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ヤルホトとも呼ばれる交河故城は、トルファンの市街から西へ約10km、トルファン盆地の西端にある。東西の最大幅330m、南北の長さ1600m、東西を2つの河に挟まれた台地上にあり、天然の要塞となっているために城壁のないのが珍しい。 |
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漢王朝の重要な屯田地として、辺境防御の任務が遂行された。麹氏高昌国時代に、中心は高昌故城に移ったが、交河故城は軍事的拠点として使用され続けた。 |
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交河故城を巡る人々 |
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702年には最初の安西都護府がおかれ、唐の西域経営の中心となった。ウイグル王国時代も重要な都市であったが、元代末期、チンギス・ハンの遠征の途中に破壊され、廃城となった。 |
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この古城の最大の特徴は、大地を下に掘って建物を建造したことであって、壁には地層の縞がはっきり見える。南部は一般人の居住区であり、北部には寺院や仏塔、最北部には墓葬が存在している。各遺構は唐代の都市建築の特色を残し、高昌故城に比べて残存状態が良好である。 |
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廃墟を行く(交河故城) |
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トルファンの夜 |
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観光を終えた一行は、夜、食事をとりながらウイグル民族舞踊ショーをゆっくりと楽しんだ。中国でありながら、煌びやかな衣装で踊る美女たちは我々東洋人とはまるで違う人たちであり、西洋と東洋の社会・民俗・文化交流が花開いたシルクロードの多様性を実感した。 |
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ウイグル民族舞踊 |
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異国情緒たっぷりの踊り |
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トルファンに一泊したあと、翌朝、チャーター便で帰国するために、専用車でウルムチに向かった。トルファンのインターから高速道路に入る。シルクロードの地だけあって、料金所の表示は中国語とアラビア語である。 |
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トルファン料金所 |
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砂漠の中の道路 |
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高速道路は砂漠の中を一直線に延びていた。片側二車線の街灯のない道路であるが、十分な幅の中央分離帯が設けられている。制限速力は時速120kmと、日本より高速である。 |
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トルファンからウルムチに向かう高速道路 |
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荒野の風車 |
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ウルムチまであと50分ほどのところで、高速道路の前方に風力発電用の風車が見えてきた。ざっと数えて200基はある。風の強い自然条件を生かし、クリーン・エネルギーを生み出している。「21世紀は中国の時代」といわれるが、このような砂漠地帯においても着実に近代化の歩みを続ける中国の素顔に触れた思いがした。 |
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風力発電の風車 |
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冠雪の天山山脈 |
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40輛の貨物列車が走る平原の向こうに、冠雪した天山山脈が見えた。この雪融け水が不毛の荒野に命を吹き込んでくれる。ウルムチに着く前に機内から見た勇姿を思い出しながら、ウイグルの人々は天山山脈とともにあることを知った。 |
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天山山脈の威容 |
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ANAのチャーター機で、初めて中国入りした。飛行中、高度10,000mから万里の長城の一部、ゴビ、雪を戴いた天山山脈を見ることができたのはラッキーだった。
今回、年間降水量が18〜40mmの超乾燥地帯にある敦煌・トルファン・ウルムチに行ったのだが、帽子・マスク・サングラスは必需品で、砂嵐も体験した。タイムスリップしない限り、正確な昔は判らないが、皆がこんなにシルクロードへ行くのは、歴史の謎にロマンを感じるからだろう。
人口180万人のウルムチには活気があり、近い将来、大都市に変貌する気配が感じられた。シルクロードのほんの一部を見る旅だったが、往時の駱駝の背の旅しかない世界を垣間見ることができ、満足の旅だった。 〈 完 〉 |
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大森
保武
(おおもり やすたけ) |
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住居:岡山県美作市(みまさかし) |
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私は標高342mの山頂付近に住んでおり、猪、狸、狐、鹿などと一緒に日の出・日の入り・雲海などの自然を見、心を癒しています。 |
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