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▼ 筆者は、錬成道場の行人(ぎょうにん)たちと行動を共にしたかったが、月山から湯殿山に至る難所の多い山駆けが不安で、足を引っ張ることがあってはまずいと思い、二日目の湯殿山参籠所(ゆどのさんさんろうしょ)での昼食時に合流することとし、初日は、JR鶴岡駅から湯殿山行きの路線バスに乗って、湯殿山参籠所に向かった。 |
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JR鶴岡駅
前から路線バスで湯殿山に向かう 2011.8.6 14:53
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庄内地方は、庄内米で知られる米所である。鶴岡市郊外に出たバスは、緑滴る青田に囲まれた道を進んだ。 |
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路線バスが鶴岡駅前を出発して45分くらい経ったころ、月山ダムが見えてきた。赤川水系梵字川(あかがわすいけい・ぼんじがわ)を堰き止めた重力式コンクリートダムで、あさひ月山湖(あさひがっさんこ)が生まれた。
月山湖 |
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梵字川は、朝日山系の北寒江山(きたかんこうざん)(1,658m)を源とし、また、霊峰月山(1,984m)から流れる田麦川(たむぎがわ)を合わせた流域面積290km2、流路延長38kmの一級河川で、庄内平野では赤川と名を変えて豊かな穀倉地帯を潤し、酒田から日本海に注いでいる。 |
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古くから地域の人々の暮らしと文化を支えてきたが、時には洪水や渇水といった自然の猛威によって多くの人
々を苦しめてきた。赤川の治水は、最上氏が鶴岡に入城して以来、洪水被害と治水対策の長年に亘る戦いの歴史であったが、その終止符を打つ形で、平成13年(2001)に完成したのが、この月山ダムである。 |
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▼ 月山ダムから5分ほど走ったところで、鶴岡市の田麦俣(たむぎまた)部落(旧東田川郡朝日村)に着いた。路線バスはこの地域のライフラインになっているようで、わざわざ迂回して立ち寄ったものである。ここで見られる田麦俣多層民家(たむぎまた・たそうみんか)は、独特の建築形式として知られる。 |
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日本海に面した庄内地方と内陸部の村山地方を結ぶ六十里越街道(ろくじゅうりごえかいどう)の中間点であった田麦俣は、湯殿山神社への参拝客が立ち寄る宿場町としての性格を有していた。また、豪雪時の出入りを容易にするためと、広い敷地の確保が困難なことから、三層構造で居住空間と客人を泊める空間を立体的に確保した茅葺きの建築形式が発展した。 |
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兜造屋根 |
が特徴の |
田麦俣 |
多層民家 |
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これらの民家は、明治に入って養蚕業が盛んになると、二階・三階部分の採光と通風を確保するため、寄棟屋根の平部分に屋根窓(高八方たかはっぽう)が設けられ、妻側は屋根を垂直に切り上げた兜造りに改造された。 |
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昭和40年(1965)に鶴岡市・致道(ちどう)博物館に移築された旧渋谷家住宅は、昭和44年(1969)に国の重要文化財に指定され、昭和49年(1974)には旧遠藤家住宅が山形県有形文化財となった。 |
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高八方造 |
の旧遠藤家住宅(山形県有形文化財) |
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▼ 出羽三山の奥の院・湯殿山(ゆどのさん)の門前にある湯殿山温泉「薬師の湯」。疲労回復や病後の回復、慢性婦人病や冷え性などに効果があるといわれている。湯殿山参籠所が満杯のときは、こちらに泊まることができる。 |
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湯殿山行きの路線バスは、鶴岡駅前を出発して1時間20分後に終点の仙人沢(せんにんざわ)バスターミナルに着いた。広い駐車場の上に湯殿山本宮の入口を示す鮮やかな朱塗りの大鳥居が立ち、その北側に湯殿山休憩所と湯殿山参籠所がある。 |
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終点・仙人沢バスターミナル / 湯殿山 16:15
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山形県 |
鶴岡市 |
出羽三山 |
の位置 / 衛星写真 |
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▲▼ 湯殿山(1,504m)は、出羽三山の南端に位置し、その北東約5kmの月山(1,984m)に連なる霊山である。湯殿山北側中腹の梵字川(ぼんじがわ)の侵食によってできた峡谷に、五穀豊穣・家内安全の守り神として崇敬される湯殿山神社本宮(1,100m)がある。 |
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出羽三山の奥宮とも呼ばれ、「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められてきた清浄神秘の世界であり、羽黒山と月山で修行をした行人(ぎょうにん)がここで仏の境地に至るとされている。仙人沢(1,000m)は、湯殿山本宮の東方、徒歩約20分の山腹にある。 |
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湯殿山の仙人沢(1,000m)に着いて最初に赤い大鳥居が目に入ってきたが、インパクトを受けたのは、法海上人之墓(ほうかいしょうにんのはか)や一世行人即身佛(いっせいぎょうにん・そくしんぶつ)修行の石碑である。仙人沢は、即身仏となるための修行地であった。 |
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一世行人即身佛修行の地↓ |
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法海上人之墓↓ |
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「一世行人之祖法海上人之墓」 碑文 |
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春日の局は 竹千代(後の三代将軍 家光)を将軍の位につけるように さらにその後年には竹千代が罹った疱瘡が治るように 二度にわたり湯殿山で祈願を行った いずれの祈願も叶ったお礼に 局は瀧水寺(たきみずでら)金剛院大日坊に三間四面堂を建立し奉納した その時局と同行したのが江戸神田法海上人(ほうかいしょうにん)である 彼は湯殿山の御神徳に感激し この地に残って湯殿山行人(ゆどのさんぎょうにん)となった そして 仙人沢に籠もり 生涯精進潔斎の木食道(もくじきどう)を修し 遂に入寂(にゅうじゃく)した |
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「一世行人即身佛修行の地」 碑文 |
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湯殿山仙人沢 この霊地は即身佛修行の地でした 行人たちは 五穀を一千日絶ち さらに木食行を厳修し 只管(ひたすら)衆生済度(しゅじょうさいど)のため 己の一身を犠牲にして生き乍ら佛となったのです
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不惜身命(ふしゃくしんみょう)厳しき修行今に見え 霊安かれとひたすら祈る |
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▼ 大鳥居の南には、行人塚(仙人沢永代供養碑)がある。この地で修行し、入寂(にゅうじゃく)した湯殿山行人たちを永代供養するために設けられた。出羽三山神社などによると、全国には即身仏が24体あることが確認されているが、山形県には、庄内地方に6体、置賜(ちはい)地方に2体、合計8体の即身仏があるという。 |
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湯殿山の開山は、真言宗の開祖・弘法大師空海であることから即身仏信仰が生まれ、瀧水寺(たきみずでら)大日坊、注連寺(ちゅうれんじ)、大日寺(神仏分離以降は神社に改宗)、本道寺(同左)の
真言宗4ヵ寺に於いて湯殿山が守られてきた。 |
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行人塚には、「即身佛修行之地 湯殿山仙人澤」と彫られた大きな石碑があり、その後方の小さな御堂には、即身仏の模擬像が納められ、公開されている。 |
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↓即身仏の模擬像が納められている御堂 |
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庄内地方で即身仏を安置している寺院は、瀧水寺大日坊、注連寺、本明寺、海向寺、南岳寺の5ヵ寺で、実物の即身仏を拝観することができる。写真下は、瀧水寺大日坊の真如海上人(しんにょかいしょうにん)の即身仏と注連寺の鉄門海上人(てつもんかいしょうにん)の即身仏である。二人の上人の名には、いずれも「海」の字がついているのは、開祖空海から一字をとったものであろう。
瀧水寺大日坊 湯殿山注連寺 |
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真如海上人の即身仏/瀧水寺大日坊(鶴岡市大網) |
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鉄門海上人の即身仏/注連寺(鶴岡市大網) |
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即身仏(
瀧水寺大日坊 の解説 ) |
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即身仏とは、湯殿修験行人の行う難行苦行の最たるもので、木食(もくじき)の行を積み重ね、身と口と心の行いを正して自らを修め、慈悲を施して他人を正し、現世来世を通じて仏国楽土を築かんとの信仰から死後も体を残して人々に仏教を語ろうと決意され、生きながらにして土中に入定(にゅうじょう)し、三年三ヶ月後に弟子や信者の手により掘り出し、これを洗い清め、乾かして即身仏となられるのである。 |
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尚、木食の行を何十年もくりかえし実行の結果は、身体内の窒素率を消耗しつくし、腐敗雑菌の発生を防ぎ、朽ちない身となるのである。 |
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くものみね そくしんぶつの ゆどのさん |
The ridges of summer clouds, Mt. Yudono the mummificated monks. |
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↓湯殿山参籠所 |
高さ18mの巨大な大鳥居 |
行人塚↓ |
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▲ 高さ18mを誇る朱塗りの湯殿山大鳥居は、平成5年(1993)10月に竣工した。湯殿山は、平成17年(2005)に開山1400年を迎えたが、その記念事業の一環として、大鳥居の塗装が行われたので、新品のように輝いている。 |
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大鳥居の扁額は、金文字で「出羽三山神社奥宮 湯殿山本宮 酒井家十七代当主 出羽三山神社崇敬会長 酒井忠明敬書」と書かれており、新しい扁額ではあるが、長い歴史を感じさせる。 |
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