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■■■ 3.11東日本大震災以後初めてアクセス1万件を突破! ■■■
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▼ 関東・甲信地方は、5月27日(金)に梅雨入りし、台風2号の影響もあって、かなりの雨が降った週末だったが、今朝、パソコンを起動してみると、昨日5月29日(日)のアクセス件数が10019件となり、3.11東日本大震災以後初めて1万件を突破したことが分かった。大震災以後、1日のアクセス件数が7000〜8000件に落ち込んでいただけに、久しぶりの大台越えが懐かしく、嬉しかった。 |
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その原因は、日曜日は台風来襲のため、外出を控え、自宅でパソコンを楽しんだ人が増えたためと思われる。また、大震災の心的ストレスも緩和され、通常のライフスタイルに復帰してきたことも伺える。毎日1万アクセスが当たり前となる日を目指して、これからもクオリティの高い作品を多数アップしてゆきたい。 |
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久々にアクセス1万件を超えたトップページ
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昨日、本年第17集/通算第466集となる作品をアップした。
感動写真集〈 第160集 〉・日本の裸祭り〈 第135集 〉「芦別健夏山笠」 撮影・原作:
H. I. 監修: 和田義男
この作品は、感動写真集同人・H.I.さんの第7作で、平成22年(2010年)7月17日(土)北海道芦別市で行われた芦別健夏山笠の「追い山」を取材したもので、3頁56枚の中編である。お時間のあるときにごゆるりとご覧いただきたい。 |
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編集子の選ぶ傑作 |
山笠会場に入場する褌衆
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どさんこの いきなふんどし なつまつり |
The summer
festival, cool
loincloths of guys born and bred in Hokkaido.
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H.
I. エッチ アイ |
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住居:北海道 年齢:45歳 趣味:国内旅行、ドライブ |
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写真は小学生の高学年頃から少しづつ始め、就職してから一眼レフを購入。一時期ビデオ撮影に変更した時期があったが、ニコンD70を購入してから写真撮影に復帰、昨年はオリンパスE510を追加購入。D70を最近発売されたニコンD90に変更。 2010.12.30 |
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あとがき |
あまり知られていないと思いますが、北海道にも博多祇園山笠の流れを引き継ぐ山笠があります。昭和60年頃に芦別市で夏祭りのイベントで祇園山笠を始めたそうで、当初は鉄で組んだ山笠だったそうです。 |
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祭の装束も締め込みは市販のさらしで、普通の青い法被を着ていたそうです。そんな健夏山笠も博多祇園山笠振興会の公認を得て、本家の流れを継ぐ形となって現在に至っています。 |
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さすがに芦別市の人口流出は避けられず、参加者の確保に苦労しているようですが、市役所の職員や近郊の自衛隊の協力、全国からの祭参加者の受け入れなどの努力をしています。芦別市役所に尋ねると参加も可能と聞いております。今年、平成23年の「追い山」は7月16日(土)に開催予定で、「追い山」まであと51日です。是非、一度挑戦してみて下さい。
2011.05.27 H. I.
【問い合わせ先】 芦別市商工観光課商工観光係(電話 0124-22-2111) |
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★☆★彡 |
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感動写真集〈 第160集 〉・日本の裸祭り〈 第135集 〉「芦別健夏山笠」 |
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撮影・原作: H. I. 監修 : 和田義男 |
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平成23年(2011)5月27日
作品:第17作 画像:(大51+小5)
頁数:3
ファイル数:120 ファイル容量:36.5MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:466 頁数:1,803 ファイル数:66,064 ファイル容量:10,371MB |
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やまかさや きただいこくの しろふどし |
Yamakasa
festival, North Daikoku group wearing a white loincloth. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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早い梅雨入りを思わせる5月27日(金)の曇天の下で、本年17作目となったH.I.さんの第7作「芦別健夏山笠」が完成した。 |
DVDで送られてきた写真を見たとき、博多祇園山笠の写真と勘違いするほど、よく似ている祭に驚いた。 |
調べてみると、博多祇園山笠に感動した芦別の道産子たちが始めた山笠だった。新しい歴史を拓こうとする芦別市や芦別健夏山笠振興会の熱意は只者ではなく、本場博多と寸分変わらぬ男のロマンと迫力に脱帽する。 |
かつて炭鉱で栄えた町が閉山の憂き目に遭い、寂れた町を立て直す起爆剤として選んだのがこの健夏山笠という官民一体の町興しだった。 |
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今年で23回目を迎える健夏山笠は、芦別の夏祭として完成し、しっかりと根を下ろしている。博多祇園山笠振興会から正式のお墨付を得た祭は、ここが最初で最後だろう。毎年、博多山笠に留学生を送り、本場の精神と技術を学び、「北の山笠」、「道産子の山笠」として独立独歩できる素晴らしい裸祭に成長した。 |
江戸時代から続く伝統の裸祭は、廃れたり、褌がパンツなどに変質してゆくなかで、平成元年(1989)に伝統を新たに創造した芦別は、希有な存在である。鉢巻、水法被、締め込み(褌)、舁き縄、地下足袋という伝統衣装は、一人の違反者もなく、整然としていて美しい。これからも芦別市の誇りとして、変質させることなく、後世につないでいって欲しい。 |
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本場・博多山笠の「追い山」は、大観衆と立ち入り規制の中で行われるため、その一部始終を撮影するのは殆ど不可能である。今回、H.I.さんの感性豊かなカメラアングルで、数々の名作を切り取った画像はどれも素晴らしく、超高精細画像に調整して発表することができた。読者におかれては、巨大画像の隅々までじっくりと観賞し、ロマンと感動を味わって頂きたい。簡単に撮影できたように見えるが、勢い水を掛ける裸たちや多くの他のカメラマンに邪魔されて没となった画像も多々あり、悪戦苦闘した末の名作である。 |
室蘭市在住の道産子 H.I. さんのお陰で、芦別の男たちの躍動する素晴らしい山笠の世界を存分に記録し、こゝに発表できたことを同好の方々と喜びを分かち合いたい。この作品が芦別健夏山笠の定番となり、全国に認知されて更なる発展を遂げられんことを祈念している。 |
最後に、芦別市役所におかれましては、電話取材に快く応じていただき、調査のうえ詳しい解説を賜ったことに感謝申し上げるとともに、今後益々のご発展を祈念しています。ありがとうございました! 〈 拝 〉
2011.5.27 監修
和田義男 |
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さきほど、本年第16集/通算第465集となる作品をアップした。
感動写真集〈 第159集 〉・日本の裸祭り〈 第134集 〉「ホーランエンヤ'11」 撮影・原作:辻 竜二 監修: 和田義男
この作品は、感動写真集同人・辻竜二さんの第2作で、平成23年(2011年)1月9日(日)大分県豊後高田市で開かれた新年恒例の裸祭「ホーランエンヤ」を取材したもので、2頁23枚の短編である。お時間のあるときにごゆるりとご覧いただきたい。 |
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編集子の選ぶ傑作 |
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ふくもちを かわべにくばる たからぶね |
A treasure
boat, delivering rice cakes of good luck along the river. |
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出生:昭和44年(1969)長崎県佐世保市 |
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住居:長崎県佐世保市 |
職業:水道工事 |
趣味:写真、車、野鳥(観察・撮影) |
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あとがき |
1月9日午前11時半から開始ということでしたが、早めに行き、地元の人に宝来船の運行ルートを教わったりしてから、桂川の下流にて待機しました。開始2時間ほど前には日が射していましたが、30分ほど前からかなり雨が降り始め、どうなることかと心配しましたが、開始直後には雨も止み、何とか持ちこたえました。 |
乗船者はコース途中の停船所にて全員が乗り込み、祭りが始まります。まず一旦下流に下りますが、ここで1名が船を降り、琴平宮のお払いを受けます。宝来船はすぐに出発しますので、お払いを受けた者は随伴船に乗り込み、本船を追って乗り移りました。 |
この後は、上流へ向かいながら、右岸左岸を蛇行しながら待ち受ける観客に餅まきが行われます。これと同時進行して、観衆や地元の方からのご祝儀やお供えがあると、締め込みの若者が川に飛び込み、受け取りに行きます。そのつど随伴船が泳いでいった若者を迎えに行き、本船に戻していました。 |
最後は市役所前の広場(若宮八幡秋季大祭と同じ場所)にて待ち受ける大観衆に盛大に餅が撒かれ、この後若宮八幡に参拝して締めとなります。 |
この日、外気温は4℃で、かなりの突風が吹いており、水からあがった青年たちの寒さは想像もつきません。 |
どれだけ撒かれたのかわからないほど大量の餅が岸に届かず、川に落ちて漂っていましたが、随伴船や学生のカヌー部らしい参加者が拾い集めて年配の方々に配っていました。 |
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感動写真集〈 第159集 〉・日本の裸祭り〈 第134集 〉「ホーランエンヤ'11」 |
撮影・原作:辻 竜二 監修: 和田義男 |
平成23年(2011)5月23日
作品:第16作 画像:(大23+小0)
頁数:2
ファイル数:25 ファイル容量:22.5MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:465 頁数:1,800 ファイル数:65,717 ファイル容量:10,325MB |
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ほうらいの びゃっこんいっぽん はつおよぎ |
The first swimming
of the year, only wearing a white loincloth of good fortune. |
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編集子の選ぶ傑作 |
祝儀を受け取りに厳寒の桂川に飛び込む
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水軍の伝統文化 |
感動写真集同人・辻竜二さんの第2作「ホーランエンヤ'11」
が完成した。ホーランエンヤは、清原浩さんが平成19年(2007)に初めて発表されて以来、今回で4作目となる。他の祭と同様、毎回、同じメニューで催行されるので、真新しい視点がないと、新鮮味がなく、読者に飽きられてしまう。
しかし、同時に、取材を継続することで、その祭を見る視点や関心が深まり、これまでに撮れていなかったシーンが追加されるなど、味わいも更に深まって行く利点がある。 |
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特に今回は、過去になかった2400x1600ドットや3000x2000ドットといった極めて高精細画像をアップしたので、1枚の画像の情報量は膨大である。どうかじっくりとご覧頂きたい。 |
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ホーランエンヤは、宝来船が福餅をばらまき、観衆が差し出す祝儀を褌一丁の若者が泳いで取りに行くという、とてもシンプルな裸祭であるが、江戸時代から続く、日本の伝統文化が変質することなく再現されており、新春を迎えるにふさわしい目出度い祭である。 |
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今回は、恵比寿・大黒に見立てた男児の踊り子の写真をもとに、瀬戸内海の水軍の流れを汲む「坂越の船祭り」の「女形のシデ振り」を紹介した。漕ぎ手たちの褌の締め方といい、櫂の形といい、漕ぎ手を鼓舞する振り袖の男性といい、類似性が極めて高く、瀬戸内海西部に位置する豊後高田市のホーランエンヤは、同じ水軍の文化を受け継いでいるものと思われ、興味深い。
〈 完 〉
平成22年(2011)5月23日
和田義男 |
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快晴の旅行日和に恵まれた平成23年(2011)5月9日(月)、栃木県足利市(あしかがし)の「あしかがフラワーパーク」で開かれている「大藤まつり」を見に、家内と二人でぶらり旅に出かけた。177.82km2に15.4万人が住む足利市(あしかがし)は、栃木県南西部にある地方都市で、古くは下野国(しもつけのくに)足利庄(あしかがのしょう)として栄え、フランシスコ・ザビエルが坂東(ばんどう)の大学と呼んだ有名な足利学校があることで知られる。
3頁71枚の中編となった。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
旅紀行日本の花第35集 / 旅紀行ジャパン第125集 「足利・大藤まつり」 撮影・制作 : 和田義男
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編集子の選ぶ傑作 |
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あしかがや ふさろくしゃくの ふじのはな |
Ashikaga country,
a bunch of wisteria blossoms is six feet long. |
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撮 影
2011年5月9日
OLYMPUS E-5
12-60mm 9-18mm
1230万画素
580枚 1,350MB
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5月20日(金)、本年第15作(通算464作)が完成した。
「旅紀行日本の花」 シリーズは、「尾瀬の水芭蕉」以来、1年半ぶりの作品で、休眠状態にあったため、前作の「秩父の芝桜」のに続き、花シリーズを連続してアップした。前回同様、精力的に編集し、今回も撮影後8日目というスピード発表となった。 |
「大藤」を見に行ったのだが、他にも違った花があり、また、話題も豊富で、バラエティ豊かな作品になった。帰りにバスを途中下車して見学した足利学校は、おまけのようなものだが、こんなところにザビエルが絶賛した大学があったのかと、感動した。 |
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野田九尺藤や八重黒龍藤をinternetで検索すると、あちこちで栽培され、一般公開されている。しかし、その規模においては、「あしかがフラワーパーク」を越えるところはなさそうで、日本一の大藤だと宣伝しても良いのではないかと思われる。 |
「あしかがフラワーパーク」の入園料は、花の咲き具合により変動しており、1年で一番の大藤の見頃を迎えたときは、大人:1700円 / 子供:800円だった。今日、サイトをのぞいてみると、大人:1200円 / 子供:600円になっていた。来訪客の満足度に連動した価格設定はとても良心的で、好感を持った。 |
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旅紀行日本の花第35集/旅紀行ジャパン第125集「足利・大藤まつり」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成23年(2011)5月20日
作品:第15作 画像:(大57+小14)
頁数:3
ファイル数:156 ファイル容量:90.3MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:464 頁数:1,798 ファイル数:65,692 ファイル容量:10,302MB |
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さんしょくの いまをさかりに ふじのはな |
Wisteria blossoms of
three colors, in full broom today. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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日本原産の藤の花は万葉集にも詠まれていて、古来から親しまれた花だといわれているが、余り身近に見ることもなく、また、民謡や唱歌などにも唄われていない。唯一、人口(じんこう)に膾炙(かいしゃ)しているのが「藤娘」で、歌舞伎や日本舞踊の演目として知られているほか、日本人形や羽子板の押絵にも用いられている。 |
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日本女性の美しさの象徴とも思える藤娘は、調べてみると、大津絵(おおつえ)から発していた。 |
大津絵は、滋賀県大津市で江戸時代初期から名産としてきた民俗絵画で、さまざまな画題を扱っていた。 |
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東海道を旅する旅人たちの間の土産物や護符として人気があり、その中に藤娘の絵があった。大津絵は、江戸時代を通じ、東海道大津宿の名物となり、文化・文政期(1804-1829)には「大津絵十種」と呼ばれる代表的画題が確定し、一方で護符としての効能も唱えられるようになった。「藤娘」は良縁、「鬼の寒念仏」は子供の夜泣き、「雷公」は雷除けなどに御利益があるとされ、全国的に広まっていった。 |
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「藤娘」は、織田信長の時代、摂津の守・荒木村重という武将の孫・又兵衛が発案した戯れ絵で、大津絵の画題の一つとして知られるようになり、「かつぎ娘」、「藤かつぎ娘」ともいわれるようになった。娘が黒の塗り笠に藤づくしの衣装で藤の花枝をかたげている姿が典型的な「藤娘」といわれるものである。 |
又兵衛は京都で名高い画工の弟子となったが、師匠に勘当され、落ちぶれて極貧を極めた。みかねた妹の「藤波」が白拍子(舞の遊女)となり、兄を助けた。しかし、はからずも「藤波」は人手にかかり死亡。又兵衛は悲しみの末、京都を去り、大津の追分(おいわけ)で妹・藤波の菩提のため仏画を売り初め、これが名物となり、「大津絵」となった。大津絵「藤娘」の絵は、又兵衛の妹「藤波」の舞の姿である。(「大津絵の由来」明治27年(1894)杉本善郎著) |
やがて、大津絵の「かつぎ娘」に題材をとった長唄や日本舞踊の演目として「藤娘」が生まれ、文政9年(1826)江戸中村座で二代目関三十郎により初演された。 |
歌舞伎の「藤娘」は、昭和12年(1937)に六代目尾上菊五郎(おのえ・きくごろう)が五変化舞踊の一つだった藤娘を独立させ、長唄の間に「藤音頭」を挿入し、舞台演出を一新して上演したのがはじまり。藤の絡んだ松の大木は松が男を藤が女を象徴している。筋は、藤の絡んだ松の大木の前で、藤の枝を手にした藤の精が意のままにならぬ男心を切々と嘆きつつ踊る。やがて酒に酔い、興にのって踊るうちに、遠くで寺の鐘が鳴って夕暮れを告げると、娘は夕暮れとともに姿を消す。 |
藤音頭
( 岡鬼太郎作
)
藤の花房色よく長く 可愛いがろとて酒買うて 飲ませたら うちの男松に からんでしめて てもさても 十返りという名のにくや かへるという忌み言葉 はなものいわぬ ためしでも しらぬそぶりは ならのきょう 松にすがるも すきずき 松をまとうも すきずき 好いて好かれて はなれぬ仲は ときわぎの たち帰えらで きみとわれとか おゝ嬉し おゝうれし |
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歌舞伎の「藤娘」で初めて「藤音頭」という歌謡が生まれているが、一般に広まって後世に伝えられることはなかった。藤の花は、とても美しく、日本人の感性にふさわしい伝統の花であるので、今後、更にポピュラーな花として一般に知られるようになることを願いたい。〈 完 〉 2011.5.20 和田義男 |
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おおふじの ろっぴゃくじょうも ありという |
Huge wisteria blossoms,
they say over 1,000 square meters. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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快晴の旅行日和に恵まれた平成23年(2011)5月4日(水)みどりの日、家内と共に秩父の芝桜を見に、ぶらり旅に出かけた。
目指すは、7年前に旅した埼玉県秩父市(ちちぶし)羊山(ひつじやま)公園「芝桜の丘」である。・・・
3頁48枚の中編となった。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
旅紀行日本の花第34集 / 旅紀行ジャパン第124集 「秩父の芝桜」 撮影・制作 : 和田義男
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編集子の選ぶ傑作 |
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やまぶきの みのひとつだに ありぬべし |
A kerria should bear a
fruit. |
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撮 影
2011年5月4日
OLYMPUS E-5
12-60mm 9-18mm
1230万画素
260枚 589MB
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5月12日(木)、本年第14作(通算463作)が完成した。 「旅紀行日本の花」 シリーズは、「尾瀬の水芭蕉」以来、実に1年半ぶりの作品で、休眠状態にあったことを深くお詫びしたい。その反省もあって、今回は撮影後8日目というスピード発表となった。 |
7年前に「秩父・芝桜の丘」を発表しているので、新鮮味がないのではないかと心配したが、そのときの様子と対比することで、「芝桜の丘」の進化・発展がわかり、また違った趣が出たのではないかと思う。
同時に、私の撮影技術や編集内容の進化・発展?も感じ取って頂ければ有り難い。 |
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「芝桜の丘」は、7年前に比べると、栽培面積は11,700m2から17,600m2となり、50%5900m2拡張された。植えられた芝桜は、24.5万株から63%15.5万株増えて40万株余りとなった。花の種類は9種と変わらないが、種類が変わっている。 |
首都圏から近いこともあり、一シーズンに100万人を超える観光客があり、秩父夜祭に並ぶ観光資源として、秩父市の活性化に大きく貢献している。入場料を取らなくてもやっていけるのが素晴らしい。最初にこのプロジェクトを企画した人は、表彰ものである。秩父市の今後更なる発展を祈念したい。 |
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旅紀行日本の花第32集/旅紀行ジャパン第124集「秩父の芝桜」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成23年(2011)5月12日
作品:第14作 画像:(大40+小8)
頁数:3
ファイル数:113 ファイル容量:51.0MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:463 頁数:1,795 ファイル数:65,536 ファイル容量:10,212MB |
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ちちぶじや ながれるごとき しばざくら |
The country of Chichibu,
moss phlox look like a stream. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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パノラマ写真(2250X1000)879KB |
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元気を出そう!日本 |
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3.11東日本大震災から2ヶ月が経ち、余震も殆ど感じられなくなった東京では、エスカレーターの停止など、節電ムードではあるが、平常生活に戻っている。震災直後、多くの被災者のことを思えば、自粛ムードになったのは当然で、夏祭をはじめ、殆どのイベントが中止になった。 |
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しかし、平常以上に活動することが復興の応援につながることが徐々に自覚されるようになり、ゴールデンウィークのUターンラッシュが予想外に凄かったのは、その左証だろう。 |
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夏祭の中止を早々と決めてしまったのは、今となっては早計だったように思われる。未だに1万人の方々が海底に眠ったままの状態にあることに心が痛むが、これまで以上にイベントや旅行などに参加して消費活動を活発にし、沈滞気味の日本に元気を取り戻し、微力ながら復興に寄与したいと思う。
〈 完 〉 2011.5.12 和田義男 |
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ぶこうさん みあぐるおかの しばざくら |
The hill of moss phlox,
looking up Mt. Buko. |
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拡大写真(2000X1500)960KB
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■■■ トップページに「作品一覧」を追加! ■■■
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ゴールデンウィークも今日明日で終わりだが、東日本大震災のお陰で夏祭が中止となり、時間が余ったので、ホームページの手入れを行った。具体的には、俳句「海の風景」に俳句「海の風景」目次
を新設したほか、トップページに以下のように「作品一覧」を追加した。 |
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これまでは、作品数が多いため、総目次の掲載は見合わせ、「旅紀行ジャパン」などジャンル毎の目次を作成し、トップページには最新作のみサムネール表示していた。今回、一念発起し、ジャンル毎の目次ページから全ての作品を拾い出し、一年ごとに整理した表を作成した。これで、トップページを見ただけでWa☆Daフォトギャラリーの全容が把握できるようになった。 |
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本年7月16日で満11歳を迎えるWa☆Daフォトギャラリーだが、作品数は460を超え、トップページも六尺褌のように細長くなってしまった。改めて膨大な作品数に驚く。しかし、これは通過点に過ぎない。どこまで長くなるか分からないが、これからも気力体力の続く限り、ロマンと感動溢れる写真を求めて世界の旅を続けて行きたい。 |
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春光やブルーモスクのミナレット 北舟 |
パノラマ写真(2900X1600)758KB |
The spring sunlight, the minalets of Blue Mosque. |
トルコ感動の旅・上 |
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6本のミナレットが象徴する巨大なブルーモスク(スルタンアフメット・ジャーミィ)/イスタンブール(トルコ) |
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初春や褌登山の蘇民祭 北舟 |
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拡大写真(2000X1500)849KB
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Somin festival,
the mountain climbing naked
with a string loincloth at the beginning of spring. |
増訂!胡四王蘇民祭 |
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蘇民祭実行委員会佐藤昭男会長の後に続く裸衆/胡四王山(岩手県花巻市) |
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この作品は、連日、東日本大震災の惨事が報道されるなか、日本一の富士山と桜を撮影して明るく爽やかな気分になってもらおうと、4月20日(水)の早朝、家内と共に1泊2日の日程で出掛けた河口湖の旅を記録したものである。
4頁88枚の中編となった。お時間のあるときに、ごゆるりとご覧頂きたい。
旅紀行ジャパン第123集 「河口湖早春の旅」
撮影・制作 : 和田義男
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【編集子が選ぶ名作】 |
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拡大写真(2400X1600)545KB
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あおぞらを わがものがおに はるのふじ |
Mt. Fuji of spring, as though occupying the blue sky. |
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撮 影
2011年4月20-21日
OLYMPUS E-5
12-60mm 9-18mm
1230万画素
980枚 2.4GB
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5月3日(火)、ゴールデンウィークの最中に本年第13作(通算462作)が完成した。例年なら青梅大祭や鐵砲洲稲荷神社例大祭など江戸夏祭の取材で忙しいのだが、東日本大震災の影響で祭の自粛が相次ぎ、連休は編集に没頭することができたからである。 |
「旅紀行ジャパン」は、これで123作となったが、2010年2月以来のことで、1年3ヵ月ぶりの発表となった。国内の作品は、日本一を誇る「旅紀行日本の裸祭り」を中心とした祭の取材を優先してきたが、今後、疎かになっていた「旅紀行ジャパン」や「旅紀行日本の花」を強化してゆきたいと思う。 |
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旅紀行ジャパン第123集 「河口湖早春の旅」 |
撮影・制作 : 和田義男 |
平成23年(2011)5月3日
作品:第13作 画像:(大85+小5) 頁数:4
ファイル数:197 ファイル容量:67.6MB
平成12年(2000)〜平成23年(2011)
作品数:462 頁数:1,792 ファイル数:65,425 ファイル容量:10,161MB |
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わらぶきの おしののさとや はるのふじ |
Mt. Fuji of spring,
Oshino village of straw-thatched houses. |
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編集子の選ぶ傑作 |
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拡大写真(2400X1400)514KB |
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日本一といわれる富士山は、その高さばかりでなく、独立峰としての美しさや神々しさなど、あらゆる面において日本一の山である。日本といえば、昔から
「ふじやま、げいしゃ」などといわれて、海外からも富士山が日本の代名詞となっているのは良く知られている。 |
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私はこれまで色々な角度から富士山を眺めてきたが、これほど間近に見たことはなかった。富士山をテーマに撮ることがなく、富士はいつも脇役だったからだろう。今回も一見「河口湖」がテーマのように思われるかも知れないが、富士山を最も美しく見るために河口湖を選んだのであり、今回、初めて「富士山」を正面に見据えて撮影した。その結果、これほど大きく見えた富士山は初めてであり、また、これほど美しく見えたことも初めてである。そして、愛機 OLYMPUS E-5 のお陰で、感動の富士山を多数ビビッドに切り取ることが出来た。 |
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新幹線に乗る機会が多いため、どうしても東海道から富士山を眺めることが多いが、東海道から見た富士は、右肩に瘤(こぶ)があり、いびつな形である。この瘤は、宝永山(ほうえいざん)で、宝永4年(1707)の大噴火で誕生した側火山(寄生火山)である。富士山南東斜面に位置し、標高は2,693mある。 |
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箱根から見た富士山は、瘤が見えないので、稜線がなだらかで美しい。しかし、山の裾野は箱根の外輪山に邪魔されて、隠れてしまう。なにより富士山までの距離が遠いので、小さな富士となってしまう。 |
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河口湖や忍野八海から見た富士山は、掛け値無しに素晴らしい。今回、満開の桜と共に切り取った河口湖の富士山は、圧巻である。これも旅行社のツアーを利用せず、手作り・ぶらり旅だったからこそ出来たのである。二日目は予想に反して曇りがちの天候になってしまったが、これからも天候にこだわる必要があるときは、ぶらり旅で行くことにしたい。〈 完 〉2011.5.3 和田義男 |
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しらふじを あおぐこはんや さくらばな |
Cherry blossoms by the
lake, looking up at the white Fuji. |
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春富士
と |
産屋ヶ崎 |
の桜 / 河口湖北岸 |
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拡大写真(2600X1850)961KB
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