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船橋大神宮子ども相撲 |
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船橋大神宮 |
千葉県船橋市 |
平成16年(2004)10月17日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成16年(2004)10月17日(日)、千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮で子ども相撲が奉納された。奉納相撲の主催者は、船橋大神宮奉納相撲執行委員会であるが、実質は氏子青年部。毎年10月20日の秋期例大祭に相撲が奉納されるが、平日は学校があるので、当日は大人のみとし、日曜日に子供の部が行われている。 |
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船橋大神宮の奉納相撲は、約400年前に徳川家康が鷹狩りで船橋に滞在した際、地元漁師の子供たちが相撲を取って見せたところ、大変喜んだ家康がこれを神社に奉納したことに始まるという。 |
家康の船橋御殿が廃止された後も、その広大な地所を与えられた大神宮の祭礼に相撲は欠かせない行事となった。江戸時代には行司の差し違いがあるたびに力士の応援者同士で喧嘩が起きたところから「船橋のけんか相撲」の異名がつき、関東でも屈指の草相撲として名を馳せたという。 |
船橋大神宮の奉納相撲は、戦後の混乱を脱した昭和25年(1950)に再開され、一時中断があったあと昭和54年(1979)に復活。その後四半世紀を迎え、今年は土俵を新調したとのことで、伝統の奉納相撲を幾久しく伝えていこうという意気込みが感じられた。 |
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▲ 相撲をとる子供たちは、テントでできたまわし小屋で、氏子青年会のおじさんたちにまわしを締めてもらった。まわしには「船橋大神宮氏子青年会」の表示がある。相撲クラブの子供たちは、自前のまわしを持参していた。 |
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今年の参加者は小学3年生から6年生までの139人で、その中に女子が11人いるという。女子はこのテントの左の部屋で、短パンの上からまわしを締めてもらっていた。数が多いので、ボランティアのおじさんも汗だくだった。 |
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はっけよい! |
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たいようを みいっぱいに みやずもう |
Dedicatory
sumo mach, exposing whole bodies
to the sun. |
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土俵際の上手投 / 三位決定戦 |
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▲▼ 午前中は、個人戦が行われた。3・4年の部と5・6年の部があり、女子と男子に分かれて対戦。熱戦や名勝負が繰り広げられ、次第に観客の目も真剣味を帯びてきた。 |
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昼休みになると、お母さん方による豚汁の炊き出しがあった。生徒に行き渡った後、一般にもふるまわれ、ご相伴にあずかった。空腹だったこともあり、とても美味かった。おかわりする子が沢山いた。その後、船橋大神宮奉納相撲の相撲甚句が紹介された。 |
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船橋大神宮奉納相撲 |
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ケンカ相撲の呼び名も高いヨ
ここは船橋大神宮
十月二十日の大祭に
江戸のころより伝わりし
奉納相撲の賑わいは
近郷近在の腕に覚えの若者の
力と技のせめぎ合い
心整え礼尽くし
土俵踏み締め胸あわせ
浜っ子たちの心意気 |
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まわし一本男気の
内がけ外がけよりたおし
下手差してのすくいなげ
八十二手なる決め技に
わきにわいたる境内は
実りの秋の風涼し
今年も豊年大漁の海山幸の有難さ
民の幸せ守りたる大神宮の大社
千代に八千代に栄えあれヨ
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見事な投げ技 |
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▲▼ 午後1時から団体戦が行われた。参加チームは11で、くじ引きにより組合せが決まった。チームは先鋒・次鋒・中堅・副将・大将の5人。このうち先鋒と次鋒だけは、3・4年生から出さなければならない。3〜4人しか出せないチームは、欠員は不戦敗となる。3勝した段階で勝負が決まるが、全員対戦する。 |
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午後2時から表彰式が開かれた。個人戦5・6年の部の勝者には紫の優勝旗が、団体戦の勝者には紅の優勝旗が手渡された。優勝者には優勝カップが授与されたほか、入賞者には賞状、トロフィー、メダル、副賞など、豪華な賞品が授与された。 |
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団体戦二連覇の海神小学校 |
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船橋大神宮奉納相撲 |
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船橋大神宮 |
千葉県船橋市 |
平成17年(2005)10月20日(木) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成17年(2005)10月20日(木)千葉県船橋市に鎮座する船橋大神宮で奉納相撲が行われた。午前11時、幼児によるこども相撲のあと、まわし(相撲褌)一本の選手たちが東西に勢揃いして個人戦の競技が始まった。今年の参加者は50名で、その内40名が地元自衛隊関係者。10名が部外からの参加者という。出場者名簿を見せてもらうと、木更津市から連続15回参加した人がいるほか、東京大学相撲部の名もあった。 |
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50人の力士が東西に分かれて対戦 |
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▲▼ 最初は個人戦が行われた。一番勝負、同じ者同士が続けて取り組み、二勝した方が勝つ二番勝負、三番勝ち抜き勝負と続き、勝者には賞品が授与された。 |
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三役揃踏のあと、東方と西方から代表(シード)選手が土俵に上がり、個人戦最後の大一番が行われ、強烈なはたき込みにより東方の力士が勝ち、トロフィやカップを手にした東の三役が事務局のカメラにおさまった。 |
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投げの打ちあい |
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▼ 午後1時半、今年から実施されることになった団体戦が始まった。習志野自衛隊、木更津航空補給処A、同B、海上自衛隊下総基地A、一般、駒場相撲クラブの7チーム35名が参加。一般は個別参加者が5名集まったチーム。駒場相撲クラブは東京から初めて参加した東京大学相撲部。熱戦の末、習志野自衛隊チームが団体戦を制した。 |
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こもれびの みやずもうはや よんひゃくねん |
The ritual sumo match
already passed
four hundred years
under the sun
streaming through
the leaves of trees. |
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下手投げ炸裂! |
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たこ舞神事 |
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福岡神社 |
鳥取県日野郡溝口町 |
平成16年(2004)10月17日(日) |
撮影:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)10月17日(日)、鳥取県日野郡溝口町(みぞくちちょう)に鎮座する福岡神社の例祭で蛸舞式(たこまいしき)神事が行われた。町中を日野川が流れる溝口町は日本最古の鬼伝説があり、鬼の町として知られる。 |
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蛸舞式神事は、福岡神社の祭神・速玉男命(はやたまおのみこと)が熊野灘で嵐にあって遭難した際、蛸(たこ)に助けられ、無事に吉備国(きびのくに)に上陸したという故事にちなんで行われるようになった奇祭である。 |
奇祭といわれるわけは、境内にある舞堂(まいどう)で、褌一丁の裸形(らぎょう)となった氏子たちが、藁(わら)で作った蛸を掲げ持つ男を神楽囃子(かぐらばやし)にあわせて何度も担ぎ上げ、藁の蛸の舞いを演じた後、丸梁(まるはり)に抱きついた願主(ねがいぬし)の氏子を下から大勢で回転させるという神事が行われるからである。 |
蛸舞式神事は、昭和61年(1986)に鳥取県無形民俗文化財の指定を受けた。溝口町では、この神事を日本三大奇祭の一つであるとしている。 |
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