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弥生会の手によって宮入りした御本社神輿は、拝殿前に据えられ、宮出しのときと同様のお祓いが行われた。 |
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宮入りした御本社神輿 2008.5.5 19:05
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撮影:小林豊一 |
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お祓いの後、御本社神輿は、若宮英俊宮頭の指揮で鳶頭(かしら)衆により台車に乗せられ、神輿庫に運ばれた。 |
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5日(月)午後8時から、御本社神輿から神の御霊(みたま)を本殿にお還しする還御祭(御霊返し)が行われた。 |
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お祓いのあと、神輿庫や境内の全ての照明が消されると、白衣にマスク姿の中川宮司により御本社神輿の御霊が厨子に入れられ、三宝に載せられた。宮司一行は一旦南門から外に出て、改めて正門から境内に入り、拝殿から本殿に上がって御霊が還御された。 |
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参考:消灯中はフラッシュ禁止なので、高感度撮影により御霊が運ばれる様子を撮影した。 |
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かんぎょさい しろしょうぞくの やみをゆく |
Return-to-the-shrine ritual,
White clothing in the darkness. |
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照明がつくと御霊の還御が終わり、宮司一行が本殿から下りてくるところだった。このあと神様に御神酒をはじめとする神饌(しんせん)が神職のリレーにより次々と献上された。 |
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神職のお祓いの後、17ヵ町の代表や弥生会会長らの玉串奉奠(たまぐしほうてん)があり、最後に宮司が本殿の扉を閉め、例大祭の行事が全て完了した。時刻は午後9時を過ぎていた。 |
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本殿の扉を閉める中川宮司 2008.5.5 21:05
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撮影:小林豊一 |
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撮 影
2008年4月20日〜5月5日
OLYMPUS
E-3 E-510
12-60mm 70-300mm
1000万画素
2,795枚 6,012MB
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感動の江戸っ子祭 |
今年の鐵砲洲祭は、6年ぶりに巨大な御本社神輿が17ヵ町を巡行する素晴らしい神輿祭りだった。 |
ヘトヘトになりながら御本社神輿と共に全町内を廻ったが、それぞれに風情があり、楽しみながら土地勘を身につけることができた。 |
江戸っ子文化が躍動する東京の夏祭りは、この鐵砲洲祭から始まるが、何といっても歌舞伎座前の神輿練りが圧巻で、その感動を対面のビルからたっぷりと切り取ることができた。 |
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撮影の要諦は、いかに素晴らしい撮影場所を確保するかに尽きる。今回、弥生会の石川辰夫幹事長や報道部の星宏幸副部長から色々とご尽力を賜り、3箇所の建物から撮影することができ、スケール感溢れる感動シーンを多数切り取ることができた。
また、プロ写真家の小林豊一さんと弥生会の星宏幸さんから多数の写真をお借りし、私の至らないところを補うことができた。多くの方々のお陰で、この作品が生まれた。お世話になった皆様方には心よりお礼申し上げたい。 |
★☆★彡 |
旅紀行日本の祭り第105集 「江戸っ子!鐵砲洲大祭」 |
撮影・制作:和田義男 協力:小林豊一 星 宏幸 後援:鐵砲洲稲荷神社弥生会 |
平成20年(2008)5月19日 作品:第17作 画像:(大111+小39) 頁数:9 ファイル数:295 ファイル容量:71.6MB
平成12年(2000)〜平成20年(2008) 作品数:288 頁数:1,010 ファイル数:34,552 ファイル容量:5,039MB |
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撮影:小林豊一 |
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感動のフィナーレ
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今年のゴールデンウィークは、週間予報に反して天気が悪く、最終日の御本社神輿渡御も曇り空で、時折小雨がぱらつく天候だった。そのお陰で、新緑の柔らかい光を受け、白飛びのない、自然で美しい画像が生まれた。 |
夜間撮影もオリンパスE-3の手振れ防止機能やSATという階調自動調整機能などのお陰で、ロマンと感動溢れる美しい光景を存分に切り取ることができた。編集子(筆者)が選んだ会心作は「宮元神輿に見送られながら宮入する御本社神輿」(写真下)で、鐵砲洲祭の感動のフィナーレを見事に写し撮ることができた。 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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ワッショイ神輿
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神輿練りの掛け声といえば「ワッショイ」のはずだが、近年の江戸神輿は殆どが「セイヤ」「ソイヤ」などに変質している。唯一その伝統が残っているのは富岡八幡宮の深川祭である。 |
鐵砲洲祭では、先代の故・中川正光宮司が「東京蔵前の問屋街で大きな荷物を担ぐときに、力を「添へや」が「ソイヤ」とか「セイヤ」になった」と分析されておられる。「神輿は決して大きな荷物ではない。尊い神霊を奉祀してあるるのだから、掛け声は「和し背負へ」すなわち「ワッショイ」でなければならない」と強く指導されておられた。 |
「一部の遊び人たちが「俺や」「オリャ」と叫んでいるのも納得できないし、入墨を露出させて神輿の上に土足で乗っている姿もいただけない。中には喧嘩腰で「さぁ来い」「サァコイ」と怒鳴っているが、神輿を担がせていただくという気持ちが少しも感じられない。」と嘆いておられたとも聞く。 |
鐵砲洲祭の御本社神輿渡御では、先代の遺志を継いで、神輿が次の町会に引き継がれる毎に、掛け声は「ワッショイ」だと指示していたのが印象的だった。しかし、初めのうちは「ワッショイ」だが、いつの間にか「セイヤ」になったりした。 |
都会の空洞化に伴い、地元の氏子が少なく、部外の睦会に頼らざるを得ないために、そうなってしまうのだろう。弥生会の苦労が偲ばれるが、これからも指導を徹底し、「わっしょい神輿は隅田川を挟んだ深川と鐵砲洲」 といわれるようになって欲しいと思う。 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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歌舞伎の鐵砲洲祭
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今年の例大祭では、初めて「新富座こども歌舞伎」が奉納された。長いセリフに詰まる場面もあったが、無事に公演が終わり、関係者はホッとしたことだろう。 |
公募で選ばれた全くの素人集団が、短い練習期間にもかかわらず、これだけの演技ができるとは驚きだが、今後、歌舞伎座前の神輿練りと「こども歌舞伎」が鐵砲洲祭の目玉になるに違いない。江戸下町の伝統文化が色濃く残る鐵砲洲のこれからが楽しみである。 |
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【編集子が選ぶ名作】 |
新富座こども歌舞伎「 |
三人吉三巴白浪 |
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弥生会の石川辰夫幹事長によると、鐵砲洲祭の衣装は半纏と半股引(ハンダコ)が原則だが、褌も認めているという。そのため、睦会を中心に色柄物をキリリと締めたこだわりの褌派を多数撮影することができた。 |
ハンダコは江戸時代には存在しないので、祭り衣装が変質していることは間違いない。筆者としては、粋で鯔背な江戸っ子の祭りであれば、博多っ子の博多山笠のように、せめて睦会だけでも全員褌を締めて欲しいと思う。 |
博多山笠と違って、こだわりの江戸っ子褌は、全て前袋式六尺褌で、前垂れ式は見られない。激しい運動でも乱れない定番の締め方である。 |
各町会責任者の指導が徹底しているせいか、三社祭のように褌一丁の裸形や担ぎ棒に上がる人は皆無で、節度ある江戸っ子の素晴らしい神輿祭りだった。〈 完 〉 2008年5月19日 和田義男 |
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こだわりの褌派 |
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撮影:小林豊一 |
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