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★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

水の宮・和風BGM TAM Music Factory

♪海に帰る・栄華の墓所・巡礼・水の宮・鎮守の森・島の祭り

見付天神裸祭

白褌の波に洗わる秋の垢離  北舟  

2001年7月16日制作

The autumnal purification,

white loincloths being washed by the waves.

一番觸の浜垢離/遠州灘

拡大写真(2400x1500)587B

一番觸の浜垢離/遠州灘福田海岸(静岡県磐田市)

★彡 鐵砲洲気分一新初禊 北舟 ★彡

第55回鐵砲洲寒中水浴のご案内

 



 

 

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2009年11月29日(日)

 平成21年(2009)10月28日(水)から一泊二日の日程で、日本三名城の一つに数えられる熊本県熊本市古京町に建つ熊本城を探訪した。

雲海に頭出したる秋の富士

Mt. Fuji in autumn,
putting the head out of the sea of clouds.

うんかいに あたまだしたる あきのふじ

 羽田から福岡に向かう途中、富士吉田上空・高度1万メートルを飛行するANAジャンボ機から、「あたまを雲の上に出し」ている富士山が見えた。文部省唱歌「富士山」の歌詞さながらの素晴らし光景だった。

特別史跡・熊本城

 平成19年(2007)に築城400年を迎えた熊本城は、名将加藤清正が幾多の実戦経験に基づき、慶長6年(1601)から7年の歳月を費やして築いた天下の名城である。かつては、周囲5.3kmに及ぶ広大な城域内に、大小天守を中心に櫓49、櫓門18、城門29を数える雄大豪壮な梯郭式平山城(ていかくしき・ひらやまじろ)だった。

天高し清正公の高烏帽子

Autumnal high sky,
the high headwear of Sir Kiyomasa.

てんたかし きよまさこうの たかえぼし

 天守閣は、明治10年(1877)の西南の役(西南戦争)で焼失したため、昭和35年(1960)に再建されたものだが、幸い焼失を免れた宇土(うと)櫓など13の建造物は昔のままで、国の重要文化財に指定され、今日までその貴重な姿を残している。
 
 JR熊本駅から市電に乗り、熊本城前で下車し、徒歩数分で清正公銅像に着く。この位置からは、飯田丸五階櫓とその奥の熊本城大天守が見える。そこから坪井川に架かる行幸橋(みゆきばし)を渡ると、長塀(ながべい)が見えてくる。
 
長塀は、東の平御櫓(ひらおんやぐら)から西の馬具櫓(ばぐやぐら)まで長さ約242mもあり、現存する日本の城郭の塀の中では最長を誇る。白漆喰に黒の下見板を張り、桟瓦(さんがわら)が乗っている。内側には凝灰岩の控え柱が立ち貫(たちぬき)で固定され、倒壊を防いでいる。

秋天を堀に映して幾星霜

How many years have passed,
reflecting the autumnal sky in the mort.

しゅうてんを ほりにうつして いくせいそう

 備前堀を左に見て、櫨方門(はぜかたもん)から入城すると、そこは竹の丸で、左手に飯田丸五階櫓が見える。
 竹の丸から北方を臨むと、幾重にも石垣が築かれ、その上に大天守(南面)が見える。ガイドブックではここからの眺めが最も美しいとされている。

天高し八重の石垣黒天守

Autumnal high sky, a black castle tower
on the multilayered stone walls.

てんたかし やえのいしがき くろてんしゅ

 熊本城の石垣は、「武者返し」と呼ばれ、美しい曲線を描く石垣は有名で、自然の地形を巧みに利用した独特の築城技術が高い評価を受けている。この城は、加藤家2代(44年)、細川家11代(239年)の居城となった。
  石段を上がって北に進むと、二様(によう)の石垣に至る。石垣の傾斜の違いが一目瞭然で、隅石(すみいし)の積み方の違いを簡単に比較することができる。

秋高し樟の大樹や飯田丸

Autumnal high sky,
Iidamaru by the big camphor tree.

あきたかし くすのたいじゅや いいだまる

 二様の石垣から西に進むと飯田丸に出る。樹齢800年、樹高30m、幹囲(みきまわり)10mの巨大な楠のそばに寄り添うようにして飯田丸五階櫓が建っている。飯田丸の名称は、加藤清正の重臣、飯田覚兵衛(いいだかくべえ)が管理していたことから、そう呼ばれるようになったという。
 
 熊本城は、熊本市の北に隣接する植木町(うえきまち)の中心から南に伸びる舌状台地(京町台地)の尖端、茶臼山(ちゃうすやま)丘陵一帯に築かれており、現在の熊本市本丸(ほんまる)、二の丸(にのまる)、宮内(みやうち)、古城町(こじょうまち)、古京町(ふるきょうまち)、千葉城町(ちばじょうまち)に当たる。

秋高し親子天守の威容かな

Autumnal high sky, dignified appearance
of the castle tower parent and child.

あきたかし おやこてんしゅの いようかな

 中世に千葉城、隈本城が築かれ、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけて加藤清正がこれを取り込み、現在のような姿の熊本城を築いた。日本三名城の一つとされ、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣の上に本丸御殿、大小天守、五階櫓などが建てられ、一大名の城としては「日本一」であるとの評価もある。

秋高し籠城戦に勝ちし城

Autumnal high sky,
the castle of the besieged won the battle.

あきたかし ろうじょうせんに かちししろ

 西南戦争は、明治10年(1877)に現在の熊本県・宮崎県・大分県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主にして起こった士族による武力反乱である。西南の役、丁丑(ひのとうし)の乱、十年戦争(鹿児島弁では「じねんのゆっさ」)、私学校戦争とも呼ばれ、明治初期に発生した最大規模の士族反乱で、日本最後の内戦となった。西郷隆盛の戦死により、幕末維新期が終わり、明治政府の基盤が確立した。

秋色の富士を拝むや水前寺

Suizenji garden,
watching the Mt. Fuji of autumn color.

しゅうしょくの ふじをおがむや すいぜんじ

 水前寺成趣園(すいぜんじじょうじゅえん)は、熊本市水前寺公園(町名)にある大名庭園。面積約73,000m2。通称は水前寺公園。豊富な阿蘇伏流水が湧出して作った池を中心にした桃山式回遊庭園で、築山や浮石、芝生、松などの植木で東海道五十三次の景勝を模したといわれる。
 
熊本藩の初代藩主細川忠利が寛永13年(1636)頃から築いた「水前寺御茶屋」が始まり。細川綱利のときに泉水・築山などが作られ、現在見るような形となった。陶淵明(とう・えんめい)の詩「帰去来辞(ききょらいのじ)」の一節「園日渉以成趣」(庭園は毎日散歩するが、いつもそのたびに風趣がある)からとって「成趣園」と名付けられた。

「秋の熊本城探訪」 2009.11.28 撮影:和田義男

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雲の上の富士山 / 富士吉田上空  2009.10.28 11:50

 

伊豆半島

駿河湾

清水港

頭を雲の上に出した富士山 / 富士吉田上空  2009.10.28 11:50

拡大写真(2000X1500)351KB

采配さいはい

を持つ熊本城主・加藤清正公

采配を持つ熊本城主・加藤清正公

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木々を映す備前堀

木々を映す備前堀

パノラマ写真(2000X870)486KB

熊本城天守閣(南面)と石垣/竹の丸

熊本城天守閣(南面)と石垣/竹の丸

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樹齢800年の巨大クスノキと

飯田丸五階櫓いいだまるごかいやぐら

樹齢800年の巨大クスノキと飯田丸五階櫓

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本丸御殿前の広場から見る熊本城天守閣(東面)

大天守

小天守

 

本丸御殿前の広場から見る熊本城天守閣(東面)

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鹿児島の賊軍熊本城激戦図

鹿児島の賊軍熊本城激戦図

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東海道五十三次を模した美しい庭園

東海道五十三次を模した美しい庭園

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2009年11月24日(火)

 平成21年(2009)11月21日(土)、岡山市のメルパルクOKAYAMA(旧郵便貯金会館)で甥の和田修君と平えり子さんの結婚式が行われたので、家内と共に出席した。

メルパルク永遠に幸あれ菊の酒

  Mielparque, 

chrysanthemum wine of longevity 

for eternal happiness.

めるぱるく とわにさちあれ きくのさけ

 和室で行われた披露宴では、冒頭、シャンパンによる乾杯が行われた。和洋折衷のプログラムで、歓談しながら食事をゆっくりと楽しむことができた。

「メルパルク岡山での結婚式」  2009.11.21 撮影:和田義男

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和室の披露宴/メルパルクOKAYAMA

和室の披露宴/メルパルクOKAYAMA

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2009年11月18日(水)

 今年も昨年に引き続き、未収録の野鳥を求めて山野を歩く旅を続けました。
 野鳥は動きが敏捷で、警戒心が強く、木々に隠れてなかなか姿を見せてくれません。今年も根気と忍耐の撮影行でした。

春めくや洞の主は木葉木莵

A touch of spring,
the owner of the hole is a owl.

はるめくや ほらのあるじは このはずく

 オオコノハズクは、多摩湖近く、西武球場の近くに居たものが有名でしたが、冬期になると関東地方には、意外に多く飛来しているようです。多摩川周辺のトラフズクや利根川支流、埼玉県のコミミズクも有名ですから、冬期の関東地方は、これらのフクロウ族にとって格好の越冬地のようです。
 オガワコマドリは、三年前に綱島の鶴見川畔に来て、大変珍しいと大騒ぎになりました。その時は関東地方に10年ぶりと云われておりましたが、今年は横浜に来ました。

芦原に潜む駒鳥春きざす

A touch of spring,
a hidden
redbreast at a reed field.

あしはらに ひそむこまどり はるきざす

 今回もオスのようですが、団塊世代の大量退職時代を迎えて、多くのアマチュアカメラマンが増えたことで、観察者が多くなり、発見される確率が高くなったというのが真相のようですね。
 
 多分、以前からかなりの小鳥が来ているのでしょうが、芦原の中に潜んで居りますから、発見が難しいのでしょう。

やはらかき光を浴びて雉一声

A pheasant chirping once,
basking the soft sunlight.

やわらかき ひかりをあびて きじいっせい

 キジ(雉/雉子)は子供の頃から身近にいた鳥ですが、撮影という事になると意外とチャンスが少ない鳥です。境川遊水池には昔から沢山のキジが居たそうですが、当日も5羽のオスを確認しました。メスは既に抱卵にかかっているようで、全く姿がありませんでした。
 ノゴマはあこがれの鳥として、ある意味必死に探しておりまして、一昨年6月に、ウトナイ湖畔で、漸く姿を見ることが出来ましたが、あまりに近くて撮影にはいささか難渋した鳥でした。
 
 今回は、ある程度は期待しつつ、石狩川西側の堤防上の道路を歩いて野鳥の観察をしながら、あいの里から石狩大橋まで歩いてみました。結構な鳥達が居ましたが、少し遠くて500ミリでは苦しい撮影になりました。

憧れの野駒に遇ひし夏野道

A summer field path, just happened to
meet a Siberian rubythroat
of my adoration.

あこがれの のごまにあいし なつのみち

 当日は晴天で、余りの暑さにへばってしまい、途中の道路まで木が迫っていたところの木陰で、水分補給と休憩をとることにして腰を下ろしました。一息入れたところで、周囲で忙しく小鳥が二羽鳴き交わしているのに気が付いて、声がする藪に目をこらして驚きました。何とノゴマが居たのです。
 本州にもエナガは沢山居るのですが、北海道のエナガは可愛さに秀でており、カメラマンにとっては格好の標的です。エナガは動きが俊敏で一カ所に留まることが少なく、気ぜわしく動き回りますので、撮影側にとっては難儀する標的です。

夏山路頭の白き島柄長

A summer mountain path,
a long-tailed tit with a white head.

なつやまじ かしらのしろき しまえなが

 私も何回もトライして失敗の連続でしたが、今回は何とか撮影できました。慈恵会ルートと呼ばれる登山口から入り、尾根筋に出て、旭山公園側にルートをとっておりましたら、唐松林の中で十羽余りの群と遭遇し、約20分の撮影ができました。

「日本の野鳥を撮る旅'09」 2009.11.18 撮影:横山 稔

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オオコノハズク

オオコノハズク

拡大写真(1450x1150)296KB

夏羽のオガワコマドリ(再掲) 2006.04.23 / 綱島鶴見川畔

夏羽のオガワコマドリ(再掲) 2006.04.23 / 綱島鶴見川畔

拡大写真(1800x1300)359KB

境川遊水池のキジ

境川遊水池のキジ

拡大写真(2000x1450)186KB

ノゴマ(オス)

ノゴマ(オス)

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頭部の白いシマエナガ

頭部の白いシマエナガ

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2009年11月14日(土)

 平成21年(2009)11月11日(水)に行われた秋の叙勲で、河合陽一氏が瑞寳雙光章を受章されたことは誠に目出度く、心よりお祝い申し上げます。クラスメイトのトップを切って 皇居 長和殿 春秋の間 で天皇陛下に拝謁し、鳩山由紀夫内閣総理大臣の署名と大日本国璽が印された勲記とともに勲章を賜る栄誉に浴されたことは、誠に喜ばしく、また、羨ましくもあります。しかも、御在位20年という記念すべき年の受章ですから、喜びも倍増したことでしょう。

北の丸君の勲章菊の酒

Kitanomaru, chrysanthemum wine

of longevity for your decoration.

きたのまる きみのくんしょう きくのさけ

 聞くところによりますと、永年勤続表彰を受けた行政職の公務員は、欠格事由が発生しない限り、死亡後叙勲の栄に浴することができるものの、生存者叙勲は枠が限られているために必ずしも生きている内に受章できるとは限らないとのことですので、ご親族の方々の喜びも一入(ひとしお)ではなかったかと拝察します。
 普通は70歳から叙勲の選考が始まるのに比べ、65歳での受章は、危険業務従事者として評価され、5年も早く表彰されることになったからだと聞いています。従って、残る同期生は、河合氏のあと5年以上も待たないと、受章できないということですので、今回の叙勲はとても価値の高いものだと思います。

清秋や六十路を越えし友集ふ

Refreshing autumn,
friends over sixties have gathered.

せいしゅうや むそじをこえし ともつどう

 皇居北の丸公園のそばに建つKKRホテル東京(東京共済会館)での祝賀会は、関東近郊から11名の同期生が参集し、11階桜の間で河合氏を囲んで楽しい夕べのひとときを分かち合うことができました。これほど楽しく盛り上がったのは久しぶりで、同期の桜の有り難さを再認識し、久しぶりに美酒に酔いました。
 河合氏の今後益々のご多幸とご健勝を祈念しつつ、このたびの受章を祝して、この二句を捧げます。俳句の腕は一向に上がりませんが、数だけは松尾芭蕉や芥川龍之介の千句を越え、これで1140句となりました。楽しい夕べのひとときは、あっという間にお開きを迎えてしまいましたが、また、同窓会で、元気な姿でお会いしましょう。

「河合陽一氏の受章を寿ぐ」 2009.11.11 撮影:和田義男

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皇居二重橋(正門石橋)

皇居二重橋(正門石橋)

河合陽一氏叙勲祝賀会で集まった同期生たち

河合陽一氏叙勲祝賀会で集まった同期生たち

同期の桜の和やかな祝賀会/KKRホテル東京桜の間

同期の桜の和やかな祝賀会/KKRホテル東京桜の間(千代田区大手町)

 



 



 

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2009年11月13日(金)

 平成21年(2009)10月31日(土)と11月1日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社の秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で926年目となる。

白褌の手〆目出度や秋祭

Autumnal ritual, men of white

loincloths happily clapping hands.

びゃっこんの てじめめでたや あきまつり

 10月31日(土)は、周防灘に注ぐ桂川の東岸(右岸)に鎮座する本宮(もとみや)から西岸(左岸)の下宮(しもみや)への神輿渡御が行われた。地元ではお下り(くだり)と呼ぶ神事である。
 祭りの主役を務める川組は、赤線三本の襷を掛ける山田武司(たけし)会長(38歳)以下赤組白組に分かれた元気の良い若者たち。10月31日のお下りが一般與丁(よちょう)61名、役員14名の計78名、11月1日のお上りが一般與丁82名、役員14名の計96名が参加した。全員、純白の狩衣(かりぎぬ)上衣に白晒しの褌(若宮褌)を締め込んだ。

純白の狩衣褌秋の川

Autumnal river, pure white are the
kariginu coats and fundoshi loincloths.

じゅんぱくの かりぎぬふんどし あきのかわ

 若宮神輿の渡御は、桂川の川床(かわどこ)を渡るところがユニークで、いくつもの見せ場がある。最初は、狩衣・褌・白足袋の與丁たちが白布を巻いて保護した宮神輿を担ぎ、桂川東(右)岸のスロープを下って川に入るところで、純白の装束がスポットライトに浮かび上がり、神々しくも美しい姿を見せてくれる。
 二つ目の見所は、川中の篝火(かがりび)を目印に渡御コースを進みながら、要所で神輿を川床に置いて円陣を組み、前後の担ぎ棒に乗った與丁たちに水を浴びせるなどして神と戯れ、柏手(かしわで)で〆るところである。

暮るゝ秋川渡神輿の擱座せり

Autumnal nightfall, the river

crossing portable-shrine ran aground.

くるるあき かわとみこしの かくざせり

 豊後高田市は周防灘(すおうなだ)に注ぐ桂川の川口近くに位置するため、潮の干満の影響を受け、干潮時は川床が露出するが、満潮時になると海水が逆流し、このあたりは満々と海水を湛える大河の様相を呈する。
 干潮時に渡御すれば楽に渡れるが、それでは無味乾燥なことから、水面が腰の位置になる潮時を待って入水する。そのため、毎年、渡御と還御の時刻が変わる。

秋の水神輿に浴びせる褌衆

Guys of loincloth showering

autumnal water on the portable shrine.

あきのみず こしにあびせる ふどししゅう

 3つ目の見所は、大松明が赤々と燃え盛るステージのそばで、観衆に挨拶し、海水をかけ合って盛り上がるところである。ちなみに、若宮神輿は、陸組・川組ともに神輿差しを行わない。
 松明は次の日にでも後始末するのかと思いきや、崩れ落ちるまで燃やし続け、崩れ落ちる瞬間はすぐ傍の和太鼓の奏者が一番緊張していたようです。寒いのを堪えてでも見に行く価値のある祭りだと思います。この祭りがこのまま継承されていくといいですね。(長崎県佐世保市 辻竜二)
 4つ目、最後の見所は、対岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。全身、濡れ鼠状態になった與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。その様は、男らしく勇壮で美しい。他の神輿渡御では絶対に見ることができない素晴らしいシーンである。

秋川の泥に染まりし白ふどし

White loincloths

stained with muddy water

  of the autumnal river.

あきかわの どろにそまりし しろふどし

 宮神輿が御旅所で1泊した11月1日(日)、桂川の西岸(左岸)に鎮座する下宮(しもみや)から東岸(右岸)の本宮(もとみや)へ神輿の還御(かんぎょ)が行われた。地元ではお上(のぼ)りと呼ぶ神事である。これまでは、御旅所で2泊していたが、今年から1泊となり、祭り期間が土日の2日間に短縮された。参加者と見物客双方の利便を考えた変更である。
 お上り最後の見所は、昨日のお下りと同じで、右(東)岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。昔の海水は綺麗だったと思われるが、近年の海水汚濁により、全身汚水にまみれた状態になった與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。

濁水に染まりし白褌秋の渡御

Autumnal trip of gods, white

loincloths stained with muddy water.

だくすいに そまりしびゃっこん あきのとぎょ

 大分県豊後高田市に伝わる、『若宮八幡秋季大祭』も今年で926回を数えます。私も現役を退いて裏方に回り、8年が過ぎました。また、今年は現役の川組與丁でつくる『裸祭り保存会』が創立40周年の節目の年でもあり、山田会長をはじめ與丁一丸となっで神事に務めました。今年の永年表彰は、役員1名、一般與丁2名の計3名で、名残惜しく現役を退きました。 清原浩

「若宮八幡裸祭'09」 2009.10.31-11.1 撮影:清原 浩

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日頃の感謝を込めて三本締め/山城屋 2009.10.30 15:50

日頃の感謝を込めて三本締め/山城屋 2009.10.30 15:50

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スポットライトを浴びて桂川に入る若宮神輿 17:27

スポットライトを浴びて桂川に入る若宮神輿 17:27

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水を掛けて盛り上がる川組

與丁よちょう

たち

水を掛けて盛り上がる川組與丁たち

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大松明の下の水掛神輿

大松明の下の水掛神輿

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斜路を上がる濡れ神輿 17:54

斜路を上がる濡れ神輿 17:54

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最後の力を振り絞って!

最後の力を振り絞って!

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2009年11月9日(月)

 平成21年(2009)10月23日(金)24日(土)の両日、一泊二日の日程で、家内と二人で、神奈川県横浜市の秋深む横浜港を散策した。

赤い靴知って身に入むエピソード

Red shoes, sympathizing
with the newly known episode.

あかいくつ しってみにしむ えぴそーど

 横浜港の観光は桜木町から始めるのが良い。JR桜木町駅前広場から横浜港の主要スポットを時計回りに巡回する観光バス「あかいくつ」が土日祭日は15分毎、平日は20分毎に出発している。
 「あかいくつ」は、大正11年(1922)、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡「赤い靴」にちなんだもの。
 この歌のモデルは「岩崎きみ」という実在の人物。アメリカの宣教師夫妻に養子として連れられていった。後に札幌でこの話を聞いた野口雨情が「赤い靴」を作詞した。
 「きみ」は、しばらくは幸せに暮らしたが、結核を煩い、帰国命令を受けた宣教師夫妻が船に乗せてアメリカに連れて行くだけの体力がないため、孤児院に預けられ、横浜から船に乗ることもなく、僅か9歳で亡くなったという。

秋天に日本丸の勇姿あり

Brave-looking Nippon-maru
towards the autumnal sky.

しゅうてんに にっぽんまるの ゆうしあり

 日本丸は日本の大型練習帆船。昭和5年(1930)に進水した初代は約半世紀にわたり活躍し、昭和59年(1984)に引退し、航海練習船としての役割は日本丸II世に引き継がれた。
 初代の日本丸は、1984年の退役まで約183万km(地球約46周)を航海し、約11,500名の実習生を育てた。現在、横浜市みなとみらい地区の日本丸メモリアルパークにて展示公開されている。

秋高し日本一のビル高し

Autumnal high sky,
the highest building throughout Japan.

あきたかし にっぽんいちの びるたかし

 横浜ランドマークタワーは「横浜みなとみらい21」の中核を構成する三菱地所保有のオフィスビル。高さは296mで、日本一高い超高層ビルである。世界では第53位の高さ(2009年8月時点)。平成2年(1990)3月20日着工、平成5年(1993)7月16日に開業した。
 ビル全体の制振装置として、上層部にコンピュータ制御で揺れを抑える巨大な振り子を備えており、ビル自体も4本を柱とした耐震性の高い構造をとっている。平成16年(2004)2月には、横浜高速鉄道みなとみらい線の「みなとみらい駅」がタワーに隣接するクイーンズスクエア横浜の地下に開業し、アクセスが便利になった。

潮の香を運ぶ秋風赤煉瓦

Red brick house,
autumnal wind carrying the sea smell.

しおのかを はこぶあきかぜ あかれんが

 横浜赤レンガ倉庫は、「横浜みなとみらい21」地区にある歴史的建築物の愛称で、正式名称は新港埠頭保税倉庫である。
 2号館は明治44年(1911)、1号館は大正2年(1913)に竣工。保税倉庫としての役割は平成元年(1989)までに終え、しばらく放置されていた。平成14年(2002)に1号館は展示スペースやホールなどの文化施設に、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備され、「横浜みなとみらい21」の代表的な観光施設となっている。

秋闌くる巨艦の舫ふ港かな

Well advanced autumn,
big warships mooring in the port.

あきたくる きょかんのむやう みなとかな

 横浜港大さん橋は、横浜港の海の玄関口で、大さん橋ふ頭と横浜港大さん橋国際客船ターミナルがある。横浜港における客船の発着場であるとともに、横浜港のシンボル的な存在として知られている。
 運良く、自衛隊観艦式に伴う「護衛艦こんごう」と「護衛艦ひゅうが」が大さん橋に着桟しており、一般公開されていた。護衛艦こんごうは、海上自衛隊のイージス艦で、多数のミサイルを同時に迎撃できるイージスシステムを搭載し、対空戦能力に優れている。全長161m、基準排水量7,250トン、満載排水量9,485トン。

秋の薔薇港の見える丘の上

Autumnal roses on a hill,
where the port can be seen.

あきのばら みなとのみえる おかのうえ

 循環バス「あかいくつ」に乗り、循環ルートの最東端に位置する「港の見える丘公園」に行った。秋の薔薇をスケッチする市民の姿があった。
 横浜港の中心部最東端に位置する元町の商店街(元町ショッピングストリート)は、横浜を代表する繁華街のひとつとして有名。家内が気に入っており、ここでショッピングを楽しんだ。首都高速道路の下を流れる堀川の向かい側には、横浜中華街が広がる。

元町や異国のかほり秋の色

Motomachi town,
the autumnal color of an exotic taste.

もとまちや いこくのかおり あきのいろ

 元町の観光を終え、「あかいくつ」で桜木町まで戻り、横浜ランドマークタワー69階のスカイガーデンに上って横浜港の夜景を鑑賞した。
 みなとみらいのシンボルとなった横浜ランドマークタワーは、全高296mの日本一の高層ビル。69階の日本一高い展望台フロア・「スカイガーデン」(地上272m)へは、直通エレベーターが最大分速約750m(45km/h)約40秒で運んでくれる。
 「スカイガーデン」は、4面ガラス張りの大パノラマフロア。元日は早朝営業があり、初日の出を拝めるため、多くの来場者でにぎわうという。圧巻は、横浜港の眺望で、眼下に「よこはまコスモワールド」の観覧車が見える。

秋の暮花火の如き観覧車

Autumnal nightfall,
the Ferris wheel looks like a firework.

あきのくれ はなびのごとき かんらんしゃ

 山下公園の中央入口から氷川丸の方向に目をやると、米国サンディエゴ市から寄贈された水の守護神像が見える。壺を肩に担ぐ女性像の周囲に噴水があり、暑い季節の夕方には、涼を求める人々の憩いの場となる。
 横浜市とサンディエゴ市は、昭和32年(1957)10月に姉妹都市となってからは青少年の交流や動物の相互寄贈などの文化活動を中心に交流が続いている。

夜長星消えて久しき摩天楼

Skyscrapers, the stars disappeared
for a long time from autumnal nights.

よながぼし きえてひさしき まてんろう

 横浜中華街は、山下公園南側の横浜市中区山下町一帯に広がるチャイナタウンで、かつては唐人町や南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には当地の出身者が多い。中区の中国人人口は6000人を超え、登録外国人の約4割にあたるという。
 約0.2km2のエリア内に500店以上の店舗があり、日本のみならず、東アジア最大の中華街となっている。日本では、神戸南京町や長崎新地中華街とともに三大中華街と呼ばれる。
 慶応2年(1866)以来、約145年の歴史があるが、中華料理街として現在のような発展を始めたのは早くとも昭和30年(1955)以降で、それ以前はカフェが主だったという。

暮るゝ秋不夜城のごと中華街

Autumnal nightfall,
the Chinatown like a nightless castle.

くるるあき ふやじょうのごと ちゅうかがい

 夜の山下公園を散策したあと、午後7時から聘珍樓(へいちんろう)横浜本店で広東料理を楽しんだ。事前に予約していたので直ぐに二階の丸テーブルに案内されたが、金曜日でも、飛び入り客は2時間待ちで、ここは不況知らずだった。

「みなと横浜散策」 2009.10.23-24 撮影:和田義男

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「赤い靴はいてた女の子」像/山下公園

「赤い靴はいてた女の子」像/山下公園

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一般公開中の帆船「

日本丸にっぽんまる

一般公開中の帆船「日本丸」

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日本一高い横浜ランドマークタワー

高さ295.8 mの日本一高い超高層ビル「横浜ランドマークタワー」

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観光名所になった横浜赤レンガ倉庫1号館

観光名所になった横浜赤レンガ倉庫1号館

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送迎デッキから見た護衛艦こんごう

送迎デッキから見た護衛艦こんごう

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港の見える丘公園

港の見える丘公園

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秋色の

元町もとまち

秋色の元町

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横浜港の夜景 5:20pm

横浜港の夜景 5:20pm

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水の守護神像/山下公園 6:25pm

水の守護神像/山下公園 6:25pm

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山下公園に隣接する朝陽門(東門)/横浜中華街 6:30pm

山下公園に隣接する朝陽門(東門)/横浜中華街 6:30pm

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2009年11月2日(月)

 平成21年(2009)10月18日(日)、埼玉県さいたま市岩槻区釣上(いわつきく・かぎあげ)に鎮座する釣上神明社(かぎあげ・しんめいしゃ)において、平成17年(2005)2月に国の重要無形民俗文化財に指定された「古式子供相撲土俵入り」が行われた。

秋日向化粧褌を締める子ら

Broad daylight of autumn, children
 wearing ornamental sumo loincloths.

あきひなた けしょうまわしを しめるこら

 今年、古式子供相撲土俵入りを奉納する子供たちは、宮本を中心とする幼稚園児から小学6年生までの17名の元気な男児たち。12時に行司宿に集合し、前庭で裸になり、幅の狭い子供用の越中褌を締めその上に化粧廻しを締めてもらった。
 出発は午後1時45分頃。一行は、氏子総代3名を先頭に、金棒曳(かなぼうひき)2名、拍子木1名、行司1名の後に、最年少者を先頭に年少順に並んだ豆力士たち17名が続き、一列縦隊となって行司宿を出発した。豆力士たちの数は、本来なら24名前後というが、それだけの数を集めるのは難しいという。

参道の紋付き襦袢秋の色

Crested under-kimonos, in the autumnal
color of the front approach to the shrine.

さんどうの もんつきじゅばん あきのいろ

 幼稚園児から小学6年生までの豆力士17人は、行司兼リーダ役の金子友和さんに続いて、化粧廻しの上に赤い紋付襦袢(もんつき・じゅばん)を羽織り、神社まで約200mの道のりを裸足で行進した。
 釣上神明社では、釣上上組(かぎあげかみぐみ)、釣上下組、釣上新田、釣上新田南の4地区に分かれて氏子組が組織され、それぞれ5人の氏子総代がいる。土俵入りに参加する子供たちは、宮本といわれる釣上下組の子供たちを中心に選ばれる。少子化の傾向にあるため、年々、選考する区域が広がっているという。

紅白の相撲場新たに赤襦袢

Red under-kimonos, newly born sumo
ring with a red-and-white curtain.

こうはくの すもうばあらたに あかじゅばん

 屋根付きの立派な相撲場は、国の補助を受けて今年完成したもの。組立式でないと援助が出ないということで、毎年、組立と解体・収納作業が必要である。伝統文化を支える氏子総代会や保存会のご苦労が偲ばれる。
 化粧まわしの披露が終わると、古式子供相撲の土俵入りに入った。最初は、年少組8人の出番。年長組9人が土俵の南に正座して見守るなか、片手を額に、片方を腰にそれぞれ掌(てのひら)を外側にして交互に当てながら歩く「ヤッコを踏む」所作(しょさ)が始まった。

奴踏む相撲童や土俵入

Ceremonial entrance to the ring,
sumo children perform Yakko walk.

やっこふむ すもうわらべや どひょういり

 新しく完成した土俵をバックに金棒曳(かなぼうひき)、行司、拍子木、力士のオールキャストが勢揃いして、記念写真を撮った。豆力士たちは格好良く腕を組んでポーズを取った。
 お陰で、豪華な化粧廻しを一望することができた。こうして見ると、豆力士たちには橋本・本橋くんが多い。

宮相撲化粧褌横一線

Sumo wrestling at a shrine, ornamental
loincloths making a horizontal line.

みやずもう けしょうふんどし よこいっせん

 豆力士たちは、記念写真を撮ったあと、金棒曳や行司を先頭に一列縦隊で行進し、行司宿に帰還した。リーダーの「良くやった」とのお褒めの言葉をもらって、子供たちから笑顔が漏れた。緊張の糸がほどけたようで、元の天真爛漫(てんしんらんまん)を取り戻したようだった。
 行司が途中で間違ったところがあり、子供たちに謝っていたのが印象的だった。子供たちの心を掴み、頼られるリーダーとして慕われている様子が良く分かった。

行司宿子らの笑顔や秋うらら

Mild autumnal day,
children smiling at sumo referee house.

ぎょうじやど こらのえがおや あきうらら

 子供たちからは、ご褒美がもらえることを教えてもらった。どんなご褒美かと尋ねると、お小遣いということで、1000円貰えるのが楽しみだと話してくれた。みんな元気で良い子たちばかりだった。
 中高生がいないのは、受験勉強が始まり、土俵入りの練習をする時間が取れなくなり、学校側も学生が参加することを快く思わないと父兄が言っていた。そのため、土俵入りは小学生までとしているという。教育現場における学力偏重教育のあり方が問われるところである。

「釣上古式子供相撲土俵入り」 2009.10.18 撮影:和田義男

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行司宿・磯野家の前庭 12:20

行司宿・磯野家の前庭 12:20

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一列縦隊で参道を進む

一列縦隊で参道を進む

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行司宿から釣上神明社に宮入りした豆力士たち 13:50

行司宿から釣上神明社に宮入りした豆力士たち 13:50

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ヤッコを踏む年少組8人

ヤッコを踏む年少組8人

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オールキャスト勢揃い 14:38

オールキャスト勢揃い 14:38

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大役を果たして笑顔を取り戻した子供たち/行事宿 14:50

大役を果たして笑顔を取り戻した子供たち/行事宿・礒野家 14:50

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2009年10月30日(金)

 2009年6月4日(木)〜13日(土)の間、家内と共にクラブ・ツーリズムが主催する「ブルガリア・ルーマニアとバラ祭り10日間」のツアーに参加した。

緑陰の芝生に遊ぶ葱坊主

The onion heads,
taking a rest in the shade of trees.

りょくいんの しばふにあそぶ ねぎぼうず

 110,910km2の国土に約750万人が暮らすブルガリアは、東ヨーロッパの共和制国家。 バルカン半島に位置し、北にルーマニア、西にセルビア、マケドニア共和国、南にギリシャ、トルコと隣接し、東は黒海に面している。首都は1,349km2に135万人が暮らすソフィア。
 聖ニコライ・ロシア教会は、1913年にロシアの外交官セモントフスキ・クリロの命により、聖ニコライを祀るために建立された教会。ロシアとブルガリアでは、同じ正教とはいっても宗派が違うため、自らの宗教上のアイデンティティを守るために建立を思い立ったというエピソードが残っている。
 終日、祈りを捧げるためにやってくる信者の姿は途切れることがない。陽光を浴びていっそう輝く5つの金色のドームと、エメラルドグリーンの尖塔が美しい。
 カザンラクは、ソフィア〜ヴァルナ間の幹線上に位置するバラの谷で最大の町。カザンラクとは、薔薇(バラ)を加工する際に使う「銅の釜」のことで、バラ産業の中心地である。この街は1420年にトルコ人により作られ、ソフィアから東に列車やバスで2時間半程度の距離にある。

薔薇よりも赤き衣装や薔薇ダンス

The rose dance,
the costumes redder than roses.

ばらよりも あかきいしょうや

 ばらだんす
 香水などに使われるバラの香料は、ブルガリア産が世界市場の8割を占めているという。その殆どは、バルカン山脈とスレドナ・ゴラ山脈に挟まれた「バラの谷」と呼ばれる地域で摘み取られたバラから精製されたもの。
 6月の収穫期になると、夜明け前からつみ取りが始まる。民族衣装をまとった女性たちが歌と踊りで薔薇の豊作と収穫の始まりを祝うバラ祭りは、毎年6月第一週の週末に行われる。

在りし日の大砲吼ゆる薔薇の谷

The valley of roses,
roaring of the old day's cannon.

ありしひの たいほうほゆる ばらのたに

 香料用のバラは、ピンク色のカザンラシュカ・ローズ(ダマスク・ローズ)という品種で、バラの谷で大量に栽培されている。摘み取りは、蕾ではなく、開いた花を収穫する。
 レストランの広場では、奇妙な仮面を被った民族衣装クケリを纏った人々による地元の祭りを再現してくれた。年代物の大砲が広場に引き出され、空砲が発射された。結構大きな音と硝煙が広がり、我々を驚かせた。

夏木立見下ろす古都の赤瓦

The red roof tiles of an ancient capital,
looking down the summer grove.

なつこだち みおろすことの あかがわら

 ヴェリコ・タルノヴォは、国土の東西に横たわるブルガリア最大のバルカン山脈の東部にある人口7万弱の地方都市。森に包まれたいくつもの丘と、その周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の美しさは、中央ヨーロッパでも際立ったものだという。
 国境の町ルセで昼食を取った。昼食後、そのホテルの高層階から、ドイツを発して黒海まで10ヵ国を流れる国際河川のドナウ川を撮影した。

夏の天久遠のドナウ蕩々と

The summer sky,
the eternal Danube flowing gently.

なつのてん くおんのどなう とうとうと

夏空や漣立ちぬドナウ河

The summer sky,
the ripples of the Danube.

なつぞらや さざなみたちぬ どなうがわ

 「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとして名高いブラン城は、ルーマニアのブラショフから30kmほどのところにあり、ツアーバスで向かう途中、にわかに空がかき曇り、不気味な雨に見舞われてしまった。

ドラキュラの五月雨なりやブラン城

Bran Castle, it might be an early
summer rain of Dracula.

どらきゅらの さみだれなりや ぶらんじょう

 ブラン城は、アイルランドの作家ブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」に登場するドラキュラ城のモデルといわれ、また、ドラキュラのモデルは、15世紀のルーマニア、トランシルバニア地方出身のワラキア公(ドラキュラ公)ヴラドIII世(ヴラド・ツェペシュ)とされている。
 しかし、実際のところ使われているのはドラキュラというヴラドのニックネームと、出身地が現在のルーマニアという点だけである。

「ブルガリア・ルーマニアの旅」 2009.6.5-12 撮影:小池淳二

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聖ニコライ・ロシア教会/ブルガリア

聖ニコライ・ロシア教会/ブルガリア

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フォルクローレに合わせたフォークダンス/ブルガリア

フォルクローレに合わせたフォークダンス

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古い大砲の実演/ブルガリア

古い大砲の実演

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ヤントラ川の崖に建つタルノヴォの街並み/ルーマニア

ヤントラ川の崖に建つタルノヴォの美しい街並み

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国境の町ルセとドナウ川(上流方向)/ブルガリア

国境の町ルセとドナウ川(上流方向)/ブルガリア

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雨に濡れるブラン城の中庭/ルーマニア

雨に濡れるブラン城の中庭

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝のまだ寝ぼけた部分がのこる頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の写真から実景が鮮明な記憶となって蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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