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前年の4,000m級ブライトホルン登頂の成功に意を強くしたことから、再度、4,000m級の登山に挑戦することにし、平成17年(2005)7月22日(金)から7月31日(日)までの10日間、手配を郵船トラベルにお願いし、夫婦二人でスイス・アラリンホルン登頂の旅に出かけた。 |
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初日7月22日(金)は、成田発エールフランス航空AF279便でパリ・シャルルドゴール空港経由チューリッヒに飛び、そこからツアーバスでスイスのグリンデルワルトに入り、サンスター・ホテルにチェックインして4連泊した。 |
夏山路アイガーメンヒ雲の中 |
The summer mountain path,
Eiger Mönch in the clouds. |
なつやまじ あいがーめんひ くものなか |
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2日目は、グリンデルワルト(1,034m)からロープウェイでフィルスト(2,171m)まで行き、ファウルフォルンへの往復ハイキングを行った雲間からアイガー(3,970m)とメンヒ(4,099m)が見えた。 |
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3日目7月24日(日)は、ポストバスでグローセシャイデック(1,961m)まで行き、グリンデルワルトまでハイクした。 |
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カウベルのカランコロンと夏山路 |
The mountain path,
cowbells ringing clang-clang. |
かうべるの からんころんと なつやまじ |
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カウベルの風も優しき夏氷河 |
The summer glacier,
cowbells ringing with the gentle breeze. |
かうべるの かぜもやさしき なつひょうが |
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カウベルの音を聞きながら、グリンデルワルトまで歩いたが、この時期、真っ白なワタスゲの群落が見事だった。 |
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アルプスを背にワタスゲの白きかな |
White is the Cotton-sedge
backed by the Alps. |
あるぷすを せにわたすげの しろきかな |
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4日目7月25日(月)は、高度順化を目的としたユングフラウヨッホでの雪上訓練の日。登山電車を乗り継いでユングフラウヨッホまで上がり、アレッチ氷河を歩いた。 |
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ユングフラウの南東に全長24km、流域面積113.4km2、氷の厚さ900mの氷河が年に180mの速さで南東に向かって流れている。これがヨーロッパ最大・最長のアレッチ氷河で、四つの氷河が合流して大氷河を形成している。 |
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アイゼンの歩を刻みたる夏氷河 |
The summer glacier, making
steady progress by the climbing spikes. |
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あいぜんの ほをきざみたる なつひょうが |
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午後は、ユングフラウヨッホ駅からアイガーグレッチャー駅まで登山電車で下り、そこからクライネ・シャイデック駅までハイキングした。一般観光客もよく歩くお馴染みのコースである。 |
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牧草の小径下るや夏氷河 |
The summer glacier, going down
through the path in the meadow. |
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ぼくそうの こみちくだるや なつひょうが |
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5日目7月26日(火)はグリンデルワルトを後にし、専用バスでサース・フェー(1,800m)に移動し、4連泊するホテルにチェックインした後、ロープウェイでハンニック(2,350m)に行き、そこからサース・フェーまでハイキングした。 |
サース・フェーはスイス南西部、バレー州、ヴァリス・アルプス山中の村。ミシャベル連峰の麓、サース谷に位置する。4,000m級の山々と氷河に囲まれた雄大な自然景観で知られる。 |
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旅友の背平に迫る夏氷河 |
The summer glacier, rising
toward the back of traveling friends. |
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たびともの そびらにせまる なつひょうが |
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スイス最高峰のドーム(4,545m)を含む四千米クラスの山々と雄大な氷河に囲まれた美しい村は “アルプスの真珠”とも呼ばれている。山岳民族の伝統が息づく素朴な山村の雰囲気も魅力のひとつ。ミッテルアラリンやレンクフルーなど、氷河や名峰の絶景が楽しめる展望台の数々がケーブルで結ばれている。 |
ハンニック(2,350m)は、サース・フェー北西に位置するヴァリス・アルプス山中の展望地。観光拠点となるサース谷の町・サース・フェーの中心部から最も近い。山麓から展望地までゴンドラリフトが結ぶ。 |
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夏山路アラリンホルン池向ふ |
The summer mountain path,
Allalinhorn over the pond. |
なつやまじ あらりんほるん いけむこう |
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6日目7月27日(木)は、サース・フェーからポストバスでサースグルント(1,562m)まで下り、テレキャビンでクロイツボーデン(2,400m)に上り、そこからサース・グルントまでハイキングを楽しんだ。 |
クロイツボーデンの池で休憩しながら昼食を取ったが、ツアー6日目にして白銀に覆われた美しい独立峰・アラリンホルン(4,027m)の山容をじっくりと見ることができた。 |
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7日目7月28日(金)は、アラリンホルンにアタックする日だったが、翌日に延期し、ロープウェイでシュピールボーデン(2,450m)に上がり、マーモットと戯れた。そのあと、レンクフルー(2,870m)まで行って景観を楽しみ、シュピールボーデンからハイキングしながら下山した。レンクフルーからゴンドラでシュピールボーデンまで下り、ハイキングしながら下山途中、岩陰にひっそりと咲く可憐なエーデルワイスを見つけた。 |
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岩陰のエーデルワイス夏山路 |
The summer mountain path,
edelweiss behind the rock. |
いわかげの えーでるわいす なつやまじ |
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8日目7月29日(土)、遂にアラリンホルン山頂アタックの日がやってきた。気になっていた天候も晴れ渡り、絶好のアタック日和となった。 |
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早朝、ホテルを出発し、ロープウェイを乗り継いでミッテルアラリン(3,500m)まで上がった。午前8時半過ぎ、駅舎を出ると、昨日、レンクフルーから見たアラリンホルンが快晴の青空の下に静かに横たわっていた。 |
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夫婦して山頂極む夏の天 |
The summer sky, a couple
succeeded in reaching the summit. |
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ふうふして さんちょうきわむ なつのてん |
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我々一行は、ミッテルアラリン展望台でスイス人ガイドと日本人ガイドの2グループ各6人に分かれ、アイゼンを付け、ザイルを連結した。 |
1時間15分ほど歩いてアラリンホルン・コルに到着。コルから約1時間でアラリンホルンの山頂(4,027m)に着いた。ここまで登るのは、とても苦しく、山頂に立ってほっとしたと同時に「もう登らなくても良い」という嬉しさがこみ上げてきた。写真下は、我々6人を引っ張ってくれたスイス人ガイドとの記念写真。岩場の山頂はとても狭く、写真を撮るにも大変だった。 |
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アルプスを下る人影夏氷河 |
The summer glacier,
figures of men going down at the Alps. |
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あるぷすを くだるひとかげ なつひょうが |
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登頂成功の余韻のなか、天候悪化の兆しが見えてきたため、直ちに下山を開始した。 |
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雲間からアイガー(3,970m)とメンヒ(4,099m)が! 13:32 |
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拡大写真(1800x1200)124KB
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氷河と赤牛 |
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拡大写真(1600x1200)430KB |
またしても素晴らしいワタスゲの群落 11:45 |
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ヨーロッパ最大のアレッチ氷河を歩く 11:25 |
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氷河の下の牧草地を歩く 15:46 |
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ミシャベル連峰をバックに記念撮影/ハンニック |
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クロイツボーデンから見たアラリンホルン 09:20 |
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岩陰のエーデルワイス 11:20 |
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アラリンホルン山頂(4,027m)に立つ! 2005.7.29 10:48:34 |
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フェー氷河源流を横断 11:29:22 |
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平成22年(2010)2月20日(土)、岡山市東区の西大寺観音院で500周年の節目を迎えた「西大寺会陽はだかまつり」が開かれ、33,000人の観客と9,500人の裸が参加した。 |
このたび、祝主の両備グループの全面的な支援を受け、前日から岡山に入り、2泊3日の密着取材を敢行し、11頁257枚の感動巨編が完成した。 |
西大寺五百年目の會陽かな |
Saidaiji temple,
the 500th anniversary of Eyo. |
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さいだいじ ごひゃくねんめの えようかな |
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今年から飲酒による事故防止のため、全ての日程が2時間早められ、午後10時に投下された一対の宝木(しんぎ)を巡って激しい争奪戦が繰り広げられ、宝木仮受所(しんぎかりうけしょ)(岡山商工会議所西大寺支所)での山主(やまぬし)(僧侶)の検分により二組の取主(とりぬし)が福男(ふくおとこ)に認定された。 |
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その後、福男たちは宝木を携えて西大寺バスターミナルに赴き、御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受式典(ふくうけしきてん)に出席。宝木は、山主により、牛玉(ごおう)封じののち厨子(ずし)に納められ、創立100周年の節目を迎えた祝主(いわいぬし)の両備グループに引き継がれた。 |
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西大寺會陽絵巻の褌衆 |
Saidaiji temple, men of fundoshi loincloths
on a picture scroll of Eyo festival. |
さいだいじ えようえまきの ふどししゅう |
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金陵山西大寺の本堂外陣左側にある御札などを授かる窓口で本堂の拝観をお願いし、指示に従って鐘楼門(しょうろうもん)から庫裏の客殿に上がり、空中廊下を通って本堂を拝観させて頂いた。 |
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結願の千手観音會陽堂 |
Kannon the Goddess of Mercy
with one thousand arms,
finalizing desires at Eyo temple. |
けちがんの せんじゅかんのん えようどう |
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宝亀(ほうき)8年(777)には、開山の祖と仰がれる安隆(あんりゅう)上人が奈良の長谷寺(はせでら)に参籠して「備前の国・金岡に行って観音堂をあらため、つくるべし」との夢告を得たため、西国に下り、東児島槌戸の瀬戸で龍神から犀角(さいかく)(犀の角)を授かり、「犀角を埋めて堂を建立すべし」との教えに従って、四面五間の堂を建立したのが今日の西大寺であると伝えられている。 |
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このとき、寺号を「犀角を戴く寺」犀戴寺(さいだいじ)と号したが、承久の乱(1221)で後鳥羽上皇が執権北条義時への倒幕の祈願を行った際に書かれた御宸筆(ごしんぴつ)により、「西大寺」と改められ、現在に至っている。 |
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本堂内陣に御本尊の千手観音菩薩立像があった。ただし、この像は前立(まえだて)であり、本来の御本尊はこの後ろに鎮座している。前立観音よりもずっと大きく、平成7年(1995)に本堂が改修されたときに開帳されたが、次にお目にかかれるのは、33年後の平成40年(2028)だという。 |
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絵馬語る會陽の熱気五百年 |
The votive picture expressing
the enthusiasm of Festival Eyo
for five hundred years. |
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えまかたる えようのねっき ごひゃくねん |
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会陽当日の2月20日(土)午前11時、西大寺文化資料館に行った。明治10年(1877)に狩野永朝(かのうえいちょう)の描いた奉納絵馬「西大寺会陽図」(複写)の実物は、今も西大寺本堂外陣(げじん)に掲示されているが、アクリル板に覆われていてよく見えないので、資料館で展示されているものを撮影させて頂いた。 |
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白褌の子供會陽や垢離の水 |
The water of ablutions, Festival Eyo
of children wearing a white loincloth. |
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びゃっこんの こどもえようや こりのみず |
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西大寺青年会議所少年はだか祭り実行委員会が主催する「少年はだか祭り」は、昭和47年(1972)から小学生を対象に実施されており、今年で39回目となる。当初は市中行進だけだったが、昭和54年(1979)から宝筒(たからづつ)争奪戦が加えられた。 |
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褌の垢離に歓声會陽の子 |
Children of Festival Eyo,
arising cheers for the water ablutions
wearing a loincloth. |
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ふんどしの こりにかんせい えようのこ |
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小学校3年生以上の子供たちは、垢離取場で大人と同じように身体を浄める。垢離取場には吉井川の冷たい水が引かれており、キャー!キャー!と歓声を上げながら走り抜けて行った。 |
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小学校1・2年生は、垢離取場を一周せず、足を踏み入れただけで、直ぐにUターンする。裸になっただけでも寒いので、身体を水に濡らすのは過酷すぎるのだろう。 |
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宝筒押し合ひ圧し合ひ會陽の子 |
Children of Festival Eyo,
push and shove for Takarazutsu amulets. |
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たからづつ おしあいへしあい えようのこ |
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少年はだか祭りのメインイベントは、2本の宝筒争奪戦である。五福筒争奪戦のあと、既に赤鉢巻を褌に収めた宝筒争奪隊の5・6年生が入場してきた。最初は、枝宝筒(えだたからづつ)争奪戦で、紅白幕の壇上から枝宝筒が7本ほど投げられた。 |
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観衆が固唾を飲んで見守るなか、午後4時31分18秒に2本一束の宝筒が住職の手を離れて子供たちの頭上に投下され、フィナーレを迎えた。
あっという間に決着が付き、2本の宝筒とも重松龍大(しげまつりゅうだい)君(12歳 岡山市立太伯(たいはく)小学校6年生)が手にしていた。その5分後には、両手に宝筒を持ち、一升桝に山盛りになった米に突き立て、福男児(ふくだんじ)となった重松君の笑顔があった。 |
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爺孫の裸褌會陽の日 |
The day of Festival Eyo, a grandfather
and grandchildren naked with a loincloth. |
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じじまごの はだかふんどし えようのひ |
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林グループが会陽冬花火が始まる午後7時に仁王門から入場した。子供たちが前に立ってスクラム行進し、後ろに少年はだか祭りで福男児となった重松龍大君が馬に乗って続く陣容で、威風堂々の繰り込みだった。本押に入ったときに正規の順路を廻るので、この地押では垢離取場には行かなかった。 |
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先導の子供たちの中に齋藤さんの長男・龍馬君や福男児・重松君の弟の顔が見える。龍馬君は父のお下がりの褌、重松君の弟は兄・龍大君のお下がりの褌を締めているようである。 |
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午後7時に始まった会陽冬花火は、会陽冬花火実行委員会の主催によるもので、冬空に大輪の花が次々と咲き乱れ、特に吉井川に映る姿は素晴らしく、多くの観客を魅了した。
花火を見上げる人々で土手は足の踏み場もなかったが、何とか人垣の前に出してもらって撮影に成功した午後7時半頃、花火が終わった。 |
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大輪の會陽花火や吉井川 |
Yoshii River,
Eyo fireworks of gigantic flowers. |
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たいりんの えようはなびや よしいがわ |
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今回、両備グループの密着取材の支援をして頂いたのは、広報部長の山木慶子(やまきよしこ)さんで、会陽当日午後5時ころ両備西大寺バスターミナルで会陽奉賛会写真係の腕章を借り受けた。 |
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午後7時半に会陽冬花火が終わった後、バスセンターに行くと、駐車場の一角にある大きなバス整備工場にブルーシートを巡らした巨大な支度部屋の中で、職員たちが会陽褌を締め始めていた。
西大寺会陽のまわし・会陽褌は、1反10mの白晒し木綿を使うのが一般的である。これを前垂れ式六尺褌のように締め込むのだが、長いので腹巻を兼ねる横褌(よこみつ)を何重にも巻き締め、最後は後立褌(うしろたてみつ)にヒッチをかけて締め上げ、Tバック状にして結ぶ。力がいるので褌の一端を肩にかけて、背負い投げのようにギュウギュウ締め上げるので、締められる方はかなり応えるらしい。創立100周年を迎えた両備グループは、過去最高の400人が裸になった。 |
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西大寺會陽褌三十尺 |
Saidaiji temple,
the Eyo loincloth ten meters long. |
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さいだいじ えようふんどし さんじっしゃく |
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両備西大寺バスターミナルの二階が御福頂戴(ごふくちょうだい)の福受(ふくうけ)式典の会場に設定されているので、各グループは階段を駆け上がって二階を一周した後、幹部らが見送るなか、400人という大集団が次々と西大寺観音院の裸の入口・仁王門を目指して出発した。 |
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いざ行かむ観音會陽福取に |
Let's go to the Kannon Eyo Festival,
for taking good luck. |
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いざゆかん かんのんえよう ふくとりに |
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両備グループの第一陣は、福男が福受会場に向かうコースを逆走するかたちで、外気温6.1℃の中、駆け足によるスクラム行進を行い、寒さを追い払うかのように、「わっしょい!わっしょい!」の地押(じおし)の掛け声が商店街に響き渡った。
仁王門に着くと、次々に裸たちが押し寄せてラッシュ状態になっており、両備グループは鉢巻を外し、垂幕をたたんで順番を待った。これから先は、先導係が誘導するので、祝主であっても勝手な行動は許されない。
仁王門の入口では大勢の警察官が両側を固め、ものものしい警備に付いていた。これでは入れ墨をした暴力団が入り込む余地はなく、事実、この日会陽に参加した9500人の裸の中に入れ墨をした人は一人も見当たらず、官民一体となって会陽の秩序が保たれていることに感服した。 |
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初春やそこのけそこのけ裸が通る |
Early spring,
keep out keep out the nakeds going. |
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はつはるや そこのけそこのけ はだかがとおる |
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宝木(しんぎ)投下1時間前の午後9時ころ、両備グループ400人の裸の第一陣は、案内係の誘導で仁王門から境内に繰り込み、定められた順路に沿って本格的な地押(じおし)が始まった。
午後8時以降は、裸とその関係者以外は境内に入れず、観客は、南と西に設けられた観覧席から成り行きを見守っていた。企業裸たちが列を成して次々に繰り込んでくるので、境内はラッシュ状態となっており、石門をくぐって垢離を取るのは比較的簡単だったが、そのあとは、牛玉所権現まで珠数繋ぎの状態で、なかなか前に進めなかった。 |
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白褌の地押轟く會陽かな |
Eyo Festival,
shout of rounds resounding around. |
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びゃっこんの じおしとどめく えようかな |
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垢離を取った後は、本堂大床での参拝のはずだが、既に大勢の裸たちが午後10時の宝木投下に備えて場所取りをして動かないので、案内係は最初から本堂へは誘導せず、直接牛玉所権現に続く列に誘導し、参拝した。
「西大寺はだか祭」と書かれた半纏を着た先導係は、2巡目も本堂には誘導せず、牛玉所権現に向かったが、ラッシュのため、牛玉所権現もパスするというありさま。不満だが、勝手な行動が取れないので、従わざるをえなかった。 |
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わっしょいの夜空に響く會陽かな |
Eyo Festival, cries of 'Wasshoi'
sounding to the night sky. |
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わっしょいの よぞらにひびく えようかな |
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結局、両備グループは境内を2巡したあと、個別に本堂大床に上がり、流れ解散となった。大床に上がっても場所取りの裸で満杯なので、御福窓の下で参拝することは不可能な状態で、林グループが宝木投下3時間前の午後7時に入った理由が分かった。 |
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褌の駆け抜けてゆく寒の垢離 |
Midwinter ablutions, men of loincloths
running through the pool. |
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ふんどしの かけぬけてゆく かんのこり |
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宝木(しんぎ)投下30分前になっても、まだ仁王門から繰り込んで垢離取場に向かう企業裸たちが見られた。石門に立つ筆者の前を濡れ鼠状態になった裸たちが次々に通り過ぎて行った。
午後10時、一端照明が落とされたあと、明かりが灯り、本堂外陣(げじん)の御福窓(ごふくまど)から坪井全広住職による宝木の投下が行われ、大床(おおゆか)での激しい争奪戦が始まった。
宝木投下30秒後ほどで顕著な動きが見られ、大床中央から南に移動しながら崩れてゆく渦の攻防を捉えた。 |
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大床の福取に沸く會陽かな |
Festival Eyo, enthusiasm
for taking lucky charms at Ohyuka hall. |
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おおゆかの ふくとりにわく えようかな |
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裸の渦が大床から南の境内に移動したあとは、まったく動きが見えなくなった。後で参加者に聞いてみると、いつもは闇の中で宝木が投下されるが、今年は明かりがついてから投下されたために宝木が見えてしまい、直ぐに決着がついてしまったという。 |
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褌と担架で帰る會陽かな |
The Eyo Ritual, going home
with a loincloth and a stretcher. |
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ふんどしと たんかでかえる えようかな |
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勝負は早かったが、宝木が投下されるまでの本押は凄いもので、宝木が抜けた後、大床に倒れて動けなくなった裸の救護作業が続けられた。
救護を担当した日本赤十字社岡山県支部によると、20人が手当を受けたり病院に搬送されたりしたが、いずれも命に別条はなかったという。平成19年(2007)には、本押で戦後二人目の死亡事故が発生したこともあり、事故防止には万全の態勢が敷かれており、担当者たちは無事に終わったことに安堵していた。 |
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福男會陽で見せる初笑ひ |
Lucky men, showing their first smiles
for the year at Eyo Festival. |
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ふくおとこ えようでみせる はつわらい |
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宝木投下1時間後に福男に認定されたのは、寺坂グループの古屋野幹仁さん(38歳 倉敷市)、加島谷祐司さん(30歳 東区西大寺)、寺坂幸也さん(41歳 東区西大寺)の3人。続いて二組目の取主が仮受所に姿を現し、検分の結果、飯田組の田坂大地さん(34歳 東区瀬戸町)、飯田耕太郎さん(40歳 姫路市)、岡田勲さん(66歳 東区竹原)の3人が福男に認定された。
二組の福男たちは、あらかじめ決められた20人ほどの集団となり、宝木仮受所を出発し、福男凱旋パレードと記した径路を歩いて両備グループの御福頂戴(ごふくちょうだい)会場に向かった。 |
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初春や馬の凱旋福男 |
Early spring, the man of wealth
returning on the fellow's shoulders
from the victorious campaign. |
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はつはるや うまのがいせん ふくおとこ |
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両備グループの福受会場で、福男たちによる「宝木祝い込み」と呼ばれるお披露目パレードが行われた後、椅子が並べられて2組約40人の裸たちが着席すると、間もなく福受式典が始まった。最初に福男たち6名が宝木んぎ)を持って祭壇に歩み寄り、一升桝に宝木を突き立てた。続いて、坪井全広住職らが宝木を逗子に納める牛玉封じが行われ、宝木を牛玉紙に包み、更に梵字の下に「寳木」と墨書された錦の表具に納め、円筒形の厨子の中に立てられ、読経が行われた。 |
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行燈の御福頂戴會陽の日 |
The day of Eyo Festival,
'Give me good luck.' on a paper lantern. |
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あんどんの おふくちょうだい えようのひ |
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この御福頂戴の儀式を経て、五福をもたらす2本の宝木は、祝主の両備グループの所有となった。続いて、「祝主行燈(あんどん)の揮毫(きごう)」に移り、小嶋光信両備グループ代表が縦横120cm×40cmほどの行燈の一面に力強く「御福頂戴」と墨書(ぼくしょ)した。この後、代表の挨拶や来賓の祝辞があり、最後に酒樽の鏡開きが行われて祝宴に入った。 |
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二本の |
御福頂戴 |
の垂幕がかかる西大寺仁王門 |
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西大寺縁起絵巻最古の会陽図(岡山県指定重要文化財)
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御本尊 |
の |
千手観音菩薩立像 |
(前立) |
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狩野永朝 |
絵馬 西大寺会陽図 明治10年(1877) |
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褌一丁 |
で |
垢離取場 |
を駈け抜ける男児たち 16:01 |
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坪井全広住職による2本の |
宝筒 |
投下! 16:31:18 |
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吉井川 |
に映える |
会陽冬花火 |
19:27 |
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褌を締める |
両備 |
グループの職員たち 19:55 |
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両備 |
グループの先頭集団の出陣!/西大寺バスターミナル |
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次々と |
牛玉所権現 |
に繰り込む裸たち |
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本堂大床 |
の攻防! 22:00:36 |
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二組目の |
福男 |
飯田組の3人 23:07 |
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馬を組んで福受会場に凱旋する寺坂グループ 23:25
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祝主による |
行燈 |
の見事な |
揮毫 |
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石川県金沢市は一級の観光地で、中でも兼六園は大変有名な庭園である。毎年、多くの観光客が訪れ、年に数回、ライトアップが行われる。春の桜は見事だが、有名な徽軫燈籠(ことじとうろう)の秋の紅葉も素晴らしい。 |
ひっそりと徽軫燈籠冬木陰 |
All's still, Kotoji Lantern
in the shade of a winter tree. |
ひっそりと ことじとうろう ふゆこかげ |
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冬は、観光客もまばらになり、特に午後は人影が途絶えることが多いが、兼六園の醍醐味は雪景色にあり、全国の名園の中でも兼六園の冬の美しさは群を抜いているのではないかと思う。 |
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私の持論を証明しようと、冬の兼六園に何度も足を運び、撮影を続けてきた。このたび、和田フォトの「感動写真集」に発表する機会を得たので、ごゆるりとご覧いただき、私の持論が間違いでないことを知って頂ければ幸甚である。 |
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冬晴や徽軫燈籠綿帽子 |
Winter sunshine,
Kotoji Lantern capping with snow. |
ふゆばれや ことじとうろう わたぼうし |
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兼六園は金沢城公園に隣接する池泉回遊式庭園で、水戸・偕楽園と備前・後楽園と共に日本三大庭園に数えられ、昭和60年(1985)に文化財保護法による特別名勝の指定を受けている。 |
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延宝4年(1676)五代藩主前田綱紀(つなのり)が金沢城の南東側に面した傾斜地に別荘・蓮池御亭(れんちおちん)を建て、瓢池(ひさごいけ)などからなる蓮池庭(れんちてい)を造ったのが始まりという。 |
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黒松や霞ヶ池の浮寝鳥 |
Black pines, the sleeping birds
floating on the Ksasumigaike pond. |
くろまつや かすみがいけの うきねどり |
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文政5年(1822)十二代藩主斉広(なりなが)は隠居所・竹沢御殿を建て、用水を取り入れた曲水を作り、各種の石橋を架け、本格的な庭園を造った。 |
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斉広は奥州白河藩主・白河楽翁(しらかわ らくおう)に命名を依頼し、楽翁は中国宋時代の詩人・李格非(りかくひ)の書いた洛陽名園記の文から採って、宏大(こうだい)・幽邃(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古(そうこ)・水泉(すいせん)・眺望(ちょうぼう)の六勝を兼備するという意味で兼六園と命名した。 |
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雪の園唐崎松の御来光 |
The snow-covered garden,
the rising sun to Karasaki pine trees. |
ゆきのその からさきまつの ごらいこう |
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竹沢御殿建設後2年にして斉広(なりなが)が死去したため、天保8年(1837)、十三代斉泰(なりやす)は竹沢御殿を取り壊して霞ヶ池を大きく掘り広げ、今に見る雄大な庭園の骨格が完成した。 |
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兼六園北側の桜ヶ岡口から入園すると、霞ヶ池(かすみがいけ)の虹橋(にじばし)と徽軫燈籠(ことじとうろう)が目に入る。錢屋五兵衛と並ぶ豪商・木谷藤右衛門(きやとうえもん)が12代藩主斉広(なりひろ)に献上したものと伝わる。御影石でつくられた徽軫燈籠は、燈籠の足が琴の糸を支える徽軫/琴柱(ことじ)に似ていることからこの名がある。その前にかかる虹橋を琴に見立てて、兼六園のシンボルとなっている。 |
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雪吊の水面に映ゆるピエロ帽 |
The clown hats of snow sheds
being reflected by the water surface. |
ゆきつりの みずもにはゆる ぴえろぼう |
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唐崎松(からさきまつ)は、13代藩主・斉泰(なりやす)が近江八景の一つ、琵琶湖畔の唐崎松から種子を取り寄せて育てた黒松で、兼六園の中で最も枝ぶりの見事な木である。雪の重みによる枝折れを防ぐため、毎年11月1日から作業が始まる雪吊(ゆきつり)は、兼六園ならではの冬の風物詩で、他の庭園では見られない風情がある。 |
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雪吊作業は毎年「唐崎松」から始められる。園内随一の枝ぶりを誇るこの松は、高さ9mの芯柱5本が建てられ、総数約800本の藁縄で枝を吊りあげている。まるで傘を差したように見える。 |
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白壁に白雪積もり御来光 |
The rising sun to the white wall
with white snow on it. |
しらかべに しらゆきつもり ごらいこう |
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重要文化財に指定されている現在の石川門は、天明八年(1788)に再建されたもの。金沢城の搦手(裏口)でありながら、特に堅固に造ってあるのは小立野(こだつの)方面からの攻撃に備えたもので、ここが金沢城の一番の弱点で、攻撃されやすいと考えられていたからという。石川門の最大の櫓「石川櫓(いしかわやぐら)」は菱形になっており、石落しも設けられている。 |
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雪化粧した |
徽軫燈籠 |
と唐崎松の雪吊 2009.12.19 08:26 |
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冬の太陽と |
徽軫燈籠 |
2010.1.16 09:03 |
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霞ヶ池の越冬鴨 2009.12.19 08:50 |
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唐崎松 |
のご来光 2010.1.16 08:50 |
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クリスマスツリーのような |
唐崎松 |
2010.2.06 18:55 |
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冠雪の |
石川櫓 |
2010.1.16 08:20 |
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2009年8月29日(土)フランスの世界文化遺産で知られるカルカソンヌでフランス人男性エマニュエル君と日本人女性金井幸子さんの結婚式が行われた。 |
嫁ぐ日やカルカソンヌの夏小花 |
The wedding day,
small summer flowers at Carcassonne. |
とつぐひや かるかそんぬの なつこばな |
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結婚式場の町役場では、村長がお出迎え。まずは婚姻契約の重要事項を村長が説明し、エマニュエル君が日本語で幸子さんに説明しながら進み、その後婚姻契約書に本人たちがサインの上、立会人もそれぞれ2人がサインして無事終了となった。 |
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婚姻契約書は、まず最初に幸子さんが署名し、そのあと、同じ用紙の署名欄にエマニュエル君が連署した。 |
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緑陰の運河を巡る披露宴 |
A wedding celebration,
cruising a canal in the shade of trees. |
りょくいんの うんがをめぐる ひろうえん |
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結婚式に続いて、世界文化遺産のミディ運河で観覧船を借り切り、クルーズを楽しみながら船上パーティが行われた。 |
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ミディ運河 Canal du Midi は、フランスのトゥールーズでガロンヌ川から分岐し、地中海に面したトー湖に至る全長240km、支流部分も含めた総延長では360kmに及ぶ運河で、19世紀に鉄道に取って代わられるまで、大西洋と地中海とを船舶で結ぶ大量輸送ルートとして活用された。 |
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新郎新婦の司会のもと、シャンパンで乾杯し、軽食をとりながら2時間ほどのクルーズを満喫することができた。 |
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夏衣ケーキカットの日本式 |
A summer dress,
the cake cut of Japanese style. |
なつごろも けーきかっとの にほんしき |
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カルカソンヌの城砦を背景に記念撮影を行った後、カントリーサイドにあるホテル シャトー サンマルタンに併設されているレストランで夕食会が開かれた。 |
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夕食会の最後には、シュークリームのウェディングケーキがお出まし。日本らしいケーキ入刀のあとみんなにシュークリームが配られた。素晴らしい結婚式だった。 |
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式場入口で村長と共に記念写真 |
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ミディ運河で乾杯! |
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ウェディングケーキにナイフを入れる新郎新婦 |
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平成22年(2010)1月13日(水)〜15日(金)の3日間、北海道上磯郡(かみいそぐん)木古内町(きこないちょう)に鎮座する佐女川神社(さめがわじんじゃ)で「第180回寒中みそぎ祭り」が行われ、佐女川神社と木古内町観光協会の全面的な支援を受けて密着取材することができた。 |
参籠の囲炉裏を囲む四行者 |
Four ascetics confining in a shrine,
sitting around the fireplace. |
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さんろうの いろりをかこむ よんぎょうじゃ |
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天保2年(1831)から続く「寒中みそぎ」は、正に命をかけて行う神事で、毎年行修者(ぎょうしゅうしゃ)と呼ばれる4人の若者が1月13日から3日間佐女川神社本殿にこもり、極寒の中、昼夜の別なく数時間おきに水垢離(みずごり)を取り、1月15日「みそぎ浜」にてご神体を清め、1年の豊漁豊作などを祈願する。 |
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「寒中みそぎ」は、明治38年(1905)から大正12年(1923)までの間は途絶えていたが、復活してからは、その伝統を受け継いで毎年行われてきた。近年は「木古内寒中みそぎ祭り」として、町を挙げた一大行事として催行されており、今年は、第180回の記念すべき年となった。 |
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寒禊吐錠銜へし行者かな |
Midwinter ablutions,
the ascetic biting a Tojo cloth. |
かんみそぎ とじょうくわえし ぎょうじゃかな |
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勇壮なみそぎ太鼓に送られ、肌を突き刺す寒風の中、別当を先頭にみそぎ斎場へ向かう行修者たち。行修者は、ご神体を抱くに相応しい敬意と清潔を表す白い晒布(さらしぬの)の頭巾(ずきん)を被り、口には、ご神体に直接息を当てないよう、また、必死で歯を食いしばって耐え抜くため、吐錠(とじょう)と呼ばれる白い晒布をくわえている。 |
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寒中みそぎ祭は1月13日、関係者一同が佐女川神社本殿に集まり、若者4人の行修者の無事を祈願する参籠報告祭から始まり、その終了直後から厳しい「みそぎ」が開始される。 |
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行修者は、四年間で四つの役を担い、それぞれ担当するご神体を清める役を担っている。この4年間は、故郷を離れていても、祭りの日には必ず帰省しなければならない。 |
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六尺褌の四人行者や寒みそぎ |
Midwinter ablutions, the
four
ascetics wearing six feet loincloths. |
ろくしゃくの よにんぎょうじゃや かんみそぎ |
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初年度は弁財天(べざいてん)(七福神の中でただ一人女性の神。一般的に弁天様といわれる。学芸と技能の神、財福の神)を、二年目は山の神(大山津見神(おおやまづみのかみ)で大山に住むといわれ、山や樹木を司る神。開運美人の守り神)を、三年目は稲荷(宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)でお稲荷様として知られる。商工業・農業の神)を務め、お清めするご神体も役目と同じ名前のものである。 |
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最終の四年目は別当(べっとう)を務め、お清めするご神体は佐女川神社の主祭神である玉依姫命(ご利益は、海上安全・交通安全・縁結び・安産)である。別当とは「みそぎ事はじめ」に記した神社守のことであり、日頃神社を維持管理し、ご祭神をお守りする役目の者で、祭神に最も身近な存在である。 |
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寒みそぎ飛沫に凍むる白ふどし |
Midwinter ablutions, the
white |
loincloth being frozen by the splash. |
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かんみそぎ しぶきにしむる しろふどし |
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記念すべき第180回目の行修者は、左から「別当」「稲荷」「山の神」「弁財天」の役を務める4人の若者で、リーダー格の「別当」は、四年目の平野嘉栄さん(22歳 大学生)、「稲荷」は三年目の村上駿弥さん(19歳 専門学校生)、「山の神」は二年目の竹田峻輔さん(20歳 専門学校生)、「弁財天」は一年目の久保田 翔さん(17歳 高校生)である。 |
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小雪舞ふみそぎ太鼓の溌剌と |
Light snow dancing,
vivid sounds of Misogi drum. |
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こゆきまう みそぎだいこの はつらつと |
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みそぎ太鼓は、「寒中みそぎ祭」の伝承と、その神事を荘厳にするための一つとして生まれた。曲の構成は、四柱のご神体に因んで「別当」「稲荷」「山の神」「弁財天」の4章からなり、勇壮且つ繊細な響きを奏でている。メンバーの大半が小さな子どもを含む少年少女であり、幼いころから祭りに関わることから、将来の「寒中みそぎ祭」の立派な後継者に育つことが期待されている。 |
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注連縄に氷柱の下がる寒禊 |
Midwinter ablutions,
icicles hanging on a sacred straw rope. |
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しめなわに つららのさがる かんみそぎ |
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冬季に行われる「寒中みそぎ」は、いずれも大変な苦行であるが、北海道において寒が一番厳しい1月中旬の3日間、昼夜の別なく連続して行われる「みそぎ」は、正に命がけの水行である。当日も辺り一面の雪景色で、気温は−3.5℃だった。 |
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寒さのため、みそぎ用の清水を溜める木製の水槽の外側にかけられた注連縄に氷柱(ツララ)ができている。 |
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小雪が舞うなか、防寒衣を着た大勢の見物客の前で、山の神がみずから何度も頭から冷水をかぶる「みそぎ」を続けた。その間、仁王立ちの行修者は、歯を食いしばってじっとしていた。 |
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寒垢離や赤子の如き赤はだか |
Midwinter ablutions, the naked body
being red like a baby. |
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かんみそぎ とじょうくわえし ぎょうじゃかな |
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津軽海峡木古内湾に面する「みそぎ浜」で「海中みそぎ」をする三日目本番の1月15日は、北国にふさわしい雪模様となった。「海中みそぎ」はどんなに猛吹雪であっても中止されることはない。 |
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いよいよ本番当日を迎えた朝、佐女川神社本殿に関係者一同が会して厳かに出御祭(しゅつぎょさい)を行い、寒中みそぎに出発する報告と行修者の無事を祈願した。出御祭の後、白装束に身を包んだ行修者たちは、それぞれが担当するご神体を抱き、「みそぎ浜」へ向かった。みそぎ行列が佐女川神社をスタートし、町内を巡行し始めた直後は、風の強い吹雪き模様で、寒さも一段と厳しいものだった。 |
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雪下駄やみそぎ行列一文字 |
Snow geta clogs, a procession for
ablutions making a bee line together. |
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ゆきげたや みそぎぎょうれつ いちもんじ |
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かわいい町民たちがみそぎ行列を出迎えてくれた。みそぎ浜に近づくと、いつしか雪が止み、明るくなってきた。行列を先導する長老たちは、一文字笠を被り、裃(かみしも)にカバーのついた雪下駄という出で立ちである。雪国では草履より下駄の方が重宝するようだ。 |
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「みそぎ浜」に着くと、禊場には注連縄(しめなわ)が張られ、行修者が歩む砂浜には蓆(むしろ)が敷かれていた。「天祐我にあり」で、雲が切れ、青空が見えてきた。沖に目をやると、大漁旗を翻しながら航行する漁船団の姿があり、「寒中みそぎ祭」を一段と盛り上げていた。 |
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寒中の津軽海峡みそぎ浜 |
Ablution Beach, |
the Tsugaru Straits in the coldest season. |
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かんちゅうの つがるかいきょう みそぎはま |
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午前11時50分、白褌(びゃっこん)に白頭巾を被り吐錠(とじょう)の白布をくわえた行修者たちは、向かって左から「別当」「稲荷」「山の神」「弁財天」の順に御神体を抱いて「みそぎ浜」に整列した。別当は、主祭神である玉依姫命のひときわ大きな木像を抱えている。大勢の見物客が見守る中で、いよいよ祭のクライマックスである「海中みそぎ」が始まった。 |
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四人の行修者は、「えい!」と一声(ひとこえ)気合いを入れ、ご神体を抱きながら身も凍りつくほどの厳冬の海へ一斉に飛び込んでいった。 |
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四護神の海の禊や寒の中 |
Midwinter season, the ablutions
of four guardian deities at sea. |
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しごしんの うみのみそぎや かんのなか |
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四人の行修者は、「えい!」と一声(ひとこえ)気合いを入れ、ご神体を抱きながら身も凍りつくほどの厳冬の海へ一斉に飛び込んでいった。 |
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寒垢離や四人行者の褌の白 |
Winter water ablutions,
white of the loincloths of four ascetics. |
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かんごりや よにんぎょうじゃの こんのしろ |
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行修者たちは、二度沖まで泳いで往復した後、腰下くらいの深さのところで円陣を組み、その中央に御神体を浮かべると、一斉に勢いよく海水をかけて、御神体のみそぎを行った。別当は御神体のみそぎが終わると、竹竿に結んだ注連縄を受け取り、一人で沖へ泳いで行き、「これで今年のみそぎ祭を無事に納めさせていただきます。」と述べた後、沖に向かって注連縄を放ち、柏手(かしわで)を打った。別当が浜に戻ってきたところで、沖に向かって横一列に並び、御神体を前にして、全員そろって祈りを捧げた。 |
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囲炉裏の炭火で暖を取る4人の |
行修者 |
たち |
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1回目の「みそぎ」を終え本殿前へ向かう |
行修者 |
たち |
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拡大写真(1600X1063)390KB |
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拡大写真(2000X1330)452KB |
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拡大写真(800X686)113KB |
身体を真っ赤にして本殿に戻る |
別当 |
の平野嘉栄さん |
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みそぎ行列を出迎えるかわいい町民たち |
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拡大写真(2100X1500)512KB |
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拡大写真(2400X1280)282KB |
御神体を前に合掌する |
行修者 |
たち |
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★彡 日本初の写真俳句 ★彡 |
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東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。
最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^;
「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。
最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^
現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。 |
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東京 2008年8月15日(金)晴 kinuko 様より
南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。
今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。
朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。
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東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。
それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。
駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。
英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。
東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。
いつの頃からか和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。
旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;
ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。
東京 2007年1月2日 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。
しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。
東京 2005年8月15日 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。
下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。
「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。
東京 2003年8月16日 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。
世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。
神戸 2002年8月11日 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。
徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。
昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。
まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。
パノラマの神戸の港春霞
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風光る館の空に風見鶏
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Panoramic
view
of Port Kobe
in the spring haze. |
A
weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind. |
広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。
白藤や水面に鯉の浮き沈み
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草鞋揺る仁王門より遍路発つ
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Carp sink and float
to the surface
under white wisteria. |
Pilgrims
started
thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. |
稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。
正月や昆布拾いの海人ふたり |
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流氷の接岸告げる尾白鷲 |
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Two
fishermen
pick up kelp
on New Year's Day. |
A
white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast. |
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