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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2012年8月22日改訂

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今 日

昨 日

アルハンブラの想い出 Recuerdos de la Alham
bra 〜スペイン風セレナータ Serenata Espaňola

タラゴナのローマ遺跡や春の海   北舟

 

Spring sea, the ruins of ancient Rome at Tarragona.

2001年7月16日制作

ローマ時代の1世紀に建てられた円形競技場の遺跡 12:25

パノラマ写真(2600X1500)974KB

ローマ時代の1世紀に建てられた円形競技場の遺跡/タラゴナ(スペイン)

俳句「海の風景」第34集


 
 





























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2012年8月22日(水)

 平成24年(2012)2月9日(日)から14日(金)までの6日間、地元知人の支援を受けて、アラブ首長国連邦ドバイへの家族旅行にでかけた。
 ほぼ北海道の面積に当たる82,880km2の国土に人口460万人を擁するアラブ首長国連邦、通称UAE(ゆー・えー・いー)は、西アジア・中東の国。アラビア半島のペルシャ湾(アラビア語圏ではアラビア湾と呼ぶ)に面した地域に位置し、7つの首長国からなる連邦国家である。首都はアブダビ。
 ドバイは、亜熱帯気候で、夏冬の二季。夏季には、気温が50℃を超えることもあり、雨がまったく降らないにもかかわらずしばしば100%の湿度を観測する。
 
 逆に、11月から3月までの冬季にはしばしば肌寒くもなる。また、冬季は砂嵐が発生することもあるという。しかし冬季の平均気温は20度前後で非常にすごしやすく、観光業においてはハイシーズンとなっている。

黄金の帯の流るる冬景色

Winter scenery, golden light belts flowing.

おうごんの おびのながるる ふゆげしき

▲ バージュ・ハリファ(ブルジュ・ハリーファ)は、ドバイのダウンタウン・ブルジュ・ハリファ地区に建設された世界一高い超高層ビル。全高(尖塔高)828.0m、軒高(ビル本体の屋根の地上高)636.0m、160階建て。バージュ(ブルジュ)はアラビア語で「塔」「タワー」を意味し、「ハリファ塔」「ハリファ・タワー」という意味。

冬海を泳ぐアラブのビーチかな

Arabian beach, swimming in a winter sea.

ふゆうみを およぐあらぶの びーちかな

▲ シャールジャ首長国は、2,590km2の面積を有し、島嶼部を除く連邦全体の3.3%相当する。人口は80万人を越え(2008年)、シャールジャ市はドバイからは15kmと近く、最近ではドバイのベッドタウンとして発展している。
▼  ドバイのデザート・サファリは、日没前後のドバイ砂漠を4WD(云わずと知れたトヨタのランクルことランドクルーザー)で駆け巡り(デューン(砂丘)ドライブ)、駱駝の背中でアラビアンナイトの世界に浸り(キャメル・ライディング)、砂漠のキャンプでバーベキュー・ディナーとベリーダンス・ショーを楽しむツアーである。各ツアーの中でも人気が高く、エキサイティング、かつ、エキゾチックなツアーである。

駱駝乗ドバイ砂漠の冬日落つ

Camel riding,
winter sunset at Dubai Desert.

らくだのり どばいさばくの ふゆびおつ

「ドバイ感動の旅」
 
 
2012.02.09-14 撮影・原作:原田とおる 監修:和田義男

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ドバイの夜景1/バージュ・ハリファ展望階

ドバイの夜景1/バージュ・ハリファ展望階(124F)

ドバイの夜景1/バージュ・ハリファ展望階(124F)

拡大写真(2400x1500)803KB

シャールジャ西海岸 2012.02.11 18:16

シャールジャ西海岸 2012.02.11 18:16

拡大写真(2800x1900)790KB

デザート・サファリ/拾弐 「駱駝乗り」

デザート・サファリ/拾弐 「駱駝乗り」

拡大写真(2400x1650)504KB


 
 




























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2012年8月11日(土)

 平成24年(2012)7月16日(月)海の日、愛知県名古屋市に鎮座する那古野(なごや)神社(宮地俊彦宮司)で例大祭(天王祭)が開催された。
  名古屋城天守閣の南方約1.2kmの名古屋市中区丸の内に鎮座する那古野(なごや)神社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911)に那古野庄(なごのしょう)(名古屋城三の丸付近)に創建され、平成23年(2011)に御鎮座1100年祭を祝った。津島牛頭天王社(つしま・ごずてんのうしゃ 現在の津島神社)を総本社とする天王社の一つで、当初は亀尾天王社(かめのお・てんのうしゃ)と呼ばれていた。
 明治維新の際、須佐之男神社(すさのおじんじゃ)と改称し、明治9年(1876)名古屋鎮台が城内に置かれたため、東照宮と共に旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座し、明治32年(1899)に那古野神社と改称した。先の大戦中には空襲により社殿が全焼。昭和29年(1954)から復興にとりかかり、昭和34年(1959)に現在の社殿が完成した。

赤褌を締めて那古野の神輿舁

Mikoshi carriers,
wearing red fundoshi loincloth.

あかふんを しめてなごやの みこしかき

 かつては旧暦の6月15・16日が祭礼日(現在は新暦7月15・16日)で、江戸時代には「三之丸天王祭」と呼ばれ、東照宮祭、若宮祭と共に名古屋三大祭のひとつとして、二輛の車楽(だんじり)と多くの見舞車が巡行して大いに賑わったという。
 例大祭(天王祭)に神輿(みこし)が参加するようになったのは、明治25年(1892)からで、当時は大神輿2トン(1基60人)、中神輿(ちゅうみこし)1.5トン(2基各50人)の3基の宮神輿があった。乱暴に練り歩いたため、暴れ神輿と呼ばれ、名を馳せていたという。

緑陰の赤褌神輿白扇子

A white folding fan, the portable shrine of
red loincloth in the shade of green trees.

りょくいんの あかふんみこし しろせんす

 那古野神社から若宮八幡社へ渡御するのは、昔は名古屋城の中で一緒にあったものが、現在位置に離れ離れになったため、渡御が行われることになった。
 先の戦災で焼けたため、現在の大神輿1.5トン(90人)は昭和33年(1958)に建造され、社殿の復興と共に神輿渡御が再開された。中神輿0.8トン(40人)は、そのとき総本社の津島神社(愛知県津島市)から移管したもので、現在、大中2基の宮神輿により御旅所の若宮八幡社まで片道約2kmの道を日帰りで渡御と還御を行っている。

赤褌の天王祭や神輿差

Tenno-sai Festival of red loincloth,
raising the portable shrine.

あかふんの てんのうさいや みこしさし

 大中2基の宮神輿は、寄棟造の江戸型神輿と違って、いづれも神明造(しんめいづくり)の神殿(本殿)を模した神明造神輿で、神紋の金の木瓜紋(ぼけもん)が描かれた赤い布で覆われている。
 斎館の控室で祭装束に着替えて出て来た担ぎ手たちは、全員赤褌(あかふん)を締めている。祭事の衣装は白が原則なので、宮地宮司に尋ねたところ、赤い褌は、魔除(まよけ)の意味で締めているとのこと。

御旅所の赤褌神輿高々と

The portable shrine of red loincloth,

raising high at destination.

おたびしょの あかふんみこし たかだかと

 那古野神輿にも赤い布や綱が使われているのも同じ趣旨である。極めて珍しい祭装束なので、この作品の題名ともなっている赤褌神輿(あかふんみこし)と呼ぶことにした。なお、担ぎ手たちが羽織る帯無し法被の茶色は、舁手(かきて)であることを識別するためのもので、特別ないわれはないという。
 赤褌に那古野神社祭礼奉仕会の青法被を着ているのは、神輿の指揮に当たる役員たちで、実質的に采配するのは二番永田組である。

夏祭ビルの谷間の赤ふどし

Summer festival, red loincloth
in the valley between tall buildings.

なつまつり びるのたにまの あかふどし

 大都市の空洞化現象は東京だけでなく名古屋も例外ではなく、宮地俊彦宮司によると、地元の氏子だけでは神輿があがらず、部外者の力を借りているという。
  部外から参加する場合は、準備の都合上事前予約制となっている。担ぎ手の参加料は無料で、拝殿右隣りの斎館ロビーの受付係で名簿確認を受けると、茶法被・赤褌・鉢巻・白地下足袋・団扇が入ったビニール袋が手渡される。更衣室は斎館の奥にある。
  ビニール袋をもらったあと、ガーゼに朱印を押した参加章を手首に巻いてくれる。これはもぐりで参加する人がいるためで、保安管理上必要なことであろう。祭が終わったあと、参加章と引き替えに絵馬がもらえる。

赤褌に団扇さしたる氏子かな

The shrine parishioner,
holding a round fan in his red loincloth.

あかふんに うちわさしたる うじこかな

▲ 「赤褌に団扇さしたる氏子かな 北舟」は、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村(よさぶそん)(1716-1784)が詠んだ「褌に団(うちは)さしたる亭主かな」(落日菴句集)を踏まえての褌句(ふんどしく)

那古野神社「赤褌神輿」
 
 
2012.7.16 撮影・原作:宮嶋茂  監修:和田義男

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ビルの谷間の赤褌神輿/桜通本町交差点
外来参加者たちの記念撮影 12:36

外来参加者たちの記念撮影 12:36

拡大写真(2400X1870)1.06MB

大神輿を担いでいざ出発! 13:45

大神輿を担いでいざ出発! 13:45

拡大写真(2400X1800)1.13MB

神輿を差して一周する大神輿/壱(桜通本町交差点)

神輿を差して一周する大神輿/壱(桜通本町交差点)

拡大写真(2400X1800)923KB

中神輿のアブセ 15:12

中神輿のアブセ 15:12

拡大写真(2400X1800)1.04MB

ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) 16:51

ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) 16:51

拡大写真(2400X1800)769KB

直会での交歓/壱(那古野神社) 17:39

直会での交歓/壱(那古野神社) 17:39

拡大写真(2000X1800)906KB


 
 



























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2012年7月31日(火)

 平成24年(2012)7月22日(第4日曜日)、埼玉県秩父市荒川白久(あらかわ・しろく)に鎮座する猪鼻熊野神社(いのはな・くまの・じんじゃ)で、「猪鼻の甘酒こぼし」(埼玉県無形民俗文化財)が開かれたので、昨年に引き続き、甘酒こぼし保存会の後援を受けて密着取材した。
  天平8年(736)以来今日まで約1300年にわたって「甘酒こぼし」を継承してきた奥秩父の猪鼻地区では、過疎化・高齢化が進み、かつて70軒あった村落が39軒にまで減少し、もはや地元の勢力だけでは祭の催行が難しくなっている。
 伝統文化の絶滅危惧種とでもいうべき「甘酒こぼし」に加勢するため、Wa☆Daフォトギャラリーに 募集広告 を掲載して全国から参加者を募ったところ、北海道、栃木、埼玉、東京、神奈川から13人の有志が集まり、今回初めて和田グループとして参加した。

神庭に集う村人夏祭

The summer festival, villagers gathering
at the garden of deities of Shinto.

かむにわに つどうむらびと なつまつり

▼ 午前10時43分、緑さす光のなか、猪鼻区公会堂で直会(なおらい)が始まった。浅香会長によると、今年は弁当を80個注文したそうで、地元39戸を超える外来者が集まったため、テーブルは4列となり、大盛況だった。
直会は、氏子総代の高野(たかの)勝美責任役員の司会で行われた。
  
 最初に挨拶した祭の現場指揮者・黒澤勝孝猪鼻区長は、去年で区長二年を務め、後任にバトンタッチする予定と聞いていたが、適任と云うことで続投となり、今年で三年目となった。来年は引き継ぎたいとのこと。

万緑の中や直会始まりぬ

Surrounded by evergreen,
the feast of village festival begins.

ばんりょくの なかやなおらい はじまりぬ

▼ 午後1時丁度に甘酒こぼしの開始を告げる花火が打ち上げられ、拍子木の木が入って大樽が持ち上げられた。
  「甘酒こぼし」を差配する高野樹(たかのたてる)拍子木の先導で、甘酒樽が神庭(かむにわ)の中心に設けられた神籬(ひもろぎ)まで運ばれその中央に据えられた。
 午後1時丁度にドドンと轟音を発して打ち上げられた花火を合図に、黒澤区長扮する天狗(猿田彦)を先頭に、神職はじめ鉾持、旗持などの役員や随員が拝殿前を出発し、甘酒神事が執り行われる神籬の神庭に下りた。

甘酒を運ぶ村人白ふどし

Villagers of white loincloth,
carrying sweet alcoholic amazake.

あまざけを はこぶむらびと しろふどし

▼ 天狗の行列は、酒樽の北側に位置し、井上宮司を中心に二列横隊に整列した。裸たちは、酒樽の南側で拍子木を中心に四列横隊に整列し、甘酒神事が始まった。

神籬に酒樽ひとつ夏祭

Summer festival,
a sake barrel at the primitive shrine.

ひもろぎに さかだるひとつ なつまつり

▼ 甘酒神事が終わり、神職一行が退場すると、裸たちの人海戦術により、水槽の山清水が酒樽に入れられ、ほぼ一杯になった頃合いを見計らって、加藤四郎さんが大柄杓(おおびしゃく)で最初の一投を披露し、それを合図に甘酒こぼしの本番が始まった。

翠巒の甘酒こぼし白ふどし

Green mountain, white loincloth
of amazake scattering festival.

すいらんの あまざけこぼし しろふどし

▼ お互いに甘酒を掛け合うこと約8分。拍子木が打ち鳴らされると酒樽がひっくり返され、樽転がしが始まった。
 髪を二箇所で束ねた男は、去年同様、撮影中のカメラマンめがけて水を浴びせ掛ける悪意を持っており、もろに水を被ってしまった。直会での私の挨拶で、カメラマンには水を掛けないようお願いしていたのだが、酒に酔うと、酔狂をしたくなるものらしい。

緑さす樽転がしや濡ふどし

Surrounded by green trees,
wet loincloth of cask-rolling.

みどりさす たるころがしや ぬれふどし

▼ 酒樽を操る裸たちは、拍子木の指示に従わないで、神庭(かむにわ)を何度か行ったり来たりしたあと、空(から)の酒樽は抱え上げられて水槽に運ばれ樽転がしは5分で終了した。
 水槽に投げ込まれた大樽は洗浄された後揚収され、拍子木の木が入って甘酒こぼしが終わった。花火が上がってからわずか28分しか経過しておらず、短い夏のページェントだった。
 裸たちは、樽を洗い終わった後、熊野神社前に集合し、鉢巻を外して参拝し、鈴木宮司からお祓いを受けた。
 最後に裸たちがもう一働きする作業が残っていた。彼らは参道の石段を下り、幟の周りに集まって一対の大幟の撤収作業を行った。
 大幟2本の撤収作業が終わり、予定行事は全て完了したので、裸たちは三々五々熊野神社に引き返し、水槽に入って汗や汚れを落とした。 祭り最後の禊は、絶え間なく流れる清水が心地よく、ほてった身体を癒してくれた。

山青葉ふんどし衆の水に入る

Mountains of green leaves, naked
guys of loincloth bathing in water.

やまあおば ふんどししゅうの みずにいる

「猪鼻の甘酒こぼし'12」
 
 
2012.7.22 撮影・制作:和田義男

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佳境に入った甘酒こぼし
「甘酒こぼし」が行われる広い境内 09:42

「甘酒こぼし」が行われる広い境内 09:42

パノラマ写真(3000X1600)1.44MB

甘酒こぼし保存会・浅香文男会長の挨拶と乾杯 11:11

甘酒こぼし保存会・浅香文男会長の挨拶と乾杯 11:11

拡大写真(2400X1800)763KB

甘酒樽を

神籬ひもろぎ

まで運ぶ

甘酒樽を神籬まで運ぶ

拡大写真(2600X1700)980KB

甘酒神事の開始 13:03

甘酒神事の開始 13:03

パノラマ写真(3000X1950)1.21MB

甘酒こぼし/七

甘酒こぼし/七

拡大写真(2600X1800)1.26MB

甘酒こぼし/三十一 13:25

甘酒こぼし/三十一 13:25

拡大写真(3000X2300)1.78MB

甘酒醸造樽の洗浄 13:42

甘酒醸造樽の洗浄 13:42

拡大写真(2400X1800)819KB


 
 


















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2012年7月21日(土)

 フランスの地方めぐりの旅は2回目になるが、今回のツアー(「個性豊かな歴史と文化を知るフランス周遊の旅」14日間 2011/9/27〜10/10)では、ニースからモンサン・ミッシェルまでバスで縦断するもので、ツアーの売りは「フランスの魅力は田舎にこそあり 宿泊地と行程にこだわり 印象深く巡ります」というものだった。
 私達の最大の楽しみは、朝夕の散策と撮影にあるが、決め手はカルカソンヌが城壁内での宿泊であること、そして一度は行きたいと思っていたモンサン・ミッシェルでは島内の宿泊ということに魅力を感じて参加を決めた。

赤屋根のニースの浜辺秋日和

Fine autumn day,
red roofs along the beach of Nice.

あかやねの にーすのはまべ あきびより

▲ 人口35万を擁するニース(Nice)は、フランスの南東部に位置する都市で、地中海・コート・ダジュールに面する世界的に有名な保養地であり観光都市である。
 ニースは地中海性気候で、一年を通じて安定している。夏はよく晴れ乾燥しており、まとまった雨が降るのは月に1、2回程度。また、最低気温も20度程度、昼間は24度くらいまで気温が上昇する程度なので、欧州各地、とりわけ夏でも涼しく霧がちなイギリスやフランス北部などから夏のバカンスに訪れる人が多く、ビーチは遊泳や日光浴を楽しむ人々で込み合う。冬も比較的温暖で気候が安定していることから、旅行者は1年中絶えないという。

城壁の空に輝く夜長かな

The long autumn night,
the castle wall shinning in the sky.

じょうへきの そらにかがやく よながかな

人口4.4万人を擁するカルカソンヌ Carcasson
neは、フランス南部の都市で、オード県の県庁所在地である。古代ローマ時代、要塞都市が建設されたことで知られる。
 古代ローマ時代から発達した城塞都市であるシテ cite とオード川をはさんだ向かいに展開した下街 ヴィレ・バッセ ville basse との二つの地域からなる。シテを覆う城塞は、19世紀に建築家ウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクにより修復され、シテは「歴史的城塞都市カルカソンヌ」の名で1997年にユネスコの世界遺産に登録された。

尖塔の林の如き秋の空

Autumn sky, steeples like a forest.

せんとうの はやしのごとき あきのそら

▲ レオナルド・ダ・ヴィンチが設計に関与したことで知られるシャンボール城 Chateau de Chambord は、ロワール渓谷のシャンボールにある古城で、ロワール地方に点在する城のうち、最大の広さを持つ。16世紀のはじめにフランス王フランソワ I 世のために建てられた。
 
  シャンボール城は中央の本丸と4つの巨大な塔から成る。本丸は大きな塔2基と共に、大きな前壁を形作る。更に大きな塔2基の土台が後部にあるが、それ以上建設が進められることもなく、壁と同じ高さのままである。 城には部屋が440、暖炉が365、階段が74ある。ヴォールト建築の直線の廊下が4本、交差して十字を形作っている。

新涼の海の僧院山のごと

Autumn coming at sea,
the monastic architecture like a mountain.

しんりょうの うみのそういん やまのごと

▲ モン・サン・ミシェル Mont Saint-Michel は、フランス・ノルマンディの西海岸、サン・マロ湾上に浮かぶ小島に築かれた修道院である。「聖ミカエルの山」の意で、旧約聖書にその名が記される大天使・ミカエルのフランス語読みに由来する。

秋兆すモンマルトルの散歩道

Autumn coming
to the walkway of Montmartre.

あききざす もんまるとるの  さんぽみち

▲ モンマルトル Montmartre は、パリで一番高い丘。セーヌ川右岸18区にあり、パリ有数の観光名所である。サクレ・クール聖堂、テルトル広場、キャバレー「ムーラン・ルージュ」、モンマルトル墓地などがある。

「フランス秋の旅」
 
 
2011.0.27-10.10 撮影・原作:南光優 監修:和田義男

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有名な保養地ニースの景観/山手展望台 13:33

有名な保養地ニースの景観/山手展望台

有名な保養地ニースの景観/山手展望台 13:33

拡大写真(2400x1600)842KB

夜空に浮き上がるシテ・コンタル城/カルカソンヌ

夜空に浮き上がるシテ・コンタル城/カルカソンヌ 22:33

拡大写真(2400x1600)423KB

レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したシャンボール城

レオナルド・ダ・ヴィンチが設計したシャンボール城/ロワール地方 14:40

拡大写真(2400x1600)402KB

砂上の楼閣モン・サン・ミッシェル/ノルマンディ地方

砂上の楼閣モン・サン・ミッシェル/ノルマンディ地方 15:55

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モンマルトルの秋

モンマルトルの秋 11:18

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2012年7月13日(金)

 平成24年(2012)6月24日(日)、千葉県長生郡(ちょうせいぐん)一宮町(いちのみやまち)に鎮座する上総国(かずさのくに)一ノ宮(いちのみや)「玉前(たまさき)神社」の夏越の禊(なごしのみそぎ)(6回目の浜垢離はまごり)が九十九里浜釣ヶ崎(つりがさき)海岸(玉之浦たまのうら)で行われた。
 本件は、平成22年(2010)6月27日(日)に初めて釣ヶ埼海岸で行われた夏越の禊に続く3回目の夏の禊で、事前に当サイトに 第3回玉崎神社釣ヶ埼海岸禊のご案内 を掲載し、参加を呼びかけた結果、15人が和田グループに参加し、うち14人をはじめ総勢38人(女性2人 子供1人)が海の禊・浜垢離を行った。
 
 北海道、栃木、茨城、埼玉、東京、神奈川、愛知、大阪と全国から参集した和田グループ参加者には、現地で参加者名簿と過去5回の浜垢離禊を記録したWa☆Daフォトギャラリー特製のスライドショーCD 「玉前神社浜垢離」を進呈した。

海の気を吸ふや夏越の白ふどし

Breathing ocean air,
wearing white loincloth
for summer purification ceremony.

うみのきを すうやなごしの しろふどし

 禊行者たちは、たっぷりと鳥船でウォーミングアップしたあと、鳥居をくぐり、褌ランニングのあと海に入り、禊をした。長雨の梅雨空が続いているが、この日は雨が上がり、多少の風があるものの、コンディションは申し分なかった。

神庭の夏越の海や褌の白

White are the loincloths, summer
 purification at the sea of deity's garden.

かむにわの なごしのうみや こんのしろ

  禊には、正月でなくとも新品の褌がよく似合う。よれよれの褌を見ると、その人の精神状態を疑う。ベテランの証明だと受け取ることもできるが、滝行のような連日の水行ならともかく、年に1〜2回の節目の禊には、古褌は似合わない。
  今回、はじめて海岸保全用の堤防から撮影した。本来はこのような防砂堤がない方が自然だが、ダムができて川から砂が流れて来なくなり、豊かな砂浜が痩せてゆく現状では仕方ない。
 
 こうして見ると、九十九里浜が素晴らしい遠浅の砂浜であることがよく分かる。そのなかで人間は芥子粒(けしつぶ)のように小さい存在で、自然の力には無力であることを思い知る。

石鳥居夏越の浜のふどし衆

Stone torii gate, guys of loincloth at the
beach of summer purification ceremony.

いしどりい なごしのはまの ふどししゅう

  毎回、同じ日程の禊ではあるが、その都度改善点があり、充実した祭礼として着実に歴史が積み重なって行くことに喜びを禁じ得ない。百年を超える長い歴史を有する祭礼は全国に多々みられるが、先人の知恵と努力の結晶であることを改めて痛感する。
 
 今回は、和田グループ参加者15人(初心者5人)、禊を行った人38人と、ピーク時と比べてかなり減ってしまった。理由は種々あるが、行事が重なって参加できなかったり、体調を崩した人もいる。しかし、何度来ても新たな感動を体感できる行事でないと、参加する意欲が薄れてゆくことは間違いのないことである。

神庭の夏越禊や玉の串

 A branch of the sacred tree, after
summer purification at deity's sea garden.

かむにわの なごしみそぎや たまのくし

 今後の改善点は、地元の氏子たちの参加が待たれることである。全国から集まる人たちは、禊自体に大きな価値を置いているが、地元民との交流も大きな要素となっている。「あの人とまた会いたい、話を聞きたい」というインセンティヴも大きい。今後、ハード面の整備だけでなく、ソフト面の充実も切に期待したい。

「玉前神社夏越禊'12」
 
 
2012.06.24 撮影・制作:和田義男

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夏越禊の終了 11:16
海の気をたっぷりと吸い込む

氣吹いぶき

 11:04

海の気をたっぷりと吸い込む氣吹 11:04

拡大写真(2400X1800)662KB

栗原宮司の和歌 2/2

栗原宮司の和歌 2/2

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石鳥居の前で記念撮影 11:34

石鳥居の前で記念撮影 11:34

拡大写真(2600x1750)544KB
松本高明・行者代表の玉串奉奠 12:48

松本高明・行者代表の玉串奉奠 12:48

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2012年6月16日(土)

  かつて江戸の祭は「神輿深川、山車神田、だだっ広いが山王様」といわれたように、江戸三大祭といえば、深川祭・神田祭・山王祭と云われていたが、現代の大江戸で町神輿100基と宮神輿3基が渡御する三社祭(さんじゃまつり)は、規模と人気において、神田祭と深川祭と共に江戸三大祭のひとつに数えられる。
 三社祭は、これまで平成15年(2003)、16年(2004)、18年(2006)に発表した3本の作品があるが、このたび、西浅草三丁目北部町会(西浅三北町会にしあささんきたちょうかい / 若睦わかむつみ)の氏子で感動写真集同人の志村清貴が平成19年(2007)から平成24年(2012)までに撮影したものを「江戸の華!三社祭」と題する写真集として発表することにした。

浅草寺子らも差しをり豆神輿

Sensouji Temple, children
also raising a small portable shrine.

せんそうじ こらもさしおり まめみこし

 歴史・民俗学者の西山松之助(にしやま・まつのすけ)は、平成5年(1993)に出版した講演録「江戸庶民の四季」(岩波セミナーブックス)の中で、「私はいま日本中のお祭の中で、三社祭がいちばん江戸時代の伝統をよく伝えているのではないかと思います。・・・」と述べている(130頁)。
  「・・・午前八時になりますと御幣(おんぺい)が一宮、二宮、三宮に渡されまして、それから神輿を担ぎ出すのです。しかし、体中、刺青(いれずみ)した若衆たちが褌一つで神輿の上に上ってしまうのでスムーズには行かない。ああいう風景はどこにも見られません。三社祭だけです。」(131頁)と述べ、まさに西浅三北神輿があるが故に、三社祭が日本中の祭の中で最も江戸時代の伝統を伝えている祭であると、江戸学の第一人者として知られる歴史・民俗学者が高く評価している。

三北の入墨褌神輿差し

Sankita of tattoo and fundoshi loincloth,

 raising a portable shrine.

さんきたの いれずみふんどし みこしさし

 今回、西山松之助が「ああいう風景はどこにも見られません。」と断言した西浅三北神輿にスポットライトを当て、2006年に発表した「江戸っ子!三社祭」に引き続き、志村清貴さんが2007年から2012年までに取り溜めた3,000枚12.8GBの大量の写真の中から厳選した写真集「江戸の華!三社祭」を世に出すことができた。
  これまで、暴力団が参加しているとしてマスコミが無視し続けてきた西浅三北神輿のありのままの姿をお伝えするこの作品は、確かに問題作といえるが、今一度、祭のあり方を考えて頂くきっかけとなれば、幸甚である。

宝前の法被で決める神輿練り

  Wearing a cool happi coat,

carrying mikoshi shrines in front of gods.

ほうぜんの はっぴできめる みこしねり

 これまで、100回を超える裸祭の取材を通じて分かったことは、数の多寡はあれ、殆どの祭に暴力団関係者が参加している。祭を主催する社寺の宮司や住職らの考え方は、神仏の前では、社会的身分や職業、貧富の差などに関わりなく、全て平等であるということで一貫しているが、その一方で、警察の推進する暴力追放運動に協力する立場にある。

江戸っ子の神輿褌三社祭

Sanja Festival, the portable shrine

by Edokko of fundoshi loincloth.

えどっこの みこしふんどし さんじゃさい

 私も宮司らの考え方に賛成であり暴力で祭を妨害したり支配したりするなどの狼藉を働かない限り、暴力団関係者を祭から排除すべき根拠は存在しない。志村さんは、「人それぞれに境遇の違いがあっても、同じ町会に暮らす氏子たちが、今年も無事に三社祭に参加できたことを神に感謝し、同じ神輿を心おきなく担いでその喜びを分かち合いたい。」と願っておられ、このささやかな願いは、誰憚ることもない。

浅草に手締響くや神輿舁

Mikoshi carrying,
hand clapping sounding through Asakusa.

あさくさに てじめひびくや みこしかき

 志村さんによると、西浅三北町会代表の下に編成された若睦(わかむつみ)が神輿舁を担当しており、グレーの役半纏を着ている会長が総指揮者である。白半纏が一般の氏子住民、黒半纏が高橋組関係者で、一方だけでは神輿は揚がらず、車の両輪のように協力して神輿を担ぐという。若睦会長の命令には黒半纏も白半纏も絶対服従で、双方は仲良く祭を楽しんでいるという。

浅草の白黒神輿三之宮

  Sannomiya God,

white and black mikoshi of Asakusa.

あさくさの しろくろみこし さんのみや

あとがき(志村清貴)

 今回、撮りためていた写真の中から、名作集として発表していただきとても嬉しいです。「事実をありのままに伝える」とおっしゃる和田さんの言葉に心を動かされ、2007年〜2012年に撮り続けた写真をお送りすることになりました。 
 私は、三社祭が心底好きです。浅草の町が祭り一色に染まり、朝から晩まで祭囃子が聞こえる・・・まるで町が生きているように感じる。知らない人でも思わず挨拶を交わしてしまう。下町ならではだと思います。そんな中で、祭りの風景を少しずつ切り取ってきました。賛否両論がある中で、私にとって西浅三北の風景はとても魅力的です。言葉では言い表せません。

浅草の船渡神輿や七百年

Seven hundredth anniversary, portable

shrines of Asakusa cruising on a boat.

あさくさの ふなとみこしや ななひゃくねん

 今年の西浅三北の本社神輿の渡御は、今までになく穏やか?でした。それでも、担ぎ手パワーは全開、2年ぶりの神輿渡御のせいもあるのか、いつもながらに神輿は右に左に蛇行し、言問通りを人の波で埋めつくしていきます。今まで当たり前だった、大勢の機動隊員や、指揮車のお出ましがありませんでした。わたしも、言問通りに出たところで神輿に入り、それから撮影に入りました。いつもながらの光景に興奮が冷めやりませんでした。

「江戸の華!三社祭」
 
 
2007.05-2012.05 撮影・原作:志村清貴 監修:和田義男

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西浅三北神輿の晴れ舞台/参 (浅草寺観音堂前) 5.19 14:23
子供神輿の晴れ舞台/浅草寺観音堂前 5.19 14:16

子供神輿の晴れ舞台/浅草寺観音堂前 5.19 14:16

拡大写真(2000X1500)647KB

西浅三北神輿の晴れ舞台 (浅草寺観音堂前)

西浅三北神輿の晴れ舞台/参 (浅草寺観音堂前) 5.19 14:23

拡大写真(2200X1650)622KB

二之宮と三之宮の神輿練り/浅草神社前  5.20 07:31

二之宮と三之宮の神輿練り/浅草神社前  5.20 07:31

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西浅三北の裸褌神輿 5.20 15:48

西浅三北の裸褌神輿/五 5.20 15:48

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三北神輿の町内渡御  5.17 15:49

三北神輿の町内渡御/壱  5.17 15:49

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宮神輿の町内渡御 5.20 12:17

宮神輿の町内渡御 5.20 12:17

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700年祭船渡御 3.18 15:12

700年祭船渡御 3.18 15:12

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2012年6月6日(水)

 平成24年(2012)4月13日(金)〜24日(火)の12日間、家内と共にクラブツーリズム主催の「プレミアムステージ / 歴史と旅するスペイン ゴールデンルート12日間」の旅(13名)に参加した。「スペイン早春の旅・下」は、実質10日間の旅のうち、 後半のグラナダ到着から翌日のグラナダ観光〜ミハス〜クエンカ〜バレンシア〜バルセロナまでの5日間の記録である。
▼ ナスル朝時代の1238年に着工し、1391年に完成したアルハンブラ宮殿 (総面積約1,400m2)は、スペインのアンダルシア州グラナダ県グラナダ市南東の丘の上に位置する。馬の背のような丘は、頂上部が長さ740m、幅205mにわたって平坦になっており、夏は特に暑いといわれるグラナダの中で、とても涼しい場所に位置している。

春あしたアルハンブラの赤き城

Spring morning,
the red castle of Alhambra.

はるあした あるはんぶらの あかきしろ

▼ アンダルシアの名物・白い家で有名なミハスは、地中海を見晴らす山の中腹にある。ここは、ミハス・プエブロ(ミハス村)と呼ばれ、海沿いのミハス・コスタ(ミハス海岸)と区別される。
 闘牛場の北側に広がるミハスの庶民たちが暮らす密集した白い家並みが美しい。パンフレットには書かれていないが、私には闘牛場から見るミハスの街並みこそが絶景だと思われた。

白壁の真白きミハス春盛る

The height of spring,
the pure white of white walls of Mijas.

しらかべの ましろきみはす はるさかる

▼ フラメンコは、スペイン南部のアンダルシア地方に伝わる民俗舞踊で、歌、踊り、ギターの伴奏が主体となっている。フラメンコの歴史と発展にはヒターノと呼ばれるスペインジプシーが重要な役割を果たしている。
  フラメンコは、日本を含め世界中にファンが多く、華やかなショーが見られるようになったが、元来は社会の底辺で暮らすヒターノたちの慰めとして広まったものである。この日は、原初の面影を残す洞窟フラメンコを観賞することができた。

春の夜半洞の賑わひフラメンコ

Midnight spring,
the cave in a festive mood with flamenco.

はるのよわ ほらのにぎわい ふらめんこ

▼ スペインの首都マドリッドの南に広がる赤茶けた大地ラ・マンチャは、アラビア語の 〈 乾いた土地 Manxa 〉に由来するという。この広大な平原に白壁の村落が点在し、ラ・マンチャ特有の風車が立つ。
  この地を背景に描かれたセルバンテスのドン・キホーテは、当時ヨーロッパで流行していた騎士道物語を読み過ぎて妄想に陥った下級貴族の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれて遍歴の旅に出かける物語である。

ラ・マンチャの白き風車や春の空

The sky of spring,
the white windmills of La Mancha.

らまんちゃの しろきふうしゃや はるのそら

▼ フカール川とウエカル川が大地を浸蝕してできた巨大な断崖の上に立つ城塞都市クエンカは、中世においてはいかなる敵の侵入をも許さない防御力を有していた。背後の山々にも奇岩が連なり、その不思議な景観から「魔法にかけられた町」と呼ばれていた。
 クエンカの旧市街の中心地であるマヨール広場を守るように、その北側に城門があり、その上が市庁舎となっている。この門が閉められれば、敵はこれ以上奥に進むことができない。キリスト教徒たちは、以前にも増して難攻不落のクエンカを造り上げた。

クエンカの翡翠の川や芽吹き初む

Trees budding,
the jade green river of Cuenca.

くえんかの ひすいのかわや めぶきそむ

▼ タラゴナは、カタルーニャ州タラゴナ県の県都でタラゴネス地区の中心自治体で、レウスなど近郊の都市を含めた人口は約34万人。地中海に面した港湾都市で、物流の要所である。
  古代ローマ時代に築かれ、今でも水道橋や円形競技場などの遺跡が残り、世界遺産に登録されている。遺跡のあるお陰で、世界中の観光客がやってくる。

タラゴナのローマ遺跡や春の海

Spring sea,
the ruins of ancient Rome at Tarragona.

たらごなの ろーまいせきや はるのうみ

▼ サグラダ・ファミリアは、聖家族贖罪教会という正式名称を持つバルセロナにあるカトリック教会である。司教座を持つ大聖堂ではない。日本では単にサグラダ・ファミリアと呼ばれることが多い。
  サグラダ・ファミリアは、カタルーニャ・モダニズムの最も良く知られた作品例であり、今やバルセロナのシンボルとなっている。カタルーニャの建築家アントニ・ガウディの未完作品で、現在も故人の遺志を受け継いで建設が続けられている。
 綿密に構成された象徴詩的なシンボロジーと共に、パラボリックな(放物線状の)構造のアーチや鐘楼に据えられた自然主義と抽象主義の混在する彫刻などは前例がなく、大胆な建築様式を誇っている。

ガウディの今も伸びゆく春の空

the Gaudi's growing
to the spring sky even now.

がうでぃの いまものびゆく はるのそら

▼ アントニ・ガウディの作品群の1つであるグエル公園は、スペインのバルセロナの山手にある公園で、バルセロナの街が一望できる。1984年にユネスコの世界遺産に登録された。施主のエウゼビ・グエイ伯爵(スペイン語読みではグエル)とアントニ・ガウディの夢が作り上げた分譲住宅で、1900年から1914年の間に建造された。
  彼らが最も傾注していた芸術は、リヒャルト・ワーグナーの「楽劇」で、ガウディは同じ芸術センスを持つグエル伯爵の下で、自然と調和を目指した総合芸術を作り上げようとした。
  この頃、バルセロナでは工業化が急速に進んでおり、それに対してガウディとグエルは、この場所に人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる新しい住宅地を作ろうとした。

ガウディのモザイクトカゲ春の水

Spring water, the mosaic lizard of Gaudi.

がうでぃの もざいくとかげ はるのみず

しかし、二人の進みすぎた発想と自然の中で暮らす価値観は、当時、誰からも理解されず、広場や道路などのインフラが整備されたあと、住宅60軒の建設が計画されていたが、買い手がつかず、結局売れたのは2軒で、買い手はガウディ本人とグエル伯爵だけだったという。

「スペイン早春の旅・下」
 
 
2012.04.17-24 撮影:制作:和田義男

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池に映ったガウディの傑作「サグラダ・ファミリア大聖堂」 2012.04.22 08:55
褐色のアルハンブラ宮殿/グラナダ

褐色のアルハンブラ宮殿/グラナダ

拡大写真(2400X1340)605KB

白い町ミハスの絶景 / ミハス闘牛場
白い町ミハスの絶景 / ミハス闘牛場

拡大写真(3000X1500)1.13MB

拍手喝采!/グラナダの洞窟フラメンコ 23:10
拍手喝采!/グラナダの洞窟フラメンコ 23:10

拡大写真(2400X1500)599KB

5基の白い風車小屋 / カンポ・デ・クリプターナ

5基の白い風車小屋 14:51

拡大写真(2400X1750)877KB

クエンカ旧市街を流れる早春のフカール川 09:45

クエンカ旧市街を流れる早春のフカール川 09:45

拡大写真(2600X1950)1.33MB

ローマ時代の1世紀に建てられた円形競技場の遺跡 12:25

ローマ時代の1世紀に建てられた円形競技場の遺跡 12:25

パノラマ写真(2600X1500)974KB

池に映ったガウディの傑作「サグラダ・ファミリア大聖堂」

池に映ったガウディの傑作「サグラダ・ファミリア大聖堂」 2012.04.22 08:55

拡大写真(2000X3000)985KB

一番人気のトカゲ噴水!

一番人気のトカゲ噴水!

拡大写真(2400X2000)675KB


 
 

























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2012年5月17日(水)

 平成24年(2012)4月13日(金)〜24日(火)の12日間、家内と共にクラブツーリズム主催の「プレミアムステージ / 歴史と旅するスペイン ゴールデンルート12日間」の旅(13名)に参加した。「スペイン早春の旅・上」は、実質10日間の旅のうち、前半のトレド 〜アランフェス〜アビラ〜セゴビア〜マドリッド〜コルドバ〜セビリア〜ロンダまでの5日間の記録である。
▼ 約8万人が暮らすトレドはスペイン中央部に位置するカスティーリャ=ラ・マンチャ州の州都で、人口約60万を擁するトレド県の県都である。マドリードから南に71kmの距離で、タホ川に面する。
 かつてのスペイン(西ゴート王国)の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した。町全体が博物館といわれ、三方をタホ川に囲まれた旧市街は、1985年に世文化界遺産に登録された。

おそ春やトレド城砦川向かふ

Spring coming late,
Fort Toledo is beyond the river.

おそはるや とれどじょうさい かわむこう

▼ 約5万人が暮らすアランフェス Aranjuez は、スペイン中央のマドリード州南部に位置する都市で、首都マドリッドから南に約50kmのタホ川沿いにある。
 スペイン王室の宮殿と庭園を含む風景は、2001年、「アランフェスの文化的景観」としてユネスコの世界遺産に登録された。また、ロドリーゴの楽曲「アランフェス協奏曲」でもその名を知られる。

長閑なる王宮今にアランフェス

Aranjuez, the palace is peaceful now.

のどかなる おうきゅういまに あらんふぇす

▼ 人口約6万を擁するアビラ Avila は、カスティーリャ・イ・レオン州アビラ県の県都で、マドリッドから直線距離で西北西に約87kmの位置にある。
  アビラは海抜1,117mの高さにあり、スペインの県都で最も標高が高い。荒野の中に唐突にそびえている岩山の平らな頂上に建てられている。岩山は茶色で乾燥した禿山で、大きな灰色の丸石がころがり、急峻な山地に囲まれている。

春めくや聖女の城壁ピンク色

Getting more like spring,
pink wall of the fort of holy woman.

はるめくや せいじょのじょうへき ぴんくいろ

▼人口5万5千人を擁するセゴビアは、カスティーリャ・イ・レオン州セゴビア県の県都で、マドリッドの北方、直線距離で約90kmの標高1,002mの高地に築かれた城砦都市である。
15世紀には、カスティーリャ王国の中心地として栄えた。
  カスティーリャ地方には、至る所に古城や廃墟が残っているが、セゴビアには、ディズニー映画「白雪姫」に登場する城のモデルになったアルカサルがある。また、古代ローマ人が築いた巨大な水道橋が市内を横切っており、この二つが主な観光名所となっている。

春淡きセゴビア城を仰ぎ見つ

Early spring, looking up Segovia Castle.

はるあわき せごびあじょうを あおぎみつ

▼ ラス・ベンタス闘牛場 Plaza de Toros de Las Ventas は、マドリッドにあるスペイン最大の闘牛場である。アリーナ(アレーナ arena )といわれる円形競技場で、観客収容数23,798人は、メキシコのモヌメンタル・デ・メヒコ闘牛場、ベネズエラのモヌメンタル・デ・バレンシア闘牛場に次ぐ世界第三位の規模を誇る。
  スペインの国技ともいえる闘牛のシーズンは毎年3月から10月までで、毎週日曜日と休日に行われる。5月から6月までのサン・イシドロ祭の期間中は毎日闘牛が行われる。季節によって違いがあるが闘牛は夕方5時から7時までの間が開始時間で、終了までに2〜3時間かかる。この時期は、午後6時スタートだった。

永き日や闘牛見やる日向席

A long day of spring,
looking a bullfighting taking a sunny seat.

ながきひや とうぎゅうみやる ひなたせき

▼ フィナーレを飾る第三の場面が「Tercio de Muleta(ムレータの場)」である。マタドールは、赤いフランネルのケープ(ムレータ)と真剣(エストーク Estoque )を持ち、闘牛帽(モンテラ)を脱ぐ。
 ムレータによるかわし演技から剣による刺殺までの一連の技は、通常10分以内に行われる。

闘牛の赤きケープや春動く

Dynamic spring,
the red cape of bullfiighting.

とうぎゅうの あかきけーぷや はるうごく

▼ 人口約32万を擁するコルドバは、スペイン南部、アンダルシア地方のコルドバ県の県都で、グアダルキビール川に面する。 ローマ帝国時代からの歴史が幾重にも積み重なった街で、ローマ帝国の衰退後、6世紀にはキリスト教国の支配下におかれ、8世紀になるとイスラム教徒ム−ア人が築いた後ウマイヤ朝 (756-1031) の首都となり、全盛期を迎えた。

遅き日に橋の光りてメスキータ

Mezquita,
a bridge shining in the long days of spring.

おそきひに はしのひかりて めすきーた

▼ ビゼーのオペラ「セビリアの理髪師」や「カルメン」の舞台として知られるセビリアは、スペイン南部に広がるアンダルシア州の州都でセビリア県の県都でもある。人口は70万人でスペイン第4位。セビリア都市圏の人口は130万人にのぼるスペイン南部の政治経済文化の中心地であり、観光都市である。
 15世紀後半カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は同世紀末にレコンキスタを完了させて新大陸へ進出した。
  イベリア半島西岸とグアダルキビル川で結ばれているセビリアは、コロンブスが西洋のキリスト世界の白人として最初にアメリカに到達してからアメリカとの貿易の独占港となって繁栄を誇った。16世紀から17世紀には、セビリアはスペインで最も人口の多い都市となった。

コロンブス今も春天翔ぶがごと

Columbus,
as if flying in the spring sky even now.

ころんぶす いまもしゅんてん とぶがごと

▼ 約3万5千人が暮らす標高723mの高原に横たわるロンダは、ロンダ山地を流れるグアダレビン川の浸食によって生まれた峡谷を跨ぐように広がる町である。谷に架かるヌエボ橋(新橋)は、町のシンボルで、北側の新市街と南側の旧市街とを繋ぐ架け橋となっている。

夏隣るロンダ教会白光る

Summer coming soon,
a church of Ronda shining white.

なつどなる ろんだきょうかい しろびかる

▲ ヌエボ橋の近くにある展望台から東方を見下ろせば、遙か彼方までアンダルシアの原野が続く。またロンダは近代闘牛術の創始者フランシスコ・ロメロが生まれた町として知られ今もスペイン最古といわれる由緒あるロンダ闘牛場がある。

「スペイン早春の旅・上」
 
 
2012.04.13-17 撮影:制作:和田義男

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第一試合の最終場面・マタール(Matar)の瞬間 18:22
三方をタホ川に囲まれた城砦都市トレド(スペイン)

三方をタホ川に囲まれた城砦都市トレド 10:30

パノラマ写真(4500X1850)1.99MB

アランフェス王宮の内庭(西方向)

アランフェス王宮の内庭(西方向)

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城壁に囲まれたアビラ旧市街西面

城壁に囲まれたアビラ旧市街西面 / クアトロ・ポステスからの眺望

パノラマ写真(4000X1050)821KB

白雪姫のモデルとなったアルカサル/セゴビア

白雪姫のモデルとなったアルカサル/セゴビア

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場内を一周する出演者たち/マドリッド

場内を一周する出演者たち/マドリッド

拡大写真(3000X2250)1.09MB

人と牛とが美しく舞う国技 / 第四試合アルベルト・デュラン

人と牛とが美しく舞う国技 / 第四試合アルベルト・デュラン二度目の闘牛 19:24

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ローマ橋とメスキータ/コルドバ 19:42

ローマ橋とメスキータ/コルドバ 19:42

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コロンブスのサンタマリア号/ムリーリョ公園(セビリア)

コロンブスのサンタマリア号/ムリーリョ公園(セビリア)

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アンダルシア風の美しい教会が建つソコロ広場(ロンダ)

アンダルシア風の美しい教会が建つソコロ広場(ロンダ)

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2012年7月7(土)曇 写真俳句のさきがけ 写真に俳句をつけて発表したのは、私が最初。現在、写真俳句として流行っている。作家の森村誠一が自分がはじめたのだと放言しているが、有名になると恥知らずになってしまうものなのだろうか。

 この句集をご覧頂ければ、私が何年も早くはじめていることが分かる。北舟は和田義男の俳号。北海道の稚内で単身赴任しているときに俳句をはじめ、日本最北端の舟・北舟と名乗ることにした。

東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句

東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。

東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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