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資料:出羽三山神社 |
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▲▼ 2日目、錬成修行道場一行56名は、朝4時に月山八合目の御田原参籠所(みだはらさんろうしょ)を出発
した。 |
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写真:フリー百科事典 |
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▼ 月山八合目から40分ほど登ったあたりで、御来光があり、行人たちは大自然の壮大なページェントを拝観することができた。 |
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撮影:K. O. |
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▼ 月山(がっさん)は、山形県の中央部にあり、出羽丘陵の南部に位置する標高1,984mのコニーデ型火山である。山域は磐梯朝日国立公園の特別区域に指定され、日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新花の百名山に選定されている。 |
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写真:フリー百科事典 |
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▼ 月山は、標高1,504mの湯殿山、414mの羽黒山とともに出羽三山のひとつに数えられ、修験者の山岳信仰の山として知られる。写真下の背景には、山形県と秋田県に跨がる活火山・鳥海山(2,236m)が見える。 |
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月山山頂(1,984m)に鎮座する |
月山神社 |
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写真:フリー百科事典 |
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▲▼
月山山頂(1,984m)の「おむろ」に月山神社(がっさんじんじゃ)があり、月読神(つくよみのかみ)を祀る。約千年前につくられた延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)に載る名神大社(みょうじんたいしゃ)で、古い時代から朝廷を始め庶民の信仰が篤く、山形市には南北朝時代の貞治4年(1365)の銘のある月山結集碑があり、一村百余人の登拝講中のあったことを伝えている。 |
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かつては東北唯一の官幣大社(かんぺいたいしゃ)で、国の殊遇を受けた。神社は水を司る農業神として、また、航海漁撈の神として、広く庶民の信仰をあつめている。 |
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写真:フリー百科事典 |
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▼ 写真下のお三方は、錬成修行道場に長期にわたって参加しているベテランの行人たちである。錬成道場を指導する神職二人では参加者54人の細部に目が届かないので、初心者をサポートするなど、世話役を務める。 |
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錬成修行道場の行人たち / 月山山頂 08:28 |
佐藤篤さん(福島県喜多方市) |
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撮影:K. O. |
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▲ 錬成道場の参加者たちは、班に分かれ、経験者が班長を務める。佐藤さんは、第六班の班長でもあり、学校でいえば級長にあたる役割をこなしていた。 |
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石垣に囲まれた |
月山神社 |
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08:23 |
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撮影:K. O. |
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▲▼
一行は、月山九合目付近で朝食をとり、午前8時頃山頂に到着。月山神社本宮に正式参拝後、仙人沢の湯殿山参籠所に向け下山した。 |
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▲
下りとはいえ、目的地まで約6km、標高差1,000mもあり、4時間以上も歩き続けなければならない。途中には難所の梯子場が何箇所もあり、足を滑らすと大事故になるので、慎重な山駈けが求められる。 |
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ゴールの仙人沢にある |
湯殿山参籠所 |
にあ |
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▼
この日は日曜日で行楽日和となり、次々と参拝客が訪れ、仙人沢駐車場は車で埋まり、かなり賑わっていた。 |
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仙人沢駐車場 12:05 |
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▼ 錬成道場の行人たちは、午後1時半頃、湯殿山参籠所に到着。
早速、筆者は、道彦(みちひこ)(指導教官)の太田慶春・権禰宜(ごんねぎ)と助彦(すけひこ)(副教官)の佐藤敬幸・権禰宜に挨拶したのち、密着取材に入った。 |
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行人たちは、羽黒山麓の社務所からロビーに届けられていた各自の手荷物を二階の宿坊に保管した後、鉢巻行衣姿のまま、質素な精進料理の昼食を取った。かつての仙人沢行人たちの木食(もくじき)行を偲ぶ内容で、食事も修行の一環のようだった。 |
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質素な精進料理の昼食 13:53 |
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▼
昼食後、ゆっくりと休む暇もなく、行人たちは、参籠所の玄関で出立の準備を始めた。これから歩いて湯殿山本宮まで行き、含満ノ滝(かんまんのたき)で滝行を行った後、本宮で正式参拝を行う。 |
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▼
準備が整うと、太田慶春道彦が列の先頭で法螺を吹き、予定より約30分遅れで、湯殿山本宮に向かった。 |
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法螺の音とともに湯殿山参籠所を出発 14:37 |
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太田慶春 |
道彦 |
を先頭に |
滝行 |
に向かう56人の行人たち /
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梵字川 |
・ |
御沢橋 |
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14:44 |
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まんりょくの あかばしわたる しろばかま |
Fresh
green trees,
crossing a red bridge wearing a white hakama. |
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黄色の歩道を歩く 14:47 |
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▼
午後3時過ぎ、湯殿山本宮の境内に到着。直ぐに脱衣して、滝行の準備が始まった。女性たちは、更衣室で滝行用の白衣に着替えたが、男性には更衣室は用意されていないので、空き地で褌一丁の裸形になった。 |
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含満ノ滝 |
に向かって合掌 /
15:13 |
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芭蕉の句碑 |
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佐藤敬幸・助彦 |
太田慶春・道彦 |
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▲▼ 行人たちは、神の依代(よりしろ)となる梵天(ぼんてん)を芭蕉の句碑に立てかけ、
神の降臨に拝礼した後、準備運動の鳥舟(とりふね)をたっぷりと行った。 |
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たっぷりと |
鳥舟 |
(準備運動)を行う |
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15:15 |
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▲▼ 滝行の装束は、男性は越中褌一丁の裸形、女性は白の上衣に半股引(ハーフパンツ)。男女とも出羽三山の朱印を押した白鉢巻を締め、白足袋
(靴下)・草鞋(わらじ)を履いている。
褌は、神社からの支給ではなく、個人で用意したものを使用しているので、前垂れの長さがまちまちである。 |
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▲▼ 文久2年(1862)、大分県宇佐郡に生まれた川面凡児(かわつら・ぼんじ)が廃(すた)れていた奈良時代の禊行法(みそぎぎょうほう)を復興し、現在、川面流(かわつらりゅう)として、東京都青梅市(おうめし)御岳山(みたけさん)山頂(929m)に鎮座する武蔵御嶽神社(むさしみたけじんじゃ)の滝行(たきぎょう)など全国各地で実践されているが、出羽三山神社においても川面流に則った滝行が行われており、
鳥舟も和歌を省略した以外は、ほぼ同じである。 |
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沼矛印 |
を結んで悪霊を斬り捨てる |
雄詰 |
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▼ 鳥舟によるウォーミングアップが終わると、梵天(ぼんてん)を持つ佐藤篤班長を先頭に、道彦、助彦、行人の順に一列縦隊となり、駆け足で含満ノ滝に向かった。この後、筆者も草鞋掛け(わらじがけ)で後を追った。 |
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佐藤篤班長の持つ |
梵天 |
を先頭に |
含満ノ滝 |
に走り込む 15:24 |
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