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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2015年4月15日改訂

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今 日

昨 日

十五夜の月〜巡礼〜千年女王〜鬼太鼓

旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!


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フィナーレの御輿差し

褌の跡が残りし日焼けかな  北舟

2001年7月16日制作

Suntan, the mark of fundoshi loincloth.

黒褌御輿名作集/とやま山王市(富山県富山市)

黒褌御輿'14

黒褌御輿名作集/とやま山王市(富山県富山市)

俳句「海の風景」第38集


 







 










 

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2015年4月15日(水)曇

  平成27年(2015)2月21日(土)、広島県三原市久井町(くいちょう)に鎮座する久井稲生神社(くいいなりじんじゃ)(羽田浩彬はだひろよし宮司)において、はだか祭が開催されたので、感動写真集同人・吉田好幸さんと共に密着取材した。

  毎年岡山市・西大寺会陽と同じ2月第3土曜日に久井稲生神社で開催されるはだか祭は、公式には「御福開祭(おふくびらきさい)はだか祭(まつり)」という。しかし、地元民は、伊勢神宮の祭礼が新明祭(しんめいさい)と呼ばれていることから、同じ祭神を祀る久井稲生神社の例大祭を神明祭と呼び、地元商店街は神明祭と書かれた大提灯を奉納し、普段から「しんめいさん」と呼んでいる。

酒樽のふんどし神輿冬祭

Winter festival, mikoshi of
a sake cask wearing fundoshi loincloth.

さかだるの ふんどしみこし ふゆまつり

 久井のはだか祭は、前日までに回収した籤紙(くじがみ)3000枚から御福品約400点が当たる御福開祭の抽選が午後7時から行われる。それと並行して、まわしと呼ばれる褌一丁の裸男たち約300人が御調川(みつぎがわ)で禊をしたあと、午後9時から神社境内で陰陽一対の御福木(おふくぎ)を奪い合う。それぞれの御福木収得者には、陰は7万円、陽は10万円の賞金と玄米1俵が贈られる。各御福木投下後には、合計800点の御福品が当たる御福餅の餅まきが行われる。
 御福開祭は、明治の中頃から始まったもので、約130年の歴史がある。当時、境内で牛の取引が盛んで、馬喰(ばくろう)たちの寄進による感謝祭であった。はだか祭は、西大寺会陽に倣って大正8年(1919)に始まったもので、96年の歴史があり、広島県最大のはだか祭として知られる。  御福開祭・はだか祭

冬神輿御神酒の接待おらが町

Winter mikoshi festival,
welcoming with sacred sake at our town.

ふゆみこし おみきのせったい おらがまち

  結和会は、はだか祭の参加者が減り、その存続が危ぶまれた昭和52年(1977)に久井中学校のOBたちが祭を盛り上げるために立ち上げた睦会で、毎年42歳の厄年に当たる卒業生が参加する。今年で38年目となり、平成2年(1990)の第18回卒業生たちが樽神輿を担いで町内を練り歩き、はだか祭を盛り上げる。

酒樽の褌神輿冬の川

Winter river, mikoshi

of a sake cask wearing fundoshi loincloth.

さかだるの ふんどしみこし ふゆのかわ

 陰陽一対の御福木を奪い合うはだか祭の参加者は、当日、神社の受付窓口で住所・氏名などを記入して事前に申込みを行う。参加料は無料で、部外者も参加できる。祭装束は、晒木綿の褌と白足袋に限られ、相撲まわしのような厚手の褌や地下足袋などは認められない。
 参加者は、祭終了後に、御福木を模した参加章、布製の鈴付厄除招福守、御神酒(300ml)の三点が入った参加賞がもらえる。今年は、丁度300人のエントリーがあったという。

冬の夜の福木の渦やふどし衆

Men of fundoshi loincloth, the human
vortex for a happiness tree at winter night.

ふゆのよの ふくぎのうずや ふどししゅう

  いよいよ、羽田宮司が赤い「陰」の御福木を手にして、投下する準備に入った。御福木は布の中に縫い込まれ、その周りを幾重にも巻かれているので、泥まみれの激しい争奪戦が行われて布が千切れても、御福木は綺麗な状態で取得できるように工夫されているという。
 午後9時0分14秒、赤い御福木(陰)が羽田宮司の手から離れ、巻かれていた布が解けて帯状になりながら落下していった。御福木が布の下部に縫い込まれているのが分かる。落下予想地点に多数の手が延びた。落下した赤い布は、一旦、渦に呑み込まれて見えなくなったが、直ぐに表面に現れ、多くの手が延びて、激しい奪い合いが始まった。

福奪ひ寒さ吹き飛ぶ久井の里

Village of Kui, the scramble
for good fortune dispelling the cold.

ふくうばい さむさふきとぶ くいのさと

  最初の御福木争奪戦は、僅か7分で終わった。久井はだか祭では、御福木を獲得した人を収得者と呼び、西大寺会陽のように取主(とりぬし)とは呼ばない。
 収得者は、万難を排して、櫓の下で待機している審判に御福木を持参すると、審判は、布を切り開き、中から御福木を取り出して真正なものかどうかを確かめる。装束などもチェックして、御福木の収得者として審判されると、司会者から収得者が認定されて争奪戦が終わったことがアナウンスされる。その後、審判は、収得者を拝殿に案内し、宮司から収得者証と賞金(陰は7万円・陽は10万円)そして副賞の玄米が入った60kgの米俵が渡される。

冬祭俵を担ぐ福男

Winter festival, lucky man
carrying a straw bag on his shoulder.

ふゆまつり たわらをかつぐ ふくおとこ

  西大寺会陽は、シンギは取主のものとはならず、賞金と引き替えに御福頂戴の協賛社に渡さなければならないが、久井はだか祭では、御福木は、収得者のものであり、一生の宝物となる。神棚に飾るのが通例で、1年間、その家に素晴らしい幸運がもたらされるという。

「久井はだか祭」

撮影:和田義男 吉田好幸 / 制作:和田義男

御福木(陰)争奪戦【壱】 〜赤い御福木(陰)の投下!〜 21:00:14 60kgの米俵を担ぐ山下秀樹さんの勇姿! 21:40
結和会ゆうわかい の盛り上げ隊 18:30

結和会の盛り上げ隊 18:30

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新出理容院の振舞酒 18:58

新出理容院の振舞酒 18:58

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川禊 〜寒さを撥ね飛ばす!〜

川禊【四】 〜寒さを撥ね飛ばす!〜

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御福木(陰)争奪戦

御福木(陰)争奪戦【五】 〜強引に割り込む人が!〜 21:00:27

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〜渦に向かう裸たち〜

御福木(陽)争奪戦【拾参】 〜渦に向かう裸たち〜 21:17:45

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60kgの米俵を担ぐ山下秀樹さんの勇姿!

60kgの米俵を担ぐ山下秀樹さんの勇姿! 21:40

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2015年4月4日(土)曇

  穏やかな晴天に恵まれた平成27年(2015)1月11日(日)、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で、第60回寒中水浴大会が開かれ、筆者は、和田グループ第六期22名の代表として、水温約7℃のなか、8度目の初禊を行った。
 参加者104人は、篠道彦の指導のもと、神社一周の褌ランニングや鳥船で身体を温めた後、5陣に分かれて代わる代わる氷冷水に浸かった。筆者は、第1陣と第5陣の2回、垢離を取った。
 寒中水浴に使われる直径5mの水槽は前日用意され、これまでは消火栓から給水していたが、去年から給水車を使って給水するようになった。水槽を満タンにするには15ton の清水が必要。本番の朝、重さ135kg の氷柱が二本投入された。

初春や五人囃子の鐵砲洲

The New Year, accompanying
music of five musicians at Teppozu.

はつはるや ごにんばやしの てっぽうず

 鐵砲洲稲荷神社で行われる寒中水浴大会は、関東一の水の祭として知られ、東京の新春の風物詩となっている。午前10時50分、中川文隆・鐵砲洲稲荷神社宮司の挨拶と全員の参拝を皮切りに、寒中水浴大会が始まる。
  参加者たちは、越中褌と鉢巻をキリリと締め、女性は白衣をまとい、神社一周の褌ランニング、準備運動の鳥船、鐵砲洲囃子が流れる中での水行、整理運動の鳥船と、約1時間に及ぶ水行を無事にこなし、湊湯で冷え切った身体を温めた後、社務所二階の直会(なおらい)に出席して和やかな初春のひとときを楽しみ、清々しい新年のスタートを切る。

初春や水面に揺るる褌衆

The New Year, men of fundoshi
 loincloth swaying on the water surface.

はつはるや みずもにゆるる ふどししゅう

 Wa☆Daフォトギャラリーは、平成17年(2005)の第50回大会から密着取材を始め、平成27年(2015)で11年目となった。平成20年(2008)に筆者が60歳の還暦を迎え、還暦記念赤褌水浴を果たして以来、撮影は弥生会広報部にお任せし、毎年禊に参加するようになり、筆者の新年は、鐵砲洲から始まることとなった。
 Wa☆Daフォトギャラリーでは、平成22年(2010)以降、全国から参加者を募集し、全国連和田グループ(和田義男代表)として寒中水浴に参加するようになった。平成27年(2015)の和田グループ第六期は、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、長野、愛知、大阪の9都府県と米国ハワイから22人(新人5人)が参加し、参加者104人の2割を占めた。

初春や雄健高し鐵砲洲

The New Year,
war cry high to the sky at Teppozu.

はつはるや おたけびたかし てっぽうず

【所見】本日、星宏幸さん、小林豊一さん、伊藤秀行さんのご助力を得て、感動大作「鐵砲洲寒中水浴'15」が完成した。千葉県浦安市の三木芳樹さんに誘われて鐵砲洲の取材を始めて11年、マンネリ画像を危惧していたが、どうしてどうして、毎回新しいハプニングや発見があり、新鮮な作品に仕上げることができたと自負している。

初春や腕振る水の痛きかな

The New Year,
how the water painful shaking hands in it.

はつはるや うでふるみずの いたきかな

 平成20年(2008)1月13日(日)の第53回寒中水浴大会で、還暦記念の赤褌水浴を行って以来、今回で8度目の寒中禊となり、和田グループ代表として取材陣のカメラに最も写りやすい最前列で禊をさせてもらっており、弥生会のご配慮にいつも有り難く思っている。
 今年は、オックスフォード大学など4大学約10名による学術調査団の来訪があったが、団長のカヴァナさんからWa☆Daフォトギャラリーの「鐵砲洲寒中水浴」を見たのがきっかけだったと聞き、私の個人サイトが国際的に知られていることを知り、とても嬉しく思った。

初春や苦楽をともに鐵砲洲

The New Year,
sharing joys and sorrows at Teppozu.

はつはるや くらくをともに てっぽうず

  去年は、イギリスの有名紙 THE TIMES に鐵砲洲寒中水浴の写真が大きく掲載され、今年は初めてイギリス人が禊に参加した。また、ハワイからも菅原真樹さんが参加するなど、鐵砲洲寒中水浴は、国際色を強めており、2015年を鐵砲洲寒中水浴の国際化元年と呼ぶことにしたい。

「鐵砲洲寒中水浴'15」

撮影:星宏幸・小林豊一・伊藤秀行  監修:和田義男

寒禊【四】 〜第一陣の寒中水浴〜 第一陣の寒中水浴
渡邉浩徒先生(中央)率いる鐵砲洲囃子の演奏

渡邉浩徒先生(中央)率いる鐵砲洲囃子の演奏 09:12

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準簿完了した行者たち

準簿完了した行者たち 10:43

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〜大声で

雄健おたけび

!〜

鳥船【拾】 〜大声で雄健!〜 11:14

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〜第一陣の寒中水浴〜

寒禊【四】 〜第一陣の寒中水浴〜

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カヴァナさんも一緒に「湊湯」極楽! 11:51

カヴァナさんも一緒に「湊湯」極楽! 11:51

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2015年3月26日(木)曇

 平成17年(2005)9月19日(月)の祭日、横浜市戸塚区舞岡公園でカワセミを撮影して以来9年目となる平成26年(2014)も野鳥を求める旅を続けました。これで7作目となり、常連の他に新しい固体も続々と加わりましたので、楽しみは尽きません。野鳥は動きが敏捷で、警戒心が強く、木々に隠れてなかなか姿を見せてくれません。今年も根気と忍耐の撮影行でした。
▼ コゲラが餌取りに来た真弓の木に、メジロもやって来ました。メジロは、スズメ目メジロ科の鳥。全長12cm前後で、スズメよりも小さめ。緑がかった背と暗褐色の羽を持ち、雌雄同色。目の周りの白い輪が特徴であり、名前の由来ともなっている。メジロ科に属する鳥は英名でも "White-eye" と呼ばれ、また、中国語名では「繡眼鳥」と呼ばれ、やはり名前の由来となっている。
2014.01.03 / 横浜市戸塚区舞岡公園

春浅き真弓が枝の目白かな

A white-eye bird on a branch
of spindle tree in early spring.

はるあさき まゆみがえだの めじろかな

▼  十数年前から世田谷区で繁殖し、大きな群れで飛び回ることで有名になりました。元々は篭脱けだそうですが、いまや野鳥の一種として地域に溶け込でいました。
2014.03.16 / 調布市野川
 ワカケホンセイインコは、オウム目オウム科の鳥。北緯20度以南のインド、スリランカに分布している。世界各地でペットとして飼われていたものが野生化する現象が起きており、日本でも関東地方を中心に野生化が知られている。

春浅し野生となりしインコかな

Parrots reverted to wild in early spring.

はるあさし やせいとなりし いんこかな

▼ ここ2年間は子育てに失敗しておりましたが、今年は一羽ですが育ちました。
2014.06.01 / 藤沢市
ハヤブサは、タカ目 ハヤブサ科 全長(翼開長) 雄38-45cm 雌46-51cm(84-120cm)。雄は翼の幅が太めで、先端は尖っている。頭から背、翼の上面は青黒色で、下面は白っぽく細かい横じまがある。喉の縦斑は見えにくく、腹の中央部の斑は丸い。頬に髭状の俗にいうハヤブサ斑がある。

江ノ島の隼巣立つ夏は来ぬ

Summer has come when a falcon
leaves the nest at Enoshima.

えのしまの はやぶさすだつ なつはきぬ

▼ 冬の訪れとともに、東京湾には200羽を超えるほどのミヤコドリがやって来ますが、大潮の日に撮影に挑戦しました。当日は53羽を数えました。白、黒と嘴のオレンジ色が際立ち華麗です。2014.10.26 / 東京湾三番瀬海浜公園
  ミヤコドリはチドリ目ミヤコドリ科に分類される鳥類。カモメ科の「ユリカモメ」のことを古代・中世に「ミヤコドリ」と呼んでいたともいわれる。

大潮の干潟に集ふ都鳥

Hooded gulls
gathering at mud flats of the spring tide.

おおしおの ひがたにつどう みやこどり

▼ クロハラアジサシが再度やってきていると聞き、ハジロクロハラアジサシかもしれないとの期待を込めて挑戦したのですが、飛来を待つ間に道路下にある水路上を飛翔するカワセミを撮影できました。見下ろす位置から初めて撮影できました。
2014.11.03 / 横浜市泉区今田調整池
 カワセミ(翡翠)は、ブッポウソウ目カワセミ科に分類される鳥。水辺に生息する小鳥で、鮮やかな水色の体色と長いくちばしが特徴。

翡翠の水面掠めて飛び去りぬ

A kingfisher flew away
by the water surface.

かわせみの みなもかすめて とびさりぬ

  平成26年は、未見未撮影の鳥たちとの出会いが32件もありました。カメラを平成25年11月にCANON 5D MarkVに更新したので、本体の性能が格段に向上し、シャッタースピードを大幅にアップ出来るようになり、動きのある被写体の撮影が容易になりました。

「日本の野鳥を撮る旅'14」 
撮影:横山 稔  監修:和田義男

カワセミ飛翔 / 横浜市泉区今田調整池 2014.11.03 09:12 カワセミ飛翔 / 横浜市泉区今田調整池 2014.11.03 09:12

メジロ / 横浜市戸塚区舞岡公園 2014.01.03 13:15

メジロ / 横浜市戸塚区舞岡公園 2014.01.03 13:15

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ワカケホンセイインコ / 調布市野川 2014.03.16 16:27

ワカケホンセイインコ / 調布市野川 2014.03.16 16:27

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ハヤブサ / 藤沢市 2014.06.01 14:05

ハヤブサ / 藤沢市 2014.06.01 14:05

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ミヤコドリ / 東京湾三番瀬海浜公園 2014.10.26 11:53

ミヤコドリ / 東京湾三番瀬海浜公園 2014.10.26 11:53

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カワセミ飛翔 / 横浜市泉区今田調整池 2014.11.03 09:12

カワセミ飛翔 / 横浜市泉区今田調整池 2014.11.03 09:12

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2015年3月20日(金)曇

 平成27年(2015)1月7日(水)、福岡県久留米市に鎮座する大善寺玉垂宮(だいぜんじ・たまたれぐう)(隅正實宮司)において、1600年余の伝統を有する鬼夜(おによ)(国指定重要無形民俗文化財)が開催されたので、鬼夜保存会などの支援を受けて、感動写真集同人吉田好幸さんとともに密着取材した。
 毎年正月7日に行われる鬼夜は、かつての大善寺による追儺(ついな)の火祭で、1600年余の歴史を有する。明治以後は、玉垂宮によって催行され、締込みと呼ばれる褌をきりりと締め込んだ男たち400人余が日本一といわれる六本の大松明を燃やし、社殿を二周させる壮観な火祭で、平成6年(1994)に「大善寺玉垂宮の鬼夜」として国の重要無形民俗文化財に指定され、那智の火祭と鞍馬の火祭と共に日本三大火祭の一つに数えられている。

七日はや鬼神をわす玉垂宮

The seventh day of the New Year,
a fierce god at Tamatare-gu.

なのかはや おにがみおわす たまたれぐう

  鬼夜は、1600年もの昔から行われている火祭であり、天下泰平、国家安穏、五穀豊穣、家内安全、災難消除を祈願する鬼会(おにえ)神事の満願の行事である。
  今から1600年余の昔仁徳天皇の時代に藤大臣(とうだいじん)(玉垂命)が勅命を受けて賊徒の肥前国水上の桜桃沈輪(ゆずらちんりん)を闇夜に大松明(おおたいまつ)を照らして探し出し、首を討ち落し、鉾(ほこ)を集めて焼却したところ、その後、様々な災危が起ったため、桜桃沈輪の霊を慰める祭礼を執り行ったところ、災危が鎮まったという故事による。

大善寺天狗の鬼面七日とや

The seventh day of the New Year, devil's
 masks of long-nosed goblins at Daizenji.

だいぜんじ てんぐのきめん なのかとや

 鬼夜の行事は、12月31日の鬼火採り(おにびとり)から始まる。大晦日の夜に燧石(ひうちいし)でとった御神火(鬼火)を神殿に灯し、隅正實宮司が斎戒沐浴して七日七夜守り続けて、祈願を行い、その結願(けちがん)となる正月七日に鬼夜が行われる。鬼会の最後の夜の神事であることから、鬼夜と呼ばれる。

初春に褌締める鬼夜かな

Ogre's Night wearing fundoshi
loincloth in the New Year.

はつはるに ふんどししめる おによかな

 鬼夜の主な行事は、昼に行われる鬼面尊神(きめんそんしん)神事と種蒔(たねまき)神事、夜の汐井汲(しおいくみ)と汐井かき、鉾面神事(ほこめんしんじ)、大松明廻し(おおたいまつまわし)、一番松明の火取り、鬼の鬼堂(おにどう)めぐりと汐井かきである。中でも鉾面神事は、祭神が妖族を退治した有様を演じるもので、興味深い。
  夜の行事を飾る大松明廻しは、大善寺や大橋など七地区から奉納された直径1m、全長12m の六本の大松明が400人余の褌一丁の男衆に支えられ、火の粉を撒き散らしながら社殿を時計回りに巡回する。

七日夜のお汐井汲や褌の白

White is the fundoshi loincloth collecting
 water in the 7th day of the New Year.

なのかよの  おしおいくみや こんのしろ

 一番松明は社殿を一周し、惣門をくぐる。二番松明以下は、社殿を二周する。この間、鬼役は姿を隠したまま、シャグマ(赭熊)の子供たちに囲まれて鬼堂の周囲を右に七回半廻り、社前の霰川(あられがわ)で、人の災厄を洗い流す禊 「鬼の汐井かき」をして神殿に帰る。
 鬼夜に火の粉を浴びると難を逃れて無病息災が叶うといわれ、魔祓い(まばらい)の鉾面神事に用いられる鉾に付けられた鉾紙(ほこがみ)は安産、幸運のお札として珍重されるほか、大松明の焼け残った縄や竹にも御利益があり、持ち帰る人が多い。

松明を翳して走る七日かな

The seventh day of the New Year,
running with a flaming torch holding up.

たいまつを かざしてはしる なのかかな

  鬼夜 は、かつての天台修験の影響を受けた行事で、我が国の鬼の民俗を考える上で極めて示唆に富む行事といわれているが、蓑を被った鬼の行動は撮影禁止なので、その実態を伝えられないのが残念である。
  江戸時代には、鬼夜自体が他藩に知られないよう秘密裏に行われ、婚姻などで余所から移住してきた者には親兄弟にさえも秘密を漏らさないよう誓約書を取ったという。今も鬼の姿や誰が鬼を演じているのかさえも秘匿されているのは、秘密主義の伝統を受け継ぐからであろう。

初春の大松明やふどし染む

The huge torches of the New Year,
turning the fundoshi loincloth red.

はつはるの おおたいまつや ふどしそむ

 大松明への点火は、本殿から鬼火を運んで行われる。二番鐘が五つ鳴り響くなか、本殿で御神灯(ごしんとう)から鬼火松明に移された鬼火は、古来より鬼火を司ってきた赤司家(あかしけ)の手で一番松明まで運ばれ、「オイサ、オイサ」の掛け声のなか、そのまま大松明に点火される。

初春の鬼夜褌竹はぜる

Ogre's Night Fundoshi,
the bamboos exploding in the New Year.

はつはるの おにびふんどし たけはぜる

  大松明の火が杉の枯葉から本体の竹に燃え進むにつれ、竹がはぜてパチパチと音を上げながら火の粉が舞い散り、裸のタイマワシたちに降りかかる。昔から、この大松明の火の粉を浴びると、難を逃れ、無病息災が叶うといわれている。燃え盛る火のそばで、火傷(やけど)しないよう、樫の枝葉で火の粉を振り払う姿が見られた。
  一番松明の最大の見せ場が惣門くぐりである。燃え盛る大松明の炎が木造の惣門に触れず焦がさず、細心の注意を払いながら、迅速にくぐらなければならない。

初春の惣門焼かぬ鬼火かな

Ogre's Fire never burn
Soumon Gate in the New Year.

はつはるの そうもんやかぬ おにびかな

 二周目を廻り終えた大松明は下向坂の東有料桟敷席南の大松明置場に到着し、順番に火を消した。
 手々振(ててぶり)が大松明にあがり、「イョー、祝いましょ、シャンシャン、もひとつ、シャンシャン、祝ぉて三本、シャンシャンシャン」と鬼夜独特の手一本で締めた。
 六番松明の火が消えると、しばらくして、梵鐘の鐘が七回、五回、三回と緩やかに打ち鳴らされ、神苑に響き渡った。これを厄鐘(やくがね)といい、鬼夜の終わりを告げる鐘である。

七日夜の白ふんどしや手一本

Teippon at the night of seventh day
of the New Year,
wearing white fundoshi loincloth.

なのかよの しろふんどしや ていっぽん

  六本の大松明が闇夜を焦がす大善寺玉垂宮の鬼夜。荘厳華麗な神事と、総勢四百数十人の氏子たちが降りかかる火の粉をものともせず、勇猛果敢に繰り広げる火の祭。定められた役割や手順、しきたり。そこには悠久の伝統が息づいている。
 鐘や太鼓が打ち鳴らされ、興奮の坩堝(るつぼ)と化す男の祭。新しい年の安泰を願う追難の祭は、氏子たちの誇りと共に守り継がれている。

「大善寺玉垂宮鬼夜」 
 
2015.1.7.  撮影:和田義男 吉田好幸  監修:和田義男

大松明廻 【六拾八】 〜 全員で「手一本」!〜 23:27:18 大松明廻 【参拾参】 〜出発を待つ汗だくのタイマワシたち〜 22:25:55
玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦

玉垂宮本殿の夜叉の鬼瓦

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鉾面神事ほこめんしんじ

に使わ鬼面(天狗面) / 拝殿

鉾面神事に使わ鬼面(天狗面) / 拝殿

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タイマワシたちの参集

タイマワシたちの参集

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お宮の汐井汲

お宮の汐井汲

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タイマワシの汐井かき  〜ガッツで行こう!〜

タイマワシの汐井かき  〜ガッツで行こう!〜

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松明揃 〜大松明を取り囲む大観衆〜

松明揃 〜大松明を取り囲む大観衆〜

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大松明廻 〜久留米JCI理事長の冒険!〜

大松明廻 〜久留米JCI理事長の冒険!〜

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大松明廻 〜一番松明の惣門くぐり!〜

大松明廻 〜一番松明の惣門くぐり!〜

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大松明廻 〜 全員で「手一本」!〜

大松明廻 〜 全員で「手一本」!〜

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2015年2月17日(火)雪

 平成27年(2015)1月3日(土)、福岡県福津市(ふくつし)福間海岸(ふくまかいがん)で諏訪神社(すわ・じんじゃ)(宮秀文宮司 65歳)の「玉せり」が行われたので密着取材した。
 正月3日に開催される「福間浦玉せり」は、福間浦共有財産組合(廣渡金次郎会長)主催による大漁・安全・無病息災を祈願する漁師たちの裸祭で、300年以上の歴史を有する。
  福津市の緑町区と南町区の氏子たち約60人が褌(締込み)一丁の裸形となり、海で清めた直径31cm、重さ12kg の大玉を先頭に「わっしょい、わっしょい」と威勢の良い掛け声を上げながら諏訪神社を参拝。拝殿前で玉を競り合った後、約1.3km西方の福間海岸まで行進し、砂浜や海の中で勇ましく玉を競り合う。その後、町内の家々を訪問し、大玉を鴨居にぶつけて玄関を清め玉を競り合って家内安全・無病息災を祈願する。

正月やふどし一丁玉洗ひ

The New Year, washing a ball
wearing fundoshi loincloth.

しょうがつや ふどしいっちょう たまあらい

 福津市の諏訪神社は、JR福間駅西方約700mほどの福間小学校のそばに鎮座している。福津市の中心部にほど近い場所にあり、江戸時代からこの地の氏神として崇められている。
  福間漁港の入口に鎮座する和田津美神社は、通称「リュウグウサマ」と云い、船の神様である。その右隣に和田津美神社の境内社として海の神である事代主神(ことしろぬしのかみ)通称恵比須大神が祀られた恵比寿神社があり、「玉せり」は、かつては恵比寿神社の祭礼であった。

三日はや玉に群がる褌衆

The third day
of the New Year,
fundoshi men rushing to the ball.

みっかはや たまにむらがる ふどししゅう

 「玉せり」は漁師の祭で、昔は正月15日まで漁止めで、その間は直方(なおかた)方面に酒の仕込みの手伝いに出ていたため、十日恵比須の翌日の11日に「玉せり」が行われていた。その後、種々の変遷を経て、現在は、筥崎宮の「玉せせり」と同様、正月3日に諏訪神社の正月行事として行われている。

正月や浜の玉競り白ふどし

The New Year,
rushing to the ball at beach
wearing white fundoshi loincloth.

しょうがつや はまのたませり しろふどし

  「玉せり」の起源は詳らかではないが、あるとき、玉取り恵比須に上げてあった玉が転げ落ち、漁民たちが競って拾い上げて元の場所に奉納したことに由来するといわれている。
 また、福間浦は、江戸時代、福岡市の箱崎浦と共に黒田藩の浦奉行下にあったことから、同じ浦行事(漁村行事)として玉取祭(箱崎は玉せせり、福間は玉せり)が盛んに行われるようになったともいわれている。

三日はや玉もて集ふ褌衆

The third day of the New Year,
fundoshi men gathering with a ball.

みっかはや たまもてつどう ふどししゅう

あとがき:玉取祭といえば、福岡市の筥崎宮「玉せせり」が大規模で全国的に知られているが、福津市の「玉せり」は、規模も小さく、無名の裸祭だった。このたびの取材で、一人の装束違反者もなく、子供から老人まであらゆる年齢層の福間っ子たちが誇りを持って伝統の裸褌文化を継承していることを知り、深い感動を覚えた。

「福間浦玉せり」 
 
2015.1.3.  撮影・原作:吉田好幸  監修:和田義男

福間浦の玉せり 【拾八】 11:31 福間浦の玉せり 【参】 〜海辺の玉取祭〜 
玉を洗う緑町区の氏子たち / 福間海岸 09:20

海藻をこすりつけて玉を洗う緑町区の氏子たち / 福間海岸 09:20

拡大写真(2000X1450)540KB

諏訪神社拝殿前の玉せり 【弐】 11:09

諏訪神社拝殿前の玉せり 【弐】 11:09

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福間浦の玉せり 【参】 〜海辺の玉取祭〜 

福間浦の玉せり 【参】 〜海辺の玉取祭〜 

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大玉を持って記念写真 / 南町公民館 12:00

大玉を持って記念写真 / 南町公民館 12:00

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2014年11月11日(火)雨

 このたび、internetで知り合った庚三郎さんより、卓越した才能が凝縮したデジタル画集をお送りいただき、庚三郎画集【壱】としてこの名作「美しき日本の翁(おきな)」を YouTube と Facebook そしてWa☆Daフォトギャラリーの感動写真集から世界に向けて公開する栄誉を得た。

円窓の色づく秋や白ふどし

Autumn through a round window changing
red, the fundoshi remaining white.

まるまどの いろづくあきや しろふどし

▲ 2014年10月31日(金)、庚三郎さんより名作「円窓」をお送りいただき、私のサイトから世界に向けて公開した。
  私は、初めてこの円窓のそばで襦袢を脱ぐ越中褌の老人の絵を目にしたとき、胸のときめきを覚えた。何と気品ある清らかで美しい人だろうと。見る人によっては「エロティシズム」さえ感じるのではなかろうか。それも素晴らしいことだ。
 私もいずれ老いてゆくが、せめてこの老人のように清らかで美しく老いてゆければ良いなと思う。今日、ここにこの絵をアップすることで、世界中の方々が庚三郎さんの絵心と私の胸のときめきを共有されることを祈念申し上げる。

白褌の爺は花見の夢の中

A silver-headed man
of white fundoshi wandering
for cherry blossoms like a dream.

びゃっこんの じいははなみの ゆめのなか

▲ 今朝、第二作の「文様」をお送りいただいた。夕べフェイスブックにアップした「円窓の秋」は、大反響である。この「文様」の原画を見て目が覚めた。褌一丁で桜を眺める白髪の老人は、老いの不安が全く感ぜられない。
現実を受け入れ、お迎えが来るその日まで、粛々と長寿を楽しんでおられる姿は、まるで夢のようで、老いの美しさに輝いている。作者によると、この老人は、いつしか庚三郎翁と呼ばれるようになったという。この絵は、円窓以上に世界中にインパクトを与えるに違いない。

▼ 2014年11月3日、庚三郎さんの3枚目の名作「白鷺」が届き、これで「美しき日本の翁」三部作が目出度く完成した。「白鷺」の題名は、屏風絵に描かれた鳥から付けられたものだろう。
 この上品で威厳のある老人が私から視線をそらしたと思った瞬間、私はゾクッとした。白い褌を締め、襦袢を軽く羽織っただけの老体は、眩しく輝き、神々しい雰囲気さえある。
 こんな素敵な庚三郎翁なら誰しもが一目で惚れしてしまうに違いない。誰しもが年を取っても健康で美しくありたいと思っているが、私も庚三郎翁のように美しく老いる努力をしたいと思う。

白鷺や白髪白髭白褌

White egret, white hair,
white mustache, white fundoshi.

しらさぎや はくはつしろひげ しろふどし

  こんな素敵な庚三郎翁なら誰しもが一目で惚れしてしまうに違いない。誰しもが年を取っても健康で美しくありたいと思っているが、私も庚三郎翁のように美しく老いる努力をしたいと思う。

庚三郎コメント:パソコンで描く術を知って、15年ほどになります。使うソフトは Photoshop 。ただし、最初は紙に鉛筆でラフスケッチを描く所から始まります。ラフスケッチを繰り返しながら徐々に描線を確定していき、しっかりした線描の下書きが完成したらそれをスキャナで読み取ってパソコンに取り込みます。そうしてでき上がった3枚の絵は、「美しき日本の翁」と名付けていただきました。私は、ご老人の美しい佇まいには、前垂れのさらりと垂れた越中こそがふさわしいと思い、「老人美」の要素として越中褌を描いています。そこを汲み取っていただけたことが、私の大きな喜びでした。願わくばこの老人が、狡知や傲慢、強欲から最も隔たった存在でありますように。

「美しき日本の翁」 
 
2014.11.7.  画:庚三郎 制作 : 和田義男

円窓
円窓 【弐】 〜オリジナル画像〜

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文様
文様 【弐】 〜オリジナル画像〜

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白鷺
白鷺 【弐】 〜オリジナル画像〜

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2014年10月28日(火)晴

 平成26年(2014) 8月3日(日) 、日本伝統の国技・大相撲の聖地・両国国技館(東京都墨田区横網)で少年相撲日本一を決める「第30回わんぱく相撲全国大会」(日本相撲協会・東京青年会議所共催)が開かれた。
 両国国技館は東京都墨田区横網(よこあみ)一丁目に建つ大相撲の興行のための施設。ボクシングなどの格闘技の試合に使われることもある。なお、「両国国技館」は通称で、正式名称は「國技館」である。
 わんぱく相撲全国大会は全国から相撲の聖地・両国国技館に集まった小学校4・5・6年生による相撲大会である。小学生に広く相撲実践の機会を与え、心身の鍛錬と健康の増進をはかることを目的に、公益財団法人日本相撲協会と公益社団法人東京青年会議所の主催により開催される。

わんぱくの夏の聖地や国技館

Kokugikan, the sacred place
of  naughty boys in summer.

わんぱくの なつのせいちや こくぎかん

 その前身は、わんぱく相撲東京場所で、昭和52年(1977)に遊び場の少なくなった東京で、子供たちの健康と心身を鍛えることを目指して始まり、昭和60年(1985)まで9回開催された。昭和57年(1982)の第6回大会で花田光司(はなだ・こうじ)(中野)くんが4年横綱となり、その後角界に入って、横綱貴乃花となった。
  国技館が蔵前から両国に移転した昭和60年(1985)に、わんぱく相撲東京場所と共催で第1回わんぱく相撲全国大会が開催され、翌年から東京場所は、わんぱく相撲全国大会に一本化された。現在200を超える地域で4万人の子供たちが地区大会に参加するビッグイベントとなったわんぱく相撲は、平成26年(2014)の今年、節目の第30回大会を迎えた。

夏角力集うわんぱく国技館

Summer sumo wrestling,

naughty boys gathering in Kokugikan.

なつずもう つどうわんぱく こくぎかん

 毎年4月から LOM (ロム)大会と呼ばれる地区ごとの予選大会が全国200箇所を超える地域で始まる。LOM大会と呼ばれるのは、各地方の青年会議所が中心になって行われ、その地方青年会議所のことを LOM(ロム) Local Organization Member と呼ぶため。

わんぱくのふぐり見えもす夏相撲

Summer sumo wrestling, a naughty

boy's pouch of skin appears by chance.

わんぱくの ふぐりみえもす なつずもう

 LOM大会で勝ちあがると、ブロック大会と呼ばれる都道府県代表を決める最終予選大会が開かれる。(活発でない都道府県(のJCI)では開かれない。)ここで代表に選ばれた最大150チームの選手たちが、東京は両国国技館の大相撲と同じ土俵にあがり、各学年のトーナメント形式の取組が行われる。地方大会からの参加者は、総勢約40,000人。まさに、日本の小学生力士の晴れ舞台である。
  選手や引率者たちの旅費・宿泊費は全て大会関係者が負担し、わんぱく力士たちは、都内の相撲部屋に宿泊する。相撲道を志す彼らにとっては、素晴らしい体験であり、夢舞台である。

わんぱくの重き横綱夏相撲

Summer sumo wrestling,

a naughty boy's heavy Yokozuna rope.

わんぱくの おもきよこずな なつずもう

  二階席で取材していると、わんぱく横綱の土俵入りが始まった。「プログラムでは12時55分からとなっているのに何故早めるのか」と思いながら、慌てて一階に下りる。既に始まっていたので、去年の5年横綱・花岡真生(はなおかまさき)くん(6年 熊本県 宇城(うき) 18)の雲竜型土俵入りは、向正面から撮影することになった。
 去年の4年横綱・篠田裕(しのだ・ひろゆき)くん(5年 石川県 羽昨(はくい) 110)の雲竜型土俵入りは正面から撮影できたが、完全にもとの位置に戻れなかったのでやや斜めからの撮影となった。

わんぱくの大技決まる夏相撲

Summer sumo wrestling,

the naughty boy

won by his perfect move.

わんぱくの おおわざきまる なつずもう

  個人戦の各学年の優勝者には、大会実行委員会から「わんぱく横綱」の称号が贈られる。わんぱく横綱は、翌年の全国大会で大相撲の横綱とほぼ同じ横綱土俵入りを披露することができる。わんぱく横綱のうち大相撲入りした主な者には、普天王水(ふてんおう・いづみ)(熊本県)、豪栄道豪太郎(ごうえいどう・ごうたろう)(大阪府)などがいる。
   日本の武道に共通することだが、相撲には世界に誇る精神文化がある。野球やサッカーなど外来スポーツと違って、相撲はただ単に強いだけでは駄目で、相手を思いやり、礼節を重んじることが求められる。相撲道といわれる所以であり、子供たちにとっては社会教育の場でもある。

大技で決める横綱夏相撲

Summer sumo wrestling,

a bold move to Yokozuna champion.

おおわざで きめるよこずな なつずもう

  栄えあるわんぱく相撲全国大会の優勝旗は菅原会長より横綱メダルを首からさげた6年横綱・花岡真生くんへ手渡された。優勝旗には「第三十回わんぱく相撲全国大会団体優勝 宇城チーム」と書かれた真新しいペナントが結ばれていた。
  試合は礼に始まり礼に終わる。かつて優勝を決めた外国人横綱がガッツポーズを行って顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがあったが、勝ったからといって得意になるような見苦しい子は誰一人いない。わんぱく力士たちは、相手をいたわる気持ち、感謝を忘れない気持ちが尊いことを知っている。

夏相撲めざせ紫紺の優勝旗

Summer sumo tounament,

try for the bluish purple pennant.

なつずもう めざせしこんの ゆうしょうき

  わんぱく相撲全国大会では、パンツの上にまわしを締めるような見苦しい子は皆無で、全員白まわしを肌に直接締めている。相撲を取るなら当たり前のことだが、ここでは、日本古来の裸褌文化が徹底して教え込まれている。大相撲で見られる日本人の美徳が全て実現されているのが素晴らしく、今後更なる発展を祈念したい。わんぱく力士たちよ、未来の大横綱目指して貴乃花に続け! わんぱく相撲万歳!

「わんぱく相撲」
 
2014.8.3  撮影・制作 : 和田義男

わんぱく横綱の表彰【四】 〜貴乃花親方から4年生・成田力道くんへ優勝トロフィーの授与〜 17:21 西方 篠田裕之くん(6年 石川県 羽昨)の土俵入り 3/6
「美保の松原」6学年117番の藤井励士くん 07:36

「美保の松原」6学年117番の藤井励士くん 07:36

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開会式で総揃い  08:15

開会式で総揃い  08:15

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4年生の熱戦!〜強烈な上手投げ〜 09:36

4年生の熱戦!〜強烈な上手投げ〜 09:36

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西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 2/6

西方 篠田裕之くん(5年 石川県 羽昨 110)の土俵入り 2/6

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6年生の熱戦!〜見事な下手投げ 2/3〜

6年生の熱戦!〜見事な下手投げ 2/3〜

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6学年131 決勝 3/3

6学年131 決勝 3/3

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優勝した宇城チームの表彰 〜記念撮影〜 17:39

優勝した宇城チームの表彰【五】 〜貴乃花親方らと記念撮影〜 17:39

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2014年9月23日(火)晴

  平成26年(2014)8月24日(日)から31日(日)までの8日間、静岡県磐田市に鎮座する矢奈比賣天神社(やなひめてんじんしゃ)において、700年余の伝統を有する見付天神裸祭が開催された。
 磐田市の中心部に位置する見付宿場通り(旧東海道)一帯は、江戸時代に東海道五拾三次の見付宿として栄えた宿場町である。国指定重要無形民俗文化財の見付天神裸祭は、8日間にわたって行われる矢奈比賣神社(見付天神)の秋の例大祭で、その最大の見所が毎年旧暦8月10日の直前の土日に催行される御大祭(ごたいさい)と、その3日前に行われる浜垢離(はまごり)で、今年は、浜垢離が 8月27日(水)御大祭が8月30日(土)31日(日)に開催された。 裸祭が8月で完結するのは60年ぶりとのことで、極めて珍しい。

觸鈴やふんどし童秋の浜

Hand bell,
fundoshi boy at autumnal beach.

ふれすずや ふんどしわらべ  あきのはま

 見付天神裸祭は、矢奈比賣神社の女神・矢奈比賣が遠江国の総社である淡海国玉神社(おうみくにたまじんじゃ)の男神・大国主命のもとへ一夜の逢瀬を楽しむために神輿渡御する祭である。渡御に先立ち、褌腰蓑姿の裸衆が道中練りと称して町中を練り歩き、拝殿で鬼踊りと称して乱舞することから裸祭と呼ばれる。
 女神が渡御する姿を見られたくないとの思いからか、神輿渡御の際は、沿道の全ての照明が落とされ、暗闇の中で密かに渡御が行われる。現在でもこれらの神事が厳しく護られていることが国の重要無形民俗文化財に指定された大きな要因となっている。

秋祭同志見付に集ひけり

Autumnal festival,
like-minded guys gathering in Mitsuke.

あきまつり どうしみつけに つどいけり

 5年前の平成21年(2009)に初めて見付天神裸祭を密着取材したことがきっかけで、当時、見付天神裸祭保存会事務局長の福代陽一さんや副事務局長の松本直希さん(現事務局長)と知り合い、それ以来、保存会の役員を中心に、地元の氏子の方々との交流が始まった。
● 磐田市への旅は、平成21年(2009)以来、今年で6度目となり、初秋の恒例行事となった。毎年確実に詳しくなり、感動も大きい。

觸鈴や名残を惜しむ秋の夕

Hand bell, reluctant to leave
in the evening of autumn.

ふれすずや なごりをおしむ  あきのゆう

 見付天神裸祭保存会には、初めて取材したときから和田グループの参加を認めていただき、今年は新人3人を含む総勢8人が裸祭の醍醐味を体感させて頂いた。
 今回も親子三代の写真や子供連の記念写真を多数撮影させて頂いたが、親から子へ、子から孫へと確実に伝統の裸褌文化が継承されていることは、誠に喜ばしい。

「見付天神裸祭'14」 
 
2014.8.27.-30.-31.  撮影・制作 : 和田義男

波の中の鬼踊り 西区エースの鬼踊り
赤リボンの觸鈴を持った男の子/西中区・二番觸 10:36

赤リボンの觸鈴を持った男の子/西中区・二番觸 10:36

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全国連和田グループ第六期8人の健闘を祈念して乾杯!

全国連和田グループ第六期8人の健闘を祈念して乾杯!/ 片山邸(東中区梯団長宅)にて 17:23

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名残を惜しむ裸っぽたち/西中区二番觸・町会所前 00:58

名残を惜しむ裸っぽたち/西中区二番觸・町会所前 00:58

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2014年8月5日(火)晴

 平成26年(2014)7月20日(日)、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社( なみおり・じんじゃ)で300周年を迎えた祗園山笠(ぎおんやまかさ)の追い山(おいやま)が開かれた。
 「九州の鎌倉」とも呼ばれる津屋崎は、古くから大陸との交流で栄えた。江戸時代から昭和初期までは、塩の積出港として栄え、津屋崎千軒と呼ばれるほどの賑わいを見せ、夏には祗園山笠が盛大に催行された。明治34年(1901)創建の紺屋が「津屋崎千軒民俗館」として再生されているほか、美しい家並みは今も健在である。

黒褌の山笠の宮入おらが夏

Our summer, Yama going to the shrine
wearing black fundoshi loincloth.

くろふんの やまのみやいり おらがなつ

 津屋崎祗園山笠は、正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祗園社の神を勧請(かんじょう)して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。山笠は、漁業中心の北流(きたながれ)、商業中心の新町流(しんまちながれ)、農業中心の岡流(おかながれ)の3つの流れがある。
 山笠は、江戸時代から明治、大正、昭和と続いていたが、第二次大戦中に中断し、戦後再開したが、昭和38年(1963)に再び中断、昭和50年(1975)に復活して現在に至っている。今年は300年の節目に当たり、津屋崎祗園山笠発足三百年復活四十周年記念特別展や今昔展などが開かれたほか、津屋崎祗園山笠三百年記念記録誌が発行された。

益荒男の山笠担ぎて颯爽と

Brave men looking cool, carrying
Yamakasa wagon on their shoulders.

ますらおの やまかさかつぎて  さっそうと

 このたび、吉田さんから民宿「吉田屋」を拠点に九州の裸祭を取材したらどうかとの有り難いご提案を頂いた。しかも吉田さんが全面的にサポートして下さるという。旅する写真家にとってはこの上ないお誘いなので、迷うことなくお言葉に甘えることにした。さっそく来年は、正月の鬼夜(福岡県の誇る国指定重要無形民俗文化財)や7月の津屋崎祗園山笠を取材したいと、今から想像の翼を広げている。

「津屋崎祗園山笠'14」 
 
2014.07.20  撮影 : 吉田好幸

追い山【弐】 全力疾走/新町流 08:55 
波折神社に到着した北流 08:13

波折神社に到着した北流 08:13

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流れ舁【七】 町内を祓い清める山笠/岡流 09:26 

流れ舁【七】 町内を祓い清める山笠/岡流 09:26 

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2014年6月13日(金)雨

 2014年6月1日(日)、30℃を超える快晴の富山市中心街で第12回とやま山王市が開催され、東京、神奈川、愛知、大阪など日本全国から馳せ参じた和田グループ第一期16人(現地参加者2人)が山王被り・黒法被・黒褌・黒地下足袋の凛々しい黒装束で総勢40人の男御輿に加勢し、富山市中心街を颯爽と渡御した。
 11年前、富山県最大となる裸御輿が発足し最盛期には100人を超える黒褌一丁の力者たちが二基の御輿を担いでいたが、現職の富山市長の横やりで法被を着るようになってから参加者が激減し、昨年は26人になってしまった。このままでは御輿が揚がらなくなる恐れがあることから、筆者は今年、初めて黒褌御輿全国連和田グループ第一期を立ち上げて加勢した。

越中の初夏は黒褌男粋

Early summer of Ettyu,
cool men wearing black fundoshi loincloth.

えっちゅうの しょかはくろふん おとこいき

 今から11年前に祭を主催する「とやま山王市運営委員会」が発足した頃は、黒褌(くろふん)一丁の裸神輿として最盛期には100人を超える力者(りきしゃ)たちが二基の御輿を担ぎ上げ、「100年続く裸祭」をめざし、富山県最大の御輿として意気揚々と市内を巡回していた。
  しかし、順風満帆かに見えたこの裸祭は、その後現職の富山市長の「褌一丁は見苦しい」との偏見による横槍(よこやり)が入り、市長の意向に従わないと富山市の補助金がもらえなくなるという弱みから、運営委員会は、現在のように力者に法被(はっぴ)を着用させ、名称も「裸御輿」から「男御輿」に変更した。

暑き日や黒褌御輿黒法被

Hot summer day, Black Fundoshi
Mikoshi wearing black happi coat.

あつきひや くろふんみこし くろはっぴ

ところが、このような経緯で変質を余儀なくされたことに落胆した多くの参加者たちが次々と去ってゆき、昨年は力者が26人にまで落ち込み、これ以上減ると御輿が担げないという事態になってしまった。
 筆者は、昨年、運営委員会の担当者が「往年の裸御輿の盛況を取り戻したい」と熱く語る心意気にパルピテーション(ときめき)を感じ、この先細りの現状を打破し、往年の裸御輿を復活させて、去っていった人たちに復帰してもらうべく立ち上がり、取材2年目の今年、Wa☆Daフォトギャラリーに 黒褌御輿のご案内 を掲載し、全国各地からボランティア(自費応援者)を募った。

夏めくや黒褌御輿アーケード

Early in summer,
Black Fundoshi Mikoshi in an arcade.

なつめくや くろふんみこし あーけーど

その結果、東京、神奈川、愛知、大阪など全国各地から心強い賛同者が多数現れ、現地参加者を含めて16名による全国連和田グループ第一期(代表:和田義男 世話役:長谷川昇司)を編成することができた。この作品では、和田グループの活動を中心に日本古来の裸褌文化が息づく粋な黒褌御輿の魅力をタップリと紹介した。
  和田グループ一行は、本部テントでエントリーを済ませ、祭装束一式をもらってから更衣室の地場もん屋三階会議室に行き、古参者らといっしょに裸になって祭衣装に着替た。私も彼らに混じって一人で黒褌を締めた。

麦秋や街は黒褌山王市

Wheat harvest, Black fundoshi
in the town for Sannoh Market.

ばくしゅうや まちはくろふん さんのういち

  褌の長さは3m、幅36cmでこれを前袋式六尺褌として締める。和田グループは全幅のまま締めるのを原則としているが、半幅でも良しとしている。人によって褌の長さが変わるので、ハサミやカッターを使って布の先端を切り取り自分の体格にあわせて調整する。私は30cmほど切断した。
日本人が発明した褌は、江戸時代には、高温多湿の気候風土を乗り切るのに最適な下着として定着し、また、屋内外での夏の労働着ともなった。今回、このスタイルで4時間半、都心を歩き回って撮影したが、前袋式六尺褌は、越中褌と違って全く緩むことがなく快適だった。これからも裸祭の取材には、参加者と同じ祭装束に身を包み、祭のロマンと感動をともに体感しながら取材したい。(笑)

褌の跡が残りし日焼けかな

Suntan, the mark of fundoshi loincloth.

ふんどしの あとがのこりし ひやけかな

「黒褌御輿'14」 
 
2014.06.01  撮影・制作 : 和田義男   協力 : 中田清志

石井隆一・富山県知事を囲んで!2/2 16:59 和田グループ古参力者と 2/2 15:29

腕を組んで颯爽と!【弐】 13:27

腕を組んで颯爽と!【弐】 13:27

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力者を乗せた黒褌御輿/平和通り歩行者天国 14:47

力者を乗せて出発した黒褌御輿/平和通り歩行者天国 14:47

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再度 総曲輪そうがわ

アーケード街に入る 15:15

再度総曲輪アーケード街に入る 15:15

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西側の美しいドームを通過/中央通り商店街 16:20

西側の美しいドームを通過/中央通り商店街 16:20

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フィナーレの御輿差し! 17:09

フィナーレの御輿差し! 17:09

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★彡彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2012年7月7(土)曇 写真俳句のさきがけ 写真に俳句をつけて発表したのは、私が最初。現在、写真俳句として流行っている。作家の森村誠一が自分がはじめたのだと放言しているが、有名になると恥知らずになってしまうものなのだろうか。

 この句集をご覧頂ければ、私が何年も早くはじめていることが分かる。北舟は和田義男の俳号。北海道の稚内で単身赴任しているときに俳句をはじめ、日本最北端の舟・北舟と名乗ることにした。

東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句

東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。

東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。

おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 俳人協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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