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 旅紀行日本の祭り

2009年4月4日改訂

今 日

昨 日

秩父屋台ばやし

拡大写真(1600x980)284KB

2005年12月11日制作

秩父夜祭のフィナーレ!

秩父夜祭のフィナーレ!/合成写真(秩父夜祭/埼玉県秩父市)

日本三大曳山祭

秩父夜祭

夜祭

 
中町屋台なかまちやたい
   五番目は、この日の朝、最初に出会った中町屋台。囃子手の盛り上がり方が尋常ではなく、熱気を感じた。

豪華な中町屋台

豪華な中町屋台

拡大写真(1400x990)370KB

元気な中町屋台の兄貴

元気な中町屋台の兄貴

拡大写真(1400X1050)287KB

元気をまき散らしてくれた囃子手

元気をまき散らしてくれた囃子手

拡大写真(1400X1050)282KB

ベスト電器前を御旅所に向かう中町屋台

ベスト電器前を御旅所に向かう中町屋台

拡大写真(1600x1200)434KB

 
本町屋台もとまちやたい
 
   殿(しんがり)は、秩父神社で見送った宮元の本町屋台。中町会所前を通過する一行を捉えることができた。午後8時50分、総ての曳き山がベスト電器前を通過していった。この後、難所の団子坂をのぼり、御旅所に入るが、団子坂から上は午後6時から通行止めになっており、立ち入ることができず、私の取材はこれで終わった。  

中町会所前を通る本町屋台

中町会所前を通る本町屋台

拡大写真(1400X835)257KB

夜空を飾る冬花火

 午後8時から10時まで、芝桜で有名な羊山(ひつじやま)公園で花火が打ち上げられた。今年は全国から花火師を集め、競技大会が開かれた。例年以上に大輪の素晴らしい花火が数多く見られた。歩行者天国の国道140号線には大勢の観客が冬の花火を楽しんでいた。

夜空を飾る大輪の花スターマイン

夜空を飾る大輪の花スターマイン

拡大写真(1400x1050)262KB 撮影:高澤洋次

団子坂をのぼる上町屋台

 2007年4月6日、秩父市の友愛商事さんからお便りをいただき、気ままなギャラリー「SCENE・風景」 に団子坂をのぼる上町屋台の写真があることをお知らせ頂き、直ぐに見せて頂いたところ、とても素晴らしい写真だった。
 そこで、是非、掲載させて頂けるようお願いしたところ、直ちに原画をお送り頂いた。コンパクト・カメラで撮影されたこの写真は、見事な傑作で、躍動感といい、晴れ姿といい、ここぞと思われる決定的シーンを完璧に切り取っておられ、感動を新たにした。

団子坂をのぼる上町屋台の勇姿!

画像提供:友愛商事/秩父市   撮影:2006.12.3  http://archiliving.blog90.fc2.com/

御旅所の傘鉾と屋台

 秩父在住の高澤洋次さんから尺玉のスターマインの写真と、御旅所に勢揃いした傘鉾と屋台の貴重な写真を提供いただいた。写真下は、左奥から右に中近傘鉾・下郷傘鉾、本町屋台・中町屋台・上町屋台・宮地屋台が並んでいる。

御旅所に勢揃いした傘鉾と屋台

御旅所に勢揃いした傘鉾と屋台

拡大写真(1580x1066)156KB

撮影:高澤洋次
  雪洞に浮ぶ秩父の冬屋台  北舟 

ぼんぼりに うかぶちちぶの ふゆやたい

The winter wagons of Chichibu region standing out by paper-covered lamps.

御旅所の中近傘鉾

御旅所の中近傘鉾

拡大写真(1200x900)262KB

撮影:高澤洋次

日本一の夜祭り

 高澤さんからお送りいただいた御旅所の曳山と夜空を飾る大輪のスターマインを合成した写真が最後の2枚である。実際とは異なる画像だが、秩父夜祭の素晴らしさをイメージできるので掲載した。このような凄い写真が撮れるのはいつの日だろうか。今後チャレンジしてみたい。

秩父夜祭のフィナーレ!(合成写真)

秩父夜祭のフィナーレ!

拡大写真(1600x980)284KB 撮影:高澤洋次 編集:和田義男 

勢揃いした曳山と大輪の花火!(合成写真)

勢揃いした曳山と大輪の花火!

拡大写真(1400x1365)326KB 撮影:高澤洋次 編集:和田義男 

和田義男

 
和田義男
 
OLYMPUS E-500 E-300

11-22mm 14-54mm 40-150mm


800万画素


 1,460枚  2,460MB


撮影 2005年12月3日
 

 素晴らしい祭だった。朝早くから深夜まで、これほど疲れた取材は初めてだったが、画像を編集していて、その長い歴史文化を今に再現してくれる伝統の祭典に無条件に感動した。秩父夜祭が国の重要無形民俗文化財に指定されているのは当然のことである。

 秩父夜祭のフィナーレは、豪快に団子坂をのぼる曳き山と冬の夜空を飾る大輪の花火を背景に御旅所に並ぶ屋台の晴れ姿であるといわれるが、この光景を目にすることができるのは、315,000人の中の、ほんの一握りの人たちに過ぎない。
 御旅所や団子坂は狭く、薄暗い夜に 20ton もある重量物の移動は、小さなミスが重大事故に直結することは明らかで、そのため警察が午後6時から立入禁止にしてしまうのは仕方のないことである。
 秩父のホテルに電話して来年の祭の夜の宿泊予約をしようとしたところ、来春の特定の日に申し込み順に受け付けるとのことで、その日は教えてくれなかった。鞍馬の火祭のように一年前にくじ引きで翌年の祭日の宿が決まるほどのラッシュではないが、宿の確保は至難の業である。
 このように、秩父夜祭は、宿を取るのが難しいほか、取れたとしてもフィナーレとなる団子坂や御旅所の収容人員が極めて少ないため、現状では夜祭最大のフィナーレを見ることが難しいので、それを承知で行くことが必要である。

お薦めサイト

秩父観光協会の公式サイト   秩父観光協会による秩父観光の案内。
秩父夜祭(秩父観光協会)   秩父観光協会による秩父夜祭の紹介。
秩父夜祭の基礎知識   秩父夜祭の傘鉾や屋台の解説、見所などを紹介。
秩父 芝桜の丘 武甲山   写真を提供いただいた高澤洋次さんのサイト。秩父の魅力を紹介。
秩父夜祭 / 2005年秩父夜祭   地元秩父在住の高澤洋次さんによる秩父夜祭のサイト。
 私は、秩父夜祭はこの深夜の夜祭だけがすべてではないと思う。京都の祇園祭のように、昼間に観客が十分楽しむことができる工夫をすれば、より親しみやすいお祭りになると思われる。傘鉾のスタートも午後7時では待ち時間が長過ぎるので、日が暮れた5時にスタートすれば、多くの観客が午後10時過ぎの終電を気にすることなく、夜祭をもっと気楽に楽しむことができることだろう。

謝 辞

 秩父夜祭の解説のため、internetで資料を検索していたところ、高澤洋次さんの 秩父夜祭 のサイトを発見した。地元秩父在住の特権をフルに駆使されて、あらゆる情報を掲載した夜祭の決定版ともいえるサイトである。
 これまでの夜祭だけでなく、今年の夜祭の画像も既にアップされており、私が取材できなかった御旅所の素晴らしい写真が目に焼き付いた。厚かましくも、その写真をお借りできないかとお願いしたところ、快諾をいただき、お陰で、この拙作の最後にフィナーレの写真を掲載することができた。
 文末ではありますが、このたびの高澤さんのご厚意に心から御礼申し上げ、今後益々のご発展を祈念しております。有り難うございました。  2005.12.11 〈 完 〉
お便りコーナーより抜粋

2005年12月19日(月)晴  秩父夜祭 一番組 中近巴會 A   様より  中近巴會ホームページ

要望を聞いて下さい リンクをさせて頂き、ありがとうございます。多くの祭り好きが素敵なページに感動させられているようです。不躾で申し訳ございませんが、そんな中で、2点の要望が出ております。お忙しい中とは思いますが、以下の文に目を通して頂き、修正して頂くことが可能であればお願いしたいのですが。

1つ目は、中近のページ内です。説明文に、

中近傘鉾は、屋台町6町のうち、秩父神社西方の・中近町が受け持つ傘鉾型の屋台で、6台の屋台の中では最も小型である。屋根の上に御幣(ごへい)と神木(しんぼく)である榊(さかき)が立てられている。 

の中の文章についてです。

「6台の屋台の中では最も小型」というのは違うのです。本来、2番目に大きいのです。大きすぎるために、その一部分である屋型のみで現在牽引しているのです。屋型付笠鉾です。それ以前に大きさなどは問う必要はない、という意見もありましたが。それはともかく、「小型=貧弱のようなマイナスのイメージを植えつけかねないもので、中近を誇りにしている我々にとって非常に不満が出ています。中近に対して、大局的には好意的な文も多いにせよ、この一文で台無しです。素晴らしいぺージに感動させられていますが、この小型という説明を変更して頂けないでしょうか。

2つ目は、夜祭のページ内です。最後に、和田様のお写真と共にご意見が乗っております。その中に、

傘鉾のスタートも午後7時では待ち時間が長過ぎるので、日が暮れた5時にスタートすれば、多くの観客が午後10時過ぎの終電を気にすることなく、夜祭をもっと気楽に楽しむことができることだろう。

に対してです。現在も伝統か?観光か?ということで多くの議論がされています。和田様は、「観光・多くの人が楽しく見学できるために」というスタンスからのご意見であり、このような時間帯であれば見に来て頂いた方は、より楽しめるとも思います。もっともで、必要な考え方であると思います。しかし、祭りが単なるフェスティバル化してしまっては、「秩父夜祭」ではなくなると思っています。多くの祭りが、その起源や歴史を無視して、日曜日開催などにより人を集め観光化しています。本当に、それでよいのでしょうか? 環境破壊と同じ道を歩んでしまうのではないかとも考えます。

先人達が長い時と労力をかけてつくりあげ、守ってきた地域に根ざした祭りを、いとも簡単に変更してしまって。博覧会や記念イベントは、見てもらうことを第一に考える必要があると思います。秩父の笠鉾屋台も、そういって時はそのように取り組んでいます。しかし、12月3日は単なるフェスティバルでないと思っています。時代と共に変わっていくものや変わらざるを得ないものはありますが、守っていかなければならないものもあるかと思います。私達の「伝統を守る・歴史をつなげる」という考えや意見にも耳に傾けて頂き、その上で和田様のご意見を乗せて頂ければ幸いです。この素晴らしいページに、我々が持っている「気」も少しだけ入れさせて頂けないでしょうか。

一方からの見方だけで「時間を変更するほうが良い」という意見は、我々から考えると寂しいのです。この素晴らしいWebの秩父夜祭に対する考え方について、勝手な意見を連ねさせていただき、本当に失礼ということは承知で書かさせて頂き申し訳ありません。しかし、ぜひとも、再考をお願いします。和田様のご意見を曲げろと言うのではありませんが、我々が研修を重ねながらよりよい祭りづくりに向けて精進している者からの意見です。

我々が、勉強を行っている一部を、受講生の感想的なページにしています。秩父市文化財保護審議委員の千島壽先生の講義の時のぺージなども見て頂けるとありがたいです。http://tomoekai.cool.ne.jp/benkyo/16.11.15/h16ben.htm
巴會勉強会のトップ http://tomoekai.cool.ne.jp/benkyo/benkyo-index.htm

支離滅裂な文章になってしまい申し訳ありませんでした。

お便り有り難うございました。修正意見、検討させていただき、次のように修正しました。

1 次のように改めました。

「 中近傘鉾は、屋台町6町のうち、秩父神社西方の・中近町が受け持つ傘鉾型の屋台で、屋根の上に御幣(ごへい)と神木(しんぼく)である榊(さかき)が立てられている。」

2 次のように改めました。

 「秩父夜祭のフィナーレは、豪快に団子坂をのぼる曳き山と冬の夜空を飾る大輪の花火を背景に御旅所に並ぶ屋台の晴れ姿であるといわれるが、この光景を目にすることができるのは、315,000人の中の、ほんの一握りの人たちに過ぎない。

 御旅所や団子坂は狭く、薄暗い夜に 20ton もある重量物の移動は、小さなミスが重大事故に直結することは明らかで、そのため警察が午後6時から立入禁止にしてしまうのは仕方のないことである。

 秩父のホテルに電話して来年の祭の夜の宿泊予約をしようとしたところ、来春の特定の日に申し込み順に受け付けるとのことで、その日は教えてくれなかった。鞍馬の火祭のように一年前にくじ引きで翌年の祭日の宿が決まるほどのラッシュではないが、宿の確保は至難の業である。
 
 このように、秩父夜祭は、宿を取るのが難しいほか、取れたとしてもフィナーレとなる団子坂や御旅所の収容人員が極めて少ないため、現状では夜祭最大のフィナーレを見ることが難しいので、それを承知で行くことが必要である。

 私は、秩父夜祭はこの深夜の夜祭だけがすべてではないと思う。京都の祇園祭のように、昼間に観客が十分楽しむことができる工夫をすれば、より親しみやすいお祭りになると思われる。傘鉾のスタートも午後7時では待ち時間が長過ぎるので、日が暮れた5時にスタートすれば、多くの観客が午後10時過ぎの終電を気にすることなく、夜祭をもっと気楽に楽しむことができることだろう。」

修整理由

1 一番小さい云々はホームページの文献にそのような記述がありましたので、そのまま記載したものです。過去はともかく、私も現状では明らかに一番小さく見えましたので、その記述は間違いないと思い、一番小さいという現実(事実)を書きましたが、事実の記載が嫌だとおっしゃるのであれば、私にはどうでもよいことなので、削除しました。その文献の方にも指導されると良いでしょう。ちなみに、「(一番小さいという)この一文で台無しです」とありますが、「台無し」とは恐れ入りました。屋台は大きさを競うものではない筈で、ハード、ソフト、心意気の総合力で優劣が決まるはずです。

2 「秩父祭の歴史とその変遷について」を読ませて頂きましたが、余りよく分かりませんでした。いずれにせよ、開催日の変更は難しいことを承知で感想を書きましたので、どうせ書いても変更されることは期待できませんので、その部分は削除しました。

当日のスケジュールに関する意見は、そのまま意見として、最後に残させて頂きました。一般に、祭は自分たちが楽しむ祭と、遠来の客に見せる祭の二面があります。秩父夜祭は、両方あるのではないでしょうか。宣伝しておいて、見に行った客がガッカリするような祭はよくありません。今回、私はガッカリした点があったので、意見として発表させていただきました。

傘鉾と屋台が神社を出発して、ベスト電器前で総ての屋台を見送ったあと、団子坂周辺は警察がガードして入れてくれません。フィナーレを見ることができずに、私同様、殆どの人が国道140号線から花火を見て引き揚げたのです。観光ガイドには御旅所の神事が終わり、午後11時頃になると人がいなくなるので、ゆっくりと屋台が帰る団子坂を楽しむことができますと書かれていますが、宿もとれず、帰りの電車も無くなり、どうやって11時から深夜を楽しむことができるのでしょうか。気温も氷点下以下に冷え込んで、楽しむどころではありません。酔っぱらって路上で寝込んだら凍死するのではありませんか。案内文には、「本番のフィナーレは夜遅く、しかも場所が狭くて殆どの人は入場できません。見に来られるのは結構ですが、それを覚悟で来て下さい。」とでも書いておくべきでしょう。

明治神宮の初詣のように、賽銭箱前には立ち止まらせずに、流れを導いている例を参考に、御旅所を通り抜ける通路を設け、立ち止まらずに観衆を安全に移動させる工夫をすれば、かなり待てば御旅所を一目見て帰ることができると思います。それだけの工夫があれば、渋滞したとしても、一目見るチャンスがあるわけですから、立入禁止よりは余ほど良心的です。思いつきで恐縮ですが、立入禁止だけでは無策のように思います。

                                ***

伝統文化の保全は当然のことです。これからも観光をどう位置づけるか、客の立場に立った祭典運営も考えていただきたいと思い、あえて提言させて頂きました。祭の時間調整は、全国をながめても、祭典実行委員会がそれぞれ個別に工夫を重ねて、地元の要望と観光産業の要望の調和を図る努力をしています。

私の意見は、誹謗中傷ではなく、あくまでも秩父夜祭をもっと良い祭にして欲しいという観点から、初めて祭を観光した初心者のフレッシュな経験をもとに建設的に提言したつもりです。もし文中に失礼な表現があれば、それは総て私の不徳のいたすところであり、謹んでお詫び申し上げます。ご指摘、有り難うございました。
 
私どものような者の要望を聞き入れて頂き、なんともお返しの言葉がありません。ありがとうございます。和田様のWebの素晴らしさや内容の充実など、豊富な経験や知識のある方に対して、私どもが意見できるような立場ではないことは承知の上でお願いなどさせて頂き、たいへん失礼いたしました。

また、修正をして頂いたことに感謝申し上げます。返信して頂いた丁重な熱いご意見に、驚きと感激でいっぱいです。当会の者の微力では、何もできませんが、観光客の方々から寄せられたご意見も、考え話し合いながら、小さな力ですが少しでも大きな声にしていきたいと思います。

以前、私たちでも何かできることはないかと考えました。当初、当Webは「おらが町の笠鉾自慢」のWebでしたが、多くの方から様々なご意見を頂き、それらの方々に少しでも楽しんでもらいたいという気持ちで「観光協会か!?」と言われてしまうような秩父夜祭に見学に来ていただける方への参考になるような内容に少しずつ変えていきました。秩父の祭りに見学に来て頂く方の一助になるような内容にしよう!という意見のもとで、特に祭り本番直前では現在は、速報のやりとりの可能なWebとして多くのアクセスを頂きました。多くの方と掲示板やメール、さらには実際にお会いして交流を深めたりもできました。

少しでも、和田様も言っておられた「ガッカリ」を和らげられないかと以前から考えた策です。他地域のことは勉強不足でわかりませんが、この狭い秩父に多くの宣伝の効果により、多くの方々が訪れていただける。このたった1日だけの期間に人口の5倍もの方が訪れて頂き、全員の方にそれなりの満足を持って帰って頂くと言うことは厳しいことだと思います。

観光協会も色々考えているようですが。たとえば、夜祭り以外の山車。秩父には多くの祭りがあり、山車も多くあります。これらも牽引して見学してもらったり、要所に展示したりしたらどうか? 昼間にこれらの山車を団子坂曳き上げして見学してもらうとか・・・。どのレベルでの話か、本当の話か詳細は全く解りませんが知恵は絞っているようです。これは、実現には至らなかったようですし正式には全く聞いていませんが。

時代の変化により多くの事が変わってきています。変わらざるを得ない部分も多いと思います。それだけに、我々が今、「ここだけは守っていきたい」と考えている部分。もしかすると単なる固執なのかもしれませんが、こだわりたい、守りたい、その部分の一つに出発時間があったのです。我々の考えが、祭り全体の構成に及ぼす影響力などは皆無に近いと思います。しかし、「お祭りさわぎ」だけで終わらせたくない気持ちがあります。地域から若者が離れていく現状が秩父でもあります。お祭り騒ぎだけに帰ってくる若者もいます。しかし、地元に残り地場産業に携わりながら「おらが祭り」を守りたい、守っていくんだという気概を持つことも必要と思います。和田様には、だいぶ失礼な表現もあったかとは思いますが、このような気持ちを、この素晴らしい内容のWebをつくられ管理されている和田様に理解していただけないものかと、先日の要望メールを差し上げさせて頂いた次第です。

今年の通行規制は例年になく異常なほどのようでした。土曜日で人手の予想も多かったことや、警察署長が新しい方が赴任されたことなどの影響もあったのかもしれませんが。過去の悲惨な事故の再発防止のためにある程度は仕方ないことですが、不満の方も多かったのではないかと思います。今年は、事故なくお祭りができたと言うことが、地元民にとっては大きな喜びでもあります。

他にも、多くのご指摘や感想を頂きました。ありがたく頂戴したいと思います。頂いた多くのご意見も、可能な限り伝え、より良い祭りになるようにしたいと地元の人間の一人としての考えを述べさせて頂きました。たいへん失礼いたしました。
 
お便り有り難うございました。それぞれの立場から建設的な意見を交換しあうことは、相互理解を深めるうえで非常に有用です。出演者に観客の感想を伝えることをフィードバックといいますが、謙虚に耳を傾け、次回に生かすことが主催者にとって大変大事なことだと思います。観光協会はこのような熱い議論の場にはなりにくいので、その代役を中近巴會が担っておられることは大変素晴らしいことだと思います。

辛口の論評で申し訳ありませんでしたが、成功例よりも失敗例を探して、それに対応するのが今の生き方です。祭りも全く同じことです。来年も応援しますので頑張ってください。有り難うございました。

2005年12月20日(火)晴  A. Z.   様より

Re:
要望を聞いて下さい 中近巴會さんと、和田様の意見交換を拝見させていただきました。私は、秩父夜祭は好きで毎年見に行ってます。見に行ってる立場、つまり一 観光客です。

私の地元にも祭りがあり、祭りの伝統をいかに継承するかは大きな課題になってきてます。秩父夜祭と田舎の祭りを比較すること自体ナンセンスかもしれません。祭りの開催曜日や時間を検討することと、祭りの伝統の継承についてですが、私どもの祭りは、開催日を日曜に変更したり、山車の乗り子も男子のみから、最近は女の子も乗せています。そのように時代に合わせていかないと祭りそのものが存続できないんです。勤め人が多くなり、平日何日も祭りの為に休暇をとるのも大変なご時世です。埼玉の大きな祭り、「川越祭り」も土日に開催日を固定しました。以前は10月14〜15日と決まっていたと思います。

秩父夜祭も今年話題になり新聞にも取り上げられましたが、曜日の固定が話題になりました。しかし、秩父神社の宮司さんが断固として変更には応じないと報道されました。私は外の人間ですから、中近巴會さんには申し訳ありませんが、金、土、日のどこかに固定した方がいいと個人的に思ってます。勿論、秩父夜祭の伝統を守るのは当然のことです。伝統を守るのは中近巴會さん始め地元の皆様にお願いするしかありません。

曜日固定がないわけですから、和田さんの時間変更案は妙案だと思いました。なぜなら、過去に西武鉄道の秩父乗り入れに合わせて山車の牽引コースや、時間の変更は行われているんですね。花火(以前は仕掛け花火)は、午後10時〜12時頃だったと思います。おそらく山車もその時間に牽引してたんじゃないかと思います。日曜日とかの曜日の固定については、今後も賛否両論の議論になっていくでしょう。

中近巴會さんから「修正意見」がくるほど、和田様の秩父夜祭取材のページがすばらしく強烈なインパクトを与えたということだと思います。秩父夜祭取材の最高のHPの証拠ではないでしょうか。

貴重なご意見、有り難うございました。私は伝統を壊すつもりはありません。全国の祭りを見てきましたので、よく知っているのですが、日程はかなり変動してきています。それが伝統を末永く継続するための現代人の知恵であれば、大賛成です。伝統といっても、既に丁髷をしていませんし、眼鏡や時計をしています。秩父夜祭では着物の下にふんどしを締めているとは思えません。伝統をかたくなに守るなら、江戸時代の装束どおりにしないと嘘になります。

秩父夜祭のように開催日は頑なに崩さないというところがあります。開催日がウィークデーになってもやるというところです。私が裸祭りに目覚めた姫路市の灘のけんか祭りは、祭日が10月15日固定です。その日は仕事をほっぽり出して氏子村に帰り、泥まわしを締めてヤッサ(屋台)を担ぎます。私の知っている職場の部長から聞いた実話ですが、部下の課長がけんか祭りで休暇を申請してきたのですが、忙しいのでとても認められないと却下したので諦めたかと思ったら、当日は欠勤していたそうです。彼らは仕事よりも祭りが大事なのだそうです。村に帰らないと村八分にあうとまでいわれたそうです。ここまでやれば、哲学であり、宗教ですね。怖いものはないのでしょう。その代わり、勤務評定が下がるのは仕方のないことです。

しかし、多くの祭りは、このようなデメリットをなくすため、週末に変更したりしています。京都・祇園祭の女人禁制の山鉾にも女性が上がれるようになってきました。男尊女卑や身分差別が甚だしい封建時代は過去のものとなり、自由・平等・民主主義という現代にあっては、価値観がドラスティックに変わってきています。それにあわせてみんながハッピーとなるように、ルールを変えたり、日程を調整することが必要になってきます。そうすることが伝統を継承することに役立つと思います。ただ、伝統をどこまで変質させてよいものか、祭りの装束一つにしても議論が分かれます。神田祭や深川祭など、本来のふんどしがパンツ(ハンダコ)になっているところが沢山あります。私はこれには反対ですが、難しい問題ではあります。

このたび、中近巴會が私の意見を取り上げ、修正意見をお送りくださったことにつきましては大変有り難く、名誉なことだと思っています。中近巴會の皆さんには心より感謝申し上げ、今後益々のご発展を祈念しています。有り難うございました。
 
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