ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール

★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

♪二胡・劉三姐メドレー

パノラマ写真(2000x1670)158KB

墨客の描きし奇峰霧の中  北舟

2006年12月9日作成

漓江下り
漓江下り(霧の桂林紀行/中国)


 





 

554





 
 

 
  


 

 

 

 


 
 

553

 

 

 











 

 

552





 
 

 
  


















 

551

 

 








 

 

550





 
 







 

 
  



 

549

 

 

 

 


 
 


 

 

548





 
 







 

 
  



 

547

 

 

 










 

 

546

 

 

 

 
  

























 

545

 

 

 







 

544




 

2007年3月16日(金)

 平成19年(2007)2月24日(土)、東京駅から新幹線を利用し、水沢江刺(みずさわえさし)駅まで2時間、タクシーで15分で岩手県奥州市にある天台宗(てんだいしゅう)妙見山(みょうけんざん)黒石寺(こくせきじ)に行き、蘇民祭(そみんさい)を徹夜で激写した。

初春や千年薬師のおわす里  

New spring,
A village with Yakushi
for one thousand years.

はつはるや せんねんやくしの おわすさと

 岩手県奥州市水沢区黒石町(くろいしちょう)にある黒石寺は天台宗の古刹で、山号は妙見山。天平元年(729)奈良法相宗(なら・ほっそうしゅう)薬師寺五代行基(ぎょうぎ)和尚(菩薩)の開基で、当初は東光山薬師寺と称したが、延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭って寺は焼失した。
 
 黒石寺公式ホームページ
 大同2年(807)将軍の命を受けて飛騨(ひだ)(岐阜県)の匠(たくみ)が方七間の薬師堂を再建。嘉祥2年(849)慈覚大師(じかくだいし)円仁(えんにん)が天台宗として復興し、妙見山黒石寺と改名。今日まで、静かな集落の杉木立の中で、1278年のときを刻んできた。
 

湯煙を浴びて飲み干す七日白湯

 

Bathing in the steam,
 They gulped down the hot water
in the seventh day of the year.

ゆけむりを あびてのみほす なのかさゆ

 本堂の前に参道を挟んだ広場があり、本堂に向かって左(西)側で柴燈木登(ひたきのぼり)が行われる。参道右(東)の筵(むしろ)小屋が我々が起居した精進小屋で、その東には鐘楼堂があり、更に東奥に庫裏(くり)がある。
門を入ると、正面に庫裏(くり)と呼ばれる住職などの居住区があり、庫裏の更に東側には寺務所や土蔵などがある。
 寺務所の土間を右に行くと台所があり、大きな竈(かまど)に二つの湯釜が置かれ、薬湯(やくとう)が煮えたぎっていた。蓋をずらすと白い蒸気が立ち登り、柄杓(ひしゃく)で薬湯をお椀に取って呑むと、薬師如来のご加護を受けて風邪を引かず、無病息災に暮らすことができるという。

初春の蘇民ふんどし白晒  

New spring,
Somin fundoshi
of white breached cloth.

はつはるの そみんふんどし しろざらし

 黒石寺の門前道路の南側にテント小屋があり、蘇民袋のミニチュアや小間木、角燈、写真集など蘇民祭グッズの土産物が売られていた。
 蘇民祭に参加する人のために、「黒石寺蘇民祭」の朱印が押された白晒木綿の褌と地下足袋が1セット2000円で売られていた。蘇民褌の単体販売があれば、記念に購入する人も増えるものと思われる。
 蘇民祭では、五つの行事の開始の合図として鐘楼堂の梵鐘が鳴らされる。午後10時になり、除夜の鐘の響きが聞こえると、いよいよ蘇民祭が始まったという緊張感が涌いてきた。やがて、角燈(かくとう)の明かりが見えてきて、裸参りの行列が瑠璃壷川(るりつぼがわ)(山内川(やまうちがわ))に下りてきた。
 

瑠璃壷の親子ふんどし寒の垢離

 

Purification with water
in the cold season,
Fundoshi loincloths
of father and son
at Ruritsubo river.

るりつぼの おやこふんどし かんのこり

 裸参りは、総代を先頭に隊列を組み、厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈(かくとう)と呼ぶ提灯を持ち、「ジャッソウ」「ジョヤサ」の掛け声をかけながら、瑠璃壺川(るりつぼがわ)の水垢離場(みずごりば)に入り、3度水を被って身を浄め、薬師堂(本堂)、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行う。これを3度繰り返す。

褌で夜道を巡る七日かな  

The seventh day of the year,
Walking the path after dark
with fundoshi loincloth.

ふんどしで よみちをめぐる なのかかな

 裸参りの一行は、瑠璃壺川から階段を上がり、門前道から参道に入り、本堂に上がって外陣(げじん)を一巡する。本堂でお参りしたあと、本堂西側の石段を登り、妙見堂にお参りする。
 その後、本堂裏手の山道を東に進み、本堂東側に下り、本堂前の参道を通って山門前の斜路から瑠璃壺川の水垢離場に至る。
 午後11時半、梵鐘が打ち鳴らされ、柴燈木登(ひたきのぼり)の開始が知らされた。
 柴燈木登(ひたきのぼり)は、積み重ねた松木の上にのぼり、火の粉を浴びて身を清める行事で、これは修験道の柴燈護摩(さいとうごま)と考えられる儀式であり、修験道と天台密教とが見事に習合している。
 

煙たつ柴燈木の上の七日かな

 

The seventh day of the year,
Standing on the smoking piles
of Hitaki lumber
of holy fire.

けむりたつ ひたきのうえの なのかかな

 ほどなく昇ちゃんが柴燈木(ひたき)に素裸であがり、火の粉を浴び、煙にむせびながら得意の山内節(やまうちぶし)を熱唱した。大きな声を出すため、煙を多量に吸い込み、喉を痛めて声が変になった。いつものことだという。彼は地元の長老から山内節の手ほどきを受けた。今では地元後継者を指導するほどの腕前である。
 柴燈木登が佳境に入ってくると、若者たちが浄火に焼かれた柴燈木の焼け棒杭を持ち出し、腰をかがめて地面を這うように振り回しながら石段をのぼって本堂に上がり、外陣を祓い浄めた。
 

初春や柴燈木で浄む薬師堂

 

New spring,
Purifying Yakushi temple
with charred stakes
of Hitaki.

はつはるや ひたきできよむ やくしどう

 裸の長老が一人、外陣を清めたあと、本堂入口の石段に立ち、柴燈木の焼け棒杭を持って上がってくる者たちの検問を始めた。彼が気に入らないと、追い返されることになる。
 長老から指名された若者は、打ち込んでくる柴燈木を手木(てぎ)の刀で受け、通行を阻止した。本堂の前で互いに切り結ぶ「たち切り」行為が行われるのは、魔除けの意味があるものと思われる。
 圧巻はこの二組の「たち切り」攻防戦。打ち込む男たちも怪我をさせないように手加減しているふうだったが、躍動する裸と火の一瞬を見事に切り取ることが出来た。
 

法螺の音や別当登初薬師

 

Blowing sound of a conch shell,
Betto March to the main temple
at first Yakushi Festival of the year.

ほらのねや べっとうのぼり はつやくし

 翌25日は、旧正月8日に当たる初薬師(はつやくし)の日で、衆生(しゅじょう)の病患を救い、法薬を授ける薬師如来の初縁日である。午前2時、鐘楼堂の梵鐘が打ち鳴らされ、別当登がはじまった。
 柴燈木登(ひたきのぼり)と同様、たち切り(打人)が相互に長い手木の刀で打ち結びながら魔を払って進む後に、法螺貝を吹き鳴らす二人が続き、その後に別当の藤波住職が現れた。
 別当の後に、三方(さんぽう)に載せた蘇民袋をしっかりと抱えた総代が現れた。蘇民袋は麻製で、蘇民将来(そみんしょうらい)の護符(ごふ)(魔除けの御守)である長さ1寸(約3cm)の小間木(こまぎ)が五升枡山盛り分入っている。
 

幼子の逆さ鬼面や初薬師

 

First Yakushi Festival of the year,
A devil mask upside-down
on the back of a child.

おさなごの さかさきめんや はつやくし

 午前4時から鬼子登(おにごのぼり)が始まった。梵鐘の音を合図に庫裡の入口に行くと、柴燈木登や別当登と同じ編成の祓人(はらいびと)や「たち切り」などが現れ、行列を先導した。
 太鼓に続いて、麻衣(あさごろも)を着た総代ら檀徒が本堂で焚く二束の松松明(まつたいまつ)を持って現れた。その後ろには水掛用の手桶を担いだ人などが見える。
 その後から、数え年7歳の男児2名が鬼子(おにご)として麻衣(あさごろも)をまとい、木製の鬼の面を逆さに背負い檀徒の丈夫な大人におんぶされて現れた。この鬼子は、山の神でもあり、農神でもあるという。
 二人とも黒石寺の引両紋(ひきりょうもん)寺紋が入った手拭いの頭巾をしており、前の子は木槌(さいづち)を、後ろの子は木斧(きおの)を持っている。鬼の面を逆さに背負うのは、鬼が暴れ出さないようにするためだという。
 

素裸で飛び込む渦や裸押し

 

Jostling together,
A man dives naked into the eddy.

すはだかで とびこむうずや はだかおし

 午前4時40分頃、蘇民袋争奪戦の準備が整った。蘇民袋争奪戦は、五穀豊穣と無病息災を願い、故事に習って疾病の護符である将軍木(かつのき)で作った小間木(蘇民将来)が山盛り5升入った蘇民袋を奪い合いする行事である。
 黄色の布で頬被りをして小刀を口にくわえた素裸の親方が山さんらの助力で格子に取り付き、午前5時2分頃、渦の中心めがけて飛び降り、蘇民袋に10cmほどの切口を入れ、小間木を取り出せるようにした。
 

蘇民祭畑の中の裸押し

 

Somin Ritual,
A contest for a lucky charm
in a farm.

そみんさい はたけのなかの はだかおし

 2月25日(日)午前5時36分頃、蘇民袋争奪戦の渦は本堂外陣(げじん)の外に出た。
 裸の集団は、その中で揉み合いを続けながら国道343号を西に進み、あらかじめ決まっている決戦場に向かった。最終決戦地は、黒石寺西方約800mの国道南側にある畑地である。
 今年の争奪戦は午前6時33分に取主が決定し、蘇民祭の5行事全てが終わった。

「黒石寺蘇民祭」 2007. 2. 24 - 25

本堂西方の三宝殿に安置された本尊・薬師如来座像

本堂西方の三宝殿に安置された本尊・薬師如来座像(国指定重要文化財)

拡大写真(1600x1100)332KB

霊験あらたかな薬湯(寺務所台所)

霊験あらたかな薬湯(寺務所台所)

拡大写真(800x657)85KB

「黒石寺蘇民祭」の朱印入り褌の販売
「黒石寺蘇民祭」の朱印入り褌の販売

拡大写真(1400x1050)330KB

親子の寒中水浴

親子の寒中水浴

拡大写真(1600x1200)224KB

二巡目の昇ちゃん

二巡目の昇ちゃん

拡大写真(1600x1200)272KB

山内節を熱唱する昇ちゃん(柴燈木登)

山内節を熱唱する昇ちゃん(柴燈木登)

拡大写真(1400x1170)119KB

外陣入口の攻防!

外陣入口の攻防!

拡大写真(1400x1400)289KB

蘇民袋を運ぶ総代

蘇民袋を運ぶ総代

拡大写真(1400x1050)232KB

鬼の面を逆さに背負う木槌の鬼子

鬼の面を逆さに背負う木槌の鬼子

拡大写真(1300x1240)186KB

短刀をくわえて渦に飛び込む素裸の親方

短刀をくわえて渦に飛び込む素裸の親方

拡大写真(1600x1040)234KB

勝負あった!!

勝負あった!!

拡大写真(1400x980)222KB

 

 


 
 








543





 
 

 
  



 

542


 

2007年2月23日(金)

 平成19年(2007)2月16日(金)、石川県羽咋郡(はくいぐん)宝達志水町(ほうだつしみずちょう)麦生(むんぎょ)の日蓮宗宝栄山(ほうえいざん)妙法輪寺(みょうほうりんじ)において12人の荒行僧による帰山奉告式大祈祷会が開かれた。
 今回、全国の日蓮宗寺院から千葉県市川市中山にある正中山法華経寺(しょうちゅうざん・ほけきょうじ)に入行(にゅうぎょう)した荒行僧は183人。昨年11月1日から2月10日までの100日間、日蓮宗大荒行堂(だいあらぎょうどう)で、過酷な荒行を修めた。

寒垢離や団扇太鼓の荒行僧  

Purification with water
in the cold season,
Priests of austerities
welcomed by fan drums.

かんごりや うちわだいこの あらぎょうそう

 今年妙法輪寺から住職の大森教裕上人の子息・大森教生上人が初めての荒行(初行)に参加して見事に成満(じょうまん)。この日同じ荒行を修めた11人の上人と共に帰還し、妙法輪寺で大祈祷会が催行されたのである。
 大森住職によると、今年入行した183名の修行僧のうち途中脱落者が7名もあり、うち1名は入院後死亡したという。まさに殉職者が出るほどの命賭けの行である。
 年々脱落者が増えているとのことで、知育偏重教育による体力不足や、少子化による忍耐力の低下などの要因が考えられるが、いずれにしても豊かな生活を享受する日本の世相を反映していることだけは確かなようである。
 本堂の前で、今日の主役である大森教生上人を囲んで、12人の上人(しょうにん)の記念撮影が行われた。
 前列中央が大森教生上人。その右隣が第十行の千日水行(せんにちすいぎょう)を成満された堀田龍顕上人、左隣が第四行の遠藤龍潤上人。回数が増えるに連れて風格と威厳が備わるようで、他を圧倒する雰囲気がある。
 

白褌の行者白髪寒禊

 

Purification with water
in the cold season,
The ascetic
of a white loincloth,
has white hair on his head
and a white beard.

びゃっこんの ぎょうじゃはくはつ かんみそぎ

 本堂の前の境内で晴れて寒の荒行の成満を果たした12人の上人(しょうにん)たちが白装束を脱ぎ、越中褌一丁の裸形となり、前夜から寒に晒した水樽の前で、水行肝文(すいぎょうかんもん)を高らかに唱え、水行が始まった。
 水行の作法は、起立して手桶で冷水を汲み、肝文(かんもん)を唱えながら反動をつけ、背伸びしながら一斉に後頭部の肩をめがけて水をたたき込むように浴びせる。
 寒の水行のお披露目が終わったあと、本堂で帰山奉告式が始まった。最初に住職の大森教裕上人が見守る前で、子息・大森教生上人に初行修了証が授与された。地元の寺院で檀信徒や関係の僧侶たちが見守る中で証書を伝達するという演出は、とても晴れがましく、感動的であった。

「妙法輪寺寒の荒行」 2007. 2. 16 撮影・原作:蓮野 渉

本堂前で唱題高唱

本堂前で唱題高唱

拡大写真(1600x1100)332KB

荒行を成満した上人たちの記念撮影

荒行を成満した上人たちの記念撮影

拡大写真(800x770)148KB

気合いの水行!
気合いの水行!

拡大写真(800x1142)323KB

 

 


 
 








543





 
 

 
  



 

542





 
 

 
  

 





 



  
541


 








 

540




 

 













 

539



 





 
 

2007年2月20日(火)

 2007年1月23日(火)、バスツアーを利用して水仙の日本三大群生地の一つとして知られる兵庫県南あわじ市(旧南淡町)の灘黒岩水仙郷に行った。
 淡路島の最高峰・諭鶴羽山(ゆづるはやま)608m)から海に続く45度の急斜面・約7haに500万本の日本水仙が自生する。

寒の潮鳴門の瀬戸の迸る  

Cold tide,
Shallows of Naruto
outpouring.

かんのしお なるとのせとの ほとばしる

 南あわじ市の四国側には鳴門の渦で知られる鳴門海峡があり、急流で泡だっていた。
 灘黒岩水仙郷の水仙は、まだ淡路島が徳島藩の領地であった1820年代頃、付近の漁民が海岸に漂着した球根を山に植えたのが繁殖し、広がっていったものといわれている。
 

水仙花南あわじの崎日和 

 

Narcissuses,
Nice day
for the cape
of South Awaji.

すいせんか みなみあわじの さきびより

 2007年1月31日(水)、わが郷里・福井の県花を見ようと思い立ち、天気予報は曇りのち雨だったが、福井男の経験から必ず晴れ間もあると信じて、自宅から越前海岸まで片道230kmを車をとばして行ってきた。
 越前水仙の群生地として知られる越前海岸は、毎年12月〜2月になると可憐な花で埋め尽くされ、晴れた日には、青い空や真っ青な海をバックに甘い香りの水仙が冬景色に彩りを添えてくれる景勝地となる。
 日本海に望む高さ130mの断崖の上に白くそびえ立つ越前岬灯台。その風景をバックに水仙の日本三大群生地の一つに数えられる越前岬水仙卿が広がる。
 

海凪に水仙の香の極まれり

 

Due to the calm sea,
The scents of Narcissuses,
deepened extremely.

うみなぎに すいせんのかの きわまれり

   凛とした表情で咲き誇る冬の花・越前水仙は、対馬海流(暖流)の温暖な気候と日本海の寒い潮風を受けて、他の日本水仙に比べ、花がひきしまり、香りが強く、日持ちと草姿(そうし)(草花の姿形)が良いのが特徴だという。
 凛とした表情で咲き誇る越前水仙は、芯の強い福井の県民性に通じるとされ、昭和29年(1954)に福井県花に指定された。また、日本海に面した急斜面に寒風に耐えて咲く姿は、作家、歌人、画家に感動を与え、多くの作品の題材になった。
 

水仙の今咲き誇る荒磯崎

 

The rough coast,
 Narcissuses
in their full glory.

すいせんの いまさきほこる ありそざき

   雪が積もっても折れず、曲がっても雪が解ければ起き上がる。小ぶりだが、茎が太く凛としている。香りが強く、12月〜2月の開花シーズンには、越前海岸のあちこちで甘い香りがする。越前町の水仙農家は、生花として好評を得て、関西を中心に、中京、関東等へ越前水仙を出荷している。
 えちぜん水仙の道は、梨子ヶ平の西方に造られた総延長1.3km、所要時間30〜60分の遊歩道。両サイドに越前水仙が咲き乱れ、日本海の荒磯が見え隠れする絶景地である。
 

越前の空に光明冬怒濤

 

The surging waves in winter,
Brightening sky
over the Echizen coast.

えちぜんの そらにこうみょう ふゆどとう

   日本一のスケールで群生する越前水仙の景観をたっぷりと味わった後、帰途についたが、日本海の荒波が打ち寄せる越前海岸や点在する漁港の佇まいを見ると、北陸地方の冬の厳しさも、また、心に染みた。

「冬海の水仙畑」 2007. 1. 23/31 撮影・原作:南光 優

鳴門海峡の潮流 2007.1.27

鳴門海峡の潮流

拡大写真(1400x954)327KB

日当たりの良い水仙畑

日当たりの良い水仙畑

拡大写真(1400x954)254KB

冬海と水仙畑
冬海と水仙畑

拡大写真(1600x1079)398KB

えちぜん水仙の道
えちぜん水仙の道

拡大写真(1400x954)446KB

梅浦漁港
梅浦漁港

拡大写真(1400x942)170KB

 

 


 
 

538





 
 

 
  




 



  
537


 









 
  
 

 
 

536




 





  













 

535



 





 
 

2007年2月14日(土)

 平成19年(2007)1月20日(土)、茨城県鹿嶋市に鎮座する鹿島神宮(かしまじんぐう)で第21回大寒禊が行われた。

初春や樹叢の宮の杉並木  

The New Year,
Rows of cedars
in the forest
of the shrine.

はつはるや じゅそうのみやの すぎなみき

 鹿島神宮の境内は広く、東京ディズニーランドの総面積(80万m2)に匹敵する74万m2の広さがある。このうち44万m2は樹叢(じゅそう)で、樹齢千年以上の巨木を含む4万本以上の樹木と約600種の植物がみられ、茨城県の天然記念物に指定されている。参道の杉並木は、冬の強い北風の影響か、南側に傾いている。
 境内の西側に大鳥居があり、東に向かって進むと楼門、拝殿と本殿、仮殿、奥宮(いずれも国の重要文化財)、要石(かなめいし)、鹿園(ろくえん)、御手洗池(みたらしいけ)が続く。
 

鳥船や白褌一色寒の垢離 

 

Torifune the warming up,
All wearing white loincloth
in the purification with water
in the cold season.

とりふねや びゃっこんいっしょく かんのこり

 禊衣装に着替えた一行は、御手洗池正面の注連縄(しめなわ)が張られた広場に集合し、綺麗に整列したあと、ベテランの道彦とその両脇の若い道彦2名が指揮に立ち、古式の鳥船(とりふね)(準備運動)を十分に行い、二手に分かれて御手洗池に入水した。
 全員、入水した後、道彦の合図で一斉に胸まで浸かった。その潔(いさぎよ)さに観客からどよめきが上がった。
 行者たちは、鉢巻に挟んでいた神拝詞(しんぱいし)を取り出し、両手で押し頂きながら祝詞(のりと)を唱え始めた。
 禊の時間はきっちり15分。神拝詞(しんぱいし)を持つ手が震えている人が何人かいたが、それほど寒い顔をしていない。
 

寒垢離や御手洗池の行褌

 

Purification with water
in the cold season,
Training loincloth
in the Mitarashi pond.

かんごりや みたらしいけの ぎょうふどし

   見ている観客が寒い思いをしているなかで、15分が経過。先ほどと逆順で出水(しゅっすい)がはじまった。最初に入った人は最後に出るので、水に滞在している時間が長くなるが、それほど厳しい状態ではなく、むしろ上がってからが寒いという。
 水浴を終えた行者たちは、再び入念な鳥船を行った。身体は濡れたままなので、水分が蒸発するときに気化熱が奪われるために外の方が寒い。
 行が終わると、観客から良くやったという拍手が一斉に湧いた。初心者が沢山いるなかでの一糸乱れない行動は、指導者の事前の説明や周到な用意が行き届いていることが伺われ、日本古来の伝統作法による清潔で美しい禊だった。
 

大寒や禊を終えて意気高し

 

The coldest season,
High spirits
after the purification with water.

だいかんや みそぎをおえて いきたかし

   その中で、笑みを浮かべて引き揚げてくる男性もいた。年初の禊を無事に終えた達成感や爽快感が伺われた。

「鹿島神宮大寒禊」 2007.1.20

広大で鬱蒼とした境内
広大で鬱蒼とした境内(楼門奥の参道から楼門を臨む)

拡大写真(1400x1050)324KB

濡れたままの鳥船

濡れたままの鳥船

拡大写真(1500x1360)458KB

神拝詞を見ながら祝詞を唱える行者たち
神拝詞を見ながら祝詞を唱える行者たち

拡大写真(1600x1200)322KB

爽快感!
爽快感!

拡大写真(1400x1050)241KB

 

 


  

 

534





 
   



  
533


 





 
  
 

532



 
 

2007年2月8日(土)

 平成19年(2007)1月20日(土)から8日間、クラブツーリズムの「悠久の北インド・ゴールデンルート8日間」の旅に参加し、22日(月)・23日(火)に聖地バラナシを訪問した。

初旅や舟の遙拝釈迦の里  

First tour on a boat,
Praying to the sun
at the village
relating to Buddha.

はつたびや ふねのようはい しゃかのさと

 北緯25度20分東経83度00分に位置するバラナシは、インド北部、ウッタル・プラデーシュ州東部にあるバラナシ県の人口350万人の県都で、ヒンドゥー教と仏教の聖地として重要な宗教都市である。
 

ガンジスの日輪燃ゆる神の春

 

The sun burning
over the Ganges
in the spring of Gods.

がんじすの にちりんもゆる かみのはる

   バラナシは、ガンガーと呼ばれるガンジス川に面し、この街の近くでヴァルナー川とアシー川がガンガーに注ぐ。市街地は、屈曲するガンガーが南から北へ流れる左岸(西岸)に半円状に広がる。
 ガンジス川は、インド亜大陸北部を流れる大河で、ヒマラヤ山脈の南麓にあるガンゴートリー氷河を水源とし、上流部ではバーギーラティーの名がある。デーオプラヤーグ付近で支流アラクナンダー川と合流し、そこからガンガーと呼ばれる。
 

バラナシや夜明けの川の寒禊

 

Varanasi,
Purification with river water
at dawn
in the cold season.

ばらなしや よあけのかわの かんみそぎ

 ヒンドゥー教徒にとってガンガーでの沐浴は最高の喜びであり、もしガンガーの岸辺で亡くなり、荼毘(だび)に付されて遺骨や灰がガンガーに流されるならば、これに優る幸福はないとされる。
 バラナシのガンガー西岸の階段状の沐浴場には、未明から大勢の人たちが集まる。中でもダシャーシュワメード・ガートはとても有名な沐浴場で、沐浴、瞑想、洗濯、火葬、観光など、様々な人たちで混雑する。
 茶色に濁った水は、糞尿などの汚物や死骸などが流れていて、日本人は、入水することすら躊躇する。しかし、インドの人々は、この聖なる水に入って沐浴し、口を漱(すす)ぎ、排泄し、全てを洗い清め、死者の遺灰を水に流して、ガンガーの神秘な力を授かろうとしている。水深約80mのガンガーは、全てを飲み込み、蕩々と流れて行く。

「ガンジスの夜明け」 2007.1.23 撮影・原作:小池淳二

ガンガー東岸の御来光
ガンガー東岸の御来光

拡大写真(1400x1050)130KB

沐浴場のひとつダシャーシュワメード・ガート

沐浴場のひとつダシャーシュワメード・ガート

拡大写真(1800x1300)479KB

マニカルニカー・ガート遠景
マニカルニカー・ガート遠景

拡大写真(1800x1350)345KB


 


 
 

531





 
 

 
  







  
530


 









 
  
 
 

529




 





  

528



 




 
527

 



 



  
 

526




 

 

 
  



 
 
525

 





 
 

2007年2月3日(土)

 平成19年(2007)1月8日(月)、宮崎県宮崎市の青島に鎮座する青島神社で宮崎を代表する新春恒例行事である「裸まいり」が開催された。

海神の宿る青島春の海  

Sea of spring,
The sea god dwells
in Aoshima island.

わたつみの やどるあおしま はるのうみ

 この「裸まいり」は、日向(ひゅうが)神話の「山幸彦・海幸彦」伝説に基づくもので、山幸彦が海の宮から帰ってくるとの知らせを受けた村人たちが、着衣をまとう暇もなく浜へ飛び出して出迎えたという伝承を再現したものである。
 青島は、宮崎県宮崎市南東部の海岸にある周囲1.5km 、面積約4.4ha、高さ約6mの島で、砂州によって陸続きとなる陸繋島(りくけいとう)になりつつある。対岸は青島海岸と呼ばれ、青島ビーチ(青島海水浴場)などを含む一大観光地になっている。
 

参道を裸で走る寒禊 

 

Purification with water
in the cold season,
Naked men running
the approach to the shrine.

さんどうを はだかではしる かんみそぎ

 青島は、一千万年〜八百万年前の硬さの違う砂岩と泥岩から成る地層が侵食により独特の形状に変化した岩盤で囲まれ、干潮の際には沖合い100mにわたって筋状の岩盤が露出する見事な景観を誇る。その形状が洗濯板に似ていることから「鬼の洗濯岩(鬼の洗濯板)」と呼ばれている。
 青島の南中央に鎮座する青島神社には、彦火々出見命(ひこほほでみのみこと)、后(きさき)の豊玉姫命(とよたまみめのみこと)、塩筒大神(しおづつのおおかみ)の三神が祀られている。彦火々出見命は山幸彦(やまさちひこ)として親しまれており、「海幸彦 山幸彦」の神話は、青島海岸が舞台となっている。 青島神社  
 

青島の海の気浴びて寒の垢離

 

Purification with water
in the cold season,
breathing in sea air
of Aoshima island.

あおしまの うみのきあびて かんのこり

   鬼の洗濯岩のそばにある最初の禊場(みそぎば)に着いた裸の集団は、鳥船行事と呼ばれる準備体操を実施したあと、青島神社の前浜で、宮入・参拝に先立つ禊が始まり、裸の集団が指導者の合図で一斉に入水した。
 

父と子の白ふんどしや寒禊

 

Purification with water
in the cold season,
White loincloth
of the father and his son.

ちちとこの しろふんどしや かんみそぎ

   この日の海水温度は気温と同じ11℃。水の冷たさが顔や身体の表情から伝わってくる。
 

正月や日向の灘の初禊

 

The New Year,
First purification with water
in the rough sea of Hyuga.

しょうがつや ひゅうがのなだの はつみそぎ

   青島神社の前浜で禊を終えた裸の集団は神社で裸参りをすませた後、青島ビーチで二度目の禊を行った。禊の時間は前回同様約5分。北西の風がまともに吹き寄せ、体感温度はかなり下がり、寒さに震える子どもの姿があちこちで見られた。
 

ふんどしの童に辛き寒の垢離

 

Purification with water
in the cold season
is too much hard
to the child of loincloth.

ふんどしの わらべにつらき かんのこり

   裸の一行は、渚で隊列を整えた後、青島参道商店街まで走って行き、頭から真水を被って塩抜きをして、無事、裸まいりを終えた。
   縁結び、安産の杜(もり)として知られる鵜戸神宮(うとじんぐう)は、青島神社の近くにあり、お参りは両方の神社を巡ることが多い。
 

祭神を育てし春のお乳水

 

The Milky water of spring,
with which the God grew up.

さいじんを そだてしはるの おちちみず

   洞窟に社殿があることで知られる鵜戸神宮の境内には、竜宮に帰った豊玉姫が乳房を残して行ったと伝えられる「お乳岩」がある。
 お乳岩からしみ出るお乳水を使ってつくられた飴により、祭神・鵜葺屋葺不合命(うがやふきあえずのみこと)(神武天皇の父)が育てられたという伝説があり、今も「おちちあめ」として販売されている。

「青島神社裸まいり」 2007.1.8 撮影・原作:上平明

日向灘に突き出た青島
日向灘に突き出た青島

拡大写真(1600x1067)345KB

参道を走る元気な子!

参道を走る元気な子!

拡大写真(1400x1100)248KB

海に入る親子連れ
海に入る親子連れ

拡大写真(1400x933)324KB

寒さ厳しい寒中水浴
寒さ厳しい寒中水浴

拡大写真(1600x1067)330KB

さぶ〜!!!!
さぶ〜!!!!

拡大写真(1400x920)237KB

お乳水とおちちあめ
お乳水とおちちあめ

拡大写真(800x506)127KB

 



 
 





524














 
 

523


 

 

 


 
 

 
  


 
 
522








 
 
 

521

 

  

520



 



 
  


 
 
519

2007年1月27日(土)

 2007年正月14日(日)、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社(てっぽうず・いなりじんじゃ)で東京の新春の風物詩として知られる第52回寒中水浴大会が開かれた。

正月や五人囃子の初禊  

The New Year,
 First purification with water
hearing
five-musician festival music.

しょうがつや ごにんばやしの はつみそぎ

 神楽殿では既に江戸祭囃子の奉納が行われていた。丁度、子供たちによる五人囃子だったので、横から撮影。
 しばらくして、獅子舞の奉納があった。なかなかの熱演で、観客の拍手喝采をあびていたが、うまいはずで、演者は、鐵砲洲稲荷神社でお囃子教室を主催する渡邉浩徒(わたなべ・ひろと)先生だった。
 

舞獅子のでんぐり返る神楽殿

 

A dancing lion,
turns a somersault
on the kagura stage.

まいじしの でんぐりがえる かぐらでん

 今年弥生会が奉納した直径5m、深さ1mの円形水槽の前で、中川文隆宮司がマイクを握って挨拶したあと、榊でお祓いし、水浴場を浄めた。
 今年の参加者は女性3人を含む46人。円形水槽を囲み、道彦をつとめる籏野禰宜の号令で入念な鳥船(とりふね)が行われた。鳥船とは、天孫降臨(てんそんこうりん)の際にニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が乗ったという船のことで、正式には鳥船行事と呼ばれるもので、身体の邪気を発散させつつ心と霊魂を浄化統一する作法である。
 

正月や円形水槽初みそぎ

 

The New Year,
First purification ceremony
in a round water tank.

しょうがつや えんけいすいそう はつみそぎ

   恒例により、褌一丁で公道に繰り出し、神社一周のランニングを行って身体を十分にウォームアップした参加者たちは、二手に別れて円形水槽に身を沈め、合掌・瞑想しながら祝詞を唱える寒中水浴の苦行に入った。
 

白褌の裸形となりて寒の垢離

 

Purification ceremony with water
naked with white loincloth
in the cold season.

びゃっこんの らぎょうとなりて かんのこり

 

鐵砲洲白衣白褌寒禊

 

Teppouzu,
Purification with water
in the cold season
with white kimono
and white loincloth.

てっぽうず びゃくいびゃっこん かんみそぎ

   寒中水浴のあと、参加者たちは神社近くの湊湯で、冷え切った身体を温め、この世の極楽を味わった。
 

寒みそぎ娑婆の極楽湊の湯

 

Purification with water
in the cold season,
Minato bathhouse
the paradise in the world.

かんみそぎ しゃばのごくらく みなとのゆ

   湊湯で人心地ついた常連客たちは、社務所二階の日当たりの良い部屋で弥生会が用意した箱鮨や河豚(ふく)汁に舌鼓を打ちながら、歓談のひとときを過ごした。

「鐵砲洲寒中水浴'07」 2007.1.14

子ども五人囃子による「江戸祭囃子」

子ども五人囃子による「江戸祭囃子」

拡大写真(1400x1000)370KB

獅子舞の熱演

獅子舞の熱演

拡大写真(1400x900)238KB

円形水槽の周りで鳥船

円形水槽の周りで鳥船

パノラマ写真(1800x765)420KB

心頭滅却すれば・・・

心頭滅却すれば・・・

拡大写真(1400x1050)224KB

湊湯の極楽

湊湯の極楽

拡大写真(1400x1000)148KB

 

 

 
  
 
 

518



 




 





 
 

517





 
 

 

 


 

 
  



 
516




 
 

2007年1月19日(金)

 平成19年(2007年)1月7日(日)、大漁旗や日の丸、五色の紙をつけた笹竹、吹き流しなどで飾られた満船飾の宝来船(ほうらいせん)が桂川(かつらがわ)を遡(さかのぼ)る新年恒例の裸祭り「ホーランエンヤ」が大分県豊後高田市で開かれた。

初春や宝来船の大漁旗  

The New Year,
Big catch flags
of the treasure ship.

はつはるや ほうらいせんの だいりょうき

 大分県無形民俗文化財のホーランエンヤは、豊後高田市が島原藩(長崎県)の領地であった江戸時代中期から島原や大坂の蔵屋敷に年貢米を送る廻送船の航海の安全と豊漁を祈願する行事として行われてきた。
 かつては、元旦の行事だったが、現在は、日中に満潮となる時間に合わせて日程が決められる。ホーランエンヤの語源は諸説あるが、「宝来栄弥(ほうらいえいや)」「蓬莱(ほうらい)へ、蓬莱へ」という掛け声からきたといわれている。
 

浦の春餅まく船の櫂の音 

 

Spring beach,
Paddling sounds
of the ship
scattering  rice cakes.

うらのはる もちまくふねの かいのおと

 ホーランエンヤ保存会が主催するこの祭りは、宝来船(ほうらいせん)にふんどし姿の若者たち14〜15名が乗り込み、川下の金毘羅宮に参拝した後、磯町(いそまち)を出発、「ホーランエンヤ エンヤサノサッサ」の掛け声とともに、川上の市役所前まで満潮(まんちょう)の上げ潮(あげしお)に乗って漕ぎあげる。
 川岸を埋める大勢の観客が見守るなか、裸の若者たちが厳寒の桂川に飛び込み、岸辺まで泳いで祝儀を取りに行く。両岸を巡りながら市役所そばの若宮八幡宮に向かう宝来船からは、紅白の祝い餅が大量に撒かれる。
 

おらが春ぬき手で泳ぐ白ふどし

 

My spring,
Swimming overhand
with white T-back loincloth.

おらがはる ぬきてでおよぐ しろふどし

   祭りに使用される宝来船は、浅いところでも通れるように特別に設計した全長20m、幅5mの平底の木造和船である。市や県の補助を受けて平成13年ころに代替建造されたもので、ホーランエンヤ保存会が管理している。

「豊後高田ホーランエンヤ」 2007.1.7 撮影・原作:清原浩

磯町を発航する宝来船

磯町を発航する宝来船

拡大写真(1280X960)441KB

櫂を操る裸形の若者たち

櫂を操る裸形の若者たち

拡大写真(1280X850)298KB

寒中水泳する若者たち

拡大写真(600X450)298KB

 


 
 




515











 


 

 

514


 

 

 


 
 
  


 
 
513








 
 
 

512

 

  






511



 


  


 
 
510

2007年1月13日(土)

 平成19年(2007)1月7日(日)午前10時から石川県金沢市金沢城公園新丸(しんまる)広場で「平成19年金沢市消防出初式」が行われた。

山茶花の垣根に白き櫓かな  

White turret
 beyond the hedge
of camellias.

さざんかの かきねにしろき やぐらかな

会場は30m/sを超える暴風雨に見舞われ、時折霰(あられ)が降る悪天候で、傘は役に立たず、持参したポンチョ式防水衣とスキーズボンにゴム長靴が唯一の装備。ポンチョの下にオリンパスの二台の愛機を抱えて臨んだ。
 金沢市内の全49分団の消防団員1300人が菱櫓を背景に整列。各分団の先頭には、纏と分団旗が掲げられている。全員制服制帽にゴム長靴と防寒衣を着用しているが、防水衣は身につけていない。
 

加賀鳶の旗と纏の出初かな

 

New Year ceremony
of fire brigades
with flags and matois
of Kagatobi firemen.

かがとびの はたとまといの でぞめかな

 強風と雨霰(あめあられ)に晒されながら、午前10時前、予定時刻を待たずに出初式が始まった。国旗掲揚に始まる消防式典では、山出保(やまで・たもつ)金沢市長の観閲・訓辞・表彰、谷本正憲(たにもと・まさのり)石川県知事の祝辞と表彰、来賓の祝辞、干場謹二(ほしば・きんじ)石川県警本部長の万歳三唱などが行われた。
 

初春や木遣くずしの梯子乗

 

The New Year,
ladder-top stunts
in the song Kiyari-kuzushi.

はつはるや きやりくずしの はしごのり

   黄色の三尺帯の加賀鳶半纏に股引、豆絞りの鉢巻に白足袋という出で立ちの消防団員たちは、立ち並んだ46本の梯子上で、片手片足でつかまり、大の字にポーズを決めて挙手の敬礼を行う「敬礼」という演技を披露した。
 

正月や白ふんどしの纏舞

 

The New Year,
Matoi dance
wearing white fundoshi loincloth.

しょうがつや しろふんどしの まといまい

 平成13年(2001)に再建された金沢城の真新しい菱櫓(ひしやぐら)の前に一文字に並べられた筒先*は、全部で49本。纏持と同じ褌一丁の加賀鳶たちが支持棒と筒先に付き、ホースをさばく人を加えると一つの放水口に3人が配置されている。
 

加賀鳶のはだか纏の出初かな

 

New Year ceremony
of fire brigades
with naked matoi holders
of Kagatobi firemen.

かがとびの はだかまといの でぞめかな

   午前10時42分、一斉放水が開始され、消防ホースの先端から水圧5kg/cm2の真水が垂直に噴き出した。
 

白褌の放水天に出初式

 

New Year ceremony
of fire brigades,

wearing white loincloth,
splaying water to the sky.
 

びゃっこんの ほうすいてんに でぞめしき

   間もなく、大量の冷水が降り注ぐなか、先ほど一列に並んでいた纏持たちが一斉に筒先に向かって走ってきた。
   纏持(まといもち)たちは、筒先に合流し、纏を振り回して纏舞をはじめた。はだか纏で景気を付けるためと思われるが、とても絵になる風景で、勇壮で素晴らしいパフォーマンスだった。

「加賀鳶はだか放水」 2007.1.7

精巧な石垣の橋爪門続櫓

精巧な石垣の橋爪門続櫓

拡大写真(1400x1015)228KB

山出保金沢市長による検閲

山出保金沢市長による検閲

拡大写真(1800x980)279KB

加賀鳶はしご登り「敬礼」

加賀鳶はしご登り「敬礼」

パノラマ写真(1710x1024)320KB

纏持の登場!

纏持の登場!
拡大写真(1600x1300)176KB

纏舞で景気付けるはだか放水

纏舞で景気付けるはだか放水

拡大写真(1800x1440)387KB

 
   
 

 


 
 
509

2007年1月1日(日)

 2007年の年賀状は、中国桂林の漓江(りこう)下りの写真にした。初景色が新年の季語で、今年の決意を句にした。

初景色亥年還暦浪漫旅

First scenery of the year,
Romantic journeys
at the age of sixty
of the Boar.

はつげしき いどしかんれき ろまんたび

 桂林旅行のあと、漢字だけの俳句を創ることを考えるようになった。この10文字の俳句も気に入っている。

2007年の年賀状

2007年の年賀状

拡大写真(1024x672)115KB

 



 
  
 

508

 

 

 








 


 

 
507



 




 






 

506





 
 

 

 


 

 
  

505























 

504

 

 

 





 






 
503



 



 


 





 
 


502





 
 

 



 


 



  

501




 
 

 
 

2006年12月14日(水)

 (第10集からの続き) 2006年11月16日(木)から3泊4日の日程で家内と共にクラブツーリズムのツアーに参加し、山水画で有名な中国の桂林 けいりん Guilinに旅した。

漓江船奇山竹舟五里霧中  

Riko river boats,
 strange hills and bamboo boats
enveloped in the mist for ten miles.

りこうせん きざんちくしゅう ごりむちゅう

 漓江は、海抜2141.5mの猫児山に源を発し、桂林から陽朔までの83kmは、「百里の画廊」と賞される。清冽な水の流れは、うねり曲がる緑絹(りょっけん)の帯のように万を数える奇峰の間を巡り、様々な形をした青峰は、川の両岸に聳え、その穏やかな神仙の姿を水面に宿す。
 漓江両岸の緑竹(りょくちく)が風に揺れながら頭(こうべ)を垂れ、山峰(さんぽう)が川面(かわも)に影を落とし、漁舟(ぎょしゅう)や竹筏が点在する。一筋の白煙がゆるやかに大地を這っている。冠岩(かんがん)から南の景勝地は、名前の付けられた奇岩やのどかな漁村が点在し、まさに漓江山水絵巻が展開する山紫水明の地である。
 

行く河の霧の彼方に我もまた 

 

The river flows
over the mist,
So do I.

ゆくかわの きりのかなたに われもまた

 九馬画山を過ぎると間もなく黄布倒影と呼ばれるスポットに入った。この付近の風景は20元(約300円)紙幣の裏面のデザインに使われている。中央の黄色の岩肌を持つ山があたかも黄色の布が水面に逆さに映っているさまから名付けられたものという。
 今回は霧雨に煙る漓江なので、黄布が倒影しているようには見えなかったが、慈悲深い観音様のような穏やかな山々と両岸の青竹林が川面に影を落とし、見事な景観をかたちづくっている。
 

桂林や久遠の流れ霧襖

 

Keirin,
Never ending flow
through the fog curtain.

けいりんや くおんのながれ きりぶすま

   漓江右岸(西岸)にタニシ山が見えた。日本の漢字にない名前がついているが、英語で River Snail Hill とあるので、川のカタツムリ、すなわちタニシということらしい。写真下は船の後方を撮影したもので、この山を通過した後は、さほどの景観がなく、後は陽朔に到着するまで、船室で休むことになった。
 午後3時半すぎ、遊覧船は無事に陽朔(ようさく)の外国人専用桟橋に着いた。6時間半に及ぶ川下りが終わった。
 

行く秋や二羽の川鵜の天秤棒

 

Late autumn,
Two cormorants
on a yoke.

ぼっかくの えがきしきほう きりのなか

 早速上陸し、陳さんに引率されて陽朔の繁華街である西街(にしまち)に向かったが、陽朔の船着場でも老人が川鵜を二匹連れていた。少し元気が足りないように思えたが、年輪の刻まれた風格ある顔が印象的だった。
 陽朔は桂林市に属する県で、面積は1,428km2、人口28万人。桂林から陽朔までは陸路で64km、水路で83km。隋(ずい)の開皇十年(590年)、陽朔にはじめて県が置かれ、現在に至っている。
 ツアー三日目の11月18日(土)は、終日、桂林市内の観光スポットを巡った。最初に行ったところは象山公園。ここから象鼻山(しょうびざん)がよく見えるので、象山公園と名付けられたのだろう。
 途中で急に大雨が降ってきたので、売店に避難する一幕があった。雨に見舞われたのはここだけなのだが、そのお陰で、岸辺から大勢の観光客がいなくなり、閑静な漓江の朝の風景を切り取ることができた。
 

霧時雨漓江に遊ぶ竹筏

 

Misty shower in late autumn,
The bamboo rafts
floating on Riko river.

きりしぐれ りこうにあそぶ たけいかだ

 桂林七星公園は漓江の東に広がる桂林最大の公園で、4つの峰の普陀山(ふださん)と3つの峰の月歯山(げっしざん)合わせて7つの峰を持つ。その並び方が北斗七星に似ていることから、七星公園と呼ばれるようになった。
 公園に入ってまずは木犀(もくせい)の並木道を歩いた。強い香りのする金木犀は、日本でもお馴染みだが、金木犀、銀木犀など、木犀の仲間は中国南部の桂林地方が原産。中国語で「桂」は木犀のことを指し、「桂林」という地名は、木犀の木がたくさんあることに由来するという。木犀の花は桂花。俳句で「桂(かつら)の花」は秋の季語。
 

桂林の奇山果てなし桂花

 

Flowers of fragrant olives,
Boundless hills of strange
at Keirin.

けいりんの  きざんはてなし  かつらばな

   ツアー三日目の夜は、夕食後、市内の湖を巡るナイトクルーズに出かけた。近年、古くから自然の城濠とされてきた桂林市街を流れる2つの川と4つの湖がひとつに結ばれ、船で航行できるようになった。「水の都」としての一面を持つ桂林の魅力をクルージングで楽しむという趣向で、両江四湖というツアーである。
 金銀双塔は、杉湖(すぎこ)の東南に位置するツインタワーで、銅塔(手前)と瑠璃塔(奥)に分かれており、日月双塔とも呼ばれる。銅塔は9層41mの高さで、湖の中に立つタワーとして世界一のタイトルを持つ。瑠璃塔は杉湖の島の上に建ち、7層35mのタワーで、水面下の水族館を介して銅塔と通じている。
 

金銀の湖に双閣桂花

 

Flowers of fragrant olives,
The twin towers
gold and silver
standing on the lake.

きんぎんの うみにそうかく かつらばな

 遊覧船が途中で止まると、左舷側で竹排(ツーパイ)(竹筏)に乗った鵜匠が鵜を操って鵜飼を披露してくれた。日本とは違って、鵜にはロープがついておらず、魚を捕らえると舟に戻ってくるように訓練されている。
 川鵜の首にはロープの代わりに獲物を飲み込まないように紐(ひも)が巻かれている。舳先のランプは、昔夜店で懐かしいカーバイトランプ。注水器を緩めると水滴が落ち、カーバイトが化学反応してアセチレンガスが発生し、火口(ひぐち)から出るガスに点火して発光させる。アセチレンガスの匂いが懐かしい。
 

鵜飼火や湖に棹さす竹筏

 

The lanterns of cormorant fishing,
A man managing a bamboo raft
with a pole on the lake.

うかいびや うみにさおさす たけいかだ

   川鵜が魚を捕まえて戻ってくると、嘴(くちばし)の根元をつかんで口を開け、獲物を吐き出させて魚籠(びく)に入れる。その手際の良さは、プロの匠の領域である。右舷側にも、もう1隻来ていたが、弟子らしく、漁獲は零だったので、簡単そうにみえる技が大変熟練を要するものであることがわかった。

「霧の桂林紀行」 2006.11.16-18

雨の桂林・漓江下り

雨の桂林・漓江下り

パノラマ写真(2000x1670)267KB

更に下る遊覧船

更に下る遊覧船

拡大写真(1400x1240)126KB

タニシ山 River Snail Hill

タニシ山 River Snail Hill

パノラマ写真(1600x800)105KB

川鵜を持つ老人

川鵜を持つ老人

拡大写真(800x741)121KB

竹排ツーパイ (竹筏)と 象鼻山しょうびざん
竹排(ツーパイ)(竹筏)と象鼻山

拡大写真(1600x1200)367KB

木犀の林・桂林を歩く

木犀の林・桂林を歩く

拡大写真(1600x1100)460KB

金銀双塔の夜景

金銀双塔の夜景

拡大写真(1600x1300)288KB

竹排(ツーパイ)(竹筏)の鵜飼

竹排(ツーパイ)(竹筏)の鵜飼

拡大写真(1800x1300)277KB

俳句「海の風景」第10集に前の4句を収録。 第10集

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2007年1月2日 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。

東京 2003年8月16日
 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール