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★☆★彡
七月の裸褌祭 ★☆★彡
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島立堀米の裸祭り |
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津島牛頭天王社 |
長野県松本市 |
平成23年(2011)7月3日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成23年(2011)7月3日(日)、長野県 松本市(まつもとし)島立堀米(しまだちほりごめ)に鎮座する
津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)(津島神社)で、長野県無形
民俗文化財に指定されている「島立堀米の裸祭り」が開かれた。 |
裸祭りに参加するのは、全員、島立(しまだち)小学校の児童で、町会長によると、男子49人、女子42人、合計91人ということだった。裸で参加するのは男子だけで、女子は、運動服姿で参加する。 |
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ふんどしの わらべのさんぱい てんのうさい |
Tennoh
festival, worship of the children wearing Fundoshi loincloth. |
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裸祭りは、毎年、7月第一日曜日に行われる。祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭の前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。 |
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祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。 |
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まちなかを のぼりできよむ はだかっこ |
Bare-chested children, purifying whole town with sacred flags. |
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裸祭りは、毎年、7月第一日曜日に行われる。祭前の日曜日、子供たちは、紙幟をつくり、褌を締める練習や神社境内の清掃、幟の建立、紙幟を差し立てる泥山(砂山)づくりなどの準備を行う。祭の前日の夜は、神社に角燈籠(かくとうろう)を掲げて参拝し、太鼓をたたいて宵祭を祝う。 |
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祭当日は、堀米公民館に集合し、六尺褌を締め、勢揃いして神社に赴き、拝礼して神社を三周したあと、親玉(6年生)が大幟、中玉(4〜5年生)が中幟、小玉(1〜3年生)が五色の紙幟を担ぎ、AコースとBコースの二手に別れて、先頭の親玉の「オンヤーサー」の掛け声に呼応して、中玉と小玉が一斉に「モンヤーサー」と叫びながら町内を巡行して厄払いを行う。 |
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あおたみち ほうさくきがんの ふどしっこ |
A path of
green fields, children of loincloth praying a good harvest. |
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子供たちは、町内巡視を終えて神社に戻ってくると、幟を収め、参拝のうえ禊場に飛び込んで禊を行う。その後公民館に戻り、シャワーを浴びて汗や泥を流してから更衣し、大広間で鍋物の食事会となる。食事の後、ご褒美の品をもらってお開きとなる。 |
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どろいけの みそぎたのしき むらまつり |
A village
festival, how pleasant the ablution in a muddy pond. |
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アッという間に |
泥池 |
と化した |
禊場 |
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16:34 |
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江ノ島天王祭 |
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江島神社 |
神奈川県藤沢市 |
平成20年(2008)7月13日(日) |
撮影・制作:和田義男 |
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平成20年(2008)7月13日(日)、梅雨の合間に、湘南・江ノ島の夏祭りとして知られる江島神社(えのしまじんじゃ)の末社・八坂神社(やさかじんじゃ)で例大祭(江ノ島天王祭)が開かれ、白褌一丁の男たちに担がれた裸神輿が湘南(しょうなん)の海を渡った。 |
裸弁財天(はだかべんざいてん)で有名な江島神社は、辺津宮(へつのみや)、中津宮(なかつのみや)、奥津宮(おくつのみや)の三社からなる神社で、その末社として八坂神社がある。天王祭は、八坂神社の祭礼である。辺津宮に田寸津比売命(たきつひめのみこと)、中津宮に市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)、奥津宮に多記理比売命(たぎりひめのみこと)の三女神が祀られている。 この祭神を宗像(むなかた)の三女神といい、福岡の宗像大社、広島の厳島神社と同じ祭神といわれている。 |
辺津宮の南にある弁天堂に妙音弁財天と八臂(はっぴ)弁財天が鎮座する。近江の竹生島(ちくぶじま)弁天、安芸の厳島(いつくしま)弁天と共に日本三大弁天に数えられる。裸弁財天で有名なのは妙音弁財天の方で、女性のシンボルまで彫られているから凄い。 |
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しゃんぎりの しゃくじょうのおと しままつり |
An island festival, sounds of tin sticks of Shangiri. |
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▼ 神事の後、神輿は狭い石段を下って海岸に降り、白褌に統一した裸男たちに担がれて、湘南の海に入っていった。神輿の沖合はウィンド・サーファーたちがカラフルなセールを抱えて波乗りに興じていた。沖合はヨットが行き交うマリンレジャー華やかな湘南の地で、いかにも日本的で古式ゆかしい伝統文化が披露された。 |
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その落差にとまどう人もいたに違いない。しかし、科学技術が進歩し、高度文明社会に生きる現代においても、伝統を守って行きたいと思う人々も健在である。 |
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ぐんじょうの うみにいりたる みこしかな |
A portable shrine goes in the deep blue sea. |
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うなさかに むかうみこしや しろふどし |
White fundoshi-loincloths, the
portable shrine going to the sea horizon. |
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▼ 神輿は更に沖に向かい、水面が胸から首に達するところまで進んだ。背の低い人は顔に水をかぶるようになり、アップアップしている。溺れているようにも見える。神輿の下部は水没したようである。 |
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なみのまに うきつしずみつ なつはらえ |
Summer purification, drifting up and down on the waves. |
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浮つ沈みつアップアップ! |
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▼ 歩行者天国の道路で、消火栓から引いた消防用のホースから勢いよく水が吹き出ていた。海水に浸かった神輿を真水で潮抜きするためである。裸の男たちは、恵みの雨とばかり、目を開けられないほどの強いシャワーを頭から浴びていた。 |
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いそのかの みこしをあらう めぐみあめ |
Mercy rain, washing a portable shrine of sea smell. |
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集中豪雨の洗礼! |
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全国から応援にやってきた裸祭りファンたちは、公園の水飲み場で潮抜きと砂抜きをして、帰り支度をしていた。特に、褌の前袋や地下足袋には砂が入り込んでおり、丁寧に砂出ししていた。 |
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右端の男性はみんなの前で褌を外して丸洗いしたあと、締め直していた。横褌(よこみつ)のあとが赤銅(しゃくどう)色の肌にクッキリと残されている。みんなの笑いを誘ったが、日本の裸文化はそれだけ開放的といえるだろう。 |
彼らは弁当をもらったあと、来年の再会を約して三々五々帰っていった。 |
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潮抜きと砂抜き |
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神奈川県藤沢市 江島神社天王祭 7月14日に近い日曜日 最新:2011年7月10日(日) |
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マリン・リゾートとして名高い湘南(しょうなん)江の島で毎年開かれる八坂神社例大祭(天王祭)は、白い水褌(すいこん)(前袋式六尺褌)一丁で海中神輿渡御が行われる裸祭で、「かながわの祭り50選」にも選ばれている。 |
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江の島の八坂神社天王祭は、午前中、島の氏子たちが列をなして里神楽・天王囃子の優雅な調べを奏でるなか、江島神社辺津宮(えのしまじんじゃ・へつみや)から宮出しされた神輿が参道を下り、弁天橋付近で褌一丁となった氏子や祭愛好者たちに担がれて海に入る。 |
裸の担ぎ手たちは、囃子船による天王囃子の調べにあわせ、浮きつ沈みつ揉み合い、勇壮な禊が行われる。その後一旦上陸し、午後から対岸の腰越(こしごえ)小動神社(こゆるぎじんじゃ)の神輿と龍口寺(りゅうこうじ)前から合同渡御に入り、ゆかりの小動神社まで渡御する。 |
天王祭は、湘南唯一の夏祭りとして有名で、ご神体を漁師が発見して祀ったことから、祭礼の神輿は漁師だけが担ぐことになっていた。白い水褌姿は、古き良き時代に褌一丁で漁をした漁師たちの姿を彷彿とさせる。現在は全国から集まる裸祭りファンの応援なしには催行できなくなっている。 江ノ島白褌神輿'11 |
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なみのまに うきつしずみつ なつはらえ |
Summer purification drifting up and down on the waves. |
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博多祇園山笠 |
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櫛田神社 |
福岡県福岡市 |
平成16年(2004)7月1日(木)〜15日(木) |
撮影・原作:ちばあきお 監修:和田義男 |
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平成16年(2004)7月1日(木)から15日(木)まで、福岡県福岡市で、博多の夏を告げる博多祇園山笠(はかたぎおんやまかさ)が開かれた。昭和54年(1979)に国から重要無形民族文化財の指定を受けたこの夏祭は、櫛田神社の祇園例大祭で、760年の歴史を持つ。 |
山笠(やまかさ 山・ヤマ)に熱中する男のことを「山のぼせ」又は「のぼせもん」という。7月上旬は、博多の町は山笠一色になり、山のぼせたちで町が熱く燃えあがる。好天に恵まれた2004年、水法被(みずはっぴ)に締め込み(褌)姿の博多っ子たちが街を駆け抜け、多くの観衆にロマンと感動を与えた。 |
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招き板を持って行進する奈良屋町二区 |
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▲▼ 7月10日は初めて舁き山笠(舁き山)を披露する流れ舁きの日である。午後4時から6時にかけ、流(ながれ)ごとにそれぞれの区域 |
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西流奈良屋町二区 |
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▲▼ 現在、七流(ななながれ)が保有する舁き山笠は、
6名の台上がりを含めて重量が約1トン。構造材は、桧、杉、桜、樫などで、込栓(こみせん)や八つ文字縄と呼ばれる独自の方法で組み立てられ、一本の釘も使わない。4本の脚があるが車輪はなく、地面と激しくぶつかる脚の先端には鋳物の胴沓(どうがね)が取り付けられている。 |
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山小屋に格納/恵比須流 |
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▲▼ 山台は毎年、組立・解体され、10年程使われる。長い歳月の中で、山大工による木組みの知恵と技術が結集されている。舁き棒の寿命は長く、80年以上も使われた棒もあったという。 |
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ビルの谷間を行進する土井流/山見せ |
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▲▼ 舁き山の高さは15尺(4.55m)。長さ20尺(5.45m)の舁き棒6本を26人で担ぎ、10人ほどが後押しする。招き板を持った子供たちが先走るなか、数百人の男衆が山の周りを走り、適宜交代しながら市内を走る。 |
各自締め込みに挟んでいる舁き縄は、山を担ぐときに舁き棒にまわし、この縄を掴んで担ぐためのもの。担ぐ位置が固定され、肩でしっかりと担ぐことができ、転びそうになっても身体を保持することができる。 |
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▲ 博多山笠の掛け声はオッショイ!お汐井とりと関係があるといわれるが、よく分からない。重い山笠を担いで走ると「オッショイ」が次第に詰まり、「オイッサ、オイッサ」になる。リズム良く気持ちがひとつになると山笠のスピードも増す。この掛け声は「日本の残したい音百選」にも選ばれている。 |
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記念撮影 |
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▲ 舁き手は「台上がり」「鼻どり」「前さばき」「さき走り」「あと押し」などの役割分担があり、手拭(てのごい)や襷(たすき)の色によって役職が識別される。最初は白手拭からスタートするが、年期と熟練を要する赤手拭(あかてのごい)から役付となるため、赤手拭は男たちの憧れの的(まと)である。手拭は首にかけておくが、出動するときは、捻り鉢巻(ねじりはちまき)にする。 |
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仲良し |
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▼ 山留めから清道を廻って境内を出るまでの距離は112m。時間にして30〜40秒こそが祭の中で最も迫力ある場面である。廻り止まで5kmを走るタイムよりも櫛田入りタイムの方が重視されるのは、一瞬に賭ける男たちの燃焼が感動を呼ぶからに違いない。 |
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櫛田入りする土居流 |
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ますらおや やませいどうを かけぬけり |
Brave men ran through the purified road with a yama on their shoulders. |
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大黒流の疾走! |
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▼ 7月15日未明、博多祇園山笠のフィナーレを飾る追い山(おいやま)が始まった。 沿道の観客は県内外から約90万人が集まり、出発数時間前には櫛田神社の周囲は足の踏み場もないほどの見物客でごった返した。 |
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午前1時過ぎ、山小屋を出発した各流の舁き山は、午前1時半頃から櫛田神社前の土居通りで縦列に並んで山列をつくり、
ちょうちんを持った舁き手たちで通りが埋まった。 |
東の空が白みかけるころ「5分前」「3分前」「1分前」のアナウンスによって山を舁く男衆や観衆の緊張が最高潮に達し、午前4時59分、太鼓櫓から「ドーン」と響く大太鼓の合図が打ち鳴らされるや、追い山がスタートした。 |
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やまをかく しゃくどういろの あかてのごい |
Sun-tanned akatenogoies carrying a yama on their shoulders. |
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▲▼ 太鼓の音と同時に山留め櫓の竹竿が跳ね上がり、一番山笠・西流が勢いよく飛び出して行った。神社正門の鳥居の前を走り抜け、大銀杏の手前で境内に入り、清道旗を右手に旋回し、宮司や市長らが居並ぶ能舞台の前で山を停止させ、一同鉢巻を外し、一番山笠にのみに許される祝い目出度が披露された。 |
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斉唱が終わると直ちに走り出し、5km先の博多区須崎町(すさきまち)にある廻り止を目指して、まだ明け切らぬ博多の町へと繰り出して行った。 |
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櫛田入りタイム 2004年の追い山の記録が出た。櫛田入りでは六番山笠・東流が「追い山馴らし」と「追い山」ともに1位だったのが断然光っている。短距離に必要な瞬発力・集中力の勝利である。 |
廻り止タイム スタートの山留めからゴールの廻り止までの5kmコースでは、一番山笠・西流が「追い山馴らし」と「追い山」ともに2位以下を大きく引き離して1位となった。西流の25分58秒は、平成6年(1994)に大黒流が出した29分27秒を大きく上回る新記録である。ちなみに3位までが新記録だったのは立派である。 |
過去を振り返ってみると、30分を切ったのは、平成6年(1994)の大黒流が初めてのことで、不滅の記録だった。西流の25分58秒は大記録であり、当分破られそうにない。(記録チェックは昭和30年(1955)以後のデータ) |
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櫛田入りタイム |
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廻り止タイム |
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1位 六番山笠 東流 30秒20
2位 二番山笠 千代流 30秒60
3位 五番山笠 大黒流 31秒24
4位 三番山笠 恵比須流 34秒45
5位 七番山笠 中洲流 34秒69
6位 一番山笠 西流 36秒82
7位 四番山笠 土居流 37秒00 |
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1位 一番山笠 西流 25分58秒
2位 五番山笠 大黒流 28分24秒
3位 二番山笠 千代流 28分50秒
4位 六番山笠 東流 29分46秒
5位 三番山笠 恵比須流 31分33秒
6位 四番山笠 土居流 32分16秒
7位 七番山笠 中洲流 34分04秒 |
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ざるやぶり神事 |
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八雲神社 |
三重県津市 |
平成20年(2008)7月15日(火) |
撮影・原作:市川 清 監修:和田義男 |
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約400年の伝統を受け継ぐ奇祭「ざるやぶり神事」は、三重県津市河芸町一色(つし・かわげちょう・いっしき)に鎮座する八雲神社(やくもじんじゃ)で毎年7月15日に行われる夏祭りで、豊漁と安全を祈願する裸祭りである。紅白の褌を締め分けた120人ほどの裸男たちが直径1mほどの笊(ざる)を奪い合う光景は勇壮で、町外からも多くの見物客が訪れる。 |
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境内で揉み合う褌衆 |
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クライマックスには、神前の「大ざる」がねりの中に投げ込まれ、激しい奪い合いとなる。その由来は、三井高次ら一族が紀州地方を転戦の末破れ一色海岸にたどり着き、空腹のあまり民家のざるにあった「よまし麦」を食べたところを家人に見つかり、ざるの奪い合いになったという故事にちなむものである。ひきちぎられたざるの竹の端を噛むと歯痛に効くといわれる。 |
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はだかの集団に降りかかる力水 |
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午後8時ころ、花火の合図とともに、「ワッショイ、ワッショイ」と気勢を上げながらスクラムを組んで境内を駆け回る120人余の褌衆は、バケツの力水を浴びながら威勢良くぶつかり合い、揉み合った。 |
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ずぶ濡れになったはだか衆 |
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▼ やがて、ずぶ濡れの裸の集団に大笊(おおざる)が投げ込まれると、男たちが我先に群がり、なだれを打つように奪い合う光景が見られ、祭りは最高潮に達した。ザルは間もなくバラバラになり、見物客たちも破片を拾い集め、大事そうに持ち帰った。 |
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なつのよや ふんどししめて ざるやぶり |
Summer night, a scramble for
a bamboo colander wearing fundoshi sash. |
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ざるの奪い合い! |
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赤褌神輿 |
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那古野神社 |
愛知県名古屋市 |
平成24年(2012)7月16日(月) |
撮影・原作:宮嶋 茂 監修:和田義男 |
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平成24年(2012)7月16日(月)海の日、愛知県名古屋市に鎮座する那古野(なごや)神社(宮地俊彦宮司)で例大祭(天王祭)が開催された。 |
名古屋城天守閣の南方約1.2kmの名古屋市中区丸の内に鎮座する那古野神社は、醍醐天皇の御代、延喜11年(911)に那古野庄(なごのしょう)(名古屋城三の丸付近)に創建され、平成23年(2011)に御鎮座1100年祭を祝った。津島牛頭天王社(つしま・ごずてんのうしゃ
現在の津島神社)を総本社とする天王社の一つで、当初は亀尾天王社(かめのお・てんのうしゃ)と呼ばれていた。 |
明治維新の際、須佐之男神社(すさのおじんじゃ)と改称し、明治9年(1876)名古屋鎮台が城内に置かれたため東照宮と共に旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座し、明治32年(1899)に那古野神社と改称した。先の大戦中には空襲により社殿が全焼。昭和29年(1954)から復興にとりかかり、昭和34年(1959)に現在の社殿が完成した。 |
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りょくいんの あかふんみこし しろせんす |
A white folding fan, the
portable shrine of red loincloth in the shade of green trees. |
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かつては旧暦の6月15・16日が祭礼日(現在は新暦7月15・16日)で、江戸時代には「三之丸天王祭」と呼ばれ、東照宮祭、若宮祭と共に名古屋三大祭のひとつとして、二輛の車楽(だんじり)と多くの見舞車が巡行して大いに賑わったという。 |
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例大祭(天王祭)に神輿が参加するようになったのは、明治25年(1892)からで、当時は大神輿2トン(1基60人)、中神輿1.5トン(2基各50人)の3基の宮神輿があった。乱暴に練り歩いたため、暴れ神輿と呼ばれ、名を馳せていたという。 |
那古野神社から若宮八幡社へ渡御するのは、昔は名古屋城の中で一緒にあったものが、現在位置に離れ離れになったため、渡御が行われることになった。 |
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あかふんの てんのうさいや みこしさし |
Tenno-sai Festival of red loincloth,
raising the portable shrine. |
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先の戦災で焼けたため、現在の大神輿1.5トン(90人)は昭和33年(1958)に建造され、社殿の復興と共に神輿渡御が再開された。中神輿0.8トン(40人)は、そのとき総本社の津島神社(愛知県津島市)から移管したもので、現在、大中2基の宮神輿により御旅所の若宮八幡社まで片道約2kmの道を日帰りで渡御と還御を行っている。 |
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大中2基の宮神輿は、寄棟造の江戸型神輿と違って、いづれも神明造(しんめいづくり)の神殿(本殿)を模した神明造神輿で、神紋の金の木瓜紋(ぼけもん)が描かれた赤い布で覆われている。 |
斎館の控室で祭装束に着替えて出て来た担ぎ手たちは、全員赤褌(あかふん)を締めている。祭事の衣装は白が原則なので、宮地宮司に尋ねたところ、赤い褌は、魔除(まよけ)の意味で締めているとのこと。赤褌に那古野神社祭礼奉仕会の青法被を着ているのは、神輿の指揮に当たる役員たちで、実質的に采配するのは二番永田組。 |
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おたびしょの あかふんみこし たかだかと |
The portable shrine of red loincloth,
raising high at destination. |
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大都市の空洞化現象は東京だけでなく名古屋も例外ではなく、宮地俊彦宮司によると、地元の氏子だけでは神輿があがらず、部外者の力を借りているという。 |
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部外から参加する場合は、準備の都合上事前予約制となっている。担ぎ手の参加料は無料で、拝殿右隣りの斎館ロビーの受付係で名簿確認を受けると、茶法被・赤褌・鉢巻・白地下足袋・団扇が入ったビニール袋が手渡される。更衣室は斎館の奥にある。 |
ビニール袋をもらったあと、ガーゼに朱印を押した参加章を手首に巻いてくれる。これはもぐりで参加する人がいるためで、保安管理上必要なことであろう。祭が終わったあと、参加章と引き替えに絵馬がもらえる。 |
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なつまつり びるのたにまの あかふどし |
Summer festival, red
loincloth in the valley between tall buildings. |
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●傑作アニメーション●
拡大写真:ビルの谷間の赤褌神輿/壱(桜通本町交差点) |
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拡大写真(2000X1800)906KB |
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津屋崎祗園山笠 |
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波折神社 |
福岡県福津市 |
平成22年(2010)7月18日(日) |
撮影・原作:曽根由香 監修:和田義男 |
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平成22年(2010)7月18日(日)、福岡県福津市(ふくつし)津屋崎(つやざき)に鎮座する波折神社(
なみおり・じんじゃ)で祇園山笠(ぎおんやまかさ)の追い山(おいやま)が開かれた。 |
津屋崎祇園山笠は、正徳4年(1714)に櫛田神社(博多)から波折神社(津屋崎)に祇園社の神を勧請(かんじょう)して3基の山笠を奉納し、疫病、災害の退散を祈願したことに始まる。山笠は、漁業中心の北流(きたながれ)、商業中心の新町流(しんまちながれ)、農業中心の岡流(おかながれ)の3つの流れがある。 |
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りょくいんの あかてのごいや ふどししゅう |
The shade of trees, the guys each wearing a string loincloth and
a red towel band. |
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拡大写真(2598X1728)1.20MB |
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▼ 午前9時前、祇園山笠最大の見せ場である追い山が始まり、一番山笠から順に波折神社を出発。
男たちは、オイッサ!オイッサ!の掛け声とともに、津屋崎交番付近を到着点とするコースを全力疾走した。 |
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やまかさや せいどううみに いっちょくせん |
Yamakasa festival, the sacred road straight towards the sea. |
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清道 |
を疾走する三番山笠・ |
岡流 |
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拡大写真(2000X1400)673KB |
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▼ 追い山が終わると、その余勢を駆って氏子町内を練り歩く流れ舁(ながれかき)が行われた。男たちは、勢い水で濡れ鼠状態になりながら、道ばたで見守る大勢の観衆に晴れ姿を披露していた。 |
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拡大写真(2000X1333)519KB |
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猪鼻の甘酒こぼし |
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猪鼻熊野神社 |
埼玉県秩父市 |
平成23年(2011)
7月24日(第四日曜日) |
撮影:和田義男 |
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平成23年(2011)7月24日(日)、埼玉県秩父市荒川白久に鎮座する猪鼻熊野神社で、埼玉県無形民俗文化財に指定されている「猪鼻の甘酒こぼし」が開かれた。 |
天平8年(736)以来今日まで約1300年にわたって「甘酒こぼし」を継承してきた奥秩父の猪鼻地区では、過疎化高齢化が進み、かつて70軒あった村落が39軒にまで減少し、もはや地元の勢力だけでは祭の催行が難しくなっている。 |
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かむにわに つどうむらびと なつまつり |
The summer
festival, villagers gathering at the garden of deities of
Shinto. |
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578km2に7万人が暮らす秩父市は、埼玉県北西部の秩父地方(秩父盆地)に位置し、埼玉県内で最も広い自治
体である。市域のほとんどが秩父多摩甲斐国立公園や武甲・西秩父埼玉県立自然公園に指定されている。 |
★☆★彡 |
保存会の資料によると、「景行天皇(西暦71-130年)の第三皇子である倭建命(やまとたけるのみこと)が東夷(とうい)(東方のえびす、えぞ)平定のおり、甲斐の国(山梨県)から雁坂峠を越えて三峯(みつみね)に登り、下山の途中、この地で人々を苦しめていた大きな猪(いのしし)を退治した。 |
実はこの猪は山賊の頭で、仲間たちもみんな巨岩に押し倒されて死んでしまった。この巨岩が猪の鼻にそっくりだったので、この土地を「イノハナ」と呼ぶようになった。 |
現在は、毎年七月第四日曜日の午後一時、無病安全豊作などの祈願をし、土地の人が造った甘酒を熊野神社にお供えし、参詣の人々や氏子たちが飲んでから、子供から老人までが、ふんどしひとつで賑やかに甘酒を頭からかけ合う「甘酒こぼし」をしている。」(埼玉県秩父市荒川白久猪鼻
熊野神社社務所 甘酒こぼし保存会) |
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すいらんの あまざけこぼし しろふどし |
Green
mountain, white loincloth of amazake scattering festival. |
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編集子の選ぶ傑作 |
名作シーン(アニメーション)
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パノラマ写真(3000X1600)1.44MB |
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編集子の選ぶ傑作 |
盛り上がる甘酒掛けくらべ 2013.7.28
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拡大写真(2400X2100)1.36MB |
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大和田の荒神輿 |
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大和田氷川神社 |
埼玉県新座市 |
平成20年(2008)7月26日(土) |
撮影・制作:和田義男 |
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