|
|
|
|
|
▼ 鳳輦(ほうれん)と稚児行列が一足先に歌舞伎座前で記念写真を撮った後、御本社神輿が歌舞伎座に近づいてきた。ほぼシナリオ通りの運行である。晴海通りの車道は、1車線を残して神輿渡御の集団に解放された。 |
|
|
|
|
|
|
|
晴海通りの車道を西進する神輿/銀座五丁目町会 12:12
|
|
拡大写真(1800X1350)601KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
中央区銀座四丁目にある歌舞伎座は、明治22年(1889)に開業した歌舞伎専用の劇場で、大正3年(1914)から松竹の直営劇場となった。火災や戦災に遭うなど様々な変遷があったが、昭和26年(1951)に座席総数1,866席を有する劇場として再建され、歌舞伎の殿堂と呼ぶにふさわしい風格を備えている。 歌舞伎座 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000X1333)577KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
|
|
|
舞伎座の歴史
|
|
|
明治22年(1889)11月21日 - 開場式 翌日にこけら落し
大正03年(1914) - 松竹の直営劇場になる
大正10年(1921)10月30日 - 漏電により焼失
大正12年(1923)9月1日 - 再建工事中に、関東大震災に見舞われる
大正14年(1925)1月4日 - 新築の建物で開場式
昭和20年(1945)5月25日 - 東京大空襲で大屋根が落ち内部を焼失
昭和24年(1949) - 株式会社歌舞伎座設立
昭和26年(1951)1月3日 - 復興した建物で開場式(こけら落し)
昭和27年(1952) - 東京証券取引所市場第二部に上場
平成14年(2002) - 建物が国の登録有形文化財(建築物)になる
平成22年(2010)4月30日 - 老朽化による建て替えのため閉場式
(一時閉館) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800X1200)269KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
|
|
|
歌舞伎座新館の概要 |
|
|
松竹・歌舞伎座の発表によると、「建て替え+超高層オフィス棟」をコンセプトに、地下4階・地上29階・高さ145m
・軒高135mのオフィスビルを併設し、2010年5月から着工。劇場の外観は、従来通りの低層で和風桃山様式を採用する。 |
|
劇場は地下1階地上4階建てとし、晴海通りより35m後退させて入口の前に余裕を持たせ、緑を配するほか、内部は現行と同様に桟敷席や一幕見席を設置。構造や舞台寸法、客席数は今とほぼ同じだという。東銀座駅とのアクセス改善などのバリアフリー化やトイレの充実を計り、歌舞伎文化を啓発するギャラリーを設置する。完成は2013年春の予定。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2000x1500)456KB
|
|
拡大写真(2000x1500)448KB
|
|
|
|
|
|
|
▼ 晴海通りを西進していた神輿は、一端歌舞伎座前を通過したあと、昭和通りの交差点でUターンし、弥生会に交代。弥生会初代会長の青柳晴男・統括責任者補佐の一本締めと木入れのあと、歌舞伎座に向かった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
青柳晴男・統括責任者補佐(前弥生会会長) |
|
拡大写真(1600X1067)366KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
|
拡大写真(1600X1067)368KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
歌舞伎座前に進入する御本社神輿/銀座四丁目 12:25
|
|
拡大写真(2667X2000)1359KB |
|
|
歌舞伎座前に到着した御本社神輿/銀座四丁目 12:25
|
|
拡大写真(2800X2000)1,274KB |
|
|
|
|
|
|
▼ 何といっても鐵砲洲奉祝祭の圧巻は、今年4月30日に閉場式を行って120年余の歴史に終止符を打った歌舞伎座の前で行われた最後の神輿練りである。弥生会の会員たちは、建て替えられる歌舞伎座の玄関先で、万感の思いでお別れの神輿差しを行い、大勢の見物客と共に名残を惜しんだ。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(2650X2000)1,333KB |
|
|
|
かぶきざの やえのひとがき みこしさし |
Huge crowd standing in rows,
Raising a portable shrine at Kabukiza theater. |
|
|
|
|
拡大写真(2667X2000)1,392KB |
|
|
|
かぶきざの わっしょいみこし やよいかい |
Yayoi-kai, friendly carrying the mikoshi at Kabuki-za Theater. |
|
|
|
|
拡大写真(2250X1500)804KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
かぶきざや なごりをおしむ みこしさし |
Kabukiza theater, a farewell raising of the portable shrine. |
|
|
|
|
拡大写真(1800X1200)413KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 筆者は、歌舞伎座に対面するビルの四階から歌舞伎座前の最後の神輿練りを激写した。小林豊一さんは、歌舞伎座前で鳳輦と稚児行列の記念写真を撮ったあと、引き続き御本社神輿の撮影に当たった。 |
|
|
|
|
|
|
|
松戸純一・統括責任者(弥生会会長)による一本締め 12:27
|
|
拡大写真(1400X1050)349KB |
撮影:星宏幸 |
|
|
|
|
拡大写真(1800X1350)503KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 歌舞伎座の敷地に鐵砲洲稲荷神社が管轄する歌舞伎稲荷大明神が祀られており、赤い幟が立っていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
撮影:星宏幸 |
|
|
|
|
|
|
▼ 12時45分頃、歌舞伎座そばの銀座区民館で中食(昼食)をとったが、神事・中食・神事の時間が25分しかなく、慌ただしく弁当を食べたあと、中川宮司のお祓い・祝詞奏上を待って神輿渡御が再開された。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1200)450KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
神輿練りの掛け声といえば「ワッショイ」のはずだが、近年の江戸神輿は殆どが「セイヤ」「ソイヤ」などに変質している。唯一その伝統が残っているのは富岡八幡宮の深川祭である。 |
鐵砲洲大祭では、先代の故・中川正光宮司が「東京蔵前の問屋街で大きな荷物を担ぐときに、力を「添へや」が「ソイヤ」とか「セイヤ」になった」と分析。「神輿は決して大きな荷物ではない。尊い神霊を奉祀してあるのだから掛け声は「和し背負へ」すなわち「ワッショイ」でなければならない」と強く指導されていた。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1200)541KB |
|
|
|
|
|
|
「一部の遊び人たちが「俺や」「オリャ」と叫んでいるのも納得できないし、入墨を露出させて神輿の上に土足で乗っている姿もいただけない。中には喧嘩腰で「さぁ来い」「サァコイ」と怒鳴っているが、神輿を担がせていただくという気持ちが少しも感じられない。」と嘆いておられたと聞く。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1200x900)301KB
|
|
拡大写真(1200x900)279KB
|
|
|
|
|
|
|
今年の鐵砲洲奉祝大祭でも、神輿が次の町会に引き継がれる毎に、先代の遺志を継いで、拍子木を持つ弥生会会員たちが「掛け声はワッショイだ」と指示していたのが印象的だった。しかし、初めのうちは「ワッショイ」だが、いつの間にか「セイヤ」などになって行った。 |
|
特に、部外から参加している睦会の連中が「ワッショイ」を「セイヤ」などに代えてしまっている。鐵砲洲の大切な御本社神輿を担がせて貰っている以上、「郷に入っては郷に従え」の諺どおり、「ワッショイ」を守るのが最低のエチケットであり、「セイヤ」に代えてしまう睦会は、神輿に肩を入れる資格はない。 |
|
|
|
|
|
|
撮影:星宏幸 |
|
|
|
|
|
|
この頁のBGMには、臨場感を出すために、神輿練りの街頭録音を流しているが、ワッショイの声も途中でセイヤなどに変質してしまうので、その部分はカットした。ありのままを流そうかと思ったが、品位を損ねるので止めた。 |
|
都会の空洞化に伴い、地元の氏子が少なく、部外の睦会に頼らざるを得ないために、そうなってしまうのだろう。弥生会の苦労が偲ばれるが、深川祭では完璧に「ワッショイ」ができているのだから、鐵砲洲でも指導を徹底すれば伝統の保持が可能である。弥生会だけでなく、町内会のリーダーたちも率先垂範して強く指導して欲しい。「和背負神輿(わっしょいみこし)は隅田川を挟んだ深川と鐵砲洲」 といわれるよう、是非、頑張って頂きたい。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1200)427KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 御本社神輿を先導する鐵砲洲囃子は、鐵砲洲稲荷神社の各種行事にお囃子を奉納する演奏集団である。 |
|
|
|
|
|
|
|
御本社神輿を先導する鐵砲洲囃子/銀座二丁目 13:55
|
|
拡大写真(2000X1500)682KB |
|
|
|
|
|
|
▲ 今年旗揚げしたばかりの鐵砲洲囃子は、江戸囃子独特の「底抜け屋台」を押しながら演奏し、宮出しから宮入までの全行程を先導して奉祝大祭を盛り上げた。単なる同好会ではなく、神社を中心としたお囃子なので、とても希少価値がある。 |
|
|
|
|
|
|
|
鐵砲洲囃子発会式/鐵砲洲稲荷神社 2010.4.18
|
|
拡大写真(1800X1250)491KB |
写真:志村清貴 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 平成18年(2006)春、鉄砲洲稲荷神社や弥生会などの支援を受けて鐵砲洲お囃子教室がスタート。渡邉浩徒先生の指導のもとで研鑽を積み重ねること約4年。平成22年(2010)4月18日(日)、目出度く片山英治会長率いる鐵砲洲囃子が旗揚げし、この日の奉祝大祭が初仕事となった。現在の会員は3歳から60歳代まで約30名。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800X1150)352KB |
写真:志村清貴 |
|
|
|
|
|
|
▲▼ 4月18日(日)午前11時から鉄砲洲稲荷神社で開かれた発会式には、中川文隆宮司ご夫妻はじめ多数の来賓が集まり、鐵砲洲囃子の誕生を祝った。社務所での祝賀会では、中川宮司の祝辞などのあと、鐵砲洲囃子が披露された。 横笛奏者渡邉浩徒HP |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1250)346KB |
写真:志村清貴 |
|
|
|
|
|
|
▼ 鐵砲洲囃子は子供たちが多数会員となっていることが特徴で、これからの成長が楽しみである。鐵砲洲の地域にとどまらず、更に活動範囲を広げて、江戸下町の伝統文化の継承と発展に貢献されるよう期待したい。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X900)271KB |
写真:志村清貴 |
|