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十一月の裸褌祭 ★☆★彡
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太田神社黒虎相撲 |
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太田神社 |
千葉県旭市 |
平成22年(2010)11月3日(水) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成22年(2010)11月3日(水)文化の日、千葉県旭市二(ちばけん・あさひし・に)の袋(ふくろ)地区に鎮座する太田神社(おおた・じんじゃ)で秋の例大祭が開催され、黒虎相撲(くろこずもう)が奉納された。 |
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黒虎相撲(くろこずもう)は、安永(あんえい)9年(1780)に太田神社の4人の氏子たちが江戸商人として成功した御礼に大鳥居を奉納した際、落成祝いに江戸から玄人(くろうと)力士を招聘(しょうへい)し、旧暦霜月(しもづき)(11月)朔日(さくじつ)(1日)に相撲を奉納したことがきっかけで始まった。 |
戦前までは盛況だったものの、戦後は廃れかけていたことから、平成4年(1992)に飯島儀兵衛という篤志家が土俵をはじめ古式にのっとった奉納相撲を催行するに必要な資器材一式を寄贈し、復活した。 |
黒虎相撲(くろこずもう)という名称は、黒(くろ)は玄人(くろうと)、虎(こ)は白虎(びゃっこ)(白人=素人)を意味することに由来する。小学生の取組の関係から、現在は、毎年11月3日の文化の日に開催されている。 |
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太陽を背に綱の土俵入 北舟 |
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拡大写真(1800X1400)698KB
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Sumo leg
stomps of Yokozuna,
receiving the sunlight on his back. |
2010年11月10日制作 |
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東の横綱・飯島俊一青年団長の土俵入り/太田神社(千葉県旭市) |
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若宮八幡裸祭り |
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若宮八幡神社 |
大分県豊後高田市 |
平成18年(2006)11月3日(金) |
撮影制作:和田義男 |
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平成18年(2006)11月3日(金)朝5時起きして、羽田空港から空路大分空港に行き、出迎えて頂いた川組後援会の清原浩さんと合流し、豊後高田市の伝統行事として知られる若宮八幡神社の裸祭りを取材した。 |
若宮八幡神社裸祭りは、正式には「若宮八幡神社秋季大祭」といい、地元では岡山・西大寺会陽の裸祭りと山口・防府天満宮の裸祭りと並ぶ日本三大裸祭りのひとつとしている。「その意気やよし!」と感じた筆者は、ホームページにお便りを頂いて知り合った清原浩さんや川組後援会会長の三谷一俊さんらの全面支援を受け、川組後援会の専属カメラマンの立場で、1700枚、2400MBもの感動写真を切り取ってきた。 |
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豊後高田市裸祭り保存会が主催する若宮八幡神社裸祭りは、正式には「若宮八幡神社秋季大祭/裸祭り」といい、「御神幸の川渡し」とも呼ばれる。永保4年(1084)に荒行のひとつとして始められたといわれ、今年で923回目となる。 |
褌(ふんどし)をキリリと締め込んだ輿丁(よちょう)と呼ばれる担ぎ手たちが宮神輿を担いで桂川を渡り、本宮(もとみや)から下宮(しもみや)へ渡御(お下り)して二泊した後、下宮から本宮へ還御(お上り)する夜の川渡し神事である。毎年旧歴10月14、15、16日の最も近い金・土・日に行われる。 |
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▲ 午後4時過ぎ、宮神輿の行列が若宮八幡神社(本宮)を出発した。殿(しんがり)をつとめる陸組の輿丁たちが約1トンの宮神輿を担ぎ、桂川の会場に隣接する豊後高田市役所前まで練り歩いた。 |
午後4時20分、陸組の神輿は川組の輿丁たちが待ちかまえている豊後高田市の庁舎前の中継点に到着。午後4時半、褌姿の輿丁たちに引き継がれた神輿は、入川(いりかわ)するまでの間、桂川東岸の町内を練り歩いた。 |
※2013年1月20日、2012年11月23・25日に開催された929回目の裸祭の画像を追加した。 |
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もえあがる まつりだいこの じゅうていおん |
A heavy low tone
of the festival drum
burning. |
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パノラマ写真(2200x1150)455KB |
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▲ 桂川の裸祭り会場では、潮時(しおどき)を待つ大勢の観客が土手のアルプス席を埋め、写真上左の御玉橋(おだまばし)から放たれた火矢により世界一といわれる大松明(おおたいまつ)に火が入った。 |
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▼ 神輿が入川した場所は、アルプス席からかなり遠いので、豆粒にしか見えない。神輿は、篝火(かがりび)で示された川中道を通って、この観客席の正面にやってくる。 |
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川渡神輿とアルプス席の観衆 |
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パノラマ写真(2600x900)365KB
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▼ 筆者が大勢の観客の間を縫って神輿が近くに見える位置に到着した頃には、既に神輿は川中まで進んでおり、午後5時27分、望遠レンズで初めて川に入った神輿を大きく捉えることができた。 |
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篝火の道を進む神輿 |
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拡大写真(1800x1300)304KB |
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▲▼ 桂川は、潮の満ち引きにより水面が上下する。輿丁たちの褌が半分ほど浸かる潮時(しおどき)に入川するのが最良で、今回はピッタリのタイミングであった。早すぎると水溜まりを歩くようで迫力がない。また、あと30分遅れると水位は胸まであがる。そうなると見栄えがしないので、進行役のきわどい判断に喝采を送りたい。 |
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かがりびを ぬいてみこしの かわわたる |
The portable shrine
crosses the river
threading the way
through the bonfires. |
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桂川を渡る神輿 |
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拡大写真(2200x1650)503KB |
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これも若草色の川組後援会のジャンパーを羽織っていたからこそ「ちょっとすみません・・・」といって撮影場所を確保できたわけで、一般観客の立場では、とても割り込めるものではない。 |
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かわにざす みずかけみこし ぬれふどし |
The portable shrine showered on the riverbed, their loincloths drenched. |
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光と影と水しぶき |
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よちょうらの そろいのびゃっこん かわみこし |
The portable shrine at the river, white fundoshi loincloth the uniform of the carriers. |
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川の中から挨拶する桑原猛・川組会長 |
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パノラマ写真(2000x1050)302KB |
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▼ 気がつくと、川組会長の挨拶が終わり、濡れ鼠になった川組の輿丁たちがずぶ濡れの神輿を担ぎ上げ、川向こうのスロープに向かって移動しはじめた。対岸のスポットライトの左上に、ひときわ大きく輝く宵の明星「金星」がこの祭りを祝福しているように思えた。(写真下) |
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あきまつり いちばんぼしの かわわたる |
Autumn festival, crossing the river
of
the first evening star. |
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対岸に向け出発する神輿 |
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拡大写真(2200x1480)358KB |
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▼ 再び、観客の間を縫って、対岸の上陸地点に急いだ。息を切らせながら御玉橋を渡っていると、感動的なパノラマビューが私の目に飛び込んできた。カメラの画面には入りきれない景観を得意のパノラマ写真で切り取った。 |
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たいまつの よぞらをこがす かわとさい |
River crossing festival, the torch
burning the night sky. |
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対岸にたどり着いた神輿 |
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拡大写真(1600x1200)215KB |
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あきかわに ぬるるよちょうら しろふどし |
Autumn
river, white
loincloths of mikoshi carriers dripping wet. |
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【編集子が選ぶ名作】 |
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拡大写真:大松明と川中神輿(2400X1800)730KB |
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若宮八幡裸祭'09 |
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若宮八幡神社 |
大分県豊後高田市 |
平成21年(2009)10月30日(金)・11月1日(日) |
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男 |
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平成21年(2009)10月30日(金)と11月1日(日)の両日、大分県豊後高田市に鎮座する若宮八幡神社の秋季大祭川渡神事(かわたりしんじ)が行われた。永保4年(1084)に荒行の一つとして始められたこの裸祭りは、今年で926年目となる。 |
この作品は、「平成19年(2007)の
若宮八幡裸祭'07
」「平成20年(2008)の
若宮八幡裸祭'08 」に続くもので、この祭礼の説明は、平成18年(2006)の「若宮八幡裸祭り」に詳しい。 |
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10月30日(金)は、周防灘に注ぐ桂川の東岸(右岸)に鎮座する本宮(もとみや)から西岸(左岸)の下宮(しもみや)への神輿渡御(みこしとぎょ)が行われた。地元ではお下り(くだり)と呼ぶ神事である。 |
▲ 若宮神輿の渡御は、桂川の川床(かわどこ)を渡るところがユニークで、いくつもの見せ場がある。最初は、狩衣・褌・白足袋の與丁(よちょう)たちが白布を巻いて保護した宮神輿を担ぎ、桂川東(右)岸のスロープを下って川に入るところで、純白の装束がスポットライトに浮かび上がり、神々しくも美しい姿を見せてくれる。 |
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豊後高田市は周防灘(すおうなだ)に注ぐ桂川の川口近くに位置するため、潮の干満の影響を受け、干潮時は川床が露出するが、満潮時になると海水が逆流し、このあたりは満々と海水を湛える大河の様相を呈する。 |
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干潮時に渡御すれば楽に渡れるが、それでは無味乾燥なことから、水面が腰の位置になる潮時を待って入水する。そのため、毎年、渡御と還御の時刻が変わる。 |
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▼ 二つ目の見所は、川中の篝火(かがりび)を目印に渡御コースを進みながら、要所で神輿を川床に置いて円陣を組み、前後の担ぎ棒に乗った與丁たちに水を浴びせるなどして神と戯れ、柏手(かしわで)で〆るところである。 |
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あきのみず こしにあびせる ふどししゅう |
Guys of loincloth showering autumnal water on the portable shrine. |
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▲▼ 3つ目の見所は、大松明が赤々と燃え盛るステージのそばで、観衆に挨拶し、海水をかけ合って盛り上がるところである。ちなみに、若宮神輿は、陸組・川組ともに神輿差しを行わない。 |
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▼ 4つ目、最後の見所は、対岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。全身、濡れ鼠状態になった與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。その様は、男らしく勇壮で美しい。他の神輿渡御では絶対に見ることができない素晴らしいシーンである。 |
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あきかわの どろにそまりし しろふどし |
White
loincloths stained with muddy water of the autumnal river. |
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▼ 宮神輿が御旅所で2泊した11月1日(日)、桂川の西岸(左岸)に鎮座する下宮(しもみや)から東岸(右岸)の本宮(もとみや)へ神輿の還御(かんぎょ)が行われた。 |
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最後の見所は、一昨日のお下りと同じで、右(東)岸に到着した若宮神輿がスロープを上がるところである。昔の海水は綺麗だったと思われるが、近年の海水汚濁により、全身汚水にまみれた状態になった與丁たちが最後の踏ん張りを見せる。 |
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だくすいに そまりしびゃっこん あきのとぎょ |
Autumnal trip of gods, white
loincloths stained with muddy water. |
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国崎二船祭り |
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海士潜女神社 |
三重県鳥羽市 |
平成16年(2004)11月23日(火) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)11月23日(火)、三重県鳥羽市(とばし)国崎町(くざきちょう)に鎮座する海士潜女神社(あまかずきめじんじゃ)で二船祭り(にふねまつり)が開かれた。JR鳥羽駅バスターミナルから40分足らずで、終点の国崎漁港に着く。 |
★☆★彡 |
二船祭りは、海女の祖を祀る海士潜女(あまかずきめ)神社の祭礼で、国崎(くざき)の谷を挟んで、里谷(さとたに)地区と海間谷(かいまたに)地区に別れ、古代装束を身にまとった青年男子が2隻の手漕ぎ船に5人ずつ乗り組んで速さを競い合い、その勝敗によって豊漁を占う神事である。 |
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▲ 若者たちは、浜辺の海に飛び込んで全裸の禊を行った後、砂浜で白晒木綿の六尺褌を前垂れ式に締めた。古代人も褌をしていたことだろうが、日本書紀に麻が飛鳥時代に衣料として愛用されていたことが記されていることから、当時は麻の褌だったと思われる。 |
木綿は16世紀の戦国時代から使われるようになり、北前船が蝦夷地の鰊(にしん)でつくった金肥(きんぴ 金で買う肥料)をもたらして綿花栽培が急速に盛んになった江戸時代に普及したもので、比較的新しい布である。 |
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▲ 二船祭りの主役を演じる若者たちは、神社で式典が行われている間に、神事の船漕ぎ競争に使われる神聖な白い船体の和船を鎧崎の浜に引き揚げ、藁束(わらたば)を座席に結わえるなど、祭りの準備をした。 |
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▲▼ 古代舟の漕ぎ手は、船首から船尾に向けて右舷、左舷と互い違いに後ろ向きに座った4人で、櫂(かい)をオールのように漕ぐ。船尾の板間に左舷に向かって胡座(あぐら)をかいた男が長い櫂を操る舵取りで、船頭を務める。 |
沖に出ると、2隻が並び、互いに牽制しあいながら速さを競う船漕ぎ競争がはじまった。里谷(さとたに)が勝てば鯔(ボラ)が、海間谷(かいまたに)が勝てば鰯(イワシ)が多く捕れると言い伝えられている。 |
しかし現在は判定する人もおらず、勝敗はつかない。随時、呼吸をあわせて船を漕ぎ、お互いに勝ったり負けたりして豊漁を祈るという。現実にはボラやイワシではなく、スズキや伊勢海老などの高級魚が水揚げされる。 |
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▲▼ 若者たちは途中休憩で浜に上陸したりしながら何度も古代舟を沖出しし、船漕ぎ競争を楽しんでいた。太陽が西に傾きはじめたころ、気合いが乗ってきたのか、諸肌(もろはだ)脱ぎとなり、全員上半身がむき出しとなった。 |
細い荒縄だけの帯は弛み、褌があらわになった若者たち。全身ずぶ濡れになりながら、力強く水をかく男たちの姿は凛々しく、はち切れんばかりの健康美が羨ましい。異次元空間に踏み入れた若者たちは、まるで自己陶酔しているかのようで、我を忘れて若さを謳歌していた。 |
太陽が水平線に近づき、鎧崎の浜が日陰になったころ、若者たちは船を浜に寄せ、つかの間の祭りを終えた。 |
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緒方三社川越しまつり |
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緒方三社 |
大分県豊後大野市 |
平成21年(2009)11月28日(土)・29日(日) |
撮影・原作:清原 浩 監修:和田義男 |
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平成21年(2009)11月28日(土)29日(日)の両日、大分県豊後大野市緒方町(ぶんごおおのし・おがたまち)原尻の滝(はらじりのたき)上流域で約800年の歴史を持つ「緒方三社(おがたさんじゃ)川越(かわご)しまつり」が行われた。 |
★☆★彡 |
原尻の滝周辺にある緒方三社は、緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)により建立されたと伝わる神社で、仲哀(ちゅうあい)天皇(父神)を祀る一ノ宮八幡社(滝の東方・久土知くどち)、応神(おうじん)天皇(子神)を祀る二ノ宮八幡社(滝の東方・原尻)、神功(じんぐう)皇后(母神)を祀る三ノ宮八幡社(滝の北方・上自在かみじざい)の三社をいう。 |
緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)は、12世紀末の源平争乱期、緒方を中心に肥後や日向にまで勢力を伸ばした武士団の棟梁で、平氏の御家人でありながら平氏の横暴な振る舞いに怒り、縁のあった宇佐神宮を焼き討ちにするなど、源氏の武将として活躍した。 |
あるとき、宇佐神宮焼き討ちの際に流れ矢が膝に当たり、どうしても抜けないという不可解なことが起こった。これを宇佐神宮の神罰だと考えた惟榮(これより)は、その許しを請うべく領地を寄進し、宇佐神宮の分霊を勧請して将来にわたって祀ることを誓うと、不思議なことに矢が抜けて傷もたちまち癒えた。そこで惟榮(これより)は、3本の矢を同時に放ち、刺さった場所に一ノ宮、二ノ宮、三ノ宮を建立したという。 |
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▼ 原尻の滝は、緒方町原尻を流れる緒方川の幅120m、高さ20mの滝で、日本の滝百選に選ばれている。平地に突如現れるのが特徴で、馬蹄形をしていることから、「東洋のナイアガラ」とも呼ばれる。 |
写真下は、左岸(西岸)の上自在(かみじざい)から眺めた原尻の滝である。川中の大鳥居は、「八幡宮」の扁額が西側にあることから、西向きに建てられており、西から東にむかう川中参道である。川越しまつりは、大鳥居周辺で行われる。 |
写真左(右岸)の川原に設けられた左三つ巴紋の拝殿幕がかけられた木組みは、二日目に三基の神輿が並べられて神事が行われる仮設祭壇である。三ノ宮神輿の担ぎ手の控え室や更衣室はないので、このそばで更衣が行われ、褌一丁になった担ぎ手たちは、そばに積み上げられた井桁松明(いげた・たいまつ)を燃やして暖を取る。 |
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あきふかむ はちまんとりいは かわのなか |
Late autumn, Hachiman torii standing in the river.
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今から800年ほど前に、源頼朝から豊後の国を任された大友能直(おおとも・よしなお)が緒方三郎惟榮(おがたさぶろう・これよし)の一族を討ち滅ぼしたあと、原尻の滝で洪水や暴風雨が相次いだ。惟榮(これよし)の怒りではないかと恐れた能直(よしなお)は、原尻の二ノ宮に緒方一族の霊を祀ったのが川越しまつりの始まりだといわれている。 |
川越しまつりは、一ノ宮(父神)神輿と三ノ宮(母神)神輿が年に一度、二ノ宮(子神)八幡社に集まり、一夜を共にする祭りである。一ノ宮と二ノ宮は緒方川の右岸(東岸)にあるため、一ノ宮は陸路で行けるが、三ノ宮は左岸(西岸)にあるために川を渡らなければならない。祭り当夜、三ノ宮神輿が褌一丁の若者たちに担がれて、緒方川を渡る姿は勇壮で、川越しまつりとして知られるようになった。 |
祭日は、旧暦の特定日に決まっているが、近年は、その日に近い新暦の土日に行われるようになり、平成21年(2009)は、11月28日(土)に渡御(遷御)、11月29日(日)に還御が行われた。 |
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▲ 午後7時ころ、花火の合図で、三ノ宮神輿は裸の若者たちに担がれ、宮田を出発して緒方川の川原から入水した。都市部と違って、まわりは田園地帯のため、照明がなく、手にした竹松明(たけたいまつ)が頼りである。 |
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▼ 水門に到着した裸神輿は、水門を越えて水路(井路)に入り、一周した後、再び水門に戻ってきた。写真は、水路から水門を下って再び緒方川に入るシーン。夜間、裸神輿が松明を頼りに落差のある水門を下るのは、とても珍しい光景である。 |
無事に難所を通過した三ノ宮神輿は、大鳥居の篝火(かがりび)を目標に、川の中央に向かって進んで行った。 |
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あきのよる すいもんくだる ふどししゅう |
Autumn night, men of loincloths going down the water gate.
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▲▼ 原尻の滝の滝口には上自在と原尻を結ぶ道があり、わざわざ滑りやすい川床を通る必要はないと思われるが、いつの頃からか、あえて川床を担いで渡る慣行が生まれたのは、男たちのかっこよさを女性に見せる意味があったのではないだろうか。 |
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数分で川中の石鳥居に着くと、裸神輿は、篝火と竹松明の明かりを頼りに、西から東に向かう川中参道を進んだ。この辺は足場も悪く、よく滑るところで、担ぎ手たちは注意して歩を運んでいた。 |
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びゃっこんの とりいくぐりや あきみこし |
Portable shrine in the autumn, men of white loincloths passing under the
torii.
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▼ 二ノ宮八幡社の楼門そばの広場で、父神の一ノ宮神輿と母神の三ノ宮神輿の神輿合わせが行われた。棒鼻(ぼうばな)と呼ばれる担ぎ棒の先端を互いに接触させる神事である。応神天皇の前で、両親が接吻しているように見える。年に一度の、何とも微笑ましいシーンである。 |
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この後、裸たちが二ノ宮八幡社の拝殿に三ノ宮神輿を安置して、初日の神事は無事に終わった。若者たちは拝殿の前で円陣を作り、手〆ののち解散した。宮田を出発して26分が経過していた。休憩も交代もない神輿舁きは大変な労力だったと思われる。近年は人手不足で、交代要員がいないという。 |
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▼ 翌11月29日(日)に行われた三ノ宮神輿の還御は、前日の逆順である。解説はもはや不要なので、ロマンと感動あふれる裸の神事をじっくりとご覧いただきたい。 |
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あきよかわ びゃっこんみこし いしどりい |
Autumnal night river, portable shrine of white loincloths going under the stone
torii.
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水門を下る神輿
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石鳥居の西方を通過する神輿
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▼ このあと、対岸の上自在(かみじざい)に上陸した三ノ宮神輿は、小型トラックに載せられ、三ノ宮八幡社まで運ばれて行った。川組たちの役目はこゝまでで、昨夜同様、円陣を組み、手〆によりお開きとなった。お疲れ様! |
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