)で例大祭が開催され、江戸時代から続く古式ゆかしい奉納相撲を取材した。 |
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かつての和田村時代に多摩川を挟んだ両地区で何かと争いがあったことから、和田村総鎮守であった和田明神の御神慮を仰ぐために相撲を奉納し、その勝敗により紛争を解決するようになったことが奉納相撲の始まりといわれている。 |
★☆★彡 |
奉納相撲に参加するのは、小学1年生から6年生までの男子で、全員四股名(しこな)を持っている。毎年、地元の書道家に墨書してもらった布を前垂れに縫いつけている。奉納相撲では力士の番付表が作成されて配付される。今年は、去年より10名少ない19名の力士が参加した。小結・関脇・大関の三役に昇進すると黒帯となるが、黒帯は10本用意され、相撲を卒業する6年生や強い上級生にも締めさせるそうで、今年は四番手まで黒帯を締めていた。 |
和田乃神社の奉納相撲は、神事相撲の性格が強く、古式に則った掟や装束が厳格に守られているという。他所では女子小学生も相撲を取るところがあるが、ここでは、女性は土俵に上がることは許されない。 |
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たいようの したですまうこ しろふどし |
The white string loincloth, children wrestling under the sun. |
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武州御嶽山滝行 |
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武蔵御嶽神社 |
東京都青梅市 |
平成20年(2008)9月6日(土)・7日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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しんぜんに たまぐしほうず たきぎょうじゃ |
An ascetic of the waterfall
offers a branch of a sacred tree to the gods. |
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平成20年(2008)9月6日(土)・7日(日)の両日、東京都青梅市にある標高929mの武州(ぶしゅう)御嶽山(みたけさん)山頂に鎮座する武蔵御嶽神社(むさしみたけ・じんじゃ)(宮司:金井國俊 67歳)で修業体験講座が実施された。 |
平成13年(2001)から始まったこの講座は、かつて修験者(しゅげんじゃ)(山伏)が行っていた深山幽谷での滝行(たきぎょう)などを体験し、自然と一体となって心や身体を洗い清め、日本人の持つ霊(みたま)を再生する精神修養を目指すもので、今回で18回目となる。 |
修業体験講座:武蔵御嶽神社 社務所 祭事部 〒198-0175 東京都青梅市御岳山176番地 Tel:0428-78-8500 |
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たきぎょうや しゅぬりのもんの おしのやど |
Waterfall purification, A lodge for pilgrims with a gate of dark red.
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山岳信仰で知られる御嶽(御岳)山(みたけさん)は、JR青梅線・御岳駅(みたけえき)の南西にそびえる。木曽の御嶽山(おんたけさん)などと区別するために、武蔵国の御嶽山という意味で武州御嶽山と表記する。
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御嶽駅前から西東京バスに乗ると8分ほどでケーブル下駅に着く。そこから徒歩数分で御岳登山鉄道滝本駅まで行き、ケーブルカーに乗ると6分で標高831mの御嶽山駅に着く。 |
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早朝の滝行に向かう行者たち/ |
奥宮 |
入口 05:40 |
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天狗の腰掛け杉↓ |
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あさもやの しんざんゆうこく たきみそぎ |
Waterfall purification in the morning haze of a deep mountain valley. |
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御嶽山駅から標高929mの御嶽山山頂に鎮座する武蔵御嶽神社までは、標高差100mほどの山道を30分ほど歩く必要がある。軽自動車やバイクがあるが、これらは地元民のためのもので、レンタルされておらず、また、駕篭や人力車などの観光用の輸送機関もない。 |
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御岳山駅から武蔵御嶽神社の方に南下すると、徒歩10分ほどで御師集落(おし・しゅうらく)に着く。御師(おし)は武蔵御嶽神社の社家で、神社と信者の間にたって祈祷し、御嶽講などの参拝客のために宿泊を世話する。 |
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御師は、伊勢では「おんし」と称し、祈祷師の別称であった。神社の神職は神明奉仕が勤めで、かつては信仰を広める行為ができなかったことから、御師の仕組みが生まれたという。 |
御師たちの宿坊が集まった場所が御師集落で、現在、山上に26軒、滝本付近に6軒あり、登録神職は約60名、実質的に活動している御師は約40名だという。なかでも馬場家は、甲斐武田氏の重臣馬場美濃守の流れを汲む由緒ある家柄と伝えられ、馬場家住宅は、幕末の慶応2年(1866)に建てられたものといわれ、東京都有形文化財に指定されている。今回、修業体験講座の宿舎にあてられたのは、御師の宿坊・秋山荘である。 |
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16回目となる谷川敏彦さん(53歳)の風格ある滝行
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びゃっこんの あじゃりのきはく たきみそぎ |
Ajari priest of white loincloth,
fired up in the waterfall purification. |
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御岳山は、中世より修験者(しゅげんじゃ)の行場として開かれた。修験は、奈良の吉野で役行者(えんのぎょうじゃ)を開祖とする山岳信仰を中心とした仏教の一派で、その行者を修験者や山伏などといい、山中で荒行を積み、自己研鑽に励んできた。御嶽の御師の祖先の多くは、そうした修験者であったと考えられ、江戸期になり講を組織し、一般民衆への布教活動を行い始めたといわれている。 |
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明治になると、唯一の神職家も御師として活動し、御師が神職として神社自体を運営するようになり、現在に至っている。今回の体験講座のスタッフも全員が現役の御師で、神社では神職として勤務している。 |
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最長老の |
羽場左近 |
さん(74歳)の滝行 |
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雄詰 |
の |
沼矛印 |
を結ぶ羽場さん |
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あやひろの たきにうたるる ふどししゅう |
Men of fundhoshi loincloth purifying themselves beneath the Ayahiro Fall. |
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▲▼ 土曜日の午後1時から日曜日の午後4時半まで実施される修業体験講座の内容は、滝行、山駆け、大祓行法、鎮魂などで、18歳から65歳までの健康な男女なら誰でも参加できる。参加費は15,000円で、行に必要な褌や白衣などは貸与される。 |
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真言宗高野山阿闍梨(あじゃり)の小林宗次郎さんは、法名を小林宗峰といい、東京都内でまんだらや密教研究所を主宰し、とりわけチベット仏教に造詣が深く、外国人に英語で密教を解説する国際派である。話の途中で急に英語で般若心経を唱えはじめたので、驚いてしまった。なぜ神道の修行に参加したのかお聞きすると、日本は昔から神仏習合の歴史文化があり、真言宗には垣根がないということだった。 |
武蔵御嶽神社の主催する18回の滝行のうち16回参加されている長谷川敏彦さん(53歳)は、もの静かな滝行にお人柄がにじみ出ており、端正でとても風格があった。 |
東京都国立市(くにたちし)にお住いの羽場左近(はばさこん)さん(74歳)は、5回目の参加で、参加者22名(うち女性9名)の中で最高齢者である。本来は高齢のため参加資格がないが、登山で鍛えたとても元気な方で、特別許可を得て参加した。 |
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もりのきを むねいっぱいに たきしゅぎょう |
Waterfall purification,
deep breathing of the forest air. |
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▲▼ 滝行は、初日の夕刻と翌日の早朝、いずれも深山幽谷の地・御岳山の綾広(あやひろ)の滝で行われた。太古の原始林を思わせる大自然の中での滝行は素晴らしく、心身共にリフレッシュする。夏ではあるが、清々しく、筆者も参加したい衝動に駆られるほどで、滝行を体験してみたいという方には、初心者も安心して参加できる本講座をお勧めしたい。 |
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祓戸之大神 |
に拝礼して終了 06:55 |
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重陽の烏相撲 |
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上賀茂神社 |
京都府京都市北区 |
2006年9月9日(土) |
撮影・制作:和田義男 |
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2006年9月9日(土)、京都府京都市北区に鎮座する上賀茂神社(かもがもじんじゃ)で烏相撲(からすずもう)が開催された。上賀茂神社は、正式名を賀茂別雷神社(かもわけ・いかづちじんじゃ)といい、平成6年(1994)に「古都京都の文化財」として他の寺社と共に世界文化遺産に登録された。祭神は賀茂別雷大神(かもわけ・いかづちのおおかみ)という。 |
9月9日を重陽(ちょうよう)というのは、九は陽の数で、月と日が重なるため。午前10時から上賀茂神社本殿で斎王代(さいおうだい)や相撲童子(すもうどうじ)32名ら関係者が出席し、菊花を献じて無病息災を祈願する重陽神事が斉行された。その後、午前11時頃から細殿(ほそどの)南庭で、相撲童子による烏相撲が奉納され、斎王代が上覧した。 |
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かあこおと からすなきたる みやずもう |
Sumo matches
of a Shinto ritual,
The cawing of crows
kaa-koo. |
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▲ 相撲を開始する前に、烏(からす)神事が行われた。東西の幄舎(あくしゃ)(テント小屋)から烏帽子(えぼし)・白張(はくちょう)姿の刀祢(とね)が現れ、烏(からす)のピョンピョン跳ねる動作を真似て、横飛び3回で「弓矢」「太刀」「扇・円座」を3回に分けて立砂(たてずな)に運んだ。 |
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斎王代が坐る細殿(ほそどの)の前にある一対の円錐形の立砂は、上賀茂神社の降臨山である神山(こうやま)をかたちどったもの。一種の神籬(ひもろぎ)で、神が降臨する憑代(よりしろ)である。鬼門と裏鬼門に「清めの砂」を撒(ま)くのは、この立砂の信仰が起源であるという。 |
東西の刀祢は、立砂に弓矢と太刀を立てかけ、その前に円座を置いて胡座(あぐら)をかくと、扇を持って「カア・カア・カア」(西方)、「コウ・コウ・コウ」(東方)と三々九度の烏鳴き(からすなき)をした。 |
烏を真似た横飛びや鳴き声が何ともユーモラスである。刀祢は、立砂の前で鳴き終わると、全てのアイテムを持って三々九躍(さんさんくやく)して元の幄舎(あくしゃ)に戻り、烏の神事を終えた。この烏の神事があるため、烏相撲と呼ばれるようになった。 |
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齋王代の前で烏相撲の開始 |
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たてずなや すまうどうじの しろふどし |
A pear of sand cone,
White fundoshi sash
of sumo children wrestling. |
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▲▼ 土俵の手入れの後、2年生から6年生まで、低学年から順に16組の取組が行われた。行司は祢宜方(ねぎかた)と祝方(ほうりかた)が交互に勤めた。 |
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16番取り終わったあとは、3人勝ち抜くまで勝者が居残る勝抜戦が行われた。応援にも熱が入り、大いに座が盛り上がり、数名が勝抜を達成した。 |
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勝負あった!
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しょうねんの ふぐりみえもす みやずもう |
Sumo matches
of a Shinto ritual,
A boy's pouch of skin
appears by chance. |
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注目の取組 |
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▲▼ 午前11時50分ころ、全ての取組が終了し、観客の拍手に送られて烏相撲は閉幕した。約1時間に及ぶ熱戦が終わった後、斎王代を中心に関係者と相撲童子たちとの記念撮影が行われた。 |
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最後に、相撲童子たちは、細殿のすぐ裏を流れる小川の水浴場に入り、砂と汗で汚れた身体を洗い清めた。 |
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かつて神武天皇が熊野から大和国へ侵攻する際、深く険しい山越えに迷ったとき、上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神(かもわけ・いかづちのおおかみ)の祖父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が3本足の八咫烏(やたがらす)と化(な)って先導し、無事大和に入ることができた功績により、山城国(やましろのくに)の北部一帯を賜ったが、上賀茂神社が創祀(そうし)されると、この八咫烏伝説と、稲などに不作をもたらす悪霊退治の信仰行事である相撲が習合して烏相撲という神事が生まれたといわれている。 |
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笹久保古式子供土俵入 |
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篠岡八幡大神社 |
埼玉県さいたま市岩槻区笹久保 |
平成24年(2012)9月15日(
土) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成24年(2012)9月15日(土)、埼玉県さいたま市岩槻区笹久保(いわつきく・ささくぼ)に鎮座する篠岡八幡大神社(しのおかはちまん・だいじんじゃ)(久伊豆神社馬場裕彦宮司)において、「笹久保の古式子ども土俵入り」が行われた。
「笹久保の古式子ども土俵入り」は、子供たちの健やかな成長と五穀豊穣を願って行われる土俵祭である。 |
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さいたま市岩槻区(旧岩槻市)の古式子ども相撲土俵入りは、釣上(かぎあげ)地区と笹久保(ささくぼ)地区双方が平成17年(2005)2月21日に「岩槻(いわつき)の古式土俵入り」として国の重要無形民俗文化財に指定された。笹久保地区は隔年開催で、敬老の日(9月第三月曜日)の前日に行われることになっており、2012年は前々日の9月15日(土)に行われた。 |
★☆★彡 |
今年の土俵祭(どひょうまつり)に参加する子供たちは、小学6年生以下22名で、最年少は、年中組園児の中村さとしくん(5歳)。遊馬(あそま)会長の第一声は、「みんなふんどしを締めてきたか!」だった。 |
子供たちが身につける畚褌は、赤・紫・白の三色に色分けされている。化粧廻しの色に合わせたもので、赤が子役(コヤク)の初級者(定員21名)、紫が手合(テアイ)の中級者(定員8名)、白が亀能(カメノウ)の上級者(三役)(定員3名)を表す。定員は合計32名なので、子役が10名不足している。 |
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やっこふむ こどもずもうや どひょういり |
Ceremonial entrance into the ring, the Yakko walk of
children sumo. |
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名作アニメーション(拡大写真:子役と手合の土俵入り)
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諏訪大社十五夜相撲 |
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諏訪大社上社本宮 |
長野県諏訪市 |
平成19年(2007)9月16日(日) |
撮影制作:和田義男 |
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平成19年(2007)9月16日(日)、長野県諏訪市に鎮座する諏訪大社(すわたいしゃ)上社(かみしゃ)本宮(ほんみや)で十五夜相撲が開かれた。 |
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NHKの大河ドラマ「風林火山」の舞台となっている信州(しんしゅう)諏訪地方に鎮座する諏訪大社は、信濃国一之宮(しなののくに・いちのみや)と呼ばれ、諏訪湖をはさんで、南に男神・建御名方命(たけみなかたのみこと)を祭神とする上社(かみしゃ)、北に妃神・八坂刀売命(やさかとめのみこと)を祭る下社(しもしゃ)が対座している。 |
上社には本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)があり、下社には春宮(はるみや)と秋宮(あきみや)がある。諏訪地方に分散して鎮座する二社四宮からなる巨大な諏訪大社の氏子は、6市町村にわたっている。 |
諏訪大社は、風の神、水の神、農耕の神、狩猟の神、戦の神など様々な性格を持ち、諏訪明神として人気が高く、現在では分社だけでも沖縄を除く全国46都道府県に5,000社以上あり、摂社・末社を加えると1万余社になる。 |
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さいていに いぎをただして すわずもう |
Suwa sumo wrestling,
standing in a dignified manner
at the sacred court. |
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神前の力士たち |
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▲▼ 十五夜相撲は、正確には「諏訪大社上社十五夜祭奉納相撲」という。前日の15日(土)午前10時から上社拝殿前の斎庭(ゆにわ/さいてい)で相撲踊りを奉納する神事がある。奉納相撲は、16日(日)午前9時30分から午後3時まで上社境内で執り行われる。 |
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延文元年(1356)の「諏訪大明神画詞」には、上社の神事には古くから相撲がつきものであったと記されており、現在諏訪大社で行われている十五夜相撲は、190年ほど前には行われていた記録が残っており、江戸時代に上社の辻で若者たちが相撲を取って楽しんでいたものが起源とされている。現在、地元の神宮寺区に保存会が結成され、区民全体が一体となって歴史的文化の保存に取り組んでいる。 |
相撲の攻めと守りを表す「胸たたき」は、全国に存する相撲踊りの中で、唯一諏訪大社のものだけに伝承されている仕草であるという。 |
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えんじんの すもうおどりや むねたたき |
Sumo wrestling dance
in a circle, beating their own chests. |
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全国唯一の胸を叩く「相撲踊り」 |
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▼ 午前10時から最初の取り組みである男女の幼児による子供相撲が始まった。幼児のあと、小学生男女の取り組みが行われ、1年生から6年生までが参加した。男子は男子同士、女子は女子同士で対戦する。4年生以上の高学年男子は、素肌に相撲まわしを締めて取り組むこととされている。 |
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子供相撲の取り組みは、「高学年三人抜き」、「低学年三人抜き」、「子供役相撲」の三種で、「町内対抗相撲」がないほかは青年相撲と同じプログラムが用意されていた。また、古式に則った作法も青年相撲と変わらず、事前の練習の成果が現れていた。 |
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じじばばの まえですもうこ はつらつと |
Lively children,
wrestling
in front of
the old men and women. |
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背中を取られて大ピンチ! |
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吊り出し! |
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▼ 青年相撲になると、地元の氏子青年たちが全員肌に相撲まわしを締めて相撲を奉納した。作法も大相撲で見られるような伝統に則したもので、国技にふさわしい相撲の様式美を存分に楽しむことができた。 |
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取り組みは、既に対戦相手が決まっている「青年相撲ちらし」からはじまり、「町内対抗相撲」、「青年相撲三人抜き」、「役相撲」と、バラエティ豊かな内容となっている。ただし、25人ほどの参加力士は変わらないので、一人何役もの働きをしなければならない。 |
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すわずもう てうちのあとは ぶれいこう |
Suwa sumo wrestling, uproarious
after a hand-clapping ceremony. |
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下手投げ! |
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恒例の胴上げ! |
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