|
|
|
|
|
平成13年(2001)秋〜平成15年(2003) |
|
|
38句 累計:58 |
|
|
【凡例】 ▲:上の画像の説明文 ▼:下の画像の説明文 〈画像の左クリック〉:別窓に拡大写真を表示
タイトル「例:小松神社裸参り」をクリック:別窓に作品「例:小松神社裸参り」を表示 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
北舟の日記 |
|
|
|
|
2002年8月11日(日)/神戸 暑い夏が続いている。昨日は夏休みの帰省ラッシュのピークを迎えた。お陰様で、Wa☆Daフォトギャラリーも無事に二周年を迎え、毎月一万件のアクセスをいただけるサイトに成長した。 |
一周年記念として始めた俳句「海の風景」も未だに続いており、遂に百句を超えてしまった。読み返してみると、駄作もあるが、なかなか良い句だと自慢したくなるような作品もある。 |
|
|
|
徒然日記を書くごとに折々の俳句を挿入し、それを俳句「海の風景」に写し、英訳と解説文を加えてきた。この作業もかなり大変だが、何とか続けてきた。俳句は本来のフォトギャラリーとは必然性のないコンテンツではある。しかし、映像と17文字の言葉の違いこそあれ、情景を写し取ることには違いがない。むしろ情報過多の映像より、シンプルな文字の方が味わい深いこともあるのではないだろうか。 |
|
|
私の拙句をそれなりに楽しみにして下さる読者もおられるようで、励ましのmailをいただくと、止められなくなる。写真の方も風景写真から始まって祭りや花の写真まで手を広げてビッグサイトになってしまったが、今更引き返すこともできない。これからも情熱と体力の続く限り、現在のコンセプトで進んでいきたい。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
裸祭りの嚆矢 |
|
平成13年(2001)10月8日(月)の休日、家内と二人で兵庫県姫路市飾磨区須加に鎮座する浜の宮天満宮で開かれた秋季例大祭の宵宮に行った。平成13年(2001)10月20日に発表したこの作品は、裸祭りにカメラを向けた嚆矢(こうし)であり、そのロマンと感動に触発されて、以後、取材を重ね、日本一の裸祭りシリーズへと発展した。その記念として、10月15日(月)に取材した「灘のけんか祭り」と共に、筆者の顔写真を埋め込んでいる。 |
|
|
|
|
|
|
ふんどしを締めて燃え立つ秋祭 |
loincloth brings you energy for the autumn festival. |
|
|
兵庫県南西部、播磨灘に臨む肥沃な平野は、播州平野と呼ばれる。その中心部に位置する姫路市の海岸一帯では、10月の祭り月になると、祭り一色で盛り上がる。 |
1年をこの日のために暮らしていると思われるほど、人々は血湧き肉踊る秋祭りに熱中する。「祭一色播州の秋」というポスターが沿線の駅構内に張られている。姫路市内だけでも約30の神社で秋祭りが執り行われ、10月は祭りで明け暮れる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1600x1200)266KB |
天満宮を目指す練り子たち(港・中細江・南細江) |
|
|
|
|
|
|
|
灘のけんか祭り |
|
松原八幡神社 |
兵庫県姫路市 |
平成13年(2001)10月15日(月) |
|
|
|
|
|
「ヨーイヤサー」の勇ましいかけ声と太鼓の音が抜けるような秋晴れの空に吸い込まれていく。上気した赤い肌に白い祭りまわしをキリリと締め込んだ男たち。神輿がぶつかり屋台が揺れる。21世紀最初の平成13年(2001)10月15日(月)、兵庫県姫路市において、「灘(なだ)のけんか祭り」と呼ばれる松原八幡神社秋季例祭の本宮(ほんみや)が開かれ、15万人の大観衆が裸の男たちの熱い祭典を見守った。 |
★☆★彡 |
灘祭りとも呼ばれる灘のけんか祭りは、神輿を荒々しくぶつけ合う特異な神事のため、天下の奇祭だとか、全国の数あるけんか祭りの中で最大規模の祭りだといわれ、戦前から播州播磨を代表する祭りとして知られてきた。 |
応仁元年(1467)から始まった応仁の乱で松原八幡神社が焼失した際、領主・赤松正則は、社殿の再建に尽力し、その竣工祭に米200俵を寄進した。喜んだ氏子たちが木組みに米俵を積み上げて御旅山へ担ぎ上げたのが祭りの始まりだといわれている。 |
播州の男はふどし秋祭 |
Men
of Bansyu each wearing
a loincloth for autumn festivals. |
|
松原八幡神社の秋祭りは、神輿同士がお互いに激しくぶつけ合う「神輿合わせ」で全国的に有名となった。そのさまが喧嘩をしているように見えることから、灘のけんか祭りと呼ばれるようになった。 |
激しく神輿をぶつけ合うのは、神功皇后(じんぐうこうごう)の三韓出兵の際、風待ちのために白浜の沖で停泊していた軍船が、波に揺られてぶつかり合う様子を表したものだという。また、これらの軍船に付着したゴイナ(牡蠣 かき)を削ぎ落とそうとする様子を表したものだともいわれている。いずれにせよ、神と人とが一体となり、五穀豊穣を願って行われる極めて特異な神事である。 |
|
|
|
|
|
|
|
拡大写真(1400x1050)335KB |
|
|
|
|
|
|
|
▲ 最初の練り合わせで、大変な事故が起こった。何万人という大観衆の見守る前で、神輿同士がぶつかった瞬間、神輿に乗っていた57歳の白装束の男性が転落した。 |
|
|
秋日照る喧嘩祭に燃え尽きぬ |
|
|
Autumn
sun shining on the Kenka festival, a
man has breathed his last.
|
|
|
その直後、重さ350kgの神輿が倒れ、下敷きになった。直ぐに救出され、病院に運ばれたが、翌日の新聞で、心臓破裂で死亡したことが報じられた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
▲▼ 神輿合わせを終えた3台の神輿が御旅山の坂道を上っていくと、いよいよ6台の豪華な屋台が次々に練り場に登場し、祭りは最高潮に達した。灘祭りの屋台は、豪華で大きい。4人の乗り子を乗せた重さ2トンの大屋台を支える練り子は、100人を超える。妻鹿(めが)に至っては600人という大勢力を誇る。 |
|
|
|
|
「死ぬまでに一度は見て欲しい。」と地元の人は言う。イタリア旅行で知った「ナポリを見て死ね」という諺が脳裏を横切る。死亡事故は名誉の戦死で、祭りは平然と続けられる。地元民の灘のけんか祭りへの思いはそれほどまでに強く、ロマンあふれるものがある。 |
灘のけんか祭りを頂点とした播州の秋祭りは、昔からの伝統をかたくなに守り、世紀を超えても変わらない。地域の和。支える人々の心意気。ふる里への強い思い入れ...。播州から発せられるこの祭りの強烈なメッセージは、これからも人々の熱い思いを蘇らせてくれることだろう。 |
|
|
秋高く翳す屋台や灘祭 |
Nada festival, people holding a wagon
to the high sky of autumn.
|
|
|
|
私は、家内と二人で、二階席から「灘のけんか祭り」を見て、今まで眠っていたDNAが目覚めたのか、これから先、日本古来から変質することなく続けられてきた日本の裸祭りを激写し、ホームページに発表していこうと決意した。Wa☆Daフォトギャラリー10周年の節目まで、裸祭りシリーズ108作を発表し、日本一のサイトになり得たのは、このときの感動が引き金になっており、「灘のけんか祭り」は、私の裸祭りに取り組む原点となった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
銀閣寺苔むす庭の秋日影 |
A moss-covered garden
of Ginkaku temple
lies in the autumn shade.
|
まだ紅葉には早い10月の京都。神戸のJR三宮駅から新快速で50分で京都駅に着く。片道1,050円。日帰りで十分に往復できるのが有り難い。 |
東山の山裾にひっそりと立つ銀閣寺。見学者が耐えないが、池を中心とした庭園を一回りするには、山を登って行かねばならず予想外に歩き回る。 |
京都府京都市 平成13年(2001)11月7日(水) |
|
|
|
|
苔寺に行かなくても、銀閣寺の庭園は、至る所、苔で覆われている。緑の絨毯のようである。日も傾き、木々の間から柔らかい秋の光が優しく青苔を照らしていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
東山巡りて惜しむ古都の秋
|
Enjoy
autumn
of the ancient capital,
wandering Higashiyama.
|
今年の秋は、急激に深まり、駆け足で走り去ろうとしている。今、京都の紅葉が素晴らしい。清水寺や銀閣寺など、東山界隈は、写真の宝庫である。今週は大原に出かけた。寂光院や三千院など、山奥の紅葉は今が盛りだった。 |
京都府京都市 平成13年(2001)11月18日(日)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
古寺の枯山水や秋気満つ |
Fresh autumn breeze
over the rock garden
of the old temple.
|
大雲山龍安寺(りょうあんじ)は、臨済宗妙心寺派に属する禅苑の名刹である。宝徳2年(1450)、もともと貴族の徳大寺家の別荘を管領(かんれい)細川勝元が譲り受け、寺地とし、妙心寺の義天玄承を開山として創建した。 |
応仁の乱で焼失したため、長享2年(1488)勝元の子・政元によって再興されて諸堂が整備された。その後、寛政9年(1797)に焼失したため、慶長11年(1606)に造営された西源院(せいげんいん)方丈を移築したのが現在の方丈(庫裡(くり)<住職や家族の居間>)である。 |
京都府京都市 平成13年(2001)11月25日(日)
|
|
|
|
|
|
|
|
方丈の南側に広がる方丈庭園は、15世紀中期には造られていたものと考えられている。自然を狭い空間に圧縮し、抽象化して表現する枯山水庭園・石庭の極限的な姿は、世界的に名高い。 |
|
|
石庭は、東・南・西面を築地塀(油土塀)で囲まれた東西30m、南北10m余の矩形の庭で、白砂敷の中に5・2・3・2・3の5群15個の石組が配されており、虎の子渡しの名がある。 |
|
|
石庭は、見る角度で様々に美意識が変わり、 参拝者に驚きと感動を与えてくれる。この庭が世界に紹介されて以来、日本はもとより、世界各国の著名な建築家が訪れ、龍安寺石庭の簡素な構成美を現代の建築物に取り入れる試みがなされているという。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
奈良古寺巡礼 |
奈良県奈良市 平成14年(2002)2月8日(木)
|
東大寺の金堂である大仏殿は、奈良時代に創建されてから治承と永禄の二度の兵火に遭い、現在の建物は江戸時代に公慶上人によって再建された。 |
|
冬晴れや大仏殿の鴟尾光る
|
Winter sunshine,
the roof ends glistening
on the Hall of Great Buddha.
|
|
|
|
|
|
天平と鎌倉の大仏殿は桁行十一間であったが、現在のものは財政困難の理由で七間に規模が縮小された。それでも高さや奥行きは創建時のままで、世界最大の木造建造物である。 |
|
冬晴れの一日、巨大な屋根の両端に飾られた黄金の鴟尾(しび)が輝き、金堂の偉容を誇っていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
奈良吉野山の桜 |
奈良県 平成14年(2002)4月6日(日)
|
吉野山の桜は、今からおよそ1300年前、修験者的な呪術者として知られる役小角(えんのおづぬ)が桜の木に蔵王権現の像を刻んだことから御神木として参詣の人々により献木が行なわれ、日本一の桜の名所となったという。 |
|
見渡せば桜に埋る蔵王堂 |
Looking
around from the observatory,
main hall
Zao-do entirely surrounded
by the cherry blossoms.
|
|
|
金峰山寺(きんぷせんじ)本堂の国宝・蔵王堂(ざおうどう)は、桜とともに吉野山のシンボルとして堂々たる容姿を誇っている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
現在吉野山には3万本の白山桜(しろやまざくら)が植えられている。この品種は、花と葉の赤芽が同時に出てくるのが特徴で、そのことを知らないと、満開でも散ってしまったと錯覚してしまうことになる。
|
|
|
雲越えて花咲きのぼる吉野山 |
Yoshino mountain,
Cherry blossoms blooming
up to the top beyond the clouds. |
|
|
|
|
|
|
桜咲く西行庵の山険し |
Cherry blossoms
on the steep mountain
of Saigyo hermitage.
|
|
|
|
吉野山の桜は、山の下から上に向かって、ケーブル付近の下千本(しもせんぼん)、如意輪寺(にょいりんじ)付近の中千本(なかせんぼん)、吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)付近の上千本(かみせんぼん)、西行庵(さいぎょうあん)付近の奥千本(おくせんぼん)と順に開花していくので、見頃が長い。
|
|
|
|
|
|
吉野山の奥千本(おくせんぼん)と呼ばれる山奥に、粗末な方丈の西行庵がひっそりと建っている。ほとんどの桜がまだ一分咲き程度だった。西行が詠った苔清水(こけしみず)は、今でも西行庵から100mほど離れた山あいにある。鶯の鳴き声が聞こえるなか、西行が見た光景と変わることなく、綺麗な清水が流れている。 |
|
|
鶯や時を忘れし苔清水 |
A
bush warbler,
spring water Koke-shimizu
forgotten all about the time. |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
姫路城の桜 |
兵庫県姫路市 平成13年(2002)4月14日(日)
|
桜咲く姫路城に足を運んだ。城と桜は、見慣れた風景だが、日本人の心情に見合っており、私の好きな風景のひとつである。桜と城の光景ほど、日本を感じさせ、日本人を自覚させるものはないように思う。 |
|
ただ一つ聳ゆる天守花盛 |
Only a castle tower
rises high
over the cherry blossoms
in full broom.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
京都・葵祭速報! |
京都府京都市 平成14年(2002)5月15日(火) |
葵祭(あおいまつり)は、賀茂御祖(かもみおや)神社(下鴨神社)と賀茂別雷(かもわけいかづち)神社(上賀茂神社)の例祭で、5月15日に行われ、祇園祭や時代祭とともに京都三大祭に数えられる。中でも葵祭は1400年の歴史があり、我が国の祭の中で最も優雅で古趣に富んだ祭として知られる。 |
|
武士の冠に揺るゝ懸葵 |
もののふの かむりにゆるる かけあおい |
A
hollyhock trembling
on the coronet
of samurai warrior.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
祭儀は、宮中の儀、路頭の儀、社頭の儀の三つからなるが、現在宮中の儀は省かれ、路頭の儀と社頭の儀だけが行われている。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代の1694年(元禄7年)に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿(だいりしんでん)の御簾(みす
すだれ)をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉(くぶ)者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになったからだという。使用される葵はフタバアオイで、毎年両神社から御所に納められる。かつては、祭といえば、葵祭を意味していた。 |
|
|
|
|
|
諸鬘のたりのたりと牛車かな |
もろかずら のたりのたりと ぎっしゃかな |
Hollyhocks, slowly and slowly the ox-drawn carriage going.
|
|
|
|
|
|
|
平成14年(2002)の路頭の儀は、戦中・戦後の中断を経て、行列が復活して50回目。行列は、曇り空のなか、予定通り5月15日午前10時半、京都御所・建礼門(けんれいもん)を出発。平安時代の装束を纏って都大路を進む王朝絵巻さながらの行列が沿道の観客約3万8000人(京都府警調べ)を魅了した。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
祇園祭 |
京都市 平成14年(2002)7月16日(火)・17日(水) |
平成14年(2002)7月16日(火)、台風7号が過ぎ去り、京都では、日本三大祭りの一つに数えられる京都の祇園祭(ぎおんまつり)の宵山(よいやま)が催された。 |
祇園祭は、京都の祇園社(現、東山区八坂神社)と同社を勧請(かんじょう 神仏の分霊を迎えて祀ること)した地方の祭礼である。 |
|
宵山の駒形提灯点りをり |
Komagata
lanterns
became lighter
on the eve of Yamahoko parade.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
中でも京都の祇園祭は、山鉾(やまほこ) 巡行を中心とした盛大な夏祭として、東京の神田祭・大阪の天神祭と共に日本三大祭の一つに数えられ、現存する山鉾29基すべてが国の重要民俗文化財に指定されている。 |
|
|
しめ縄切りは、京都・祇園祭の山鉾巡行の際、四条通麩屋町(ふやちょう)で行列の先頭を行く長刀鉾の稚児が四条通を横断して張られている1本のしめ縄を切断する神事である。四条通の東端に八坂神社があるので、これにより山鉾は神域に入ることが許される。 |
|
|
|
|
|
生稚児の注連縄切りや祇園の会 |
いきちごの しめなわきりや ぎおんのえ |
Sacred
straw rope cutting
by the holy child
in Gion festival. |
|
|
|
稚児は、7月13日社参の儀(お位貰いの儀)により、八坂神社から五位小将と十万石大名の格式を賜っている。練習の甲斐があり、見事に一刀両断し、しめ縄がパラリと落ちた。その瞬間、沿道から拍手喝采があがり、大役を果たした稚児の顔に安堵の色が浮かんだ。 |
|
|
|
|
|
|
|
南観音山の辻廻し/四条河原町交差点
|
|
拡大写真(1600x1100)308KB |
|
|
|
|
|
|
|
|
山鉾は男の舞台京大路 |
やまほこは おとこのぶたい きょうおおじ |
The big street of Kyoto, Yamahoko is a stage of men. |
|
|
|
▲ 山鉾巡行の最後を飾る南観音山は、真木(しんぎ 屋根から天に向かう柱)の代わりに立てた松の横枝には尾長鳥をとまらせている。諸病を防ぐといわれ、山鉾巡行には柳の大枝を差している。南観音山は、四条河原町の辻回しをしっかりと決め、四条通の山鉾巡行は終わった。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
徳島阿波踊り |
|
市役所前演舞場 |
徳島県徳島市 |
平成14年(2002)8月12日(月) |
|
|
|
|
編笠の笑顔こぼれし踊唄 |
A smiling face
under the braided hat of straw,
singing a dance song.
|
|
400年の歴史を誇る阿波踊りは、徳島市を中心に徳島県下一円で踊られている盆踊りをいう。兵庫県の淡路島でも踊る。阿波踊りの名称は、昭和初年に徳島出身の絵師・郷土芸能研究家の林鼓浪(はやしころう 1887〜1965)が旧国名によって命名したものという。
|
踊笠波打つ如く寄せ来る |
Dancing braided hats
of straw,
rushing to us
like waves. |
|
伴奏は三味線・笛・太鼓・鉦(かね)などで急調子にはやしたてるが、唄は落ち着きのある「よしこの節」である。7・7・7・5調の囃子唄で、有名な「♪踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々・・」はこの唄の中の1節。明治の流行歌の1つで、藍商人が歌っていたものが阿波踊りに歌う「阿波よしこの」となって定着したという。
|
阿波踊泥棒のよな頬被 |
Awa-odori dance,
the cover of a head and cheeks
with a towel looks like a thief. |
|
一晩に二度踊り込む阿呆連 |
Ahoh-ren,
dancing into the promenade twice a night. |
|
|
|
|
男は尻ぱしょりの浴衣がけに手ぬぐい頬かぶり、足袋はだし、女は片肩脱ぎの浴衣を裾からげに着て赤い蹴出しを見せ編笠をかぶり、白手甲、白脚絆、白足袋、黒の利休下駄をはき、数十人単位の連(れん)を作り街道を流し踊り歩く。これを騒(ぞめき)という。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
鞍馬の火祭り |
|
由岐神社 |
京都府京都市左京区鞍馬本町 |
平成14年(2002)10月22日(火) |
|
|
|
|
|
火祭や鞍馬の宿の鉾飾 |
ひまつりや くらまのやどの ほこかざり |
Kurama
fire festival
displaying spears at villager's inns. |
|
|
鞍馬の火祭りは、京都府京都市左京区鞍馬本町に鎮座する鞍馬寺(くらまでら)の鎮守社・由岐神社(ゆきじんじゃ)の例祭で、毎年10月22日に行われる。(雨天決行)
大小の松明を担いで「さいれーや、
さいりょう!」の掛け声とともに鞍馬街道を練り歩く紅蓮の炎の祭典として知られ、那智の火祭りや久留米市・玉垂宮(たまたれぐう)の鬼夜(おによ)とともに日本三大火祭りに数えられる。(撮影:さや)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
初凪の海に向ひてようそろう |
Steady!
towards the sea
of New Year's calm.
|
|
謹賀新年! 2003年の年賀状に載せた俳句。新しい年に向かって、静かに乗り出してゆく心境を詠った。人によっては心安らかではないかも知れない。世の中デフレが深刻化し、失業率が過去最大という。私の年収も下がってしまった。しかし、希望を持って船出したい。きっと良いことがあるに違いないと信じて! |
兵庫県神戸市 平成15年(2003)1月1日(水)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
早春の熊野三山 |
和歌山県 平成15年(2003)3月17日(月)
|
熊野三山に行った。中でも落差133mもある日本一の那智の滝を擁する那智大社は素晴らしかった。赤い三重塔とのマッチングは特に素晴らしい。 |
|
|
春日和海より望む那智の滝 |
Nachi falls
viewing from the sea
in a sunny day of spring.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
春の雲熊野三山八咫烏 |
はるのくも くまのさんざん やたがらす |
The
clouds of spring,
Yatagarasu the raven
at Kumano three shrines.
|
|
三本足の八咫烏の「咫」は長さの単位で、それ1字では「あた」と読み、「八咫(やあた→やた)」で「大きな」という意味だという。日本サッカー協会のシンボルマークとして知られる。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成15年2003年5月10日(土)、神田祭(かんだまつり)の神幸祭(しんこうさい)が行われた。この年は徳川家康が慶長8年(1603)に江戸幕府を開いてから丁度400年になる。江戸時代、本社の神輿を氏子総出で江戸城内まで担ぎ、氏子でもある将軍の上覧を得たことから、神田祭は日枝(ひえ)神社の山王祭とともに天下祭(てんかまつり)・御用祭ともいわれた。 |
姐さんのそっと手をやる祭髪
|
あねさんの そっとてをやる まつりがみ |
A
lady gently fixing her hair
with her hand
in summer festival. |
|
|
母も娘も神輿を担ぐ神田子 |
Natives
of Kanda
including mothers and sisters
carry a portable shrine
in Kanda festival. |
|
各町が競う山車(だし)や練物(ねりもの 屋台や仮装行列)は華美を尽くし、本社の神輿を中心とした行列は数キロに及んだといわれる。 |
しかし、行列を出す費用がかさむことから、天和元年(1681)幕府の命により、神田祭と山王祭を隔年に行うようになった。 |
|
|
|
|
神幸祭は、神田神社に祀られる恵比寿・大黒・平将門命の三柱の神の鳳輦(ほうれん)による渡御祭である。鳳輦の鳳(ほう)は鳳凰(ほうおう)の雄(雌は凰)、輦(れん)は天子の乗り物で、鳳輦とは、屋形の上に雄の鳳凰をつけた輿(こし)のことで、神(御神体・御霊代)の乗り物である。神輿も神の乗り物であるが、鳳輦の方が高級感がある。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
あぢさい寺 |
千葉県松戸市 平成15年(2003)6月21日(土)
|
アジサイは、日本原産のユキノシタ科アジサイ属の落葉低木である。高さ約1.5mで、6〜7月ころに花を咲かせる。花に見える部分は、萼(がく)片で、花弁はごく小さい。花色は生息する土壌に影響を受け、アルカリ性には赤色系、酸性土には青色系が咲く。 |
|
紫陽花のひときは映ゆる雨上り |
Hydrangeas
stand out
after a rain.
|
|
|
|
|
|
|
|
アジサイは、万葉集にも名が見えるほど古くから知られ、鎌倉時代以降は園芸品種としても栽培された。しかしこれらは素朴な山紫陽花(ヤマアジサイ)や額紫陽花(ガクアジサイ)が主であったためか、これを特別に観賞する名所は江戸時代を通じても現れず、鎌倉の紫陽花寺・明月院などが観光の対象となったのは、第2次大戦後のことである。 |
|
|
うるはしき
色は匂へど 何んとなく さびしく見ゆる
あちさゐの花 明治天皇 |
|
|
|
|
シーボルトはアジサイを Hydrangea otaksa と名づけたが、このオタクサは彼の愛人だった長崎丸山の遊女・お滝さん(本名楠本滝)に由来するという。学名はその後、Hydrangea macrophylla になり、今では「オタクサ」の名がなくなっているのが残念である。 |
|
|
|
|
|
紫陽花や色移り気の恋心 |
Ahydrangeas, inconstant in love. |
|
|
|
アジサイの語源には諸説あるが、大言海にある「集(あづ)真(さ)藍(あい)の意」という説が有力視されている。花言葉は「高慢」「美しいが香も実もない」。女性への贈物にはふさわしくない。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
雨粒を蓄えてゐる花さうぶ |
An
iris
saving
rain drops. |
|
500品種以上もあるハナショウブは、他種との交雑や倍数性を利用しないで品種改良が進められてきたが、近年になってキショウブとの雑種が作られ、ハナショウブにはなかった淡黄色の〈愛知の輝〉が1962年に育成されるなど、人気の花である。 |
東京都青梅市 平成15年(2003)7月5日(土)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ラベンダーの里 |
北海道富良野市 平成15年(2003)7月14日(月)
|
|
千歳空港からツアーバスを使用し、2泊3日で道央を旅した。富良野で1泊した後、翌15日(火)、富良野〜上富良野〜美瑛(びえい)〜富良野と巡った。 |
|
ラベンダーやかほり富良野の丘に満つ |
Scent
of lavender
in the air
of hills in Frano.
|
|
|
|
|
|
|
|
富良野地方は、この時期、秋まき小麦が色づき、黄金色に輝く麦畑があちこちに広がり、麦秋(ばくしゅう)を迎えていた。麦秋は麦の秋のことで、麦を取り入れる季節である。俳句では夏の季語となっている。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
ラベンダーは、その香りや色、形から、数多い芳香植物の中でも男女を問わず高い人気がある。 |
|
風渡る大いなる丘夏の色 |
Winds breezing over the broad hills of summer color.
|
|
バスは富良野から北上して上富良野が一望できる千望峠(せんぼうとうげ)に着いた。黄金色の麦がまばゆいばかりに揺れていた。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
北舟の日記 |
|
|
2003年8月16日(土)/東京 8月の盆休みで日本列島は里帰りのシーズンだ。今週は会社全体が夏休みなので、私も休みを取っているが、東京は雨続きで、外出ができない。 |
俳句「海の風景」は、50句を束ねてアップしており、既に第4集に入っている。今年の4月に神戸から東京に転勤となり、海の句が殆どなくなってしまった。タイトルを修正しようかとも考えたが、既に2年を超えるシリーズとして定着しており、タイトルは従来のままとすることにした。 |
|
|
|
|
|
この道を我は歩かむ八重葎 |
このみちを われはあるかん やえむぐら |
Thick weeds, let me walk along this way. |
|
|
|
世界の旅の写真館としてWa☆Daフォトギャラリーはこれからも歩み続けてゆくが、それとともに、この俳句も続けてゆきたい。そして、英訳と写真とをあわせて添えてゆく。このような試みは私しかやっていないと思う。かなり骨の折れる作業であるが、やる価値はあると思う。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
風紋の広がり行きぬ夏の川 |
Waves
by the wind
spreading out
on the summer
river.
|
JR青梅線の青梅駅から10kmほど遡ったところに軍畑(いくさばた)駅がある。昔は渡しがあったところで、現在は軍畑大橋という立派な橋が架かっている。 |
橋の下流が淀みになっている。多摩川は、これから上は徐々に急峻となってゆく。 |
東京都青梅市 平成15年(2003)9月2日(火)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
原の獅子舞 |
東京都奥多摩町 平成13年(2001)9月15日(月)
|
多摩川の水源・奥多摩湖に行った日、幸運にも小河内(おごうち)ダム郷土芸能イベントが東京都奥多摩町小河内ダムの「水と緑のふれあい館」で開かれており、小河内地区の郷土芸能である鹿島踊や獅子舞を見ることができた。
|
|
湖に沈みし村の秋祭
|
Autumn
festival
of the village
sunk
into the lake.
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
秋の嶺餌場に遊ぶ山雀 |
Ridges
of autumn,
a varied tit playing
at a feeder.
|
|
武蔵御岳山(むさしみたけさん)の長尾平の餌場で遊ぶヤマガラがいた。超望遠で撮影した。スズメ目シジュウカラ科の鳥。全長約14cmで頭と喉は黒く、額、頬、後頭部は淡褐色をしている。背から尾にかけては青灰色、胸から腹部は栗色。日本、朝鮮半島南部、台湾にだけ分布する。 |
東京都青梅市 平成15年(2003)11月14日(金)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
深山路の茅葺の家秋深む
|
みやまじの かやぶきのいえ あきふかむ
|
A thached house
in the heart of a mountain
quite autumnal.
|
|
御岳山の山頂に武蔵御嶽神社がある。山岳信仰の参拝客で山上の門前町が賑わう。御岳山には、御師(おし)住宅の集落があり、未だに茅葺きの屋根がある家が目につく。紅葉が屋根に降り積もっていた。 |
東京都奥多摩町 平成15年(2003)11月22日(土)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|