ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール

★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

♪海に帰る・栄華の墓所・巡礼・水の宮・鎮守の森・島の祭り

秋の空白褌の浜の垢離  北舟

見付天神裸祭

The autumn sky, purification wearing a white loincloth at a beach.

2001年7月16日制作

波に打たれる子供連/水陣(西区)

拡大写真(2000X1500)540KB

波に打たれる子供連/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市)

 



 



1201





 

 





 



  
 
1200




 



 



 
 


 


 


 

 
 
1199


 









 

1198




 
 





 

  
 
1197




 



 

 
 
1196


 



 




 

  
  
   

1195












 

1194




 

 









 
 


 

  
 
1193




 








 



 

 


 

 

 
 
1192


 



 

2010年2月6日(土)

 平成22年(2010)1月24日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の大寒禊が九十九里浜一宮海岸で初めて行われた。

白褌の浜の鳥船寒禊

Midwinter ablutions, Torifune practice
wearing a white loincloth on the beach.

びゃっこんの はまのとりふね かんみそぎ

 文久2年(1862)大分県宇佐郡に生まれた川面凡児(からづら・ぼんじ)という先人が廃(すた)れていた奈良時代の禊行法(みそぎぎょうほう)を復興し、現在、川面流(かわづらりゅう)として、東京都青梅市御岳山(みたけさん)山頂(929m)・武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)の滝行(たきぎょう)や茨城県鹿嶋市・鹿島神宮の大寒禊、東京都中央区・鉄砲洲稲荷神社の寒中水浴大会など、全国各地で実践されている。いくつかの流派があるが、大きな違いはなく、玉前神社の大寒禊は、鹿島神宮と同じやり方だった。

寒禊褌締めて海に入る

Midwinter ablutions, going into
the sea wearing a Fundoshi loincloth.

かんみそぎ ふんどししめて うみにいる

鳥船(とりふね)とは、天孫降臨の際にニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が乗られた船のことで、鳥船行事は、身体の邪気を発散させつつ心と霊魂(れいこん)を浄化統一する作法で、略して鳥船(鳥舟)という。その実際は櫓(ろ)で舟を漕ぐ動作が中心となり、気合いを入れて全身運動をみっちりと行うことで、身体が芯から温まってくる。
 鳥船などの準備運動をみっちり行った後、一行は10時45分ころ道彦を先頭に荒波寄せ来る海に入り、大祓詞(おおはらえ・ことば)を斉唱(せいしょう)する大寒禊が始まった。
 この日は殆ど風もなく、穏やかな冬晴れとなり、絶好の水行日和だったが、太平洋の冬の荒波が押し寄せる厳しい海象だったため、何回かに1回現れる大きな磯波に戸惑う参加者もみられた。

サーフィンのよぎる浜辺や寒禊

Midwinter ablutions at a beach,
a surfrider passing nearby.

さーふぃんの よぎるはまべや かんみそぎ

 大寒禊はサーフィンで賑わう北側のビーチを避けて南側の水域で行われたが、ときおり禊場のそばをサーファーが通り過ぎ行き、 江の島天王祭 と同様に新旧文化の混在が見られた。
 参加者たちは大きな波が来襲する度に、波に流されないよう足を踏ん張り、波を乗り越えながら斉唱していた。

海原の波の直撃寒禊

Midwinter ablutions, receiving
the direct hit of waves of the ocean.

うなばらの なみのちょくげき かんみそぎ

 大祓詞は紙に印刷されているだけなので海水に浸かって破れたり、流出したりした。斉唱は足が浸かる程度の波打ち際で行いそのあと海に入って、鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴や武蔵御嶽神社の滝行のように、「祓戸大~(はらえどのおおかみ)・・・」を唱えながら振魂(ふりたま)を行う方式にすれば、波に煩わされることはないと思われる。

海原の大寒禊九十九里

Kujyukuri, purification
of the coldest season in the ocean.

うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり

 何処までも続く大海原に浸かりながら禊をするのはとても晴れやかで清々しく心が広くなる。私も途中で海に入りたい衝動に駆られたほどだった。

寒みそぎ波に洗わる白ふどし

Midwinter ablutions, the white
loincloths being washed by the waves.

かんみそぎ なみにあらわる しろふどし

 禊の時間帯は、太陽が南にあるので、太陽を背にして北側の防波堤に向けて撮影せざるを得なかったが、写真上のように南を向くと、九十九里浜が遠くまで続くダイナミックな景観となっており、素晴らしい環境での禊である。太平洋での禊は、今後は毎年夏と冬の2回行われるので、是非、参加することをお勧めする。

寒禊真砂の光る九十九里

Midwinter ablutions,
the glistening sands of Kujyukuri.

かんみそぎ まさごのひかる くじゅうくり

 鹿島神宮の大寒禊 は、何度も復唱するので、禊の時間がかなり長いが、今回は、波が荒かったためか、5分ほどで禊が終わり、再びテントのそばの砂浜で円陣を組み、鳥船などの整理運動が行われた。
 海に向かって拝礼した後、お開きになったのが10時56分ころ。裸で集合してから約25分間の短い禊だった。

寒禊雄詰剣印濡褌

Midwinter ablutions, Okorobi practice
of sword sign wearing a wet loincloth.

かんみそぎ おころびけんいん ぬれふどし

 全ての行事が終わると、お湯を積んだ給水車でお湯を被り、身体を温めながら塩抜きをした。これも神社側の細やかな配慮で、参加者は大喜びだった。みんな控え目に利用したため、お湯が余って捨てていたので、来年はもっと使っても大丈夫だろう。
 和田グループの羽場さん、新尺さん、松本さんとも鐵砲洲の方が厳しかったとの感想。気分爽快なので、来年も是非参加したいとのことだった。
 全ての行事が終了した後、太平洋の大海原を背に道彦を囲んで全員の記念写真を撮らせて頂いた。記念すべき初回の大寒禊に参加し、実際に禊を行った人は、18人だった。うち、女性が3人、アメリカ人が1人いた。

寒禊出前のお湯を頭から

Midwinter ablutions, taking a
overhead shower of hot water delivered.

かんみそぎ でまえのおゆを あたまから

 大寒禊が終わったあと、11時半までに神社に集合とのことだったので、再度タクシーに乗り、駅の西にある玉前神社に行った。現在、神殿は、白いキャンバスで囲まれており、平成の大修理中だった。赤鳥居が一の鳥居で、その奥に石造の二の鳥居が立つ。
 千葉県長生郡一宮町に鎮座する玉前神社は、延喜式神名帳では式内社、名神大社に分類されている上総国の一ノ宮である。明治以降の旧社格は国幣中社、現在は神社本庁包括の別表神社となっている。
 永禄年間(1558〜1570)の戦火により、社殿や記録類が焼失したため、創建年代は不明であるが、少なくとも鎮座以来1200年以上経過していることは間違いないといわれる。祭神は、玉依姫命(たまよりひめのみこと)である。

寒禊海鮮鍋に舌鼓

Midwinter ablutions, smacking
lips over a bowl of hot seafood.

かんみそぎ かいせんなべに したつづみ

 拝殿での参拝の後斎館(さいかん)に移動し昼食会となった。最初に甘酒が振る舞われたあと、寒鰤や海老などの魚類や野菜がタップリ入った海鮮鍋とおにぎり、ソーセージ、鏡餅を砕いて炒ったと思われる霰(あられ)が出された。私もご相伴にあずかったが、身体が温まり、美味しく頂けた。

「玉前神社大寒禊」 2010.1.24 撮影:和田義男

********

気分爽快・海辺の櫓漕ぎ運動「

鳥船とりふね

気分爽快・海辺の櫓漕ぎ運動「鳥船」

拡大写真(2000X1450)415KB

磯波の中を進む

磯波の中を進む

拡大写真(2400X1650)593KB

大寒禊のそばをかすめるサーファー

大寒禊のそばをかすめるサーファー

拡大写真(1800X1530)477KB

砕けた磯波!

砕けた磯波!

拡大写真(2500X1900)664KB

波の合間に斉唱

波の合間に斉唱

拡大写真(1600X1200)369KB

大海原から引き揚げる水行者たち 10:47

大海原から引き揚げる水行者たち 10:47

拡大写真(2000X1500)740KB

雄詰おころび

のアニメーション

雄詰(おころび)のアニメーション

拡大写真(1600X1200)379KB

頭からお湯を被る

頭からお湯を被る

拡大写真(1400X1250)276KB

栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで昼食会/斎館

栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 12:14

拡大写真(1600X1200)360KB

 



 



1191





 

 





 

  
 
1190




 



 



 
 


 

 

 
 
1189


 







 


 

 
  
   

1188
 

2010年1月31日(日)

 冬晴れの絶好の水浴日となった平成22年1月10日(日)、東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で、第55回寒中水浴大会が開かれ、かねてから準備していた水浴和田グループの代表として、三度目の寒中禊を行った。

年新た褌新たに鐵砲洲

  The New Year, gathering

at Teppouzu wearing a new loincloth.

としあらた ふどしあらたに てっぽうず

 社務所二階に上がり、午前9時30分から午前10時まで和田グループの受付を行い、申込者22人のうち19人が地元東京のほか、北海道、石川、群馬、埼玉、千葉、神奈川、愛知、京都、愛媛、福岡の各道府県から参加し、17人(初心者9人(台湾人1人))が集団水浴することになった。
 水浴和田グループのミーティングはスムーズに終わり、午前10時半ころには、全員が新しい白越中褌・白鉢巻を締めて裸形となった。

年新た褌新たに氣吹せむ

The New Year,

deep breathing wearing a new loincloth.

としあらた ふどしあらたに いぶきせん

 午前10時50分、中川文隆・鐵砲洲稲荷神社宮司の挨拶と全員の参拝を皮切りに、寒中水浴大会が始まった。弥生会の集計によると、今年の参加者は約80人で、アマチュアカメラマンや観客は約400人と過去最高を記録した。
 寒中水浴大会の指揮者である道彦は、去年に引き続き、東京都板橋区に鎮座する氷川神社の篠直嗣(しの・なおつぐ)宮司が務められた。
 今年は、これまでのやりかたを一部変更し、最初に神社一周のランニングを行い、その後、鳥船などの準備運動〜寒中水浴〜鳥船などの整理運動という順番となった。

歳ひとつ重ねて白褌寒の垢離

Winter water ablution,
white loincloth aging a year.

としひとつ かさねてびゃっこん かんのこり

鳥船(とりふね)とは、天孫降臨の際にニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が乗られた船のことで、鳥船行事は、身体の邪気を発散させつつ心と霊魂(れいこん)を浄化統一する作法で、略して鳥船(鳥舟)という。その実際は櫓(ろ)で舟を漕ぐ動作が中心となり、気合いを入れて全身運動をみっちりと行うことで、身体が芯から温まってくる。
 鳥船などの準備運動で身体を十分に温めた後、いよいよ禊に移り、「エイッ!」と先ほどの剣印(けんいん)で水を切ったあと冷水に身を投じた。

禊して濡れ褌の寒詣

Winter visit to the shrine
wearing a wet loincloth after ablutions.

みそぎして ぬれふんどしの かんもうで

 4本の氷柱でシッカリと冷却された清水は、冷たかったが、十分にウォーミングアップしていたので、堪えることができた。水浴中も祓戸大神(はらえどのおおかみ)を幾度となく唱えながら振魂(ふりたま)を行うので、精神を集中することができた。

「鐵砲洲寒中水浴'10」 2010.1.10 撮影:星 宏幸

********

社務所前で開始を待つ裸たち 10:44

社務所前で開始を待つ裸たち 10:44

拡大写真(1600x1200)367KB
深呼吸の

氣吹いぶき

 11:17

深呼吸の氣吹(いぶき) 11:17

             拡大写真(2000x1333)525KB      撮影:小林豊一

三回目の水浴 11:26

三回目の水浴 11:26

            拡大写真(1600x1130)391KB       撮影:小林豊一

水浴和田グループの参拝

水浴和田グループの参拝

拡大写真(1600x1067)271KB     撮影:徳光善宜
 


 

 

1187





 

 












 
  
 
1186




 


 



 
 


 
 

 
 
1185


 



 


 

 
  
   

1184

 



 





 



 
  
   

1183

2010年1月26日(火)

 平成22年(2010)の元旦早朝、大分県国東市国東町見地(くにさきし・くにさきまち・けんじ)に鎮座する小松神社(こまつ・じんじゃ)で、年迎え行事として800年の昔から続く裸参りが行われた。

あら玉の恵比寿大黒福の舞

A Happy New Year,
good luck dancing by Ebisu Daikoku.

あらたまの えびすだいこく ふくのまい

 裸参りの参加者は14人。一人の長老がリーダーとなり、率先垂範して若者13人を指導していた。氏子たちは社務所で越中褌一丁の裸形になったあと、白装束の宮司に導かれて、凍てつく参道や農道を歩き、田深川の垢離取場に向かった。
 田深川の垢離取場に着くと、先頭の長老が褌を解き、全裸となって冷水に入り、そのあとに若者たちが続いた。本来は全裸で垢離を取るの習わしだが、恥ずかしいのか、3人の若者が褌を外さずに水に入った。
 垢離取場は、焚き火もなく、寒々としており、見ているだけでも寒気がする厳しい寒行だった。氏子たちは早々に水行を終えると、持参したバスタオルで身体を拭い、褌を締めた。褌をしたままで禊をした人は、濡れた褌を外し、腰にバスタオルを巻いた。

元旦や褌外して垢離を取る

  New Year's Day, performing

water ablutions taking off loincloths.

がんたんや ふどしはずして こりをとる

 平成22年(2010年)1月3日(日)、大漁旗や日の丸、五色の紙をつけた笹竹、吹き流しなどで飾られた満船飾の宝来船(ほうらいせん)が桂川(かつらがわ)を巡行する新年恒例の裸祭り「ホーランエンヤ」が大分県豊後高田市で開かれた。
 ホーランエンヤは、宝来船が川を遡るために、満潮時にあわせて催行されており、今年は元旦が満月だったことから、3日に実施された。桂川といっても海水が遡上しているので、海の行事といっても良い。

年新た褌新たに櫂漕ぎぬ

  The New Year,

rowing a boat wearing a new loincloth.

としあらた ふどしあらたに かいこぎぬ

 瀬戸内海には各地に水軍の本拠地があり、女装の踊り子や水褌(すいこん)一丁の漕ぎ手たちが櫂(かい)を漕ぐありさまは、神出鬼没の櫂伝馬(かいでんま)を駆使して制海権を誇示していたかつての水軍の文化が見て取れて、興味深い。清原さんによると、櫓(かい)なのに櫓(ろ)と呼んでいるようなので、この誤りは、是正して欲しい。

年新た褌新たに初泳

  The New Year, the first

swimming wearing a new loincloth.

としあらた ふどしあらたに はつおよぎ

 平成22年(2010)1月4日(月)夜、大分県宇佐市(おおいたけん・うさし)の鷹栖観音寺(たかすかんのんじ)で褌・草鞋(わらじ)姿の男衆が駅館川(やっかんがわ)を渡り、対岸の鷹栖観音堂一帯で「どんど」を焼き、松明(たいまつ)の火の粉をまき散らす火祭り「鷹栖観音鬼会(たかすかんのん・おにえ)」があり、三度目の取材を行った。
「鷹栖観音鬼会」は、川を渡り、火焔の中を裸の男たちが駆けめぐる素朴で美しい夜祭りだが、装束の乱れが気になる。

鬼木打つ褌衆の竹火花

Sparks of bamboo torchs, men

of loincloths beating with ogre sticks.

おにぎうつ ふんどししゅうの たけひばな

 去年の裸ネクタイ姿に続き、今年は仮面舞踏会の面をつけていた人がいた。祭りのリーダーが出発時に点検して衣装統一を図れば、そのような不心得者は淘汰されるはずである。去年は褌だった少年が、今年はパンツの上に褌をしていたのも残念だった。六尺褌の上に越中褌を重ねている人も写真に写っている。鷹栖観音鬼会では、鉢巻・腹巻・越中褌・足袋草鞋という統一された衣装が定められており、それが乱れて低俗な娯楽に変質してしまわないよう、お互いに注意し合いたい。

「豊後正月裸祭」 2010.1.1-4 撮影:清原 浩

********

めでたやな恵比寿大黒福の舞

めでたやな恵比寿大黒福の舞

拡大写真(1600X1200)400KB

褌を外して初禊 01:07

褌を外して初禊 01:07

拡大写真(2000X1500)274KB

大漁旗と国旗で飾られた宝来船

大漁旗と国旗で飾られた宝来船

拡大写真(1800X1150)400KB

次々に飛び込む裸たち

次々に飛び込む裸たち

拡大写真(2200X1400)717KB

火花散る松明 20:46

火花散る松明 20:46

拡大写真(1600X1300)251KB
 



 

 


1182





 

 



 
 
 
1181




 


 



 

 
 


 
 

 
 
1180


 



 





 



 
  
   

1179

 

2010年1月21日(木)

 平成22年(2010)1月2日(土)、家内と共にクラブツーリズムの日帰りバスツアーに参加し、成田山新勝寺、鹿島神宮、香取神宮の東国三寺社に初詣して、正月風景を切り取ってきた。

初詣成田不動の屋根二重

First visits of the year,
the double roof of Narita Fudo.

はつもうで なりたふどうの やねふたえ

 平成20年(2008)4月に開基1070年を迎えた成田山新勝寺は、千葉県成田市にある真言宗智山派の寺院で、同派の大本山である。正式名は「成田山金剛王院新勝寺」といい、本尊は不動明王。関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。

初詣燃ゆる不動の成田山

First visits of the year,
Naritasan the burning Fudo.

はつもうで もゆるふどうの なりたさん

 成田山新勝寺の本尊である不動明王は、仏教の中でも密教特有の尊格である明王の一尊で、五大明王の中心となる明王である。悪魔を降伏させるため、憤怒(ふんぬ)の相をして、すべての障害を打ち砕き、仏道に従わないものを導き救済する役目を持つ。
 鹿島神宮は、茨城県鹿嶋市にある常陸国(ひたちのくに)の一宮(いちのみや)で、旧社格は官幣大社。日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社で、同県神栖(かみす)市にある息栖(いきす)神社、千葉県香取(かとり)市にある香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれる。

神鹿の鹿島神宮初詣

First visits of the year,
Kashima Shrine of holy deer.

じんろくの かしまじんぐう はつもうで

 千葉県香取(かとり)市香取に鎮座する香取神宮は、下総国(しもうさのくに)の一宮で、旧社格は官幣大社。日本全国に約400社ある香取神社の総本社である。
 鹿島神宮祭神の武甕槌神(たけみかずちのおおかみ)は、香取神宮に祀られている経津主神(ふつぬしのかみ)とともに武芸の神とされていることから、武術の道場には「鹿島大明神」「香取大明神」と書かれた2軸の掛軸が対になって掲げられていることが多い。

初詣香取神宮檜皮葺

First visits of the year,
Katori Shrine the roof of cypress bark.

はつもうで かとりじんぐう ひわだぶき

 先の敗戦で国家神道が廃れ、信教の自由を保障する民主主義の世の中になり、神仏を共に祈願する光景が復活した。特に、正月三が日の初詣は、日本人の一大行事であり、益々隆盛の一途にあることは喜ばしい。

「東国三寺社初詣」 2010.1.2 撮影:和田義男

********

威風堂々たる大本堂 10:15

威風堂々たる大本堂 10:15

拡大写真(2000X1280)452KB

巨大な憤怒の不動明王/平和之大塔

二階明王殿に安置された巨大な憤怒の不動明王/平和之大塔

拡大写真(2000X1500)777KB

巨大な賽銭箱 14:28

巨大な賽銭箱 14:28

パノラマ写真(2000X950)435KB

立派な香取神宮拝殿 16:30

立派な香取神宮拝殿 16:30

拡大写真(1600X1100)366KB

 



 


1178



 

2010年1月6日(水)

 2009年の年末に追加の写真が送られてきたので、1頁14枚を追加した。

黒鷺の耐えて餌を捕る冬小波

A small breaker, the patient black heron
trying to catch a fish.

くろさぎの たえてえをとる ふゆこなみ

 クロサギ   2009.12.24 / 真鶴半島三ツ石
 羽の色が全体に濃い灰色の鷺ですが本当に居たので驚きました。足全体が黄緑色であることが特徴ですがクロサギといいながら白色も見られ黒と白があることを知らずに命名したのでしょう。

「日本の野鳥を撮る旅'09/増補」 2010.1.6. 撮影:横山 稔

********

波に洗われるクロサギ

波に洗われるクロサギ

拡大写真(1400x900)188KB

 



 

 
 


1177



 

2010年1月5日(火)

 イタリアのツアーなら必ず立ち寄るハイライト的な観光名所であるフィレンツェ。 しかし、あまりに歴史が凝縮され、素晴らしい美術品が数多く見られるこの町を観光するには、やはりある程度の予備知識があった方が良い。

初春や裸像ダヴィデを見上げをり

Early spring,
looking up at the naked statue of David.

はつはるや らぞうダヴィデを みあげおり

 フィレンツェは、イタリアのトスカーナ州フィレンツェ県に属する人口36万人の都市。トスカーナ州の州都、フィレンツェ県の県庁所在地であり、近郊の人口は約20万人。フィレンツェは、花の都の意味。英語名はフローレンス。かつてルネッサンス文化の中心であり、今日でも旧市街は〈都市博物館〉といわれるほど多くの記念物がある。
 第二次世界大戦中フィレンツェの記念建築物の大部分は被害を免れたが、1944年にベッキオ橋を除く橋のすべてが破壊された。1966年の大洪水で多くの芸術財産が被害をうけたがその多くは精巧な修復技術で数年をかけて復元された。
 フィレンツェのアカデミア美術館には、ミケランジェロのダヴィデ像がある。日本もそうだが、コピーはあちこちにある。このアカデミア美術館のダヴィデ像こそ、ミケランジェロが作成したもの。本物の素晴らしさに、誰もが感動する。

「フィレンツェ散策」 2010.1.3. 撮影:Y. Hashiba

********

ミケランジェロのダヴィデ像/アカデミア美術館

ミケランジェロのダヴィデ像/アカデミア美術館

拡大写真(800X1053)143KB

 



 

 
 


1176





 

 


 



 
 
 
1175




 


 








 
 


 
 

 
 
1174


 






 
 










 
  
   

1173

  


 

 


 


  

1172
 


 



 




 

1171

 

 

2009年12月24日(木)

 平成21年(2009)12月2日(水)夜、大分県中津市耶馬溪町(なかつし・やばけいまち)に鎮座する大野八幡神社(おおの・はちまんじんじゃ)で600年の歴史を有する「やんさ祭」が行われたので、激写してきた。

白褌のやんさやんさと杵の餅

Wearing white loincloths, pounding a rice

cake with  mallets, shouting yansa yansa!

びゃっこんの やんさやんさと きねのもち

 「やんさ祭」は、毎年12月2日の寒中の夜に大野八幡神社で行われる勇壮な裸の餅つき祭りである。この神社に鶴ヶ岡八幡宮の神霊を勧請した際、野中の若侍33人が鏡餅を搗(つ)いて神前に供えたのが「やんさ祭」の始まりという。新暦11月30日から12月2日までの3日間にわたり行われる大野八幡神社の霜月祭(しもずきまつり)の別称が「やんさ祭」で、最終日の12月2日の夜、33人の氏子が褌(ふんどし)一丁の裸形になり、「やんさ、やんさ」とはやしながら餅をつく神事が行われる。

円陣の裸夫の餅搗く神事かな

A Shinto ritual, naked men
forming a circle, pounding a rice cake.

えんじんの らふのもちつく しんじかな

 この行事を伝えた野中氏は、かつては豊前の豪族として下毛(しもげ)、上毛(かみげ)、宇佐(うさ)の三郡を支配していたが、23代野中兵庫頭鎮兼に至り、天正16年(1588)、中津城主・黒田孝高・長政父子により攻め滅ぼされたが、この行事は、その後も村人たちにより受け継がれ、今日に至っているという。
 「やんさ祭」は、33人に因んで決められた3升3合3勺(約5kg )の餅米を蒸し、褌衆が「やんさ、やんさ」と掛け声をかけながら6尺(1.8m)の樫の杵棒(きねぼう)と木臼で7臼半の餅を搗く。つき終わると臼を守る座元側(モト方)とこれを倒そうとする氏子側(ウラ方)の二手に分かれ、水を撒いた境内で泥んこになって揉み合う臼倒しが始まる。

神前の餅搗棒や白ふどし

Wearing white loincloths, pounding a rice
cake with  mallets, shouting yansa yansa!

しんぜんの もちつきぼうや しろふどし

 この木臼をめぐる壮烈な攻防戦がやんさ祭のクライマックスで、臼を倒すとウラ方の地区が豊作になるが、引き分けるとどちらも豊作になるため、毎年引き分けて豊作を祈願する。「やんさ祭」は昭和51年(1976)耶馬溪町(現中津市)により無形民俗文化財に指定されている。
 大野八幡神社の社務所には風呂場があり、「やんさ祭」の氏子たちは脱衣所で裸になり、六尺褌を締めた。神事用に用意した白晒布の六尺褌を前垂れ式に締めていたが、前垂れは大分県にしては短めで、腹巻も幅が狭く、後ろで褌と一緒に結んでいたので、腹巻というよりも横褌(よこみつ)を何重にも巻いて、褌が緩まないようにする工夫だと思われる。

餅搗や臼を倒さむ褌衆

Pounding rice cakes, Men of white

loincloths trying to put the mortar down. 

もちつきや うすをたおさん ふどししゅう

 締め方も手慣れた様子で、シッカリと締めていたので、激しい臼倒しにも褌が乱れることがなかったのは、さすがと云って良い。説明では、33人が餅を搗くことになっているが、ここでも過疎化・高齢化の影響で、今年褌を締めた氏子は14人しかいなかった。
 厄除餅が配られて、裸の男たちによる餅つきが終わると、臼倒しに移り、臼を守る座元側(モト方)とこれを倒そうとする氏子側(ウラ方)の二手に分かれて、揉み合いが始まった。

餅搗や泥褌の臼倒し

Pounding rice cakes, Men of muddy
 loincloths putting the mortar down.

もちつきや どろふんどしの うすたおし

 裸の男たちの壮絶なバトルは、終わってみれば僅かに3分ほど。しかし、全力を傾注して臼倒しの神事を全うした男たちの姿は、溌剌としていた。今年も臼はモト方(座元側)に死守されて、攻防戦は引き分けに終わり来年の豊作が約束された。

冬山路青洞門鑿の跡

Winter mountain path, the marks
 of chisels of Aono Domon tunnel.

ふゆやまじ あおのどうもん のみのあと

 中津市にある山国川の上・中流域とその支流域を中心とした景勝地・耶馬渓(やばけい)を訪れた。大正4年(1915)に北海道の大沼と静岡県の美保の松原とともに新日本三景の一つに選ばれた耶馬渓は、青の洞門(あおのどうもん)を初めとする景勝地として知られており、大正12年(1923)に国の名勝に指定され、昭和25年(1950)に一帯が耶馬日田英彦山(やばひたひこさん)国定公園に指定された。

「大野八幡神社やんさ祭」 2009.12.2. 撮影:清原 浩

********

観客の輪の中で餅を搗く裸たち

観客の輪の中で餅を搗く裸たち

拡大写真(2000X1330)273KB
搗きあがった餅

搗きあがった餅

拡大写真(2000X1730)362KB
蒸した餅米を臼に入れる

蒸した餅米を臼に入れる

拡大写真(1600X1270)255KB
壮烈な臼倒しの攻防戦!5/7

壮烈な臼倒しの攻防戦!5/7

拡大写真(1800X1350)349KB
壮烈な臼倒しの攻防戦!6/7

壮烈な臼倒しの攻防戦!6/7

拡大写真(1800X1350)252KB
刈田と

青の洞門あおのどうもん

刈田と青の洞門

パノラマ写真(2350X1000)502KB
 



 

 

1170





 

 


 
 
 
1169




 


 








 
 


 
 

 
 
1168


 






 
 












  
 
  
   

1167

  


 

 


  

1166


 

 

2009年12月20日(日)

 平成21年(2009)11月20日(金)、家内と共に東京駅から新幹線で岡山駅に行き、岡山城と後楽園を観光した。

雲海に浮かぶ富士の嶺天高し

The high sky, the top of Mt.
Fuji floating on the sea of clouds.

うんかいに うかぶふじのね てんたかし

 東京から岡山に向かう途中、富士川を通過する新幹線のぞみの車窓から「あたまを雲の上に出し」ている富士山が見えた。愛機オリンパスE-30 の秒速5コマの連写モードで撮影したので、トラス橋の鉄骨の間から富士山をうまく切り取ることができた。

白鳥の烏城に遊ぶ秋の昼

Autumn noon, the white birds
enjoying at the Crow Castle.

しらとりの うじょうにあそぶ あきのひる

 JR岡山駅の東方約1.5kmを豊かな清流を湛(たた)えて蛇行しながら南流する一級河川・旭川(あさひがわ)を挟んで南北に岡山城(おかやまじょう)と後楽園(こうらくえん)がある。岡山城は、天守閣の土台(天守台)が不等辺五角形という特異な形をしているが、本格的な城づくりの嚆矢(こうし)とされる織田信長の築いた安土城に習って造られた。
 天正元年(1573)、宇喜多直家(うきた・なおいえ)は、当時この地の城主であった金光宗高(かねみつ・むねたか)を滅ぼし、現在の位置より西に300mほどの石山にあった城を修築して入城した。現在の岡山城を築いたのは、直家の実子・秀家(ひでいえ)で、時の天下人・豊臣秀吉の養子となって「秀」の一字をもらった人物である。

紅葉の水面に映ゆる烏城かな

The Crow Castle being reflected
in the water of colored leaves.

The Crow Castle, colored leaves

being reflected in the water.

こうようの みずもにはゆる うじょうかな

 秀吉が天下を取ると、秀家は57万石余の大大名となったため、石山の小さな城では満足できなくなり、秀吉のアドバイスに従って、現在の天守閣が立つ岡山という名の小高い丘に新しく旭川の流れをつけかえ、掘削した土砂を盛り上げて上中下三段の地形を造成し、約8年の歳月をかけて、慶長2年(1597)に岡山城を完成した。
 宇喜多秀家によって新しくつくられた本丸は、現在も殆ど昔のまま残っており、約4万m2の広さがある。天守閣は、石垣からの高さが20.45mあり、二階建の建物を大中小の三つに重ねた三層六階の構造となっている。屋根には金箔を貼った鯱、鬼瓦、軒瓦が葺かれ、黒地に金が映えて、燦然と輝く天守閣の偉容を演出している。

秋の色後楽園の野芝かな

The autumnal color,
the field turf of the Korauen garden.

あきのいろ こうらくえんの のしばかな

 後楽園は、岡山市北区にある日本庭園(大名庭園)で、金沢の兼六園と水戸の偕楽園とともに日本三名園の一つに数えられる。
 岡山藩主・池田綱政が14年の歳月をかけて元禄13年(1700)に完成した庭園で、国の特別名勝に指定されている。

水の秋施餌に群がる錦鯉

Autumn of water, colored carp
forming a school for charity bait.

みずのあき せじにむらがる にしきごい

「秋の岡山城後楽園」 2009.11.20. 撮影:和田義男

********

頭を雲の上に出した富士山(3,776m) / 富士市富士川

頭を雲の上に出した富士山(3,776m) / 富士市富士川  2009.11.20 11:00

拡大写真(3000X1800)559KB

白鳥の泳ぐ

烏城うじょう

公園

白鳥の泳ぐ烏城公園

拡大写真(1600X950)487KB
岡山城とボート

岡山城とボート

拡大写真(1250X1600)316KB

素晴らしい

唯心山ゆいしんざん

からの眺め

素晴らしい唯心山からの眺め

パノラマ写真(2700X1000)648KB

沢の池の錦鯉

沢の池の錦鯉

パノラマ写真(2400X1200)529KB

 



 



 

1165





 
 

 
 
 
1164




 





















 




1163



 
 


 






 

 
 
1162


 



 

 
  
 
  
   

1161

 


 
  

 

 
  


  

1160


 

 

2009年12月15日(火)

 平成21年(2009)11月28日(土)29日(日)の両日、大分県豊後大野市緒方町(ぶんごおおのし・おがたまち)原尻の滝(はらじりのたき)上流域で約800年の歴史を持つ「緒方三社(おがたさんじゃ)川越(かわご)しまつり」が行われたので、激写してきた。

秋深む八幡鳥居は川の中

  Late autumn,

Hachiman torii standing in the river.

あきふかむ はちまんとりいは かわのなか

 原尻の滝は緒方町原尻を流れる緒方川の幅120m、高さ20mの滝で、日本の滝百選に選ばれている。平地に突如現れるのが特徴で、馬蹄形をしていることから、東洋のナイアガラと呼ばれる。

秋の夜水門下る褌衆

Autumn night, men of loincloths

going down the water gate.

あきのよる すいもんくだる ふどししゅう

 川越しまつりは、一ノ宮(父神)神輿と三ノ宮(母神)神輿が年に一度、二ノ宮(子神)八幡社に集まり、一夜を共にする祭りである。一ノ宮と二ノ宮は緒方川の右岸にあるため、一ノ宮は陸路で行けるが、三ノ宮は左岸にあるために川を渡らなければならない。祭り当夜、三ノ宮神輿が褌一丁の若者たちに担がれて、緒方川を渡る姿は勇壮で、川越しまつりとして知られるようになった。
 午後7時ころ、花火の合図で、三ノ宮神輿は裸の若者たちに担がれ、宮田を出発して緒方川へ向かった。水門に到着した裸神輿は、水門を越えて水路(井路)に入り、一周した後、再び水門に戻ってきた。写真は、水路から水門を下って緒方川に入るシーンである。
 「川越しまつり」最大の難所がこの水門越えである。画像編集により、写真には写っていないが、多くのアマチュアカメラマンたちがこの勇壮なシーンを切り取ろうとシャッターを切っていた。

白褌の鳥居くぐりや秋神輿

Portable shrine in the autumn, men of

white loincloths passing under the torii.

びゃっこんの とりいくぐりや あきみこし

無事に難所を通過した三ノ宮神輿は、大鳥居の篝火(かがりび)を目標に、川の中央に向かって進んで行った。
 川中の石鳥居に着くと、裸神輿は篝火と竹松明の明かりを頼りに、西から東に向かう川中参道を進んた。この辺は足場も悪く、よく滑るところで、担ぎ手たちは注意して歩を運んでいた。
 三ノ宮神輿が川中の大鳥居をバックに渡御するシーンが男たちの晴れ舞台であり、花道である。

親神の合体するや秋祭

Autumnal ritual,
the rendezvous of parent's gods.

おやがみの がったいするや あきまつり

 二ノ宮八幡社の楼門そばの広場で、父神の一ノ宮神輿と母神の三ノ宮神輿の神輿合わせが行われた。棒鼻(ぼうばな)と呼ばれる担ぎ棒の先端を互いに接触させる神事である。応神天皇の前で、両親が接吻しているように見える。年に一度の、何とも微笑ましいシーンである。

秋夜川白褌神輿石鳥居

  Autumnal night river,

portable shrine of white loincloths

going under the stone torii.

あきよかわ びゃっこんみこし いしどりい

 二日目の午後7時、裸の氏子たちは集団となり、火の入った竹松明の明かりを頼りに、駆け足で二ノ宮八幡社に向かい、三ノ宮神輿を拝殿から担ぎ出し、還御神事がはじまった。
 裸神輿は前日の渡御と逆コースをたどった。川中の大鳥居では、東から西にむけてくぐり、無事に川の参道を通過した。
 難所の水門は、逆流する水の中を1mの落差を乗り越え、水路(囲路)に入った。

急流に挑む白褌秋神輿

Portable shrine in the autumn,

men of white loincloths

challenging the rapid current.

きゅうりゅうに いどむびゃっこん あきみこし

 疎水(そすい)を貯えた水路は、1mほどの水深があり、観衆が見守るなか、神輿は見事に疎水を一周。
 裸神輿は、再び水門を越えて緒方川に入り、大鳥居の西を進んだ後、無事、左岸の上自在(かみじざい)に上陸した。
 三ノ宮神輿は、小型トラックに載せられ、この後、三ノ宮八幡社まで運ばれて行った。川組たちの役目はこゝまでで、昨夜同様、円陣を組み、手〆によりお開きとなった。

「緒方三社川越しまつり」 2009.11.28-29. 撮影:清原 浩

********

左岸(西岸)上自在区より見た原尻の滝

左岸(西岸)上自在区より見た原尻の滝

拡大写真(1800X1150)379KB

狭い水門を下る三ノ宮神輿 2/3

狭い水門を下る三ノ宮神輿 2/3

拡大写真(1800X1200)275KB

無事に大鳥居を通過

無事に大鳥居を通過

拡大写真(1400X1000)224KB

一ノ宮(父神)神輿と三ノ宮(母神)神輿が合体! 19:11

来年の再開を約して一ノ宮(父神)神輿と三ノ宮(母神)神輿が合体! 19:11

拡大写真(1800X1250)438KB

緒方川の川中鳥居に到着 19:23

赤鬼の舞 12:26

拡大写真(2000X1450)273KB
水門をのぼる神輿 19:26

水門をのぼる神輿 19:26

拡大写真(1800X1600)369KB
 



 


 

1159





 

 


 

 
 
 
1158




 


 








 
 


 
 

 
 
1157


 






 
 

  
 
  
   

1156

 


 
  

 


  


  

1155


 

 

2009年12月8日(火)

 2009年10月4日(日)〜6日(金)の間、中国四川省を巡るルックJTB 心ゆく旅 「自然が織り成す神秘の世界へ九寨溝・黄龍・成都6日間」のツアーに参加した。

秋惜しむ鏡海雲を封じ込む

Late in autumn, the clouds
being confined in the Mirror Lake.

あきおしむ きょうかいくもを ふうじこむ

 九寨溝(きゅうさいこう)は四川省の省都・成都から北に450km、黄龍(こうりゅう)と共に四川省北部・チベット自治州の北東部に位置する岷山(みんざん)山脈の南部、長江(揚子江)の最大の支流である嘉陵江(かりょうこう)の源流に広がる景勝地で、正式名称は、それぞれ、九寨溝国家級風景名勝区と黄龍国家級風景名勝区といい、1992年に二箇所同時にユネスコ世界自然遺産に登録された。

五花海や湖底の秋のエメラルド

The Colorful Lake,
the emerald bottom of autumn.

ごかかいや こていのあきの えめらるど

 九寨溝は、古くは周辺にチベット族の9つの村落があったことから、その名がついたという。石灰岩質の岷山山脈の標高3,400mから2,000mにかけて大小100以上の湖沼が連なる淡水・カルスト地形の湖水地帯で、谷はY字状に分岐しており、岷山山脈から流れ出た水が滝を作り、湖沼が連なる。
 山脈から流れ込んできた水の微細な石灰分が氷河湖のモレーンと同じように太陽光線を屈折させてエメラルドのような独特の光を放つ湖沼となった。日光の加減で色合いが微妙に変化し、日中は青、夕方にはオレンジなど独特の色彩を放つ。また、流れに乗って運ばれてきた腐葉土から発芽し、流れの中に木々が立ち並ぶ独特の景観を見せる。

五彩池や紅葉に勝る色模様

The Colorful Pond, the colorful
design better than the colorful leaves.

ごさいちや もみじにまさる いろもよう

 四川省の省都である成都から北方約230kmに位置する黄龍(こうりゅう)は、九寨黄龍空港の南方56kmにあり、九寨溝と並ぶ四川省の世界自然遺産である。
 黄龍は、岷山山脈南部に聳える標高約5,100mの玉翠山(ぎょくすいざん)山頂から北に向かって延びる全長7.5kmの峡谷(溝)で、世界有数のカルスト地形である。

五彩池や翡翠の棚田烟る秋

The Colorful Pond, the terraced fields
of jade looking dim in the autumn.

ごさいちや ひすいのたなだ けぶるあき

 新生代第四紀に隆起した石灰岩層が氷河に侵食されて巨大な峡谷となり、そこに石灰質豊富な水が流れ続けた結果、石灰華の沈殿したエメラルドグリーンの美しい棚田状の石灰棚をはじめ、黄金色に輝く石灰岩の層と石灰岩の滝や谷が形成された。
 長さ約7.5km、幅200〜300mの黄色がかった乳白色の石灰岩の連なりは、雪を頂いた山脈を昇ってゆく黄金の龍の姿にたとえられ、黄龍と呼ばれるようになった。

長き夜や川劇変面早変わり

Long autumnal night,
quick face transforming
by the Chinese theatrical group.

ながきよや せんげきへんめん はやがわり

 川劇 (せんげき)は中国四川省の伝統芸能で、京劇と似た様式で行われる演劇であるが、瞬時に瞼譜(れんぷ)(隈取)を変える変臉(へんれん)と呼ばれる技巧が有名で、日本では変面(へんめん)と呼ばれれている。劇とは関係なく、変瞼のみを大道芸として生業にしている人もいて、その芸を真似されないよう国家機密として保護されているという。
 他に皿を頭にのせたまま動いてみせる妙技や、頂火を一瞬にしてつけたり消したりする芸、口から火を吹く技など、エンターテイメントに富んだ伝統演劇で、中国の国宝に指定されているという。

「九寨黄龍成都の旅」 2009.10.4-6. 撮影:松井公代

********

幻想的な朝の

鏡海きょうかい

  Mirror Lake

幻想的な朝の鏡海 Mirror Lake

拡大写真(1600x1100)205KB

美しいエメラルド色の湖水/五花海

美しいエメラルド色の湖水/五花海

拡大写真(1600x1080)618KB

何処までも透明で美しい五彩池

何処までも透明で美しい五彩池

拡大写真(1600x800)357KB

霧に烟る幻想的な

五彩池ごさいち

/黄龍

霧に烟る幻想的な五彩池/黄龍

拡大写真(1600x1067)233KB

国家機密となった一瞬で顔が変わる変面の伝統芸

国家機密となった一瞬で顔が変わる変面の伝統芸

拡大写真(1050x1400)216KB

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール