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伊雑宮御田植祭 |
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伊雑宮 |
三重県志摩市 |
平成18年(2006)5月19(金)〜21日(日) |
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男 |
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三重県志摩市に鎮座する伊雑宮(いざわのみや)の御料田(ごりょうでん)で行われる伊雑宮御田植祭は、千葉の香取神宮、大阪の住吉大社とともに日本三大御田植祭の一つに数えられる志摩地方随一の大祭で、国の重要無形民族文化財に指定されている。伊雑宮は、伊勢神宮・内宮の別宮であり、一般に「イゾウグウ」や「イソベさん」と呼ばれている。 |
勇壮な裸の男たちが大きな団扇(うちわ)のついた忌竹(いみたけ)を奪い合う「竹取神事」、古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽(でんがく)が響きわたる中、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女(さおとめ)たちによって厳かに行われる「御田植神事」、その後、「めでためでた」の唄声にのせて伊雑宮一の鳥居までを練り歩く「踊込み」と、祭りはいくつもの情景を見せてくれる。 |
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神田に倒れる忌竹 |
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いみだけを はだかでうばう たうえかな |
Rice planting, bare-chested men taking purification bamboo. |
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躍動! |
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「竹取神事」が終わると、全身泥だらけの男たちは、近くを流れる野川に入り、斎戒沐浴(さいかいもくよく)して泥を落とす。一緒に付いて行けば、お守りになるといわれる団扇の笹竹がもらえる。 |
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野川で斎戒沐浴 |
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▼ 「御田植神事」では、古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽(でんがく)が響きわたるなか、白い着物に茜襷(あかねだすき)の早乙女(さおとめ)と田道人(たちど)たちによって田植えが行われる。 |
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宗像大社・神の島の祭り |
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宗像大社 |
福岡県宗像市 |
平成16年(2004)5月27日(木) |
撮影・原作:大庭靖雄 監修:和田義男 |
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宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃ・おきつみや)の現地大祭に参加した。福岡市と北九州市の中ほどに宗像市(むなかたし)があり、その沖合いに大島(おおしま)と沖ノ島(おきのしま)からなる大島村がある。宗像大社は沖ノ島に沖津宮を大島に中津宮(なかつみや)をそして宗像に最も大きな辺津宮(へつみや)を置いており、それぞれ天照大神の御子神である三柱の神々を祭神としている。 |
★☆★彡 |
沖ノ島は、女人禁制の聖なる神の島である。普段は大社の神主一人が交代で島を守っているだけの無人島である。毎年5月27日に、年に一度に限り一般人の入島を許す沖津宮現地大祭が行われる。事前に申し込みをした者の中から230人の男が選ばれ、私もこの日に休みを取って参加した。 |
参加者は、前日の午後、宗像側にある神湊(こうのみなと)からフェリーで大島に渡る。そして、午後6時に大島の中津宮で、現地大祭への参加の登録を行い、中津宮で行われる航海の安全祈願祭に参加する。その日は、大島の民宿に分宿する。27日の朝早く、参加者は港に集まり、漁船やフェリーに分乗する。岸壁に立つ多くの女性に見送られ、巡視艇にエスコートされながら2時間近くかかって沖ノ島に渡る。 |
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▼ 沖ノ島の港に入ると、船上で山伏姿の年輩者が法螺貝を吹いた。フェリーと漁船が岸壁(がんぺき)に横付けし、各人各様のスタイルで上陸した。 |
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▼ 沖ノ島の船着き場のそばに禊ぎ場があり、参加者は全員裸になって海水で禊ぎをする習わしである。古例によれば、禊ぎをする際には一糸まとわぬ姿、すなわちすっぽんぽんになるということである。褌を身につけたままの人もいたが、それは少数にとどまり、ほとんどの人は何も身につけずに海に入った。 |
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海中の禊ぎ |
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事前に想像している段階では気になるところもあったが、上陸地点にある上陸心得を読み、参加者のうち手早い人たちが禊ぎの用意を始めたのを見ると、全く羞恥心などを感じることはなかった。
むしろ、生まれたままの姿で海に浸かる自分自身が新鮮で、それこそ衣服とともに俗塵をすっかり払いのけたようで、まっさらになったような感じがした。 |
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なつしおや ぜんらのみそぎ かみのしま |
The summer tide, water purification in the nude at the island of
Gods. |
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それよりも、海に入った時間が午前9時頃で、季節は5月の下旬。海水が冷たいのが身にしみた。自然に手を合わせ、声を出したくなる。それぞれに、思い思いの経文や自分なりの言葉を出しながら手をもむようにしつつお祈りをする。私も、日の出の方向に向かい、手を合わせ、九州の安全と発展を心の中でお祈りしながら、口からはウオーッというような声を上げていた。 |
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▼ 禊ぎのあとは、山から小屋のそばに引いた清水をかぶって塩分を流し、服を着る。更衣室のような気のきいたものはないので、防波堤の下で着替えをした。 |
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▼ 禊ぎが終わると、石鳥居をくぐり、急勾配の階段を踏み、森の中の草の生えた道をのぼって沖津宮に至る。 |
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禊ぎから参道へ |
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▼ 沖津宮は、巨石の陰に隠れるような社(やしろ)である。この島は岩が多く、森の中にも多く散在しているが、これらの岩上で、あるいは岩陰で古い時代の祭祀が行われていたのである。掘れば出てくるものがあるのだろう。 |
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沖津宮で、午前10時から修祓(しゅうばつ)、祝詞奏上(のりとそうじょう)、玉串奉奠(たまぐしほうてん)と続く祭りが行われた。その後祭祀遺跡や山頂の灯台を見学し昼前に岸壁に戻った。 |
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ところで5月27日は日露戦争の日本海海戦の日である。この聖なる島は、国運を賭けた生々しい戦いを目撃した島でもある。いやそれどころか軍の通信所が置かれた島でもあった。 |
国を守る、安全に通航する、そんな祈りを捧げるときに、忘れられない島なのである。来年は日露戦争100周年。沖津宮の大祭もより盛んなものになるだろう。 |
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▼ 港ではいつも近海で操業している漁師たちが魚料理を振舞って直会(なおらい)が行われる。持参の酒をたしなむ者、大社の神職が用意した缶ビールを買って喉を潤すもの。儀式が済んだ後のすっかり和んだ風景がある。 |
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12時頃に再び乗船し、船でこの島を一周してこの日の行事が終わった。 |
沖ノ島から大島に戻り、更に宗像の神湊(こうのみなと)に戻った。その足で宗像の辺津宮(へつみや)にお参りして今回の参拝を終わりにした。 |
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驚くべき遺産を持つこの宗像大社を、世界文化遺産に登録しようという運動が行われている。そうなればこの北部九州の地が、内外の人々から一段と注目を浴びることになるだろう。 |
最寄の駅は、JR九州の鹿児島本線東郷駅と西鉄宮路岳線の津屋崎駅である。登録がうまくいけば、これらの鉄道や沿線の活性化へと期待は膨らむ。 |
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