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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪海/邦楽鼓囃子

水陣の水褌白き秋禊  北舟

見付天神裸祭'10

The autumnal water purification,
white are the swimming loincloths of Suijin.

2000年7月16日開設

模範的な水陣の浜垢離

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模範的な水陣の浜垢離/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市)

俳句「海の風景」第28集

 






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2011年1月27日(木)

 冬晴れの絶好の水浴日となった平成23年(2011)1月9日(日)、東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で、第56回寒中水浴大会が開かれ、筆者(和田義男)は、かねてから準備していた和田グループの代表として、四度目の寒中禊を行った。

初春の褌新たに六十路かな

The beginning of spring,
age in the sixties wearing a new loincloth.

はつはるの ふどしあらたに むそじかな

  昨年に引き続き、Wa☆Daフォトギャラリーで和田グループ二期生を募集したところ、北海道、石川、群馬、茨城、埼玉、東京、千葉、神奈川、愛知、静岡、京都から24人(初心者8人)が参加した。また、和田グループには参加しなかったが、Wa☆Daフォトギャラリーの「第56回鐵砲洲寒中水浴のご案内」を見て、直接神社に申し込んで参加した人もおり、今年の参加者は、過去最高の約85人だった。
 63歳の私でも厳しい氷水の禊に堪えることができるのは、励まし合える集団で行うことと、気合いを入れた鳥船でみっちりとウォーミング・アップし、ハイテンションとなっているからで、普通の状態では、とても堪えられるものではない。去年も今年も、水浴後2〜3日は、筋肉痛が残ったのは、その左証であろう。

初春や褌で走る江戸の町

The beginning of spring, running in the

Edo town wearing a loincloth.

はつはるや ふどしではしる えどのまち

 翌日の東京新聞朝刊第1面に鐵砲洲寒中水浴大会の写真が掲載された。記者が一方的に神社に立ち入って取材し、報道されたことは、マスコミにも著名な水の祭として認知されたことになる。その意味で、第56回大会は画期的な大会となった。先代の中川正光宮司も草葉の陰で喜んでおられることであろう。

 前日夜から冷やした水の中に氷柱2本を立てて行う寒中水浴は、二グループに分かれて二度ずつ行われた。水浴を終えた人は、水槽の外で、鳥船をして身体を温める。

初春や八重の人垣鐵砲洲

The New Year,

crowd standing in rows at Teppouzu.

はつはるや やえのひとがき てっぽうず

  東京都国立市にお住まいの羽場左近さんは、最長老の参加で、去年に引き続き2度目の寒中水浴を実践された。丁度77歳の喜寿の水浴となったので、お祝の俳句 「初春や喜寿の水浴鐵砲洲」 を添えたA4版写真額を進呈した。

初春や喜寿の水浴鐵砲洲

  The New Year, bathing of

seventy seven year-old man at Teppouzu.

はつはるや きじゅのすいよく てっぽうず

白褌の溢れるほどの寒禊

Water purification in the cold season,

white loincloths and overflowing water.

びゃっこんの あふれるほどの かんみそぎ

 今回4度目の水浴となった筆者は、今までで一番楽な水浴だった。最長老の羽場さんのことを篠宮司に伝えてあったので、御年を考慮して短めにされたようである。しかし、水行を終えて湊湯に向かう途中で震えが来た。羽場さんも同様で、湊湯へ行くときが一番きつかったという。

銭湯の極楽なりや寒禊

  The cold water purification,

Paradise is the bathing at the public bath.

せんとうの ごくらくなりや かんみそぎ

 今回、リニューアル・オープンした湊湯に初めてお世話になった。石川幹事長によると、工期が遅れ、寒中水浴までには絶対に間に合わせてほしいと申し入れたらしく、無事に間に合って良かった。例年、冷えた切った身体を徐々に慣らして浴槽に身を沈めるのが大変だったが、今年はそれほどでもなかったのは、やはり水浴時間が短かったせいだろう。ともあれ、江戸っ子の大好きだった銭湯(当時は湯屋ゆうや)は、現在も健在である。

「鐵砲洲寒中水浴'11」 2011.1.9 撮影:星 宏幸・小林豊一

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喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと 10:53

喜寿(77歳)の水浴となる羽場左近さんと 10:53

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撮影:小林豊一

二列縦隊で走る裸の集団

二列縦隊で走る裸の集団

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撮影:小林豊一

八重の人垣 11:17

八重の人垣 11:17

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羽場さんの喜寿を祝う俳句入写真

羽場さんの喜寿を祝う俳句入写真(後日進呈した今年の写真版)

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湊湯みなとゆ

極楽 11:48

湊湯極楽! 11:48

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撮影:小林豊一

 




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2011年1月18日(火)

 平成23年(2011)1月1日(土)の早朝、伊勢湾に面する三重県鈴鹿市白子海岸(しろこかいがん)で初日の出にあわせた初禊(はつみそぎ)が行われた。

白褌の海中禊初日の出

The first sunrise of the year, purification
in the sea wearing a white loincloth.

びゃっこんの かいちゅうみそぎ はつひので

 白子海岸の西方には、江島公園を挟んで鈴鹿市東江島町に鎮座する江島若宮八幡神社(前川栄次宮司)があり、毎年、年越し参りをした人々や、初日の出を参拝する人々が夜明け前から大勢砂浜に集まってくる。
  神社の前浜では、初日の出にあわせて、神職や氏子たちの初禊のほか、空手や野球チームなどの集団参拝が行われる。この日も、越中褌と白鉢巻姿の人たちが、初日の出にあわせて海に浸かり、初禊をする光景がみられた。
 禊集団は海に浸かって初日の出を待ち、やがて太陽が東の水平線から姿をあらわすと、砂浜に上がり、二礼二拍手一礼の礼拝を行った。海辺の神社という立地条件を生かした素晴らしい初禊で、心が洗われるような清々しい夜明けだった。
  白子海岸では、例年、男女の若者グループが初日の出を背に踊ったり、海に飛び込んだりするパフォ-マンスを見せて、観客を楽しませてくれる。伝統の神事や祭事ではないが、鈴鹿市の新春の風物詩となっている。
 毎年、褌一丁で踊るグループが登場するが、今年目についたのは勝山組で、褌の前垂れに「勝山組」と表示されているので分かった。六尺褌の上に前掛けのように前垂れを付けている。褌踊り用に工夫した珍しいスタイルである。
 internetで検索すると、平成22年(2010)11月28日に三重県四日市市諏訪公園で行われた「四日市よさこい〜やったろ舞2010」に出演している。平成15年(2003)から活動歴があり、ホームページに写真集が公開されているが、どのような舞踊集団であるのかは、説明がなかったので分からない。

褌の海の乱舞や初日の出

The first sunrise of the year,
energetic dancing of loincloth at sea.

ふんどしの うみのらんぶや はつひので

  褌一丁で乱舞する若者たちの健康美が素晴らしい。海水パンツではなく、褌であるからこそ、日本人の琴線に触れる感動を与えるのではないだろうか。初日の出を背に受けて盛り上がる彼らはとても輝いていた。我々高齢者だけでなく、褌の良さを理解する若者がいることに感動した!

「白子海岸初禊」 2011.1.1 撮影:市川 清

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2011年元旦の御来光!

2011年元旦の御来光!

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美しい初日の出とシルエット

美しい初日の出とシルエット

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雄叫び!

雄叫び!

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2011年1月12日(火)

 平成23年(2011)1月2日(日)、岩手県花巻市(はなまきし)胡四王山(こしおうさん)(176m)山頂に鎮座する胡四王神社(こしおう・じんじゃ)(杉山昌之すぎやままさし宮司)で蘇民祭(そみんさい)が開催され、胡四王神社蘇民祭保存会の全面支援により、密着取材を行った。

餅を搗く千本杵の褌衆

Men of loincloth,
pounding steamed rice with a mallet.

もちをつく せんぼんぎねの ふどししゅう

 社伝の古文書によれば、大同2年(807)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東征の折、将兵の武運長久・無病息災を祈願して兜に納めた薬師如来の小像を安置して開山。稗貫(ひえぬき)氏時代は、天台宗・医王山胡四王寺(いおうざん・こしおうじ)と称し、末寺18ヵ寺を擁して大いに栄えた。
 南部藩時代の文化15年(1818)に別当が祀官(しかん)となってからは、薬師如来を医薬の神「大己貴命(おおなむちのみこと)」(別名「大国主命」)と「少名彦命(すくなひこのみこと)」に代え、矢沢神社となった。町村合併で花巻市となった昭和29年(1954)、社名を矢沢神社から胡四王神社に変更し、今日に至っている。

雪上の注連縄褌初禊

First ritual ablution for the year, sacred

straw ropes and loincloths on the snow.

せつじょうの しめなわふんどし はつみそぎ

 胡四王神社の蘇民祭は、花巻地方に原因不明の難病が流行したことから、蘇民将来の説話に基づき、今から150年ほど前の慶應元年(1856)から始まったと伝えられている。
 この伝統ある蘇民祭も戦後の混乱期に衰退し、中断の憂き目に遭ったが、昭和49年(1974)に復活し、平成2年(1990)には「胡四王神社蘇民祭保存会」が発足、平成7年(1995)には「国の選択無形民俗文化財」と「花巻市無形民俗文化財」に指定され、磐石の体勢となって今日に至っている。

初春や褌登山の蘇民祭

Somin festival, the mountain climbing

naked with a string loincloth

at the beginning of spring.

はつはるや ふんどしとざんの そみんさい

  午前9時過ぎから、社務所前広場で4人の褌衆による恒例の餅つきが行われた。
  神事が終わると、裸参りとなるが、出発前の午前10時ころ、社務所前の圧雪の上で、褌衆たちによる水垢離が行われた。桶の清水を頭から被る水垢離は一度だけなので、一瞬のうちに終わる。この日は8人が気合いもろとも冷水を浴びた。
 裸参りに参加する男たちは、水垢離が終わった後、松明と力紙を貰い、社務所前広場に二列縦隊に並んだ。

初春や褌松明胡四王山

The beginning of spring,

naked torchbearers 

of a loincloth at Mt. Kosyo.

はつはるや ふんどしたいまつ こしょうさん

 午前10時10分ころ、花火が打ち上げられると、松明を持った裸参りの一行は、天狗の面をつけた猿田彦(さるたひこ)を先頭に、社務所前広場を出発し、胡四王山山頂(176m)に鎮座する胡四王神社を目指した。
 裸参りの行列は、猿田彦、大麻(おおぬさ)を持つ神職、胡四王神楽の太鼓と手平鉦(てびらがね)、審判、蘇民袋を持つ宮司、餅と縁起物、実行委員長、裸衆、参拝者、祈願者と続く。
 胡四王山山頂までの約800mの参道は、事前に除雪のうえ圧雪されているので歩きやすいが、参道を外れると雪が深く、歩行困難となる。 参道は、ところどころ石段や木段で整備されているが、殆どは細い山道である。
 表参道の中間地点に新しい松明が用意されており、柿色の半纏をはおった役員たちが松明に点火のうえ、火が消えかけた松明と交換する作業が行われた。
 中間地点で新しい松明と交換したため、一気に火勢が増大し、裸参りの行列は、燃え上がる炎と黒煙に覆われ、銀世界のなかに美しく幻想的な光景が現出した。

二日はや褌締めて争奪戦

Second day of the year, contest

for the pennant wearing a string loincloth.

ふつかはや ふんどししめて そうだつせん

  裸衆は、拝殿前広場に着くと、横隊に整列し、保存会の中島会長、蒲田審判長、氏子総代たちが拝殿に上がり、午前10時半過ぎから浄火祭の神事が行われた。
 短い神事のあと、神職が裸男たちの御祓いを行った。それが終わると男たちが回れ右し、全員が注視するなか、柴燈木(さいとぎ)が点火された。
 裸男たちは、携えてきた松明を柴燈木(さいとぎ)に納めると、紫煙(しえんが)が上がって火勢が増大し、大気を浄化するお炊きあげが行われた。

胡四王山を雪崩れて下る蘇民祭

Somin festival, going down

the Koshio mountain like a snowslide.

こしょさんを なだれてくだる そみんさい

 中島秀樹保存会会長が拝殿の回廊から挨拶したあと、午前10時40分ころから餅撒(もちま)きがはじまった。
 午前10時45分、上半身裸となった蒲田清孝審判長と副審判長2名により、拝殿玄関から蘇民袋の袋出しが行われ、蘇民袋争奪戦が開始された。
 胡四王山山頂の広場で20分ほど揉み合いが行われた後、裸の渦は参道に向かい、約800mほど先の山麓にある一の鳥居を目指して石鳥居をくぐり、急峻(きゅうしゅん)な石段を下って行った。

初春や鳥居の下の福奪ひ

The beginning of spring, contest

for good luck under a torii gate.

はつはるや とりいのしたの ふくうばい

  中腹の石鳥居から急な石段があり、そこを下るのは危険なため、裸の集団は脇にそれて、道なき道を雪崩のように下って行った。
 裸の渦は、争奪戦が始まって1時間20分後に、一の鳥居を通過した。このとき、祖民袋の口を握っていた者が取主となった。
 選手たちは、そのままの体勢を維持し、審判が折り重なっている男たちを一人づつ引き離して行き、蘇民袋の口を握っている取主と、それに準じる位置を掴んでいる準取主の口に布札を銜(くわ)えさせて、勝負が決まった。

雪上の手〆で仕舞ふ蘇民祭

Somin festival,

closing with clapping hands on the snow.

せつじょうの てじめでしまう そみんさい

 御札などの配付が終わった12時50分ころ、表彰式が始まり、杉山宮司と中島保存会会長の挨拶行われたあと、蘇民袋争奪戦の取主となって優勝した佐々木真さんが呼ばれ、杉山宮司から賞状と優勝旗、トロフィー、御神酒など、沢山の賞品が授与された。
 表彰式のあと、蒲田清孝審判長の発声による手〆(てじめ)で、蘇民祭はめでたくお開きとなった。参加者たちは、来年の再会を約して、三々五々、帰途に着いた。

「胡四王蘇民祭」 2011.1.2 撮影:和田義男

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途中で餅をひっくり返す

途中で餅をひっくり返す

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冷水を頭から被る寒中禊!

冷水を頭から被る寒中禊!

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蘇民祭実行委員会佐藤昭男会長の後に続く裸衆

蘇民祭実行委員会佐藤昭男会長の後に続く裸衆

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燃え盛る

松明たいまつ

の行進 10:26

燃え盛る松明の行進 10:26

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蘇民袋争奪戦の開始/胡四王神社拝殿前 10:45

蘇民袋争奪戦の開始/胡四王神社拝殿前 10:45

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雪の急斜面を滑り落ちる 11:48

雪の急斜面を滑り落ちる 11:48

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審判団による取主判定 12:09

審判団による取主判定 12:09

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来春の再会を約して手拍子を打つ参加者たち

来春の再会を約して手拍子を打つ参加者たち

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2010年12月10日(金)

 平成22年(2010)10月17日(日)、 兵庫県姫路市井ノ口(いのくち)に鎮座する荒川神社で「小芋まつり」と呼ばれる秋季例大祭が開催された。

天高く屋台を翳す褌衆

 Guys of loincloth,
holding a wagon to the high sky.

てんたかく やたいをかざす ふどししゅう

 荒川神社の秋季例大祭は、町坪(ちょうのつぼ)、中地(ちゅうじ)、玉手(たまで)、岡田(おかだ)、井ノ口(いのくち)、西庄(さいしょう)の氏子六町の大幟(おおのぼり)と大人屋台(おとなやたい)六基を中心に、宮神輿と、氏子六町に西町坪(にしちょうのつぼ)を加えた子供樽神輿(こどもたるみこし)七基が繰り出す賑やかな裸祭である。
 荒川神社の秋季例大祭は、別名「小芋祭」と呼ばれて親しまれている。これは、拝殿から馬場で練る屋台を見下ろすと、すり鉢の中で小芋を洗っているように見えることから名付けられたもの。
 馬場を練り上げ、石段入口までの坂道を登った屋台は、石段下で方向転換し、練子たちは力を振り絞って一歩一歩拝殿までの石段を登ってゆく。難所の石段登は、大きな見所となっている。

石段の屋台を担ぐ秋祭

Autumn festival, carrying a wagon

on their shoulders at stone stairs.

いしだんの やたいをかつぐ あきまつり

  午後1時頃、御旅所神事が行われたあと、屋台は、御旅所の空地に順番に並べられ、しばしの休憩に入る。
 午後3時半ころから屋台の下山が始まる。御旅所で練り上げた屋台は、荒川神社の神宮寺であった本徳寺境内で差し上げを行った後、馬場へと続く坂道を下りて行く。この道は上りとは異なり、急勾配急カープが続くルートで、厳しい難所となっている。

秋麗や褌一丁屋台舁

 Bright autumn day,
naked guys of a loincloth holding a wagon
on their shoulders.

しゅうれいや ふどしいっちょう やたいかき

  現在の井ノ口屋台は平成2年(1990)に新調され、3年後に漆が塗られた。屋台紋は前後が二引両、左右は三つ巴。平成9年(1997)に幕を新調した。最大の難所・山下りのため、練子たちは法被を脱ぎ捨て、褌一丁で下山してきたガッツに拍手を送りたい。

「荒川神社小芋まつり」 2010.10.17

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町坪ちょうのつぼ

の見事な屋台差し

町坪の見事な屋台差し

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難所を担ぎ上げる黄色軍団

難所を担ぎ上げる黄色軍団

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一丁になった 井ノ口いのくち

練子ねりこ たち 16:12

褌一丁になった井ノ口の練子たち 16:12

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2010年12月26日(日)

 平成21年(2009)9月29日(火)、 群馬県利根郡(とねぐん)みなかみ町(みなかみまち)下津(しもづ)に鎮座する若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)でヤッサ祭(やっさまつり)が開かれた。

拝殿の柱を登る里祭

A rural festival,
climbing the pillar at the hall of worship.

はいでんの はしらをのぼる さとまつり

 みなかみ町の若宮八幡宮では、毎年9月29日の夜、奇祭・ヤッサ祭が齋行(さいこう)される。400年の伝統を持つ小川島地区の氏神様の祭りで、五穀豊穣・無病息災・水害除けを祈願する裸祭りである。
  神社の境内で褌姿の地元の男性十数名が数珠つながりになって「ヤッサ、モッサ、シンジュウロウ(新重郎)」と声を掛け合いながら大蛇のように練り歩くことから、ヤッサ祭と呼ばれるようになったという。
 青鉢巻・白褌・裸足の氏子たちが、前の男性の後褌(うしろみつ)を持って一列縦隊となり、歩きながら引き合い押し合い、寝そべったりしながら境内を練り歩き、神殿を廻ったあと柱登り行う。
 男たちは、境内の裸練り・神殿の巡回・柱登りを7回繰り返し、最後に拝殿の大鈴の紐をもぎ取る。見事に取れると、その年は豊作になるといわれている。汗と泥まみれになった裸たち は、最後に餅とお菓子を撒き、お開きとなる。
ヤッサ祭の起源は、かつてこの地区が水害に遭ったとき、若者たちが数珠つなぎになって人々を救ったという説と、400年ほど前にあった名胡桃城(なぐるみじょう)の合戦で、大木新重郎(おおき・しんじゅうろう)という武士が村人を避難させようと、腰紐をつかませて誘導したことにちなんだものという説がある。

鈴紐や汚れ褌の豊の秋

A bell rope, dirty loincloths
at autumn of good harvests.

すずひもや よごれふどしの とよのあき

 祭りが始まってから1時間20分が経過し、七度のお勤めが終わると、先頭の男性が抱きかかえられ、拝殿で参拝のときに打ち鳴らして大気を清める大鈴の紐取りとなった。
 全員が注視するなか、エイッと紐が引かれるとスルリと落下し、見事に紐がもぎ取られた。今年も豊作が約束されることになり、大任を果たした男たち全員から笑顔が漏れた。

「若宮八幡ヤッサ祭」 2009.9.29 撮影:曽根由香

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頂上を極める 20:36

頂上を極める 20:36

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豊作をもたらす鈴紐を手にした裸たち! 21:05

豊作をもたらす鈴紐を手にした裸たち! 21:05

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2010年12月22日(水)

 2010年10月22日(金)〜31日(日)の間、家内と共に阪急交通社が主催する「クロアチア・スロベニア・モンテネグロ・ボスニアヘルツェコビナ4カ国周遊10日間」のツアーに参加した。

後背の山の端白き秋の湖

The autumn lake, white are
the mountain ridges of hinterland.

こうはいの やまのはしろき あきのうみ

 スロベニアのゴレンスカ地方に位置するブレッドは、5,500人が暮らす小さな町で、スロベニアを代表する風光明媚な観光地である。氷河により大地が削り取られて生まれたブレッド湖 Blejsko Jezero のそばの岩山には、赤いとんがり帽子の望楼を持つブレッド城が築かれており、昔のままの佇まいを見せてくれる。
 ブレッド湖の畔に聳えるブレッド城は、町の西方にあり、高さ100mほどの岩石の上に立っている。長い間、ブリクセン司教の居所として使われており、代々の司教は、800年もの間、ブレッドに大きな影響を与えてきた。城内には、歴史博物館と古くて綺麗な礼拝堂のほか、レストランがある。

赤屋根の城塞今に蔦紅葉

Red leaves of ivy,
the fort of red roof still being.

あかやねの じょうさいいまに つたもみじ

  古都トロギールは、アドリア海に浮かぶチオヴォ Ciovo 島とクロアチア本土の間の狭い海峡に浮かぶ小島で、本土とチオヴォ島とは橋で結ばれている。中世の面影を残す町で、1997年に町全体がユネスコの世界文化遺産に登録された。
 トロギールは元は本土と陸続きだったが、周囲を城壁で囲み、小島となった。ギリシア時代に植民都市トラガリオンとして築かれた町で、様々な時代にわたる教会や歴史的建造物が残っている。
 12世紀に建てられた聖ロヴロ大聖堂は、ロマネスク様式とゴシック様式が融合した教会で、クロアチアを代表する聖堂として知られる。

鐘楼のロヴロ聖堂島の秋

Autumn of the island,
a belfry of Lovre church.

しょうろうの ろう゛ろせいどう しまのあき

  「アドリア海の真珠」と賞賛されるドブロヴニクは、クロアチア観光のハイライトで、オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市街は、高く重厚な城壁に囲まれており、どこから見ても絵になる美しい街である。
 15〜16世紀にヴェネツィアと並ぶ貿易都市として栄えた歴史があり、今も旧市街は、オレンジ色の瓦屋根の家々が所狭しと並び、8〜16世紀に増改築を繰り返して建造された堅固な城壁に囲まれている。
 旧市街は、大理石が敷き詰められたプラッア通り Ulica od Placa を中心に、左右に細長く狭い路地が延び、変わらない人々の暮らしが続けられている。この美しい街は、1979年にユネスコの世界文化遺産に登録された。

秋の波ドドンと寄する街の壁

The wall of the town,
the autumn waves charging violently.

あきのなみ どどんとよする まちのかべ

 クロアチアの首都ザグレブの南方110kmほどにあるプリトヴィッツェ湖群国立公園は、クロアチアの国立公園の一つで、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境に近いプリトヴィツェ湖群市に位置する。
 豊かな水量と美しい清流を誇るプリトヴィッツェ川は、森の中を縫うように蛇行しながら静かに流れている。階段状に並んだ16の湖が大小92の滝で結ばれて美しい景観を作り出しており、プリトヴィッツェ湖群国立公園は1979年にユネスコの世界自然遺産に登録されている。

木道を巡る湖水や秋の景

The autumn scenery, strolling
the water land along the wooden deck.

もくどうを めぐるこすいや あきのけい

  人口約440万を擁するクロアチアは、1992年にスロベニアに次いでユーゴスラビアから独立を果たした新しい共和国である。ザグレブは、クロアチアの首都で、人口120万の同国最大の都市である。メドヴェドニツァ山の南斜面とサヴァ川の北岸に挟まれた標高120mほどのところにある。小高い丘があり、緑に囲まれた美しい街並みには、ゴシック様式やバロック様式の重厚な建物が多い。

秋気澄む古色の石塔どっしりと

The clear sky of autumn, the stone tower
 of antique look standing massively.

しゅうきすむ こしょくのせきとう どっしりと

 感動写真集同人の小池淳二さんの第7作「クロアチア秋の旅」が完成した。クロアチアは、既に南光優さんの春の「クロアチア感動の旅」があるが、今回の作品は、秋のクロアチアである。春秋それぞれに味わい深いものがあり、印象が異なるが、満足度が高い旅であることは間違いない。最近、クロアチアを訪れる日本人客が増えているのもうなずける。

「クロアチア秋の旅」 2010.10.22-31 撮影:小池淳二

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ブレッド湖の後背に迫るユリアン・アルプス/スロベニア

ブレッド湖の後背に迫るユリアン・アルプス/スロベニア

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蔦紅葉が見事なブレッド城

蔦紅葉が見事なブレッド城

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聖ロヴロ大聖堂の鐘楼からの眺め/トロギール

聖ロヴロ大聖堂の鐘楼からの眺め/トロギール

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アドリア海の荒波/ドブロヴニク

アドリア海の荒波/ドブロヴニク

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木道の先に滝が・・・/プリトヴィッツェ湖群国立公園

木道の先に滝が・・・/プリトヴィッツェ湖群国立公園

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大聖堂脇に残る15世紀当時の塔/ザグレブ

大聖堂脇に残る15世紀当時の塔/ザグレブ

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2010年12月10日(金)

 平成22年(2010)11月19日(金)と11月21日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社の秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で927年目となる。

狩衣の白褌神輿秋の川

Autumn river, a portable shrine of white
 fundoshi loincloths with kariginu coats.

かりぎぬの びゃっこんみこし あきのかわ

 若宮神輿の渡御は、桂川の川床(かわどこ)を渡るところがユニークで、いくつもの見せ場がある。最初は、狩衣・褌・白足袋の與丁(よちょう)たちが白布を巻いて保護した宮神輿を担ぎ、桂川東岸のスロープを下って川に入るところで、純白の装束がスポットライトに浮かび上がり、神々しくも美しい姿を見せてくれる。
 二つ目の見所は、川中の篝火(かがりび)を目印に渡御コースを進みながら、要所で神輿を川床に置いて円陣を組み、前後の担ぎ棒に乗った與丁たちに水を浴びせるなどして神と戯れ、柏手(かしわで)で〆るところである。

秋川の燃ゆる大松明渡御神輿

A huge torch burning in the autumn river,
 a portable-shrine traversing.

あきかわの 

もゆるおおだい とぎょみこし
  3つ目の見所は、大松明が赤々と燃え盛る そばをスポットライトで浮き上がった若宮神輿が渡御するシーンである。水と火と神輿のコラボによる大規模な夜のページェントは、日本一の川渡祭といって差し支えあるまい。
  特に、特設ステージのそばで、観衆に挨拶するシーンは、川組輿丁(かわぐみ・よちょう)たちの檜舞台であり、海水をかけ合って盛り上がるシーンは感動的である。ちなみに若宮神輿は陸組・川組共に神輿差しを行わない。特に川組にあっては、足場が悪いので、神輿差しは危険な行為となる。

篝火の燃ゆる川面や秋神輿

Bonfires burning above the river surface,
a portable shrine of autumn.

かがりびの もゆるかわもや あきみこし

  最後の見所は、お下り・お上りとも、岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。昔の海水は綺麗だったと思われるが、近年の海水汚濁により、全身汚水にまみれた與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。

秋の川濡褌の輿丁かな

Autumn river, carriers of portable shrine

of wet fundoshi loincloths.

あきのかわ ぬれふんどしの よちょうかな

  私が「若宮褌」と名付けた狩衣の上に腹巻と長い前垂れの六尺褌を締め込んだ出で立ちは凛々しく、とても男らしい。下半身が丸出しなのは、博多山笠と似ている。純白の狩衣褌が川を渡ると、鼠色に変色し、その苦闘の跡を残した姿で大衆の面前に現れる。その落差がまた良い。

「若宮八幡裸祭'10」 2010.11.19-21 撮影: 清原 浩

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桂川に入った若宮神輿 17:22

桂川に入った若宮神輿 17:22

拡大写真(2000X1340)417KB 撮影:渡辺 淳
大松明と川渡神輿

大松明と川渡神輿

拡大写真(2000X1340)297KB 撮影:渡辺 淳
観衆の前に着いた若宮神輿 18:06

観衆の前に着いた若宮神輿 18:06

拡大写真(3000X1580)747KB 撮影:辻 竜二
濡れ鼠状態の輿丁たち

濡れ鼠状態の輿丁たち

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2010年11月29日(月)

 平成22年(2010)9月3日(金)〜10日(金)の間、アメリカ西部のグランドサークルと呼ばれる荒野を巡るルックJTB 「絶景の地を訪ねて1600キロを行く 4つの国立公園制覇8日間」の旅(参加者20名)に出掛けた。

天高し荒野のアーチ幾星霜

High sky, an arch in the wasteland
over tens of thousands of falls.

てんたかし こうやのあーち いくせいそう

 アーチーズ国立公園のシンボルであり、ときにはユタ州のシンボルにもされるのが、デリケート・アーチ Delicate Arch である。
 デリケート・アーチへは、往復約5km・標高差146mのトレイルを片道1時間ほど歩かなくてはならず、見学時間を入れて2時間半を要する難易度の高いツアーである。

秋光の荒野に赤きビュートかな

Autumnal sunlight,
strange red buttes in the wilds.

しゅうこうの こうやにあかき びゅーとかな

 モニュメント・バレーは、アメリカ合衆国西南部のユタ州南部からアリゾナ州北部にかけて広がる地域一帯 を指し、メサ Mesa と呼ばれるテーブル形台地や、更に浸食が進んだビュート Butte といわれる岩山(残丘ざんきゅう)が点在し、あたかも記念碑(モニュメント)が並んでいるような景観を示していることからこの名がついた。
 映画監督のジョン・フォードは、アメリカ西部の開拓史を描いた西部劇「駅馬車」(1939年)に代表されるジョン・ウェイン主演による西部劇の舞台として多数の映画撮影をこの地で行っている。彼が好んで映画カメラを設置した場所は、ジョン・フォード・ポイント John Ford's Point と呼ばれ、有名なビュー・スポットとして多くの観光客が訪れる。

残丘の燃ゆるが如き秋の暮

Autumn dusk,
the buttes look like burning flames.

ざんきゅうの もゆるがごとき あきのくれ

  グランド・キャニオンは、アメリカ合衆国アリゾナ州北部にある峡谷で、コロラド高原がコロラド川の浸食作用によって削り出されたもので、先カンブリア時代からペルム紀までの地層の重なりを目の当たりにできるところである。地球の歴史を秘めている価値と共に、その雄大な景観から合衆国の初期の国立公園の一つであるグランド・キャニオン国立公園に指定され、また、1979年には、ユネスコの世界自然遺産に登録された。

キャニオンの燃ゆる山々秋入日

Autumn sunset,
the burning mountains of canyon.

きゃにおんの もゆるやまやま あきいりひ

 グランド・キャニオンの断崖は、平均の深さ約1200m、長さ446km、幅6km〜29km、最深地点は1800m。その起源は、今から7000万年前、この一帯の広い地域がカイバブ・アップリフトと呼ばれる地殻変動により隆起したことに始まるという。

秋暁や荒野のキャニオン御来光

Autumn dawn,
the sunrise at the canyon of wasteland.

しゅうぎょうや こうやのきゃにおん ごらいこう

 約4000万年前、コロラド川による浸食が始まり、峡谷は500万年前にほぼその全容が現れた。現在見られるような峡谷になったのは、約200万年前だという。今もなお浸食が続いており、およそ20億年前の原始生命誕生時の地層を浸食しながら地球の年輪を刻み続けている。

「アメリカ西部荒野の旅」 2010.9.3-10 撮影: 松井公代

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デリケート・アーチの下に立つ! 18:17

デリケート・アーチの下に立つ! 18:17

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部屋から見えるビュートの絶景! 17:17

部屋から見えるビュートの絶景! 17:17

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ビュートの夕焼け! 19:29

ビュートの夕焼け! 19:29

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茜色に染まる山々 18:39

茜色に染まる山々 18:39

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グランド・キャニオンのご来光 06:09

グランド・キャニオンのご来光 06:09 

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2010年11月19日(金)

 平成22年(2010)1月16日(土)、 岩手県奥州市(おうしゅうし)江刺区(えさしく)(旧江刺市)伊手(いで)に鎮座する熊野神社(くまのじんじゃ)で蘇民祭(そみんさい)が開かれた。

小雪舞ふ柴燈木登や白ふどし

A light snowfall, white loincloth of
climbers on the smoking piles of Hitaki
lumber of holy fire.

こゆきまう ひたきのぼりや しろふどし

 熊野神社の蘇民祭の起源は、四百年以上も前にさかのぼる。当時凶作や疫病などに苦しんだ人々が近隣の黒石寺を手本に始めたといわれているが、正確な記録は残っていないという。
 戦後の経済成長に伴い、人口流出が進み、さらに信仰心の希薄化や資金不足も重なって、蘇民祭は昭和35年(1960)に一時中断したが、昭和45年(1960)に有志が保存会を結成して隔年で再会され、昭和50年(1975)からは地区全域の協力を得て毎年開催されるようになった。
 昭和60年(1985)から開催日を旧暦から新暦の正月14日に変更。平成7年(1995)に「記録作成等の措置を講ずべき国の無形文化財」に指定されたが、黒石寺と同様に徹夜の祭礼だったため、平成11年(1999)から行事時間を短くして翌日の午前1〜2時頃に終わるように変更。平成13年(2001)から正月第三土曜日に開催することとなり、現在に至っている。

初春や焼棒杭の邪気祓

Early spring,
exorcism by a half-burned stick.

はつはるや やけぼっくいの じゃきばらい

 午後9時から「岩手の火まつり」である「火たき登り」が始まった。これも易しく表記しているが、「火を焚いて登る」ことから「柴燈木登(ひたきのぼり)」を「火たき登り」と表現したのだろうか。
 柴燈木登(ひたきのぼり)は、積み重ねた松木(まつき)の上にのぼり、火の粉を浴びて身を清める行事で、これは修験道の柴燈護摩(さいとうごま)と考えられる儀式であり、修験道と神道とが見事に習合している。
 男たちは、歳戸木(さいとぎ)の燃えさしを引き出し、地面や拝殿に叩き付け、飛び散る火の粉で邪気を払 い始めた。

白褌の渦参道に雪夜かな

A night of snow,
a human vortex of white loincloth
appeared on the approach to the shrine.

びゃっこんの うずさんどうに ゆきよかな

 蘇民袋争奪戦は、五穀豊穣と無病息災を願い、故事に習って疾病の護符である将軍木(かつのき)で作った小間木(こまぎ)(蘇民将来そみんしょうらい)が入った蘇民袋を奪い合う行事である。小間木と蘇民袋を手にした者は、災厄を免れるという。

「伊手熊野神社蘇民祭」 2010.1.16 撮影:曽根由香

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火たき登り(

柴燈木登ひたきのぼり

)の晴れ姿! 21:33

火たき登り(柴燈木登)の晴れ姿! 21:33

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歳戸木さいとぎ

の燃えさしを拝殿に叩き付ける!

歳戸木の燃えさしを拝殿に叩き付ける!

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境内に出た裸の渦!

境内に出た裸の渦!

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2010年11月16日(火)

 平成22年(2010)1月16日(土)、 岩手県奥州市(おうしゅうし)江刺区(えさしく)(旧江刺市)伊手(いで)に鎮座する熊野神社(くまのじんじゃ)で蘇民祭(そみんさい)が開かれた。

緑陰の赤手拭や褌衆

The shade of trees, the guys each wearing
 a string loincloth and a red towel band.

りょくいんの あかてのごいや ふどししゅう

 津屋崎祇園山笠は、正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祇園社の神を勧請(かんじょう)して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。
 山笠は、漁業中心の北流(きたながれ)、商業中心の新町流(しんまちながれ)、農業中心の岡流(おかながれ)の3つの流れがある。
 午前9時前、祇園山笠最大の見せ場である追い山が始まり、一番山笠から順に波折神社を出発。 男たちは、オイッサ!オイッサ!の掛け声とともに、津屋崎交番付近を到着点とするコースを全力疾走した。

山笠や清道海に一直線

  Yamakasa festival,

the sacred road straight towards the sea.

やまかさや せいどううみに いっちょくせん

 追い山が終わると、その余勢を駆って氏子町内を練り歩く流れ舁(ながれかき)が行われた。男たちは、勢い水で濡れ鼠状態になりながら、道ばたで見守る大勢の観衆に晴れ姿を披露していた。

「津屋崎祇園山笠」 2010.7.18 撮影:曽根由香

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境内を疾走する

岡流おかながれ

境内を疾走する岡流

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清道せいどう を疾走する三番山笠・

岡流おかながれ

清道を疾走する三番山笠・岡流

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2010年11月11日(木)

 平成22年(2010)11月3日(水)文化の日、千葉県旭市二(ちばけん・あさひし・に)の袋(ふくろ)地区に鎮座する太田神社(おおた・じんじゃ)で秋の例大祭が開催され、黒虎相撲(くろこずもう)が奉納された。

蘇る黒虎相撲や力石

Big rocks for a lifting contest,
Kuroko sumo wrestling has revived.

よみがえる くろこずもうや ちからいし

 黒虎相撲(くろこずもう)は、安永9年(1780)に太田神社の4人の氏子たちが江戸商人として成功した御礼に大鳥居を奉納した際、落成祝いに江戸から玄人(くろうと)力士を招聘(しょうへい)し、旧暦霜月(しもづき)(11月)朔日(さくじつ)(1日)に相撲を奉納したことがきっかけで始まった。
 参道の入口には、230年前の江戸時代に大鳥居を建立した際に奉納された力石(ちからいし)が置かれている。
黒虎相撲では、相撲褌(まわし)や化粧回しの下に越中褌を締めている。後ろ立褌(うしろたてみつ)を束ねれば六尺褌のようにTバックになるので、その上に相撲褌を締めることで越中褌が見えなくなる。その効用は、第一に清潔であり、相撲褌を締める際の羞恥心も和らぐ。

褌の上に褌宮相撲

A sumo match dedicating to the shrine,

wearing a loincloth

  on the other loincloth.

ふんどしの うえにふんどし みやずもう

 13組の少年少女相撲が終わると、東西両横綱の土俵入りが始まり、東の横綱・飯島俊一青年団長の不知火型(しらぬいがた)の土俵入りに続き、西の横綱・斎藤秀明副団長の雲竜型(うんりゅうがた)の土俵入りが披露された。大相撲と同様、古式にのっとった美しい姿に感動した。
 化粧回しは、大相撲の関取が土俵入りの際に締める儀式用の相撲褌で、長さ8m、幅70cmの長い博多織の布の先端に豪華な刺繍と馬簾(ばれん)と呼ばれる飾りの付いたエプロンのような大きな前垂れのある高価な褌である。

太陽を背に綱の土俵入

Sumo leg stomps of Yokozuna,

receiving the sunlight on his back.

たいようを そびらにつなの どひょういり

 横綱の土俵入りに続き、袋お囃子保存会「袋でんでん」によるお囃子や踊りなどが奉納された。踊りのあとは、「獅子舞」のお囃子をバックに獅子舞の土俵入りが披露された。「獅子舞」は、お祝い事や五穀豊穣、無病息災などを祈念して奉納される大変目出度いお囃子である。
 唐草模様の布に包まれた2人の青年が赤い獅子頭(ししがしら)をかぶって滑稽な動作を繰り広げる獅子舞は、日本のあちこちで見られる正月の風物詩だが、相撲褌(まわし)を締め込んだ青年が獅子頭をかぶって土俵入りを行うという趣向は初めてで、なかなか面白く、創意工夫が伺われる。

笛太鼓唐草獅子の土俵入

Flutes and drums, the entrance

  into the sumo ring

  by a lion of arabesque design.

ふえたいこ からくさじしの どひょういり

 激戦の末、優勝杯を手にしたのは、東の横綱・飯島俊一さん。城之内清勝・袋区長より、優勝杯が授与された。
 結びの一番のあとは、大相撲でお馴染みの弓取式が行われた。篠塚行司から弓を手渡されたのは岩井雅史さん。長身の右腕による見事な弓捌き(ゆみさばき)を見せてくれた。

宮相撲弓のうなりて千秋楽

A sumo match dedicating to the shrine,

humming of a bow brings the end.

みやずもう ゆみのうなりて せんしゅうらく

 今から18年前の平成4年(1992)地元篤志家による寄進により復活を遂げた黒虎相撲は、袋区青年団12人による古式にのっとった勇壮で美しい奉納相撲として受け継がれていることにとても感動した。
 相撲だけでなく、袋お囃子保存会の袋囃子の奉納や獅子舞の土俵入り、婦人部の飲食の接待やくじ引きなど、黒虎相撲を支える地域の方々の連帯と熱意を強く感じた。

「太田神社黒虎相撲」 2010.11.3 撮影:和田義男

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230年前から太田神社に伝わる 力石ちからいし

230年前から太田神社に伝わる力石

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越中褌えっちゅうふんどし の上に 相撲褌まわし を締める

越中褌の上に相撲褌を締める 1/3

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美しい 不知火型しらぬいがた

美しい不知火型

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獅子舞の土俵入り 3/4

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岩井雅史さんの熟練の弓取技

岩井雅史さんの熟練の弓取技

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楽天市場
 

 




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2010年10月25日(月)

 平成22年(2010)8月15日( 日) 、瀬戸内海の広島湾に浮かぶ世界文化遺産「安芸の宮島(あきのみやじま)」で行われた玉取祭(たまとりさい)に出かけた。

白褌の玉取祭や夏磯辺

A summer beach, Tamatori festival
of white string loincloth.

びゃっこんの たまとりさいや なついそべ

 日本三景の一つとして知られる「安芸の宮島」を町域とした宮島町は、初めて取材した翌年の平成17年(2005) 11月3日、対岸の大野町とともに廿日市市(はつかいちし)に編入合併され、広島県佐伯郡宮島町から廿日市市宮島町(はつかいちし・みやじまちょう)となった。
 玉取祭は、毎年大潮のときに広島県廿日市市の宮島(厳島いつくしま)に鎮座する厳島神社で行われる神事で、裸の男たちが社殿と大鳥居の間の海中に据えられた櫓(やぐら)に吊された宝珠(ほうじゅ)を奪い合う豪壮な裸祭りである。
  玉取祭は、戦国時代から行われている神事で、400年を越える歴史を有する。かつては延年祭(えんねんさい)といわれ、旧暦7月14日の夜、本社拝殿に五尺四方の台を設け、その中央に頭が木彫で胴が藁苞(わらづと)の福神像を載せて延年祭を行い、行事が済んで台が下ろされると、待ち構えていた褌一丁の男たちによる福神像の凄まじい争奪戦が繰り広げられたという。
 やがて宝珠争奪戦がはじまると、外国人を交えた40人ほどの男たちが肩を組み、人間ピラミッドをつくり、宝珠を載せた地盤に向けてジャンプを繰り返した。

「宮島玉取祭'10」 2010.9.8 15 撮影:曽根由香

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地盤じばん

(宝珠台)に取り付く!

地盤(宝珠台)に取り付く!

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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