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★★★  ようこそ 英訳写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  写真俳句「海の風景」

2012年1月14日改訂

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今 日

昨 日

gamelan rindik Tritis Asih

涼しきは白波寄するバリの浜   北舟

拡大写真(2600X1300)848KB

Cool is the beach of Bali, the white waves washing the shore.

2011年10月16日制作

素晴らしいオーシャンビュー!/インド洋

バリ島は招く!

素晴らしいオーシャンビュー!/インド洋(インドネシア・バリ島)

俳句「海の風景」第32集

 












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2012年1月14日(土)

 平成23年(2011)12月3日(土)夜、大分県中津市耶馬溪町(なかつし・やばけいまち)に鎮座する大野八幡神社(おおの・はちまんじんじゃ)で600年の歴史を有する「やんさ祭」が行われた。
 「やんさ祭」は、毎年12月初頭の夜に大野八幡神社で行われる勇壮な裸の餅つき祭りである。応永元年(1394)後小松天皇の御宇(ぎょう)に、下毛郡(しもげぐん)野仲郷(のなかごう)の長岩(ながいわ)城主・野中能登守弘道が相模国(さがみのくに)鎌倉より鶴ヶ岡八幡宮の神霊を勧請して当郷の守護神と崇めたのが始まりという。

幣束に寒夜の風や白ふどし

White loincloths, a cold wind
to the purification spring at night.

へいそくに かんやのかぜや しろふどし

 この神社に鶴ヶ岡八幡宮の神霊を勧請した際、野中の若侍33人が鏡餅を搗(つ)いて神前に供えたのが「やんさ祭」の始まりという。新暦11月30日から12月2日までの3日間にわたり行われる大野八幡神社の霜月祭(しもずきまつり)の別称が「やんさ祭」で、最終日の12月2日の夜、33人の氏子が褌(ふんどし)一丁の裸形になり、「やんさ、やんさ」とはやしながら餅をつく神事が行われる。
 この行事を伝えた野中氏は、かつては豊前の豪族として下毛(しもげ)、上毛(かみげ)、宇佐(うさ)の三郡を支配していたが、23代野中兵庫頭鎮兼に至り、天正16年(1588)、中津城主・黒田孝高・長政父子により攻め滅ぼされたが、この行事は、その後も村人たちにより受け継がれ、今日に至っているという。

餅搗や臼を争ふ褌衆

Pounding a rice cake, guys of fundoshi
 loincloth scrambling for a mortar.

もちつきや うすをあらそう ふどししゅう

 「やんさ祭」は、33人に因んで決められた3升3合3勺(約5kg )の餅米(もちごめ)を蒸し、褌衆が「やんさ、やんさ」と掛け声をかけながら6尺(1.8m)の樫(かし)の杵棒(きねぼう)と木臼(きうす)で7臼半の餅を搗(つ)く。つき終わると臼を守る座元側(モト方)とこれを倒そうとする氏子側(ウラ方)の二手に分かれ、水を撒(ま)いた境内で泥んこになって揉み合う臼倒しが始まる。

「大野八幡神社やんさ祭'11」
2011.12.03 撮影:清原 浩 監修:和田義男

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樫の杵棒で餅を搗く 21:04

二列横隊に整列

二列横隊に整列

拡大写真(2000X1570)472KB

激しい臼の争奪戦!

激しい臼の争奪戦!

拡大写真(2000X1500)389KB
 










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2012年1月12日(木)

 平成23年(2011)11月11日(金)と11月13日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社で秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で928回目となる。
 11月11日は、周防灘に注ぐ桂川の右(東)岸に鎮座する若宮八幡神社・本宮(もとみや)から左(西)岸下宮(しもみや)への神輿渡御(みこしとぎょ)が行われた。地元ではお下り(くだり)と呼ぶ神事である。

褌の水掛神輿秋夜川

Autumn river at night, portable shrine

bathing by guys of loincloth.

ふんどしの みずかけみこし あきよかわ

▲ 若宮神輿の渡御は、桂川の川床(かわどこ)を渡るところがユニークで、いくつもの見せ場がある。最初は、狩衣・褌・白足袋の與丁(よちょう)たちが白布を巻いて保護した宮神輿を担ぎ、桂川東(右)岸のスロープを下って川に入るところで、純白の装束がスポットライトに浮かび上がり、神々しくも美しい姿を見せてくれる。
 二つ目の見所は、川中の篝火(かがりび)を目印に渡御コースを進みながら、要所で神輿を川床に置いて円陣を組み、前後の担ぎ棒に乗った與丁たちに水を浴びせるなどして神と戯れ、柏手(かしわで)で〆るところである(写真右)。

輿丁らの白衣白褌秋夜川

Autumn river at night, white coats and
white loincloths of Mikoshi Carriers.

よちょうらの びゃくいびゃっこん あきよかわ

 3つ目の見所は、大松明が赤々と燃え盛るそばをスポットライトで浮き上がった若宮神輿が渡御するシーンである。水と火と神輿のコラボによる大規模な夜のページェントは、日本一の川渡祭といって差し支えあるまい。
 豊後高田市は周防灘(すおうなだ)に注ぐ桂川の川口近くに位置するため、潮の干満の影響を受け、干潮時は川床が露出するが、満潮時になると海水が逆流し、このあたりは満々と海水を湛える大河の様相を呈する。

還御する神輿の重き秋の夜

Autumn night, 

heavy is the portable shrine

returning to the main shrine.

かんぎょする みこしのおもき あきのよる

▲ 若宮神輿が御旅所で2泊した11月13日、桂川の左(西)岸に鎮座する下宮(しもみや)から右(東)岸の本宮(もとみや)へ神輿の還御(かんぎょ)が行われた。
 渡御(お下り)では、赤組が先棒を担いだが、還御(お上り)では白組が先棒(さきぼう)を担ぐので、赤組は後棒(あとぼう)となる。

輿丁らの濡褌や秋夜川

Autumn river at night,
wet loincloths of Mikoshi carriers.

よちょうらの ぬれふんどしや あきよかわ

▲ 毎年感じることだが、私が「若宮褌」と名付けた、狩衣の上に腹巻と長い前垂れの六尺褌を締め込んだ輿丁たちの出で立ちは、凛々しく、とても男らしい。下半身が丸出しなのは、博多山笠と似ている。そして、純白の狩衣褌が川を渡ると、鼠色に変色し、その苦闘の跡を残した姿で大衆の面前に現れる。その落差がまた良い。お下り、お上りの二回、大松明が夜空を焦がす中で桂川を渡御する裸神輿は、他に類を見ないもので、美しくも勇壮であり、古来の裸褌文化を忠実に受け継いだ日本一の川渡神輿である。

「若宮八幡裸祭'11」
2011.11.11・13 撮影:清原 浩 監修:和田義男

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桂川西岸に上陸する神輿

川中で万歳! 18:58

川中で万歳! 18:58

拡大写真(2400X1600)803KB

撮影:渡邊 淳

桂川西岸に上陸する神輿

桂川西岸に上陸する神輿

拡大写真(1800X1350)474KB

陸組輿丁に担がれて御旅所を出発する還御神輿

陸組輿丁に担がれて御旅所を出発する還御神輿 18:21

拡大写真(2000X1050)370KB

撮影:辻 竜二

濡褌の輿丁たち

濡褌の輿丁たち

拡大写真(2400X1450)547KB

撮影:辻 竜二

 





 









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2012年1月2日(月)

 Wa☆Daフォトギャラリー(わだ・ふぉとぎゃらりー)は、平成12年(2000)7月16日に産声をあげ、徒然日記をスタートさせました。平成23年(2011)には満11歳の誕生日を迎え、平成24年(2012)の元旦に12回目の年頭を迎えました。これまでに多くの方々のご支援を賜って、和田フォトは大きく発展して参りましたが、それに伴って徒然日記の年頭の挨拶も進化してきました。
  平成23年(2011)の年頭に当たり、徒然日記に残されたこれまでの年頭の挨拶を抜粋し、「徒然日記の年賀状」と題してとりまとめてみました。改めて読み返してみると、年頭の挨拶には和田フォトの歩みが凝縮されており、初心に返って新たな一歩を踏み出す活力が湧いて来ます。今年もこの作品に2012年の年賀状を追加しました。

去年今年愛機背負ひて世界旅

Old year turns to new, world tours
with my loving machines on my back.

こぞことし あいきせおいて せかいたび

▲ 平成24年(2012)壬辰(みずのえたつ・じんしん)の年がスタートしました。Wa☆Daフォトギャラリーは、昨年の7月16日に満11歳の誕生日を迎え、この正月で満11歳半となりました。多くの読者と感動写真集40名の同士の方々のお陰で、昨年10月3日に1800万アクセスを超え、あと6ヶ月ほどで2,000万アクセスに到達する見込みとなりました。今年も旅と祭の写真をテーマに交流の輪を広げ、一生に一度の人生を謳歌したいと思っています。
 平成24年(2012)の年賀状は、昨年正月2日に岩手県花巻市で開催された胡四王神社蘇民祭(こしおう・じんじゃ・そみんさい)の写真で、六尺褌・腹巻の上に「まわし」と呼ばれる注連縄(しめなわ)を締めた氏子たちが力紙(ちからがみ)を咥(くわ)え、松明(たいまつ)を持って胡四王山(こしおうさん)の険しい雪中参道を山頂(176m)に鎮座する胡四王神社を目指して登るシーンです。

初春や天狗に続く褌衆

The beginning of spring, guys of loincloth
following a long-nosed goblin.

はつはるや てんぐにつづく ふどししゅう

▲ 右の写真は、天狗(猿田彦命)を先頭に、二列縦隊で山道を登る裸行列を正面から捉えたものですが、光栄にもこの写真が花巻市観光協会が作成した今年の胡四王神社蘇民祭のポスターに採用されました。
 今年も気力体力ともに充実していますので、12年目に入ったロマンと感動の世界旅を続け、愛機OLYMPUS E-5を駆使して、これまで以上に美しく迫力ある画像を散りばめて、夢多き和田ワールドを築きあげて行く所存です。年中葉にはアクセス2000万件を達成できそうです。本年も皆様方のご支援とご鞭撻を衷心よりお願い申し上げ、新年のご挨拶とさせていただきます。

「徒然日記の年賀状」  2012.1.1 作成:和田義男

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徒然日記の年賀状

胡四王神社蘇民祭 / 2012年の年賀状

胡四王神社蘇民祭 / 2012年の年賀状(岩手県花巻市) 1月2日

拡大写真(2000X1350)813KB

2012年のポスター採用された写真 / 胡四王神社蘇民祭

2012年のポスター採用された写真 / 胡四王神社蘇民祭

拡大写真(1550X2000)743KB

 
 





 






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2011年12月27日(火)

  この作品は、今年、日本を旅して野鳥を撮影された横山さんの野鳥シリーズ第四弾で、5頁84枚の長編大作である。これまで、野鳥のロマンと感動を求めて全国を旅した6年間に発表した写真は274枚となり、日本一の野鳥シリーズが完成した。
 横山さんは、今年から1600万画素、連写10コマ/秒を誇るソニーの新鋭機 α55 に最大800mmの超望遠ズームを付けて、更に一段上のレベルを目指しておられる。その成果を感じ取ることができるよう、画像によっては、これまでにない高精細画像をアップした。

雪の洞エゾフクロウは夢の中

A snow cave, the Ural Owl in a dream.

ゆきのほら えぞふくろうは ゆめのなか

▲ 今年も北海道は野幌(のっぽろ)森林公園に行き、雪景色の中のエゾフクロウを撮影しましたが、残念ながら一羽だけでした。いかにも眠たそうな表情なので、「まどろむエゾフクロウ」としました。
エゾフクロウ:フクロウ目フクロウ科 全長 50cm頭が大きく平らな顔をしている。頭から背、翼の上面は灰褐色で、灰色や褐色の縦斑がある。体の下面は淡い灰褐色で褐色の縦斑がある。翼の上面には斑が密にあるので暗色に見える。尾は短く、目は黒っぽい。本亜種は他の亜種よりも随分と白い。雌雄同色。

求愛の雉の鶏冠や蓮華草

Chinese milk vetches,
the crest of a pheasant making advances.

きゅうあいの きじのとさかや れんげそう

▲ この時期は、繁殖のためにカップルで採餌することが多いのですが、なかなか近くには近寄らせてくれません。田圃に咲いた蓮華の中で撮影。
キジ(雉子、雉):キジ目キジ科の鳥。日本の国鳥。また国内の多くの自治体で「市町村の鳥」に指定されている。キジやコウライキジは、世界中で主要な狩猟鳥となっている。なお、国鳥が狩猟対象となっているのは、日本だけという。国鳥に選ばれた理由の一つに「狩猟対象として最適であり、肉が美味」ということが含まれる。

夏海や背高鴫の揃い踏み

Summer sea,
black-winged stilts are lined up.

なつうみや せいたかしぎの そろいぶみ

▲ 毎年この公園では数組のカップルが営巣するのだそうですが、今年はアオダイショウに襲われて、雛が全滅したとのこと。痛ましい限りです。
セイタカシギ(背高鷸):チドリ目セイタカシギ科に分類される鳥類の一種。ユーラシア大陸の暖地、アフリカ北部、オーストラリア、南北アメリカ大陸に、渡り鳥または留鳥として分布する。

大鷹の土鳩を屠る畑かな

The arable land,
a goshawk butchering a pigeon.

おおたかの どばとをほふる はたけかな

▲ 他の鳥を待っているとき、近くの電柱に止ったオオタカの若鳥が、近くの畑で狩をし、その食事中をお邪魔して撮影したものです。餌になったのはドバトでしたが、食事が始まると、餌の方に気を取られ、人の接近に留意はしておりますが、近づき過ぎない限り、餌を放棄して逃げることはないようです。この時は、最終的には6m位まで接近を許してくれました。
オオタカ(大鷹):タカ目タカ科に属する中型の種。日本における鷹類の代表的な種である。古今タカといえば、オオタカを指すことが多い。

百合鴎魚咥へて羽ばたきぬ

An oyster bird flapping,
holding a fish in her bill.

ゆりかもめ さかなくわえて はばたきぬ

▲ ユリカモメの採餌行動は、神川橋では比較的頻度高く観察できますが、風向きの関係で逆光になることが多く、今回は南風で綺麗に撮影 することが出来ました。
ユリカモメ (百合鴎):チドリ目カモメ科に分類される鳥類の一種。全長約40cm。足とくちばしは赤色。夏羽は頭部が黒褐色になる(英名:Black-headed Gull)。冬羽は頭部が白く、目の後ろに黒い斑点があるのが特徴。

「日本の野鳥を撮る旅'11」
2011.1.17-2011.12.15 撮影:横山稔 監修:和田義男

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若いオオタカの食餌 / 平塚市 2011.09.06 15:12

まどろむエゾフクロウ / 北海道江別市 2011.1.29 14:33

まどろむエゾフクロウ / 北海道江別市 2011.1.29 14:33

拡大写真(1750x1150)339KB

蓮華の中の雉恋慕 / 藤沢市 2011.04.18 15:31

蓮華の中の雉恋慕 / 藤沢市 2011.04.18 15:31

拡大写真(2000x1250)459KB

セイタカシギ / 江戸川区臨海町 2011.07.05 13:39

セイタカシギ / 江戸川区臨海町 2011.07.05 13:39

拡大写真(2400x1700)526KB

若いオオタカの食餌 / 平塚市 2011.09.06 15:12

若いオオタカの食餌 / 平塚市 2011.09.06 15:12

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相模川のユリカモメ / 神奈川県寒川町 2011.12.10 11:56

相模川のユリカモメ / 神奈川県寒川町 2011.12.10 11:56

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2011年12月7日(水)

 平成23年(2011)10月27日(木)から1泊2日の日程で熊本県を訪れ、観光タクシーを利用して秋の阿蘇路を旅した。
  熊本県北東部の阿蘇地方に位置する阿蘇は、先史時代の阿蘇山大噴火によって形作られた東西18km、南北25kmに及ぶ外輪山を持つ複式火山であり、火山活動によってできた大きな凹地(カルデラ)である。
▼ 俵山は、熊本県阿蘇郡西原村と南阿蘇村にまたがる標高1,095mの山で、山頂は西原村にある。先史時代の阿蘇山大噴火によって形作られた東西18km、南北25kmにおよぶ阿蘇外輪山の一部であり、その西端に位置する一峰である。

芒野や阿蘇の赤牛見え隠れ

Japanese pampas,
red cattle of Aso half hidden.

すすきのや あそのあかうし みえかくれ

▼ 大野観光タクシーによる「阿蘇一日コース」最初の観光地は、熊本県阿蘇郡南阿蘇村久木野(くぎの)にある「あそ望の郷(あそぼうのさと)くぎの」である。 こゝから見る阿蘇中央火口丘(南面)の眺望が素晴らしく、大野さんのお薦めスポットである。
  阿蘇カルデラの北側は、阿蘇谷と呼ばれ、阿蘇町(あそまち)、一ノ宮町(いちのみやまち)の2町があったが、現在は統合されて阿蘇市となっている。南側は南郷谷と呼ばれ、高森町(たかもりまち)と白水村・久木野村・長陽村の三村統合により新しく生まれた南阿蘇村の1町1村がある。現在、あわせて約5万人がこのカルデラ内で生活している。

秋桜や湧き立つ雲の阿蘇連山

Cosmoses,
Aso mountain ranges producing clouds.

しゅうおうや わきたつくもの あそれんざん

 阿蘇中央火口丘は、阿蘇北カルデラ最高峰の大観峰からの眺望が素晴らしいが、この日は午後から気流が悪く、雲が湧き上がり、大観峰のほか、草千里や中岳火口へは行かなかった。
▼ 米塚を見た後、米塚下園地で下車し、阿蘇の薄野を撮影した。駐車場の上の草原では、トラクターなどを使って牧草の収穫作業が行われていた。写真は、トラクターがテッターを牽引し、牧草をかき混ぜて乾燥させる作業を行っているところである。

大阿蘇や雲に呑まるる芒原

Great Aso Mountains,
the clouds covering the Japanese pampas.

おおあそや くもにのまるる すすきはら

大阿蘇の嶺を呑み込む狭霧かな

Dense fog to shroud
the summit of Great Aso Mountains.

おおあその みねをのみこむ さぎりかな

▼  阿蘇中央火口丘の西斜面を下り、再び阿蘇市に入り、赤水で下車。黒川に架かる橋の上から周囲の景観を撮影した。近くには阿蘇赤水温泉があり、阿蘇ゴルフ倶楽部赤水コースがある。
 阿蘇市赤水から阿蘇中央火口丘を眺めると、中央には、中腹に中岳噴火口の入口となる草千里を擁する杵島岳(きじまだけ)が聳え、その左手前に米塚が見える。右(南)端の山が烏帽子岳である。
 この日は、気流が悪く、そのお陰で豪快に雲を湧き上げる阿蘇中央火口丘の様子を眺めることができた。晴天の穏やかな阿蘇も勿論素晴らしいが、いつもはこのような雲が湧いている日が多いと思われるので、これが阿蘇の素顔だといっても良い。

見上ぐれば狭霧に咽ぶ阿蘇の山

Looking up at Aso Mountains,
choking in the rising clouds.

みあぐれば さぎりにむせぶ あそのやま

▼ 続いて雄大な北外輪の尾根を走るミルクロード沿いに北上した。景色の良いところで下車し、阿蘇外輪山の秋のダイナミックな景観を切り取った。写真は、左上に雲が湧き上がる阿蘇中央火口丘が見える。

大阿蘇の芒は赤くなりにけり

Great Aso Mountains,
Japanese pampas grass became red.

おおあその すすきはあかく なりにけり

 阿蘇の大草原は、何百年もの間、野焼きによって人工的に作り出されたもので、草原の草は、春から秋に至る放牧の牛馬の飼料となり、冬期の飼料となる干し草の原料となる貴重な資源である。

「秋の阿蘇路」 2011.10.28 撮影・制作:和田義男

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豪快に雲を湧き上げる阿蘇中央火口丘 / 赤水

俵山(1,095m)の裾野に広がる

薄野すすきの

 / 阿蘇西外輪

俵山(1,095m)の裾野に広がる薄野 / 阿蘇西外輪 10:27

拡大写真(2400X1600)667KB

秋桜コスモス と阿蘇連山 / 南阿蘇村

秋桜と阿蘇連山 / 南阿蘇村

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牧草ぼくそう の刈入れ作業 /

米塚下園地こめづかしたえんち

牧草の刈入れ作業 / 米塚下園地

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杵島岳きしまだけ (1,270m)が見えた! /

米塚下園地こめづかしたえんち

杵島岳(1,270m)が見えた! / 米塚下園地

拡大写真(2400X1800)859KB

豪快に雲を湧き上げる阿蘇中央火口丘(西面) / 赤水

豪快に雲を湧き上げる阿蘇中央火口丘(西面) / 赤水

拡大写真(2400X1400)488KB

阿蘇北外輪から東方・中央火口丘を望む / ミルクロード

阿蘇北外輪から東方・中央火口丘を望む / ミルクロード

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2011年11月22日(火)

 平成21年(2009)9月6日(日)、長野県小諸市(こもろし)八幡町(はちまんちょう)に鎮座する小諸八幡宮(こもろはちまんぐう)で八朔相撲(はっさくずもう)が奉納された。
  八朔相撲は、八幡宮の祭礼行事として位置付けられてきたもので、毎年、陰暦の八月朔日(一日)に行われることから「八朔」の名がある。現在は、9月の第1日曜日に開催される。
 正式には「小諸八幡宮八朔相撲」と呼ばれるこの宮相撲は、諏訪八幡宮の氏子町である荒町六区(荒町あらまち・八幡町はちまんちょう・紺屋町こんやまち・三和みつわ・東雲しののめ・松井まつい)の役員で構成される小諸八幡宮祭事係が主催する秋祭で、世話役・四役の代表は、氏子総代長をつとめる小林忠昭さん。

八朔や化粧廻の豆力士

First of August, 

children of sumo wrestlers

wearing an ornamental loincloth.

はっさくや けしょうまわしの まめりきし

 当日は、荒町六区の子どもたちが立派な化粧まわしをつけて市内を練り歩き、土俵入のあと、熱のこもった取組みを披露する。平成8年(1996)に小諸市重要無形文化財に指定された。
  平成21年(2009)9月6日(日)の八朔相撲は次の日程で行われた。■11:00〜11:50 町内練り歩き ■11:50〜12:20 神事 ■12:20〜12:40 土俵入 ■13:30〜14:40 取組み。

八朔の化粧廻や福草履

Straw sandals of good luck,

ornamental loincloths of August First.

はっさくの けしょうまわしや ふくぞうり

 八朔相撲は、徳川家康が天正18年(1590)8月1日(八朔の日)に江戸城に入城したことを祝い、五穀豊穣と天下泰平を祈願するため、慶長13年(1608)、初代の小諸城主・仙石秀久(せんごく・ひでひさ)が八幡神を当地に 勧請(かんじょう)し、八朔の日に奉納相撲を始めたものと伝えられ、約400年の伝統を誇る宮相撲である。
 八朔相撲が奉納される相撲場は、小諸神社拝殿の左前にある常設の土俵で、土壇(つちだん)を約1m20cmの高さに盛り上げて作られた土俵は、「蛇の目の辻(じゃのめのつじ)」と呼ばれ、極めて特異な形をしている。
  八朔相撲に参加した子供たちは、6歳から12歳までの小学生、総勢19人だった。氏子総代長の小林忠昭さんによると、豆力士たちは、小組しょうぐみ(1・2年生)、中組ちゅうぐみ(3・4年生)、大組おおぐみ(5・6年生)に分けられており、それぞれに横綱が一人いる。

八朔や子供横綱土俵入

First of August, sumo grand champions

of children performing in the ring.

はっさくや  こどもよこづな どひょういり

▲ 土俵開きの神事が行われたあと、豆力士たちは、12時20分ころから小組(しょうぐみ)、中組(ちゅうぐみ)、大組(おおぐみ)の順に蛇の目の辻の土俵にあがり、長い歴史を感じさせる独特の所作とかけ声で土俵入りを奉納した。

木漏日の相撲童や白ふどし

White loincloth of the children,

wrestling under the sun streaming

through the leaves of trees.

こもれびの すもうわらべや しろふどし

▲ 午後1時半すぎから、子ども相撲の取組みがはじまった。子供たちの胸には、学年を表す数字と苗字が黒マジックで書かれていた。
取組は、伝統に則って全て3番勝ち抜き戦。取組みが中組、大組へと進むにつれて、白熱した好勝負が繰り広げられ、土俵に向けて声援が飛び交い、場内は大いに盛り上がった。

「小諸八朔相撲」 2009.9.6 監修:和田義男

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四股を踏む

白壁の土蔵の前を下る中組たち/市内パレード

白壁の土蔵の前を下る中組たち/市内パレード

拡大写真(2000X1500)445KB

荒町二丁目から小諸八幡宮に向かう 11:44

荒町二丁目から小諸八幡宮に向かう 11:44

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四股しこ

を踏む

四股を踏む

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首投げ!

首投げ!

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2011年11月17日(木)

 平成21年(2009)8月1日(月)、静岡県静岡市清水区袖師町(そでしちょう)に鎮座する神明宮(しんめいぐう)(小澤一徳おざわかずのり宮司 40歳)で第98回少年奉納相撲大会が開催された。
  奉納相撲は、地元氏子たちによる袖師町自治会が勧進元となって運営されており、清水袖師小学校(袖小)の児童と嶺保育園の園児、合わせて約140人が参加した。
▼ 神事のあと、午前9時過ぎから取組みが始まった。袖小の豆力士たちは、相撲まわしとして、白晒布を使った褌を締め込んでおり、詰めかけた住民たちから大きな声援を受けて、熱の入った取組が展開された。

百年の白褌や宮相撲

Sumo wrestling at shrine, white
fundoshi loincloth for a hundred years.

ももとせの しろふんどしや みやずもう

▼ 午前中の取組終了後、子供たちによる相撲甚句が披露され、その後、大人たちが化粧まわしを身につけて、土俵入りを行った。
  続いて幼児健康祈願の土俵入りが奉納された。化粧まわしを付けた力士が赤ちゃんを抱きかかえ、神前で土俵入りを行い、赤ちゃんが健やかに成長するように祈願するもので、赤ちゃんは鉢巻きを締めている。 赤ちゃんをみつめる亀甲山の優しいまなざしが印象的だった。

をさな児を片手にいだき宮相撲

Sumo wrestling at shrine,
holding a baby in his arm.

おさなごを かたてにいだき みやずもう

▼ 午後12時半頃から後半戦の取組が行われ、上位の力士の番となった。役付力士になると、紺色の本式の相撲まわしを締めている。相撲甚句のときと同じように、前垂れは長いままで相撲を取っていた。
  いよいよ千秋楽。最後の大一番の優勝決定戦となった。熱戦の末、体格に優る本命が優勝を果たした。
 行司より、優勝旗が優勝力士に手渡された。赤い旗を受け取った豆横綱は、満面の笑みを浮かべながら、旗を肩に担いで土俵入りを披露した。

宮相撲赤旗肩に土俵入

Sumo wrestling at shrine,
ceremonial performance on the ring
 holding a red flag on his arm.

みやずもう あかはたかたに どひょういり

  少子高齢化により、伝統の祭礼が催行できなくなる事態が全国の社寺を直撃しているが、ここ袖師町でも例外ではなく、明治後期に始まった奉納相撲は、平成23年(2011)8月1日で100回目を迎えたが、祭の中核だった青年団が高齢化し、相撲を取れなくなってしまったため、地元小学校に通う児童に未来を託すことになり、現在は、清水袖師小学生と嶺保育園児たちによる少年奉納相撲大会として催行されている。

「袖師少年奉納相撲」 2009.8.1 監修:和田義男

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優勝旗を担いで土俵入り 13:55

土俵際の攻防

土俵際の攻防

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幼児健康祈願の土俵入り / 亀甲山 12:00

幼児健康祈願の土俵入り / 亀甲山 12:00

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優勝旗を担いで土俵入り 13:55

優勝旗を担いで土俵入り 13:55

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2011年11月13日(日)

 平成23年(2011)7月1日(木)から15日(木)まで の間、770年目となる博多祗園山笠が開催された。昨年に引き続き、休日を利用して福岡入りし、3日(日)と10日(日)の様子を撮影した。
 昭和54年(1979)に国から重要無形民族文化財の指定を受けた櫛田神社の夏祭・博多祗園山笠は、7月1日から15日まで福岡市内の14箇所で絢爛豪華な飾り山笠が展示され、1日の舁き山笠7流の当番町・役員が箱崎浜で身を清めるお汐井とりに始まり、10日の流舁き、11日の朝山笠、他流舁き、12日の追い山笠ならし、13日の集団山見せ、14日の流舁きと次第に盛り上がり、15日の櫛田入りタイムレース・追い山笠で最高潮に達する。

見上ぐれば傘を差したる飾山笠

Looking up at the Kazari-yama,
an umbrella above.

みあぐれば かさをさしたる  かざりやま

▼ 博多小学校では、戦前にも子供山笠があったが中絶し、昭和45年(1970)に当時の奈良屋小学校で開始されたが、学校の統廃合に伴い、現在は博多小学校の行事となった。博多小学校が運営する子供山笠は、博多流と呼ばれ、櫛田神社境内に入る唯一の子供山笠である。
  子供たちは、大銀杏の前から清道旗を回り、元の位置までの時間を競い合う。この日は3組が出走し、3番手の組が最高タイムを更新し、拍手喝采を浴びた。
 小学生たちにとっては、極めて重い重量物の運搬なので危険が伴うため、教職員などの大人たちが周囲に配備しているが、山笠を動かしているのは全て小学生たちである。

力水子供山笠濡鼠

Children carrying a Yamakasa wagon,
Taking water like drowned rats!

ちからみず こどもやまかさ ぬれねずみ

▼ 7月10日(日)は、博多祇園山笠の舁き山笠が本格的に動き始める日で、福岡市博多区では運営組織の七流がそれぞれの区域内で舁き山笠を披露する流舁きが行われ、水法被に締め込み(褌)姿の男たちが勇壮に駆け回った。
  大黒流の今年の標語は、「常行一直心」。「つねに・いちじきしんを・ぎょうず」と読む。「一直心」とは「真っ直ぐな心」「無心」というような意味で、先入観を抱かず、「常に純真な心で行動しよう」というような意味らしい。

大黒や一直心の流舁

Daikoku the god of wealth, carrying a
 wagon by a group of innocent minded.

だいこくや いちじきしんの ながれかき

  大黒流は、博多川右岸一帯の十二ヶ町で構成する。古くからの伝統を誇り、しきたりが色濃く残っている。流の名称は大黒天に由来する。当番法被、水法被とも町ごとに異なっている。女の子も褌を締め込む熱中ぶりである。

「博多山笠寸描'11」 2011.7.3&10 撮影・原作:辻 竜二

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清道旗通過 / 子供山笠二番手

キャナルシティ博多の巨大な空間

キャナルシティ博多の巨大な空間

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小学生三番手の出走 / 櫛田神社

小学生三番手の出走 / 櫛田神社

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角を廻る舁き山 / 大黒流

角を廻る舁き山 / 大黒流

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2011年11月9日(水)

 2011年6月28日(火)から7月7日(木)にかけて阪急交通社の企画するイギリスへの旅に家内と共に参加した。
 日本の広さの2/3に当たる24.5万km2の国土に日本の人口の半分に当たる約 6,150万人が暮らすイギリスは、正確には「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」といい、連合王国と略称する。イギリスは、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドから構成される立憲君主制国家であり、英連邦王国の一国である。
▼ 最初の観光地・チェスターは、イギリス、イングランド北西部チェシャー州 の中心都市。ディー川沿い、ウェールズとの境に位置する。イギリス国内では最良の状態で現存する城郭都市のひとつである。人口は約8万人。西暦79年頃、ブリテン島を支配していたローマ人がウェールズとの戦争に備えて基地を建設し、定住したことに始まる。

青葉して古き石橋二三人

Green leaves, two or three
men crossing an old stone bridge.

あおばして ふるきいしばし にさんにん

▼  ツアー 三日目は、午前8時にホテルを出発し、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」の舞台となったハワースと湖水地方の観光を楽しみ、チェスターに戻って連泊した。 

万緑や嵐が丘の一軒家

Full of green leaves,
a house on the Wuthering Heights.

まんりょくや あらしがおかの いっけんや

▼  湖水地方は、イングランド北西端のカンブリア州に広がる風光明美な地域で、氷河時代の痕跡が色濃く残り、渓谷沿いに大小無数の湖が点在する。リゾート地や保養地として知られ、1951年にはその大部分にあたる2,292km2が国立公園に指定された。 
 湖水地方の南部の玄関口として発展してきたウィンダミアは、 ウィンダミア湖東岸の町で、湖水地方における重要な観光拠点となっている。
昼食後、ウィンダミア湖西方約3kmに位置する小さな村ホークスヘッドに行き、ピーター・ラビットで知られる世界的な絵本作家ヘレン・ビアトリックス・ポターの原画や水彩画、遺品などが展示されている美術館「ビアトリックス・ポーター・ギャラリー」を見学した。その後、湖上遊覧を楽しんだ。

氷河湖やヨット静かに一文字

Glacier made lake,
a sailing boat drawing a beeline quietly.

ひょうがこや よっとしずかに いちもんじ

▼  ツアー 四日は、リバプール、スランゴスレン、アイアンブリッジ 渓谷を見学し、夕刻バーミンガム泊。
  リヴァプールは、英国イングランド北西部マージーサイド州の中心都市。ザ・ビートルズ誕生の地として名高い。人口約45万人。アイリッシュ海に面し、マージー川の河口に位置する。18世紀から貿易港として発展した。
 リヴァプールの観光用車両として活躍しているのがこの珍しい水陸両用バスで、その名もビートルズのイエローサブマリンならぬイエロー・ダックマリン。確かにアヒルを連想する。

夏海やイエローダックのリヴァプール

Summer sea,
Liverpool is the Yellow Duck.

なつうみや いえろーだっくの りう゛ぁぷーる

▼ スランゴスレン(ランゴレン)は、ポントカサルテ運河橋のある町として知られ、観光客で賑わっている。ポントカサルテ運河橋は、スランゴスレンの市街地東方約5kmの郊外にあり、ディー川北岸のトレバーと南岸のフロンカサステとを結んでいる。
 2009年に世界文化遺産に登録されたこの運河橋は、ウェールズ北東部を流れるディー川の渓谷を跨ぐように架けられた大規模な運河橋で、19世紀初頭に完成した。

夏空に浮かぶ運河や針魚舟

A halfbeak boat on the canal,
floating in the summer sky.

なつぞらに うかぶうんがや さよりぶね

▼ ツアー五日目は、朝、バーミンガムを出立し、シェイクスピアの故郷ストラトフォード・アポン・エイボンを観光。午後はイギリスで1番美しい村 といわれるバイブリーで知られるコッツウォルズ地方を観光。
 ストラトフォード・アポン・エイヴォン(「エイヴォン川の畔にあるストラトフォード」の意)は、イングランド中部のウォリックシャ州にある町。イギリスが誇る文豪ウィリアム・シェイクスピアの故郷として世界的に知られており、年間 500,000 人の観光客が訪れるという。

夏柳エイヴォン川のスワンかな

The summer willows,
swans on the River Avon.

なつやなぎ えいう゛ぉんがわの すわんかな

▼ コッツウォルズは、イングランド中央部に広がる標高300m以上に達する丘陵地帯であり、時としてイングランドの中心と呼ばれ、特別自然美観地域として指定されている。
 「英国で最も美しい村」と激賞されたバイブリー Blbury は、コッツウォルズ地方のボートン・オン・ザ・ウォーターの南西約25kmにあり、14世紀に造られたアーリントン・ロウ(アーリントンの列)と呼ばれる長屋風の建物がこの村の景観の象徴となっている。

蜜月や蜂蜜色の若葉宿

Honeymoon,
the ivy-covered hotel of honey colour.

みつげつや はちみついろの わかばやど

▼  ツアー六日目は、バース・アンド・ノース・イースト・サマセットにあるバースとストーンヘンジを観光。
 バースは、イングランド西部、 ロンドンの西140kmにあり、エイヴォン川沿いの丘陵地帯に階段状に広がっており、バース・ストーンと呼ばれる乳白色の石で造られた建築群は美しく、バース市街は、1987年に世界文化遺産に登録された。
  バースは湧出温度45℃の三つの源泉から供給される温泉で知られ、紀元前からある温泉場として有名。その地名が英語の「 bath 風呂」の語源となったといわれているが、正しくは風呂を意味するゲルマン古語からその名がつけられたという。

夏空を見上げる浴場エンタシス

Entasis of the bath,
looking up at the summer sky.

なつぞらを みあげるよくじょう えんたしす

▼ ロンドンは、イギリス及びイングランドの首都である。シティ・オブ・ロンドンあるいは単にシティと呼ばれる地域から発展したロンドンは、ヨーロッパにおける有数の歴史都市であり、中世や近世に建設された建造物が数多く残されている。
 ビッグ・ベンは、首都ロンドンにあるウェストミンスター宮殿(英国国会議事堂)に付属する時計塔の最も大きな鐘につけられた愛称だが、今では、時計塔全体や大時計そのものを指すようになった。

夏川を上るフェリーやビッグ・ベン

Big Ben, a ferryboat
going against the stream of summer river.

なつかわを のぼるふぇりーや びっぐべん

▼ ウィンザー城は、ロンドン西方約35kmのテームズ川南岸に広がるバークシャー州の古都ウィンザーにあるイギリス王室の城で、テムズ川を見下ろす高台に築かれている。約45,000m2の床面積を持ち、現存する城で人が住むものとしては最大のものである。
 ウィンザー城の歴史は、1089年にウイリアム征服王がこの地に要塞を築いたことに始まる。その後、治世が変わるごとに、増改築が行われ、オリジナルの中世の様式から、チューダー式、ゴシック様式と、異なる様式が混在する城となった。

下曲輪ウィンザー城の夏の色

Lower Ward,
the summer colour of Windsor Castle.

しもくるわ うぃんざーじょうの なつのいろ

▼ 約10万5千人を擁するドーヴァー は、ドーヴァー海峡に面したイングランド・ケント州の主要な港湾都市でグレート・ブリテン島で最も大陸と近い場所にある。ドーヴァーは、遙か昔からイギリスと大陸とを結ぶ町として栄えてきたが、軍事上の要衝でもあった。

要塞の白亜の崖や夏の海

Summer sea,
the white Cliffs of strongholds.

ようさいの はくあのがけや なつのうみ

 

「英国への旅」 2011.6.28-7.7 撮影・ 原作:小池淳二

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時計台から西方の眺め

ディー川とオールド・ディー・ブリッジ / チェスター

城郭のそばを流れるディー川とオールド・ディー・ブリッジ

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嵐が丘の傾斜地に建てられた一軒家 / ハワース

丘の傾斜地に建てられた一軒家

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クルージング・ヨット/  ウィンダミア(湖水地方)

途中ですれ違ったクルージング・ヨット

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海上を航行する水陸両用バス「イエロー・ダックマリン」

海上を航行する水陸両用バス「イエロー・ダックマリン」

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ナローボート Narrowboat の後部 / スランゴスレン

ナローボート Narrowboat の後部

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白鳥を宿すエイヴォン川

白鳥を宿すエイヴォン川

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スワン・ホテルと庭園のそばを流れるコルン川 / バイブリー

美しいスワン・ホテルと庭園のそばを流れるコルン川

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紀元75年に築かれたローマン・バス / バース

ローマ時代の紀元75年に築かれたローマン・バス

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国会議事堂とビッグ・ベン / ロンドン

国会議事堂とビッグ・ベン

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ロワー・ウォード(下の曲輪)/ ウィンザー城

ロワー・ウォード Lower Ward (下の曲輪)東方

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ドーヴァー海峡で海水浴を楽しむ人たち

ドーヴァー海峡で海水浴を楽しむ人たちとホワイト・クリフ White Cliffs

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2011年10月21日(金)

 2005年9月23-24日と、インドのダム建設現場から帰任の際に、バンコクを経由して、バリ島に一泊旅行で、立ち寄って来た。
 27歳から33歳まで6年間いたインドネシアだがバリ島のデンパサール国際空港の滑走路建設工事で、30代の前半の3年半この島で仕事をした。
▼ バリ人のちょいとの移動は、単車である。それにしても住宅街の風景は、昔と全く変わらない。バリでは、時間が止まっているような感覚に陥る。

緑陰を単車で走る笑顔かな

A smiling face,
riding a motorcycle in the shade of trees.

りょくいんを たんしゃではしる えがおかな

▼ 米の島バリでは、年に三回お米がとれる。いつ田植えをするのかは、農家でバラバラ。ウブドのホテルの二階から見える水田で、田植えをしている姿をとらえた。
 この水田は、既に稲穂をつけている。向こうの方には鳥を追い払う仕掛けが張られている。日本のようにカカシもあるという。手前は、田の神を祀る祠(ほこら)である。屋根をつけた供物台まであるのは、さすがバリである。

田の神を祀る祠や垂れ稲穂

A small shrine for the guardian deity
of rice fields, the ears of rice bowing.

たのかみを まつるほこらや たれいなほ

 私は、一人旅が大好き。集団で動くのは、どうも苦手な私である。自分のペースを乱されたくないという気持ちがここでも一番にあると思う。また、旅する先に、訪ねて行ける人がいる・・・その意味は大きい。旅の目的にもなるからで、あてども無く旅するのが苦手なのも、私の貧乏性の性格を表していると思う。
 バリ空港の建設工事で、当時一緒に乗り込んだ所長は、その後、ジャカルタで倒れて、苦しむこともなく、そのまま天国に召されてしまった。インドネシア駐在歴25年以上の猛者で、59歳だった。

「バリ島再訪!」 2005.9.23-24 撮影・ 原作:丹下誠二

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ウブドの田植え

単車と笑顔のおやじ

単車と笑顔のおやじ

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田の神を祀る祠

田の神を祀る祠

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2011年10月18日(火)

 平成23年(2011)9月23日(金)から28日(水)までの6日間、家内と共にH.I.S.(エイチ・アイ・エス)の手配によるインドネシア・バリ島への個人旅行を楽しんだ。
  インドネシアは、東南アジア南部に位置する共和制国家で、首都はジャワ島に位置するジャカルタである。東西の距離は5,110kmと非常に長く、世界最多の島嶼を抱える群島国家で、総面積は約189万km2 あり、日本の約5倍の広さに2億3千万人が住んでいる。
 南緯8度20分、東経115度10分付近に位置するバリ島は、首都ジャカルタのあるジャワ島のすぐ東側に位置する。約389万人が暮らすバリ島の面積は5,633km2 で、愛媛県ほどの大きさである。周辺の諸島と共に、第一級地方自治体であるバリ州を構成し、州都はデンパサール Denpasar 。

ガムランの音色涼しきバリの宿

A hotel of Bali,
cool is the tone of Gamelan.

がむらんの ねいろすずしき ばりのやど

▲  ホテル「ニッコー・バリ」に到着すると、フロントロビーで歓迎のガムラン・リンディックの演奏が行われていた。最初、この曲や楽器がどういうものかは全く分からなかったが、耳に心地よいこの楽器の演奏に魅了され、後日、ウブドでガムランのCDアルバム4枚を入手した。

年三たび稲刈る民やバリの島

Bali island,
the people reap rice three times a year.

ねんみたび いねかるたみや ばりのしま

 2日目9月24日(土)は、終日、専用車でバリ島の観光地を巡るバリ島達人ツアーを楽しんだ。 
▲ 郊外に出ると、稲作が盛んに行われており、農民たちが稲刈りする風景が見られた。稲田の向こうはトウモロコシ畑である。バリでは、年に米が3度取れるという。四季はないが、あと1回野菜を収穫するとのことで、年に4回作物を収穫できるという。農薬散布の光景も見られたので、化学肥料も使われているのだろう。

黄金のバリの獅子舞善と悪

Good and evil, a golden lion dance of Bali.

おうごんの ばりのししまい ぜんとあく

▲  バリ島で最も人気が高い「達人ツアー」の最初の訪問地は、州都デンパサール東方のケシマン・ワリバン通りに位置するバロンダンス専用の劇場だった。
 バロンダンスは、ガムランと呼ばれるバリ島独特の楽器を使用して行われる踊りであるが、明快な思想とストーリーがある。すなわち、人々は心の中に良い魂と悪い魂、つまり善悪(清濁)を合わせ持っており、そのせめぎ合いは永遠に決着がつかず、この世では善悪が永久に共存するという思想である。
  最後のステージで、バロンに加勢する戦士たちが現れてランダと戦うが、ランダの魔法にかけられて、ランダに対する怒りをすべて自分に向けてしまい、聖剣クリス kris を自らの身体に突き刺してしまう。

ゴアガジャの千歳の泉女神像

Statues of goddess at Goa Gajah,
 fountains of a thousand years old.

ごあがじゃの ちとせのいずみ めがみぞう

▲ バリ更紗や銀細工の工房などを見学したあと、ウブドから南東方約5kmに位置する11世紀頃のヒンドゥー寺院の遺跡「ゴアガジャ」を訪ねた。ゴアとは「洞窟」で、ガジャとは「象」を意味するインドネシア語である。
細い参道を下るとお堂の前に出る。その横を進むと、左右一対の沐浴場がある。かつては修行僧や信者たちがここで身体を清めていたという。

テガララン椰子の葉そよぐ青田かな

Tegallalang of green rice fields,
palm leaves swaying in the wind.

てがららん やしのはそよぐ あおたかな

▲ テガララン村 Desa Tegallalang は、インドネシア共和国バリ州ギャニャール県テガララン郡の村。ウブドの北方約8kmに位置する。北から南に流れるトゥンガン川やマス川に削られた南北に細長い舌状台地にあり、川沿いに作られたライステラス(棚田)の風景で知られる。

夕焼けて
ケチャックダンスの意に沿へり

The evening glow,
just as wanted for the kecak Dance.

ゆうやけて けちゃっくだんすの いにそえり

▲ ケチャック kecak とは、インドネシアのバリ島で行われる男声合唱をいうが、呪術的な踊り サンヒャン Sang Hyang を伴う舞踏劇である。ケチャともいうが、バリ島では K は発音しないので、単に チャ という。
 ケチャックダンスは、バリ島の数あるダンスの中でも最もユニークな踊りである。猿に扮した50〜100人の半裸の男性による「チャッ、チャッ、チャッ ・・・」という大合唱の中で物語が進行する。ガムラン楽器による演奏はないので、完全なアカペラによる舞踊である。

涼しきは白波寄するバリの浜

Cool is the beach of Bali,
the white waves washing the shore.

すずしきは しらなみよする ばりのはま

▲ 3日目9月25日(日)は、終日、ホテル ニッコー・バリ NIKKO BALI RESORT & SPA にて静養した。これまで、慌ただしい観光旅行を続けてきた筆者にとって、初めてのホテル滞在型旅行を楽しんだ。
▼ 4日目9月26日(月)は、チャーター・カー・ツアーを選択。12時間車を借り切り、終日、バリ島の観光地を巡った。
 バドゥン半島の西端に位置するウルワツは、断崖絶壁で知られる。岬の突端は75mの高さからインド洋へ落ち込む断崖で、その上に10〜11世紀に創建された海の霊を祀るウルワツ寺院がある。高僧ニラルタに因む聖地として多くの人々が参拝に訪れ、旅行者にも雄大な夕日を眺めるスポットとして人気がある。毎晩夕方6時からオープンステージでケチャックダンスが公演される。

断崖のウルワツ寺院夏怒濤

Surging summer waves,
Uluwatu temple on a bluff.

だんがいの うるわつじいん なつどとう

▲ バリ島の六大寺院のひとつに数えられるウルワツ寺院は、11世紀にジャワの僧ウンプ・クトゥランによって建立され、16世紀に高僧ダン・ヒャン・ニラルタが増築を行ったとされる重要な寺院で、晩年のニラルタはウルワツに隠遁し、解脱に達したという。

磯の香や目にも涼しきバリ寺院

Smell of the seashore,
cool-locking is the Bali temple.

だんがいの うるわつじいん なつどとう

▲ タナロット寺院は、バリ島中西部の海岸にある寺院でバリ六大寺院のひとつ。干潮時には陸続きとなり、歩いて渡ることができる。夕暮れ時には美しいシルエットを形成し、多数の観光客が訪れている。エルニーニョ現象による海面の上昇などが原因で、海岸の浸食が進んでいたが、日本のODAによる景観を再生するプロジェクトが実施された。
▼ バリ島最後の観光は、ウブド王宮煉瓦門の前庭で毎日公演されるレゴンダンスの観賞である。

涼しきは王宮舞踊星聖夜

A holy night full of stars,
cool is the dance at the palace.

すずしきは おうきゅうだんす ほしせいや

▲ レゴンダンスは、バロンダンスとケチャックダンスと共にバリ三大舞踊のひとつに数えられる。レゴンダンスには何種類かあるが、通常はレゴンクラトン Legong Keraton のことをいう。クラトンとはインドネシア語で宮殿のことで、宮廷舞踊として伝えられてきたものである。

「バリ島は招く!」 2011.9.23-28 撮影・制作:和田義男

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聖獣バロンの前で自害する戦士

歓迎のガムラン・リンディックの演奏

歓迎のガムラン・リンディックの演奏 / ニッコー バリ フロントロビー 18:53

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バリの稲刈風景 / デンパサール郊外 09:12

バリの稲刈風景 / デンパサール郊外 09:12

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聖獣バロンの前で自害する戦士

聖獣バロンの前で自害する戦士

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豊満な姿態の女神像

豊満な姿態の女神像

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ライステラス(棚田)のパノラマビュー

ライステラス(棚田)のパノラマビュー 15:40

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円陣を組んであぐらをかいた男たち

円陣を組んであぐらをかいた男たち

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素晴らしいオーシャンビュー!/インド洋

素晴らしいオーシャンビュー!/インド洋

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断崖の三重塔 / ウルワツ寺院

断崖の三重塔 / ウルワツ寺院

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西に向いて建つ島の寺院 / タナロット寺院

西に向いて建つ島の寺院 / タナロット寺院

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6人の美女による歓迎の踊り ガボール Gabor 19:42

6人の美女による歓迎の踊り ガボール Gabor 19:42

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★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭
 
東京 2011年6月30(木)曇 俳句「海の風景」1,500句達成! 2011年6月30日(木)夜、日本の裸祭り第137集「玉前神社夏越禊’11」をアップして5句を俳句「海の風景」に追加し、「清けしや九十九里の浜の夏禊」の句で遂に1500句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ12年、実質約11年かかって達成した。1000句から1500句までは、29ヶ月しかかかっていない。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。当面の目標は2000句だが、このペースで行けば、あと2〜3年で実現できる。ゴールは夢物語ではなくなってきたのが嬉しい。
 

1500句目の俳句

1500句目の俳句
 
東京 2009年3月16(月)晴 俳句「海の風景」1,000句達成! 2009年3月13日(金)夜、旅紀行ジャパン第110集「早春の山形蔵王」 をアップし、4句を俳句「海の風景」に追加し、「蔵王山霧氷の華の極まれり」の句で遂に1000句となった。2000年7月16日の第1句「枇杷の木を揺すりゐし子ら玉の汗」から数えて足かけ10年、実質8年8ヵ月かかって達成した。「継続は力なり」を信条にコツコツと積み上げてきたが、矢張り感無量である。

 最初は成算があるわけではなく、目標のない船出だった。海の風景をと思ってスタートしたが、途中で種切れとなり、タイトルと各集のカバー写真だけが海の風景となった。駄作の積み重ねだったが、たまに良い句も生まれており、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」の諺は、私の写真だけでなく、俳句にも当てはまった。(^^; 

 「世界の旅の写真館」のお陰で、最近は、感動写真集の34人の同志の方々からも写真が寄せられるので、世界中から集まるロマンと感動の写真を見ながら、主として通勤電車の中で発句した。こうしてみると、芭蕉の「奥の細道」の世界版という感じがし始め、句想を練るときには、芭蕉の気分になるから楽しい。

 最近は、写真俳句が流行っており、森村誠一さんのアスパラ写真俳句塾など、新聞社やプロが主宰するフォーラムなどもあるが、少なくともinternetの世界では、その先駆けはこの俳句「海の風景」である。しかも全句英訳付きというのは、誰もやっていない。手前味噌で恐縮だが、自己宣伝しないと誰も云ってくれないし、それでは分からないので、あえてアピールさせて頂く。人がやっていないことをやるのは、誠に痛快で、気持ちが良い。(^^

 現在満62歳になったばかりで、心技体はとても充実している。これからも芭蕉になったつもりで、世界中の旅の風景を17文字に変換してゆきたい。次の目標は2,000句である。それが達成できるまで、この世に存在することを神に祈りたい。
 
東京 2008年8月15日(金)晴   kinuko   様より

南ドイツの旅 残暑お見舞申し上げます 南ドイツの旅の画像有難う御座いました。爽やかな田園風景素晴らしいですね ロマンチック街道の麦畑等は見て居るだけで暑さを忘れさせます。

今回も即吟で沢山句を詠まれて居ますね どれを取っても素晴らしいです 和田先生はブログで写真俳句を出されたら如何でしょうか? お忙しいと思いますが俳句を詠んで居る人達がきっと喜んでくれると思います。有難う御座いました。
 
おはようございます。写真俳句のご提言有り難うございます。ご主旨は、単独のブログをということだろうと拝察していますが、既に「俳句・海の風景」という英訳付き写真俳句を発表しておりますので、単独のブログと代わりません。

朝日新聞のアスパラ塾がメジャーで、森村誠一さんの著書もありますが、最初に写真俳句をはじめたのは私ですし、英語俳句もあわせたものは、世界広しといえども他に例がありません。既に850句ほどになり、これからも旅にあわせて拙句を発表してゆきたいと思っていますので、ご期待下さい。有り難うございました。

東京 2007年12月29日 旅と俳句 60歳という還暦を迎えた平成19年(2007)は、1月1日の「509 初景色亥年還暦浪漫旅」からはじまり、第15集706句の「観世音秋桜揺るる散歩道」まで、約200句を創った。当面の目標である1000句まで、そんなに遠い道のりではなくなった。お陰様でアクセス件数も9万件を超えた。大変有り難いことだと思う。私は怠け者なので、どうしても発句しないといけない状況に追い込まれないと俳句が作れない。Wa☆Daフォトギャラリーというinternetのホームページに発表の機会があったからこそ、ここまで歩いてくることが出来た。

それだけではない。旅をしたからこそ、色々なテーマに向かって17文字の世界一短い詩を考え、自分なりの世界を築くことができた。旅の作品には、自分の写真であれ、感動写真集作者の写真であれ、必ず俳句を付けるというルールをいつのまにか作り、自分に厳しくそのノルマを課したからこそ、700句という俳句が生まれた。作品の編集途上の通勤電車の中で、どの写真にどのような俳句を付けようかと考え、発句した。通勤鞄の中には「季寄せ」が入っている。それで季語を検索しながら、写真にふさわしいものをひねり出していった。「吟行」というスタイルがある。私は、旅の現場では撮影に夢中になっているので、吟行する余裕がない。私の吟行は、JR青梅線河辺駅から中央線新宿駅までの1時間10分の通勤電車の中である。

駄作が多いことは百も承知している。しかし、素人の自分がこゝまで歩んでこれたのは、Wa☆Daフォトギャラリーという日本一のフォトギャラリーが生まれたお陰である。感動写真集の多くの仲間や、リピーター客、Googleという勝手に宣伝してくれる検索エンジン会社など、予期せぬ幸運と偶然と声援と、少しばかりのアイデアに支えられたからだろう。「自己顕示欲が強い男だ」という陰口があることも想像できる。しかし、自分の一生は一度しかチャンスがない。「
Going my way」「継続は力なり」を信条に、来年も自分をアピールし、自己満足と少しだけの社会貢献ができることを信じて、歩き続けよう。

英訳は骨の折れる作業である。なぜ英訳するのかと自問すれば、「誰もやっていないから」という答えしかない。英文俳句も700句を超えたのは凄いことだと、自分を誉めてやりたい。気力体力の続く限り、来年もマイペースで歩いてゆこう。明日には、未知の何かが起こることを期待して・・・。


東京 2007年7月2日 旅と感性 本日、第13集をアップ、北欧の旅シリーズの第一弾「夏のコペンハーゲン」の8句を追加した。既に600句を超え、数は順調に増えているが、レベルが上がったかどうかについては、写真技術ほどの上達はないというのが実感である。芥川龍之介は生涯約600の俳句を残しているという。質的には雲泥の差があるとしても、少なくとも量的には彼を上回ったことになり、とても愉快である。

いつの頃からか
和田フォトの作品には自作の俳句を必ず載せることをルールとしてきた。半ば義務として、疲れた身体に鞭打って、通勤電車の中で、使い慣れた角川の季寄せとメモ帳を広げ、思索にふける。朝の寝ぼけた部分が残る頭でも、ロマンと感動をタップリと受けた旅の記憶から実景が鮮明に蘇り、楽しい創作タイムが始まる。

旅は、感性を刺激する。世界の情景の前に、次々と発句が生まれる。湯水のようにとは行かないが、それでもどんどんできる。その中から良さそうな句を選び、推敲する。これが苦しいが、良い文句が絞り出せたときのうれしさは格別である。旅をしなければ、頭に浮かぶ情景は貧しく、生まれる詩句もまた貧しいだろう。そう思うと、「旅に出ることで感性に磨きがかかる」ということに気がついた。私のような才能に乏しい凡才でも、旅を続けることで、沢山シャッターボタンを押して、まぐれの名作を切り取ることができ、また、俳諧の世界でもまぐれに良句が生まれることがある。「旅は感性を育てる」からだろう。けだし名言だと自画自賛!(^^;

ともあれ、「継続は力なり」を信じて、これからも駄作を大量に詠んで行こう。そのうち何かがあることを信じて・・・。


東京 2007年1月2日
 俳句の目的と効用 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 継続は力なり 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。


東京 2003年8月16日
 「俳句海の風景」の継続 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。


神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。
 

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.


広島 2000年4月23日
 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 


稚内 1994年3月26日
 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 俳人協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 HAIKU for PEOPLE

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