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2021年7月18日改訂
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♪埴生の宿メドレー 尺八:日當鶴山
旅と写真は元気の泉

感動の裸祭CD完成!

青田道豊作祈願のふどしっ子  北舟

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A path of green fields,
children of loincloth praying a good harvest.

2000年7月16日開設

島立堀米の裸祭り

2021年の日記 〈7月〉
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  2019年1-7月 8-12月 2020年1-12月 2021年1月 2月 3-4月 5月 6月 7月 8月

「徒然日記」目次

2021年7月18日(日)晴

■■■ 和田爺(74歳)の随筆【01】 ■■■ 

                              〜コロナに負けるな!〜

@ 爺は、昨日、東京は追手町の自衛隊東京大規模接種センターにて二回目のCOVID-19ワクチンモデルナ筋注接種を受けた。一回目は、接種後一週間後に遅延性アレルギー反応といわれる接種箇所周辺が赤く腫れる副反応が出て、少しかゆかったが、放っておいたら3日間で完治した。

今回は、翌日から接種箇所周辺の筋肉痛と身体がだるい副反応があり、現在、家の中で静養している。午後から37度2分〜37度5分の微熱が出てきて、僅かな頭痛と悪寒を感じるようになったので、東京都新型コロナウイルスワクチン副反応相談センターに電話したところ、日曜にもかかわらず女性の医師が直ぐに応対してくれた。やはり、ポピュラーな副反応で、安静にしていれば2〜3日で収まるという。

どうしても辛いときは、常備薬のバファリンAを飲んで良いか聞いたところ、どの解熱剤でも飲んでダメなものはないので、ご自分の判断で普段服用しているものなら差し支えないとのこと。

37度5分は熱が出た範囲に入らないとのことで、39度〜40度になると熱が出たということになるらしい。2〜3日して熱や頭痛が引かなければ、もう一度相談して欲しいとのことだった。

バファリンは、どうしてもきつくて我慢できないときに飲むことにして、水分補給をマメにし、首まわりや額を冷やして熱を冷ます物理療法を続けることにした。
コロナに負けるな!

コロナに負けるな!

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A 先日、友人の娘さんが発熱し、発熱外来の検査を受けた結果、新型コロナに感染していることが分かり、専用のホテルに隔離された。輸送や滞在費は全て国が面倒見てくれるという。家での隔離処置は4週間だがホテルだと3週間ですむということで、ホテルを選択したそうで、その間、両親が孫を育てるので、幸運な家庭環境だったといえよう。

家族は、濃厚接触者ということで直ちに鼻の奥深くに10秒間綿棒を突っ込まれる苦しいPCR検査を受けたが、幸い、全員陰性が確認されたのは幸いだった。

感染者の職場や子どもの送り迎えの幼稚園、両親と一緒に暮らしている自宅は、保健所による消毒は実施しないとのこと。保健所から職場には感染者が出たことの通報があったが、幼稚園は、園児が感染していなかったので、連絡しなかった。あとは、濃厚接触者が自宅でおとなしくしているよう保健所から指示されただけという。

感染源は、保健所の綿密な聞き取りがあったが、車での通勤だし、ショッピングも近くのスーパーに行っているだけで、飲みに行ったり、観劇に行ったりという多数が集まる場所には一切行っていないという。結局、感染源不明ということになったようだ。

そうしてみると、誰もが普通に生活していて、運が悪ければ感染するという事態に至っていることとなり、爺は、今まで遠い存在のように思っていたが、身近にコロナウィルスが蔓延しており、改めで目に見えない敵の恐ろしさを実感した。

幸い、あと二週間で爺はワクチンによる抗体が完成するので、安心だが、一刻も早くワクチン接種が進捗するよう祈らざるを得ない。現在、小池都知事がくどいほど言っているように、不要不急の外出は避け、人流を下げることが最も求められている!

撮影: 和田爺のアトリエ(東京都羽村市)にてタイマー3秒のスマホ自取 サークルライト 2021.07.18 ソフトバンクAQUOSシンプルスマホ5(アンドロイド)

2021年7月5日(月)雨

■■■ 和田爺(74歳)の褌  ■■■ 

コロナがまた増加傾向になった東京で梅雨の長雨が続く中、外出を控え、羽村のアトリエで和田爺謹製褌のプロモーション写真を撮影した。

今回はLEDのサークルライトとサイドライトを併用。サークルライトの中心にデジカメを置き、なるべく陰が出ないように工夫した。

【01】 和田爺謹製越中褌「長寿」夏用フロント・ビュー

今年新発売した「長寿」夏用は、岡月光30番のやや薄手の高級晒木綿生地を使っているので、熱が籠もらず、涼しくて肌触りが絹のようにさらっとしており、高温多湿の日本の夏には最も快適な下着としてお勧めしている。

梅雨時になって購入者が増え、現在、増産中。市販品に比べて前垂(まえだれ)がやや短めだが、標準的日本人の体格に合わせた爺こだわりの越中褌である。

ワダフォト・ヤフーショッピング店>褌
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和田爺謹製越中褌「長寿」(夏用)高級白晒木綿 二枚組
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(匿名配送とは、和田爺には購入者が誰か分からない方法で配送するもので、黒猫ヤマトのネコポス便を利用している。裸祭CD・DVD写真集も匿名配送が可能。)

撮影: 和田爺のアトリエ(東京都羽村市)にて三脚によるリモコン2秒の自取 2021.07.04 OLYMPUS E-5

越中褌「長寿」夏用フロント・ビュー

和田爺謹製越中褌「長寿」夏用フロント・ビュー

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【02】 和田爺謹製越中褌「長寿」夏用サイド・ビュー

これまでの晒木綿は、新品はやや堅さがあり、使い込んで行くにつれ、ザラザラ感が取れ、赤ちゃんでも使用できるようなさらさらの生地になる。

夏用褌は、ザラザラ感が無く、最初から赤ちゃんでも使える絹を思わせる優しい布地で、そのくせ、緩むこともなく、しっかりと腰部を守ってくれるのが良い。

ちなみに絹の褌は、つるつるしすぎて、引っかかりが無く、越中褌の前垂れは直ぐに緩んでしまうので、爺は使用しない。

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越中褌「長寿」夏用サイド・ビュー

和田爺謹製越中褌「長寿」夏用サイド・ビュー

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【03】 和田爺謹製越中褌「気合」フロント・ビュー

爺は、白晒越中褌と同じ素材の晒木綿を赤く染めた越中褌を謹製し、購入者のご健勝とご発展を願って「気合」と名付けた。勝負褌ともいえる赤褌(あかふん)だが、特に還暦祝や気分転換などに重宝される一品である。

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和田爺謹製越中褌「気合」高級赤晒木綿 二枚組
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和田爺謹製越中褌「古稀」高級晒木綿 紅白二枚組
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越中褌「気合」フロント・ビュー

和田爺謹製越中褌「気合」フロント・ビュー

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【04】 和田爺謹製越中褌「気合」サイド・ビュー

晒木綿は、折り目が詰まっているモス地などと違い、通気性や吸湿性が抜群に優れており、高温多湿の日本の風土に最適な褌に用いることで、蒸れることなくクールで快適な健康下着として古来より愛用されてきた。

市販されている赤褌は、安いモス地が多く、白晒木綿を赤く染めた赤晒木綿の販売は少なく、やっと見つけて納得いく赤褌ができた。その分値が張るが、他に代え難い快適な締め心地が嬉しい。

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越中褌「気合」サイド・ビュー

和田爺謹製越中褌「気合」サイド・ビュー

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【05】 普段愛用の白晒越中褌「長寿」(Mサイズ)フロント・ビュー

ここに我が常用の「長寿」Mサイズを披露する。爺は、褌にアイロンをかけないので、この越中褌は新品でないことが分かる。

夏なので、顔や手足の日焼けが目立つ。(^-^)

白晒越中は、洗えば洗うほどなめらかな肌触りになり、自分の身体の一部と思えるほどになじみ、終世手放せない。

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和田爺謹製越中褌「長寿」(Mサイズ)高級白晒木綿 二枚組
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越中褌「長寿」(Mサイズ)フロント・ビュー

普段愛用の白晒越中褌「長寿」(Mサイズ)フロント・ビュー

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【06】 普段愛用の白晒越中褌「長寿」(Mサイズ)サイド・ビュー

和田爺謹製褌は、2019年3月に発売以来、白越中褌「長寿」、赤越中褌「気合」、前袋式六尺褌「天王祭」、前垂式六尺褌「江戸っ子」あわせて170枚ほど売れているが、白越中褌がベストセラーで、七夕の本日、100枚の大台に達した。

日本は、北海道から九州まで、海外では、中国、台湾、マレーシアの愛好家にお送りした。高温多湿の気候風土に住む方々が殆どだが、北海道のように涼しくても愛用者がおられるのは心強い。(^-^)

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越中褌「長寿」(Mサイズ)サイド・ビュー

越中褌「長寿」(Mサイズ)サイド・ビュー

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【07】 愛用の白晒越中褌の上に甚平を着る

夏の爺のアトリエでの部屋着は、甚平が殆ど。もちろん、暑いときは、六尺褌一丁となることもある。寝るときも甚平で、入浴後、寝間着用に着替える。

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甚平を着る

愛用の白晒越中褌の上に甚平を着る

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【08】 甚平褌

アトリエや書斎での部屋着は、暑いときは越中褌に甚平の上衣を組み合わせたこの甚平褌。下半身が褌一丁になるので、風通しが良く、エアコンが効いているので、快適に過ごせる。
甚平褌

甚平褌

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【09】 爺愛用の甚平

この甚平上下組は、今夏、ヤフオクで落札した新品で、ネイビーブルーの落ち着いた色と白い空気穴のストライプが斬新なデザインなので、気に入っている。

出掛けるときは、甚平褌ではまずいので、このように上下をきちんと着用し、雪駄を履く。
爺愛用の甚平

爺愛用の甚平

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【10】 夕涼みよくぞ男に生まれけり

これは、江戸時代、宝井其角が詠んだ名句である。夏の夕暮れどき、父や爺は、行水で汗を流した後、洗いざらしの褌を締め、団扇を持ち、草履や下駄を履いて縁台や縁側で夕涼みをした。

かつての日本の夏は、このような裸褌姿が当たり前の世の中だった。今はこの格好ができるのは家の中だけなのは、少し寂しいが、現代でも夏は褌に限る!

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夕涼み

夕涼み

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【11】 前袋式六尺褌(水褌)フロント・ビュー

爺は、紅白の越中褌三種の他に、前袋式六尺褌と前垂式六尺褌の二種を販売している。まずは、前袋式六尺褌から。これは、水褌(すいこん)とも呼ばれ、水泳用に工夫されたもので、現代では、江島神社の天王祭(神奈川県藤沢市)などに見られることから、「天王祭」という名で、販売している。これまでに22枚の注文を受けている。

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和田爺謹製前袋式六尺褌「天王祭」高級白晒木綿一枚組
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フロント・ビュー

前袋式六尺褌(水褌)フロント・ビュー

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【12】 前袋式六尺褌(水褌)サイド・ビュー

裸祭といえば、六尺褌。特に、前袋式六尺褌は、乱れが殆ど無いため、海を渡る江ノ島天王祭(白褌神輿)
 http://wadaphoto.jp/maturi/byakkon06.htm を代表に全国で催行される勇壮な裸祭に欠かせない。

和田爺謹製前袋式六尺褌「天王祭」:関西ファッション連合保証の高級白晒木綿を使用した自家製の前袋式六尺褌一枚組 長さ245cm 幅24cm 全周折返し補強
サイド・ビュー

前袋式六尺褌(水褌)サイド・ビュー

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【13】 前袋式六尺褌(水褌)バック・ビュー

旧海軍の水褌(すいこん)は、全幅(34cm)の白晒木綿を半分に折り、半幅褌(17cm)だったのだが、これは、水褌専用の褌が販売されていなかったための間に合わせだった。

現代に至り、internetの通販店で種々の六尺褌が発売されるようになり、間に合わせの17cm幅の六尺褌も販売されているが、これではちょっと幅が狭く、爺の研究では、理想的な幅は22-24cmである。

六尺褌を締める位置は、越中褌同様、臍下三寸(約10cm)と腰骨の上端部を通るように締めると緩まず、格好良く見える。
バック・ビュー

前袋式六尺褌(水褌)バック・ビュー

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【14】 前垂式六尺褌フロント・ビュー

もう一つの六尺褌は、前垂式(まえだれしき)六尺褌。江戸時代から明治期にかけて、日本男性の下着は褌だったが、浮世絵に描かれているように、前垂式六尺褌が主流だった。

高温多湿の日本の夏は暑く、夏季には六尺褌は仕事着でもあり、神輿祭や裸祭では祭着にもなった。

和田爺は、「江戸っ子」という名で販売しており、これまでに24枚を出荷している。

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和田爺謹製前垂式六尺褌「江戸っ子」(Mサイズ)高級白晒木綿一枚組
 https://store.shopping.yahoo.co.jp/wada-photo/wadafundoshi07b.html 

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フロント・ビュー

前垂式六尺褌フロント・ビュー

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【15】 前垂式六尺褌サイド・ビュー

「緊褌一番」や「褌を締めてかかる」という言葉は、六尺褌から生まれた格言で、越中褌では「褌をきりりと締めて」というわけにはいかない。

江戸時代の人々が日常当たり前のように締めていた前垂式六尺褌を締めた感触は、越中褌とは違った締め付け感があり、自然と気合いが入るから不思議だ。
サイド・ビュー

前垂式六尺褌サイド・ビュー

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【16】 前垂式六尺褌バック・ビュー

江戸っ子結びの後ろ姿

褌の端を引っ張れば、一発で解ける江戸っ子結び。これは、筆者が命名したものだが、六尺褌を簡単に着脱できる江戸っ子の智恵である。

巻き付けるだけでは、解けてくるが、この結び方は、一晩何度も寝返りを打つ寝相の悪い爺でも褌が緩むことがないのが素晴らしい。(^-^)

ひと言コメント

日本人は、江戸・明治期を通じて、男性の下着は六尺褌や越中褌などの褌のみだったが、大正期からパンツが入ってきた。

そのため裸祭も褌を止めてパンツ(ハンダコ)に代わるところが出てきたが、爺は、パンツの裸祭は日本の伝統文化を変質させたものとしてパスし、褌しか着用しない裸祭のみを取材して来た。

江戸時代から続く伝統の裸祭「猪鼻の甘酒こぼし」(埼玉県秩父市) http://wadaphoto.jp/maturi/amazake27.htm は、筆者が参加取材した大好きな裸祭のひとつである。

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和田爺謹製前垂式六尺褌「江戸っ子」(Mサイズ)高級白晒木綿一枚組
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バック・ビュー

前垂式六尺褌バック・ビュー

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【17】 愛用の黒甚平を着る

このシリーズ最後の〆として再び越中褌にもどり、爺愛用の黒甚平を着る。甚平は五着ほどあり、夏の室内着と寝間着に愛用しているが、今年ヤフオクで入手した紺と前からあるこの黒を外出用として使っている。

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和田爺謹製越中褌「長寿」(Mサイズ)高級白晒木綿 二枚組
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愛用の黒甚平を着る

愛用の黒甚平を着る

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【18】 甚平褌

アトリエや書斎での部屋着は、暑いときは越中褌に甚平の上衣を組み合わせたこの甚平褌が定番だが、ときには褌一丁になることもある。
甚平褌

甚平褌

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【19】 爺愛用の黒甚平

この黒の甚平上下組は、外出用。本当は下衣なしの甚平褌が最高なのだが、現代の日本では、お祭り以外、褌を見せて外を歩くのはタブーとなっている。
爺愛用の黒甚平

爺愛用の黒甚平

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2021年7月4日(日)雨

★彡 七月の裸褌祭★彡

島立堀米の裸祭り
津島牛頭天王社
長野県松本市
平成23年(2011)7月3日(日)
撮影・制作:和田義男

  平成23年(2011)7月3日(日)、長野県 松本市(まつもとし)島立堀米(しまだちほりごめ)に鎮座する 津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)(津島神社)で、長野県無形 民俗文化財に指定されている「島立堀米の裸祭り」が開かれた。
 裸祭りに参加するのは、全員、島立(しまだち)小学校の児童で、町会長によると、男子49人、女子42人、合計91人ということだった。裸で参加するのは男子だけで、女子は、運動服姿で参加する。
   褌の童の参拝天王祭  北舟 

ふんどしの わらべのさんぱい てんのうさい

Tennoh festival, worship of the children wearing Fundoshi loincloth.

おじさんに教わって参拝

おじさんに教わって参拝

   裸祭りは、毎年、7月第一日曜日に行われる。祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭の前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。
 祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。
   町中を幟で清む裸っ子  北舟 

まちなかを のぼりできよむ はだかっこ

Bare-chested children, purifying whole town with sacred flags.

リフレッシュして町内廻りの再開 16:04

リフレッシュして町内廻りの再開 16:04

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   裸祭りは、毎年、7月第一日曜日に行われる。祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭の前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。
 祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。
   青田道豊作祈願のふどしっ子  北舟 

あおたみち ほうさくきがんの ふどしっこ

A path of green fields, children of loincloth praying a good harvest.

全員揃って

青田道あおたみち

を行く
参加者全員で青田道を行く
津島神社を目指す

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   子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行う。その後公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となる。食事の後、ご褒美の品をもらってお開きとなる。
   泥池の禊楽しき村祭  北舟 

どろいけの みそぎたのしき むらまつり

A village festival, how pleasant the ablution in a muddy pond.

アッという間に 泥池どろいけ と化した

禊場みそぎば

16:34

アッという間に泥池と化した禊場 16:34

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江ノ島天王祭
江島神社
神奈川県藤沢市
平成20年(2008)7月13日(日)
撮影・制作:和田義男

 平成20年(2008)7月13日(日)、梅雨の合間に、湘南・江ノ島の夏祭りとして知られる江島神社(えのしまじんじゃ)の末社・八坂神社(やさかじんじゃ)で例大祭(江ノ島天王祭)が開かれ白褌一丁の男たちに担がれた裸神輿が湘南(しょうなん)の海を渡った。
 裸弁財天(はだかべんざいてん)で有名な江島神社は、辺津宮(へつのみや)、中津宮(なかつのみや)、奥津宮(おくつのみや)の三社からなる神社で、その末社として八坂神社がある。天王祭は、八坂神社の祭礼である。辺津宮に田寸津比売命(たきつひめのみこと)、中津宮に市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、奥津宮に多記理比売命(たぎりひめのみこと)の三女神が祀られている。 この祭神を宗像(むなかた)の三女神といい、福岡の宗像大社、広島の厳島神社と同じ祭神といわれている。
 辺津宮の南にある弁天堂に妙音弁財天と八臂(はっぴ)弁財天が鎮座する。近江の竹生島(ちくぶじま)弁天、安芸の厳島(いつくしま)弁天と共に日本三大弁天に数えられる。裸弁財天で有名なのは妙音弁財天の方で、女性のシンボルまで彫られているから凄い。
  シャンギリの錫杖の音島祭  北舟 

しゃんぎりの しゃくじょうのおと しままつり

An island festival, sounds of tin sticks of Shangiri.

郷土芸能「シャンギリ」の奉納  10:05

郷土芸能「シャンギリ」の奉納

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▼ 神事の後、神輿は狭い石段を下って海岸に降り、白褌に統一した裸男たちに担がれて、湘南の海に入っていった。神輿の沖合はウィンド・サーファーたちがカラフルなセールを抱えて波乗りに興じていた。沖合はヨットが行き交うマリンレジャー華やかな湘南の地で、いかにも日本的で古式ゆかしい伝統文化が披露された。
 その落差にとまどう人もいたに違いない。しかし、科学技術が進歩し、高度文明社会に生きる現代においても、伝統を守って行きたいと思う人々も健在である。
  群青の海に入りたる神輿かな  北舟 

ぐんじょうの うみにいりたる みこしかな

A portable shrine goes in the deep blue sea.

ウインド・サーフィンと裸神輿

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  海坂に向かふ神輿や白ふどし  北舟 

うなさかに むかうみこしや しろふどし

White fundoshi-loincloths, the portable shrine going to the sea horizon.

▼ 神輿は更に沖に向かい、水面が胸から首に達するところまで進んだ。背の低い人は顔に水をかぶるようになり、アップアップしている。溺れているようにも見える。神輿の下部は水没したようである。
深みにはまった神輿

深みにはまった神輿

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  波の間に浮きつ沈みつ夏祓  北舟 

なみのまに うきつしずみつ なつはらえ

Summer purification, drifting up and down on the waves.

浮つ沈みつアップアップ!

浮つ沈みつアップアップ!

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▼ 歩行者天国の道路で、消火栓から引いた消防用のホースから勢いよく水が吹き出ていた。海水に浸かった神輿を真水で潮抜きするためである。裸の男たちは、恵みの雨とばかり、目を開けられないほどの強いシャワーを頭から浴びていた。
恒例の潮抜きシャワー!

恒例の潮抜きシャワー!

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  磯の香の神輿を洗ふ恵み雨  北舟 

いそのかの みこしをあらう めぐみあめ

Mercy rain, washing a portable shrine of sea smell.

集中豪雨の洗礼!

集中豪雨の洗礼!

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▼ 全国から応援にやってきた裸祭りファンたちは、公園の水飲み場で潮抜きと砂抜きをして、帰り支度をしていた。特に、褌の前袋や地下足袋には砂が入り込んでおり、丁寧に砂出ししていた。
 右端の男性はみんなの前で褌を外して丸洗いしたあと、締め直していた。横褌(よこみつ)のあとが赤銅(しゃくどう)色の肌にクッキリと残されている。みんなの笑いを誘ったが、日本の裸文化はそれだけ開放的といえるだろう。
 彼らは弁当をもらったあと、来年の再会を約して三々五々帰っていった。

潮抜きと砂抜き

潮抜きと砂抜き

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江ノ島 白褌びゃっこん 神輿

神奈川県藤沢市 江島神社天王祭 7月14日に近い日曜日 最新:2011年7月10日(日)

 
 マリン・リゾートとして名高い湘南(しょうなん)江の島で毎年開かれる八坂神社例大祭(天王祭)は、白い水褌(すいこん)(前袋式六尺褌)一丁で海中神輿渡御が行われる裸祭で、「かながわの祭り50選」にも選ばれている。

白い 水褌すいこん 一丁で海を渡る神輿
 江の島の八坂神社天王祭は、午前中、島の氏子たちが列をなして里神楽・天王囃子の優雅な調べを奏でるなか、江島神社辺津宮(えのしまじんじゃ・へつみや)から宮出しされた神輿が参道を下り、弁天橋付近で褌一丁となった氏子や祭愛好者たちに担がれて海に入る。
 裸の担ぎ手たちは、囃子船による天王囃子の調べにあわせ、浮きつ沈みつ揉み合い、勇壮な禊が行われる。その後一旦上陸し午後から対岸の腰越(こしごえ)小動神社(こゆるぎじんじゃ)の神輿と龍口寺(りゅうこうじ)前から合同渡御に入り、ゆかりの小動神社まで渡御する。
 天王祭は、湘南唯一の夏祭りとして有名で、ご神体を漁師が発見して祀ったことから、祭礼の神輿は漁師だけが担ぐことになっていた。白い水褌姿は、古き良き時代に褌一丁で漁をした漁師たちの姿を彷彿とさせる。現在は全国から集まる裸祭りファンの応援なしには催行できなくなっている。 江ノ島白褌神輿'11
  波の間に浮きつ沈みつ夏祓  北舟 

なみのまに うきつしずみつ なつはらえ

Summer purification drifting up and down on the waves.

海中の 神輿練みこしね

海中の神輿練り

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博多祇園山笠
櫛田神社
福岡県福岡市
平成16年(2004)7月1日(木)〜15日(木)
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男

 平成16年(2004)7月1日(木)から15日(木)まで、福岡県福岡市で、博多の夏を告げる博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)が開かれた。昭和54年(1979)に国から重要無形民族文化財の指定を受けたこの夏祭は、櫛田神社の祇園例大祭で760年の歴史を持つ。
 山笠(やまかさ 山・ヤマ)に熱中する男のことを「山のぼせ」又は「のぼせもん」という。7月上旬は、博多の町は山笠一色になり、山のぼせたちで町が熱く燃えあがる。好天に恵まれた2004年、水法被(みずはっぴ)に締め込み(褌)姿の博多っ子たちが街を駆け抜け、多くの観衆にロマンと感動を与えた。

招き板を持って行進する奈良屋町二区

招き板を持って行進する奈良屋町二区

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▲▼ 7月10日は初めて舁き山笠(舁き山)を披露する流れ舁きの日である。午後4時から6時にかけ、流(ながれ)ごとにそれぞれの区域を舁き廻る。舁き山の順番は毎年一番ずつ繰り上がり、全部で七流あるため、一番が回ってくるのは7年に一度。2004年は西流(にしながれ)が一番山笠となった。

西流奈良屋町二区

西流奈良屋町二区

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▲▼ 現在七流(ななながれ)が保有する舁き山笠は6名の台上がりを含めて重量が約1トン。構造材は桜、樫などで込栓(こみせん)や八つ文字縄と呼ばれる独自の方法で組み立てられ、一本の釘も使わない。4本の脚があるが車輪はなく、地面と激しくぶつかる脚の先端には鋳物の胴沓(どうがね)が取り付けられている。

山小屋に格納/恵比須流

山小屋に格納/恵比須流

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▲▼ 山台は毎年、組立・解体され10年程使われる。長い歳月の中で山大工による木組みの知恵と技術が結集されている。舁き棒の寿命は長く、80年以上も使われた棒もあったという。

ビルの谷間を行進する土井流/山見せ

ビルの谷間を行進する土井流

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▲▼ 舁き山の高さは15尺(4.55m)。長さ20尺(5.45m)の舁き棒6本を26人で担ぎ10人ほどが後押しする。招き板を持った子供たちが先走るなか、数百人の男衆が山の周りを走り、適宜交代しながら市内を走る。
 各自締め込みに挟んでいる舁き縄は、山を担ぐときに舁き棒にまわし、この縄を掴んで担ぐためのもの。担ぐ位置が固定され、肩でしっかりと担ぐことができ、転びそうになっても身体を保持することができる。
        しぶきを上げて!

撮影:大庭靖雄

しぶきを上げて!

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▲ 博多山笠の掛け声はオッショイ!お汐井とりと関係があるといわれるが、よく分からない。重い山笠を担いで走ると「オッショイ」が次第に詰まり、「オイッサ、オイッサ」になる。リズム良く気持ちがひとつになると山笠のスピードも増す。この掛け声は「日本の残したい音百選」にも選ばれている。

記念撮影

記念撮影

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舁き手は「台上がり」「鼻どり」「前さばき」「さき走り」「あと押し」などの役割分担があり手拭(てのごい)や襷(たすき)の色によって役職が識別される。最初は白手拭からスタートするが、年期と熟練を要する赤手拭(あかてのごい)から役付となるため、赤手拭は男たちの憧れの的(まと)である。手拭は首にかけておくが、出動するときは、捻り鉢巻(ねじりはちまき)にする。

仲良し

仲良し 1 仲良し 2

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▼ 山留めから清道を廻って境内を出るまでの距離は112m。時間にして30〜40秒こそが祭の中で最も迫力ある場面である。廻り止まで5kmを走るタイムよりも櫛田入りタイムの方が重視されるのは、一瞬に賭ける男たちの燃焼が感動を呼ぶからに違いない。

櫛田入りする土居流

櫛田入りする土居流

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  益荒男や山笠清道を駆け抜けり 北舟 

ますらおや やませいどうを かけぬけり

Brave men ran through the purified road with a yama on their shoulders.

大黒流の疾走!

大黒流の疾走!

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▼ 7月15日未明、博多祇園山笠のフィナーレを飾る追い山(おいやま)が始まった。 沿道の観客は県内外から約90万人が集まり、出発数時間前には櫛田神社の周囲は足の踏み場もないほどの見物客でごった返した。
 午前1時過ぎ、山小屋を出発した各流の舁き山は、午前1時半頃から櫛田神社前の土居通りで縦列に並んで山列をつくり、 ちょうちんを持った舁き手たちで通りが埋まった。
 東の空が白みかけるころ「5分前」「3分前」「1分前」のアナウンスによって山を舁く男衆や観衆の緊張が最高潮に達し、午前4時59分、太鼓櫓から「ドーン」と響く大太鼓の合図が打ち鳴らされるや、追い山がスタートした。

           あと五秒!

撮影:大庭靖雄

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  山笠を舁く赤銅色の赤手拭   北舟 

やまをかく しゃくどういろの あかてのごい

 Sun-tanned akatenogoies carrying a yama on their shoulders.

▲▼ 太鼓の音と同時に山留め櫓の竹竿が跳ね上がり、一番山笠・西流が勢いよく飛び出して行った。神社正門の鳥居の前を走り抜け、大銀杏の手前で境内に入り、清道旗を右手に旋回し、宮司や市長らが居並ぶ能舞台の前で山を停止させ、一同鉢巻を外し、一番山笠にのみに許される祝い目出度が披露された。
 斉唱が終わると直ちに走り出し、5km先の博多区須崎町(すさきまち)にある廻り止を目指して、まだ明け切らぬ博多の町へと繰り出して行った。

           廻り止に到着した六番山笠・東流

撮影:大庭靖雄

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追い山の記録

櫛田入りタイム 2004年の追い山の記録が出た。櫛田入りでは六番山笠・東流が「追い山馴らし」と「追い山」ともに1位だったのが断然光っている。短距離に必要な瞬発力・集中力の勝利である。
廻り止タイム スタートの山留めからゴールの廻り止までの5kmコースでは、一番山笠・西流が「追い山馴らし」と「追い山」ともに2位以下を大きく引き離して1位となった。西流の25分58秒は、平成6年(1994)に大黒流が出した29分27秒を大きく上回る新記録である。ちなみに3位までが新記録だったのは立派である。
 過去を振り返ってみると、30分を切ったのは、平成6年(1994)の大黒流が初めてのことで、不滅の記録だった。西流の25分58秒は大記録であり、当分破られそうにない。(記録チェックは昭和30年(1955)以後のデータ)

   櫛田入りタイム

 

          廻り止タイム

1位 六番山笠 東流   30秒20
2位 二番山笠 千代流  
30秒60
3位 五番山笠 大黒流  
31秒24
4位 三番山笠 恵比須流 
34秒45
5位 七番山笠 中洲流  
34秒69
6位 一番山笠 西流   
36秒82
7位 四番山笠 土居流  
37秒00

  1位 一番山笠 西流   25分58秒
2位 五番山笠 大黒流  
28分24秒
3位 二番山笠 千代流  
28分50秒
4位 六番山笠 東流   
29分46秒
5位 三番山笠 恵比須流 
31分33秒
6位 四番山笠 土居流  
32分16秒
7位 七番山笠 中洲流  
34分04秒
ざるやぶり神事
八雲神社
三重県津市
平成20年(2008)7月15日(火)
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男

  約400年の伝統を受け継ぐ奇祭「ざるやぶり神事」は、三重県津市河芸町一色(つし・かわげちょう・いっしき)に鎮座する八雲神社(やくもじんじゃ)で毎年7月15日に行われる夏祭りで、豊漁と安全を祈願する裸祭りである。紅白の褌を締め分けた120人ほどの裸男たちが直径1mほどの笊(ざる)を奪い合う光景は勇壮で、町外からも多くの見物客が訪れる。

境内で揉み合う褌衆

境内で揉み合う褌衆

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   クライマックスには、神前の「大ざる」がねりの中に投げ込まれ、激しい奪い合いとなる。その由来は、三井高次ら一族が紀州地方を転戦の末破れ一色海岸にたどり着き、空腹のあまり民家のざるにあった「よまし麦」を食べたところを家人に見つかり、ざるの奪い合いになったという故事にちなむものである。ひきちぎられたざるの竹の端を噛むと歯痛に効くといわれる。  

はだかの集団に降りかかる力水

はだかの集団に降りかかる力水

拡大写真(1800X1250)365KB

 午後8時ころ、花火の合図とともに、「ワッショイ、ワッショイ」と気勢を上げながらスクラムを組んで境内を駆け回る120人余の褌衆は、バケツの力水を浴びながら威勢良くぶつかり合い、揉み合った。

ずぶ濡れになったはだか衆

ずぶ濡れになったはだか衆

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▼ やがて、ずぶ濡れの裸の集団に大笊(おおざる)が投げ込まれると、男たちが我先に群がり、なだれを打つように奪い合う光景が見られ祭りは最高潮に達した。ザルは間もなくバラバラになり見物客たちも破片を拾い集め、大事そうに持ち帰った。

  夏の夜や褌締めて笊破り  北舟 

なつのよや ふんどししめて ざるやぶり

Summer night, a scramble for a bamboo colander wearing fundoshi sash.

ざるの奪い合い!

ざるの奪い合い!

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赤褌神輿
那古野神社
愛知県名古屋市
平成24年(2012)7月16日(月)
撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男

 平成24年(2012)7月16日(月)海の日、愛知県名古屋市に鎮座する那古野(なごや)神社(宮地俊彦宮司)で例大祭(天王祭)が開催された。
 名古屋城天守閣の南方約1.2kmの名古屋市中区丸の内に鎮座する那古野神社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911)に那古野庄(なごのしょう)(名古屋城三の丸付近)に創建され、平成23年(2011)に御鎮座1100年祭を祝った。津島牛頭天王社(つしま・ごずてんのうしゃ 現在の津島神社)を総本社とする天王社の一つで、当初は亀尾天王社(かめのお・てんのうしゃ)と呼ばれていた。
 明治維新の際、須佐之男神社(すさのおじんじゃ)と改称し、明治9年(1876)名古屋鎮台が城内に置かれたため東照宮と共に旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座し、明治32年(1899)に那古野神社と改称した。先の大戦中には空襲により社殿が全焼。昭和29年(1954)から復興にとりかかり、昭和34年(1959)に現在の社殿が完成した。
  緑陰の赤褌神輿白扇子  北舟 

りょくいんの あかふんみこし しろせんす

A white folding fan, the portable shrine of red loincloth in the shade of green trees.

大神輿を担いでいざ出発! 13:45

大神輿を担いでいざ出発! 13:45

拡大写真(2400X1800)1.13MB

 かつては旧暦の6月15・16日が祭礼日(現在は新暦7月15・16日)で、江戸時代には「三之丸天王祭」と呼ばれ、東照宮祭、若宮祭と共に名古屋三大祭のひとつとして、二輛の車楽(だんじり)と多くの見舞車が巡行して大いに賑わったという。

 例大祭(天王祭)に神輿が参加するようになったのは、明治25年(1892)からで、当時は大神輿2トン(1基60人)、中神輿1.5トン(2基各50人)の3基の宮神輿があった。乱暴に練り歩いたため、暴れ神輿と呼ばれ、名を馳せていたという。
 那古野神社から若宮八幡社へ渡御するのは、昔は名古屋城の中で一緒にあったものが、現在位置に離れ離れになったため、渡御が行われることになった。
  赤褌の天王祭や神輿差  北舟 

あかふんの てんのうさいや みこしさし

Tenno-sai Festival of red loincloth, raising the portable shrine.

神輿を差して一周する大神輿/壱(桜通本町交差点)

神輿を差して一周する大神輿/壱(桜通本町交差点)

拡大写真(2400X1800)923KB

 先の戦災で焼けたため、現在の大神輿1.5トン(90人)は昭和33年(1958)に建造され、社殿の復興と共に神輿渡御が再開された。中神輿0.8トン(40人)は、そのとき総本社の津島神社(愛知県津島市)から移管したもので、現在、大中2基の宮神輿により御旅所の若宮八幡社まで片道約2kmの道を日帰りで渡御と還御を行っている。

 大中2基の宮神輿は、寄棟造の江戸型神輿と違って、いづれも神明造(しんめいづくり)の神殿(本殿)を模した神明造神輿で、神紋の金の木瓜紋(ぼけもん)が描かれた赤い布で覆われている。
 斎館の控室で祭装束に着替えて出て来た担ぎ手たちは、全員赤褌(あかふん)を締めている。祭事の衣装は白が原則なので、宮地宮司に尋ねたところ、赤い褌は、魔除(まよけ)の意味で締めているとのこと。赤褌に那古野神社祭礼奉仕会の青法被を着ているのは、神輿の指揮に当たる役員たちで、実質的に采配するのは二番永田組。
  御旅所の赤褌神輿高々と  北舟 

おたびしょの あかふんみこし たかだかと

The portable shrine of red loincloth, raising high at destination.

中神輿のアブセ 15:12

中神輿のアブセ 15:12

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 大都市の空洞化現象は東京だけでなく名古屋も例外ではなく、宮地俊彦宮司によると、地元の氏子だけでは神輿があがらず、部外者の力を借りているという。

 部外から参加する場合は、準備の都合上事前予約制となっている。担ぎ手の参加料は無料で、拝殿右隣りの斎館ロビーの受付係で名簿確認を受けると、茶法被・赤褌・鉢巻・白地下足袋・団扇が入ったビニール袋が手渡される。更衣室は斎館の奥にある。
 ビニール袋をもらったあと、ガーゼに朱印を押した参加章を手首に巻いてくれる。これはもぐりで参加する人がいるためで、保安管理上必要なことであろう。祭が終わったあと、参加章と引き替えに絵馬がもらえる。
  夏祭ビルの谷間の赤ふどし  北舟 

なつまつり びるのたにまの あかふどし

Summer festival, red loincloth in the valley between tall buildings.

●傑作アニメーション● 拡大写真:ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点)

 ●アニメーション● ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) 16:51

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津屋崎祗園山笠
波折神社
福岡県福津市
平成22年(2010)7月18日(日)
撮影・原作:曽根由香 監修:和田義男

 平成22年(2010)7月18日(日)、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社( なみおり・じんじゃ)で祇園山笠(ぎおんやまかさ)の追い山(おいやま)が開かれた。
 津屋崎祇園山笠は、正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祇園社の神を勧請(かんじょう)して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。山笠は、漁業中心の北流(きたながれ)、商業中心の新町流(しんまちながれ)、農業中心の岡流(おかながれ)の3つの流れがある。
  緑陰の赤手拭や褌衆 北舟 

りょくいんの あかてのごいや ふどししゅう

The shade of trees, the guys each wearing a string loincloth and a red towel band.

赤い鉢巻・てっぽうの三番山笠・

岡流おかながれ

赤い鉢巻・てっぽうの三番山笠・岡流

拡大写真(2598X1728)1.20MB

▼ 午前9時前、祇園山笠最大の見せ場である追い山が始まり一番山笠から順に波折神社を出発。 男たちはオイッサ!オイッサ!の掛け声とともに、津屋崎交番付近を到着点とするコースを全力疾走した。
  山笠や清道海に一直線  北舟 

やまかさや せいどううみに いっちょくせん

Yamakasa festival, the sacred road straight towards the sea.

清道せいどう を疾走する三番山笠・

岡流おかながれ

清道を疾走する三番山笠・岡流

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  ▼ 追い山が終わると、その余勢を駆って氏子町内を練り歩く流れ舁(ながれかき)が行われた。男たちは、勢い水で濡れ鼠状態になりながら、道ばたで見守る大勢の観衆に晴れ姿を披露していた。  
津屋崎千軒つやざききせんけん を行く新町流

津屋崎千軒を行く新町流

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猪鼻の甘酒こぼし
猪鼻熊野神社
埼玉県秩父市
平成23年(2011) 7月24日(第四日曜日)
撮影:和田義男

 平成23年(2011)7月24日(日)、埼玉県秩父市荒川白久に鎮座する猪鼻熊野神社で埼玉県無形民俗文化財に指定されている「猪鼻の甘酒こぼし」が開かれた。
 天平8年(736)以来今日まで約1300年にわたって「甘酒こぼし」を継承してきた奥秩父の猪鼻地区では、過疎化高齢化が進み、かつて70軒あった村落が39軒にまで減少し、もはや地元の勢力だけでは祭の催行が難しくなっている。
   神庭に集う村人夏祭  北舟 

かむにわに つどうむらびと なつまつり

The summer festival, villagers gathering at the garden of deities of Shinto.

 578km2に7万人が暮らす秩父市は埼玉県北西部の秩父地方(秩父盆地)に位置し、埼玉県内で最も広い自治
体である。市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や武甲・西秩父埼玉県立自然公園に指定されている。

★☆★彡

 保存会の資料によると、「景行天皇(西暦71-130年)の第三皇子である倭建命(やまとたけるのみこと)が東夷(とうい)(東方のえびす、えぞ)平定のおり、甲斐の国(山梨県)から雁坂峠を越えて三峯(みつみね)に登り下山の途中この地で人々を苦しめていた大きな猪(いのしし)を退治した。
 実はこの猪は山賊の頭で、仲間たちもみんな巨岩に押し倒されて死んでしまった。この巨岩が猪の鼻にそっくりだったので、この土地を「イノハナ」と呼ぶようになった。
 現在は、毎年七月第四日曜日の午後一時、無病安全豊作などの祈願をし、土地の人が造った甘酒を熊野神社にお供えし参詣の人々や氏子たちが飲んでから、子供から老人までが、ふんどしひとつで賑やかに甘酒を頭からかけ合う「甘酒こぼし」をしている。」(埼玉県秩父市荒川白久猪鼻 熊野神社社務所 甘酒こぼし保存会)
   翠巒の甘酒こぼし白ふどし  北舟 

すいらんの あまざけこぼし しろふどし

Green mountain, white loincloth of amazake scattering festival.

編集子の選ぶ傑作

名作シーン(アニメーション)

「甘酒こぼし」が行われる広い境内

パノラマ写真(3000X1600)1.44MB

編集子の選ぶ傑作

盛り上がる甘酒掛けくらべ 2013.7.28

盛り上がる甘酒掛けくらべ 2013.7.28

拡大写真(2400X2100)1.36MB

大和田の荒神輿
大和田氷川神社
埼玉県新座市
平成20年(2008)7月26日(土)
撮影・制作:和田義男