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 旅紀行日本の裸祭り

2018年3月18日改訂

今 日

昨 日

♪海のアラベスク 水の宮・和風BGM

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垢離取や背骨を穿つ寒の水

   北舟

2006年1月20日制作

溢れる氷水
寒中水浴大会(鐵砲洲稲荷神社/東京都中央区湊一丁目)
 
鐵砲洲稲荷神社神紋   鐵砲洲稲荷神社   鐵砲洲稲荷神社神紋

続寒中水浴大会

横 顔

水浴'05 '0 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 '18 '20
氷柱 鳥船 寒禊 横顔 直会 和田義男
 
 前宮司の 愛弟子まなでし
 真っ先に最前列で垢離を取ったのは、地元新富にお住いの平野五雄さん。昭和22年(1947年)生まれ58歳の団塊の世代である。15年ほど前、身体の調子が悪かったとき、中川正光・前宮司から褌を手渡され、禊をするようにいわれた。
 それまで褌を締めたこともなかったので驚いたが、宮司の人柄に惹かれ、それ以来ずっと教えられるままにやってきた。そのお陰で健康を取り戻し、仕事も順調だという。

二度目の水浴をする平野さん(右)

二度目の水浴をする平野さん(右)

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網走川あばしりがわ みそぎ
 宮司は、毎年2月11日の建国記念の日に北海道庁の招きで式典に参加されていたが、15年ほど前からその前日に網走市の網走川で禊を行うようになったので平野さんも同行し、高齢の宮司の補助役をつとめてきた。
 川岸の気温は氷点下六度。掛け声を上げながら舟をこぐポーズに似た入念な準備体操の後、薄氷が流れる川の水に胸の位置まで浸かり、七分間、手を合わせ続けた。身を切るような水の冷たさで、肌がピンク色に染まった ・・・ (北海道新聞の記事より抜粋)

前宮司と網走川で寒中水浴する平野さん

網走川の寒中水浴

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提供:弥生会 撮影:多田裕美子

  垢離取や背骨を穿つ寒の水   北舟    
 

 網走川の禊は、アッツ島の玉砕者など北方戦線で亡くなられた方々の慰霊のためという。南方では遺骨収集団が派遣されているのに、北方では未だに野辺に放置されたままであることを不憫(ふびん)に思った宮司は、毎年、真冬の凍るような網走川に身を投じて禊をし、北の寒冷地で故国のために命を捧げた人々を弔ってこられた。

 ある年の禊にアッツ島の生還者数人が見学に来たことがあり、網走川の光景を見て、みな感涙したという。

祈 り

祈 り

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提供:弥生会 撮影:多田裕美子

 

血が滲むような努力

 網走川の禊は、寒いというより、痛い。皮膚感覚がなくなる。禊からあがると体毛がツララ状態になる。直ぐに拭くと、ジャリッという音がして、毛が根本から折れて毛穴から血が滲む。
 宮司から「血が滲むような努力という言葉があるが、それを体現できて幸せだろう」といわれた。それ以来、室内に入り、つららが溶けたところで身体を拭くようにしたという。

水浴後の鳥船

水浴後の鳥船

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 最長老の 行者ぎょうじゃ
 石川県金沢市にお住まいの奥村次郎さんは、昭和10年(1935)5月生まれで、70歳の最長老。今年で何回目かはっきりしないが、15回は参加しているとのこと。

平野さんと並んで垢離を取る最長老の奥村さん(左)

平野さんと並んで垢離を取る最長老の奥村さん(左)

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   以前から水行に関心があった奥村さんは、毎年地元妙成寺の元旦水行を初詣を兼ねて見物に行っていたが、15年ほど前、ある本で鉄砲洲稲荷神社のことを知り、仕事で上京したとき、神社を探し当て、去年亡くなられた中川正光・前宮司と面談することができた。

石浦神社・初禊 / 石川県金沢市 2006.1.1 02:00

石浦神社

気合いを入れる奥村さん(左)

石浦神社 石浦神社初禊2

奥村さんは兼六園のすぐ隣の石浦神社で元日の午前2時から氏子約30人の初禊に参加したあと、鐵砲洲に参加する。

鳥船でウォーミングアップ(中央)

冷水で初禊の奥村さん

鳥船でウォーミングアップ(中央) 初禊の奥村さん

写真提供:奥村次郎さん

   その時、前宮司が石川県大聖寺の出身と聞いて親しみを感じ、思想にも共鳴し、それから後は上京の度に八丁堀に宿を取り、毎日朝6時半から行われる水行に参加してきた。
 平野五雄さんという大変熱心な印刷会社の社長さんと知り合い、今でも上京したら平野さんを誘って朝6時半の水行をしている。鐵砲洲の初禊は朝の水行の延長線上にあるという。

水浴後の鳥船を行う奥村さん

水浴後の鳥船を行う奥村さん

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網走川の禊

 奥村さんは、前宮司や平野さんといっしょに2月10日の北海道網走川の水行にも5回ほど参加したことがある。最近は体力の限界を感じて行かなくなっていた。平野さんは昨年5月前宮司が97歳で亡くなる前年までずっと網走川に同行しており、とても敬服しているという。

網走川の禊

右から中川正光・前宮司、奥村さん、平野さん。手前は北海道の宮司
 

網走川の畔に立つ奥村さん

網走川の禊   網走川の禊(畔に立つ)
   

写真提供:奥村次郎さん

   現在、鐵砲洲以外で必ず参加するのは石浦神社の元旦水行。時々参加するのは福井市和田八幡宮の1月末の水行大会。2年ほど前までは、毎月1回、能登の井田不動滝に打たれに行っていたが、最近は歳を考えて止めてしまったという。

水浴後も元気な奥村さん

水浴後も元気な奥村さん

 
 着物と共にある人生
 去年、筆者を鐵砲洲に誘ってくれた人が浦安市にお住いの三木芳樹さん58歳。私と同い年の団塊の世代である。仲間からミッキーさんと呼ばれる彼の日常は、大手旅行会社のシステム開発を手がける部長さんで、浦安から東京の浜松町に通勤する普通のサラリーマンである。

水浴前に鳥船を行う三木さん(右)

水浴前に鳥船を行う三木さん(右)

   しかし、休日には颯爽と着物姿に変身し、岡山の西大寺会陽や江ノ島神輿錬成会、江ノ島天王祭などの裸祭りに参加する日本人の中の日本人に変身する。

合掌して水浴する三木さん(右)

合掌して水浴する三木さん(右)

  寒の垢離つつがなき世を祈りつつ    北舟    
   今年で6度目の参加となる鐵砲洲の寒中水浴は、インターネットを通じて知り合った褌愛好者の新年オフ会で奥村次郎さんに誘われて翌日の水浴大会に参加したのがきっかけという。

着物姿の三木さん/皇居東御苑天守閣跡

着物姿の三木さん/皇居東御苑天守閣跡

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着物が取り持つ縁

 あれやこれやのつながりは、もとをただせば着物がとりもつ人の輪がきっかけで、着物を着て出歩くのも10年来のこと。普段は、奥さんと共に着物を着て都内の公園、社寺仏閣、美術館などを散策しているという。褌は着物の下着として必要なものであり、着物を着るようになって以来、こだわりを持つようになったという。
 写真上は、お気に入りの立付袴(たっつけばかま)姿の三木さん。この袴は大相撲の呼び出しや祭りの手古舞たちが履く袴としで知られているが、とても行動的だという。深川の富永さんという江東区無形文化財保持者の仕立屋さんに縫ってもらった自慢の逸品である。三木さんは、江戸時代に生まれてくれば良かったのかも知れない。

江ノ島八坂神社天王祭 2004.7.11  江ノ島天王祭

ウインド・サーフィンと裸神輿
 

気合いの汗!(前から3人目が三木さん)

ウインド・サーフィンと裸神輿   気合いの汗!(前から3人目が三木さん)

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裸祭りに熱中

 三木さんのお気に入りは褌をキリリと締めて神輿を担ぐこと。神輿を始めたのは1999年の三社祭が最初で、internetで入会した着物同好会のオフ会で知り合った浅草の呉服屋さんが袢纏(はんてん)を貸してくれたのがきっかけ。まさに五十の手習いである。
 昨年は冬の江ノ島寒中神輿と夏の江ノ島天王祭を含め24回担いだという。毎年2月中旬に開かれる西大寺会陽は、2000年から参加しており、今年5回目の参加を準備中という。

江ノ島寒中神輿錬成会 藤沢市片瀬海岸東浜 2006.1.15

江ノ島をバックに海に繰り出した4基の裸神輿

江ノ島をバックに海に繰り出した4基の裸神輿

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三木さんの日常

 とにかく体をまめに動かして、明るく振る舞うことを心がけている。通勤時や会社では極力エレベータを使わず階段を駆け上がり、元気な小父さんをアピール。土日を含め週3回フィットネス倶楽部に通い、エアロバイク(固定式自転車)を20分、マシントレーニングを30分、エアロビクスを60分、サウナに20分というスケジュールをこなす。
 特にエアロビクスはインストラクターの一番近くで大きな掛け声を出しているので、スポーツクラブの中では結構有名な親父だという。

仲間との楽しい語らい(中央) / 江ノ島寒中神輿錬成会 2006.1.15

仲間との楽しい語らい(中央)

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 率先垂範の幹事長
 今年、弥生会が正式に水浴に参加したが、その先頭に立つのが初代幹事長を務める石川辰夫さん。弥生会発足から現在まで17ヵ町のツワモノ幹事70名を束ねる壮年リーダーである。昭和27年、地元湊一丁目に生まれ、昨年まで銀座でBARを経営。結婚披露宴、イベントの司会も20年以上プロとしてやっているという。
 寒中水浴は子供の頃からよく見ていたそうで、凄いなと思っていた。参加は昨年からで、初めて入ったときは1分で気が遠くなりかけた。水が刺さって本当に痛かった。飛び出したかったが、ここで出たら恥ずかしくてもう町を歩けないと思って踏ん張ったという。
 「もともと、地元の我々が大勢参加すればいいなと思っていました。参加者と境内の警備を含めて、これからは、もっと多くの氏子の皆さんが参加することと思います。それこそ、前宮司が目指したものでしょう。今年から確実に変わったと思いますが、参加者が水浴することの意義を明確にし、この大会が神事として続けられるようにしていきたいと思います。」と抱負を述べてくれた。これからの活躍が楽しみな好男子である。

率先垂範、参加二回目の石川さん

率先垂範、参加二回目の石川さん(横顔) 率先垂範、参加二回目の石川さん(正面)

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 紅一点のスポーツウーマン
 白衣の女性は、地元・湊にお住いの柴田さん58歳。33歳と31歳の2人のお子さんは既に独立され、ご夫婦の二人暮らし。週4回ほど近くのフィットネスクラブに通い、水泳などをして身体を鍛えているという。

本殿に向かって祈る人たち

本殿に向かって祈る人たち

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   水泳は30年近く続けているベテランで、1回に1000mほど泳ぐという。毎朝ラジオ体操とジョギングを欠かさない。町会で広報の仕事をしており、広報部長の石川さんから勧められたのがきっかけで昨年初めて参加し、気持ちが良かったので今年も参加したというから頼もしい。これからも是非参加記録を伸ばして頂きたい。

紅一点で頑張る柴田さん

紅一点で頑張る柴田さん

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氷柱 鳥船 寒禊 横顔 直会 和田義男
水浴'05 '0 '07 '08 '09 '10 '11 '12 '13 '14 '15 '16 '17 '18 '20
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