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Wa☆Daフォトギャラリー

 旅紀行日本の裸祭り

2018年10月20日改訂

今 日

昨 日

♪納曽利 高麗小乱声〜当曲急

寒垢離や気合で浸る長良川  北舟

 

Winter purification ceremony,
fired up for bathing in Nagara River.

2010年12月3日制作

寒さに耐える禊

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寒さに耐える禊/長良川(岐阜県岐阜市池ノ上

日本の裸褌文化


鐵砲洲稲荷神社神紋   神紋:剣梅鉢   鹿島神宮神紋   佐女川神社神紋   禊  

神紋:十五弁菊花

 

祇園紋

 

太田神社月星紋

 
神紋:八弁菊   金沢市章1   鐵砲洲稲荷神社神紋   神紋:丸に違い鷹の羽       西大寺・寺紋   三つ盛り亀甲に五三の桐  

Wa☆Daフォトギャラリー10周年記念作品

霜月-師走

 
国崎二船祭り
海士潜女神社
三重県鳥羽市
平成16年(2004)11月23日(火)
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男

 平成16年(2004)11月23日(火)、三重県鳥羽市(とばし)国崎町(くざきちょう)に鎮座する海士潜女神社(あまかずきめじんじゃ)で二船祭り(にふねまつり)が開かれた。JR鳥羽駅バスターミナルから40分足らずで、終点の国崎漁港に着く。

★☆★彡

 二船祭りは、海女の祖を祀る海士潜女(あまかずきめ)神社の祭礼で、国崎(くざき)の谷を挟んで、里谷(さとたに)地区と海間谷(かいまたに)地区に別れ、古代装束を身にまとった青年男子が2隻の手漕ぎ船に5人ずつ乗り組んで速さを競い合い、その勝敗によって豊漁を占う神事である。
神事の船を準備する男たち
神事の船を準備する男たち
   
 二船祭りの主役を演じる若者たちは、神社で式典が行われている間に、神事の船漕ぎ競争に使われる神聖な白い船体の和船を鎧崎の浜に引き揚げ、藁束(わらたば)を座席に結わえるなど、祭りの準備をした。

海に入る

この男性は最年長の34歳。ほかの9人は25歳以下の青年団員である。

海に入る

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▲▼ 真っ昼間に全裸で禊を行うのは日本特有の文化で昔は普通の風習であった。明治維新以後西洋文化の導入により、日本古来の裸文化が排斥されてきたために、現在では珍しい光景となってしまった。
全裸で海の禊

全裸で海の禊

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 若者達の裸体は健康的で美しく、何ら卑猥感がない。彼らは照れながらも、結構楽しんでいるふうでもある。
浜に揚がる

浜に揚がる

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▼ 若者たちは禊が終わると白晒木綿の六尺褌を前垂れ式に締めた。古代人も褌をしていたことだろうが、日本書紀に麻が飛鳥時代に衣料として愛用されていたことが記されていることから、当時は麻の褌だったと思われる。
 木綿は16世紀の戦国時代から使われるようになり、北前船が蝦夷地の鰊(にしん)でつくった金肥(きんぴ)(金で買う肥料)をもたらして綿花栽培が急速に盛んになった江戸時代に普及したもので、比較的新しい布である。

褌を締める

仲褌を締める 1 褌を締める 2

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▼ 古代舟の漕ぎ手は、船首から船尾に向けて右舷、左舷と互い違いに後ろ向きに座った4人で、櫂(かい)をオールのように漕ぐ。船尾の板間 に左舷に向かって座っている男が長い櫂を操る舵取りで、船頭を務める。
二船の競り合い!
二船の競り合い!

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▲▼ 沖に出ると、2隻が並び、互いに牽制しあいながら速さを競う船漕ぎ競争がはじまった。里谷(さとたに)が勝てば鯔(ボラ)が、海間谷(かいまたに)が勝てば鰯(イワシ)が多く捕れると言い伝えられている。
 しかし現在は判定する人もおらず勝敗はつかない。随時、呼吸をあわせて船を漕ぎ、お互いに勝ったり負けたりして豊漁を祈るという。現実にはボラやイワシではなく、スズキや伊勢海老などの高級魚が水揚げされる。
水の掛け合い
水の掛け合い

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▲▼ 若者たちは途中休憩で浜に上陸したりしながら何度も古代舟を沖出しし、船漕ぎ競争を楽しんでいた。太陽が西に傾きはじめたころ、気合いが乗ってきたのか、諸肌(もろはだ)脱ぎとなり、全員上半身がむき出しとなった。
 細い荒縄だけの帯は弛み褌があらわになった若者たち。全身ずぶ濡れになりながら力強く水をかく男たちの姿は凛々しく、はち切れんばかりの健康美が羨ましい。異次元空間に踏み入れた若者たちは、まるで自己陶酔しているかのようで、我を忘れて若さを謳歌していた。
 太陽が水平線に近づき、鎧崎の浜が日陰になったころ、若者たちは船を浜に寄せ、つかの間の祭りを終えた。
里谷の力漕
里谷の力漕

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池ノ上みそぎ祭
葛懸神社
岐阜県岐阜市池ノ上町
平成19年(2007)12月8日(土)
撮影・制作:和田義男

 平成19年(2007)12月8日(土)、晴天に恵まれた岐阜市池ノ上町に鎮座する葛懸(かつらがけ)神社で毎年12月第二土曜日に開催される「池ノ上みそぎ祭」が催行された。

 「池ノ上みそぎ祭」は「池ノ上はだか祭」とも呼ばれるが、正式には「池上宮禊祭(いけのうえぐう・みそぎまつり)(葛懸神社禊祭)」といい、池上宮禊祭祭典委員会が主催する例祭で、600年以上の歴史があり、特に応永年間(1394)に発生した「応永の大飢饉」以後は重要な祭儀となり、その後大洪水に見舞われた天文3年(1534)までは神社前の大池でみそぎを行っていたと伝わっている。
 この「みそぎ祓(はらい)」は、古来より旧暦10月(神無月(かんなづき))晦日(みそか)に身体を長良川の清流で清め、罪穢れを払い、家族の幸せと繁栄を祈願して神を迎える神事であり、現在は12月第二土曜日に行われている。
 大正3年(1914)以後、それまでの全裸から褌を用いるようになり、祭元(まつりもと)(裸の会場)は禰宜(ねぎ)宅の民家が使われ、祭元に限って女人禁制とされた。現在は、神社に隣接する池ノ上公民館が祭元となっている。

岐阜市内を西流する長良川(岐阜城天守閣からの眺望)

マウスカーソルで画面のどこかをポイントすると説明が現れます。

岐阜城の西を流れる長良川

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  ▲ 岐阜城天守閣からの眺望は素晴らしい。眼下の岐阜市内を西流する長良川は、北アルプスの大日岳(だいにちだけ)(2,501m)に源を発し、三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一級河川である。濃尾(のうび)平野を流れる木曽川(きそがわ)、揖斐川(いびがわ)と共に木曽三川(きそさんせん)の一つとして知られる。  
 長良川の清流は特に有名で、柿田川(かきたがわ)、四万十川(しまんとがわ)と共に日本三大清流の一つに数えられている。昭和60年(1985)に中流域が「名水百選」に選ばれ、また、平成13年(2001)には、鵜飼(うかい)が行われる長良橋(ながらばし)から上流約1kmまでの水浴場が全国で唯一河川の水浴場として「日本の水浴場88選」に選定された。年間総流量は約40億m3
 ちなみに、長良川における鵜飼(うかい)は日本唯一の皇室御用の鵜飼で、長良川の鵜匠は職名を宮内庁式部職鵜匠という。長良川の鵜飼用具一式122点は国指定重要有形民俗文化財であり、また、長良川鵜飼漁法は岐阜市指定無形民俗文化財となっている。
 寒みそぎ大人褌子らも締め  北舟 

かんみそぎ おとなふんどし こらもしめ

Winter purification ritual, children also wearing fundoshi loincloth for adalts.

「池上宮みそぎまつり」の鉢巻と厄除褌を締めた子供たち

「池上宮みそぎまつり」の鉢巻と厄除褌を締めた子供たち

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   「池ノ上みそぎ祭」は、中部地方では「國府宮(こうのみや)はだか祭」とともに知られる裸祭りで、翌日の中日新聞と岐阜新聞の朝刊は、ともに対岸から入浴シーンを撮影したカラー写真を第一面に掲載して報道していた。
 「福」をもたらす神木/宝木(しんぎ)を奪い合う岡山や四国の会陽(えよう)と呼ばれる裸祭りに対して、「池ノ上みそぎ祭」では、裸の群の中心となる神男(しんおとこ)が「みそぎ」を主催し、参加者全員が斎戒沐浴して厄払いする追儺(ついな)神事であり、最後に、家族の幸せと繁栄を祈願して神を迎える「お神迎え」が行われる。
 愛知の「國府宮(こうのみや)はだか祭」は、数千の裸男たちがその渦の中心にいる全裸の神男(しんおとこ)に触れて厄を落とす追儺(ついな)神事で、神男(しんおとこ)は、厄を一身に背負う存在であり、神男の役割は全く異なる。
長良川沿いの道路を進む裸の集団

長良川沿いの道路を進む裸の集団

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   「池ノ上みそぎ祭」は、白の晒木綿に「池上宮(いけのうえぐう)みそぎまつり」と赤く右横書きされた鉢巻と厄除(やくよけ)と赤く書かれた白晒木綿の越中褌のみを締めた裸男(はだかおとこ)たちが赤鉢巻に赤の水褌(すいこん)のみを締めた神男(しんおとこ)を中心に渦を形成しながら練り歩き、葛懸神社のそばを流れる長良川で垢離(こり)を取る。午後3時、7時、10時の三回にわたって行われ、今年は延べ約400人が参加した。

元気よく長良川に入る子供たち

元気よく長良川に入る子供たち

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  ▲▼ 裸男たちのみそぎ褌は、白晒木綿の越中褌で、前垂れに注連縄(しめなわ)の絵と「厄除(やくよけ)」の文字が赤く染め抜かれている。鉢巻と共に参加者には無償で配られるので全員、統一した衣装で禊が行える。拝観者への販売は行われていない。  
 長良川みそぎ祭の師走かな  北舟 

ながらがわ みそぎまつりの しわすかな

Nagara River, December for the purification ritual.

寒中禊をする裸たち

寒中禊をする裸たち

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   第一回と第三回のみそぎには、池ノ上の氏子が正禰宜(せいねぎ)として神男(しんおとこ)を務めるが、第二回みそぎには、外部から登用される副禰宜(ふくねぎ)が神男をつとめる。今年は、正禰宜が池ノ上一丁目の氏子・奥村悟さん(会社員 39歳)、副禰宜は遠藤達也さん(公務員 43歳)。子供禰宜がつとめる神男は、氏名は公表されていなかったが、正禰宜の長男がつとめるのが習わしという。
 なお、「祢宜」は「禰宜」の略字で、正規には「禰宜」と記す。

宮前で神男の胴上げ

宮前で神男の胴上げ

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  ▼ 午後7時から第二回の禊が始まった。子供組に続いて大人組も出発。裸男たちは気合いを入れながら公民館を飛び出し、長良川の禊ぎ場を目指した。みそぎの要領は第一回と全く同じ。違うのは、大人組の神男が正禰宜から副禰宜に交代したことくらいである。  

元気な裸の子供たち

元気な裸の子供たち

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今宵は、暖冬で無風という好条件だが、北アルプスから流れてくる肌を刺す冷水は、さすがに厳しいものがある

裸男たちの夜の禊

裸男たちの夜の禊

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 寒垢離や気合で浸る長良川  北舟 

かんごりや きあいでつかる ながらがわ

Winter purification ceremony, fired up for bathing in Nagara River.

寒さに耐える禊

寒さに耐える禊

拡大写真(2200X1360)502KB

  ▼ このあと、裸男たちは、神男を担ぎ上げたまま拝殿に入り、神殿に向かって拝礼した後、控え室に向かった。時刻は午後7時45分ころで、第二回のみそぎは約45分で終了した。
 撮影はこれで切り上げたが、午後10時から第三回のみそぎがあった。このときの神男は第一回と同じ正禰宜。

渦の中心を進む神男

渦の中心を進む神男

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白糸の寒みそぎ
熊野神社
福岡県前原市
平成15年(2003)12月18日(木)
写真提供:若者の祭 監修:和田義男

 福岡県前原(まえばる)市は、福岡市の西隣に位置する。白糸(しらいと)の滝は、前原市南部の背振(せぶり)山地の羽金山(はがねやま 標高900m)の北斜面を流れる長野川の源流にかかる落差24m、幅12mの優雅な滝である。流れる水が白い絹糸のように見えることから、この名がある。
 前原市の白糸(しろいと)地区にある熊野神社では、毎年年末に氏子たちが白糸の滝の清水が流れる長野川で水垢離をとる「白糸の寒みそぎ」と呼ばれる神事が行われる。
 この神事は、室町時代に疫病や大火に見舞われ、この地が寂れかけていたため、これを立て直そうと山伏が始めた荒行が起源とされ、現在は住民らによって受け継がれている。

★☆★彡

 熊野さまを祀る神社は全国で3,273社あるという(神社本庁「祭礼データ」の祭神名検索の結果による)。熊野神社は、主に家津御子神(けつみこのかみ=素盞鳴命)、熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ=伊邪那岐命)、熊野夫須美神(くまのふすみのかみ=伊邪那美命)を祀る。
 ちなみに、熊野三山とは、東牟婁郡本宮町(ひがしむろぐんほんぐうちょう)の熊野本宮大社(くまのほんぐうたいしゃ 本宮)新宮市の熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ 新宮)、熊野那智大社(くまのなちたいしゃ 那智)の三社の総称である。

 熊野神社の「寒みそぎ」は、五穀豊穣などを祈願する神事であるが、奇祭として知られる。この裸祭りは、既に400年も前から続いている伝統行事で、前原市の冬の風物詩となっている。
 12月18日午前0時、一番太鼓を合図に褌一丁になった男たちが神社境内に集合し、二番太鼓でお祓いとお神酒で無事に行事が終わるように祈る。三番太鼓を合図に、提灯と松明を持った男を先頭に、新米の奉納米が入った桶(おけ)を担いだ未婚の年男3人があとに続く。 
  寒みそぎ褌に暖をたくするに  北舟 

かんみそぎ ふどしにだんを たくするに

Cold water purification, getting warm by the loincloth.

▲▼ 総勢約100人が約200mをひた走り、長野川に設けられた「みそぎ場」に入る。年男たちが奉納米を研ぐ間、氏子たちは滝から流れ落ちてきた身を切るように冷たい清水で身を清める。「オイサ、オイサ」と掛け声をかけながら激しく水をかけ合う姿は圧巻である。気温4度、水温6度のなか、腰まで水に浸かりながら、氏子たちの輪が広がる。みそぎ場は、長野川をせき止めてつくったもの。上手の石段で、3人の年男が清水で米を研いでいる。
 氏子たちの衣装は白晒の越中褌に地下足袋か裸足である。白タオルを後ろ鉢巻に締めている人もいる。褌は各自が用意するようで、まちまちの寸法だ。子供たちも大人の締める越中褌をしており、大きすぎてもてあまし気味のようだ。
奉納米を七回研いで七回濯ぐ約15分間、裸の男たちは「オイサ、オイサ」と大きな掛け声を出しながら、肩を組んで円陣を作ったり、互いに激しく水を掛け合う。
▲ 寒さを紛らすためか、次第に激しい揉み合いが始まる。中には勢い余って転ぶ男もいる。激しい運動と水の抵抗で褌が乱れているが男たちは気にもとめない様子だ。越中褌は激しい揉み合いには不向きだが神社の禊ぎ用の伝統衣装として定着している以上、六尺褌には替えられないのだろう。
  ▲▼ 米が研ぎ終わると、提灯を先頭に引きあげる。お神酒の升酒を飲んで冷え切った身体を内部から暖め、焚き火で暖をとる。
 みそぎ場の上手で研がれた米は、境内で竹を薪にした露天釜で炊かれた後、高く細く積み上げて神社の祭神に供えられ、その傾きにより翌年の豊凶を占うという。
 刃物を使うと栄養が落ちるという山伏の言い伝えから、包丁を使わずに手でちぎったコンニャクの混ぜご飯でつくった特大のおにぎりが自慢で、寒みそぎが終わったあと、刃物を入れない長いままのタクアンと青菜漬けとともに参詣者にふるまわれる。行事が終るのは4時近く、帰路につくころには冬の夜がしらじらと明ける。
 厳寒の中、神職や住職、それに信者が褌一丁で厳かに水垢離をとる光景は良く目にする。しかし、熊野神社では、以前は敬虔な氏子たちが凍るような白糸の滝の清水で厳粛に水垢離をとっていたに違いない神事も、いつしか寒さを紛らすために肩を組み、水を掛け合い、揉み合うという、いわばお祭り騒ぎになってしまったようだ。
そうでもしないと、このような地味な神事は長続きせず、やがて氏子たちから敬遠され、廃れてしまうだろう。白糸の寒みそぎに若者の参加が多いことは、現代においてもこの神事が地元の人々に受け入れられている証であり、頼もしく思う。これからも大いに気勢をあげて1年の汚れを落とし、清々しい気持ちで新年を迎えていただきたい。
 

                   渦の中心を進む神男

和田義男

編集後記

 今年もはや師走に入り、年の瀬が近づいてきた。来春も鐵砲洲稲荷神社の寒中水浴から新年をスタートすべく、 第56回鐵砲洲寒中水浴のご案内 をWa☆Daフォトギャラリーに掲示して、和田グループの募集を始めた。
  還暦記念の赤褌水浴を行って、来年ではや4回目の寒中水浴となるなどと思いを巡らせているうちに、10年の節目を記念して、これまでに発表してきた裸祭りシリーズ122集の中から禊を抜粋し、集大成しようと思い立ち、作業開始3日目の本日、完成し、32箇所の禊を収録することができた。
 禊は男性の場合、着物を着たままで行うことは許されないので、日本男子の伝統の下着である褌一丁になって行うのが常であるが中には褌も外して生まれたままの姿で行うところもある。
 その作法も鐵砲洲の寒中水浴や鹿島神宮の大寒禊のように、川面流(かわつらりゅう)で行う本格的なものからただ水に浸かるだけという単純なものまで、千差万別である。このような風習が生まれ、今日まで途切れることなく培われてきたのは、日本が高温多湿の気候風土と豊かな水資源に恵まれているからである。アフリカや中東、アメリカ西部の広漠たる砂漠を目にするにつけ、「よくぞ日本に生まれけり!」で、八百万の神々に感謝する気持ちが自然に湧いてくるのは、道理であろう。〈 完 〉 2010.12.3 和田義男

Wa☆Daフォトギャラリー10周年 記念作品  第 6弾!

日本の裸祭り第123集 日本の裸褌文化「禊」

企画・制作 : 和田義男

  平成22年(2010)8月15日 作品:第36作 画像:(大235+小64)(再掲) 頁数:11
  
平成12年(2000)〜平成22年(2010) 作品数:384 頁数:1,482 ファイル数:61,248 ファイル容量:9,143MB
  歳ひとつ重ねて白褌寒の垢離  北舟 

としひとつ かさねてびゃっこん かんのこり

Winter water ablution, white loincloth aging a year.

編集子の選ぶ傑作

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区)

鐵砲洲囃子をバックに寒中水浴/鐵砲洲稲荷神社(東京都中央区)

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みそぎ
 水浴して身体を清める宗教儀礼。神道では〈禊祓(みそぎはらい)〉といって身心の罪や穢れを水で洗い清める祓、すなわち浄化の所作とする。神事に当たって物忌のあと積極的に身心を聖化する手段の一つだが、服喪など異常な忌の状態から正常な日常へ立ち戻る一種の再生儀礼(生まれ清まり)でもある。
 古代中国では、《後漢書》礼儀志や《晋書》礼志にみえるように、〈春禊〉と〈秋禊〉とがあって、陰暦3月3日(古くは上巳)と7月14日に官民こぞって東方の流水に浴して〈宿垢〉を去ったという。
 《魏志倭人伝》にも、倭人は十余日の服喪の後に遺族が〈沐浴〉すると伝えている。神道では、禊祓の起源を記紀神話におけるイザナキノミコトの黄泉返(よみがえり)の条に求める。すなわち、妻のイザナミを黄泉(よみ)の国(死者の世界)に訪問して危うく逃げ帰り、身に着いた死の穢悪を清めるために日向(ひむか)の河水で水浴し、しかもそれによってイザナキはアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三貴神を生んだとされる。
 平安時代以降はもっぱら穢れを祓除する意味が強まり、密教系の垢離(こり)の観念にも習合して水垢離、浜垢離、寒垢離、滝行、水行などの修行形式に発展した。
 中世から近世にかけて修験道や社家神道でその行法を各地の祭礼神事に広め幕末の神道家井上正鉄(まさかね)は伯家(はつけ)神道の禊法を採用して後の禊教の基をひらいた。(世界大百科事典)
  鳥船に始まり終わる寒の垢離  北舟 

とりふねに はじまりおわる かんのこり

The midwinter ablution begins and ends with Torifune practice.

編集子の選ぶ傑作

水浴後の鳥船

水浴後の鳥船

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井上正鉄いのうえまさかね

1790‐1849(寛政2‐嘉永2)

 江戸末期の神道家。禊(みそぎ)教の教祖。上野国館林藩士安藤真鉄の次男として江戸に生まれる。賀茂真淵の弟子で、済世救民につくした父の志をつぎ、諸国を巡って識見をたかめ、修養に励んだ後、息の吐き方によって心身の安定を得、病気も治すことができるという息の術を体得した。
 1834年(天保5)に神梢伯白川家に入門して唯一神道の伝授を受け、40年、武蔵国足立郡梅田村の神明宮の神職となった。活発な宗教活動の結果、急速に信徒が増加したため、幕府の弾圧を受けて43年三宅島に流刑され、そこで没した。78年、梅田村に改葬。《遺訓集》《玉の緒》などの書を残し、門人坂田鉄安によって禊教が開かれた。(世界大百科事典)
編集子の選ぶ傑作

神拝詞しんぱいし

の斉唱/鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

神拝詞の斉唱/鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

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川面凡児かわつらぼんじ

1862‐1929(文久2‐昭和4)

 明治末期から昭和初期にかけての神道家。豊前国宇佐郡小坂村(大分県宇佐郡院内町)に生まれ熱心な神仏信仰者の母八津の素質を受け継いで育つ。15歳のとき、宇佐神宮の神体山である大元山に籠り修行、神伝を受けたという。
 明治18(1885)年上京新聞記者などしながら仏教や漢学などを勉強した。同39年に「大日本世界教稜威会」を結成、独自の神道説と禊による神道行法の普及に乗り出した。
 その神道の特徴は、宇宙の根本統一主宰神としての天御中主大神と、その“分派”の諸神・諸仏の存在による「一神即多神」説に基づく「惟神の大道」を説いたところにある。
 さらに禊行法を重視した点にある。同42年第1回の大寒禊を神奈川県片瀬海岸で行い、以降、門人、支持者を増やした。この禊重視の在野神道は国民各層に大きな影響を与えた。(朝日日本歴史人物事典)
  寒垢離や御手洗池の行褌  北舟 

かんごりや みたらしいけの ぎょうふどし

Purification with water in the cold season, training loincloth in the Mitarashi pond.

二礼二拍手一礼の拝礼

二礼二拍手一礼の拝礼

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