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坂越の船祭り |
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大避神社 |
兵庫県赤穂市 |
平成16年(2004)10月10日(日) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)10月10日(日)、兵庫県赤穂市坂越(あこうし・さこし)に鎮座する大避(おおさけ)神社で船渡御祭が開催された。赤穂市を流れる千種川(ちくさがわ)の東、坂越湾に向かって建つ大避神社は、JR播州赤穂駅から東方4
kmに鎮座する。 |
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大避神社船渡御祭は、「坂越の船祭り」と呼ばれ、今から300年ほど前の江戸時代、坂越が繁栄を極めた時期に始まったといわれる。「坂越の船祭り」は平成4年(1992)国の無形民俗文化財に選定され、使用する船も兵庫県有形民族文化財に指定されている。 |
生島(いきしま)は坂越の沖合100mほどに浮かぶ周囲わずか1.6kmの小島で、古来より大避神社の神地として人の入ることが禁じられていたため、樹相が原始のままの状態を保っており、国の天然記念物に指定されている。 |
生島には大避神社の御旅所と樹林の奥に祭神・奏河勝の墓と伝えられる円墳があり、本祭の前日には墓参が行われる。生島の名は秦河勝が生きてこの地に着いたので名づけられたと伝えられる。船渡御祭は、この御旅所への船による神幸祭である。 |
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てんたかし さこしのうらの かいでんま |
The sky is high, large paddle boats
at Sakoshi beach. |
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▲▼ 若衆組が乗り組む2隻の和船は、この地に伝わる櫂伝馬と呼ばれる伝馬船(てんません)である。「かいでんま」又は「かいてんま」といい、片舷6本づつ、両舷12本の櫂(かい)を取り付けた手漕ぎ船である。 |
2隻の伝馬船は、常に併走しながら生島周辺や坂越湾を巡り、何度も何度も漕走競争に興じた。赤い法被姿が白砂青松の背景に映えて美しい。遠くから見ると赤く華やかな伝馬船は、子供たちの夢を乗せているようだ。 |
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▼ やがて若衆組は赤い法被を脱ぎ捨て、漕ぎ手全員が褌一丁の裸形になり、赤い伝馬が裸の伝馬に変わった。 |
神の鎮座する神輿に近づくには裸詣り同様、裸形でなくてはならず、船を浜に乗り付けてからでは遅いので、あらかじめ裸になって準備していたのである。 |
黄色の鉢巻をきりりと締めた二番船の裸の漕ぎ手たちが近くに見えてきた。朝から太陽の下で一日中漕いでいたので、身体には日焼けのあとがクッキリとつき、赤く晴れ上がっている人もいて、精悍さが増していた。 |
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▼ 裸の男たちは、坂越の浜に上陸すると、渡御組や大勢の観客に囲まれた砂浜で、アトラクションをはじめた。 |
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▼ 裸の若衆たちにより7枚のバタ板が海水で浄められたあと、午後3時45分、祭神・秦河勝(はたの・かわかつ) の御霊を乗せた神輿が無事にバタ板を渡り、御神輿船に移され、海上渡御が始まった。 |
バタ板を掛ける役割を終えた櫂伝馬の褌一丁の男たちは、赤い法被を羽織って配置に付き、赤の伝馬が一番船、黄色の伝馬が二番船として船団の先頭に立ち、生島御旅所まで渡御船団を曳航した。 |
渡御船団は、一番・二番が櫂伝馬、三番が獅子船、四番から八番までが頭人船、九番が楽船、十番が御神輿船、十一番が警護船、十二番が歌船となる。今年は警護船が見あたらず、全部で11隻の船団となった。 |
櫂伝馬に曳航される船渡御の櫓櫂船(ろかいぶね)が一直線に並んだ。御神輿船の前に9隻の船が先導している。楽船には「国家太平 雅音成就」の大幟が見える。雅な音曲で国家太平を実現したいとの願いなのだろう。 |
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あきのくれ でんまひきゆく とぎょせんだん |
The evening late in autumn, rowboats towing
the convoy carrying a portable shrine. |
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▼ 坂越から目と鼻の先にある生島には、大避神社の御旅所があり、大きな幟が立つ。渡御船団は、この砂浜に船を着けて上陸する。神域として人跡未踏地だった生島は、昔ながらの佇まいを今に伝える。 |
櫂伝馬の男たちは、上陸に先立ち、例によって法被を脱いで裸となった。神輿の上陸に備え、御神輿船を引き寄せ、砂浜に平行に固定したあと、7枚のバタ板を掛けた。今度は悪ふざけもなく、作業は淡々と進められた。 |
櫂伝馬の男たちは、御神輿船にバタ板を掛け終わると、海上に退避した。男たちは既に赤い法被を着込んでいる。猿田彦と二頭の獅子に続いて、神輿が生島に上陸し、頭人の付き人たちに見守られながら御旅所入っていった。中では着御祭が執り行われる。人の動きが途絶えると、生島御旅所は、深い夕闇に包まれていった。 |
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あきのうみ しまのおたびしょ くれゆきぬ |
Autumn sea, the lodging shrine on the island
darkening. |
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