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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪ メドレー TORNA A SURRIENTO(帰れソレントへ)

南仏の光尽きなき春の海   北舟

北イタリアと南仏の旅

Spring sea, never ending sunlight at Southern France.

2001年7月16日制作

エルキュル港の入口

撮影:小池 淳二

拡大写真(1800x1200)439KB

エルキュル港の入口(モナコ)

 







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2010年6月25日(金)

 平成22年(2010)5月1日(土)から5日(水)にかけて東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で御鎮座千百七十年奉祝大祭が開かれたので、弥生会の手配で5月2日(日)から神社近くのホテルに2泊し、密着取材した。

五月晴三番叟の晴舞台

Fine weather in May,
fine stage of Sanbansoh.

さつきばれ さんばんそうの はれぶたい

 午後1時半から「新富座こども歌舞伎」の公演が始まった。今回の出し物は寿式三番叟(ことぶきしき・さんばんそう)、三人吉三巴白浪(さんにんきちさ・ともえのしらなみ)大川端庚申塚(おおかわば・たこうしんづか)の場白浪五人男(しらなみごにんおとこ)稲瀬川勢揃(いなせがわ・せいぞろい)の場の三本立てである。
 三番叟(さんばんそう)は、能の「翁(おきな)」がもとになった晴れがましい舞踊で、国が安らかに治まり、国民が幸せに暮らせて五穀が豊かに実るようにという祈りが込められている。
 「白浪五人男」は、泥棒を主人公にした作品「白浪物(しらなみもの)」を得意とした河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)の代表作の1つで、日本駄右衛門(にっぽんだえもん)・弁天小僧菊之助(べんてんこぞうきくのすけ)・南郷力丸(なんごうりきまる)・赤星十三郎(あかぼしじゅうざぶろう)・忠信利平(ただのぶりへい)の5人の泥棒の因果を描いた作品である。

新緑やこども歌舞伎の名台詞

New green leaves,
the fine words of child Kabuki.

しんりょくや こどもかぶきの めいぜりふ

  5月3日(月)午前9時丁度、弥生会会員によって御本社神輿の宮出しが行われ、氏子17ヵ町を渡御する神幸祭が始まった。午後7時の還御まで、10時間12kmの巡回コースを次々にリレーするハードな旅である。

お出ましの生成神輿や鐵砲洲

Teppouzu,
departure of Inari mikoshi.

おでましの いなりみこしや わかばかぜ

 鐵砲洲稲荷神社は、創建されてから今年で1170年になるが、弥生会は平成10年(1998)に創立されたまだ歴史の浅い町会連合組織である。約50年間途絶えていた御本社神輿の渡御を平成12年の御遷座千百六十年奉祝大祭に何としても復活させたいとの願いが集結して結成された。
 弥生会の主な活動は、祭礼時の御本社神輿の渡御と東京の新年の風物詩といわれる寒中水浴大会の運営である。その他、毎年の神社清掃の奉仕や、神社の各種行事への参加と奉仕など、神社と氏子地域の繁栄を願ってさまざまな活動を行っている。一口でいえば、神社の実働部隊である氏子青年部に当たる組織である。

ビルの谷江戸っ子褌神輿舁

A valley of buildings, downtown Tokyoites
of loincloth carrying a portable shrine.

びるのたに えどっこふんどし みこしかき

 御本社神輿は、寒中水浴大会でお世話になる湊湯前で弥生会から五の部(湊一・二・三丁目、入船一・二・三丁目、明石町、新富町の八町会)と新川二丁目越一の合同町会に引き継がれ、17町会を次々とリレーする神輿渡御が始まった。
 東京の夏祭りは、ゴールデンウィークから始まるが、例年、鐵砲洲大祭が一番乗りで、この後、梅雨の時期から盛夏まで、江戸の神輿祭りが次々と開かれて行く。祭り好きに取ってはたまらない季節の訪れで、最初の肩入れが鐵砲洲という睦会も多い。この日も喜々とした姿で先棒に付く神輿愛好者が数多く見られ、色柄物の六尺褌をキリリと締めた江戸っ子たちの姿が頼もしく見えた。
 ハンダコは江戸や明治の時代には存在しないので、祭り衣装が変質していることは間違いない。筆者は粋で鯔背(いなせ)な江戸っ子の夏祭りであってみれば、博多っ子の博多山笠(はかたやまかさ)のように、江戸っ子は全員、褌を締めて参加して欲しいと思っているが、このご時世で難しいのであれば、せめて睦会だけでも褌にして欲しいと思う。
 銀座五丁目町会に引き継がれた神輿は正午過ぎに晴海通りに入り、歌舞伎座目指して西進した。幹線車道は、1車線を残して神輿渡御に占有された。

歌舞伎座を目指す神輿や警邏棒

Nightsticks,
the mikoshi going to Kabuki-za Theater.

かぶきざを めざすみこしや けいらぼう

 鐵砲洲稲荷神社では、奉祝大祭にあわせて、約30年ぶりに稚児行列を復活。この日の昼前、稚児装束を身につけた55人の子供たちは、午前11時過ぎに新橋演舞場前で御本社神輿の前を進む鳳輦(ほうれん)一行に合流して稚児行列を編成し、歌舞伎座までパレードしたあと、歌舞伎座前で記念撮影をした。

鳳輦の稚児行列や夏立ちぬ

Summer has come, the Children's Parade
 with a portable shrine.

ほうれんの ちごぎょうれつや なつたちぬ

 晴海通りを西進していた神輿は、一端歌舞伎座前を通過したあと、昭和通りの交差点でUターンし、弥生会に交代。弥生会初代会長の青柳晴男・統括責任者補佐の一本締めと木入れのあと、歌舞伎座に向かった。
 中央区銀座四丁目にある歌舞伎座は、明治22年(1889)に開業した歌舞伎専用の劇場で、大正3年(1914)から松竹の直営劇場となった。火災や戦災に遭うなど様々な変遷があったが、昭和26年(1951)に座席総数1,866席を有する劇場として再建され、歌舞伎の殿堂と呼ぶにふさわしい風格を備えている。
 何といっても鐵砲洲奉祝祭の圧巻は、4月30日に閉場式を行って120年余の歴史に終止符を打った歌舞伎座の前で行われた最後の神輿練りである。弥生会の会員たちは、建て替えられる歌舞伎座の玄関先で、万感の思いでお別れの神輿差しを行い、大勢の見物客と共に名残を惜しんだ。

歌舞伎座の和背負神輿弥生会

Yayoi-kai, friendly carrying
the mikoshi at Kabuki-za Theater.

かぶきざの わっしょいみこし やよいかい

歌舞伎座や名残を惜しむ神輿差

 Kabukiza theater,
a farewell raising of the portable shrine.

かぶきざや なごりをおしむ みこしさし

 松竹・歌舞伎座の発表によると、「建て替え+超高層オフィス棟」をコンセプトに、地下4階・地上29階・高さ145m ・軒高135mのオフィスビルを併設し、2010年5月から着工。劇場の外観は、従来通りの低層で和風桃山様式を採用する。
 劇場は地下1階地上4階建てとし、晴海通りより35m後退させて入口の前に余裕を持たせ、緑を配するほか、内部は現行と同様に桟敷席や一幕見席を設置。構造や舞台寸法、客席数は今とほぼ同じだという。東銀座駅とのアクセス改善などのバリアフリー化やトイレの充実を計り、歌舞伎文化を啓発するギャラリーを設置する。完成は2013年春の予定。

車止め神輿練り行く佃橋

Stopping cars, the portable shrine
going nearby Tsukuda-bashi.

くるまとめ みこしねりゆく つくだばし

 御本社神輿は、15分遅れで佃大橋西交差点を南下して明石町に入った。左手(東)には、佃島・大川端リバーシティ21の高層マンションが見える。

還御せし生成神輿や白半纏

White hantens, Inari mikoshi has returned.

かんぎょせし いなりみこしや しろばんてん

 午後6時50分頃、宮元町会に担がれた御本社神輿は、20分遅れで鉄砲洲稲荷神社の石鳥居前に帰還した。弥生会のメンバーに引き継がれた御本社神輿は、氏子17ヵ町の提灯の前から右折し、石鳥居に向かった。
 弥生会のご配慮により、神社入口の正面に背の高い脚立を立てて頂き、その上に坐って宮出し・宮入りを激写し、御鎮座1170年を祝う東京は下町・鐵砲洲の江戸っ子たちの粋で鯔背な夏祭りを余すことなく撮影できた。

「鐵砲洲奉祝大祭」 2010.5.2-3 撮影:和田義男

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寿式ことぶきしき

三番叟さんばんそう

 13:50

寿式三番叟/百瀬さくら(竹早小5年)・倉田茉利(中央小5年) 13:50

拡大写真(1800X1350)462KB

五人男の勢揃い 14:45

五人男の勢揃い 14:45

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弥生会による御本社神輿の宮出し 3/3

弥生会による御本社神輿の宮出し 3/3

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江戸っ子褌の担ぎ手たち

江戸っ子褌の担ぎ手たち 10:58

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晴海通りに入った神輿/銀座五丁目 12:10

晴海通りに入った神輿/銀座五丁目 12:10

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新橋演舞場をバックに稚児行列 11:22

新橋演舞場をバックに稚児行列 11:22

拡大写真(1800X1720)571KB 撮影:小林豊一
歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち

歌舞伎座前で神輿を差す弥生会会員たち

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佃大橋西交差点を渡る神輿/入船三丁目町会  16:11

佃大橋西交差点を渡る神輿/入船三丁目町会  16:11

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宮入りする御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社 18:52

弥生会会員たちに担がれて宮入りする御本社神輿/鐵砲洲稲荷神社 18:52

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2010年6月9日(水)

 平成22年(2010)4月11日(日)から20日(火)までの10日間、家内と共にクラブツーリズムが主催する「華麗なるトルコこだわりの感動物語10日間」の旅に参加した。今回は下巻ツアー第7〜9日の記録である。

春暁やカッパドキアの熱気球

Spring morning,
hot-air balloons of Kapadokya.

しゅんぎょうや かっぱどきあの ねつききゅう

 7日目の4月17日(木)は、朝6時15分にウチヒサルのホテルCCRを出発し、熱気球による空中遊覧に参加。朝食後、ウチヒサル、ゼルヴェ(パシャバー)、地下都市カイマクル、愛の谷、ギョレメ野外博物館などを観光した。
 熱気球は、球皮(きゅうひ)と呼ばれる袋の中の空気を下部に取り付けたプロパン・ガス・バーナー等で熱し、外気との比重の違いにより発生する浮力により上昇する。乗員は通常球皮の下に取り付けられたゴンドラに乗る。

薔薇の谷見下ろす気球春の旅

A spring tour, looking down
the Rose Valley from the balloon.

ばらのたに みおろすききゅう はるのたび

 高所恐怖症気味の筆者ではあるが、風もなく、静かに移動する熱気球は、快適そのもので、不安は一切感じなかった。高度が増すに連れ、パノラマのカッパドキアに心を奪われ、夢中でシャッターを切り続けた。
 この日の朝、空に上がった熱気球は、50基(機)を超えている。飛び上がったところは、ウチヒサルの東方約5kmの薔薇の谷の南部で、北方に雄大なテーブル・マウンティンとローズバレーの絶景が広がり、息を飲むほどの美しさで、筆舌に尽くしがたい。

春天やカッパドキアの奇岩窟

The spring sky, caves of the strangely
 shaped rocks at Kapadokya.

しゅんてんや かっぱどきあの きがんくつ

 カッパドキアは、トルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地である。トルコ屈指の観光地を意味する狭義のカッパドキアは、クズル川の南部、ウチヒサルやギョレメ、ユルギュップなどを中心に南北約50kmにわたって奇岩が広がる東京23区ほどの地域を指す。

愛の谷お伽の国の早春賦

Love Valley,
a poem of early spring in a fairyland.

あいのたに おとぎのくにの そうしゅんふ

 トルコ文化観光省によると、今から300万年ほど昔、昨日見たハサン山(3,268m)やエルジェス山(3,916m)などの巨大噴火により、カッパドキアの高原が石灰華や溶岩を含んだ軟らかい石や灰などで覆われ、その後の浸食により、円錐形やキノコ型の岩や穴の空いた峡谷などの奇観が生まれたという。

円蓋の春光眩しきアヤソフィア

Ayasfya,
spring sunlight dazzling on the dome.

えんがいの しゅんこうまぶしき あやそふぃあ

 イスタンブールの旧市街に建つ世界遺産アヤソフィアは、ビザンツ建築の最高傑作と評され、キリスト教とイスラム教という二つの異文化に翻弄されながらも、1500年もの間、風雪に耐えてきたこの建物を見ると、感慨深いものがある。
 チュラン宮殿は、ドルマバフチェ宮殿を建てたアブデュルメジト I 世の後を継いだ第32代スルタン・アブデュルアズィズ(在位1861-1876)が建てたもの。ドルマバフチェ宮殿の建設で財政が逼迫してきた黄昏のオスマン帝国の、時代を読めない体育会系の愚帝による趣味の宮殿で、帝国の終焉を加速させた宮殿だといえる。

三日月のチュラン宮殿夜半の春

Midnight spring, a crescent moon
above the Ciragan Palace.

みかづきの ちゅらんきゅうでん よわのはる

 最終日9日目の4月19日(月)は、朝9時半にチュラン・パレス・ホテルを出発、ホテル前の岸壁から遊覧船に乗船してボスポラス海峡クルーズを楽しんだ後、旧市街に行ってチャイハネを経験しグランド・バザールを見学した。
 ボスポラス海峡はトルコのヨーロッパ側とアジア側を隔てる海峡で南北に細長く、北の黒海と南のマルマラ海を結んでおり、マルマラ海とエーゲ海を繋ぐダーダネルス海峡とあわせて黒海と地中海を結ぶ海上交通の要衝をなす。長さは南北約30km、幅は最広地点で3,700m、最狭地点で800mほど。水深は36m〜124m。両岸の全域はイスタンブール市の行政区域に含まれる。

春の潮渦湧き昇るボスポラス

Spring tide,
an eddy welling up in Bosporus.

はるのしお うずわきのぼる ぼすぽらす

 遊覧船がルーメリ要塞を過ぎ、ボスポラス海峡の最狭部に架かる第二架橋に差し掛かったところで、日本の鳴門海峡のように渦ができているのを発見。貴重な光景を写し撮ることができた。

「トルコ感動の旅・下」 2010.4.17-19 撮影:和田義男

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起きあがってきたバルーン

起きあがってきたバルーン

拡大写真(2250x1500)359KB

カッパドキアの薔薇の谷

(ローズバレー)その2

拡大写真(2400X1500)650KB

かつて修道士が住んでいたキノコ岩

かつて修道士が住んでいたキノコ岩

パノラマ写真(2800X1500)673KB

赤土の道を歩く/愛の谷

赤土の道を歩く/愛の谷

パノラマ写真(2650x1400)763KB

トプカプ宮殿とブルーモスクの間に建つアヤソフィア

トプカプ宮殿とブルーモスクの間に建つアヤソフィア 2010.4.18 10:20

拡大写真(2150X1600)604KB

ライトアップされたチュラン宮殿 21:25

ライトアップされたチュラン宮殿 21:25

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ボスポラス海峡の渦潮 10:10

ボスポラス海峡の渦潮 10:10

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2010年5月26日(水)

 平成22年(2010)4月11日(日)から20日(火)までの10日間、家内と共にクラブツーリズムが主催する「華麗なるトルコこだわりの感動物語10日間」の旅に参加した。今回は中巻ツアー第5・6日の記録である。

エフェソスの栄華を偲ぶ春の空

Spring sky,
recalling the luxury of Ephesus.

えふぇそすの えいがをしのぶ はるのそら

 世界遺産・エフェソス遺跡には両側を柱廊に縁どられた幅5m、延長530m、大理石舗装の大理石通り(400年ころ)や、観客席66段、2万4000人収容の大劇場、裕福な市民セルシウスが建てた図書館(135年)、華麗なハドリアヌス神殿(130年頃)、約1500人収容のオデオン(音楽堂、2世紀)を初め、公共浴場、アゴラ(市場)、娼館、市役所などの跡が残っている。

エフェソスの長き石坂光る風

The long stone slope at Efesos,
how gentle the sprig wind!

えふぇそすの ながきいしざか ひかるかぜ

 エフェソスでは、古くから多くの乳房をもつ母神アルテミスの崇拝が盛んで、紀元前6世紀中ごろには大規模なイオニア式二重周柱のアルテミス神殿 Artemis が建てられた。紀元前356年ヘロストラトスの放火によって神殿は焼失したが、焼失前と同等の新神殿が再建され、その規模と壮麗さから世界の七不思議の一つに数えられた。現在では復元された柱が1本立っているだけで、その頂上がコウノトリの巣となっているのが悲しい。

菜の花の鳥の巣柱アルテミス

Artemis, the bird's nest
on the column of rape blossoms.

なのはなの とりのすばしら あるてみす

 「ヒエラポリス-パムッカレ」は、トルコ西部・デニズリ県にある自然と文化が融合したユネスコの世界複合遺産の登録名である。石灰岩大地から湧き上がる温泉水は、美しい石灰棚の丘を誕生させた。パムッカレは、白い丘陵地の名称で、トルコ語で「綿の城」という意味である。
 純白の石灰棚は、朝には綿雲のような湯気を上げ、昼には青く輝き、日没時には夕焼けに染まるという。その絶景に魅了された古代ローマ人は、温泉の湧く石灰棚の丘に「ヒエラポリス」という名の古代都市を築いた。

パムッカレ千畳敷の水温む

Pamukkale, the waters
of one thousand mats becoming less cold.

ぱむっかれ せんじょうじきの みずぬるむ

 サクランボの原産地は中国だが、アナトリア(小アジア)の黒海からカスピ海に広がる地帯で多く栽培されるようになり、その後ヨーロッパ経由でアメリカに伝わった。現在トルコのさくらんぼ生産量はイランに次ぐ世界第2位だという。

白き山白き花咲くアナトリア

Anatolia, white cherry blossoms
blooming for the white mountains.

しろきやま しろきはなさく あなとりあ

 4月16日午後7時頃、太陽が西に傾き、日没が迫る頃、快適な高速道路となったシルクロードの9時間余に及ぶドライブが終わり、カッパドキアのウチヒサルが見えてきた。
 ウチヒサルにある洞窟ホテルCCRの前の道路から東を眺望すると、眼下には、夕日に染まるローズバレー(薔薇の谷)があった。正面のテーブル・マウンティンは、トルコのグランド・キャニオンとも呼ばれる景勝地で、まるで我々の到着を祝福してくれているかのように薔薇色に輝いていた。その手前にある村落がギョレメで、野外博物館などがある。

薔薇の谷幾万年の燃ゆる春

Rose Valley, the burning spring
for tens of thousand of years.

ばらのたに いくまんねんの もゆるはる

「トルコ感動の旅・中」 2010.4.15-16 撮影:和田義男

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オデオン(音楽堂)兼ボレテリオン(小劇場)

オデオン(音楽堂)兼ボレテリオン(小劇場)

パノラマ写真(2050X1000)575KB

セルシウス図書館に至るクレテス通り

セルシウス図書館に至るクレテス通り

拡大写真(2170X1600)743KB

世界の七不思議のひとつアルテミス神殿の遺跡

世界の七不思議のひとつに数えられたアルテミス神殿の遺跡 2010.5.15 12:10

パノラマ写真(2750X1200)765KB

裸足で散策する人たち

裸足で散策する人たち

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残雪の嶺と満開の花をつけたサクランボの林 11:00

残雪の嶺と満開の花をつけたサクランボの林 11:00

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カッパドキアのローズバレー 19:14

ホテルCCRから見た夕日に染まるローズバレー 19:14

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2010年5月16日(日)

 平成22年(2010)4月11日(日)から20日(火)までの10日間、家内と共にクラブツーリズムが主催する「華麗なるトルコこだわりの感動物語10日間」の旅に参加した。今回は上巻4日目までの記録である。
 イスタンブール(イスタンブル)は、トルコ西部の都市で、ボスポラス海峡をはさんでヨーロッパ側(トラキア地方)とアジア側(アナトリア半島)の両岸に広がっており、二大陸にまたがる大都市である。人口360万の首都アンカラを上回るトルコ最大の都市であり、文化・経済の中心となっている。

春日和八の字髭の軍楽隊

A nice spring day, the military band
of finely-trimmed mustaches.

はるひより はちのじひげの ぐんがくたい

 トプカプ宮殿は、15世紀中頃から19世紀中頃までの約400年にわたってオスマン帝国の君主スルタンが居住した宮殿で、ボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾(きんかくわん)に三方を囲まれたイスタンブール旧市街の丘の北部に位置する。
 オスマン軍は、自軍の士気の向上や敵への威嚇のために軍楽隊(メフテルハーネ)を連れて戦争に赴き、平時にもメフテルを宮廷などの儀礼に用いた。
 昼食後、トプカプ宮殿のハレムを見学した。アラビア語のハラム(聖域)やハリム(禁じられた)を語源とするハレムは、トプカブ宮殿最大の見所で、別料金となっている。1666年に大火で全焼した木造に代わって迷路のように入り組む300もの部屋を有する現在のハレムが生まれた。

春光やハレムの広間夢の跡

The spring sunlight, a hall of the harem
a vestige of the dream.

しんこうや はれむのひろま ゆめのあと

 スルタンアフメット・ジャーミィは、イスタンブールを代表するモスクで、世界文化遺産であるイスタンブール歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト I 世(在位1603-1617)により7年の歳月をかけて1616年に完成した世界で最も美しいモスクと評される。

春光やブルーモスクのミナレット

The spring sunlight,
the minalets of Blue Mosque.

しゅんこうや ぶるーもすくの みなれっと

 イスタンブール観光の締めくくりは、ヒルトン・ホテルのそばにある「ケルヴァンサライ」(隊商宿)というナイト・クラブで、トルコ料理に舌鼓を打ちながらベリー・ダンスのディナー・ショーを満喫した。
 ベリーダンスは、中東やアラブ文化圏で発展したダンス・スタイルを指す言葉で、西洋の造語である。アラブ文化圏ではラクス・シャルキー(Raqs Sharqi رقص شرقي、東方の踊り)、ラクス・バラディ(Raqs Baladi رقص بلدي 民族舞踏)として知られ、トルコ語ではオルヤンタル・ダンス(Oryantal dansı、東方舞踏)として知られる。

春の夜ベリーダンスに臍の見ゆ

The spring night,
Belly dance exposing the bellybutton.

はるのよる べりーだんすに へそのみゆ

 ドルマバフチェ宮殿は、イスタンブールの新市街・ベシクタシュ地区のボスポラス海峡に面した埋立地に位置する。ドルマバフチェとは「埋め立てられた庭」という意味である。
 イスタンブールを征服したオスマン帝国のスルタン・メフメット II 世によって造成された庭園に、第31代スルタン・アブデュルメジト I 世の命により、従来あった木造宮殿を取り壊して建てられた。「水の宮殿」と讃えられるドルマバフチェ宮殿は、1856年に完成した後、1922年に最後の皇帝メフメットVI世が退去するまでトプカプ宮殿に代わってオスマン帝国の王宮として利用された。

春あした衛兵たちの靴の音

Spring morning,
the sound of footsteps of the guards.

はるあした えいへいたちの くつのおと

 トロイ(英語 Troy )は、古代ギリシャ語ではイリオス Īlios と呼ばれ、ギリシャ神話に登場する都市である。
 「イーリアス」は、紀元前800年頃、ギリシャ神話を題材にホメーロスが創ったといわれる全24巻からなるギリシャ最古最大の英雄叙事詩であるが、この中に記されているトロイ戦争は、第VI市(紀元前1800〜1250年)の時代のもの。
 トロイの木馬は、史実ではなかったことが判明しているが、遺跡の入口には、近年、観光用に建てられた巨大な木馬が置かれている。

幻のトロイの木馬木の芽時

Early spring, the Trojan Horse in a vision.

まぼろしの とろいのもくば このめどき

 トルコ第3の都市イズミール北方のエーゲ海から東方に25kmほど入ったペルガモンは、アナトリア半島(小アジア)のミュシア地方にある古代都市で、カイコス川畔の6万人ほどが暮らすベルガマ Bergama にある。

春光やペルガモンに残る丘

Spring sunlight,
the hill remained at Pergamon.

しゅんこうや ぺるがもんに のこるおか 

 エウメネス I 世のアッタロス朝(BC282-133)に入ると、ペルガモン王国は、ローマ帝国と共にシリアと戦い、小アジアの交易権を得て繁栄の絶頂期を迎えた。豊かな富をバックにギリシャ文化を取り入れたアクロポリスの建設が次々に行われ、アッタロスIII世(BC170-133)の時代にローマ帝国の属州となった後も典型的なヘレニズム都市として栄華が続いた。トラヤヌス神殿はこの頃に建てられたものである。
 アクロポリスの一角には、かつてはペルガモン王国のゼウスの大祭壇があった。残念ながら、現在は大木5本が生えているだけである。
 ペルガモン遺跡は、1860年代にドイツの建築家カール・フーマンにより発見され、ドイツに持ち去られたため、現在、出土品はベルリンのペルガモン博物館に収められている。中でもゼウスの大祭壇は素晴らしい美術品で、巨大な博物館の最大の展示物となっている。

「トルコ感動の旅・上」 2010.4.12-14 撮影:和田義男

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オスマン・トルコ軍楽隊メフテルハーネ

オスマン・トルコ軍楽隊メフテルハーネ

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写真:フリー百科事典Wikipedia

スルタンの大広間

スルタンの大広間

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6本のミナレットが象徴する巨大なブルーモスク

6本のミナレットが象徴する巨大なブルーモスク

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セクシーなベリーダンス 20:55

セクシーなベリーダンス 20:55

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配備に付く衛兵たち/ドルマバフチェ宮殿

配備に付く衛兵たち/ドルマバフチェ宮殿

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巨大なトロイの木馬 09:30

巨大なトロイの木馬 09:30

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白亜の大理石の石柱が並ぶトラヤヌス神殿の遺跡

白亜の大理石の石柱が並ぶトラヤヌス神殿の遺跡

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2010年4月8日(木)

 2010年2月8日(月)〜15日(月)の間、家内と共に阪急交通社が主催する「ベネチア・ニースの2大カーニバルとマントンのレモン祭り8日間」のツアーに参加した。
 初日2月8日(月)は、関西国際空港14:15発KLMオランダ航空機に搭乗して出発。オランダ・アムステルダム・スキポール空港でKLM便に乗り継ぎ同日22時頃イタリア・ミラノ・マルペンス空港着。ミラノ・ホテル泊。

ゴンドラの櫂の雫や春兆す

Signs of spring,
drops of the paddles of gondolas.

ごんどらの かいのしずくや はるきざす

 2日目2月9日(火)は午前8時頃専用バスでホテルを出発ベネチアへ。ベネチア大陸側で昼食後バスでリベルタ橋を通り、ベネチア本島へ。バスを降り水上バスでサンマルコ広場へ。ゴンドラで遊覧後カーニバルを観光した。再び水上バス・専用バスを乗り継ぎ、夜遅く大陸側のホテル泊。

春浅き運河に聞こゆカンツォーネ

Early spring, hearing a canzone at a canal.

はるあさき うんがにきこゆ かんつぉーね

 イタリアの北東部に位置するベネチアは、ヴェネト州の州都、ベネチア県の県庁所在地である。中世にはベネチア共和国の首都として盛えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」ともいわれる。
 ベネチアのカーニバルは、中世に貴族たちが身分を隠して庶民と交わって遊ぶためにマスクを付けて町に繰り出すようになったのが起源といわれている。その後、「アドリア海の女王」と呼ばれる都市国家に発展するにつれ、カーニバルの時期に限らず、毎日のようにお祭り騒ぎが繰り広げられるようになった。
 仮面という隠れ蓑を利用して、モラルに反する行為が横行するようになり、ある時期には仮面が禁止されたこともあったが、近代に入ると、かつての栄華を偲ぶ人が増え、現在ではカーニバルの時機に人々が再び仮面で扮装するようになり、世界的に知られるようになった。

春めくや紳士淑女のカーニバル

Getting more like spring,
Carnival of ladies and gentlemen.

はるめくや しんししゅくじょの かーにばる

 仮面をつけ、氏素性を隠して行われる舞踏会のことを仮面舞踏会やマスカレード、マスカレイド masquerade と呼ばれているが、ベネチアが発祥の地である。音楽や文学など多数の作品に「仮面舞踏会」「マスカレード」という題名が付けられている。
 仮面舞踏会と呼ばれるイベントや行進は、15世紀のルネサンス期のイタリアで、参加者が仮装して行われる公的な祭典に発展した。一般的には、上流階級で行われる凝った舞踏会で、特に、ベネチアでは仮面をかぶって行われる「ベネチアのカーニバル」の伝統と結びついたために人気を博し、盛大に催されるようになったという。

春きざす仮面の下は誰が妻や

Early spring,
whose wife is under the mask?

はるきざす かめんのしたは たがつまや

 17〜18世紀には、ヨーロッパ全土の宮廷でベネチア式仮面舞踏会が流行した。余りにも加熱したため、仮面舞踏会は風紀を乱す元凶であるとして、オーストリア・パプスブルグ家のマリア・テレジアに代表されるように、禁止令が出されたこともあったという。
 カフェ・フローリアンは、ベネチアに現存する最も古い喫茶店で、カフェ・ラテの発祥店として知られる。 1720年12月29日サン・マルコ広場南側の新行政館の回廊に創業し、現在も同じ場所で営業している。アッラ・ヴェネツィア・トリオンファンテ Alla Venezia Trionfante と名付けられたが、 現在では、創業者であるフロリアーノ・フランチェスコーニ Floriano Fracesconi の名をとって、フローリアンと呼ばれる。
 カフェ・フローリアンの中には大勢の淑女たちがいたので、ガラス越しに1枚撮らせていただいた。中世さながらの風情があり、まるで油絵を見ているようだった。

ありし日の淑女の集ふ春の夕

Spring evening,
Ladies of old days gathering.

ありしひの しゅくじょのつどう はるのゆう

 3日目2月10日(水)は、午前9時頃、ベネチア・ホテル発。ツアーバスでルネサンス発祥の地、フィレンツィエへ。ミケランジェロの丘から旧市街に入り、昼食後、ドゥオーモ、ウフィッツィ美術館、シニョーリア広場やベッキオ橋周辺を観光。広場近くのレストランで夕食後、ホテル泊。
 フィレンツェは、イタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市で、トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。1986年に欧州文化首都に選ばれた。かつて、ルネサンスの花開いた都市として知られ、その歴史地区は、世界文化遺産に登録されている。

早春の天に聳ゆる大聖堂

Early spring,
Duomo rising high to the sky.

そうしゅんの てんにそびゆる だいせいどう

 ルネサンス(直訳すると「再生」、イタリア語:リナシメント rinascimento)は、フィレンツェを初め地中海貿易で繁栄したトスカーナ地方の諸都市を中心に、教会やイスラム世界、東ローマ帝国の保有する古典文化の影響を受けて14世紀頃に始まった古代の文化を復興しようとする歴史的文化革命で、広くヨーロッパに伝搬していった。

フィレンツェの裸像を巡る春の夕

Spring evening, looking around
the naked statues of Firenze.

ふぃれんつぇの らぞうをめぐる はるのゆう

 その先駆者とされるのは、フィレンツェ出身の詩人ダンテ(1265 - 1321年)である。フィレンツェがルネサンス発祥の地といわれているのはそのためである。ダンテは、政敵によってフィレンツェを追放され、流浪の生活の中で代表作「神曲」を完成させた。
 イタリアは古代ローマ帝国の文化が栄えた土地で、古代の遺物も多く、彫刻家、建築家らはこれらから多くを学ぶことができた。建築の分野ではブルネレスキがルネサンスの建築家の始めとされる。ブルネレスキは当時困難とされていた、フィレンツェ大聖堂(サンタ・マリア・デル・フィオーレ)に大ドームをかけるという課題に合理的な解決をもたらし、世の賞賛を浴びた。中世の職人とは異なる、高い教養と科学的知識を持つ建築家の誕生である。
 ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロは、建築、彫刻、絵画など多方面で多彩な才能を発揮した。芸術表現の特徴としては、キリスト教の洗脳による先入観から解放するために、キリスト教が罪と定義する裸、すなわちカナンが奴隷となった原因である「裸を見る」行為を奨励し、裸図や裸像を作った。また、ドナテッロやミケランジェロは、ユダヤ王ダビデの像のペニスを割礼のない様相を強調して彫り、ダビデがユダヤ人ではなくパレスチナ人であったことを主張した。

春浅きピサの斜塔の七不思議

Early spring, the seven wonders
of the Leaning Tower of Pisa.

はるあさき ぴさのしゃとうの ななふしぎ

 4日目2月11日(木)は、午前8時半頃、フィレンツィエ・ホテル発。ピサに向かい、ドゥオーモ、洗礼堂、斜塔といわれる鐘楼を観光後、昼食。午後、港湾都市ジェノバに移動して宿泊。
 ピサの斜塔は、世界文化遺産「ピサのドゥオモ広場」に建つピサ大聖堂の鐘楼で、傾いていることからピサの斜塔と呼ばれる。塔高は地上55m、階段は297段、重量は14,453tonと見積もられている。一時傾斜の増大と倒壊の恐れがあったため、立入禁止となっていたが、倒壊防止措置が施されたため、現在は鐘楼に登ることができる。現在の傾斜角は約5.5度で、塔頂が中心線から南に約4m(1350年は1.8m)変位しているものの、傾斜の進行は止まっているという。
 フランスの地中海沿岸地方コート・ダジュールのイタリアとの国境近くに位置するモナコ公国、通称モナコは、西ヨーロッパの都市国家で、首都モナコ市がそのまま全領土となっている。国の総面積は、僅か1.95km2しかなく、バチカン市国に次いで2番目に小さいミニ国家である。国連加盟国の中では世界最小で、カジノやF1モナコグランプリ、WRC・ラリー・モンテカルロが開催されることで知られる。

南仏の光尽きなき春の海

Spring sea, never ending sunlight
at Southern France.

なんふつの ひかりつきなき はるのうみ

 モナコ観光後ニースへ入り、城址公園、「天使の湾」沿いのプロムナード・デ・ザングレ、旧市街の市場などを観光。ホテルチェックインの後、夜、ホテル近くのマセナ広場であるカーニバル前夜祭を観光した。
 人口約35万を擁するニースは、フランス南東部、地中海沿岸のコート・ダジュールに位置する風光明媚な観光・保養都市として世界的に知られている。高級ホテルやレストラン、カジノが軒を連ねる華やかな海岸通り「プロムナード・デ・ザングレ」から北側に一本路地にはいった旧市街は、奇跡的に第二次世界大戦の戦火を逃れた地域で、イタリア的な雰囲気が漂っている。

春兆す美女の微笑み花屋台

A wagon full of flowers,
a beauty showing a sign of spring.

はるきざす びじょのほほえみ はなやたい

 ニースのカーニバルの今年のテーマは、「青い惑星」、つまり地球のこと。マセナ通りで、カーニバルの前夜祭が行われたので、見学した。大きな手のバルーンは、魔の手ということで、地球の危機を示しているようだ。

春の夜ピエロ繰り出すカーニバル

Spring night, Pierrot jioning the carnival.

はるのよる ぴえろくりだす かーにばる

 6日目2月13日(土)は、午前中はニースで自由行動。旧市街を中心に観光した。午後2時半からプロムナード・デ・ザングレに設置されたカーニバル観覧席から「花合戦パレード」を見物。引き続き自由行動で、夜はマセナ広場で行われた「光のパレード」を見物した。ニース・ホテル2連泊。

「北イタリアと南仏の旅」 2010.2.8-15 撮影:小池淳二

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狭い水路を進むゴンドラ/ベネチア

狭い水路を進むゴンドラ/ベネチア

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二人だけのゴンドラ・クルーズ

二人だけのゴンドラ・クルーズ

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紳士淑女の集団 / ドゥカーレ宮殿回廊

紳士淑女の集団 / ドゥカーレ宮殿回廊

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ルビー?の仮面 / サン・マルコ広場

ルビー?の仮面 / サン・マルコ広場

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中世さながらのカフェ・フローリアン

中世さながらのカフェ・フローリアン

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巨大な大聖堂/フィレンツェ

巨大な大聖堂/フィレンツェ

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夕暮れのヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場

夕暮れのヴェッキオ宮殿とシニョリーア広場

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今にも倒れそうなピサの斜塔/ピサ

今にも倒れそうなピサの斜塔/ピサ

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エルキュル港の入口/モナコ

エルキュル港の入口/モナコ

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花と美女のカーニバル/ニース

花と美女のカーニバル/ニース

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ピエロと記念撮影

ピエロと記念撮影

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2010年3月28日(日)

 平成18年(2006)の夏、前年にスイスのヴァリス・アルプスに位置するアラリンホルンに登頂したことから、もう一度氷河歩きとマッターホルンを間近に見たいとの思いで、マッターホルンの中腹に位置するヘルンリ・ヒュッテ(ヘルンリ小屋)までの登山を計画した。
 初日7月28日(金)は、成田発のスイス直行便・スイスインターナショナルエアラインズLX169便でチューリッヒに入った。所要時間は12時間45分。待機していたツアーバスでサンモリッツに入り、ホテル・シュバイツァーホフにチェックインして4連泊した。

見あぐればピッツ・ベルニナ夏氷河

The summer glacier,
looking up at Piz Bernina.

みあぐれば ぴっつべるにな なつひょうが

 3日目7月30日(日)は、バスでスールレイ(1,877m)に行き、ロープウェイに乗ってコルヴァッチ(3,303m)に上がり、中間駅ムルテール(2,709m)からロゼック谷までハイキング。ポントレジーナ(1,774m)まで馬車に乗り、バスでホテルに帰った。前日とうってかわって好天に恵まれ、素晴らしいハイキングだった。

夏氷河主峰がつまの昼餉かな

The summer glacier, eating lunch
with a garnish of the highest peak.

なつひょうが しゅほうがつまの ひるげかな

 ベルニナ・アルプス最高峰のピッツ・ベルニナ(4,049m)を右に見ながら山道を下り、途中の山腹で昼食を取った。眼下にはロゼック氷河に端を発するロゼック谷の雪解け水が筋状に流れている。ベルニナ・アルプスならではの雄大な景観である。ロゼック谷の川原を散策した後、ホテル・ロゼックから馬車に乗り、約1時間かけてポントレジーナに下った。

夏氷河溶けて流るる古代水

The summer glacier melting,
the ancient water running.

なつひょうが とけてながるる こだいすい

 4日目7月31日(月)は、サンモリッツ駅からベルニナ・ディアヴォレッツア(2,082)まで電車で行き、ロープウェイでディアヴォレッツア展望台(2,978m)に上がり、ペルス氷河からモルテラッチ氷河を下ってモルテラッチ(1,896m)まで氷河ハイキングを楽しんだあと、電車で帰った。
 ベルニナ線ディアヴォレッツァ駅の先にある乗り場から125人乗りの大型キャビンの空中ケーブルで約10分、眼前に広がるディアヴォレッツア展望台(2,978m)からの景観は素晴らしいのひと言。100年以上の歴史を誇る伝統の路線が今も感動的なアルプスの世界に運んでくれる。

アルプスの白蛇の如き夏氷河

The summer glacier,
like a white snake of the Alps.

あるぷすの はくじゃのごとき なつひょうが

 万年雪をかぶったピッツ・ベルニナやピッツ・パリュなど4,000m級の名峰と氷河が広がる白銀の世界で、グレッシャー・トレッキング・ツアーに参加すれば、ペルス氷河からモルテラッチ氷河へと歩き抜ける壮大な氷河体験ができる。

クレバスの虎口を渡る夏氷河

The summer glacier,
passing by the tiger mouth.

くればすの ここうをわたる なつひょうが

 6日目8月2日(水)は、マッターホルン(4,478m)の中腹に位置するヘルンリ・ヒュッテ(ヘルンリ小屋)(3,260m)へのハイキングの日となった。シュールマッテンリフト乗り場から3つゴンドラを乗り換えてクラインマッターホルン(マッターホルン・グレーシャー・パラダイス)(3,883m)に行き、展望を楽しんだ後、3つゴンドラを乗り換えてシュバルツゼー(2,589m)に行き、そこからヘルンリ・ヒュッテまでハイキングして一泊した。
 ツェルマットのシュルーマッテンリフト乗り場から8人乗りの高速ケーブル「マッターホルン・エクスプレス」に乗って途中駅のフーリ(1,886m)までわずか5分。120人乗りの大型ゴンドラに乗り換え、標高2,939mのトロッケナーシュテークへ。
 続いて、ヨーロッパ最高地点を結ぶ空中ケーブルに乗ると、「マッターホルン・グレッシャーパラダイス」と呼ばれるクライン・マッターホルン(3,883m)に到着する。

夏天下マッターホルンの幾星霜

Under the summer sky,
How old the Matterhorn is!

なつてんげ まったーほるんの いくせいそう

 クライン・マッターホルン(「小さなマッターホルン」の意)のケーブル駅を降りたら、山の中につくられたエレベーターに乗ってさらに上へ。階段をのぼるとヨーロッパで一番高い展望台(3883m)に到着する。マッターホルンはもちろんブライトホルンやモンブランなど、4000m級の雄大な山々をぐるりと見渡す壮大なパノラマビューをタップリと堪能できる。
 マッターホルン(4,478m)は西に聳えているが、ツェルマットから見た山容とはかけ離れた姿をしているため、マッターホルンは何処に見えるのか質問する人が結構いるという。やはり、ツェルマットから見るマッターホルンが一番格好良いと思う。

アルプスを包んで深し夏の天

The deep summer sky, lapping the Alps.

あるぷすを つつんでふかし なつのてん

 クライン・マッターホルンの景観を堪能したあと、ヘルンリ・ヒュッテを目指して、下りのテレキャビンに乗った。眼下には、谷底に広がるツェルマットの村が箱庭のように見えた。
 我々一行は、フーリ(1,886m)まで下り、ゴンドラを乗り換えてマッターホルンの登山口であるシュバルツルゼー(黒い湖)(2,589m)に行った。ケーブルの駅を出ると、眼前にマッターホルン(4478)の勇姿が迫っていた。
 マッターホルンは、「石の巨人」とも呼ばれる。その名のとおり、巨大な石でできた巨人のような山容である。間近にそびえるマッターホルンは、とても迫力があり、一般観光客にとってもシュバルツゼーは必見のスポットである。

いざ行かむヘルンリ・ヒュッテ夏の嶺

The summer ridge,
Let's go to Höornli Hütte.

いざゆかん へるんりひゅって なつのみね

 マッターホルンは、日が西に傾く頃になると、決まって東の方向に旗雲を発生させることで知られる。この日も予想どおり見事な雲を引くマッターホルンを仰ぎ見ることができた。
 1865年7月14日、エドワード・ウィンパー、チャールズ・ハドソン、フランシス・ダグラス卿、ダグラス・ハドウのイギリス人パーティは、ミシェル・クロッツとタウクヴァルター父子をガイドにして初登頂に成功した。このとき選んだヘルンリ稜(尾根)を通る登山路は、意外にも他のルートより平易であることが分かった。

岩山のマッターホルン夏の天

The summer sky,
Matterhorn the rocky mountain.

いわやまの まったーほるん なつのてん

 下山中、ハドウの滑落にクロッツとハドソン、ダグラスが巻き込まれてザイルが切断し、4人は1400m下に落下して死亡した。発見されなかったダグラス卿を除く3人の遺体は、ツェルマットの墓地に埋葬されている。

雲を吐くマッターホルン夏の天

The summer sky,
Matterhorn emitting a cloud.

くもをはく まったーほるん なつのてん
 これまでに500人を超える命を奪ってきたマッターホルンは、これからも山を愛する者たちが目指す巨人として君臨し続けることだろう。多くの登山家の心を惹きつける神々しささえ感じられる。

夏山路近くて遠き小屋見上ぐ

The summer mountain path,
looking up the close and far hütte.

なつやまじ ちかくてとおき こやみあぐ

アルプスの巡礼なりや夏氷河

The summer glacier,
are they pilgrims of the Alps?

あるぷすの じゅんれいなりや なつひょうが

 ヘルンリ・ヒュッテにチェック・インし、案内された部屋は、シンプルで小綺麗な部屋だった。しかし、夏でも夜に入るととても寒く、沢山着込んで寝た。

「目指せ!ヘルンリ・ヒュッテ」 2006.7.28-8.7 撮影:沖本陽子

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ピッツ・ベルニナ(4,049m)を右に見ながら下る

ベルニナ・アルプス最高峰ピッツ・ベルニナ(4,049m)に向かって下る

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見晴らしの良い山腹でランチ・タイム

見晴らしの良い山腹でランチ・タイム

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氷河の水が流れるロゼック谷の川原で遊ぶ

氷河の水が流れるロゼック谷の川原で遊ぶ
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パノラマのペルス氷河とモルテラッチ氷河

パノラマのペルス氷河とモルテラッチ氷河 / ディアヴォレッツア展望台

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恐ろしいクレバスのそばを下る

恐ろしいクレバスのそばを下る

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マッターホルン(4,478m)の勇姿

マッターホルン(4,478m)の勇姿 / クライン・マッターホルン展望台(3,883m)

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マッターホルン(4,478m)を背に / クライン・マッターホルン雪上

マッターホルン(4,478m)を背に / クライン・マッターホルン雪上

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テレキャビンから見たマッターホルンとヘルンリ・ヒュッテ

テレキャビンから見たマッターホルンとヘルンリ・ヒュッテ

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シュバルツルゼー(2,589m)から見たマッターホルン

シュバツルゼー(2,589m)から見たマッターホルン

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ヘルンリ・ヒュッテ(3,260m)への山道

ヘルンリ・ヒュッテ(3,260m)への山道

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ヘルンリ・ヒュッテに繋がる登山道

ヘルンリ・ヒュッテに繋がる登山道

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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