2006年9月18日(月)雨 T. T. 様より 鐵砲洲稲荷神社弥生会広報部からのお便り
弥生会広報紙への記事お願いの件 鐵砲洲稲荷神社弥生会広報のT.と申します。いつも素晴らしいフォトギャラリーを送って下さってありがとうございます。毎回その行動ぶりに驚くとともに、美しい写真に魅せられています。
さて、このたび、当会の広報紙「いやおひ10月号」に会友になっていただきました和田さんの近況を御紹介したいと思いまして、一筆お願いしたいと企画していたのですが、9月18日改訂写真集の「国技の相撲は何処へ」を共感とともに拝読いたしました。
国技の相撲は何処へ |
校庭から土俵が消え、子供たちが褌(まわし)を締めて相撲を取ることが珍しくなった。烏相撲では前日に練習があるが、ほとんどの子供たちはそこで初めて裸になって土俵に立ち、相撲を取る経験をしたのだろう。褌を締めているのに、左右の横褌(よこみつ)を取ってがっぷり四つになった取り組みは一番もなかった。相撲経験のない子は、立ち会いで踏み込み、突っ張って押し出すか、まわしを取って技をかけるという基本動作を教わっていないから、パンツやタイツしかはいていないために上半身で組み合うしかないレスリング・スタイルになるのだろう。 |
現在、秋場所が行われているが、上位を占めているのは朝青龍や琴欧州など、外国勢が多く、日本人関取の不甲斐なさに落胆している人が多いのではないだろうか。その理由は、底辺を支える相撲人口が少ないためであることは明らかである。 |
子供たちはサッカーや野球といった華やかなスポーツにあこがれるからだといわれるが、相撲人口が少ないのは、戦後、学校に相撲を取る施設がなくなったためで、スタートから機会均等ではない。相撲が国技であるのなら、神社などに任せきりにするのではなく、行政当局や教育機関がもっと力を入れて普及を図るべきではないかと思う。若いときに心技体を鍛える素晴らしい挌技のひとつである国技を今一度見直してみては如何か。 |
つきましては、このエッセーを弥生会会員はもとより、鐵砲洲地域の方々にも広く読んでいただきたいと思いまして、「いやおひ」への転載をお許しいただけたらありがたいと思いまして、メールを差し上げる次第です。
もしお許しいただけましたら、重陽の烏相撲の写真と一緒に掲載したいと考えておりますので、写真の使用もお許しいただけたらと思います。厚かましいお願いですが、お返事をお待ちしております。
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