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大原はだか祭り |
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九十九里浜 |
千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市) |
平成16年(2004)9月23日(木) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成16年(2004)9月23日(木)秋分の日、千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)で恒例のはだか祭りが開かれた。大原はだか祭りは、江戸時代から行われ、天保年間(1829〜)から祭りのしきたりや組織ができたという伝統ある祭りで、毎年9月23・24日の2日間にわたって行われる。 |
上半身裸の男たちによって大原地区の十社に東海・浪花の両地区から参集した合計18社の連合神輿が一斉に外房の九十九里浜の太平洋に担ぎ込まれ、揉み合う「汐ふみ」が祭りのハイライト。勇ましく、雄々しく、神輿が海の中を駆け巡り、投げ上げられる様は感動的である。 |
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波打ち際の神輿 |
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にちりんを つかみしみこし そらにまう |
The mikoshi, dancing in the sky, grabbing the sun. |
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太陽を掴んだ神輿! |
浜に還った男たちは、最後の力を振り絞って神輿を宙に投げた。何と、神輿が太陽を挟んだ!!
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玉祖神社・占手神事 |
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玉祖神社 |
山口県防府市 |
平成16年(2004)9月25日(土) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)9月25日(土)山口県防府市(ほうふし)に鎮座する玉祖神社(たまのおやじんじゃ)で占手神事(うらてのしんじ)が行われた。 |
この神事の起源は、仲哀(ちゅうあい)天皇が熊襲(くまそ)征伐のおり、神功皇后(じんぐうこうごう)とともに玉祖神社に参拝し、軍の吉凶を占わせた古式によると伝えられている。所作が相撲に似ているところから「占手相撲」ともいわれる。呪術的儀礼に富んだこの神事は、山口県の無形民俗文化財に指定されている。 |
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▲ 軍士は神に向かって石畳にひれ伏すように拝礼すると、首座から太刀を拝領し、神門の石段に置く。これは、占いに先立ち、軍士に邪心のないことを神に示すためと考えられている。 |
▼ 軍士による裸の儀式は、前段と後段に分かれる。前段は、ダンスをしているようなしぐさから、蹲踞(そんきょ)の姿勢に移行し、腰を叩く。これを三度繰り返す。 |
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▼ 後段は、腰を叩く代わりにお互いに手のひらを見せ合う。これも三度繰り返す。 手のひらを見せて占うことから占手神事(うらてのしんじ)と呼ばれるようになった。手のひらを見て、どうなっていればどうなのかは、全く分からない。生き残っているのは裸のパフォーマンスの神事だけであり、宮司に聞いても開示できる資料はないという。 |
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▼ 最後に、二人の軍士が互いの両手を掴み、とっ組み合ってから地面を叩く。 この取っ組み合いが相撲を取っているように見えることから、占手相撲とも呼ばれるようになった。 |
軍士の締める純白の褌は、時代により変遷があり、以前は生糸で織られた羽二重(はぶたえ)の褌を締めていたというが、現在は晒木綿である。internetの文献では殆どが羽二重の褌とされているが、宮司によると、篝火(かがりび)のもとではそのような光沢があるように見えるという。 |
軍士の褌は、前垂れ式六尺褌であるが、後ろが兵児帯(へこおび)の蝶々結びのように垂れている。宮司によると、昭和初期の写真では相撲まわしのような締め方だという。この独特の締め方は、占手神事保存会が考証して実践しているとのこと。 |
最後に軍使は神門前に並び、神に向かって「オー!」という鬨(とき)の声を上げる。これで占手神事が完結する。 |
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見付天神裸祭/浜垢離 |
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見付天神 |
静岡県磐田市 |
平成21年(2009)9月23日(水) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成21年(2009)9月23日(水)秋分の日、静岡県磐田市(いわたし)で見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の浜垢離(はまごり)が行われた。御大祭(ごたいさい)3日前に氏子たちの心身を清める行事が浜垢離(はまごり)で、見付天神南方約8kmの遠州灘に面する福田海岸で行われた。 |
▲▼ 午前10時過ぎから遠州灘に面する磐田市福田海岸の松原に注連縄を張り巡らした斎場(さいじょう)で「松原の神事」と呼ばれる「松原放生会祭(まつばら・ほうじょうえ・さい)」が行われた後、氏子たちは砂浜に移動し、海浜の修祓(しゅばつ)に入った。 |
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鈴木俊彦宮司による |
祝詞 |
奏上/海浜の |
修祓 |
10:45 |
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▼ 浜の神事が終わると、海の禊ぎに入った。最初は神官たちの禊ぎで、午前11時頃、西(左)から鈴木宮司、2人の禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)の4人が鉢巻・越中褌姿で並び、遠州灘に向かって柏手(かしわで)を打ち、拝礼したあと、海に入って寄せ来る波を被り、身体を清めた。 |
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続いて御輿先供係(みこしさきともがかり)が海に入って禊を行った後、黒烏帽子・白丁上下・白足袋・草鞋姿の輿役(こしやく)たちが「御輿番・地脇」の浜印を掲げて水浴。その後、待ちきれずに浜印と觸鈴(ふれすず)を持って海に走り込ん行ったのは一番觸(いちばんぶれ)(一番町いちばんちょう)の氏子たちだった。裸祭りに際しては、氏子28ヵ町は祭組(まつりぐみ)を編成し、町名とは別に独自の呼称を用いる。 |
28の祭組は、見付天神から遠い地区から順に並んだ西区・西中区・東中区・東区の4つの梯団(ていだん)に所属し、それぞれ8・4・11・5の祭組で編成され、見付天神・拝殿でフィナーレの鬼踊りが行われる堂入りは、梯団毎の順番で行われる。浜垢離もその順に添っている。 |
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大波に洗われる神職たち〜アニメーション〜 2012.09.19 10:57
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西区 |
一番觸 |
の浜垢離/四 〜アニメーション
〜 2012.09.19 |
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びゃっこんの なみにあらわる あきのこり |
The autumnal purification, white loincloths being washed by the waves. |
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▼ 見付天神裸祭で目につくのは、次代を背負う子供たちの姿が多いことである。28の祭組は、それぞれ「子供連」を編成して世話役が付きっきりで指導し、保護育成に当たっている光景が印象的である。 |
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気合いを入れてスクラム行進/玄社(西区) |
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▼ 来年、単独で輿番(こしばん)を務める東区の権現(ごんげん)は、大勢力を誇り、広いテントの直会会場に太鼓を持ち込む熱の入れようで、浜垢離の後、大勢の氏子たちが酒食を共にしながら歓談し、大いに賑わっていた。 |
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広いテントの |
直会 |
会場/ |
権現 |
(東区) |
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▼ 海から上がった後も、砂浜や松原で本祭の鬼踊りの練習を兼ねているのか、肩車をし、押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄踏んで裸練りが繰り返し行われた。写真下は、水陣の氏子たちの勇姿である。 |
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てんたかし はまのおしあい しろふどし |
The autumnal sky,
jostling with a white loincloth at a beach. |
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「祭広場」名作集 〜アニメーション〜
2012.09.19
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芝生の広場で盛り上がる裸っぽたち/ |
水陣 |
(西区) 11:50 |
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▼ 御瀧車(おんたきぐるま)の鉢巻姿の裸っぼ3人は、Wa☆Daフォトギャラリーの紹介で神奈川や大阪などからやってきた飛び入り参加者たちで、地元氏子の方々のお陰で、とても素晴らしい体験ができたと大喜びだった。左端の庄俊之さん(相模原市)は、御大祭にも参加した。これを嚆矢(こうし)として、年々部外者の参加が増え、全国に知られる裸祭りになるよう、今後とも応援させて頂きたい。 |
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写真左端は、西中区梯団長、二番觸(にばんぶれ)(二番町)の鈴木亨司さん。裸の3人の右が東中区梯団長、御瀧車の片山千代三さん、右端が保存会副事務局長で二番觸の松本直希さん、片山さんの後ろの白シャツの方が保存会事務局長の福代陽一さんである。 |
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見付天神裸祭/御大祭 |
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見付天神 |
静岡県磐田市 |
平成21年(2009)9月26日(土)・27日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成21年(2009)9月26日(土)27日(日)の両日、静岡県磐田市(いわたし)で見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)の御大祭(ごたいさい)が行われた。 |
見付天神裸祭は、8日間にわたって執り行われるが、浜垢離(はまごり)と御大祭(ごたいさい)以外は、神事が中心で、ひたすら清め祓うことに主眼が置かれており、汚れや穢れを嫌う日本の神道の特徴が良く現れている。 |
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東中区梯団御瀧車(宿町)の方々と記念撮影/御瀧車会所前 20:35
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よかいどう こしみのていだん さとまつり |
A village ritual, a large group with straw aprons on a night highway. |
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西に移動を始めた東中区梯団/福代邸前(旧東海道) 21:42
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▲▼ 各町内の渡り付けが終わると、いよいよ宵祭の見せ所である街道練りが始まった。宿町の祭組「御瀧車」は、旧東海道の見付宿場通りに繰り出し、行進を始めた。最前列は前〆(まえじめ)として隊列が崩れないようスクラムを組み、その中に練りの集団を封じ込めている。青のリストバンドが前〆であることを示す。「オイッショ、オイッショ!」の掛け声と共に行進する褌腰蓑姿の集団は、あっという間に町中を熱気に包んだ。 |
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静岡銀行前で西区と東中区の梯団同志の擦れ合い(すれ違い)があり、たった10分ほどで、盛り上がりは頂点近くに達し、既に陶酔状態の人もいる。凄(すさ)まじいばかりの熱気で、私も全身汗だくになりながら、シャッターを切り続けた。 |
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▼ 先頭の前〆は、黄色の向こう鉢巻をした屈強の男たちがスクラムを組んで行進している。白い紐の腕輪をしているのが見える。彼らは、元門車(げんもんしゃ)の氏子たちで、深夜の神輿渡御の際に、神輿に追従する裸っぽたちが乱入したり、担ぎ棒に上がったりして狼藉を働くことを防止するために、神輿の後部を〆切る特殊部隊である。 |
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〆切を先頭に姿を見せた東区梯団/福代邸(旧東海道) 22:09
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