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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪海/邦楽鼓囃子

白褌のドドンと波の夏禊  北舟

夏越の釣ヶ崎海岸禊

Summer purification
of white loincloth, the shock of the wave.

2001年7月16日制作

二段波の襲来!

拡大写真(2300X1400)511KB
二段波の襲来!/九十九里浜釣ヶ崎海岸(千葉県長生郡一宮町)

俳句「海の風景」第27集

 





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2010年10月18日(月)

 平成22年(2010)9月上旬、昨年に引き続き、静岡県磐田市(いわたし)で行われた見付天神裸祭(みつけてんじん・はだかまつり)を密着取材した。

憑代に小祓託す秋の垢離

The autumnal water purification,
leaving an exorcising charm
at the descending site of Gods.

よりしろに こばらいたくす あきのこり

 この日は、台風9号が京都府舞鶴市沖の日本海を東進し、昼頃北陸に上陸した後、日本列島を横断した影響で、太平洋側も悪天候に見舞われたが、強風に晒されながらも、今のところ降雨はなく、無事に神事が進められた。
 遠州灘を臨む福田浜での修祓(しゅばつ)の神事が終わると、海に入って垢離(こり)を取る浜垢離(はまごり)を行うため、先供や氏子長老たちは、砂浜の上で脱衣して六尺褌(ろくしゃくふんどし)一丁の裸形(らぎょう)となった。輿番は、袖をたくし上げ、袴の股立ち(ももだち)を取って水浴に備えた。
鈴木宮司はじめ神職たちもその場で脱衣して越中褌一丁になり、白地に赤い剣梅鉢(けんうめばち)の神紋の下に矢奈比賣天神社(やなひめ・てんじんじゃ)と墨書(ぼくしょ)した鉢巻を持ち、小祓を大榊の下に挿して海に向かった。
 去年は西区の一番觸(いちばんぶれ)が祭組の先頭を切って海に入ったが、今年は西区・水堀(みずぼり)の水陣(すいじん)が先陣を切った。去年、初めて取材して見事だった水陣だが、今年も大人から子供まで一人の衣装違反もなく、全員、祭組の鉢巻と褌を締め、模範的な美しい浜垢離を披露してくれた。

水陣の水褌白き秋禊

The autumnal water purification, white
are the swimming loincloths of Suijin.

すいじんの すいこんしろき あきみそぎ

 日本海を東進する台風9号の影響で、風波が強く、途中から雨が強く降り始め、全身ずぶ濡れとなった。裸っぽたちは、雨が降っても平気だが、我々写真班は、雨からカメラを守りながらの悪戦苦闘を強いられた。幸い、筆者も曽根さんもカメラの故障はなく、全身濡れ鼠状態になりなから日本の伝統美を多数切り取ることができた。

台風の怒濤寄せ来る浜の垢離

The beach purification,
the surging waves of typhoon.

たいふうの どとうよせくる はまのこり

 時間が経つにつれて、台風9号の北陸上陸に伴う風雨が強くなってきたので、裸っぽたちは浜垢離を早めに切り上げ、松原に引き上げてきた。
 裸っぽたちは、浜垢離の余韻が醒めないのか、松原のお祭り広場で、肩車をし、押し合いへし合い、「オイッショ、オイッショ!」の掛け声も勇ましく、地団駄踏んだ裸練りが繰り返し行われた。

白褌の祭広場や秋の練り

 The festival square of autumn,
push and shove dance in white loincloth.

びゃっこんの まつりひろばや あきのねり

 御瀧車のテントでご馳走に舌鼓を打ちながら歓談していると、メインロードを〆切の黄鉢巻を締めた元門車(げんもんしゃ)の一行が練り歩く姿が見えたので、曽根さんが激写するとともに、黄色の鉢巻を披露して頂いた。
 〆切は、御大祭で神輿が暗闇の中を見付天神から総社(そうじゃ)に渡御する際、エスカレートした裸っぽたちの襲撃から神輿を守る集団であり、身を賭してその栄誉を担う元門車は、暗闇の中で識別できるよう、唯一頬被りを許されている祭組である。酒が入った裸っぽたちは、エネルギーを発散させるべく、台風がもたらした大雨をものともせず、お祭り広場に蝟集(いしゅう)して、觸鈴を打ち鳴らしながら鬼踊りや裸練りに興じていた。

白褌の〆切秋の鬼踊り

The white loincloths of Shimekiri,
an ogre dance in autumn.

びゃっこんの しめきりあきの おにおどり

 9月11日(土)12日(日)に開催された御大祭の最初は、子供連の道中練りと参拝である。子供たちは、割烹(かっぽう)旅館・大孫(だいまご)のそばの入口から見付天神の参道を進み、拝殿入口に設けられたスロープに上がって次々に裸練りを披露した。子や孫の晴れ姿を一目見ようと大勢の大人たちがまわりを取り囲み、フラッシュが光った。
 最後は、神社から一番遠い西区の子供たちが姿を見せた。鉢巻・褌・腰蓑・足袋・草鞋で統一した精鋭部隊だけが拝殿前に立ち、その勇姿を披露してくれた。運動靴の子が一人いたが、足袋草鞋に履き替えるのを忘れたのだろう。来年は、衣装チェックを行い、全員、パーフェクトの姿を見せて欲しい。君たちが見付天神裸祭を背負う次代のエースなのだから!

秋祭褌腰蓑見附の子

An autumn ritual, Mituke children
of loincloths and straw aprons.

あきまつり ふんどしこしみの みつけのこ

 渡り付けが終わると、いよいよ宵祭の見せ所である道中練りが始まった。親町の「御瀧車」を先頭に東中区の祭組たちが一体となって旧東海道の見付宿場通りに繰り出し、行進を始めた。
 「しっぺい太郎生誕700年記念」として、4町の祭組を擁する西中区が11町の祭組を擁する東中区と合流し、15町が一団となって鍋久食堂前を通過した。その勇姿を鍋久食堂の二階から激写したのが写真下である。その迫力は、これまでに見たことのないもので、素晴らしいの一語に尽きる。

街道の裸踊りや秋の夜

  Autumn night,

bare-chested dance at the main road.

かいどうの はだかおどりや あきのよる

 いよいよフィナーレを飾る堂入りの時刻が近づいてきた。予定では午後11時ということだが、午後10時47分に第一陣の西区月松社(げっしょうしゃ)の堂入りが始まった。
 西区8町全ての祭組が堂入りすると、堂内は一気に盛り上がり、天井のスプリンクラーから撒水(さんすい)が開始されると、拝殿の中はあっという間に汗と熱気が広がり、稲藁の臭いとともに堂内を広く包んでむせ返るほどになった。

秋の夜半さながら鬼の乱舞かな

The middle of the autumn night,
violent dance as if they were ogres.

あきのよわ さながらおにの らんぶかな

 褌腰蓑姿の裸っぽたちが押し合いへし合い「オイッショ、オイッショ!」という精力的な掛け声と踏みならす床音が次第に激しくなって行き、裸祭りは佳境に入っていった。
 午後11時20分になると、西中区・東中区合同の15町会の裸っぽたちが次々に乗り込んできた。15町会の大集団が堂入りすると、拝殿は熱気が充満し、鬼踊りは最高潮に達した。

秋爽の觸鈴闇に見附宿

Mitsuke Stage, the tinkle of a bell
refreshing autumn darkness.

しゅうそうの ふれすずやみに みつけじゅく

 鬼踊りの撮影を切り上げ、山神社に移動し、鈴木宮司ら神職たちの到着を待った。御神火(ごしんか)を撮影した時刻は、翌日の零時2分だった。
 大勢の観客が見守る前で、白い切り麻(ぬさ)が空中を舞い、大気が浄められるなか、松明の明かりだけを頼りに鈴木宮司の祝詞奏上と一番觸、二番觸、三番觸の儀が行われた。
 「一番觸」の声がかかると、世話方より觸榊(ふれさかき)が御山役(おやまやく)に渡され、野次(やじ)と呼ばれるお付きたちとともに觸番(ふればん)が觸鈴(ふれすず)を打ち鳴らしながら山を下った。

御神火を渡る神輿や秋の夜半

The middle of the autumn night,
a portable shrine going by a sacred fire.

ごしんかを わたるみこしや あきのよわ

 昨年に引き続き、総社石鳥居のそばの篝火の明かりを頼りに、、暗闇の参道を神輿を抱え、「オッシ、オッシ」と掛け声をかけながら石段を駆け上がる輿番たちの勇姿を切り取ることができた。総社入口を示していた舞車の提灯が神輿の後に続いていた。
 暗闇の中でも鬼踊りに興じていた裸っぽたちは、神輿が拝殿を出ると、踊りを終えてその後に続く習わしとなっている。ハイテンションになっている裸っぽが神輿を奪ったり、担ぎ棒に上がったりと、狼藉をはたらかないように神輿の後ろをガードする〆切(しめきり)を務めるのが東区の元門車(げんもんしゃ)である。
 神輿が無事に御旅所の総社に到着すると、煙火(はなび)が上がり、それを合図に町内は光を取り戻した。

腰蓑を納めて仕舞ふ秋祭

The autumn ritual, finish with
taking off a straw apron.

こしみのを おさめてしまう あきまつり

 総社で神輿総社着御祭が執り行われているなか、神輿渡御にお供してきた裸っぽたちは、総社の西(左)の注連縄(しめなわ)に囲まれた納所(おさめどころ)で腰蓑納めをしたあと、三々五々帰途に着いた。

「見付天神裸祭'10」 2010.9.8 11-12 撮影:和田義男/曽根由香

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小祓こばらい

を挿して厄を祓う鈴木宮司

小祓を挿して厄を祓う鈴木宮司

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模範的な

水陣すいじん

の浜垢離

模範的な水陣の浜垢離

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佳境に入った浜垢離 11:16

佳境に入った浜垢離 11:16

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裸っぽたちで一杯になったお祭り広場

裸っぽたちで一杯になったお祭り広場

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  〆切しめきり 黄鉢巻の

元門車げんもんしゃ

(富士見町/東区) 12:33

松原を練り歩く三番觸 黄鉢巻の元門車(富士見町/東区) 12:33

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撮影:曽根由香

褌腰蓑ふんどしこしみの で統一した西区の 子供たち

褌腰蓑で統一した西区の水陣・玄社・龍陣の子供たち 18:43

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西中区と東中区の合流/見付宿場通り鍋久食堂前 21:32

西中区と東中区の合流/見付宿場通り(旧東海道)鍋久食堂前 21:32

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盛り上がってきた鬼踊り/見付天神・拝殿 22:59

盛り上がってきた鬼踊り/見付天神・拝殿 22:59

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一番觸いちばんぶれ が山神社を出発! 00:08:26

一番觸が山神社を出発! 00:08:26

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篝火かがりび のそばを渡御する神輿/ 総社そうじゃ 石鳥居 00:24:08

篝火のそばを渡御する神輿/総社石鳥居 00:24:08

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頬被りして神輿を守った 〆切しめきり 元門車げんもんしゃ の腰蓑納め 00:27

頬被りして神輿を守った〆切元門車の腰蓑納め 00:27

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2010年10月2日(土)

 平成22年(2010)9月5日(日)、東京都青梅市日向和田(おうめし・ひなたわだ)二丁目に鎮座する和田乃神社(わだの・じんじゃ)(藤野満治ふじの・まさはる宮司 90歳)で例大祭が開催され、江戸時代から続く古式ゆかしい奉納相撲を取材した。

褌を締めて四股名の相撲取

A sumo wrestler being called his ring name
after fastening a string loincloth.

ふんどしを しめてしこなの すもうとり

 かつての和田村時代に多摩川を挟んだ両地区で何かと争いがあったことから、和田村総鎮守であった和田明神の御神慮を仰ぐために相撲を奉納し、その勝敗により紛争を解決するようになったことが奉納相撲の始まりといわれている。

褌の四股名に恥じぬ宮相撲

Ritual sumo matches worthy

of each ring name on the string loincloth.

ふんどしの しこなにはじぬ みやずもう

 奉納相撲に参加するのは、小学1年生から6年生までの男子で、全員四股名(しこな)を持っている。毎年、地元の書道家に墨書してもらった布を前垂れに縫いつけている。
 奉納相撲では力士の番付表が作成されて配付される。今年は、去年より10名少ない19名の力士が参加した。小結・関脇・大関の三役に昇進すると黒帯となるが、黒帯は10本用意され、相撲を卒業する6年生や強い上級生にも締めさせるそうで、今年は四番手まで黒帯を締めていた。
 和田乃神社の奉納相撲は、神事相撲の性格が強く、古式に則った掟や装束が厳格に守られているという。他所では女子小学生も相撲を取るところがあるが、ここでは、女性は土俵に上がることは許されない。

太陽の下で相撲ふ子白ふどし

The white string loincloth,
children wrestling under the sun.

たいようの したですまうこ しろふどし

 10組の「お手合わせ」に続き、2・3年11名と4・5・6年8名の2グループに分かれて「三人抜き」が行われた。
 「三人抜き」では、最初は仕切って立ち会うが、勝負が決まると、次の対戦相手が土俵に駆け上がり、直ぐに取組が続けられ、各グループとも5名が三人抜きを達成するまで行われた。三番連勝した子は控えに戻るので、勝てない子は何度も対戦しなければならない。

青梅つ子運鈍根の相撲かな

  Ohme children, the sumo match

of luck, patience and tenacity.

おうめっこ うんどんこんの すもうかな
 五人抜きは、三人抜き同様、2・3年のグループと4・5・6年のグループに分かれて行われ、勝ち抜きを達成した子には、学年別五人抜き優勝カップが授与される。前半の三人抜きは練習で、子供たちにとっては、五人抜きが本番であり、気合いの入った熱戦が展開された。
 呼出しにより東西の小結・関脇・大関の三役が呼び出され、三役揃い踏みが披露された。

太陽を背負ひし今日の土俵入

Today's sumo ring performance,

carrying the sun on their backs.

たいようを せおいしきょうの どひょういり

 そのあと、三役相撲が行われた。最後は大関同士の対戦。六年生五人抜きの優勝に続き、結びの一番も勝利して完全優勝を果たした東大関の浜野山に、大きな優勝カップが東方行司の原嶋一喜さんから授与された。
 最後に、来賓や多くの観客が見守るなか、赤ちゃんを抱いた男性が八幡弊(はちまんべい)を持って土俵中央の俵の上に立ち、行司の合図で、赤ちゃんの健康長寿を願いながら豆力士たちが何度も胴上げした。

「和田乃神社奉納相撲」 2010.9.5 撮影:和田義男

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整列した19人の東西力士/和田乃神社(東京都青梅市)

整列した19人の東西力士/和田乃神社(東京都青梅市)

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気合いの寄り倒し /  浜野竜はまのりゅう - 天晴てんせい (2年) 

気合いの寄り倒し /  浜野竜-天晴(2年)

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太陽の子供たち/三人抜き(2・3年) 13:18

太陽の子供たち/三人抜き(2・3年) 13:18

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汗と泥まみれの熱戦

汗と泥まみれの熱戦/5人抜き(4・5・6年)

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三役揃い踏み(西方)

三役揃い踏み(西方)

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2010年9月25日(土)

 平成22年(2010)8月27日(金)28日(土)の両日、東京都青梅市根ヶ布(おうめし・ねかぶ)に鎮座する虎柏神社(とらかしわ・じんじゃ)で宵宮祭と例大祭が開催され、宵宮の奉納雅楽と例大祭の奉納相撲を取材した。

秋めくや納曽利の翳す銀の桴

Early autumnal air, Nasori the dancer

raising a silver drumstick.

あきめくや なそりのかざす ぎんのばち

 大陸から我が国に伝来して以来、その姿を守り続け、千年の時を越えて現在も天皇家や寺社の祭事の音楽として演奏される伝統の調べが雅楽(ががく)である。
 今宵の演奏は、さいたま市大宮区に鎮座する武蔵一ノ宮・氷川(ひかわ)神社氷川雅楽会の10人の皆さん。以前から虎柏神社の要請を受けて宵宮に雅楽を奏上している貴重なプロ集団である。
 納曽利(なそり)は高麗楽(こまがく)・走舞(はしりまい)に当たるもので、名称の由来は不明だが、朝鮮の地名からつけられたものといわれている。舞人(ぶにん)は、長い牙のついた恐ろしい獣の面をつけ、青地金襴(あおじ・きんらん)の帽子をかぶり、右手に細い銀の桴(ばち)を持つ。通常は二人で舞うが、ときには一人のこともある。

切株の高みの席や草相撲

Amateur sumo wrestling,

stump seats at high place.

きりかぶの たかみのせきや くさずもう

 虎柏神社の奉納相撲は、江戸時代から続く由緒あるものだが、過疎化と少子化の影響で、地元の子供たちが少なくなり、近年は、立川諏訪神社の錬成館相撲道場の力士たちのみで相撲を奉納するようになったという。虎柏神社は、かつては諏訪神社と呼ばれていたことから、そのよしみで交流があるものと思われる。
 虎柏神社奉納相撲の式次第は、立川諏訪神社と同じもので、個人戦(割)、三人抜、五人抜、目隠し、三役揃い踏み、小結・関脇・大関の三役相撲が約1時間半にわたって披露された。

木漏日や土俵に燃やす若力

Sunbeams through the leaves of trees,

young energy burning in the sumo ring.

こもれびや どひょうにもやす わかぢから

 目隠し相撲の後、東西の三役揃い踏みが行われ、小結、関脇、大関が対戦した。結びの一番は、強烈な寄りや吊り出しなど大技が披露され、場内をはらはらさせたが、勝負が付かず、引き分けとなった。

「虎柏神社奉納相撲」 2010.8.27-28 撮影:和田義男

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銀色の ばち 翳す 納曽利なそり

銀色の桴を翳す納曽利

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木漏れ日こもれび 」の土俵で準備運動

木漏れ日の土俵で準備運動

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関脇に叶う力戦!

関脇に叶う力戦!

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2010年9月20日(月)

 平成22年(2010)3月22日、筆者・山崎貴暁は、福岡市に赴任中知り合った中川涼子と結婚し、婚姻届けを提出したあと、7月中旬に山崎・中川両家の両親と共にイタリアはヴェネツィアに行って結婚式を行った

リアルトの船の往来夏運河

The summer canal,
boats come and go at Rialto.

りあるとの ふねのおうらい なつうんが

 結婚式の会場は、カナル・グランデ(大運河)に面したピッサーニ・モレッタ宮殿 Palazzo Pisani Moretta (通称「ピッサーニ宮殿」)である。ホテル・バウアーからゴンドラでカナル・グランデを15分ほど北上した対岸にある。この宮殿は、名門貴族ビッサーニ家の館として15世紀に建設されたという。
 ホテルで写真撮影が終わると、2隻のゴンドラに分かれて15分ほどかけて式場のピッサーニ宮殿に向かった。
 ヴェネツィアの動脈である大運河はゴンドラやボート、フェリー、荷物を運ぶ船などがひっきりなしに往来しており、多くの人が「おめでとう」と声を掛けてくれたり、手を振ってくれたり、写真を撮ったり、みんなに祝福されているようで、とてもうれしかった。

式場に向かふゴンドラ夏運河

Summer canal,
the gondola going to a hall for ceremonies.

しきじょうに むかうごんどら なつうんが

 11時過ぎからの式では、我々はカトリックでもないので公的証明の出ないブレッシング(祝福)スタイルではあったが、ファビオ神父より誓いの言葉「永遠の愛を誓いますか?」があり、「Si (はい」)と答えて、証明書に我々二人と両親がサインして、式は終わった。
 その後、プロセッコで全員が乾杯し、今日の良き日を祝った。この飲み方がちょっと変わっているのだが、夫婦の腕を絡ませて飲むことで、より一層絆が深まるとのことであった。

ヴァチカンの夏日燦々サンペトロ

St. Petro, the summer sun
of Vatican shining brilliantly.

う゛ぁちかんの なつびさんさん さんぺとろ

 この日は、午後からパリへ移動するため、午前中にヴァチカン市国を観光した。カトリック教会の総本山、ヴァチカン市国はローマ市内にある世界最小の独立国家で、国全体が世界遺産に登録されており、2000年を超えるキリスト教の歴史がここにある。

「ヴェネツィアの結婚式」 2010.7.12-21 撮影:山崎貴暁

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リアルト橋付近のゴンドラと水上バス

リアルト橋付近のゴンドラと水上バス

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サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂をバックに式場に向かうゴンドラ

サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂をバックに式場に向かうゴンドラ

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壮大なサン・ピエトロ大聖堂の内部

壮大なサン・ピエトロ大聖堂の内部

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2010年9月16日(木)

 平成22年(2010)8月22日(日)、東京都足立区舎人(とねり)二丁目に鎮座する舎人諏訪(とねりすわ)神社で「とねり少年相撲大会」が開かれた
 神社へは、JR山手線・日暮里駅から日暮里・舎人ライナーに乗り換えると、20分ほどで終点の見沼代親水公園(みぬまだい・しんすいこうえん)駅に着くので、出入口2から歩いて5分足らずで到着する。

相撲取る白ふんどしの舎人の子

The ritual sumo match, children
of Toneri wearing white loincloth.

すもうとる しろふんどしの とねりのこ

 午前中は、年長組・年中組・年少組の順に幼稚園児たちの取組みが行われた。豆力士たちの左腕にはマジックで長・中・小の字か書かれているので、クラス分けが直ぐに分かる。
 普段相撲を取ったことがない幼稚園児なので、相手のまわしを取ることを知らず、どうしてもレスリングスタイルになってしまう。そのため、技をかけることもなく、押し合うだけの相撲となる。
 勝った子も負けた子も沢山の賞品がもらえるので、園児たちは、勝敗よりも参加することを楽しみにしているようである。

白褌の大技小技宮相撲

The ritual sumo match, bold or subtle

 moves wearing white loincloth.

びゃっこんの おおわざこわざ みやずもう

 休憩の後、午後1時15分頃から小学生の部が始まり、1年生から6年生まで、学年毎の個人戦が行われた。
 小学生になると取組みもやっと相撲らしくなってくる。立川錬成館のように相撲部に入って練習している子はいないので、どうしてもレスリングスタイルになるが、学年が上がるにつれて、見応えのある取組みが多くなった。
 学年別個人戦が終わると、午後2時半頃から小学一年生から順に三人抜きの取組みが行われた。各学年とも3連勝した子が4人出るまで、負け残った子が繰り返し対戦する。4強6組が決まると、一年生から順に三人抜き決勝戦が行われ、準決勝戦2組、三位決定戦、優勝決定戦の順に対戦し、優勝、準優勝、3位、4位が決まる。

取り終えて白褌相撲卒業す

They graduated from sumo wrestling

of white loincloth after final match.

とりおえて びゃっこんずもう そつぎょうす

 熱戦が繰り広げられた結果、1年生から6年生まで6組の4強が揃ったので、午後3時45分頃からフィナーレを飾る三人抜き決勝戦が行われ、更に白熱した取組みが披露された。

「とねり少年相撲大会」 2010.8.22 撮影:和田義男

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真剣な取組み

真剣な取組み

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大技決まる!

大技決まる!

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豪華な賞品を手にした六年生の四強たち 16:28

豪華な賞品を手にした六年生の四強たち

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2010年9月6日(月)

 平成22年(2010)8月21日(土)東京都 立川市柴崎町(たちかわし・しばざきちょう)に鎮座する諏訪(すわ)神社(高橋重雄宮司)の例大祭にあわせて、境内の土俵で奉納相撲が開かれた

線香の煙も懐し宮相撲 

The ritual sumo match, feeling nostalgia
 also for the smoke of mosquito-repellent.

せんこうの けむりもゆかし みやずもう

 立川諏訪神社は、武勇の神としての伝統を継承し、境内に常設の相撲場を持ち、拝殿右奥には、立派な立川市錬成館があり、その奥に相撲道場がある。
 ここは、昭和27年(1952)に設立された立川市相撲連盟(浜田和郎会長)の道場で、昭和54年(1979)に現在の鉄筋構造の道場に建て替えられ、土俵2面、風呂・シャワーが完備された恵まれた環境の中で、小中学生が稽古に励んでいる。
 現在の全国少年相撲選手権大会の前身となった「全国少年相撲立川大会」を昭和59年(1984)から平成13年(2001)まで、平成12年(2000)を除いて17回開催し、最盛期の参加人数は800名を超えるなど、全国の少年相撲関係者には、「少年相撲の立川」として、広く知られている。

うっちゃりの小兵頼もし草相撲

The rural sumo match,

the small boy looks hopeful

performing utchari technique.

うっちゃりの こひょうたのもし くさずもう

 ここで育った少年たちがアマチュア横綱や高校横綱、わんぱく横綱に輝き、相撲の普及に貢献していることは、特筆に値する。今年のインターハイでは、中村大輝くんが見事に高校横綱のタイトルを手にした。
 午後1時40分頃から土俵の清祓(きよはらえ)神事が行われ、宮司によるお祓いや四本柱の根元に塩を降りかけ、御神酒(おみき)を注いで、土俵が清められた。その後、立川市相撲連盟の浜田和郎会長ら奉納相撲の役員が力士と共に柏手を打って参拝。

宙吊も諦めまいぞ宮相撲

The ritual sumo match,
don't resign for hanging.

ちゅうづりも あきらめまいぞ みやづもう

 神事が終わった後、準備運動に入り、土俵に上がった力士たちは、四股やすり足などで身体をほぐし、奉納相撲の取組に備えてウォームアップした。
 午後2時過ぎから、低学年の取組から順に奉納相撲が始まった。最初は、立川市相撲連盟の浜田会長が軍配を持ち、行司をつとめた。これまで取材してきた宮相撲の少年力士たちは、相撲の経験がなく、廻しを取ることを知らず、レスリングスタイルになることが多かったが、立川の子供たちは、錬成館でみっちりと基礎を身につけているので、廻しをしっかり取った本格的な相撲を見せてくれた。

目隠のでんぐり返し宮相撲

The ritual sumo match,

turning a somersault with a blindfold.

めかくしの でんぐりがえし みやずもう

 取組の合間に、立川錬成館のOBが胸を貸した。子供たちにとっては何人群がっても刃が立つ相手ではないが、お互いに楽しんでいる様子で、ユーモラスな光景が見られた。
 午後3時半から、恒例の目隠し相撲が行われた。ちょっきり相撲のように、お笑いを取るための演出である。三役揃い踏みのあと、小結、前頭、大関の三役の取組が行われてお開きとなった。

唇の赤き棒振秋祭

The autumn festival,
red lips of the stick twirlers.

くちびるの あかきぼうふり あきまつり

 奉納相撲が終わった午後4時頃、四人の棒使いを露払いとして獅子舞の一行が表参道から入場してきた。立川諏訪神社の奉納相撲の歴史は古く、その記録は宝暦2年(1752)に初見されるが、それ以前から獅子舞とともに奉納されていたものと推定され、現在、300年ほどの歴史があるといわれている。
 かつては、上立川からは「棒使い(棒組)」、中立川からは「獅子」、下立川からは「草相撲」と奉納行事の分担が決まっていたという。棒使いを含む獅子舞は、立川市から無形民俗文化財の指定を受けている。

「立川諏訪神社奉納相撲」 2010.8.21 撮影:和田義男

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諏訪神社の相撲場

諏訪神社の相撲場

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小よく大を制す

小よく大を制す

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空中相撲

空中相撲

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同時に転んで引き分け

同時に転んで引き分け

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お化粧をした棒使い

お化粧をした棒使い 2/2

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2010年8月30日(月)

 2010年5月28日(金)〜6月4日(金)の間、オーストリアを西から東に巡るルックJTB の「音楽と自然のハーモニー オーストリア8」の旅(申込者5名)に参加した。

はつなつを白いブーケの笑顔かな 

Smiles holding a white bouquet,
enjoying early summer.

はつなつを しろいぶーけの えがおかな

 ザルツブルクへの途中で、標高1,000mの山間の村アルプバッハを訪れた。春から夏にかけて、家々のベランダにゼラニウムなどの色鮮やかな花があふれるほど飾られ、その見事な佇まいから「オーストリアで一番美しい村」に選出されたことがあるという。
 これといった観光名所はないが、山岳のチロル地方の文化と触れあいながら、のんびりと散策するのも楽しい。

新緑や山に聳ゆる塩の城

New green leaves, Salzburg
the salt castle rising on the hill.

しんりょくや やまにそびゆる しおのしろ

 三日目は、モーツアルトが生まれた音楽の都であり、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台で知られるザルツブルクを終日観光した。ザルツブルクには年間600万人を超す観光客が訪れるが、その大半の目当ては、モーツァルトとサウンド・オブ・ミュージックのゆかりの地を訪ねることである。
 「塩の城」という意味を持つザルツブルクは、周囲の岩塩鉱から産出される塩の取引で栄えてきた。700年頃、聖ルベルトがザンクト・ペーター教会を設立し、798年には大司教区に昇格した。大司教が領主を兼ねて統治した教会国家といわれる時代は、千年に及び、壮麗な教会や宮殿が建ち並ぶ都市に発展した。

若葉して尖塔濡るゝ利休雨

New green leaves, the steeple getting wet
by the rain of grey-green color.

わかばして せんとうぬるる りきゅうあめ

 四日目はザルツブルクを後にし、東方のザルツカンマーグートを観光、最後に世界文化遺産の地・ハルシュタットに行き、一泊した。
 ハルシュタット湖の畔に開けた絵のように美しいハルシュタット村は、紀元前1000〜500年頃、ハルシュタットの裏山に眠っていた豊富な岩塩を求めて移住してきたケルト族によってつくられた。人口1000人のこの小さな村は、1997年に「ハルシュタットの文化的景観」として世界文化遺産に登録されている。

五月雨やドナウの今日は濁り川

Early summer rain,
the Danube of today a muddy stream.

さみだれや どなうのきょうは にごりがわ

 五日目は、ハルシュタットから更に東方に進み、メルク修道院の見学や世界文化遺産のヴァッハウ渓谷でドナウ川下りを満喫したあと、ウィーンに入り、2連泊した。

夏離宮スフィンクスの乳房見ゆ

The detached palace for summer,
the breasts of sphinx are exposed.

なつりきゅう すふぃんくすの ちぶさみゆ

 七日目の朝、ホテルそばのベルヴェデーレ宮殿を散歩した。「美しい眺め」という意味のベルヴェデーレ宮殿は、トルコ軍からウィーンを救った英雄プリンツ・オイゲン公(1663〜1736)が造った夏の離宮である。
 宮殿の随所には、上半身が乳房をあらわにした美女で、下半身がライオンのスフィンクスが配置され、宮殿を守っている。プリンツ・オイゲン公の「英雄色を好む」ということなのだろうか。

「オーストリア初夏の旅」 2010.5.28 - 6.4 撮影:松井公代

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アルプバッハ村の結婚式

アルプバッハ村の結婚式

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ホーエンザルツブルク城塞からの眺め

ホーエンザルツブルク城塞からの眺め

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岩塩鉱山の村ハルシュタット/世界文化遺産

岩塩鉱山の村ハルシュタット/世界文化遺産

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ドナウ川観光クルーズ船

ドナウ川観光クルーズ船

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ベルヴェデーレ宮殿の庭園を散策

ベルヴェデーレ宮殿の庭園を散策

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2010年8月5日(木)

 平成22年(2010)7月1日(木)から15日(木)までの間、768年目となる博多祗園山笠(はかた・ぎおん・やまかさ)が開催され、期間中、5,000人の裸たちと300万人の観客で賑わった。このうち、11日(日)の様子を撮影した。

山笠や舁縄一本褌衆 

  Yamakasa festival, guys of loincloth

each grasping a straw rope.  

やまかさや かきなわいっぽん ふどししゅう

 中洲の流(ながれ)区域は、クラブやスナックなど約2700軒がひしめく西日本一の歓楽街。ここで働くクラブやスナックの経営者や従業員のほか、飲んでいるうちに「山のぼせ」になった客も混じる。そのほか、「博チョン」と呼ばれる福岡への転勤者や単身赴任者が加勢衆として数多く参加している。
 「中洲」の流れるようなデザイン文字で揃えた統一法被が美しい。全員同じ法被を着用するため、氏子たちの所属が分かるように「中一」「中二」などと書かれたワッペンを法被の左袖に縫いつけている。新町名の中洲五丁目、四丁目、三丁目、二丁目、一丁目の5町で当番町を回している。
 中洲流は午後3時頃、櫛田入りした。タイムレースの本番にそなえた練習であるが、真剣そのものの走りは本番さながらで、とても素晴らしかった。

山笠や清道廻る赤手拭

Yamakasa festival, Carriers Akatenogoi
turning around the Seido precincts.

やまかさや せいどうまわる あかてのごい

 舁山の高さは15尺(4.55m)。長さ20尺(5.45m)の舁棒6本を26人で担ぎ、約10人が後押しする。招き板を持った子供たちが先走るなか、数百人の男衆が山の周りを走り、適宜交代しながら走る。
 舁き手は「台上がり」「鼻どり」「前さばき」「さき走り」「あと押し」などの役割分担があり、手拭(てのごい)や襷(たすき)の色によって役職が識別される。最初は白手拭からスタートするが、年期と熟練を要する赤手拭(あかてのごい)から役付となるため、赤手拭は男たちの憧れの的(まと)である。

山笠や気合の先棒白褌

Yamakasa festival, the heated guys

of loincloth

  carrying the front mikoshi.

やまかさや きあいのさきぼう しろふどし

 中洲流に続いて大黒流が楠田入りしてきた。今年は六番目のスタートとなる六番山である。中洲流のように統一法被ではなく、各町会毎にバラバラの水法被を着用しているので、雑然としている。
 江戸時代の山笠屏風絵などを見ると、全員が褌一丁の裸で、足は草鞋(わらじ)か裸足(はだし)である。明治に入り、文明開化の影響で裸は野蛮とされ、揃いの法被を着るようになったという。

山笠や赤褌還暦台上り

Yamakasa festival,
Daiagari the commander of sixty years old
wearing red loincloth.

やまかさや あかふんかんれき だいあがり

 東流(ひがしながれ)は、大博通り(たいはくどおり)東側の地域で構成される。旧七流の東町流を母体とし、昭和41年(1966)の町界町名整理を機に、呉服町流や櫛田流の一部が合流して新たに発足した。ガイドブックによると、東流は、何事にも熱心で、例年、追い山の「櫛田入り」「全コース」ともに上位に入る。

「博多山笠寸描」 2010.7.11 撮影:辻 竜二

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中洲の街を疾走する

中洲の街を疾走する

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全力投入の「台上り」と「赤手拭」たち

全力投入の「台上り」と「赤手拭」たち

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全力疾走!

全力疾走!

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全力疾走!

全力疾走!

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2010年7月7日(水)

 平成22年(2010)6月27日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の夏越の禊(なごしのみそぎ)が九十九里浜・釣ヶ崎海岸(つりがさきかいがん)で行われたので、密着取材した。

褌の救命講習夏の浜

Summer beach,
Life-saving course wearing loincloth.

ふんどしの きゅうめいこうしゅう なつのはま

 海中禊に先立ち、午前10時半からテント小屋の前で消防署員による救命講習会が開かれ、褌鉢巻姿の行者たちが溺者蘇生法を熱心に学んだ。
 文久2年(1862)大分県宇佐郡に生まれた川面凡児(からづら・ぼんじ)という先人が廃れていた奈良時代の禊行法を復興し、現在、川面流(かわづらりゅう)として全国で実践されており、玉前神社でもこの流儀で禊が行われた。
川面流は、和歌を斉唱しながら行う鳥舟などの準備運動を行った後、水浴して禊を行い、終わったあとも鳥舟などの整理運動を行って完了する一連の水浴(禊)の様式を定めたものである。一般に、禊は寒い時期に行われるため、準備運動や整理運動を行って体を温め、禊を全うするための工夫が施されている。

褌の夏越の祓九十九里

Kujyu-kuri,
midsummer purification wearing loincloth.

ふんどしの なごしのはらえ くじゅうくり

  九十九里浜・釣ヶ崎の砂浜でみっちりと準備運動を行った参加者たち44名は、宮嵜道彦と長尺の青竹の御幣(ごへい)を先頭に海に向かった。

いざ行かむ禊褌夏怒濤

Surging waves of summer, let's go
to the purification wearing a loincloth.

いざゆかん みそぎふんどし なつどとう

 沖合に向かって100mは進んだのではないだろうか。一行は磯波が盛り上がっては砕ける場所に到着した。
 道彦の後ろに並んだ行者たちは、紙の大祓詞(おおはらえことば)を広げ、道彦といっしょに斉唱を始めたが、開始早々大波に見舞われ、万歳スタイルでジャンプしながら波をやり過ごす姿が見られた。

褌の身を削ぐ禊夏怒濤

The surging waves of summer, purification
as if scraping each body of loincloth.

ふんどしの みをそぐみそぎ なつどとう

 沖に台風が来ているわけではないが、東の海上に停滞した梅雨前線がもたらす風が波を起こし、沖から浜辺にうねりとなって押し寄せてくる。遠浅の海岸に達すると、トロコイダル・ウェーブと称する巻波が立ち上がり、やがてその絶頂で砕け散り、白く泡だった平らな水塊が岸を洗う。行者たちは、その波に翻弄されながらも、波間に紙をかざし、天地の神に向かって大祓詞(おおはらえことば)を唱えた。

白褌のドドンと波の夏禊

Summer purification of white loincloth,
the shock of the wave.

びゃっこんの どどんとなみの なつみそぎ

 磯波に翻弄された禊は10分ほどで終了し、青竹の御幣を先頭に、濡れ鼠状態の行者たちが引き上げてきた。砂浜に帰還すると、振魂(ふりたま)をしながら石鳥居に向かって整列したあと、鳥舟などの整理運動に入った。
 古代より日本人は何か悪い事があると水を浴びる風習があり、神話にも伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が黄泉(よみ)の国から帰るときに川原で水を浴びたことが記されている。

褌の鳥舟漕や夏の浜

Summer beach,
rowing Torifune boat wearing loincloth.

ふんどしの とりふねこぎや なつのはま

 本格的な夏のシーズンを迎える6月30日にお祓いをすることは、平安時代から行われ、歌にも「水無月の夏越の祓いをする人は千歳の命延ぶというなり」(拾遺集・詠み人知らず)とあり、現代も日本全国で夏越の祓が行われている。
 禊も祓いの一つで、白褌一丁になり、水をかぶって穢れを取り除く行事は、冬に限らず、夏越の祓(なごしのはらえ)の行事の一環として行われる例は、全国のあちこちでみられる。しかし、海に身を沈めて夏越の禊をする例は、玉前神社以外には聞いたことがない。もし、同様の行事があれば、是非お知らせ願いたい。

褌の長老夏の元気かな

Golden ager of loincloth,
full of vitality in summer.

ふんどしの ちょうろうなつの げんきかな

 高温多湿の夏の季節を無事に過ごせるように行う夏越(なごし)の海中禊は、冬の大寒禊のような過酷なものではなく、幼児や婦女子、長老まで安心して参加できる神事である。今後も幅広い世代の参加が期待できる伝統の禊として、注目されることだろう。
 鳥舟を中心にみっちりと整理運動を行った後、行者たちは、回れ右して海に向かった。玉前神社から渡された禊褌(みそぎふんどし)は前垂れが長く、背の低い人は地面に達するほどで、一陣の西風に前垂れが靡(なび)いた。

褌の前垂れ靡く夏禊

Summer purification, aprons of the
loincloths streaming in the wind.

ふんどしの まえだれなびく なつみそぎ

 お開きの後、和田グループは、玉前神社に行って参拝した。参道の石鳥居に茅の輪(ちのわ)が設けられていたので、茅の輪くぐりをして夏越の祓を行った。神社の「茅の輪神事」の説明は、次のとおり。

水行を終えて茅の輪を潜りけり

They passed through the thatched ring
after water purification.

すいぎょうを おえてちのわを くぐりけり

 毎年二度(六月夏越・十二月年越)行うこの神事は、茅の輪を「祓へ給ひ清め給へ(はらえたまえ・きよめたまえ)」と唱えつつ「左、右、左」と三度くぐり、心身についた罪・穢(けがれ)を清め、神々の御加護を祈る禊の神事です。

「夏越の釣ヶ崎海岸禊」 2010.6.27 撮影:和田義男

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AEDを実践する新尺俊勝さん

AEDを実践する新尺俊勝さん

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気合いの入る鳥舟

気合いの入る鳥舟 1/2

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沖の禊ぎ場に向かう 2/2

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二段波の襲来!

二段波の襲来! 1/3

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二段波の襲来! 2/3

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再び鳥舟を念入りに!

再び鳥舟を念入りに!

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元気な長老も参加

元気な長老も参加

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海に向かって整列

海に向かって整列

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茅の輪ちのわ

神事/玉崎神社

茅の輪神事/玉崎神社

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

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