|
|
|
|
飛び込み |
|
第2ラウンドの禊も徐々にリラックスし、水槽に飛び込んだり押し合ったりと、パフォーマンスも多彩となってきた。 |
|
|
|
|
|
拡大写真(1200X900)237KB
|
|
|
|
|
|
|
カメラの放列 |
|
第1ラウンドの禊は変化に乏しかったので、アマチュア・カメラマンたちが力作を撮ろうとどっと押し寄せた。立入禁止ラインが設定されていないので、このようなカメラの放列となった。 |
|
|
|
|
|
拡大写真(1024X920)226KB
|
|
|
|
|
|
|
アマチュア・カメラマンの注文に応じていた若者達も寒さには勝てそうにもなく、第2ラウンドは10分ほどで終了。男たちは記念写真を撮った後、水槽を後にした。 |
|
|
|
|
|
記念写真 |
|
拡大写真(1200X900)182KB
|
|
|
|
|
着物を抱えて銭湯へ |
|
|
|
|
|
|
|
参加者たちは、着物をかかえ、裸のままで公道を歩き、近くの銭湯に入って暖を取った。褌一丁で歩くことができるのは東京下町ならではの光景で、銭湯もこの日は禊にあわせて店を開けているという。 |
|
|
|
|
|
銭湯「湊湯」に入る |
|
拡大写真(1200x900)251KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
銭湯は湊湯(みなとゆ)といい、近代的なビルの1階にある。中を覗くとこれまでの銭湯と変わるところはなかった。 |
*湯屋: 江戸時代初期は風呂屋と呼ばれる蒸し風呂で、脱衣所と風呂場の間は板壁で仕切られ、わずかに開いた「ざくろ口」と呼ばれる入口から這うように出入りした。男女混浴で、男は風呂褌、女は腰巻をつけて入った。 |
頭に手ぬぐいをのせ、全裸でお湯に浸かるようになったのは、江戸時代中期に入ってからで、江戸では湯屋(ゆやでなくゆうや)と呼び風呂屋と区別した。湯屋が現在の銭湯である。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
直 会 |
|
社務所二階の控えの間で、昼食会が開かれた。ボランティアの奥様たちの接待で、銀座から取り寄せた折詰寿司に暖かいお茶とワカメの味噌汁が配られた。私のような飛び入りもいて、数の把握にご苦労をおかけした。 |
|
|
|
|
|
|
熱いお茶とワカメの味噌汁 |
|
拡大写真(1200x740)170KB |
|
|
|
|
|
|
江戸前の昼食会 |
|
参加者たちは、折詰寿司に舌鼓を打ちながら歓談し、新年を祝った。最初から最後まで酒類は一切なく、清潔で健康的な行事だった。男たちは来年の再会を約して、12時半頃お開きとなった。 |
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1200x740)227KB |
|
|
|
|
|
|
撮影 2005年1月9日
OLYMPUS
E-1 11-22mm
E-300 14-54mm
500万画素 480枚 560MB
800万画素 230枚 360MB
|
|
|
このたび、半世紀もの歴史ある寒垢離の一部始終を記録することができた。 |
|
私のホームページを見てメールを出して頂いたのがきっかけでメル友になったmickiyさんからお誘いを受けたお陰である。 |
|
|
|
今年で5度目の禊となるmickiyさんが私を中川宮司に紹介し、参加者の了解をとっていただいたお陰で、控えの間も撮影できた。 |
|
月爺さんからは先代宮司の写真をお送りいただき、ひと味違った作品が生まれた。人の輪の広がりの有り難さを痛感する。 |
|
|
|
|
日本人をしている人たち |
直会では私も寿司をいただき歓談したが、これまであちこちの裸祭りに参加している常連が沢山いて、私も何人も顔を覚えている。名も知れぬ彼らから私のホームページを楽しみに見ているといわれたときは嬉しかった。 |
私と同じ団塊の世代のmickiyさんの日常は、大手旅行会社のシステム開発を手がける部長さんで、千葉県から東京に通勤されている普通のサラリーマンである。しかし、休日には颯爽と和服に変身し、岡山の西大寺会陽や江ノ島神輿錬成会、江ノ島天王祭などの裸祭りに参加されている。 |
金沢から来られた先生と呼ばれる O さんは、元金沢大学医学部の博士で、兼六園のすぐ隣の石浦神社で元日の午前2時から氏子30人ほどが水を被る初禊に参加され、鉄砲洲稲荷には前日上京して参加されたという。 |
★★★ |
世界中を見回しても、褌を締めて神輿を担いだり、寒い冬に沐浴するのは日本人だけである。はたから見ると理解できない彼らの行動をよく考えてみると、彼らこそ本当に日本人をしている人たちなのだと思う。 |
我々日本のサラリーマンの日常は、完全に西洋化された社会の中にある。ここに集う人たちは、自分たちのアイデンティティ(日本人らしさ)を発見し、休日には会社から離れ、非日常の伝統文化に身を置くことで己を知り、人生を謳歌しているのである。私は彼らの生き方に感心し、共感を覚えた。〈 完 〉 |
|
謝 辞 |
寒中水浴大会の取材にあたりましては、鐵砲洲稲荷神社中川宮司様・弥生会の皆様はじめ関係者の方々に大変お世話になりました。特に、弥生会の星宏幸さんからは、神社例祭のビデオやDVDのほか、二度にわたり貴重な秘蔵写真を提供して頂きました。この場をお借りして、心より御礼申し上げます。今後の鐵砲洲稲荷神社のご発展と弥生会はじめ皆様方の益々のご活躍とご多幸を祈念しております。有り難うございました。〈 合掌 〉 |
弔 辞 |
中川正光名誉宮司が2005年5月3日に97歳で天寿を全うされたとお聞きしたとき、来るべきときが来たという悲しい思いととともに、お会いできないまま旅立たれたことを大変残念に思いました。「鐵砲洲稲荷神社寒中水浴大会」という作品をホームページに発表し、「宮司」という頁でお元気なときのお姿をご紹介することとなったのは、神様のお導きによる有り難いご縁ではなかったかと思われます。 |
神となられた中川正光様のご冥福を心からお祈り申し上げますとともに、お元気なお姿が躍動する「宮司」の頁は、今なお多くの人々に元気を与えていただける有り難い頁として、当分の間、このまま掲載させていただきたいと思います。鐵砲洲稲荷神社の皆様にはどうかよろしくお願い申し上げます。有り難うございました。〈 合掌 〉 |
|
|
|
|