|
|
|
|
|
|
|
鹿島神宮大寒禊 |
|
|
鹿島神宮 |
茨城県鹿嶋市 |
平成19年(2007)1月20日(土) |
撮影・制作:和田義男 |
|
|
|
|
平成19年(2007)1月20日(土)、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮(かしまじんぐう)で第21回大寒禊が開催された。大寒禊は、午前9時に神宮に集合すれば、参加費2000円と申込書1枚を提出すれば誰でも参加できる。診断書は不要だが参加は自己責任。持参品は白タオル、草履(サンダル可)、白褌、白鉢巻。白褌、白鉢巻は神宮でも用意されている。女性には、白衣、白襦袢、白鉢巻が貸与されるが、タオル、帯紐、着替えは持参。説明資料には白褌となっていて、白色越中褌となっていないのは、神社の禊は越中褌に決まっているということなのだろう。事実六尺褌の人は誰一人いなかった。衣装統一はさすがである。 |
禊の時間はきっちり15分。神拝詞(しんぱいし)を持つ手が震えている人が何人かいたが、それほど寒い顔をしていない。それもそのはず、御手洗池は水温15℃の地下水が湧出しているので、夏涼しく冬温かい池なのである。終了は午前10時50分。去年の参加者は110名だったが、今年は125人と増加、最高齢者は78歳の男性だった。 |
行が終わると、観客から良くやったという拍手が一斉に湧いた。初心者が沢山いるなかでの一糸乱れない行動は指導者の事前の説明や周到な用意が行き届いていることが伺われ、日本古来の伝統作法による清潔で美しい禊だった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
二手に分かれて入水 |
|
パノラマ写真(1600x970)313KB |
|
|
|
|
拡大写真(1600x1200)322KB |
|
|
一心不乱! |
|
拡大写真(1600x1200)274KB |
|
15分の禊を終えて出水 |
|
拡大写真(1600x1400)418KB |
|
|
濡れたままの鳥船 |
|
拡大写真(1500x1360)458KB |
|
|
|
かんごりや みたらしいけの ぎょうふどし |
Purification with water in the cold season,
training loincloth in the Mitarashi pond. |
|
二礼二拍手一礼の拝礼 |
|
拡大写真(1600x1000)461KB |
|
|
|
拡大写真(1600x1200)453KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
玉前神社大寒禊 |
|
|
上総国一ノ宮・玉前神社 |
千葉県長生郡一宮町 |
平成22年(2010)1月24日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成22年(2010)1月24日(日)、千葉県長生郡一宮町(ちばけん・ちょうせいぐん・いちのみやまち)に鎮座する上総国一ノ宮(かずさのくに・いちのみや)「玉前神社(たまさきじんじゃ)」の大寒禊(だいかんみそぎ)が九十九里浜(くじゅうくりはま)一宮海岸(いちのみやかいがん)で初めて行われた。 |
参加者は、18名と少なかったが、新任の栗原崇次(くりはらたかつぐ)宮司の熱意により、新しい祭禮がこの地で始まった意義は大きい。鳥船などの準備運動をみっちり行った後、一行は10時45分ころ道彦を先頭に荒波寄せ来る海に入り、大祓詞(おおはらえ・ことば)を斉唱(せいしょう)する大寒禊が始まった。この日は殆ど風もなく、穏やかな冬晴れとなり、絶好の水行日和だったが、太平洋の冬の荒波が押し寄せる厳しい海象だったため、何回かに1回現れる大きな磯波に戸惑う参加者もみられた。 |
全ての行事が終わると、お湯を積んだ給水車でお湯を被り、身体を温めながら塩抜きをした。これも神社側の細やかな配慮で、参加者は大喜びだった。大寒禊が終わったあと、11時半までに神社に集合とのことだったので、再度タクシーに乗り、駅の西にある玉前神社に行った。しばらく休憩所で待機していたところ、鉄筋コンクリート製のモダンな参集殿(さんしゅうでん)に案内され、拝殿で参拝した。 |
大寒禊一行は、斎館(さいかん)に移動し、昼食会となった。最初に甘酒が振る舞われたあと、寒鰤や海老などの魚類や野菜がタップリ入った海鮮鍋とおにぎり、ソーセージ、鏡餅を砕いて炒ったと思われる霰(あられ)が出された。昼食会のホストは、栗原宮司が自ら担当され、食事を頂きながら最後まで歓談させて頂いた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
びゃっこんの はまのとりふね かんみそぎ |
Midwinter ablutions, Torifune practice wearing a white loincloth on the beach. |
|
|
輪になって |
振魂 |
を行う 2011.1.23 10:46 |
|
|
拡大写真(2200X1400)502KB |
|
|
|
さーふぃんの よぎるはまべや かんみそぎ |
Midwinter ablutions at a beach, a surfrider passing nearby. |
|
|
大寒禊のそばをかすめるサーファー
2010.1.24
|
|
拡大写真(1800X1530)477KB |
|
|
|
うなばらの だいかんみそぎ くじゅうくり |
Kujyukuri, purification of the coldest season in the ocean. |
|
|
太平洋に向かって |
大祓詞 |
を斉唱 2010.1.24 10:45 |
|
|
拡大写真(2000X1450)483KB |
|
|
|
かんみそぎ なみにあらわる しろふどし |
Midwinter ablutions, the white loincloths being washed by the waves. |
|
|
編集子の選ぶ傑作 |
|
|
拡大写真(2000X1270)358KB |
|
|
第一回玉前神社大寒禊で海に入った18人の行者たち
2010.1.24 |
宮嵜慎
道彦(君津市・人見神社禰宜)↓ |
←和田グループ3人→ |
|
拡大写真(3000X1260)615KB |
|
|
太平洋をバックに行者29人の記念撮影 2011.1.23 11:23
|
|
拡大写真(3100X1300)723KB |
|
|
|
かんみそぎ かいせんなべに したつづみ |
Midwinter ablutions, smacking lips over a bowl of hot seafood. |
|
|
栗原崇次(くりはら・たかつぐ)宮司を囲んで和気藹々の昼食会/斎館 2010.1.24 12:14 |
|
拡大写真(1600X1200)360KB |
|
|
斎館 |
で |
直会 |
2011.1.23 12:43 |
|
|
拡大写真(2000X1450)486KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
日向の師走祭 |
|
|
神門神社 |
宮崎県 |
平成19年(2007)1月26日(金)-28日(日) |
撮影・原作:上平 明 監修:和田義男 |
|
|
|
|
|
平成19年(2007)1月26日から3日間、神門(みかど)神社で国から選択無形民俗文化財に指定されている師走祭が行われた。宮崎県北部、日向市から国道327号線を経由して西へ車で約1時間半の山奥に旧南郷村がある。ここにあまり知られていない「百済(くだら)伝説」がある。師走祭は、宮崎県木城町(きじょうちょう)比木(ひき)神社と美郷町(みさとちょう)南郷区(旧美郷村)神門(みかど)神社の二社合同で、1,000年以上にわたり脈々と受け継がれ行われているもので、百済王族の年一度の対面を再現する大変珍しい祭りである。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x955)312KB |
|
|
|
|
▲▼ 塚の原古墳を後にした一行は、一路神門を目指して進むが、神門神社手前の神域の外で禊ぎを行う。禊ぎの場所は、禎嘉王一行がその衣類を清めるために洗濯をしたといわれる小丸川の衣渕(ころもぶち)である。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1000)278KB |
|
|
|
|
▲▼ 白、赤、桃、青の越中褌を締めた裸形の神職と氏子たちがご幣を持ち、小丸川に飛び込んで対岸まで渡り、また元の位置に戻って禊ぎは終了する。南国・宮崎とはいえ、冬の川水であり、本当に冷たそうであった。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x915)265KB |
|
|
|
|
▲▼ 褌は、以前は白一色であったが、最近は好みで赤、青などの色物を締めるという。全国を見渡しても、神事で色物の褌が公認されているのは、極めて希である。中には六尺褌の人もいて、かなりおおらかな神事である。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x980)312KB |
|
|
|
|
▼ 神門(みかど)神社へ向かう道沿いに迎え火のための櫓(やぐら)が用意され、今年は23基を数えた。神職一行が神門神社を目指し近づいて来ると次々と火が放たれ、祭り最大の呼び物である迎え火が開始された。 |
祭2日目には、御神体お衣替え、ドンタロ祭、将軍神楽、野焼きの儀、洗濯の儀、夜神楽、石運びの儀など、盛りだくさんの行事が行われた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▼ 最終日の3日目「下(くだ)りまし」は、午前10時30分から神社境内で、比木、神門の宮司を中心に両社全員が集まり、お別れの宴が始まる。宴が進んだところで、
あちらこちらでヘグロ塗りが始まった。婦人たちが隠し持ったヘグロ(鍋のスミ)を神官等の顔に塗りつけていく。 |
最後に、神殿奥からご神体とご幣が取り出され、神門、比木の代表の肩に渡され、一行は帰路につく。婦人たちは、手に鍋やかご、釜のふた、しゃもじ、すりこぎ、まな板などを持って、列の後に続く。ご神体とご幣は最初、50mほど行って、一列に並んで振り返って対面する。帰る途中で名残を惜しむかのように、何回か立ち止まり振り返りお辞儀をしていく。見送る側は一斉に「オサラバー」と叫ぶ。 |
神官たちは白扇を両手で捧げるようにして上下に振り、婦人たちは炊事道具をかざし、何度も「オサラバー」と叫び別れを告げる。「オサラバー」とは韓国語の「サラバァー」で、「生きてまた逢おう」という挨拶だという。昔、時代劇でよく「さらば」という別れの言葉を聞いたことを思い出したが、何と粋で味わい深い言葉であろうか。 |
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1140)205KB |
|