ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール

★★★  ようこそ 写真俳句の世界へ! ★★★

Wa☆Daフォトギャラリー  和田北舟の俳句  

2011年5月7日改訂

今 日

昨 日

お江戸日本橋メドレー

拡大写真(1600x1100)272KB

春の海六尺一本初神輿   北舟

2001年7月16日制作

鳳龍神輿
鳳龍神輿(藤沢市片瀬海岸東浜)




  
  

 


602

 

 



 
 

  



 
601



  

600


  



















 
 
 
 
599









 






 

598

























 
  
 
597
















596


  




















 
  
 
 
595




 












 

594















   
 
593














 


 

592
 

 



 
 










  




 
591








 
  

590













 




589

2007年5月29日(火)

 4月19日(木)午後8時からJR青梅駅のそばに建つ本町会館で「平成十九年度青梅大祭本町拍子木お披露目」が行われた。今年の拍子木はJR青梅駅前で「みどりや文具」を経営する澤渡敏夫(さわたり・としお)さん(57歳)。

拍子木の三色綱や山車祭   

Float festival,
A three-color rope
of wooden clappers.

ひょうしぎの さんしょくづなや だしまつり

 4月27日(金)午後8時から住吉神社境内の特設舞台で墨江町囃子連の主催で奉納囃子が披露された。奉納囃子は、翌日の住吉神社例大祭の宵宮(前夜祭)として、奉納されるもので、今年は墨江町囃子連(すみえちょう・はやしれん)による単独の奉納となった。
 

住吉の奉納囃子夏夕べ

 

Summer evening,
Festival music
dedicating to Sumiyoshi shrine.

すみよしの ほうのうばやし なつゆうべ

 

青梅宿天狐跳ね舞ふ祭笛

 

Ohme post town,
A festival flute
to which heavenly fox
 hopping and dancing.

おうめじゅく てんこはねまう まつりぶえ

 旧青梅村の中心で、宿場町を形成していた五町には江戸から購入した山車人形が大切に残されており、青梅大祭のときにだけ展示・一般公開される。本町(ほんちょう)では5月1日(火)会所(かいしょ)に設けられた人形場(にんぎょうば)で山車人形の飾り付けが行われた。
 本町の会所には神功皇后と応神天皇を抱いた武内宿禰(宿弥)が展示される。江戸末期から明治期にかけて活躍した人形師・三代目原舟月(はら・しゅうげつ)(1826〜1898)の明治8年(1875)の作で、首の芯に刻銘がある。茨城県土浦市から購入した山車に載っていた人形といわれている。
 

皇后の鎧衣や山車人形

 

Float doll,
The empress
in a kimono and an armor.

こうごうの よろいごろもや だしにんぎょう

   氏子五町(旧祭礼町)の西端に位置する森下町祭典事務所は、東京都有形民俗文化財の旧稲葉家住宅にあり、今まさに満珠を海に投げ入れようとしている武内宿禰(宿弥)を展示している。
 武内宿禰は、嘉永元年(1848)名人形師・法橋(ほうきょう)仲秀英(なか・しゅうえい)が作ったもので 、神田三河町四丁目(現司町二丁目)が江戸神田祭に三十一番目の山車人形として巡行していたものを明治の初め頃に森下町が購入した。平成15年(2003)に作成された神田神社大鳥居信史宮司の鑑定書がある。
 

夏祭一年ぶりの宿禰かな

 

Summer festival,
Looking Sukune
after one year.

なつまつり いちねんぶりの すくねかな

今年で三度目となる青梅大祭の取材には、村野公一(むらの・きみかず)さんにご紹介いただき、本町(ほんちょう)祭典委員長・齋藤愼一(さいとう・しんいち)さんや副委員長・須崎八洲治(すざき・やすはる)さんのご高配を賜り、半纏をお借りして本町の密着取材を行った。
 平成19年(2007)、ゴールデンウィークの5月2日(水)・3日(木)の両日、東京都青梅市で恒例の青梅大祭が開かれ、15万人の観衆を魅了した。
 尻端折は、着物の裾が脚に絡んで歩行の邪魔にならないよう、裾をまくり上げ、その端を帯に挟むことで、「しりからげ」ともいう。青梅大祭の祭り衣装の着こなし方として必須の尻端折であるが、真後ろにからげるのは野暮ったく、七三にからげるのが粋だという。
 

祭笠七分三分の尻端折

 

Festival hat,
Tucking up kimono
on a seven to three ratio.

まつりがさ しちぶさんぶの しりはしょり

 会所前の出発式では、榎本羽元頭による塩のお浄めに続き、お神酒による乾杯が行われて式典が終了。全員配置に着いた後、澤渡拍子木が「カチーン、カチーン」と拍子木を二度打ち鳴らすと、本町の山車が動き出し、巡行が始まった。
 5月2日は、「町内曳き」の日で、本町山車巡行時間表に従って、一行は本町内を巡行した。町内にはJR青梅駅があるので、駅を中心に山車が運行された。
 

本町の路地行く山車の笛太鼓

 

Flute and drums
of the float
going an alley of Hontyo.

ほんちょうの ろじゆくだしの ふえたいこ

 町内には狭い道路もあるので、大きな山車を通過させるのが一苦労。写真下は、儀礼の挨拶のために仲通りに山車を入れたものの、通りの幅が狭く、山車をUターンさせる場所がないためにバックしているところ。
 山車の舵取り役が6人の羽元(はもと)(歯元)たち。氏子たちは親しみを込めて「はもとさん」と呼んでいる。その頭(責任者)を務めるのがベテランの榎本清吉さん。「町内曳き」は狭い路地で苦労し、翌日の「本祭り」では山車同志のすれ違いに苦労するという。
 日が落ちて提灯の明かりが輝きを増し始めた午後6時半頃、JR青梅駅前の広場(路線バス停車場)で本町・住江町・上町が横一線に並び、三町競演が披露された。
 

青梅路のひょっとこ踊り山車舞台

 

Path in Ohme,
 Clownish dance
on a float stage.

おうめじの ひょっとこおどりだしぶたい

 5月3日(木)午前9時頃、本町会館に集合した一行は、齋藤祭典委員長と澤渡拍子木の挨拶、乾杯の後、腹ごしらえをし、拍子木の木入れで会館を出発。拍子木迎えの隊列を組み、本町駐車場の山車前に向かった。
 午前9時40分頃本町駐車場の山車前で出発式があり、齋藤祭典委員長と澤渡拍子木の挨拶、榎本羽元頭による塩のお浄め、拍子木の木入れによる青梅締めの後、出発。
 午前10時頃山車は本町会所(人形場)に到着。式典が行われ、齋藤祭典委員長の挨拶のあと乾杯。いよいよ本祭りの山車の巡行が始まった。
 

拍子木の音色涼しき青梅宿

 

Ohme post town,
Cool tone
of wooden clappers.

ひょうしぎの ねいろすずしき おうめじゅく

 前日は晴れ着をきちんと着込んでいた拍子
木だったが、3日本祭りには粋に片袖脱ぎの
スタイル。住吉神社に参拝するときは、ラフな
スタイルでは行けない。山車の巡行に入ると
途中で衣装を整えられないので、朝から正装
した。この日は参拝がないので、朝から襦袢
を見せて男粋を演出している。
 

祭笠柏手七つ青梅締

 

Festival hat,
Ohme closing
of hand-clapping
seven times.

まつりがさ かしわでななつ おうめじめ

 「本祭り」は連合渡御である。12ヵ町の山車が旧青梅街道を中心にそれぞれの町内に乗り入れて巡行する。その際、各町の会所に赴き、祭典委員長など幹部が挨拶する決まりで、口上も決められている。挨拶の後、お神酒で乾杯し、3・3・1拍子という独特の青梅締めで〆る。七本締めとも呼ばれる。
   街道では三々五々顔なじみの人たちが笑顔で歓談する姿が見られた。竹内俊夫・青梅市長の姿もあり、住江町の氏子として祭半纏がよく似合っていた。
 

山車祭股引半纏尻端折

 

Float festival,
Long underpants,
Hantens,
Tucking up kimonos.

だしまつり ももひきはんてん しりはしょり

 青梅大祭最大の見所は駅前交差点で午後5時半頃から披露される四町競演である。午後5時15分に釜屋前に待機していた本町の山車が反転して駅前に向かい、東から来た住江町の山車と対峙するところから始まる。
 市長や国会議員の挨拶のあと、四町の拍子木役が一人ずつ中央の壇上で拍子木を打ち、山車を誘導する。男子一生の晴れ舞台である。
 拍子木の合図で4台の山車が一斉に中央に進出し、青梅囃子の腕を競う。この光景が最大の呼び物である。今年この素晴らしい一瞬をパノラマ写真で切り取ることに成功した。
 

山車祭青梅囃子の競ひ合ひ

 

Float festival,
Competition
of Ohme festival music.

だしまつり おうめばやしの きそいあい

   本町の祭り半纏を羽織っているため、一般客が立ち入れない最高の場所を確保でき、脚立の上から背面液晶モニターを見ながら広角レンズで三枚の連続写真によりこの感動の光景を捉えることができた。
 

若衆の競り合ふ山車の夕まぐれ

 

Close contest among youth
on the floats
in the gathering dusk. 

わかしゅうの せりあうだしの ゆうまぐれ

   午後6時10分頃、大祭本部前の三叉路に東から時計回りに住江町・本町・瀧ノ上町・仲町・森下町・上町の山車が並び、青梅囃子が途切れることなく演奏される中で式典が始まった。最初に、三方を山車に囲まれた壇上に六町の祭典委員長と青梅大祭実行委員長が上がり、青梅締めが行われた。
 続いて、六町の拍子木が背を合わせるように壇上に上がり、同時木入れによる青梅締めが披露された。完璧にショーアップされた感動のシーンである。
 

宵涼し山車を導く木遣衆

 

Cool evening,
Kiyari singers
leading the float.

よいすずし だしをみちびく きやりしゅう

   この後各町の囃子連が最後の力を振り絞って青梅囃子を演奏し、有終の美を飾る盛大な競演が展開された。

「青梅大祭'07」 2007.5.2-3

完成した拍子木

完成した拍子木

拡大写真(1400x888)270KB

住吉神社奉納囃子「天狐」
住吉神社奉納囃子「天狐」
拡大写真(1600x1250)312KB
原舟月の名作
原舟月の名作
拡大写真(1800x1330)580KB
今年も展示された仲秀英の名作「武内宿禰」
展示された仲秀英の名作「武内宿禰」
拡大写真(1350x1600)485KB

「カチーン、カチーン」で人形場出発!

「カチーン、カチーン」で人形場出発!

拡大写真(1074x1400)433KB

本町の狭い道路を進む山車
本町の狭い道路を進む山車
拡大写真(1150x1400)432KB
本町囃子連の晴れ舞台

本町囃子連の晴れ舞台

拡大写真(1400x1050)334KB

輪の中で拍子木を打ち鳴らす

輪の中で拍子木を打ち鳴らす

拡大写真(1400x1050)439KB

大祭本部で青梅締め/青梅市民会館

大祭本部で青梅締め/青梅市民会館

拡大写真(1400x1050)328KB

祭半纏が粋な竹内俊夫・青梅市長(左端)

墨江町(住江町)の祭半纏が粋な竹内俊夫・青梅市長(左端)

拡大写真(1400x1150)369KB

青梅駅前交差点の四町競演
青梅駅前交差点の四町競演
パノラマ写真(2250x875)597KB
本町の乱舞!

本町の乱舞!

拡大写真(1600x1200)479KB

木遣りを唄いながら夜の青梅街道を進む

木遣りを唄いながら夜の青梅街道を進む

拡大写真(1400x1050)435KB

 



  
  


 
 


588

 

 



 
 

  




 
587



 











 
  

586


  

















  
 
 
585















 

584


















 
  
 
583


 

2007年4月27日(金)

 2007年4月12日(木)、前日長野県松本市に一泊して松本城の桜を見物した後、朝9時過ぎの特急あずさ10号で茅野(ちの)まで戻り、茅野からJRバスで伊那(いな)市の高遠(たかとう)に向かい、午前11時頃到着。個人旅行のお陰で、午後3時までゆっくりと高遠城址公園の桜を満喫した。

高遠の城址を埋める花と人   

Cherry blossoms
and a crowd
covering
the ruins of Takato castle.

たかとうの じょうしをうめる はなとひと

「文化薫るアルプスの城下町」がコンセプトの松本市は、長野県中部(中信地方)に位置し、人口約23万人を擁する長野県第二の都市。 2005年4月に梓川村(あずさがわむら)、四賀村(しがむら)、奈川村(ながわむら)、安曇村(あずみむら)の4村を編入した。 
名も知らぬ小池の花の盛かな

Cherry blossoms
around a small nameless pond
at their best.

なもしらぬ こいけのはなの さかりかな

 「二つのアルプスにいだかれた自然共生都市」をコンセプトとする伊那市は、長野県の中南部に位置し、伊那谷の北の玄関口として知られる。人口7万人あまり。平成18年(2006)3月31日に、旧・伊那市と高遠町(たかとうちょう)及び長谷村(はせむら)が新設合併し、新たに伊那市となった。

 東に南アルプス(赤石山脈)、西に中央アルプス(木曽山脈)が聳え、その間に横たわる伊那山地の西側に刻まれた伊那谷の中央部を北から南に天竜川が流れる。伊那市は正に大自然に抱かれた風光明媚な山里でる。

高遠の踊る桜の城址かな

Ruins of Takato castle,
Cherry trees dancing
in full bloom.

たかとうの おどるさくらの じょうしかな

 桜雲橋が架かる空堀周辺は見事な桜で覆われていた。枝分かれした桜が多く、クネクネしており、まるで蛸が踊っているような雰囲気である。まさに dancing cherry trees で、見ているだけでも気分がウキウキしてくる。

 「たかとほは 山裾のまち 古きまち ゆきあふ子等の うつくしき町」。大正時代、上伊那郡高遠町を訪れた田山花袋は、その情景を見事に活写した。山裾の城下町は伊那市と合併したが、高遠城址公園の桜は「たかとうのさくら」として全国的に知られ、毎年春には40万人を超える観光客が訪れる。

高遠の花に埋るる里の空

The sky of Takato village
covered with
cherry blossoms.

たかとうの はなにうもるる さとのそら

 国指定史跡の高遠城址公園で可燐(かれん)な花を咲かせるタカトオコヒガンザクラは「天下第一の桜」と賞され、昭和35年(1960)に長野県の天然記念物の指定を受け、日本さくらの会の「さくら名所百選」に選ばれている。

 タカトオコヒガンザクラは、エドヒガンザクラとマメザクラ(キンキマメザクラ)の中間種(交配種)で、花はヒガンザクラに、葉はマメザクラに似ている。花の形はやや小ぶりで赤味を帯びている。

高遠の白峰宿す桜花

Cherry blossoms of Takato
with white mountain ridges.

たかとうの しらみねやどす さくらばな

 1500本の桜の木がびっしりと花をつけているので、丘の上にある城址公園から市内やアルプスが見えない。何とか中央アルプスの勇姿を写したいと思ってくまなく歩き回った結果、白兎橋と南曲輪の二箇所からやっと遠望することができた。

  一番良かったのは、南曲輪(みなみ・ぐるわ)から眺める中央アルプスで、最高峰の木曽駒ヶ岳(2956m)を中心とする連山がよく見えるのでお勧めのスポットである。ただ、限られた場所しか見えず、枝の張り具合で毎年変わると思われる。

咲き揃ふ花の梢や峰の白

White ridges
beyond the tops
of cherry trees
blooming at a time. 

さきそろう はなのこずえや みねのしろ

 二の丸の広場には露店がならび、シートを広げて花見を楽しむ多くの行楽客が見られた。土日ともなれば、上野公園と同じように足の踏み場もないくらい花見客で埋まることだろう。

「伊那・高遠の桜」 2007.4.12.

桜雲橋おううんきょう

の桜

桜雲橋の桜

パノラマ写真(1600x860)475KB

桜雲橋おううんきょう

西側の池

桜雲橋西側の池

パノラマ写真(1400x1150)538KB

踊るコヒガンザクラ

踊るコヒガンザクラ

パノラマ写真(2000x945)638KB

空を覆うコヒガンザクラ

空を覆うコヒガンザクラ

拡大写真(1400x1050)575KB

白兎橋はくときょう

から見た中央アルプス

白兎橋から見た中央アルプス

拡大写真(1600x1200)744KB

白峰しらみね

宿す桜花

白峰宿す桜花

拡大写真(1600x1250)376KB




  
  


 
 

582

 



 

 



 
 
  




 
581



 








  

580


  























 
 
 
579
















 

578
















  
 
577










 



576






 

2007年4月19日(木)

 2007年4月11日(水)中部地方が移動性高気圧に広く覆われたので家内と二人で特急あずさ3号で長野県松本市に行き、花曇りのような霞のかかった晴天の下で、国宝・松本城の花見と戦国時代の様式を色濃く残す天守閣の探訪を楽しんだ。

風そよぐ枝垂桜に天守見ゆ 
Weeping cherry blossoms
swaying in the wind,
The donjon
can be seen below.
かぜそよぐ しだれざくらに てんしゅみゆ

 「文化薫るアルプスの城下町」がコンセプトの松本市は、長野県中部(中信地方)に位置し、人口約23万人を擁する長野県第二の都市。 2005年4月に梓川村(あずさがわむら)、四賀村(しがむら)、奈川村(ながわむら)、安曇村(あずみむら)の4村を編入した。 

 国指定史跡で国宝の松本城は、別名を烏城(からすじょう)とも呼ばれ、地元市民の憩いの場として親しまれているが、400年ほど前に建造された日本最古の五層城郭である。

花の城今に伝はる火縄銃

A castle
surrounded by cherry blossoms,
Matchlocks
inherited until today.

はなのしろ いまにつたわる ひなわじゅう

 もともと室町時代以降この地を治めていた小笠原氏の深志(ふかし)城があった場所で、戦国時代末期の文禄2年(1593)から3年(1594)にかけて豊臣方の石川数正(いしかわ・かずまさ)・康長(やすなが)父子が城郭整備を行い、現在のような姿になったという。城郭が黒いのは、秀吉に忠誠を示すためといわれる。

花の香や天守の床の黒光

Fragrance of cherry blossoms,
The floor of donjon
giving forth a black luster.

はなのかや てんしゅのゆかの くろびかり

 松本城の天守閣は、五層六階の天守閣(高さ29.4m)と三層の乾小天守(いぬい・しょうてんしゅ)(16.8m)を渡櫓(わたりやぐら)(12m)で連結している。泰平の世になった寛永10年(1633)松平直政が藩主のときに二層の辰巳附櫓(たつみ・つけやぐら)(14.7m)と赤い欄干が特徴の一層二階の月見櫓(つきみ・やぐら)(11.1m)が増築され、連結複合式天守が完成した。辰巳附櫓は、天守閣と月見櫓を繋ぐためのものである。

 明治維新の後、政府の政策により各地の城郭が取り壊されるなか、荒れ果て、崩壊寸
前だった天守閣を地元有志が保護したことから当時の姿がそのまま残されたという。国宝の城郭は、松本城のほか、姫路城、彦根城、犬山城の4城しかなく、戦国時代の姿を今に残す貴重な文化遺産である。

清公の駒を繋ぎし花繚乱

The cherry tree
blooming profusely,
to which Lord Seiko
hitched his horses.

せいこうの こまをつなぎし はなりょうらん

 乾小天守(いぬい・しょうてんしゅ)の近くに「清正公 駒つなぎの桜」がある。枝ぶりの良い綺麗な桜色の枝垂桜(しだれざくら)である。

 「加藤清正伝」によれば、あるとき熊本城主・加藤清正が江戸からの帰りに松本城に立ち寄ったところ、城主・石川玄蕃頭康長(いしかわ・げんばのかみ・やすなが)が手厚くもてなした後、騎馬二頭を引き出し、「土産にどちらでもお気に召した方を一頭差し上げましょう。」と言った。

堀辺なる二の丸土蔵の花吹雪

Ninomaru godown
beside the moat,
Shower
of falling cherry blossom petals.

ほりべなる にのまるどぞうの はなふぶき

 清正は志のほどを感謝して「貴殿の目利きで取り立てた駒を我らほどの目利きで選んでは誠に申し訳ない。二頭共申し受けるのが礼儀と心得る。」といって二頭とも頂戴して帰った。これを伝え聞いた人々は、さすが清正公と感じ入ったという。このとき駒を繋いだのがこの桜の木だと伝えられている。

夜桜の彼方に今も烏城

Crow castle
being even today
over the night blooming cherry trees.

よざくらの かなたにいまも からすじょう

 事前計画のとおり、午後6時15分ころから枝垂桜の下に三脚をたて、天守閣が浮き上がってくるのを待った。

 この付近は通行が激しく、また、枝垂桜をバックに記念撮影する人たちが後を絶たず、撮影機会が極端に少なかったが、僅かな間隙を捉えて、写真上のベストショットをものにできた。

夜桜や爪音弾む天守閣

Cherry blossoms at night,
Koto sounds loudly
at the donjon.

よざくらや つまおとはずむ てんしゅかく

 内部照明の光りが溢れている月見櫓では、琴やフルート、雅楽の演奏が行われており、スピーカーから美しい日本の調べが城内一杯に流れており、何処にいてもよく聞こえる。日本の名曲を聞きながら満開の夜桜を楽しむという素晴らしい趣向で、松本市の文化レベルの高さに感動した。

「国宝・松本城の桜」 2007.4.11.

枝垂桜と松本城(東面)

枝垂れ桜と松本城

拡大写真(1240x1600)664KB

火縄銃の大筒の展示

火縄銃の大筒の展示

拡大写真(1600x770)172KB

削り跡が残る太い梁と柱(天守三階)

削り跡が残る太い梁と柱(天守三階)

拡大写真(1400x1050)280KB

見事な枝ぶりの枝垂桜「清正公 駒つなぎの桜」

見事な枝ぶりの枝垂桜「清正公 駒つなぎの桜」

拡大写真(1400x1050)400KB

二の丸土蔵と外堀の桜(二の丸裏御門橋)

二の丸土蔵と外堀の桜(二の丸裏御門橋)

パノラマ写真(2000x970)611KB

松本城(東面)の夜桜会

松本城(東面)の夜桜会

拡大写真(1600x1300)590KB  三脚使用

松本城(東面)と夜桜を楽しむ人たち

松本城(東面)と夜桜を楽しむ人たち

拡大写真(1400x1000)220KB

 



  
  
 
 








575

 



 

 



 
 

  


 

 
574



 











  

573


  










 
 
 
572



















 

571































  
 
570






 

2007年4月10日(火)

 平成19年(2007年)2月24日(土)大分県豊後高田市(ぶんごたかだし)にある天台宗の長岩屋山(ながいわやさん)天念寺(てんねんじ)で、国東(くにさき)半島の六郷満山(ろくごうまんざん)に伝わる修正鬼会(しゅじょう・おにえ)が開かれた。
 国東半島は、大分県の北東部に位置する半島で、南側を別府湾、東側を伊予灘(いよなだ)、北側を周防灘(すおうなだ)に囲まれている。半島の中央部よりやや北寄りの内陸部は両子山(ふたごさん)(721m)をはじめとする山岳地帯が広がり、そこから丘陵地が海岸に向かって放射状に伸びる。
  天念寺周辺マップ(マピオン) 
+:天念寺

垢離取の行者ふんどし初薬師  

First Yakushi Ritual of the year,
Loincloths of ascetics
for the purification with water.

こりとりの ぎょうじゃふんどし はつやくし

 奈良時代から平安時代にかけて、仏教の天台宗に神道(しんとう)の宇佐八幡宮の八幡信仰を取り入れた「六郷満山」と呼ばれる神仏混淆(しんぶつ・こんこう)の仏教文化が形成され、山岳地域の険しい山道を歩く「峰入り(みねいり)」と呼ばれる難行(なんぎょう)が行われるようになった。
 修正鬼会は、毎年旧正月7日夜から天念寺講堂の本尊・薬師如来の前で行われる祭礼である。かつては翌8日の初薬師の日にかけて徹夜で行われていたが、近年は信者や観客らの便宜を考えて行事を昼間から始め、7日の夜に完結させている。
 

松明の火粉弾ける初薬師

 

First Yakushi Ritual of the year,
The torch bursting sparks.

たいまつの ひのこはじける はつやくし

 午後3時頃から六郷満山に所在する寺院の僧侶たちが講堂に集まり、夕刻まで昼の勤行(ごんぎょう)が行われる。午後7時頃から災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)と荒鬼(あらおに)(黒鬼)役の僧侶とテイレシ(介錯)を務める若者たちが天念寺前の長岩屋川(ながいわやがわ)で身を清めるコーリトリ(垢離取り)が行われる。
 午後8時頃、祭り装束に身を包んだ若者たちは、公民館前で長さ5mの大松明(たいまつ)三本に火を付け、岩にぶつけて火の粉を散らし、講堂・権現社・本堂の前面に高々と翳(かざ)してタイアゲと呼ばれる火の儀式を行う。
 

香水の二僧の法舞追難の夜

 

The night of exorcism,
Religious dancing for holy water
by two priests.

こうずいの にそうのほうぶ ついなのよ

   間もなく僧侶達が講堂に集まり読経(どきょう)が始まり、夜の勤行(ごんぎょう)が行われる。
 午後9時頃から立役(たてやく)と呼ばれる行事に移り、囃子方の演奏にあわせて僧侶たちによる舞華(まいげ)、開白(かいはく)、香水(こうずい)、鈴鬼(すずおに)の法舞ほうぶ(仏教儀式の舞踊)が午後10時頃まで続く。
 

男女面鈴打ち祓う鬼踊

 

Masks of man and woman,
Ogre dance
ringing bells to exorcise.

なんにょめん すずうちはらう おにおどり

   午後10時頃になると災祓い鬼(さいばらいおに)(赤鬼)があらわれ、松明(たいまつ)を持って講堂内をあばれる。続いて荒鬼(あらおに)(黒鬼)があらわれ、クライマックスを迎える。
  堂内は松明(たいまつ)の火の粉が飛び散り、煙が立ち込める。鬼の目餅が撒(ま)かれると、その争奪戦で騒然となり、最後に赤鬼・黒鬼が信者らの肩や尻を松明で叩き、無病息災の加地を与えて閉幕する。
 古式に則った僧侶と壇信徒たちによる祭礼は、千数百年の歴史があり、平安以前の中世の習俗を今に伝える貴重な伝統文化であることから、昭和52年(1977)に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 

災祓ふ鬼の荒ぶる初薬師

 

First Yakushi Ritual of the year,
Ogres acting violently
for exorcise.

さいはらう おにのあらぶる はつやくし

   この行事は、江戸時代までは国東半島の天台宗の各寺で行われていたが、現在は豊後高田市の天念寺と、国東市の成仏寺(じょうぶつじ)と岩戸寺(いわとじ)の3ヵ所で行われている。西満山に属している天念寺では毎年行われ、東満山の成仏寺と岩戸寺では隔年交代で行われている。
 修正鬼会は、国家安泰、五穀豊穣、無病息災、万民快楽を祈願する宗教行事で、養老年間元正(げんしょう)天皇の頃(西暦720年頃)に京都で行われたのが最初であるといわれる。国東の六郷満山でも行われるようになったのも同じ時代といわれ、国東の鬼会も1200〜1300年前から伝わる行事であると考えられている。
 僧侶が主役の祭礼はとても珍しい。香水棒、団扇、鈴などのアイテムを持ち、最後は男女面を被り、お囃子に合わせて飛んだり跳ねたりして舞い踊る姿は、普段の聖職につく真面目なお坊さんというイメージから乖離しているために、微笑ましく、親しみ深い。
 

初薬師鬼の目撒きの奪ひ合ひ

 

First Yakushi Ritual of the year,
Scramble for scattered ogre eye.

はつやくし おにのめまきの うばいあい

   いかめしい盛装からはじまり、垢離取りの褌姿、道服に着替えた後の法舞に鬼の衣装をまとった活劇と、七変化ともいえる僧侶たちによる鬼会は、民衆と共に祈り、祝い、楽しむ、とてもユニークな火祭りで、人と仏と神が一体化する素晴らしい村祭りである。

「天念寺修正鬼会」 2007.2.24.

裸形の僧侶とテイレシ(

介錯かいしゃく

)たち

裸形の僧侶とテイレシ(介錯)たち

白黒拡大写真(1200X1030)140KB

火の粉が跳ね飛ぶ

大松明オオダイ

の献灯

火の粉が跳ね飛ぶ大松明の献灯

拡大写真(1400X1100)325KB

香水棒こうずいぼう

を持つ僧侶2名による 米華まいけ

香水棒を持つ僧侶2名による米華(まいけ)

拡大写真(1600X1050)290KB

鈴と団扇を持って踊る鈴鬼

鈴と団扇を持って踊る鈴鬼

拡大写真(1400X1050)296KB

松明と斧を持った

災祓さいばら

い鬼

松明と斧を持った災祓い鬼

拡大写真(1200X1100)276KB

赤鬼と黒鬼の法舞

赤鬼と黒鬼の法舞

拡大写真(1400X1100)285KB

 



  
  
 
 
569

 



 

 



 
 

  


 

 
568



 













  

567


  















 
 
 
566


















 

565















  
 
564















 
 

563





 

2007年3月30日(金)

 今日、トップページと目次ページの再編集を行い、画像を追加するとともに、俳句を挿入した。これまで詠んでいなかった画像については、今日、発句したので、ここに紹介したい。

雲越えて花咲きのぼる吉野山  

Over the clouds,
Cherry blossoms came out
up to the top of Mt. Yoshino.

くもこえて はなさきのぼる よしのやま

 吉野山は、奈良県中部、大峰山脈の北側の一支脈をいう。古来桜の名所、修験道の根本道場の地として知られる。
 吉野熊野国立公園にある吉野山は山岳宗教の中心地として源義経らが身を寄せ、南北朝時代には後醍醐天皇がこの地に南朝を置き、太平記の舞台となったところ。  
 吉野山の桜は、今から約1300年前、修験者的な呪術者として知られる役小角(えんのおづぬ)が桜の木に蔵王権現の像を刻んだことから御神木として参詣の人々により献木が行なわれ、日本一の桜の名所となったという。
 

睡蓮や祠堂を宿す森の池

 

Water lilies,
The pond in the forest
reflecting pagodas.

すいれんや しどうをやどす もりのいけ

  アンコール・ワットは、今から約140年前にフランス人博物学者アンリ・ムオによって発見されるまで、密林の奥深くに眠っていた。東京23区に匹敵する広大なシェムリアップ地域に数百もの石造寺院群を建立したクメール王国は、最盛期にはインドシナ半島の大部分とマレー半島の一部を支配する大帝国となった。
 アンコール・ワット(大きな寺院)は、カンボジアに栄えたアンコール王朝(9〜15世紀)の首都アンコールに建てられたクメール人による代表的な建造物で、シェムリアップ市の北約5kmにある。砂岩のブロックを積み上げて建てられた巨大な聖殿は、クメール建築の最高傑作として讃えられている。
 

夏草や虎穴の寺院崖の中  

 

Summer grass,
The temple of tiger's dens
in the cliff.

なつくさや こけつのじいん がけのなか

   8月は、州都ムンバイは、雨季の真っ只中で連日の雨。2005年8月21日、デカン高原は、からりと晴れ上がった天候で、流れる風がとても気持ち良かった。アウランガバードから、アジャンタ遺跡に向かう約100km(2時間半)の道路上で、何回か車を停めて、この高原の空気をたっぷり吸った。
 アジャンタ遺跡の発見は、1819年4月28日のこと。虎狩りに来ていたイギリス人士官のジョン・スミスが、高台から馬蹄形の切り立った崖に開いた穴の中に虎が隠れるように逃げ込むのを見て、このアジャンタ遺跡を発見した。
 

秋深しアルハンブラの調べかな

 

Late autumn,
The melody of Alhambra.

あきふかし あるはんぶらの しらべかな

   アルハンブラ宮殿は、イベリア半島最後のイスラム教国・ナスル朝が残した宮殿で、その建設はムハンマド1世により始まり、14世紀後半、第8代ムハンマド5世の時に王宮が完成した。グラナダ王国として260年の栄華を極めた難攻不落の城塞は、15世紀末にキリスト教国により陥落した。しかし、その美しさゆえに破壊を免れ、その後も増築が繰り返されて、世界有数の宮殿となった。
 「近代ギター音楽の父」と言われるフランシスコ・タルレガがアルハンブラ宮殿を訪れたときに見た噴水にヒントを得て作った曲が「アルハンブラの想い出」。ギターを志す人があこがれるトレモロの逸品で、この曲が弾ければ他に何も望まないほどの名曲中の名曲である。
 

夏の空マッターホルンを巡る旅

 

Summer sky,
Traveling around the Matterhorn.

なつのそら まったーほるんを めぐるたび

   マッターホルンは、 ヨーロッパ・アルプスのワリス山群にあり、スイスとイタリアの国境上に聳える山。標高4478m。モンテローザ山塊の主峰で、スイス側の登山基地となるツェルマットから南西10kmに位置している。ピラミッド形の美しい山容はアルプスの象徴的な存在となっている。フランスとフランス語圏スイスではモン・セルバン Mont Cervin 、イタリアではモンテ・チェルビノ Monte Cervino と呼ばれている。
 

マチュピチュの空中都市や夏山路

 

Mountain path in summer,
Machu Pichu
the town in the sky.

まちゅぴちゅの くうちゅうとしや なつやまじ

   現地語で「老いた峰」という意味のマチュピチュは、ペルーのウルバンバ渓谷 Urubamba valley に沿う高山の標高2,280mに位置するインカ帝国の遺跡で、山裾からはその存在を確認することができず、空からしか見えないために「空中都市」とか、「インカの失われた都市」「空中の楼閣」などと呼ばれる。
 マチュピチュは、スペインの占領を免れ、数百年にわたり人知れず放置されていたため、典型的なインカ様式の建築が残されており、インカ研究の貴重な資料となっている。
 

山車祭くりくり坊主に猿冠者

 

Dashi the floats festival,
a closely shaven head
and a monkey men.

だしまつり くりくりぼうずに さるかんじゃ

   多摩川の左岸(北側)を走る青梅街道に沿って細長く広がる青梅市は、江戸時代商業で栄えた一大宿場町だった。江戸時代後期には既に町内単位で祭礼が行われていたが 明治に入り東京で運行できなくなった山車を買い付けて曳き回すようになったのが、青梅大祭の始まりだという。

奈良・吉野山の桜

上千本のパノラマ(吉野山/奈良県)
上千本のパノラマ(吉野山/奈良県)

パノラマ写真(2000x760)314KB

アンコール・ワット

聖池と中央祠堂(アンコール・ワット/カンボジア)

聖池と中央祠堂(アンコール・ワット/カンボジア)

拡大写真(1280x960)238KB

世界遺産アジャンタ遺跡・上巻

8月のワゴラー川(アジャンタ遺跡/インド)

8月のワゴラー川(アジャンタ遺跡/インド)

拡大写真(1400x933)303KB

アルハンブラ宮殿

アルハンブラの思い出(アルハンブラ宮殿/スペイン)

アルハンブラの思い出(アルハンブラ宮殿/スペイン)

拡大写真(2100x1400)199KB

マッターホルン

マッターホルンとパーティ(マッターホルン/スイス)

マッターホルンとパーティ(マッターホルン/スイス)

拡大写真(1600X1070)282KB

インカ帝国の夢

居住区に設置されたピラミッド(マチュピチュ/ペルー) 

居住区に設置されたピラミッド(マチュピチュ/ペルー) 

拡大写真(1400x750)339KB

青梅大祭

龍佑くん何してるの?(墨江町山車屋台/東京都青梅市

龍佑くん何してるの?(墨江町山車屋台/東京都青梅市

拡大写真(1200x900)258KB

 



  
  
 
562

 



 

 



 


  




 
561



 




  

560


  














 
 
559
















 

558





 

2007年3月29日(木)

 平成19年(2007)2月3日(土)節分の日、東京都中央区湊一丁目に鎮座する鐵砲洲稲荷神社で恒例の節分祭が開かれた。

福まねき柏手響く稲荷かな  

In with fortune!
Sounds of clapping hands
at an Inari harvest shrine.

ふくまねき かしわでひびく いなりかな

 午後4時頃から拝殿で式典が始まった。町内会単位で登殿した裃姿の氏子たちは、中川文隆(なかがわ・ふみたか)宮司(ぐうじ)のお祓いと祝詞奏上(のりとそうじょう)のあと、全員一人づつ玉串奉奠(たまぐしほうてん)を済ませ、福袋が入った三段重ねの2リットル枡(ます)を受け取り、神楽殿に向かった。
 拝殿の西側には、敬神婦人会の手作業により大豆と当り籤(くじ)を袋詰めにした福豆が枡に盛られて大量に並べられていた。大変手間暇のかかる奉仕作業で、その労苦に脱帽する。枡の数には限りがあるので、豆撒きが始まってからも補充作業が行われた。
 

年の豆鬼の逃げ出す稲荷かな

 

Bean-scattering ritual,
Devils run away
out of the Inari harvest shrine.

としのまめ おにのにげだす いなりかな

 午後4時過ぎから神楽殿で第一陣の撒き出し(まきだし)が始まった。東囃子がバックで江戸囃子を演奏するなか5〜6人ほどの単位で福袋に入った豆が撒かれた。
 

裃に枡の豆撒き江戸囃子  

 

Kamishimo the formal attire of samurai,
Bean-scattering from masu box,
Edo festival music.

かみしもに ますのまめまき えどばやし

   毎年スーツ姿で司会をつとめる武蔵野稲荷神社の白石健宮司が豆撒役(まめまきやく)を紹介し、「福は内!鬼は外!」を連呼。集まった人たちは、福豆袋を沢山取ろうと手を伸ばし、帽子や紙袋を翳(かざ)すなどして、福袋の争奪戦を愉しんだ。
 17ヵ町の氏子たちは、拝殿での参拝を終えた後、次々に神楽殿にのぼり、「福は内! 鬼は外!」を連呼しながら大量の福豆を撒き、鬼を追い払い、福を招き入れていた。
 

豆撒や白き袋の乱れ飛ぶ

 

Bean-scattering ritual,
White bags flying
here and there.

まめまきや しろきふくろの みだれとぶ

   日がとっぷりと暮れて、鐵砲洲稲荷の境内は闇に包まれたが、豆撒きはいよいよ佳境に入り、福袋を目当てに集まった人たちの数は一向に減らず、益々加熱するばかりだった。
 中川宮司もときおり氏子たちに混じって豆を撒いた。この日撒かれた福袋は、全部で1万個という膨大な数。敬神婦人会が一週間かけて準備したもので、大豆と当り籤(くじ)が入っている。

 最後まで福豆の争奪戦に参加した人たちは、福袋を開けて福豆や当り籤を取り出し、戦果を確かめ合っていた。

 

当り籤豆より嬉し追儺の夜  

 

Delighting winning ticket of premium
better than beans,
The night of exorcism.

あたりくじ まめよりうれし ついなのよ

   大当りのパソコン、テレビ、DVDレコーダーなどは、その旨書かれているが、その他は全て「当り」とだけ書かれている。当日神輿庫の前に行けば、景品と交換してもらえる。大当り以外、何がもらえるかは役員のおばさんたちの気分次第。景品は、全て氏子・会社の寄付だという。

「鐵砲洲節分祭」 2007.2.3.

参拝客
参拝客

拡大写真(1400x1050)341KB

福豆と裃姿

福豆と裃姿

パノラマ写真(1600x855)326KB

江戸囃子をバックに第一陣の豆まき

江戸囃子をバックに第一陣の豆まき

パノラマ写真(2500x1000)462KB

乱れ飛ぶ福豆

乱れ飛ぶ福豆

拡大写真(1400x1050)263KB

当り くじ

をゲット!

当り籤をゲット!

 



  
  
 
 
 

557

 

 

 



 


  



 
556



 












 

555



 

2007年3月24日(土)

 2007年1月21日(日)午前11時から神奈川県藤沢市江ノ島片瀬海岸東浜で第26回江ノ島寒中神輿錬成会が開催された。既に2004年と2006年に取材し、それぞれ作品を発表しているが、今年も取材に出掛けた。

初春や新成人の初褌  

New spring,
New fundoshi loincloth
of newly grown up man.

つはるや しんせいじんの はつふどし

 江ノ島寒中神輿錬成会は、神社の祭礼ではなく、藤沢鎌倉神輿連合会(山口昌明会長)が主催するもので、藤沢・鎌倉両市の神輿愛好者約300人による年に一度の大会である。
 この大会の主役は藤沢鎌倉神輿連合会に属する新成人。開会式で成人祝いの襷(たすき)と記念品が相原宮司から授与され、主役達が神輿の担ぎ棒に乗って海中渡御を行い晴れて成人の仲間入りを果たすもので、これは一種の通過儀礼であり、成人祭といえる。
 

江ノ島の寄する白浪寒神輿

 

White washing wave
of Enoshima island,
Carrying a portable shrine
in the coldest season.

えのしまの よするしらなみ かんみこし

 式典が終わると、待ちかねていた担ぎ手が4基の神輿に取り付き、準備運動もそこそこに海に繰り出し、いつもながらの神輿練りを繰り広げた。
 この大会では、カラフルな褌姿を見ることができる。神輿は普通神事であるので、白褌が基本であるが、ここでは色柄ものが認められている。
 睦会によっては神輿を担ぐのは白褌だけという信念を貫くところもあるが、乗ってはいけない神輿に新成人を乗せる無礼講の神輿であってみれば、カラフルな褌の方が楽しくて良いと思う。
 

春の海六尺一本初神輿  

 

The sea of spring,
Carrying a portable shrine
with a t-back sash only
for the first time in this year.

はるのうみ ろくしゃくいっぽん みこしとぎょ

   今年は曇り空の無風状態で波は穏やか。夏の江ノ島天王祭のときのように、もっと沖まで行って胸まで浸かって欲しかったが、事故防止の観点からか、腰下くらいまでしか浸からなかった。
 天候が心配されたが、雨や雪にならず、終わり頃には薄日が差す絶好の撮影日和となった。穏やかな光線のお陰で、肌の色が綺麗に出た。今年は振袖姿の新成人がいなかったのが残念。
 三度目とあって、どうしても同じ絵柄になってしまうが、毎年同じ写真はない。行けば何らかの収穫があり、感動がある。

「江ノ島寒中神輿 '07」 2007.1.21.

新成人 門出かどで の神輿
新成人の門出(かどで)の神輿

拡大写真(1600x1200)376KB

海に入る 小動會こゆるぎかい の神輿
海に入る小動會の神輿

拡大写真(1600x1100)360KB

鳳龍神輿とサーフィン

鳳龍神輿とサーフィン

拡大写真(1750x1450)435KB

 

★彡 日本初の写真俳句 ★彡

. 俳句「海の風景」文頭

東京 2007年1月2日 2006年12月13日(水)、12年かかって500句目の俳句「広州の瑠璃の館の秋寂びぬ」をアップした。俳句「海の風景」は、50句づつ束ねて10集が完成し、11集目に入った。「フォトギャラリーに俳句は必要か。」「俳句の英訳はなぜ?」「褌の俳句を続けるのはなぜ?」などと自問しながら、「継続は力なり」を信条に、ここまでやってきた。「駄作ばかりで、進歩していないのではないか。」とも思う。それは多分そうかも知れない。

しかし、俳句にはたった17文字で写真では表現できない余韻や深みや浪漫がある。読者の解釈如何で、味わいがいかようにも変化する。俳句のお陰で、簡潔明瞭な文章が書けるようになった。英訳付き俳句や褌句は、裸祭りシリーズのように誰もやっていないジャンルである。どんなテーマでもよいから誰もやっていないことをやること自体に意義があり、手間暇かかるが、自慢となり、歓びとなる。迷ったときは、前向きに進むのが正解だと信じ、これからも1000句を目指して、一歩々々歩いてゆくことにする。そのうち、なにかが見えてくるに違いないことを信じて・・・。


東京 2005年8月15日
 二年前の盆休みに句集のコメントを記載してもう2年経つ。今日、300句を超えたため、一集を50句単位にしているので、第七集を追加した。最近は、毎日100人前後のゲストがあり、俳句も手を抜けなくなった。五年間で5万件を超え、リピーターも増えている。フォトギャラリーに説明文を加え、BGMを設定し、そして俳句を挿入するという作業は、大変だが、馴れてしまうと結構楽しいものだ。

 下手な俳句も、たまには自己満足できるものが増えてきた。何より、英訳を施すことで、俳句の意味がより鮮明になり、深みを増してくるように思う。英訳も最近はコツを覚え、どう訳して良いか分からないようなことはなくなった。英訳できないような句はあり得ないし、あったとすればそれは悪首なのだろう。俳句に写真と英訳をつけ、解説する。このような構成の句集は私以外には存在しない。

 「海の風景」というタイトルも、陸に上がった河童となってしまった今では、ふさわしくないかも知れないが、せめて、カバー写真だけでも海の風景を入れて続けていきたいと思う。どこまで続くか分からないが、「継続は力なり」を信じて、やれるところまでやってみたい。

東京 2003年8月16日
 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。一日中、家の中で過ごしている。お陰で、未編集の作品を数本、一気に仕上げてアップすることができた。また、これまでの作品に手を加えたりして、時間を有効に使っている。

 
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。

 世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。

神戸 2002年8月11日
 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。おかげさまで、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、継続は力なりで遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。

 徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。

神戸 2001年7月29日 平成13年4月1日、広島から神戸に赴任。俳句は、相変わらず月に一回うつみ会に7句を投句し、高橋三洋子先生の添削と講評を受けている。いわば通信教育という形で続いており、先生のご厚意に感謝申し上げる。

 昨年7月から個人のホームページ・Wa☆Daフォトギャラリーを始めて1年余りになる。アクセス13,000件を突破し、すっかり軌道に乗ってきた。そこで一周年記念として、これまで徒然日記の冒頭に折々の俳句を載せてきたので、それを集めて、俳句「海の風景」というタイトルにまとめ、それに写真とコメントを付けてみた。また俳句の英訳もつけた。英訳にも意訳が入り、イメージの広がりが期待できる。

 まだまだ素人の域を出ていないが、当ホームページのビジターに海の素晴らしさや季節感などを画像と同様に感じとっていただければ有り難い。わずか17文字でイメージ(画像)を表現できれば幸いだ。これまで海で仕事をしてきた経験を生かし、海の風景を一幅の絵のように切り取ってみたい。これが作者のテーマでありコンセプトである。ただ、海の句に限定したわけではないので、折々の身近な風景を適宜織り込んでいきたい。

パノラマの神戸の港春霞

風光る館の空に風見鶏

Panoramic view
of Port Kobe
in the spring haze.

A weathercock on the roof
under sky
with a glistening wind.

広島 2000年4月23日 平成12年4月1日、函館から広島に赴任した。友人から勧められ、俳句同好会「うつみ」に入会、月一の例会に出ることになった。仕事の合間を見て俳句づくりに専念する毎日が始まった。稚内在任中から俳句を創作していたので、ある程度の自信があるが、句会に出席し、先生に講評を仰いだり、添削を受けるのは初めてである。少し緊張するが、楽しみながら自然流で俳句をつくりたい。先生の俳号は高橋三洋子で、正岡子規の弟子である高浜虚子の流れを汲むという。種田山頭火のような自由律の俳句ではなく、古典派ともいうべき俳句で、キチッとした季語が必要であり、自然で平易なものでなければならないと教わった。

白藤や水面に鯉の浮き沈み

草鞋揺る仁王門より遍路発つ

Carp sink and float
to the surface
under white wisteria.

Pilgrims started
 thorough Deva gate
on which straw sandals swinging. 

稚内 1994年3月26日 平成6年は吹雪で明けた。日本最北端の地・稚内市に来て一年足らずであるが、現在貴重な冬の体験を積みつつある。窓の木枯らしを聞きながらテレビで正岡子規のドキュメント・ドラマを見ていたら、ふと、この稚内市を中心とした宗谷の出来事を点描してみたら面白いのではないかと思った。今まで俳句などというのは創ったことがないが、挑戦するのも楽しいのではないか。稚拙ではあるが、北国の思い出をファイルする趣旨で詠んでみたところ、アッという間に百首を越えてしまった。思ったより簡単である。粗製濫造気味ではあるがこれからも続けたい。俳号は日本最北端の地にちなんで北舟とした。

正月や昆布拾いの海人ふたり

流氷の接岸告げる尾白鷲

Two fishermen
pick up kelp
on New Year's Day.

A white-tail eagle signals
the arrival of drift ice
to the coast.

日本伝統俳句会 現代俳句協会 インターネット俳句会 俳句センター 帆船 俳句庵 see haiku here

  フォトギャラリーへ 特集!旅紀行目次へ 世界の名城 感動写真集目次へ  
旅紀行ジャパン目次へ   多摩川紀行
旅紀行日本の祭り 旅紀行日本の裸祭り 旅紀行日本の花目次へ
Wa☆Daフォトギャラリー

今 日

 和田フォトギャラリー

昨 日

 Copyright (C) 2000-2011 Yoshio Wada. All Rights Reserved. 
ホームページお知らせお便りコーナー徒然日記ホームページ奮闘記作者のプロフィール