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▼ バスを下り、仙人沢の取材をしたあと、湯殿山参籠所(ゆどのさん・さんろうしょ)(1,000m)にチェックインした。こちらの責任者(支配人)は大谷豊昭・権禰宜(ごんねぎ)で、挨拶のあと、部屋の鍵をもらった。普通は二階の宿坊に泊まるが、私の部屋は、直ぐ下の休憩所二階の個室で、エアコンが効いた部屋だった。参籠所は、窓に網戸があり、自然通風である。 |
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大鳥居のそばの |
湯殿山参籠所 |
(1,000m) |
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▲▼
山形県鶴岡市観光連盟の案内によると、湯殿山参籠所は、湯殿山参拝と月山登山の宿で、採れたての山菜と渓流魚(ニジマス)、出羽三山名物の胡麻豆腐の昼食は大好評とのこと。 |
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▲▼ 湯殿山参籠所の所在地: 鶴岡市田麦俣(たむぎまた)六十里山(ろくじゅうりやま)7 電話:
0235-54-6131 平成23年は、6月1日より11月3日頃まで開店。(積雪期は閉山) |
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▲▼
参籠所の玄関を入ると、下駄箱があり、右手に受け付けの窓口がある。正面ロビーには、奉納された江戸神輿が飾られている。スリッパはなく、裸足で歩く。右手に見える大広間が御神前の間で、会食や護摩祈祷などが行われる。左手に厨房と台所、食事室、風呂、便所がある。二階が宿泊室となっている。 |
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御神前の中央には鈴紐と賽銭箱があり、自由に参拝できるようになっている。祭壇中央には黄金の幣束が置かれ、出羽三山の神々が祀られている。 |
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御神前の左には、大日如来像が置かれている。参籠所の大谷さんにお聞きすると、御祖神(みよやのかみ)だという。江戸時代までは修験道が栄え、湯殿山には本地仏(ほんじぶつ)たる大日如来が祀られていたので、修験者や信者たちは大日如来像を崇敬していたが、明治維新後、神仏分離令と修験道廃止令が出されて、仏教はこの地を追われ、修験道は禁止されたため、出羽三山神社では、大日如来を御祖神として祀っているのであろう。出羽三山神社に仏像が祀られているのは、修験道の命脈が保たれている左証である。 |
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▼ 平成23年の干支(えと)は辛卯(かのとう/しんぼう)なので、月山が卯年(うどし)に開かれたことから御縁年に当たり、今年お参りすれば、12年分の御利益(ごりやく)があるという。その記念事業として、真言密教時代の湯殿山御本尊だった大日如来像が特別に開帳されていた。江戸時代に造られた木造の仏像で、明治の神仏分離まで仙人沢行屋に安置されていたもので、現在は青龍寺の所蔵となっている。 |
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▲▼
湯殿山参籠所の地下一階には、丹生鉱泉御神湯風呂(にぶこうせんごしんゆぶろ)がある。平成17年(2005)の開山1400年の記念事業として、丹生水上神社(にぶみなかみじんじゃ)から湧き出る鉱泉を引いたもので、万病の薬といわれている。 |
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丹生鉱泉御神湯 |
風呂 / 湯殿山参籠所地下一階 |
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二階に上がると、北側に洗面所兼談話室がある。この部屋にはテレビが置かれ、唯一喫煙が許されている。 |
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行人たちの部屋は、一般の宿坊と同じように畳敷の大広間で、規模に応じて襖で仕切られるようになっている。 |
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▼ 入浴後、夕食をとり、外に出てみると、大鳥居がライトアップされ、暮れなずむ夏の夜空を背景に朱塗りの鳥居が美しく浮き出ていた。 |
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▼ 二日目の8月7日(日)は、朝7時半に朝食を取ったあと、午後の取材に備えて、実地探査することにし、湯殿山休憩所前から随時運行される本宮参拝バスに乗った。 |
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朝8時から随時運行される本宮参拝バス /
湯殿山休憩所前 2011.8.7 08:10
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湯殿山神社本宮参道入口には、5分ほどで到着。ここから本宮までは、約100mの参道を歩くことになる。トイレは、ここしかないので、用を済ませてから参道入口に向かった。 |
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↓参道入口 |
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参道入口の左側に「湯殿山のご由来」が掲示されていた。これまで断片的に説明してきたことを含め、出羽三山信仰について簡潔に解説されており、じっくりと読む価値がある。 |
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梵字川(ぼんじがわ)に架かる小橋を渡ると、湯殿山神社本宮入口の広場に着く。右手の下流側に本宮入口があり、靴脱場の小屋と御祓所がある。 |
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湯殿山神社本宮入口(梵字川下流方面) |
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御祓所↓ |
↓本宮入口 |
本宮出口↓ |
↓御神湯 |
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↓靴脱場 |
梵字川↓ |
参拝バス停→ |
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▲▼ 神社の許可を得て錬成修行道場の密着取材の下見に来たことを伝えると、光栄にも入口の撮影を認めて頂いた。写真のように、湯殿山神社には社殿がなく、この奥に鎮座する御神体は、熱湯の湧き出る茶褐色の巨大な霊巌(れいがん)で、大山祇命(おおやまづみのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・少彦名命(すくなびこなのみこと)の三柱の神が祀られている。 |
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江戸時代には、西の「伊勢参り」に対して、東の「奥参り」と称して、両方をお参りすることが重要な人生儀礼のひとつとされ、全国からの参拝者で賑わったという。 |
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▼ 靴脱場で裸足になり、御祓所で500円を納めると、幣束による御祓を受ける。それが終わると、人形(ひとがた)と
「湯殿山神社御祓守」と書かれた小さなお守り札が渡される。 |
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▲▼ 人形(ひとがた)で全身を拭い、最後に息を吹きかけてから水に流す。これで完全に厄払いができたので、「湯殿山本宮」と墨書された入口から本宮に踏み入れることが許される。本宮内部は、撮影禁止となっている。 |
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筆者も御祓を受け、中に入って御宝前(ごほうぜん)で参拝したが、御神体に触れたり、湯を口に含んだり、背部にのぼって頂部から湯が湧き出る様子を観察したり、霊巌が鉄分を含んだ結晶体であることを確かめたりした。常識では、御神体に触れることはタブーなのだが、ここでは許されているのが何とも有り難い。芭蕉も感激し、問わず語らずを実践したので、筆者も芭蕉に習い、神社の説明以外は書かないことにした。 |
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なお、出口のそばに開山1400年記念事業の一環として設けられた御神湯があり、足湯を楽しむことができる。 |
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湯殿山神社御祓守↓ |
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▼ 小橋を渡った左手の上流側には、滝行の更衣室を兼ねた杖の焼印所がある。その右側をのぼって行くと、芭蕉の句碑があり、その奥が月山登山道になっている。 |
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湯殿山神社本宮入口(梵字川上流方面) |
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↓梵字川 |
↓杖の焼印所 |
含満ノ滝→ |
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↓月山登山道 |
御滝→ |
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▼ 芭蕉の句碑には、「語られぬ湯殿にぬらす袂(たもと)かな」の有名な句が刻まれている。「奥の細道」の本文では、「そうじてこの山中の微細、行者の法式として他言する事を禁ず。よりて筆をとどめて記さず。」とある。 |
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がっさんに のぼるこみちや くさむぐら |
The overgrown weeds, a path for climbing Mt. Gassan. |
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梵字川↓ |
芭蕉の句碑↓ |
含満ノ滝→ |
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↓月山登山道 |
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みどりさす ばしょうのくひや とざんみち |
A mountain trail, Basho haiku monument with fresh verdure. |
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語られぬ湯殿にぬらす袂かな 芭蕉 |
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▼ この日の午後から滝行が行われる含満ノ滝(かんまんのたき)がどこにあるのか分からなかったので、神職にお聞きすると、案内して頂き、滝がよく見える場所も教えてもらった。お陰で、完璧な撮影計画ができあがった。 |
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万緑に囲まれた |
含満ノ滝 |
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/ |
梵字川 |
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▼
参籠所に帰る途中、シャトルバスの運転手に頼んで御沢橋のたもとで下ろしてもらった。三日目早朝の御沢駈け(おさわがけ)は、雑草が刈られていたので、橋の南東端から沢に入ることが分かった。 |
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御沢駈け入口↓ |
梵字川上流→ |
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▲▼
江戸時代までは、橋が架かっておらず、行人や信者たちは、先達(せんだつ)に引率されてここから梵字川の沢に下り、沢歩きをしながら両岸に祀られている13の神社にお参りし、最後の御滝(おたき)神社で禊をした後、30mの梯子場(はしごば)を登り、御宝前(ごほうぜん)に出て、お参りした。これを御沢駆け(おさわがけ)といった。 |
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明治維新後は、ここに橋が架けられ、参道が整備されたため、先達を付けずに参拝できるようになり、危険な箇所が多い御沢駈けは禁止された。現在でも一般人が通るのは危険なため、立入禁止になっている。 |
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