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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2012年4月5日改訂

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今 日

昨 日

♪海に帰る〜水の都〜精霊

大寒の大波浴びる褌衆  北舟

 

Men of loincloth, bathing huge waves in the coldest season.

2001年7月16日制作

大波に転倒! 11:02

拡大写真(2400X1200)433KB
大波に転倒!/九十九里浜一宮海岸(千葉県長生郡一宮町 )

俳句「海の風景」第33集

 














 

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2012年4月5日(木)

 この作品は、南光ご夫妻が平成24年(2012)2月12日(日)から14日(火)まで、旅行社オフィスコンパス による2泊3日のフォトツアー「厳冬の八甲田樹氷と山麓&下北半島寒立馬と北限の猿を撮る」に参加して取材したものである。
▼ 2,500人ほどが住む脇野沢村(わきのさわむら)は、青森県下北半島の西南、陸奥湾に面していた村であったが、平成17年(2005)にむつ市に編入され、現在はむつ市脇野沢となっている。
 下北半島は、野生のニホンザル(ホンドザル)の生息北限地で、ヒト以外の霊長類の世界最北限でもあることから、昭和45年(1970)に北限のサル(ほくげんのさる)として国の天然記念物 (下北半島のサルおよびサル生息北限地)に指定された。

紅顔の下北猿や雪まみれ

Red-faced Shimokita monkeys
covered with snow.

こうがんの しもきたざるや ゆきまみれ

▼ 寒立馬(かんだちめ)の生息地として知られる人口約7千人の東通村(ひがしどおりむら)は、青森県下北半島の津軽海峡と太平洋に面した東北部に位置する。
 寒立馬は、東通村の尻屋崎周辺に放牧されており、厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬である。寒気と粗食に耐え持久力に富む農用馬として重用されてきたが、平成7年(1995)には9頭まで激減した。その後の保護政策により、現在は、40頭ほどに回復。寒立馬及びその生息地は青森県の天然記念物に指定されている。

雪野原たてがみ白き寒立馬

Snow field,
Kandatime horse with a white mane.

ゆきのはら たてがみしろき かんだちめ

▼ 八甲田山(はっこうださん)は、青森市の南方約20kmにそびえる火山群の総称で日本百名山の一つ。「八甲田山」と名がついた単独峰は存在しない。岩木山と同様、本州最北部にある火山群である。八甲田山系は八甲田大岳(はっこうだおおだけ 1,584m)を盟主として南北2群の火山から成り、その中間に湿原地帯がある。
 樹氷は霧氷の一種で、冬山などで雲や霧の過冷却水滴が樹木などに衝突し、凍結・付着した氷層をいう。一般に針状の枝に沿って発達した樹氷を霧氷と呼び、樹木全体が達磨状に発達したものを樹氷と呼んでいる。特に、樹木が完全に樹氷や雪によって覆われて巨大化したものは、「スノーモンスター」と呼ばれる。

八甲田光と影の樹氷林

Mt. Hakkoda,
frost covered trees of light and shadow.

ゆきのはら たてがみしろき かんだちめ

▼ 奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)は、青森県十和田市十和田湖畔子ノ口(ねのくち)から焼山までの約14kmの奥入瀬川の渓流である。十和田八幡平国立公園に属する。国の特別名勝及び天然記念物に指定されている。
 渓流沿いにはいくつもの滝が点在し、この道は「瀑布街道」とも呼ばれている。十和田湖への魚の遡上を阻止してきた魚止めの滝でもある「銚子大滝」をはじめとして、「阿修羅の流れ」、「雲井の滝」など多くの景勝地がある。渓流沿いには車道と共に遊歩道が整備されており、美しい新緑や紅葉の鮮やかな時期は特に観光客が多い。

奥入瀬や垂氷天使の遊ぶ城

Oirase stream,
icicle angels playing in the castle.

おいらせや たるひてんしの あそぶしろ

「冬の青森」

2012.04.04 撮撮影・原作:南光 優  監修 : 和田義男

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光と影の樹氷林

寄り添う猿 15:45

寄り添う猿 15:45

拡大写真(3000X2000)694KB

春を待つ

寒立馬かんだちめ

春を待つ寒立馬

拡大写真(2500X1667)663KB

八甲田山光と影

八甲田山光と影

拡大写真(2400X1600)255KB

奥入瀬おいらせ

凍滝いてたき

奥入瀬の凍滝

拡大写真(2400X1600)373KB


 














 

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2012年3月23日(金)

 平成24年(2012)2月11日(土)・12日(日)の両日、愛知県豊田市(とよたし)松平町(まつだいらちょう)に鎮座する松平東照宮(大河原^基宮司 84歳 TEL:0565-58-1621)で第25回天下祭(てんかさい)が開催された。
  天下祭が開かれる松平郷(まつだいらごう)は、豊田市中心部から東北東約10kmの山間部に位置し、三河国の戦国大名から江戸幕府の将軍家へと発展した松平氏・徳川氏の発祥地である。
▼ 国指定史跡の松平城址は、松平東照宮の南に位置する御城山(おしろやま)(298m)にある。室町時代の初期三河国の武将で松平(徳川)氏の始祖となった松平親氏(まつだいら ちかうじ)が応永年間(1394-1427)に築いた山城の跡である。

冬日和天下取りたる城址かな

Fine day in winter, the ruins of the castle
 once conquered the whole country.

ふゆびより てんかとりたる じょうしかな

 平成24年(2012)2月12日(日)に行われた天下祭の前夜祭は、11日(土)午後4時半から始まる「水玉(すいぎょく)洗い」と「お水取り」の後、天下祭参加者による「安全祈願」と「大禊」が行われた。
▼ 八幡社の右前にある「松平家・家康公産湯(うぶゆ)の井戸」の水脈は、「二の井戸」、「三の井戸」に通じており、どの井戸からも御神水を汲み取ることができる 。大河原宮司と座主・水姫・介添人が柄の長い特製の柄杓(ひしゃく)で「二の井戸」から御神水を汲み取り、水玉に注ぐ「水玉洗い」の神事が行われた。

冬暮光水玉洗ふ井戸清水

Winter sundown, washing a Suigyoku ball
with fresh well water.

ふゆぼこう すいぎょくあらう いどしみず

▼ 前夜祭に参加する天下祭参加者たちは、2月11日(土)午後5時までに社務所に集合。安全祈願の後、第25回天下祭実行委員会の鈴木仲弘事務局長の司会により、ミーティングが行われた。
 更衣テントは、松平郷入口から松平東照宮に至る600mほどの舗道の途中に設けられた西側の駐車場に設営されており、社務所から歩いて200mほどのところにある。大禊参加者たちは、広いテントの中で脱衣し、天下褌と願布の鉢巻を締めて大禊の身支度をした。

冴ゆる夜の天下褌いざ出陣

Cold winter night, going to the front
 wearing a Tenka loincloth.

さゆるよの てんかふんどし いざしゅつじん

▼ 裸男たちが石橋を渡り、親氏(ちかうじ)像の前に設けられた臨時の禊場(みそぎば)の入口に着くと、清祓(きよめはらえ)の神事が始まった。準備運動の鳥船が終わると、いよいよ本番の大禊(おおみそぎ)となった。行者たちは、桶で手足に水を掛け、身体を冷水に慣らした後、口を漱(すす)いだ。
 各自の身体を十分に冷水に慣らした後、一斉に禊が始まった。手桶で水を汲み、胸部に打ち掛けるのが大禊の作法らしく、頭から水をかぶる人はいなかった。

寒の夜や煙火の上がる大禊

The water purification, displaying
 fireworks in the cold winter night.

かんのよや えんかのあがる おおみそぎ

 厳しい禊の最中に親氏像のそばで噴水のように吹き上げる二筋の煙火が打ち上げられ、行者たちを鼓舞していた。飛び散った水飛沫(みずしぶき)が赤く染まり、漆黒の闇に消えてゆくさまは、とても美しく、勇壮だった。
 激しく水を胸部に打ち付ける天下祭流の大禊は、あっという間に水槽の水を使い果たし、1分も経たないうちに終わってしまった。道彦から奥への立入が禁止されているため、撮影位置を変えることができず、一般参加者の禊の様子を捉えられなかったのが残念である。
▼ 身滌(みそぎ)が終わると、整理運動の鳥船が始まった。親氏(ちかうじ)像のそばの煙火は、鳥船の最中も断続的に打ち上げられた。

冬花火鳥船漕の濡褌

The winter fireworks, wet loincloths
rowing a Torifune boat.

ふゆはなび とりふねこぎの ぬれふどし

▼ 天下祭(てんかさい)は、毎年2月第2日曜日に松平東照宮で開かれる裸男と厄男による厄払いの裸祭である。平成24年(2012)2月12日(日)の天下祭当日も爽やかな晴天で明けた。リッチな朝食を取ったあと、午前8時半ころ、登里公(とりこう)大将の車に便乗して松平東照宮に向かった。
  午前10時、松平東照宮の拝殿前で樽酒の鏡開きが行われ、有料の天下桝(てんかます)を持つ裸男や参拝者たちに振る舞われた。

冬晴の鏡開きや天下祭

Fine winter day,
Tenka festival opening a sake barrel.

ふゆばれの かがみびらきや てんかさい

▼ 松平東照宮の北方1kmの山中に建てられた神明神社は、この別当地の領主である松平太郎左衛門親氏が天下泰平を願い、お堂裏の岩屋戸内において七日七夜、横になることなく一心に願いをする立願(りつがん)を行った場所で、後の家康が天下統一を果たし、親氏公の願いが叶った聖地である。
 祈願者は、岩屋の前に一列に並び、かつて親氏公が立願した場所に建つ岩屋戸の中で正座した座主が一人一人の願い事を読み上げ、今年一年の祈願が行われた。

立願の岩屋に座すや枯葉鳴る

The fallen leaves rustling,
sitting in the cave for prayers.

りつがんの いわやにざすや かれはなる

▼ 昼食後、裸男たちと行動を共にすることにし、昨夜取材した更衣テントに行った。こちらは、第二イベント場となっており、JAの出店があり、午後11時から先陣鍋が振る舞われた。
  パンフレットによると、裸男たちの「下帯着替え」は、12:30〜13:30となっている。玉競り(たませり)参加者たちは、入口で褌・鉢巻・地下足袋をもらい、褌ロールをつくったあと、身支度を整えた。玉競りは、水玉(すいぎょく)を守る赤組と水玉に触れに行く白組に別れて行われるが、どちらになるかは鉢巻を受け取るまで分からない。赤褌(あかふん)は、還暦以上の人が締める。
  身支度を整えた裸男たちは、三々五々、「練込み」出発地点となっている深見工業前(松平郷入口の駐車場)に向かった。

冬晴るるみな褌のTバック

Fine day in winter,
all ascetics of T-back loincloth.

ふゆはるる みなふんどしの てぃーばっく

▼ 午後2時になると、「練込み」が始まり、徳川の葵紋に「天」「下」の幟旗を持つ白組の裸男たちが頭(かしら)の半纏を羽織った中根幹雄事業副部長を先頭に出発し、600mほど先の松平東照宮に向かった。
  白組と赤組が別行動すると、どちらか一方の取材ができなくなる。白組の撮影を早めに切り上げ、急いで赤組のいる親氏像前に行くと、馬上の座主の指揮で、「エイ、エイ、オー!」と鬨(とき)の声を揚げているところだった。

裸木や褌衆の鬨の声

Bare trees, a battle cry wearing a loincloth.

はだかぎや ふんどししゅうの ときのこえ

▼ 赤組は、杉浦・砂原・竹本の3騎の座主を連ね、水玉を掲げた杉浦座主を先頭に松平東照宮を出発し、玉競場(たませりば)に向かった。
  第一イベント場の東に隣接する玉競場の南東角(なんとうかど)の緩衝ゾーンに三階建ての報道塔が建てられ、報道陣が陣取っている。私もこゝの二階に上がらせてもらい、玉競りの一部始終を激写することができた。

冬日影褌衆の玉競場

The winter sunshine, ascetics of fundoshi
loincloth in the ground of ball battle.

ふゆひかげ ふんどししゅうの たませりば

▼ 午後2時半ころ、二手に分かれて玉競場を周回していた裸男たちは、北西角で合流し、肩車して近づいてきた白組の男性が後ろから手を掛けて座主を崩し、水玉は、裸男たちの渦の中に消えていった。
 力水をかぶった裸男たちから湯気が立ち上りはじめた。特に、背景が暗いとよく分かる。
  玉競りは、激しさの度を増して佳境に入って行ったが、いつの間にか、玉競りの終盤を予告するように、座主たちが中央演壇に登壇し、水玉の行方を追っていた。
  何度かの試行錯誤のあと、水玉は竹本座主の手に戻り、大きな歓声が沸き上がった。玉競りが始まってわずか8分後のことだった。ずぶ濡れになりながらも全力で水玉を追った裸男たちは誇らしげで、最後に鬨の声をあげて締めくくった。

冬晴や勝鬨あげる褌衆

The winter sunshine, ascetics of
loincloth raising a shout of victory.

ふゆばれや かちどきあげる ふどししゅう

▼ 玉競りが終わった後、参加者全員が産八幡の宮に終結した。
  玉競りのフィナーレがやってきた。産八幡の宮で、全員が声高らかに「エイエイオー!」と勝鬨をあげた。

冬日さす杜に谺す鬨の声

The winter sun shining into the grove,
a battle cry echoing.

ふゆひさす もりにこだます ときのこえ

▲ 勝鬨のあと、三人の座主から大河原宮司に水玉が返還された。このあと水玉は、産八幡に安置され、来年の天下祭まで、一年の眠りにつく。
 座主を盛り立て、二日にわたる天下祭の運営に尽力した裸男たちに感謝の気持ちが伝えられたあと、全員で弥栄(いやさか)を唱和し、来年の再会を約してお開きとなった。
 裸男たちと共に第二イベント場の更衣テントに向かったが、近くで見ると、純白の足袋は泥だらけとなり、褌も赤土で汚れ、名誉の負傷をした人もいて、激しい競り合いの痕跡が残っていた。

「松平天下祭」
 
 
2012.02.11-12 撮影:制作:和田義男

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水玉が白組の手に!

水玉が白組の手に!

松平城址(

主郭しゅかく

跡) 13:50

松平城址(主郭跡) 13:50

パノラマ写真(2400X1200)1.11MB

水姫すいひめ

の水玉洗い 16:55

水姫の水玉洗い 16:55

拡大写真(2400X1800)575KB

天下褌を締め込んで気合いの入った裸たち 18:44

天下褌を締め込んで気合いの入った裸たち 18:44

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煙火えんか を背景に気合いの

大禊おおみそぎ

! 19:00

煙火を背景に気合いの大禊! 19:00

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ひたすら

鳥船とりふね

を漕ぐ 19:03

ひたすら鳥船を漕ぐ 19:03

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樽酒の鏡開き / 松平東照宮 2012.2.12 10:02

樽酒の鏡開き / 松平東照宮 2012.2.12 10:02

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岩屋の座主が全員の祈願文を読み上げて祈願する

岩屋の座主が全員の祈願文を読み上げて祈願する

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有り難い太陽の暖かさ

有り難い太陽の暖かさ

拡大写真(2000X1500)747KB

親氏銅像前で気勢を上げる赤組 14:17

親氏銅像前で気勢を上げる赤組 14:17

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報道陣の前を通る白組

報道陣の前を通る白組

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勝鬨かちどき

をあげる裸男たち 14:39

勝鬨をあげる裸男たち 14:39

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エイ、エイ、オー! / 産八幡神社

エイ、エイ、オー! / 産八幡神社

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2012年2月29日(水)

 平成24年(2012)1月22日(日)千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の第3回大寒禊(通算5回目の浜垢離)が九十九里浜(くじゅうくりはま)一宮(いちのみや )海岸で行われた
 今回、夏冬通算5度目にして初めて雨に見舞われ、海上も大時化 という最悪のコンディションだったが、雨天決行という方針が貫かれた。
 今回も開催に先立ち、Wa☆Daフォトギャラリーに 第3回玉前神社大寒禊のご案内 を掲示して和田グループ第五期を募集したところ、全国から16人の応募があったが、荒天のため欠席者が相次ぎ、茨城、群馬、埼玉、東京、神奈川から参集した12人(新人1人)が禊に参加した。

大寒の鳥船漕や濡褌

Wet loincloth, rowing a Torifune boat
in the coldest season.

だいかんの とりふねこぎや ぬれふどし

 午前11時前、大時化の太平洋をバックに、大寒の雨が降る最悪のコンディションの中で、準備運動が始まった。準備運動を20分ほど行ったあと、いよいよ入水となり、裸形の行者たちは、冷たい雨に打たれながら、遠浅の一宮海岸を沖に向かって歩いて行った。
 しかし、海上は大時化で、ときおり強い波が打ち寄せ足を取られてひっくり返る人もいて引き波で沖に連れていかれる恐れもあり、禊に適さないことが分かった。そこで渚まで撤退し、安全な場所で水行を行うことになった。禊とは水を被ることなのだが、海水ではなく、雨水を被る禊となった。

大寒の海に合掌褌衆

The ascetics of loincloth,
joining their palms together
for the sea in the coldest season.

だいかんの うみにがっしょう ふどししゅう

 これまでは、波に揉まれながら大祓詞(おおはらいことば)を斉唱していたが、今回は準備されておらず、行者たちは、渚に佇み、合掌して沖に向かって祈りを捧げるというスタイルになった。
 大寒禊を終えた行者たちは、体温低下が著しく、「記念写真を・・・」と呼びかけたが、誰一人立ち止まることなく一目散に焚火に向かって走っていった。今年はこれまでで一番厳しい大寒禊だった。

直会の御神酒で祝ふ寒禊

Water purification in the coldest season,
toasting sacred sake
at the ceremonial feast.

なおらいの おみきでいわう かんみそぎ

  玉前神社参集殿に集合した行者たちは、総代長ら氏子役員とともに御祓いを受けて参拝した。参集殿で栗原崇次宮司の挨拶があり、そのあと、斎館(さいかん)に移動して直会(なおらい)が開かれ、冒頭、御神酒による乾杯が行われた。

「玉前神社大寒禊'12」

2012.01.22 撮影・制作:和田義男

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波に洗われる鳥船

雨に濡れ、波に洗われながらの鳥船!

雨に濡れ、波に洗われながらの鳥船!

拡大写真(2600X1700)574KB

大時化の太平洋で足を洗われる行者たち 11:23

大時化の太平洋で足を洗われる行者たち 11:23

拡大写真(2400X1500)391KB

御神酒おみき で乾杯 /  直会なおらい 斎館さいかん ) 13:03

御神酒で乾杯 / 直会(斎館) 13:03

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2012年2月25日(土)

 平成24年(2012)1月15日(日)、午前11時から神奈川県藤沢市江ノ島片瀬海岸東浜で第31回江ノ島寒中神輿錬成会が開催された。
 新成人のお祝いと1年の無病息災を祈る江ノ島寒中神輿錬成会は、神社の祭礼ではなく、藤沢鎌倉神輿連合会(山口昌明会長)が主催するもので、藤沢・鎌倉両市の神輿愛好者約300人による年に一度の大会であるが、今年の初神輿を担げるとあって、部外参加者も多い。
 例年4基の湘南型どっこい神輿が参加する。一番大きな神輿が藤沢鳳龍會(ふじさわほうりゅうかい)の鳳龍で、4点棒の江戸型神輿である。藤沢鎌倉神輿連合(伊勢睦)の神輿、片瀬諏訪睦(かたせすわむつみ)の神輿、腰越小動會(こしごえこゆるぎかい)の神輿は、いずれも二点棒である。

湘南や海に練り込む初神輿

Syonan, the first mikoshi
of the year going into the sea.

しょうなんや うみにねりこむ はつみこし

 この大会の主役は藤沢鎌倉神輿連合会に属する11人の新成人。「開会式で成人祝いの襷(たすき)と記念品が相原宮司から授与され、主役たちが神輿の担ぎ棒に乗って海中渡御を行い、晴れて成人の仲間入りを果たすもので、これは一種の通過儀礼であり、成人祭といえる。」とかつては紹介した。
  しかし、残念なことに、昨年から、三社祭などと同様に、神輿の担ぎ棒に乗るのは禁止されたので、担ぐだけとなり、名物だった「振り袖神輿」は消滅した。しかも、晴れ着の着物姿の4人は、担ぐこともせず、ただ、列席しただけだった。

湘南の波乗神輿明の春

The beginning of spring,
surf riding mikoshis of Syonan.

しょうなんの なみのりみこし あけのはる

 寒中神輿錬成会では、褌に関する規制がないものの、殆どの人は前袋式六尺褌、いわゆる水褌(すいこん)を締めている。 乱れの少ない締め方であるが、露出度は最大級である。全国的には晒木綿1反を使った白晒褌(しろざらしふんどし)を見かけるが、腹巻が野暮ったく、この水褌は、江戸っ子好みともいえ、関東でよく見られる褌である。
 神輿を担ぐのは、地元愛好者のほか、全国各地からやってくる神輿睦会(みこし・むつみかい)の人たちも参加するので大変賑やかな祭りである

正月や六尺一本神輿舁

The New Year, naked mikoshi carriers
wearing a two-meter loincloth.

しょうがつや ろくしゃくいっぽん みこしかき

  今回、1月8日(日)に開催された東京都中央区の鐵砲洲寒中水浴に和田グループとして参加した人たちが、数多く参加していた。初神輿であり、交通網も整備されているため、関東圏であれば楽に日帰り参加できることが大きな魅力となっている。

「江ノ島寒中神輿'12」

2012.01.15 撮影・制作:和田義男

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湘南しょうなん の海・ 相模灘さがみなだ に入った4基の神輿 11:45

湘南の海・相模灘に入った4基の神輿 11:45

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波に洗われる神輿 11:54

波に洗われる神輿 11:54

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上陸する 鳳龍ほうりゅう  12:00

上陸する鳳龍 12:00

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2012年2月20日(月)

 平成24年(2012)1月28日(土)・29日(日)の両日、岩手県花巻市(はなまきし)石鳥谷町(いしどりやちょう)の貴峰山(きほうざん)光勝寺(こうしょうじ)(佐藤宥弘さとう ゆうこう住職 TEL0198-47-2230)で五大尊蘇民祭(ごだいそん そみんさい)が開催された。
 光勝寺の五大尊蘇民祭は、800年以上の歴史を誇る伝統の裸祭で、1年間の無病息災を祈って護摩を焚き、コマと呼ばれる365枚の木札が入った麻製の蘇民袋を奪い合い、御守札とする勇壮な冬祭である。
 花巻市無形民俗文化財の指定を受けたこの蘇民祭は、旧正月6日(2012年1月28日)午後7時から前夜祭があり、「裸参り」と星祭(ほしまつり)(護摩法要)が行われる。翌日の旧正月7日(2012年1月29日)は、午前9時半から12時半頃まで、御神火祭(ごじんかさい)(護摩法要)と蘇民袋争奪戦を中心とした蘇民祭が行われる。

褌のロール一反 寒詣

A ten-meter-long role of loincloth,
Midwinter pilgrims.

ふんどしの ろーるいったん かんもうで

  五大尊蘇民祭の前夜祭が開かれた1月28日(土)は、午後6時に花巻市石鳥谷町五大堂にある五大堂公民館で五大尊蘇民祭振興会の「裸参り」担当役員・小原(おばら)和也さんと合流。以後、振興会の全面支援により、密着取材をすることができた。
▲ 「裸参り」参加者たちは、お互いに助け合いながら、持参した白晒木綿1反(10m)を半分に折り、白晒褌(しろさらしふんどし)として半幅の晒布で締めるのに便利なように褌ロールを作っていた。

七福や御神酒臓腑に寒詣

The Seven Gods of Good Fortune,
Midwinter pilgrims
gulping down the sacred sake.

しちふくや おみきぞうふに かんもうで

 開会式が終わると、参加者たちは全裸となり、舞台の右横の出入口から紅白幕の張られた禊場で、注連縄(しめなわ)の張られた水桶から手桶で水を汲み、-5℃の外気の中で冷水をかぶって禊を行った。
▲ 行者(ぎょうじゃ)たちは全裸禊を終えた後窓際に立って褌を締め始めた。 「裸参り」の身支度が整った頃、光勝寺本堂の燈明(とうみょう)が届いた。行燈(あんどん)を手にした行者たちは、七福神の御神酒を飲み干したあと、禊場から外に飛び出していった。午後7時半、「裸参り」の行者たちは、全員、行燈を左手に持ち、右手の拳(こぶし)を振り上げ、「ジャッソー ジャッソー」の掛け声を上げながら五大堂公民館を出発し、光勝寺五大堂に向かった。

寒詣噛符行燈白褌

Midwinter pilgrims, mouthpieces of paper,
square lanterns and white loincloths.

かんもうで かみふあんどん しろふどし

▲ 「裸参り」の行列は、五大堂公民館を出発して約13分後に光勝寺の一ノ鳥居に到着した。一ノ鳥居は、翌日の蘇民袋争奪戦の決勝点である。ここで噛符(かみふ)をくわえ、山頂の五大堂まで無言の「裸参り」となる。 「裸参り」の一行は、五大堂公民館を出発して約17分後に光勝寺五大堂に到着。裸の行者たちは、噛符をくわえ、頭(こうべ)を垂れたまま、五大尊に参拝した。
五大堂を後にした褌の行者たちは光勝寺本堂に着くと玄関の前に整列し、僧侶たちから大麻(おおぬさ)や錫杖(しゃくじょう)などで御祓いを受けて、「裸参り」を終えた。

氷点下ふんどし衆の赤はだか

Freezing temperatures, red skins of
pilgrims wearing funoshi loincloth.

ひょうてんか ふんどししゅうの あかはだか

 光勝寺の本堂に上がると、午後8時から始まった星祭(ほしまつり)(護摩法要)に集まった信者たちが大勢いて、熱気に包まれていた。
星祭の取材を切り上げ午後8時20分頃五大堂公民館に戻ると、「裸参り」の行者たちは更衣を済ませており直会(なおらい)が始まっていた。
 直会の途中で、「裸参り」を成就した行者全員に蘇民祭護摩祈祷札が手渡された。「裸参り」した人たちにのみ渡される有り難い御札で、翌日の蘇民袋争奪戦参加者に贈られる御札とは中身が違うという。

寒詣手に護摩札の五大尊

Midwinter pilgrims, holding a Goma
charm of Five Great Gods in hands.

かんもうで てにごまふだの ごだいそん

▼ 五大尊蘇民祭当日の1月29日(日)は、絶好の晴天に恵まれた。そのためか、放射冷却が凄く、花巻市の朝は-15℃と冷え込んだ。受付で選手登録が行われているころ、光勝寺下の駐車場で、蘇民祭を支える消防団員たちが整列し、点呼を取る姿があった。
 午前9時半頃、花巻市消防團第十六分團を先頭に晴れやかな「お山登り」の行列が光勝寺前庭を出発した。先導する消防団の後には、天狗(猿田彦)、五大堂神楽、優勝旗を持った前年度取主と松明を持つ裸男、仏具や蘇民袋を携えた僧侶や住職、審判団、護摩講員などが続いた。

五大堂神楽の聞こゆ雪山路

Godaido temple, sacred Kagura music
sounding at the snow mountain path.

ごだいどう かぐらのきこゆ ゆきやまじ

  五大堂前庭で護摩法要(御神火祭ごじんかさい)が行われた。杉の葉が人の背丈ほどに積み上げられた紫燈木(さいとうぎ)の四隅には、青竹が立てられ、全周に注連縄が張られており、頂上に御幣(ごへい)が立てられている。佐藤住職は、東側の紫燈木の前に立ち、仏具を使って御祓いをしたあと祈祷した。
 その後、一組の紫燈木が佐藤住職と僧侶によって同時に点火され、やがて白煙を上げて燃え上がる御神火(ごじんか)の前で、加治祈祷による護摩法要(御神火祭)が行われた。
 約7分ほどで護摩法要が終わり、消防団を先頭に最初の隊列どおりに並び、五大堂に向かって出発した。

冬晴や褌登山の五人衆

The winter sun shining,
the mountain climbing by the five
naked of a string loincloth.

ふゆばれや ふんどしとざんの ごにんしゅう

▼ 蘇民祭関係者が五大堂に上がり、それぞれの席に着くと、間もなく病魔退散・五穀豊穣を祈願する護摩祈祷が始まった。
 五大堂前では、護摩祈祷に平行して蜜柑や御供物、御福銭、福玉、切り餅などがばらまかれた。蘇民祭振興会や護摩講の役員たちが大量にばらまいて、目出度いお祭気分を盛り上げた。
 最後に護摩火で焼かれた黒こげの護摩餅が副住職より投げられ、両手を出して待ち構える群衆の中に落下していった。

護摩餅や褌衆の奪ひ合ひ

A Goma rice cake, scramble
by naked guys of loincloth
.

ごまもちや ふんどししゅうの うばいあい

▼ 1月29日(日)午前10時50分、護摩祈祷を終えた佐藤宥弘住職が蘇民袋を携えて群衆の前に現れた。いよいよ蘇民袋争奪戦の始まりである。佐藤住職が蘇民袋を群衆に示した後、蘇民袋を蒲田審判長に託した。
 争奪戦担当役員の伊藤忠志さんの合図で、蒲田審判長は、蘇民袋を抱えて群衆の中に飛び降りた。二人の副審判長も後に続き、蘇民袋を持った蒲田審判長は、あっというまに裸の群れに取り囲まれ、蘇民袋が渦の中に消えていった。

雪渓を下るふんどし男たち

Guys of fundoshi loincloth,
going down a snowy valley.

せっけいを くだるふんどし おとこたち

▲ 五大堂前での練り合いのあと、裸の渦は、東側の沢地に下り、雪渓の争奪戦となった。
 蘇民袋争奪戦の渦は、雲一つない晴天の日射しを受けながら、雪渓の中をもみ合いながら徐々に下り、参道入口にある決勝点の一ノ鳥居目指して進んでいった。

雪晴や倒れて止まむ蘇民祭

A fine snow day, Somin Ritual
ended after falling-down.

ゆきばれや たおれてやまん そみんさい

▲ 争奪戦の渦は、五大堂を出発して約45分後に一ノ鳥居の決勝点に辿り着き、一同、参道に倒れ込み、団子状態となって、動かなくなった。下敷きになった人は雪の参道にうずくまっており何人もの体重がかかって辛い状態になっている。
  取主(とりぬし)は、蘇民袋の口に近い順に第一取主(優勝者)、第二取主、第三取主と認定され、一・二・三の数字が書かれた赤いリボン(木綿布)を咥(くわ)えさせて判定する。
 優勝した第一取主は、中村則弘さん(花巻市石鳥谷町滝田)だった。蘇民選手たちは、神楽殿の支度部屋で褌を解いて着替えた後、全員、五大堂に集合。五大尊護摩祈祷の守護札、コマ、蘇民袋を裁断したものが手渡された。
 続いて、入口を締め切った五大堂で、表彰式が行われ、第一取主の中村則弘さんに表彰状、優勝カップ、優勝旗が手渡された。

ストーブのそばで一献五大堂

Godaido temple,
a cup of sake beside a stove.

すとーぶの そばでいっこん ごだいどう

▲ 午後12時半、全ての予定行事がつつがなく終了し、手〆でお開きとなった。そのあと、蘇民選手たちの直会となり、石油ストーブで暖を取りながら、七福神の御神酒を飲み、おにぎりを頬張り、しばし歓談した。

「五大尊蘇民祭」
 
 
2012.01.28-29 撮影:制作:和田義男

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雪渓を下る 11:00

参加者同士が助け合って褌の準備

参加者同士が助け合って褌の準備

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御神酒「七福神」を飲み干して、いざ出陣!

御神酒「七福神」を飲み干して、いざ出陣!

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無言の「裸参り」の開始 19:43

無言の「裸参り」の開始 19:43

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真っ赤な身体で御祓いを受ける

真っ赤な身体で御祓いを受ける

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蘇民祭

護摩祈祷札ごまきとうふだ

を手にした若者グループ 20:41

蘇民祭護摩祈祷札を手にした若者グループ 20:41

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天狗(猿田彦)のあとに五大堂神楽と褌五人衆が続く 09:34

天狗(猿田彦)のあとに五大堂神楽と褌五人衆が続く 09:34

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五大堂に一礼する菊池旗手 09:47

五大堂に一礼する菊池旗手 09:47

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宙を舞う護摩餅

宙を舞う護摩餅

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雪渓せっけい

を下る蘇民袋争奪戦 11:00

雪渓を下る蘇民袋争奪戦 11:00

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折り重なって団子状態に! 11:36

折り重なって団子状態に! 11:36

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五大堂での 直会なおらい  12:32

五大堂での直会 12:32

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2012年2月3日(金)

 平成24年(2012)1月8日(日)、東京都中央区湊1丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(中川文隆宮司)で、第57回寒中水浴大会が開催された。
  筆者(和田義男)は、和田グループ第三期の代表として、五度目の寒禊を行った。昨年に引き続き、サイトに 第57回鐵砲洲寒中水浴のご案内 を掲示して和田グループ三期を募集したところ、北海道、石川、群馬、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、愛知、静岡から21人(新人5人)が参加した。今年の参加者76名中、28%が和田グループ参加者となった。

初春や宮に誘ふ禊旗

The beginning of spring, flags of
water purification inviting to the shrine.

はつはるや みやにいざなう みそぎばた

 今年は、いつもの星宏幸さんと小林豊一さんに加えて、和田グループ支援班で半纏姿の伊藤秀行さんに私の愛機オリンパスE-5をお貸しし、和田グループ専従写真班を引き受けていただいた。星さんは二台のカメラを使ったので、合計4台のデジカメにより撮影された画像・約2,600枚9.6ギガが私のパソコンのハードディスクに記録された。編集するのが大変という贅沢な悩みだったが、手分けして撮して頂いたお陰で、貴重な映像が沢山あり、あれもこれもと貼り付けているうちに、今年は5頁115枚という大作になった。

初春や晴着の鐵紋締太鼓

The beginning of spring,

the crests of a kanji 'tetsu'

on the best kimonos of the drummers.

はつはるや はれぎのてつもん しめだいこ

▲ 次代を担う子供たちによる鐵砲洲囃子の奉納がはじまった。子供たちは、大人と同じように、今年から「鐵」紋の入った法被を羽織るようになった。衣装が統一されたことで、新春の晴れがましい雰囲気が更に高まった。
▼ 車道を褌一丁で走るのは、全国的に見ても極めて珍しく、ここ鐵砲洲だけの光景で、東京の新春の風物詩となっている。筆者が褌ランニングと名付けた行事だが、俳句に読み込むため、褌走(ふんどしそう)と命名した。

初春や湊交番褌走

The beginning of spring, running of
fundoshi loincloth at Minato Police Box.

はつはるや みなとこうばん ふんどしそう

▼ 今回5度目の水浴となった筆者は、これまでは胸までしか浸からなかったが、二回目、三回目と徐々に身体を沈めてゆき、最後は首まで浸かった。写真を見れば、私が一番深く浸かっていることが分かる。
  冷水に首まで浸かったことと、三回水浴したことで、体温低下が進み、今までで一番厳しい水浴だった。しかし、苦しさを顔に出すのは止め、ひたすら堪えて、平然と禊をするよう務めた。

鐵砲洲新褌の寒禊

Teppouzu, winter water ablution
wearing a new loincloth.

てっぽうず しんふんどしの かんみそぎ

  終わった組は、観客が水浴の様子をよく見えるように、水槽につかまってしゃがんで待機することになったため、鳥船で身体を温めることができなくなり、更に厳しさが増し、震えを止めることができなかった。震えることで少しでも体温を上昇させようとする自律神経による指令は、他律神経では押さえられないことがよく分かった。

鐵砲洲三度浴する寒禊

Teppouzu, bathing in water
three times in winter.

てっぽうず みたびよくする かんみそぎ

 今回、和田グループの記念撮影を終えると、真っ先に湊湯に向かったが、その途中が一番きつかった。記念撮影に姿を見せなかった奥村さんは、その余裕がなく、お開きの後、銭湯に直行したという。スマートな奥村さんは、皮下脂肪も少なく、一段と寒さが身に染みたに違いない。
今年は、作品の中で紹介したように、大会の運営方法にいくつかの改善点があった。近年は、参加者や参拝客が境内一杯に詰めかけ、満員御礼が続いているが、それに伴う安全対策や効率化が求められている。弥生会の素早い対応で、必要な対策がとられ、今年もスムーズに運営された。毎年、歴史が積み重なり、より精緻で素晴らしいものに進化して行く様子がこの鐵砲洲寒中水浴シリーズに記録されて行く。編集の醍醐味のひとつとなっているが、順調なプロジェクトは、こういう風に回転して行くのだというお手本を見るようで、元気と感動を沢山頂いている。これからも鐵砲洲の歴史とともに新年を迎え、大勢の仲間と感動を分かち合いながら元気に我が青春?を謳歌したい。

湯煙の極楽往生寒禊

The winter water ablution,
gone to heaven of steam.

ゆけむりの ごくらくおうじょう かんみそぎ

「鐵砲洲寒中水浴'12」

2012.01.08 撮影:星宏幸・小林豊一・伊藤秀行 監修:和田義男

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湊湯極楽 11:51

初詣と寒禊の幟が並ぶ第57回寒中水浴大会の朝

初詣と寒禊の幟が並ぶ第57回寒中水浴大会の朝 / 鐵砲洲稲荷神社 2011.01.08 08:40

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子供鐵砲洲囃子 10:28

子供鐵砲洲囃子 10:28

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二列縦隊で車道を駆ける

褌走ふんどしそう

 10:57 

二列縦隊で車道を駆ける褌走 10:57

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振魂をしながら水浴位置を整える

振魂をしながら水浴位置を整える

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第一組・三度目・最後の頑張り! 11:23

第一組・三度目・最後の頑張り! 11:23

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湊湯極楽 11:51

湊湯極楽 11:51

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2012年1月24日(火)

 平成24年(2012)1月8日(日)、静岡県磐田市(いわたし)下太(しもふと)に鎮座する八王子神社(はちおうじ・じんじゃ)(袴田孝子宮司)で米とぎ祭(こめとぎ・まつり)が開催された。
 毎年秋に開催される 見付天神裸祭 (みつけてんじん・はだかまつり)は、平成21年(2009)から密着取材を続けているが、浜垢離(はまごり)が行われる遠州灘(えんしゅうなだ)福田(ふくで)海岸から北方約2kmの今之浦川(いまのうらがわ)東岸に位置する磐田市下太(いわたし・しもふと)の鎮守の杜に八王子神社が鎮座している。
 八王子神社は下太の氏神で災難や疾病除けの神として信仰を集めている。平安時代の中期・承平2年(933)に建立されたと伝えられ、八柱の神を祀っており、社名はその神々の数に由来する。

初春や幼児もくわえる白ふどし

The beginning of spring,
an infant also holding
a white loincloth between his teeth.

はつはるや ようじもくわえる しろふどし

 毎年、正月第二日曜日に下太自治会(相曽秀信会長)の主催で八王子神社で行われる「米とぎ祭」は、今から300年ほど前の元禄時代に流行病(はやりやまい)が蔓延したため、その疾病退散(しっぺい・たいさん)を願い、村の男衆が褌(ふんどし)一丁の裸形(らぎょう)となって桶(おけ)に入れた米を担ぎ、西側の今之浦川に入って米を研ぎ、ふかして強飯(こわめし)(餅米を蒸したもの)にして村中に配ったことから始まったものといわれている。
 現在、下太地区には、約30世帯が暮らしているが、村人たちの無病息災を祈願するため、今も当時のしきたりを守って男衆が褌一丁になって今之浦川で米を研ぎ、神前に供える「米とぎ祭」が行われており、平成17年(2005)に「八王子神社米とぎまつり」として磐田市無形民俗文化財に指定されている。

初春や六尺ふんどし米とぎ祭

The beginning of spring, rice washing
ritual wearing a six-feet loincloth.

はつはるや ろくしゃくふんどし こめとぎさい

▲ 「米とぎ祭」の褌は、木綿の白晒布を使った前袋式六尺褌、いわゆる水褌(すいこん)である。早い昼食が終わると、褌担当の世話役が子供たちから順に褌を締め始めた。子供たちは、布の片方を口にくわえて保持するよう教えられていて、忠実に励行している。褌を締めるのは、年に一度の「米とぎ祭」のときだけだが、下太では、いやがったり、恥ずかしがったりする子は一人もいない。

初春や舟で米とぐふどし衆

The beginning of spring,
guys of loincloth washing rice on a boat.

はつはるや ふねでこめとぐ ふどししゅう

 正午前、純白の六尺褌とピンクの後ろ鉢巻をキリリと締め、白い地下足袋を履いた裸たちが各々担当の道具を持ち、下太公民館前に現れた。宮司を先頭に出発した裸行列は、八王子神社の南側の道路を西に進み、僅か10分ほどで、今之浦川に着いた。
▲ 米研舟は、土手に立つ大勢の観客からよく見えるように、船着場のすぐ沖合で、船首を南に向けて土手と平行になり、その位置を保ったまま、裸褌八人衆による「米とぎ神事」が始まった。 氏子たちは、今之浦川の舟上で「米の入った釜に川水を入れる」「米を研ぐ」「研いだ米を笊に移す」「笊で水を切る」「水を切った米を再度釜に移す」という一連の動作を三回繰り返し、「米とぎ神事」は約二分で完了した。

斎場の寒の禊や米とぎ祭

Cold water ablution at holy place,
the ritual of washing rice.

さいじょうの かんのみそぎや こめとぎさい

▲ 裸たちは、4隅に笹を立てて注連縄(しめなわ)を張り巡らした斎場に整列すると、その中を右回りに移動しはじめた。公民館から担いできた二つの水桶から柄杓で汲んだ清水が裸男たちに容赦なくふりかけられ、「おねり」が始まった。

米とぎのわらべに還へる寒の餅

Rice washing ritual, becoming a child

gathering rice cakes of winter.

こめとぎの わらべにかえる かんのもち

▲ 午後3時から拝殿で行われた神事の後、午後3時40分頃、米とぎ祭の〆として餅撒きが始まり、段ボールに用意された紅白の祝餅(いわいもち)が役員たちの手によって景気よくばらまかれた。かつては、今之浦川で研いだ米をふかして強飯(こわめし)にし、御供物として参拝者に振る舞っていたが、現在は、餅撒きに代えている。実際に川で研いだ米は、後刻、おこわにして氏子たちに配られるという。

「八王子神社米とぎ祭」

2012.01.08 撮影:宮嶋 茂 監修:和田義男

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桶の水を掛けて身体を清める 12:14

最年少の男児もふんどしの端をくわえて一人前

最年少の男児もふんどしの端をくわえて一人前

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汗だくの世話役 11:53

汗だくの世話役 11:53

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釜に川の水を入れる

釜に川の水を入れる

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桶の水を掛ける「おねり」 12:14

桶の水を掛ける「おねり」 12:14

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大人も童心に還って餅拾い! 15:44

大人も童心に還って餅拾い! 15:44

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2012年1月18日(水)

 平成24年(2012)1月2日( 月)、岩手県花巻市(はなまきし)に鎮座する胡四王神社(こしおう・じんじゃ)(杉山昌之すぎやま・まさし宮司)で蘇民祭(そみんさい)が開催された。
 胡四王神社は新花巻駅から西南西約1.2kmにある胡四王山山頂(176m)に胡四王地区の鎮守社として建てられている。
 社伝の古文書によれば、大同2年(807)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が東征の折将兵の武運長久・無病息災を祈願して兜に納めた薬師如来の小像を安置して開山。稗貫(ひえぬき)氏時代は、天台宗・医王山胡四王寺(いおうざん・こしおうじ)と称し、末寺18ヵ寺を擁して大いに栄えた。

雪上の白褌や初禊

First ritual ablution for the year,
white loincloths on the snow.

せつじょうの し ろふんどしや はつみそぎ

 南部藩時代の文化15年(1818)に別当が祀官(しかん)となってからは、薬師如来を医薬の神「大己貴命(おおなむちのみこと)」(別名「大国主命」)と「少名彦命(すくなひこのみこと)」に代え、矢沢神社となった。町村合併で花巻市となった昭和29年(1954)、社名を矢沢神社から胡四王神社に変更し、今日に至っている。
 胡四王神社の蘇民祭は、花巻地方に原因不明の難病が流行したことから、蘇民将来の説話に基づき、今から150年ほど前の慶應元年(1856)から始まったと伝えられている。

松明の赤き火玉や初詣

First ritual visit of the year,
the red balls of the torches.

たいまつの あかきひだまや はつもうで

 この伝統ある蘇民祭も戦後の混乱期に衰退して中断の憂き目に遭ったが、昭和49年(1974)に復活し、平成2年(1990)には「胡四王神社蘇民祭保存会」が発足、平成7年(1995)には「国の選択無形民俗文化財」と「花巻市無形民俗文化財」に指定され、磐石の体勢となっている。
 争奪戦が繰り広げられる蘇民袋は、麻布でできており、縦35cm・横18cmの大きさがあり、中には、境内の桜の木で作られたコマ(コマギ)156枚(十二支の焼印のもの12組、今年の干支/卯 12枚)と親札(おやふだ)1枚が入れられ、こぼれ出ないように口紐で結わえられている。

初春や炎の褌胡四王山

The beginning of spring,
fundoshi loincloth of fire at Mt. Kosyo.

はつはるや ほのおのふんどし こしょうさん

 午前10時ころ、花火が打ち上げられると、松明を持った裸詣りの一行は、天狗の面をつけた猿田彦(さるたひこ)を先頭に、社務所前広場を出発し、胡四王山山頂(176m)に鎮座する胡四王神社を目指した。
  午前10時半過ぎから山頂の社殿で浄火祭が行われた後、餅撒きがあり、その後、山麓の石鳥居まで、壮絶な蘇民袋争奪戦が繰り広げられた。

雪山や褌衆の争奪戦

Snow-covered mountain, contest for
the pennant wearing a fundoshi loincloth.

ゆきやまや ふんどししゅうの そうだつせん

 御札などの配付が終わった12時50分ころ、表彰式が始まり、杉山宮司と中島保存会会長の挨拶行われた。 蘇民袋争奪戦の取主となって優勝した菊池春雄さん(花巻市石鳥谷町)呼ばれ、杉山宮司から賞状と優勝旗、トロフィー、御神酒など、沢山の賞品が授与された。

初春や福を手にして万々歳

The beginning of spring, Hurray,
hurray! holding a good luck.

はつはるや ふくをてにして ばんばんざい

 最後に、菊池勉審判長の発声による手〆(てじめ)で、蘇民祭はめでたくお開きとなった。

 地方のこの小さな祭りに、岡山・西大寺グループを始め、全国各地からやってくる参加者が増えている。蘇民祭には男の血を騒がせる何かがあるに違いない。ここ2、3年、倅がいそいそと蘇民祭の準備に出かけるようになった。次には孫も出かけることになるだろう。この繰り返しが地域の大きな伝統となり、誇りとなる。(菊池寛一)

「胡四王蘇民祭'12」
 
2012.01.02・13 撮影:菊池寛一 監修:和田義男

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美しい炎の行進! 10:25

冷水を頭から被る

雪上禊せつじょうみそぎ

 / 遙拝殿前 10:06

冷水を頭から被る雪上禊 / 遙拝殿前 10:06

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美しい炎の行進! 10:25

美しい炎の行進! 10:25

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胡四王こしおう

の新春の風物詩 10:26

胡四王の新春の風物詩 10:26

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激しい争奪戦の渦 11:22

激しい争奪戦の渦 11:22

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優勝した菊池春雄さん(花巻市石鳥谷町)のグループ

見事取主となって優勝した菊池春雄さん(花巻市石鳥谷町)のグループ 12:48

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

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