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安城寺川狩り |
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久万川・川狩り場 |
愛媛県松山市安城寺 |
平成16年(2004)10月7日(水) |
撮影:ちばあきお 監修:和田義男 |
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松山市安城寺で行われる川狩りは、勝岡八幡神社秋季例祭当日の宮入り前に、神輿青年頭取や一体走りの青年たちが褌姿になり、神輿を久万川に担ぎ入れて、
神輿と氏子たちが一体となって流水で祓い清める行事で、勝岡八幡神社の旧神主(かんぬし)柳原家の伝承に由来するものだという。 |
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昔、安城寺にあった柳原神主家の屋敷一隅の小社に金無垢の御神体が祀られていた。ある年この御神体を勝岡八幡神社に合祀することになり、神遷(しんせん)*しようとしたところ、神社石段下までは事無く進んだが、それより上へは一歩も進み得ず、幾度か試みた挙げ句、神輿を洗い清めて出直すことを思い立ち、川狩りして出直したところ、今度は不思議にも御神体がやすやすと石段を上がることができたという。 |
以来、昭和42年(1967)までは久万川でこの行事が行われていたが、川の汚染のため中断されていた。平成12年(2000)10月、地元の粘り強い要望が実を結び、「愛媛県のふるさとの川づくり事業」による水浴場(禊場)が竣工し、伝統行事である「川狩り」が33年ぶりに復活した。現在は、一体走りが終わった日の夕方に行われている。 |
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神遷(しんせん):御神体を神輿で遷すこと。 |
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川狩り場 |
石段に陣取って川狩りの開始を待つ観衆 |
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▼ 一旦引き上げて近くの民家で裸になった男衆が再び神輿を担いで姿を現した。神輿は水中に入るので、神輿を飾る黄金の御絹は外されていた。 |
裸足の裸衆は、白い越中褌に水玉模様の手拭いで頬被りをした出で立ちである。盛んにポリバケツの水が浴びせかけられる。午後5時前で日没がせまり、あたりは薄暗くなって来た。 |
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▼ はだか神輿は、和霊橋を渡り、長いスロープから久万川に見立てた川狩り場に入った。ポリバケツの水が間断なく男衆に打ちかけられている。いよいよ川狩りのはじまりである。 |
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▼ 観衆は歓声をあげながら裸衆を注視している。男たちの越中褌は、既にずぶ濡れのシースルー状態である。 |
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▼ 神輿はプールの中央に進んだ。小学生の女の子が「ふんどし、ふんどし」と言う甲高い声が聞こえてきた。 |
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かわがりや ふんどししゅうの ほおかむり |
Kawagari festival, the naked guys
of fundoshi loincloth
cover their heads and cheeks
with a hand towel. |
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神輿一体走り |
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勝岡八幡神社 |
愛媛県松山市勝岡町 |
平成16年(2004)10月7日(水) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)10月7日(水)、愛媛県松山市勝岡町に鎮座する勝岡八幡神社で「一体走り(いったいばしり)」が開催された。 |
一体走りは、勝岡八幡神社が朝廷から宮号と菊花の紋章を下賜(かし)された際、当時、勝岡の特産品であった塩を朝廷に献上した。以来、勝岡の塩は珍重され、和気浜(わけはま)の裸の若者たちが塩を担いで御用船(ごようせん)まで運んだことから、神事として伝承されてきたものであるという。 |
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さやけしや はだかのけんじ しっそうす |
The refreshing air, the naked young men dashing. |
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櫛来社のケベス祭 |
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櫛来社 |
大分県国東市国見町 |
平成19年(2007)10月14日(日) |
撮影・原作:清 原浩 監修:和田義男 |
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平成19年(2007)10月14日(日)、瀬戸内海の西部・周防灘(すおうなだ)に面する大分県国東市(くにさきし)国見町(くにみちょう)に鎮座する神社「櫛来社(くしくしゃ)」で炎の祭典・ケベス祭が行われた。 |
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国東(くにさき)半島の北部に位置する国見町は、北に瀬戸内海の周防灘を望み、南の国東半島最高峰・両子山(ふたごやま/ふたごさん)(720.6m)を扇の要(かなめ)として広がる大自然と温暖な気候に恵まれた風光明媚な地である。古くは大和から九州へ通じる海上交通の要衝(ようしょう)として、また、中世には六郷満山(ろくごうまんざん)の仏教文化の栄華を誇った町として知られる。港の沖合には、姫島(ひめしま)が浮かぶ。 |
国見町櫛来字大谷に鎮座する櫛来社は、帯中津日子命(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)、息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと)(仲哀天皇の妃・神功皇后)など6柱の大神を祀る神社で、約1,100年の歴史を有する。明治4年(1871)に現在の呼び名となったが、以前は、磐坐社・岩倉八幡・岩倉社と呼ばれていたという。現在の氏子戸数は10区200余戸。 |
国見町の代表的な祭りが毎年10月14日に櫛来社(くしくしゃ)(旧・岩倉社)で行われるケベス祭(けべすまつり/けべすさい)である。起源や由来は一切不明で、謎のベールに包まれた祭りであるが、火の粉の舞う荒々しい奇祭として知られ、平成12年(2000)12月25日に国の選択無形民俗文化財に指定されている。 |
境内に積み上げられたシダの柴木の山に点火し、燃え盛る浄火を守る白装束の「トウバ」たちと、そこに突入しようとする奇怪な面を着けた「ケベス」が争う。ケベスは何度も突入を試み、ついに成功して棒でシダの山をかき回し火の粉を散らすと、その後はトウバも火のついたシダを持って境内を走り回り、参拝者を追い回す。このときに火の粉を浴びると厄が払われ、無病息災になるといわれる。 |
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▲▼ 「ケベスドン」になれるのは盛年男子だけで、10年に1度しか回ってこないため、ケベスを演じることは一生に一度の名誉である。その由来は不明だが「エビス(夷)」の訛ったものではないかという説が有力であるが、それもただの推測にすぎないという。宮司の祝詞(のりと)の中では「蹴火子(けべす)」という漢字が当てられている。 |
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トウバとケベスをつとめる白装束をまとった氏子たちは、日が暮れるのを待ち、午後6時になると、浜に降りて全裸となり、周防灘に入浴して「潮かき」と呼ばれる禊(みそぎ)を行った。 |
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全国を見渡すと、現在の禊は、褌をしたままで行うことが主流となっているが、ここでは昔ながらの伝統が維持されている。現在でも銭湯では全裸で入浴する習慣がある日本では、古き良き時代においては、全裸禊は当たり前に行われていた。 |
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うらまつり ぜんらであびる よいのしお |
Beach ritual, nude bathing
in the evening tide. |
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ケベス祭は、火祭りであることから、火にまつわる厳格な決めごとがある。祭りが行われている6日から14日迄、ケベスとトウバ役の男たちは、一切、火と交わることが禁止される。煙草を吸うことも許されないし、お茶を煎れても駄目。火を加えた食べ物も口にできないというから徹底している。 |
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更に、一週間前からは他人の触れたものは口にせず、トウバたちによる自給自足の生活に入る。また、女人禁制となり、女性に触れることも許されない。前浜の全裸禊はその仕上げとなるもので、厳しい掟が守られてきた。 |
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火祭のはじまり |
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▼ 宮司は、神事の最後に、ケベスドンにケベス面をつけ、背中をドンと一突きしたときからケベスが乗り移り、ケベスが生まれる。ケベス面は、得体の知れない奇妙な面で、とても神秘的である。ケベスは、白頭巾に、荒縄で襷がけをした白装束をまとい、白の地下足袋を履き、扇子と棒を手にして現れた。 |
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境内ではトウバたちが十数人、うずたかく積み上げたシダの柴木を焚き上げて待ち構えており、ケベスとトウバとが戦いを始めた。棒術による独特の足さばきが見ものだという。ケベスは、火の中へ突入しようとし、それを阻止するトウバとの攻防戦が繰り返され、最後にはケベスが棒を火に突っ込み、火の粉を散らすことになるが、それまでは次々とトウバが入れ替わり、ケベスと棒術の戦いが続けられる。 |
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あきのよい けべすとうばの せめぎあい |
Autumnal evening, fighting
between Kebes and Tobas. |
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ケベスとトウバのせめぎ合い |
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社殿に入るトウバたち |
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▼ いよいよトウバたちが火のついた生のシダを棒で持ち上げ、境内を徘徊しはじめ、ケベス祭は佳境に入った。櫛来社の境内は、生シダの燃える炎と白煙が充満し、視界が狭まり、炎の祭典は一気に盛り上がりをみせた。 |
トウバ衆は社殿になだれ込み、厄払いをすべく参拝者を追いかけ始め、社殿のあちこちで悲鳴が上がった。社殿の中で、トウバ衆は火のついたシダの柴木を振り回し、逃げ惑う参拝者の頭上に容赦なく浄火の火の粉を浴びせかける。服に焼き焦げができるのは必至で、タオルやショールで衣服を守る人も見られた。午後8時半ころまで続けられた炎の祭典は、喧噪のうちに幕を閉じた。 |
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とうばしゅの じょうかをあびる むらまつり |
The village ritual, bathing holy fires
scattered by Tobas. |
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激しい火の粉の洗礼! |
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