|
|
|
|
|
▼ 御本社神輿のリレーは、銀座四〜三〜二と順調に進み、ビルの谷間の日蔭の道を北上した。銀座地区は、地上げによる住民の空洞化が進み、部外から参加する睦会の応援が頼りとあって、様々な半纏をまとったグループが多数肩を入れていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
ビルの谷間を渡る神輿/銀座二丁目東町会 14:15
|
|
拡大写真(1600X1200)366KB |
|
|
|
|
|
|
▼ 銀座一丁目東町会は参加者が多く、例年、大祭のときには、交差点で記念撮影するのが慣わしとなっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800X1250)512KB |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1200x900)266KB
|
撮影:小林豊一 |
|
拡大写真(1200x900)266KB
|
|
|
|
|
|
|
▼ 写真下は、小林豊一さんが高層ビルの屋上から銀座一丁目東町会の神輿渡御を撮影した傑作である。北上を続けてきた神輿はこの角を右折して東進し、「新富座こども歌舞伎」発祥の地・新富町に入る。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1200X1800)406KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
右に曲がって新富町に向かう神輿/銀座一丁目 14:32
|
|
拡大写真(2000X1000)572KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
神輿の後棒を支える江戸っ子たち/銀座一丁目 14:34
|
|
拡大写真(1600X1200)462KB |
|
|
|
|
首都高をまたぐ新富橋を渡る銀座一丁目東町会 14:35
|
|
拡大写真(2000X1500)687KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ この界隈は、江戸時代は武家地で、明治元年(1868)に築地の外国人居留者をターゲットに新島原遊郭が設置されたが、思い通りの集客が得られず、明治4年(1871)花街(かがい)は新吉原に移転し、新富町が成立した。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1800X1350)707KB |
|
|
|
|
|
|
▲▼
明治5年(1872)、歌舞伎を公演する新富座が開設されるが、関東大震災で消失し、廃止された。昭和46年(1971)住居表示の実施により「町」の字がなくなり、中央区新富となる。現在は主にオフィスビルと中小の商店、住宅が混在する地域となっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 新富座は、明治8年(1875)に守田座を改称して設立された株式会社組織の劇場で、経営者は12世守田勘弥である。当時の所在地は、京橋区新富町6丁目36・37番地(現在の中央区新富2丁目6番1号)。 |
|
翌明治9年(1876)11月、日本橋区数寄屋町の火災で類焼し、翌年4月、新富町4丁目に仮劇場を設営。明治11年6月、ガス灯などを配備した近代劇場を新設し、大々的な洋風開場式を行った。太政大臣・三条実美をはじめ各外国公使らも貴賓として開場式に招待されたという。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1360X870)305KB |
|
|
|
|
|
|
▲ 西洋劇場に倣って、日本で初めて夜芝居興行を行った。リットンの戯曲『モニー Money』を翻訳した『人間万事金世中』(明治12年3月)やウエルノン一座を招いて『漂流奇談西洋劇』(明治12年9月)を上演、九代目市川團十郎による活歴が行われるなど、明治時代中期の演劇改良運動の場となった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400X1000)259KB |
|
|
|
|
|
|
新富座は、明治21年(1888)9月26日、新設予定の歌舞伎座に対抗するため、市村座・中村座・千歳座と四座同盟を結んだ。その後、新富座は、歌舞伎座と歩調を合わせながら明治の歌舞伎黄金時代を築くことに貢献した。 |
|
明治43年(1910)松竹が買収して同社の経営下に移ったが、大正12年(1923)9月1日の関東大震災で被災すると、そのまま再建されず、惜しくも廃座となった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1200)436KB |
|
|
|
|
|
|
ウィキペディア・フリー百科事典の「新富座」の解説に、「新富座こども歌舞伎」の説明が掲載されている。 |
|
「平成19年(2007年)4月、地元の子供達を集めて新富座こども歌舞伎が発足し、翌20年(2008年)2月3日、鉄砲洲稲荷神社の節分祭で『三人吉三巴白浪』が奉納された。」 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1200x900)266KB
|
|
拡大写真(1200x1200)266KB
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1160)486KB |
撮影:小林豊一 |
|
|
|
|
|
|
▼ 午後3時45分頃、御本社神輿は日生入船ビル前に到着、入船一・二丁合同から入船三丁目に引き継がれた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600X1200)398KB |
|
|
|
|
|
|
▼ 御本社神輿は、15分遅れで佃大橋西交差点を南下して明石町に入った。左手(東)には、佃島・大川端リバーシティ21の高層マンションが見える。 |
|
|
|
|
|
|
|
佃大橋西交差点から明石町に入る先頭集団 16:10
|
|
拡大写真(2000X1250)573KB |
|
|
|
くるまとめ みこしねりゆく つくだばし |
Stopping cars, the portable shrine going nearby Tsukuda-bashi. |
|
|
佃大橋西交差点を渡る神輿/入船三丁目町会 16:11
|
|
拡大写真(2000X1500)708KB |
|