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 旅紀行日本の祭り

2010年1月31日改訂

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♪江戸祭囃子/「獅子」

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わっしょいに波打つ神輿鐵砲洲  北舟
Teppouzu, the mikoshi waving for 'Wasshoi!'.

2008年5月19日制作

弥生会による御本社神輿の宮出し

弥生会による御本社神輿の宮出し(鐵砲洲稲荷神社/東京都中央区)

 
鐵砲洲稲荷神社神紋   鐵砲洲稲荷神社   鐵砲洲稲荷神社神紋
 

江戸っ子!鐵砲洲大祭

本社神輿

 

御本社神輿渡御ごほんしゃみこしとぎょ

 5月5日(月)、最大のイベントである6年ぶりの御本社神輿渡御の日がやってきた。曇り空の下、午前8時前に鐵砲洲稲荷神社に行くと、既に御本社神輿のお祓いが終わり、弥生会の記念撮影に入っていた。

鐵砲洲祭の折り畳み式パンフレット

 

御本社神輿渡御の時刻表

鐵砲洲祭の折り畳み式パンフレット 御本社神輿渡御の時刻表
   

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御本社神輿17ヵ町巡行コース

御本社神輿17ヵ町巡行コース

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資料:鐵砲洲稲荷神社弥生会

 

鐵砲洲稲荷神社弥生会てっぽうずいなりじんじゃ やよいかい

 今年で10周年を迎えた弥生会は、平成10年(1998)、御鎮座1160年(2000)の記念事業の推進母体として発足。その後は鐵砲洲稲荷神社の繁栄と氏子地域の活性化、下町文化を次代の若者に継承することを目的に活動している。
中川文隆宮司による御本社神輿のお祓い 2008.5.5 07:15

中川文隆宮司による御本社神輿のお祓い

 

撮影:小林豊一

   青柳晴男会長率いる弥生会の会員は、名誉会員や会友などを含め、平成20年1月末日現在で総員390名を数える。「弥生会」という会名は先代の中川正光・名誉宮司が名付け親で、5月に開催される鐵砲洲祭が旧暦では3月の弥生に当たることから命名。「弥々生える(いやいやおえる)(益々成長する)」という意味もあるという。
弥生会やよいかい オールキャスト 2008.5.5 07:50

弥生会オールキャスト

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撮影:小林豊一

 
第一区六番組「す組」
 18世紀前半の江戸時代中期、第8代将軍・徳川吉宗の頃、町火消しとして鳶(とび)が採用され、江戸の町を火事から守る「いろは四十八組」が組織された。現在は、消防庁や消防団が防火防水の任に当たっているが、町火消しの伝統は社団法人江戸消防記念会が継承している。
 写真下の若宮英俊(わかみや・ひでとし)宮頭(みやがしら)率いる鳶頭衆(かしらしゅう)第一区六番組「す組」に属し鐵砲洲稲荷神社、波除(なみよけ)稲荷神社(築地)、住吉神社(佃)の区域を担当している。
若宮英俊宮頭わかみやひでとし みやがしら 初め親方衆

若宮英俊宮頭初め親方衆

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撮影:小林豊一

   宮頭は配下の鳶頭衆を率いて神社の技術的支援に当たる責任者である。祭礼に際しては、御仮屋の建設を初め御本社神輿や鳳輦(ほうれん)の保守・管理・運営を受け持つ。
出発を待つ御本社神輿

出発を待つ御本社神輿

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撮影:小林豊一

 

鐵砲洲囃子てっぽうずばやし

 神楽殿では、御本社神輿の宮出しにあわせ、お囃子の奉納がはじまった。鐵砲洲稲荷神社では、「若山流江戸囃子・恭の会」の渡邉浩徒(わたなべ・ひろと)先生の指導による“お囃子教室”を開催している。氏子17ヵ町のみならず、部外からも参加でき、老若男女を問わないという。この日の発表を目標に腕を磨いてきた。 お囃子教室 
鐵砲洲囃子の奉納/神楽殿 2008.5.5 08:15
                              渡邉浩徒先生(若山流江戸囃子・恭の会)↓

鐵砲洲囃子の奉納/神楽殿

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   御本社神輿の渡御は弥生会が全てを取り仕切っておりこの日筆者は、弥生会の石川辰夫幹事長から報道腕章をお借りし入船二丁目の氏子でもある小林豊一プロと共に汗だくになりながら終日御本社神輿渡御に随行し氏子17ヵ町の全ての渡御を激写した。
参考:筆者の主機は、オリンパスE-3にED12-60mm F2.8-4.0 SWD (35mm換算:24-120mm)のズームレンズを付けたもので、ライブビューを多用し、脚立無しの手持ちフルオート撮影。
小林豊一プロとオリンパスE-3を持つ筆者

小林豊一プロとオリンパスE-3を持つ筆者

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撮影:星 宏幸

 

弥生会やよいかい

による宮出し・宮入れ
 御本社神輿の宮出(みやだし)・宮入(みやいれ)全て弥生会の会員のみで行われる。午前9時両襟に「弥生会」、背に「鉄砲州稲荷神社」の緑字をあしらった萌黄の半纏に、稲荷紋と巴紋に弥生会の丸文字を染め抜いた水色の鉢巻をキリリと締めた弥生会の会員により御本社神輿が担ぎ上げられ宮出しが始まった。
境内を出発する御本社神輿 2008.5.5 09:00

境内を出発する御本社神輿

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巨大な御本社神輿

 鐵砲洲稲荷神社の御本社神輿は、大正14年(1925)八丁堀の秋山三五郎師の作で、台輪(だいわ)寸法4尺1寸5分という大神輿である。もともとは白木神輿だったが、担がれることが少なかったため黒塗りに塗装したという。
御本社神輿の宮出し

御本社神輿の宮出し

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   御本社神輿の町内渡御は、6年ぶり2度目となる。また、3年前の平成17年(2005)5月1日(日)には、歌舞伎座の前で鐵砲洲稲荷神社主催による中村勘三郎襲名祝賀行事が開かれ弥生会の氏子たちが御本社神輿で歌舞伎座渡御を行った。そのときには弥生会名誉会員の中村勘三郎さんも神輿を担いで話題となった。

御本社神輿を担ぐ中村勘三郎さん 2005.5.1

御本社神輿を担ぐ中村勘三郎さん

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提供:弥生会 撮影:多田裕美子

   鐵砲洲祭は、東京の夏祭りの魁(さきがけ)となるもので、近年、新緑の瑞々しい初夏を飾る風物詩として定着し多くの参加者や見学者を集めている。御本社神輿渡御では朝から晩まで「ワッショイ!、ワッショイ!」の掛け声と共に御本社神輿が氏子17ヵ町を巡幸する光景は圧巻だった。
宮前を進む御本社神輿

宮前を進む御本社神輿

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  わっしょいに波打つ神輿鐵砲洲 北舟 

わっしょいに なみうつみこし てっぽうず

Teppouzu, the mikoshi waving for 'Wasshoi!'.
弥生会による御本社神輿の宮出し

弥生会による御本社神輿の宮出し

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御本社神輿は湊湯の前まで担がれた後、台車に載せられ、そこから銀座八丁目東の出発地点まで曳行された。

台車に載った御本社神輿 2008.5.5 09:15

台車に載った御本社神輿

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御本社神輿を台車にのせて銀座八丁目東の出発地点に向かう/湊一丁目 2008.5.5 09:20

御本社神輿を台車にのせて銀座八丁目東の出発地点に向かう/湊一丁目

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渡御を先導するお囃子車

渡御を先導するお囃子車

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沿道の出迎え/銀座一丁目東 2008.5.5 09:35

沿道の出迎え/銀座一丁目東

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