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とんがり帽子の時計台 |
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ロートホルン山頂レストランで昼食を取り、下山した後、専用バスで最後の訪問地・ルツェルンに向かった。車窓から緑の牧草地と、とんがり帽子の時計台のある教会が見えた。スイスでは、どこに行っても、どんな小さな村でも立派な教会があるのに感心する。 |
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車窓から見る美しい牧場の風景 |
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フィアヴァルトシュテッター湖 Vierwaldstättersee 北西岸、ロイス川 Reuss 流出部に発達したルツェルンは、中央スイスを代表する人口6万人の賑やかな町である。しかし、美しい旧市街は、車が閉め出され、静かで気品に溢れている。 |
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ルツェルンは、スイス連邦を構成するカントンの州都で、9世紀前半ムールバハ修道院の所領内市場として発展し、1180年ころ都市となった。現在、近郊には繊維・金属工業がおこり、カントン全体には酪農地帯が広がっているが、都市の主産業は観光業である。 |
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瀕死のライオン |
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ライオン記念碑のある公園は、旧市街の北東にあり、カペル橋と並んでルツェルンで最も多くの観光客が集まる名所である。大きな岩に身を横たえるライオンは脇腹に槍が刺さり、瀕死の状態である。フランス革命の際、ルイ16世とマリー・アントワネットを守ろうとして命を落とした786名のスイス傭兵*(ようへい)を悼んで造られた。 |
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当時のスイスは傭兵を出して外貨を稼ぐ貧乏国。一般に傭兵は国王への忠誠心に乏しく、負け戦では直ぐに逃げ出すのが当たり前とされたが、スイス傭兵は、近衛兵が逃げ出しても最後まで国王を守り、運命を共にした。 |
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*傭兵:雇傭契約によって俸給を与え、兵隊として働かせること。また、その兵。雇兵(やといへい)。 |
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スイス傭兵を顕彰するライオン記念碑 |
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ローマ法王庁をガードするスイス傭兵 |
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その理由は、スイス傭兵の信用を失わないための決死の精神であった。そのお陰で、諸外国から高い評価を受け、今でもバチカン市国 State of the City of Vatican のローマ法王庁の前には、ミケランジェロがデザインした伝統の制服を着たスイス傭兵が誇らしげに立っている。衛兵になるには、長身の美男子が必須条件という。 |
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ローマ法王庁の衛兵(スイス傭兵) / バチカン市国 |
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撮影:1998.11.15 |
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カペル橋はルツェルンのシンボルで、湖から襲ってくる敵から街を守る砦の一部である。旧市街は、湖と川とムーゼック城壁に守られているが、その東の砦がカペル橋で、西の砦がシュプロイヤー橋である。 |
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カペル橋は、14世紀初頭に建設された屋根付きの木造橋で、その長さは約200m。ヨーロッパ最古の木造橋として知られていたが、1993年(平成5年)の火災で大半を焼失し、現在の橋は再建されたもの。 左に見える八角形の塔は、監獄(幽閉)に使われていたもので「水の塔」と呼ばれる。 |
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花で飾られたカペル橋 |
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みずとりの つどうるつぇるん なつげしき |
Waterfowls
gathering Luzern of summer scene. |
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急流のロイス川右岸には中世の面影をとどめる旧市街が広がる。山の手には部分的に城壁も残されている。 |
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カペル橋から下流を見る |
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ロイス川左岸にも歴史的建造物が並び、中世の雰囲気が漂う。屋根にネギ坊主を乗せた建物はイエスズ教会。 |
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段差となって流れるロイス川 |
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段差をなして激しく流れるロイス川に面した美しい佇まいの旧市街は、ルツェルン観光の目玉である。画面下の右にカペル橋。画面左奥にムーゼック城壁。左端にはシュプロイヤー橋が見える。 |
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ルツェルン旧市街 |
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カペル橋に似たシュプロイヤー橋は、1408年にカペル橋から400mほど下流に建設され、砦として使用された。 |
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城壁の下の砦・シュプロイヤー橋 |
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シュプロイヤー橋の三角パネル画の題材は、「死神」。 疫病の大流行を描いたもので、不気味な骸骨の絵が中世の暗い雰囲気を残している。カペル橋にも同様の絵があり、ルツェルンの守護聖人の生涯が描かれているが、戦闘や処刑の様子など、凄惨(せいさん)な絵が多い。日本人からすれば悪趣味としかいいようのないもので、審美観や文化の違いを感じる。 |
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橋の屋根裏に描かれた死神の絵 |
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レストラン「スタットケラー」 Restaurant Stadtkeller
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スイス最後の夜は、旧市街にある人気のレストラン「スタットケラー」で、チーズフォンデュなどのスイス料理を味わいながらフォルクローレ・ショーを楽しんだ。 |
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レストラン「スタットケラー」でスイス・料理を楽しむ |
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スイスのフォルクローレ Swiss Folklore
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スイスの風俗や習慣、豊富な伝統の中で今も受け継がれるアルペンホルンの妙なる響き。牛の首につるされた低音のカウベル、民族衣装、旗の空中投げやヨーデルなど、盛りだくさんの伝統芸能が披露された。 |
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スタットケラーのフォルクローレ・ショー |
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アルペンフォルンの演奏 |
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アルペンフォルンに挑戦 |
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ヨーデルを歌うユングフラウ |
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よーでるの うたげのつづく なつのよわ |
Yodel dinner show,
lasting
in the middle of summer night. |
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迫力あるスイス国旗の空中投げ |
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ヨーデルはスイスの山々を連想させる素晴らしい民謡である。最後は「サウンド・オブ・ミュージック」で歌われたスイス国花のエーデルワイスとホームランド(故国)を讃える「エーデルワイス」が披露された。 |
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観客はアメリカ、カナダ、日本、中国、韓国など、遠来の客が多い。最後は、みんなが輪になって踊る盛り上がりよう。昔、高校で教わったフォークダンスそのもので、記憶に残るスイス最後の夜だった。 |
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ルツェルンで一泊したあと、7月15日(土)の朝、専用バスでチューリッヒ国際空港へ行き、午後1時頃、スイス・インターナショナル・エアラインズLX-168便でチューリッヒを出発し、翌16日(日)朝8時頃、無事成田に到着した。 |
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撮影 2006年7月11〜14日
★★★
《 OLYMPUS E-330 E-500 》
ZUIKO 11-22mm 14-54mm
SIGMA 55-200mm
800万画素
5,100枚 8,200MB
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編集後記 |
9日間の夏休みのうち8日間を費やして後編の編集に没頭し、本日、やっと完成した。前編4,520枚・7,170MB後編5,100枚・8,200MBをあわせると、9,620枚・15,370MBとなる。これがスイス夏の旅で撮影した画像の分量である。我ながらよくもこれだけ撮ってきたものだと思う。 |
その中で採用した高精細画像は、前編95(7頁)+後編141(8頁)=236枚(15頁)で、40枚に1枚の割合で採用したことになる。前編と後編の編集の合間に、新しい5GB(5,000MB)のレンタルサーバーに引っ越したこともあり、枚数制限や画像のサイズ制限も一切関係なく、思うがままに編集した。 |
制作・脚本・監督・撮影・美術・音楽・等々、全ての役柄を一人でこなしたのだから、思えば大変きつい作業であったが、終わってみれば満足感も高い。 |
読者のみなさんには、時間のたっぷりあるときに、ごゆるりと鑑賞していただきたい。高精細画像を呼び出せば、ディスプレーに収まりきらない大自然の迫力ある画像が眼前に展開する。スイス・フォルクローレの調べをバックに、ロマンと感動を余すことなく味わっていただければ、幸甚である。 2006.8.21 〈 完 〉 |
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謝 辞 |
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南光優 さん |
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「スイス夏の旅〈前編〉〈後編〉」の制作にあたり、
マッターホルン
大姑娘山の花園 など3年半にわたり14編もの名作を当サイトの
感動写真集 に公開していただいたアマチュア山岳写真家・南光優さんから、アルプスの山岳写真7枚をご提供いただき、私の足らざるところを補っていただきました。 |
お陰さまで、本作品は更に奥行きを増し、名実共にスイス旅行の決定版として完成度の高い感動巨編に仕上げることができました。文末ではありますが、南光優さんに深く御礼申し上げますとともに、これからも更なる名作を寄稿いただけますよう、お願いします。有り難うございました。 和田義男 〈 拝 〉 |
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